• 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30

梅雨入りの頃

irabohakeme5_20140607133005766.jpg
おっと先週書いていませんでした。茶道の稽古の頃に書くようにしているんですが、稽古が先週も無かったものですから、おそらくその辺りであろうかと思いつつ。

tikubusima01.jpg tikubusima0.jpg

先週はちょっと観光にも出掛けつつ。竹生島と敦賀。最近仕事で訪れた島と街ですが、嫁さんと一緒に少しゆっくりと廻ることにして。道が混まなければそれほど時間が掛かるわけでもなく、手頃な辺り。

kawaranagemo02.jpg 

カワラケ投げなども。ちょっとしたものですが、カワラケ作るのって、そこそこ面倒だと思います。型も使っているんでしょうけれど、どこかカワラケを専属的に作っておられる方がおられるのでしょう。すっかり忘れてしまいましたが、そういった仕事をされている方が居たはず。土中の鉄分があると赤味が強くなるので、この皿の原料は磁器系、もしくは半磁土という辺り。まぁ最近は脱鉄技術があるのでそういった粘土かもしれませんが、そのまま焼き上げると白く焼きあがるかと思います。その辺りにある粘土じゃなく、昔であれば相当に高価な粘土。寺社で神仏に捧げるような、磁器盃ですね。

turugakankou02.jpg turugakankou.jpg

敦賀。以前も多少書いたので、その辺りは割愛。昨今では原発の街というか、そういったイメージが強いのでしょうか。実際、この辺りの産業としても難しいように感じます。山に囲まれて、要衝という側面はむしろ交通の便の悪さになりますね。水運関連が無くなってしまった昨今では、産業が育ちにくい。

turugasoba4.jpg 

まぁでも。「敦賀そば」は美味しかった。
あと「ソースカツ丼」も賞味させて頂きました。

あ。あと。
koujyoutoiumono3.jpg 

金ケ崎城の城跡より。巨大なアスファルト原料の製造工場。あまり詳しくないのですが、原油の廃棄物とコンクリートを混錬したものが、一般的な道路に敷かれているもの。日本海側の外からは全く見ることが出来ない位置にある工場ですが、背後の山が、すでに1つ2つは無くなっているかと。コンクリートの原料ってのは砂礫などで山1つ崩していくような産業。同じく陶芸産業も山1つ崩すような産業なのですが、業界規模としては圧倒的にコンクリートの方が巨大産業。陶芸というのは経済規模なる基準からすれば零細産業。山を崩すという辺りで、妙に似たような辺りに工場が存在したりします。この辺りの山も、越前系の粘土は採れるのでしょうね。

それにしても・・・見えないところでこれほどの原材料が動いているんですね・・・。


sukosiosaetamono6.jpg irabohakeme5_20140607133005766.jpg

色々と試験をしたのですが・・・それほどの成果は得られず。

 kankyoutyekku.jpg sikeniroiro7.jpg 

炎の環境も把握しつつ、上釉の濃度も数種類、刷毛目も濃度を変えて。また調合も少し変えてみたのですが、結果としてはそれほどの変化は見られず。なかなか思い通り、想定通りには行かないもの。この辺りは原料を固定して考えるからで、まぁ普通に陶芸家なら知っている辺りで「〇〇を入れれば簡単に出来るよ」という裏技?というようなものがあるわけで、実際にそういったものを投入すれば簡単に出来る。というか、見た感じ一般的にはそれが主流として使われるし、調合ガイドブック的なものにも当たり前のように記載されている。陶磁器が産業として大きかった頃は公的な釉薬研究所があり、その頃に釉薬は科学的に調合されるようになったわけで、研究所を擁する京都の陶芸家などはその成果を引用するだけで陶芸界に派閥を形成するほどの力量を誇ったくらいの影響力があった。

しかしまぁ・・・材料も天然原料が使われなくなり、天秤で僅かな単位まで計量する仕事になっているのが現状。それ故に陶芸家も釉薬を調合しなくなってしまったり、裏ワザ的なものが、むしろ常識として行われている。端的に云えば再現曜変天目などは原料無視で完全に科学的分析によるもので、見た目は近づけたとしても、中身は全く別物。物性としても別物。しっかりと見れば色も別物という、上っ面のものを「再現」としているのが昭和の時代で、それが今も尾を引いている。まぁ実際、現代は特に陶磁器を見る「目を持った人々」が少なくなっているので、上辺だけ装っても見抜かれることが少なくなり、もはやそれが通常のものになりつつある。弟子入りなどもせず、伝統的なものも知らず、単に書籍を勉強するだけなら、「上辺を装っている」という意識さえ持っていない。そんな陶芸家が山のように存在している。

いや、天然信仰というわけではないが。

それでもやはり、名品に本当に迫りたいという心意気で作るのであれば、合理的・経済的・省コスト・省労力などという点を優先してしまうのは難しい。まぁ単なる主義の問題。なかなか思い通りには進まないのではあるけれど、ともあれもう少し色々と思案をしてみたい。別の方面からの発想も試してみようかと思いつつ。


っと。昨日は茶道の稽古。これを書いていなかった。

1流のもの。教養。云われたことを、しっかりと実践する。真剣に受け止める。講話では「その後、聖書を読んだ者はいるか?」という問いも。そういえば以前にそんな記事を書いた覚えはありつつも。また、去年のクリスマス辺りにも「読んでないなぁ」という記事を書いた覚えがあります。つまりは「実戦出来てない」んですよね。論語などは読んだのですが、そうすると当然に「身に着けているか」という話になります。「論語読みの論語知らず」ですな。内容を心身に浸みこませないのであれば、読む価値はホトンド全く無いという辺りですから、なかなかに・・・

まぁとりあえず。手あたり次第に読むだけでは意味がないので、論語辺りをもう1度読み返してみますか。一応手の届く本棚には常駐しているんですが、時間を作らなければ手に取っていないので。


長くなるのでとりあえず。明後日には献茶式もあるのですが、
ちょっと訃報が入りましたので数日出掛けてまいります。

コメント

コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する

論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

記事内容の分類
過去の記事(月別)
08 | 2019/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
来訪者数(2006.5~)
LINK
リンク
メール送信はこちら
・来窯時などに御使用下さりませ

御芳名:
貴アドレス:
本文の件名:
本文:

不在時・繁忙期などは返信が遅くなる事もあります。悪しからずご了承下さい。もちろん、迷惑メールは駄目ですよ。