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さて、雪融けです。

さてさて。日付が変わって3月。今週末からは寒くなるそうですが、今日はまだ温かい。朝には鳥の声がして、家には小さな虫が歩くようになっていて。一週間程も暖かな日が続くだけではありますが、色々なものが雪融けを迎えるようで、山間部に残っていた雪もその大半は融けてしまいました。

同じく。1月、2月と休暇の様な日々を過ごしていた私も、今日から本格的に作陶に入る予定です。と思っていたら薪の話が来ているので薪仕事になるかもしれませんが、ともあれ凍結の恐れも無くなる時期。冷たい粘土に冷たい水、乾燥遅くして凍結は一発という時節も終わりとなりますので、モソモソと春につられての始動です。まぁ毎年のことではありますが、春の陽気は気分よく。貯まった不足感も相まって良い仕事の出来る時期です。

とりあえずネタを。

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今日は常会(地元の月例会議)でした。小さな村ですけれど、来月には総会もあります。そんな小さな村ではありますが、昭和の始めの頃には、ちょっと全国に知られる村であったそうです。同じく県境を越えた伊賀の玉瀧村も知られたもので、何で知られたかと云えば、「手本とすべき農村」として認められて、全国から視察の相次ぐ村だったそうです。それこそ当時の植民地からも。

西暦で云えば1930年代。今の古い方々には御存命の方も居られますね。一応は電車も出来ていて、電気も通っていた時代。視察が多いと言っても、現代なら年間100人も視察に来れば大したものと思うかもしれないところを、年間に1000人から1200人という視察団が大挙して学びに来ていたそうです。それで、見学者のために村の教育などを記した本書が執筆されたというもの。昭和7年の刊行。自費出版などではなく、東京の出版社が出版しています。

内容は、当時の農村の姿というものを有態に示したもの。今という時代からすれば、およそ想像すら出来ない話が多く記載されていて、私のような世代の人々には異次元というか何と云うか。昭和といえど人間は同じであるからして、全く地続きだと思っていましたが、完全に別世界の観があります。80年という歳月だけでこれほどに違うわけですから、全く江戸時代や桃山時代というのは、想像すら不可能なのだなぁ、と思いつつ。

まぁしかし。二次大戦を目前としての一致団結の時代。「陽気の発する処、金石も亦た透る。精神一到、何事か成らざらん」とは朱熹の言葉であるが、そういった時代。そういった時代の模範村の生活は、それこそ50代になるまで精神修養を積むべく組織が組まれていて、事業が行われていた様で、その模範としてこの村が指定されたわけである。例えば収入1つにしても村全体が関わっていく。台所の清掃1つにも村全体が関わってくる。毎日台所の清掃具合を見廻りするという徹底である。そして台所の設備改修もまた村全体が会費で費用を負担するというもの。台所1つとってみてもこれであるからして、子供の教育も村ぐるみ。児童の育成も村ぐるみ。作物の売り方1つにしても、作り方1つにしても。

明治以降、新しき流行に左右され、享楽に甘んじる都会の人々。それこそ陶芸とてヤレ人間国宝だのと権益を競っていた頃であり、骨董趣味に成金数寄者の時代。それと一線を引いて。早くから改革として「花嫁の御色直しをしてはならぬ」というようなことを自発的に発案して、これに同意せぬ相手とは婚姻を認めないとさえ掲げていたそうで、無駄なものは徹底して省くと同時に、本義に基づいて「婚姻をしっかりと神仏に誓うべし」という点を徹底する。他人に見せびらかすため、財産を披露することに意味を認めず、第一に神社にて誓いを行い、寺院へと参詣することを主たる行事としていたもので、とかく精神修養が励行されている村だった様で、それが節制へ移行する時代に於いて模範とされたもの。都会では映画が上映される時代に、皆で餅を付いて寿司を作り楽しむことを娯楽としていたのが農村の生活。

今も僅かに。例えば数万円という非常に高額な町内会の費用。それこそ村が一体で、御互いに信頼していてこその時代の産物なのだろうと思う。模範村であった誇りが残っていたからこそ、今でも半ば続いているのであろう。実際、すこし以前のことではあるが、信楽の年配の方から「甲南町の出身の人はとにかく人柄がいいし、信頼出来る。出身地を聞いただけで安心出来る場所なんだよ。比べて信楽は・・・(以下略)」という話を聞いたことを思い出すもの。おそらくそれは、模範村などの話もあってこそなのであろう。実際に同じ田舎でも、この一帯は非常に手入れもよく、整備が行き届いている。それはその名残りなのかもしれない。

と、そんな話をツトに読む機会を得て。

なるほど、御年配の方々の精神力たるや、元々の教育から環境から、全く土台が違うのだということを痛感します。戦前からの方々は、心身とも頑強なのも当然というか、何と云うか。戦後はこれが完全に崩壊したわけですから、それこそ別世界。自由といえば自由なんですけどね・・・。

その修養の根本は、重粘土質という農村に不向きな厳しい生活だという話。
流行に迎合せず、否定されつつあった宗教に関しても積極的にその価値を説いたもの。

今はあらゆる場所で。それこそ学校でさえ精神修養などという言葉は無い。社会へ出ても同じく。一体どこへ行けば聞けるかと云えば、精々が寺院の話などであるが、それも現代は葬儀やお盆くらいなもの。一種の葬儀業者扱いをする向きさえある。テレビにもどこにも、そんな言葉はなく。聞くならく利休茶道は精神修養を目的としたものであると教わるのであるが、抹茶一服も現代人からすればフランス料理よろしく、「高級飲料の作法」という扱いになってしまう。

厳しい風土、重粘土質に育てられた精神を大事にする心。
同じくその重粘土質の土地に於いて。


ともあれ今日から本格的に。


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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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