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茶の問答稽古

今日も茶道の稽古にて、台子の基本の点前と花月。いづれ、四ヶ伝が終わったら台子点前(利休の完成させた点前)に入っていくので、しっかりと固めておきたい所。炉の季節もあっという間に過ぎて行きますか。

最近は・・・正客さんとしての受け答えで、色々と指導を頂いてます。言葉も、必要なもの、不必要なもの、しっかりと無駄と必要なものを区別して言葉を選ばないといけません。

うっかりと・・・
「御茶入れの方は?」

などと言ってしまって「”方”って何?」と激が飛んだり。判っていてもつい、口に出てしまう事なもので、指摘されないと気付かなかったり、ついつい「次は気を付けるか~」などと流してしまいますから、有難い事です。ブログ記事文でも余計な言葉が多いですな。多くの稽古場では、まぁマニュアル的な場合が多いようですが、北野道場は基本的に正式な茶事を念頭としている稽古場なので・・・。

「心得があれば判る様なものは、一々聞くものではない!」
という実践の芯があります。確かに普通、心得の無い人が茶事に呼ばれる事は無いです。
マニュアル式の応答とか、心の通わない儀礼も「駄目」の烙印ですが、まずは言葉も大事。


簡単に言えば、より実践的。するとどう違うか。

例えば。茶を点てる時の最初の挨拶。「薄茶を一服差し上げます」と挨拶するトコが多いです。私も瀬戸に居た頃は「薄茶、もしくは御薄と丁寧に言う事!」と指導頂いたりしましたが、北野道場では・・・

「茶道口で挨拶するのは薄茶だけ。それに濃茶を差し上げた後の席で、もう一回濃茶が出てくるわけも無い。連客の全てが薄茶と承知している所へ、襖を開けて一々、”薄茶です”と云う必要があるものか。よく考えてものは云わなければならん!」

という事に相成ります。故に、「一服差し上げます」のみ。


なかなか、グウの音も出ない話ですね。他に例を挙げるとすれば、”典型的な肩付茶入”に対し、紋切に「御茶入れの御形は?」などと聞く様な事は、「好ましくない応答」というわけです。「肩付と御見受け致しますが・・・」と云う様に、連客にも伝わる様にして応答を行うのが実践的な言葉遣いという事でしょうか。「肩付って何?」という水準の人は、そも「肩付で御座います」と言われても判らないですよね。「肩付です」と言われて、「これが噂の肩付茶入ですか!」などという応答は、まずあり得ない滑稽な場面であります。

 門外の方へ判りやすく言えば、ラーメン同好会の寄り合いにて、典型的な醤油ラーメンを出されて、誰もが醤油ラーメンと認めている所へ持ってきて、”同好会の会長”が「店長、これは何ラーメンですか?」と聞く事態です。ラーメン好きが聞いて呆れるというか、正客としての品格、つまり茶会の品格に関わる問題になります。また、本当に「何ラーメンか聞かないといけない!」などという人だとすれば、ラーメンを作った人(亭主)もガックリです。むしろ実際にこうなると、ラーメン屋の店長こそ、「変な味のものが入っていただろうか?」と心配になります。好ましい?応答であれば、「素晴らしい醤油ラーメンでありました。素材を是非御教示下さい!」というとこですよね。御互いの信頼関係や常連性、名物性など、様々な要素で好適な応答が変わります。茶道の習得が”単なる形式の暗記”に終わっては、死んだものになってしまいます。


と、格好良く書いてみた所で、これは難しい。よくよく茶事にも陶器の事にも、あらゆる事に精通している必要がありますが、それは一朝一夕のものじゃない。陶器に詳しいだけでは到底歯が立たなかったりします。形だけ勉強してみたい、という方にはマニュアル的なトコで好いのではありますが、「男は正客が出来ないと恥を掻く!」という事で、よくよく指導を頂いて。実際に陶器の事から軸の事から、受け答えするのは正客のみです。正客としての勉強も、次第に指導水準を上げて頂いている事を感じます。しかしとにかく、まだまだ実践的な知識が足りないのですよ。

ちなみに。教本的な書籍だと普通に、①御菓子を客前に出して、”②「どうぞ御菓子をお召し上がり下さい」 と挨拶する”と、書いてあります。これも、「目の前にラーメン出しておいて、漬物をお召し上がりください」という事があるわけもないのですが、要は書籍は書籍。書籍で学べない事であるからこそ、実践の意義・稽古の意味があります。書籍は書籍として価値はあるのですけれど。


簡単に言えば、

正しいとか、正しくないとか、そういうものではなく。

単に「無駄のない美しい会話」の、”暗記”ではなく、”実践力”の道場です。

といって、無駄が無いだけじゃ駄目で、会話も楽しくないと本来じゃないですから・・・。


と考えて行くと、「ちゃんとした会話」とは。単純な話ほど難しいもの。と云って身構えていても、乗り越えないと茶人さんへの道は無いので。今のうちに恥を掻いて磨いておく事でしょうか。有難く指導を頂いております。



”正客の稽古”は、一種の人格練成ですね。他にも水屋の稽古など。点前の稽古だけではないのですよ。



と、今日は稽古の内容を書いてみました。

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論者:吉村祐

吉村 祐 /臥翠


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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