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はや10月も

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今日は嫁さんが友人の結婚式へ出掛けたので子守をしつつ。減反の田圃にコスモスを撒く例年の地元コスモス祭りへ散歩日和。少し暖かい日が続いておりますが、気が付けば10月も暮れて参りましたか。何やら忙しい忙しいと思っている間に秋も終わってしまう様な気がしております。とはいえ山間部にはまだ紅葉は訪れておらず。まだ今少し猶予があるようです。

今週は日曜日から御来客だったので、折よく窯の掃除などもしつつ

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続いて火曜日には多賀大社の献茶式へと参列。五行棚に高取の細水指。「青松寿色多」にて茶合棗に茶杓は「仙境」。第一席に入らせて頂いて、朝から美味しい一服を頂戴しつつ。献茶式にも多く参列をさせて頂いているので、儀式自体に何か感動ということは薄れてきているのですが。それにしても日本には随分と寺社が多く在り、祈りが捧げられている。子供が産まれてみて、改めて思うコトには、祈らずにはいられない物事というのは、あらゆるものが便利可能になった現代においても、変わらずに多く不安なコトがあり、不要、不要と云いながら、やはり日本人の心の拠り所ともなっているのだろうかと感じる次第。何も殊更に、寺社仏閣が日本建築の技術伝統の守護者でありなどという必要はなく、必要なもの。それは茶道が殊更に文化芸術の庇護継承者などと効用を唱えなくとも必要とされるべき修練である事に、同質のものを感じます。

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翌日は瀬戸は水野師のところへ。ひょっとすると半年振りか、それ以上。全くそんな感じは無いのですが、多分それくらいでしょうか。近い近いと思っている事もあるのでしょう。あとガソリンが高くなって厳しい・・・

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さておき。陶芸仲間の方が御一緒しての一日。 
連れて行っていただいた味噌煮込うどん。鍋も使い込まれ、銅線で補強してまで使い続けられているというのは、それは利益的にはどうか分かりませんが、作り手として、職人として、本来目指すべき器の姿ですね。用途無用の現代美術が巾を利かせて、何か革新という言葉によって葬り去られるようなところがある、工芸本来の本質。質実で長く愛用されるべきものを目指してこその職人。単に古い技術を流用しているだけのものを「革新的」「現代的」などと評する浅薄な評論が雑誌から何から、その手の芸術評論のような胡散臭いものが潰しに掛かっているのが、こういった器本来の世界。表面的には、例えば茶道には楽焼という耐久性に劣るものもありますが。茶道の心としても、心に残る逸品を「永く永く使い続ける心」があります。道具を大切に扱う。そういった心根を感じたいものです。割れた器を繕うにせよ、何も美術的な価値観で行うものではないということですね。

あ。ちなみにウドンも絶品でした。はい。
やはり道具の扱い1つ、土鍋1つを大事に出来る店ですよ。
美味しくないわけがない。

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あとは肝心の大織部展。一度見に来ているのですが、改めてゆっくりと。まぁ1つ目の時点で九州から金覆輪の油滴天目
が来ていたので、あとは以下略という辺りでしょうか。あれやこれやと、まぁ陶芸家が3人も揃うとね・・・。永くなります。はい。

展覧のあとは水野先生の案内で凄腕の粘土職人さんの所へ行って。その方の助言と土を用いていれば劇薬の様に腕前が上がるというスゴイ方です。人間国宝さんとかね、そういう人も多く世話になっています。陶芸家にとって土は最重要ともいうべき項目なのですが、それだけに熟知というのは大変です。個展個展で忙しく、毎年に次々と新作を発表しなければならない時に。面倒な土の試験、それに適合させる釉薬の試験というような手間も暇も掛かる作業を全て省略して、完成品に近い品物をバンと出せる。そういった不思議の裏方さんですね。釉薬にもそういった方が居られたりしますので・・・まぁ云いませんけど、音楽の世界でゴーストライターなんてのがありましたね。志野なんかは・・・結構そういった作家さんがいるんじゃないかなぁ・・・

陶芸も、そういった土に関する親爺、釉薬に関する親爺、薪窯に関する親爺など、そういった超級の職人さんってのが多く存在していたようで、隠れて色々な面倒を見ていたらしいです。特に2世3世の作家さんなどは、そういった職人のバックアップを受け継ぐことで何とか誤魔化しつつ、という事例もあるように感じます。外に居る超級職人さん以外にも、職人として生涯その窯で働く人が居たりという辺り。とはいえ、そうすると自分の力量としては身に付かない部分もあり、職人さんが引退すると・・・という事もあります。昭和期から御存命されていた超級職人さんの方々も、ほぼ引退されている世代でしょうか。自己独りの力で出来ることにも限りがあるのだけれど。修行と思えば自分で土を掘る。結果だけを求めるならそういったものを全面利用する。その配分ですね。

あとは・・・会議会議。昨日今日と連続でしたか。

なかなかに冗長な会議は嫌いな性分にていけません。サッパリとした会議なら有用性も高いのですけれど・・・。あ。意外と田舎の常会などはサッパリとして内容も簡潔だったりします。今の田舎の人は、農作業の一方で会社勤めの経験の長い方が多いせいもあるのでしょう。粛々淡々と終えて、飲みながらのグダグダの会議ってのは無いです。酒は酒で、会議をキッチリ終わってからのもの。飲むために早く終わっている様な時もあるような時はありそうですけどね・・・

とまぁ、今週はこんな感じでありました。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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