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大雨の夏

そろそろ週2くらいの更新に戻そうかと思っていたのですが、結局1週間が経過してしました。豪雨の降る日も多く、合間を縫って猿の襲来も。大きな被害を受けた方も居られる様に聞き及びます。台風もまだ続くのでしょうか。なかなかに大変な夏ですね。

地元では地蔵盆もありましたか。和尚さんから地蔵菩薩の物語の説明を聞いて、なるほどと思う話も多く。どうやら関西に集中した風習?らしいのですが、道端に祀られている石仏のお地蔵さん。しっかりとした仏像ではなく、というものですね。それを綺麗に洗って、祭壇に祀って。昔からの山の村であるせいか、まだそういった風習が残っています。道祖神自体は、山などを歩いていると必ず見掛けるのではないかと思います。熊野古道などは特に多く祀られていますね。

石1つに神仏の救いを託して、更にそれを祀り、祈る。菓子を供え、子供の健康と幸福を願う。これだけ書いてしまうと、随分と原始的というか、それこそ昔からの風習という感が強いですね。今は随分と形骸化しているので、何かのイベントのようなものになっているというか、正直私が子供の頃でも、ただ「公民館に行って御菓子を貰うだけのイベント」だったような気がします。でも、よくよく考えてみると、12月のクリスマスと同じですね。本来はキリストへの信仰と感謝のものを、宗教忌避的な観点から、分かり易く楽しいイベントにしてしまう。地蔵菩薩への感謝が、御菓子をもらうイベントに。お盆は先祖供養ではなく親族宴会の場に。厄払いであるはずの夏祭りも同じ。花火も元来は厄払い。寺院参拝は観光の享楽。こういったものを「現代風」と云うのですから、さてさて文化の底がどんどん浅くなっているような。「面白ければいいんじゃない?」「何か意味があるの?」「誰も得をしないよ?」という感覚は、時に悪意を以て築かれた文化の深淵を馬鹿にして破壊してしまう側面があります。

そんな話はさておき。

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昨日は楽志庵の定例茶会。今月から月曜日の水屋へと移籍。新しい御仲間も増えて切磋琢磨の場も増えて参ります。そうそう。稽古日には朝の講和もありますが、様々な茶会の場でも訓示を頂戴することが多くあります。時間があれば水屋が客入りをしての茶会実践稽古の場を頂くことも。昨日の講和では「花の見て感じるべきこと」という話にて、華厳宗の姿勢を例として在るべき姿を教えて頂きました。完全に目からウロコという辺りでしょうか。「そうか!だからこそ花は床の間にあるのか」と納得。軸に代わる花。それを考えれば、花というものから多くを学ばなければならないのですね。綺麗であるとか、珍しいとか、そういった次元とは全く違うもの。茶は修道の場と聞きながら、まだまだその感覚が身についていないということを痛感しつつ。何か分かったようなつもりで居る点の多さを改めて感じましたか。そういえば水屋には「道具は生き物」という言葉も書かれています。まだまだ、奥深いものがあるのだと思います。

お地蔵様もそうですが。石1つ、花1つに何をか託し、それに学ぶ。自己を修める。何の変哲もないもの、単に自然のものと見るだけでなく、意味を自ら与えて、そこから多くを学ぼうとする。「歩々是道場」という御軸がありましたが、そういった意味の一端を感じたような気がします。多く陶芸も、武道なども同じ行為を実践することができるもの。単に茶碗を挽く、竹刀を振る。そういった行為を自己修養の場に変えてしまった所に「道」があると聞くものでしょうか。

そういえば。先日の稽古では朝の講和は無かったのですが、御多忙の中、ヒョイと帰宅されて、弟子の昼食に素麺を茹でて頂いて、サッと出掛けられる。言葉だけではない師の姿勢には感じ入るばかりです。

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と、仕事の話も。雨か晴天かということで、乾燥具合が少し把握しにくい日が多いのですが茶碗をまた挽いています。素焼まで進んだので、今日明日くらいで釉薬を掛けて、今週中には焼き上げられるかと目測しつつ。今月前半も茶碗を作って、一応の納品もさせて頂いたのですが、どうにも具合が悪いというか、不満足な結果しか得られないので再挑戦中。ロクロの調子も今一つで、釉薬も思ったようにはならず。良くしたつもりが、はてさて困ったもので裏目に出ることが多い。「改善した”つもり”」というのは怖いものです。平茶碗的なものでありまして、季節的にはもはや過ぎてしまうわけですが。ともあれ納得の出来るところまで進めておかないことには、また必要になった際に1からの苦労をするというもの。進むことの出来るところまで、一応進んでおかねばなりません。

まぁ、それにしても。調子の良いものを選ぶことが出来るというのはありがたいものです。問題はそれを引き出すまでの時間が掛かるという点ですね。


そうそう。内祝いは自作の菓子鉢か湯呑辺りを考えています。
そちらの製作にも取り掛かりつつという辺り。来週には里帰りからの帰郷です。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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