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独学「禅のすすめ 道元のことば」より その2

「禅のすすめ 道元のことば」角田泰隆氏 より、適当な独り言。

p12、道元『正法眼蔵随聞記』より
”国家に知られ、天下に名誉せんことを教訓す。”
”高僧伝、続高僧伝等を披見せしに、
大国の高僧・仏法者の様を見しに、今の師の教えの如くには非ず。”
”此国の大師等は土かはらの如く覚て、従来の身心皆改ぬ。”
~引用ここまで~

指導者は全国的な知名度、高い地位を求める修行を指導している。
しかし古の高僧も、中国の高僧も、全くそんな行動、指導をしていない。
つまり、今の指導者はゴミクズようなもので、全く価値がない。

権力をものともしない、痛烈な批判。問題発言もよいとこですね。
彼が権力者の産まれでなければ、その後に渡航僧になることは難し
かったと思いますよ。権力による歪みというのは、現代も同じ。
源流を見てみると、今の状況の歪みが見えてくる。原点回帰の大切さ。

陶芸でも、工芸会(人間国宝派閥)の指導っていうのはひどいものでした。
「一般受けのするもの、分かりやすいもの、売れそうなことが大事」
「茶道具なんてものは、もうダメです。入選しないよ。」
コレダケの言葉が、1万円払って作品を見てもらっての指導内容。
そして派閥による入選可否の横行。

「馬鹿じゃねぇのか!?」と、そんなブログ記事を書いた覚えがあります。
今の時代って、もうホントコレなので、「これが普通」になってる。
というか、コレの中に入らないと、登って行けないようになってる。
会社の派閥とか、町内会とか、まぁ別に不思議もなく古今に存在しますね。
そういうのが、芸術だの工芸だのにも、まぁ普通に存在してます。

若い頃は、やっぱり純粋といいますか、反権力的と言いますか・・・、
結局、「現代茶陶は茶道を切り離した茶道具という矛盾した存在」と突き止め、
更に言えば、「工芸会は、その成立からエコ贔屓の政治的な存在」と行き着いて、
自分で茶道具の在り方を勉強をしようと、茶道の修業を志していった思い出です。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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