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祇園の頃

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夏野菜もメッキリと大きくなって。なかなか畑を見る暇もない内に。
草木生い茂る季節。一年で最も大変な一斉草刈りへと出て行って帰ってくると

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「祖母が危篤」との報が入って。僅か10分程の距離でしたが、間に合わず。
今年の春頃から自宅介護にて過ごしておられました。96歳。

幼少の頃、特に小学生の頃は毎週のように遊びに行って、山で遊んで。
祖母は「よぅ来たな、よぅ来たな」と言って、野菜を取りに行く。
それが、幼少の頃の私から見た祖母の日常だったでしょうか。
田舎らしい、とても甘いコーヒーを淹れてくれて。それが美味しかった。
特に会話らしい会話という覚えもありません。でも、いつも、とても嬉しそうで。
いつも、黙々と草を刈って。そんな祖母でした。

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今になって分かると言いますか。そうして育てた野菜と米で、文字通り私の血肉は育てられていたのですね。現代でこそ野菜も米も買い求めるのが普通ではありますが。100年程も前までは、代々に野菜も米も、肉となる家畜も、全てが祖父や祖母、父母の作ったもので作られていて、「血縁」の意味も、単なるDNA云々ではなく、骨肉を形成する食物も含めての血縁。戦前の生まれ。戦争で沢山の身内を失ってから、ずっと。何も名声や金銭や装飾品や、そういったものを全く欲しがるでもなく。古いプラスチックのコップを、「まだ使える」と何十年も使い続けるような。そうして、ただ黙々と家を守って、それで嬉しそうに孫を眺めておられたのだなぁ、と。

通夜、葬式を終えて。葬儀場に泊まり込んで。


翌日には熱を出して寝込む愚息。
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沈みがちな葬儀を和らげてくれていたのですが、急激な高熱にて。
深夜に救急へと駆け込むことになりましたか。今は無事に熱も下がって。
ウィルス性の高熱にて、薬もなく、熱と痛みに耐えるだけのものでした。


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土日は練成会。泊まり込みでの茶道稽古へ。
色々と抱え込みながらの台子稽古には、一味違うものを感じつつ。



本当に。「命」というものを改めて考えさせられました。



ありがとう、おばあちゃん。

コメント

夏休みで一時帰国しました。 お元気な様子なによりです。ご子息も大きくなって私など歳取るわけですね。我が家も6月に孫が一人増えまして5人となりました。景徳鎮の隆盛は益々と進捗しています。赴任10年が一つの区切りかと。その後は体力・気力と相談です。大学講師のギャラリーで作品も売れていきます。そして9月からベースアップとなります。感謝の景徳鎮生活しています。今夏の学部生研修旅行はフランスとなりました。来年こそ日本と院長さんに頼んでいますが。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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