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風炉も終わりに

さて、日曜・月曜と楽志庵の定例茶会にて。私は日曜日の薄茶席水屋に入らせて頂いて。定例とはいいつつも毎回、色々と勉強を重ねてのものでしょうか。茶花一つ勉強すれば、また一つ見方が変わる。軸の言葉に感じるものも、客としての態度も。器もそうなのですが、日々の変化というものは、むしろ定例的なものが在ってこそ自己に感得される側面もあるかと思います。同じ茶碗を作る。同じ古伊賀の花入れを写す。そういった中に、日々の進歩があってこその歳月を重ねていくのが修業というものでしょうか。

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濃茶席の風炉釜に水指。特に説明は無かったものの、稽古場にて使っている風炉と釜。軸は「一閑」。道具の主役こそ大海茶入にてというものではありましたが、カンはすべて感に通じるという話を教わった覚えがあります。一感。「一」に何を感じるかは様々でしょうけれど、それぞれに何かを感じ取られたことでしょうか。道具組としては茶入に茶碗を主役としつつも、私に多くを感じさせたのはやはり風炉釜ですね。日々への感謝という意味も含めて。

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薄茶席。「千峰に入りて万峯去る」。「去」という字は原義としては「行く」。「どこに行くの?」という日本語は、漢語では「どこに去るの?」と書きまして、「去く」をイクと読む場合もあるように思います。漢文といいますか、禅語は元より中華由来の文が多いので、ちょっとしたことですが、感じ方が変わるかと思います。花入は貞光さんにて。

稽古にせよ何にせよ。終わりなく続くもの。そうで在ってこその奥深さ。
信楽花入。土を薪で焼くだけの仕事に、果てしない奥深さがあります。

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茶亭を出てすぐに面する瀬田川。舗装も綺麗にされているものの。同じ川にて古来より。
もちろん利休もこの川を何度となく眺めたことでしょうか。

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器も。先日納めさせていただいた粉引。同じ作り方ではありますが、少し使うだけで景色も様々に。大きなヒビが浮かび上がってくるものもあるかと思いますが、古作に在るニュウと同じくするもの。製法をしっかりと古式にした場合に入りやすいものです。高台にキズのあるものを自宅で使っているのですが、やはり変化は早いです。昨年に記念品として多くの方に贈った粉引茶碗。毎日のように使ってくださっているというものを拝見させていただく機会がありましたが、かなりの変化を帯びていました。

そんな風に。しっかりと日々の変化を遂げたいものですね。  

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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