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南の方へ。 尾鷲

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仕事がどうも巧く進まないので、思い立って気分転換に日帰り旅行へ行っておりました。
紀伊半島は南の方、紀州に向かって高速道路が建設されつつあります。9月開通とか。

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行き先は三重県尾鷲市。小学校?の頃に「日本で一番降水量の多い町はどこか?」という問題で暗記する事になるので、ホトンドの人が知っているのではないかと思います。地図上で見ても陸の孤島という感があり、なかなか行こうと思っても行けない場所でしょうか。

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それもその筈。今で云う「熊野古道」、即ち「熊野詣で」として栄えた町です。関東方面から伊勢神宮を経て、「ついで」として熊野大社への参拝という事で、大勢の人が経由した宿場町。もちろん御存知の様に主な産業は昔からの漁業。海路経由で必要な物資を搬入していたわけです。いや・・・熊野大社に参詣する人も・・・「よくない事だ」と分って居ながらに、険しい山道を避けて舟で参詣に向かう人が多かったそうです。逆に今は世界遺産登録もあり、陸路が人気ですね。まぁ車ですけれど、著名な峠だけ体験踏破してみようと、遠来から大勢のハイキング客が押し寄せていました。

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・・・と。こんな昭和の漁師町の風情が残る場所もあります。
熊野水軍などもこういった場所を拠点にしていたのでしょうか。

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尾鷲市自体よりも周辺に風情の残っている面があるのかも。
僅か隣街へ行くだけでも山で分断されていて、熊野古道の山路か、海路かの二択。
小さな市場で干物などを求めつつ。

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尾鷲自体は古来から林業・漁業を主体としつつも、中心街の景観は火力発電所の圧倒的面積。備蓄タンクも各所に置かれているという街並です。とはいえ熊野古道効果か、パンフレットなどの充実具合は深く、使っている写真も写真コンテストか何かのものでしょうか。パンフの写真と紹介文を信頼して期待過剰で出掛けると、ちょっと感動が薄くなってしまうかもしれません。入江の街なので、海もそれほど見えないのです。

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最も雄大なのは尾鷲神社の御神木。樹齢1000年以上。熊野に参詣に来た多くの人々が道中の安全を祈り、紀州徳川公もまた深く信仰されていたという話です。そうそう。今でこそ紀州と云えば和歌山県ですが、元々は熊野大社を取り囲む沿岸一帯のもの。だからこその紀州徳川家で、熊野へ参詣する人々は紀州領内に入る街で参詣の装束へと着替えて入国?記録などを採られていたそうです。

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熊野古道センターという箱モノも。立派なヒノキです。有名なデザイナーさんが設計したのでしょうか。「それ風」の意匠もありますが、折角なら「和風」ではなく「日本建築」として作れば好いものを、と思ってしまうのですが、すいません。でもこういうのが行政の下手な処だと、色々な処で感じます。無駄にデザイナーを起用するというか、”芸術家”を使おうとするというか。元より漁師にせよ、日本は”職人”の世界にこそ”伝統美”が多く残されている。西洋風を採り入れた新しいものじゃないんですよね。その辺りは柳宗悦の指摘の通りです。

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展示も色々。熊野古道と言っても、つまりは山道。峠の茶屋も多く存在したという事で、その説明が在りました。一種の商売ではなく、「山の管理者」としての、現在の山小屋ですね。道中の人々の安全保持が主目的だったそうです。山伏などもそういった役割が在ったとか。熊や狼も多く残っていた時代で、警察不在、山には山賊、海には海賊という時代。村々がお金を出し合って共同経営しているような、そういった側面も在ったそうです。

資料館は入場無料。日帰り温泉施設なども付いてますが、まだ開発途上かな。民話の伝承を記録するために、人形劇や版画などに仕立て、映像記録として保管・公開しているのは、なかなか好いものでした。

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とりあえずはそういった辺り。お昼は質素に。いや勿論美味しいので文句なし。 土産品は干物くらいかな。ミカン類の栽培と、一応名産のヒノキのワッパなどから漆器も作られていたので期待をしたのですが、相応に値段がするので。古来使われていた弁当箱1つ、今は数万円です。湯呑で1万円かな。はい。民芸品ってのは難しい。

道路状況も好かったので。高速道路は途中まででしたが、それでも2時間少々の距離。
9月に道路が完成したら、熊野へ参詣してみるのもいいかもしれません。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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