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御稽古

今日は茶道の稽古。炉に入って二度目の稽古。台子稽古の日であるので、台子での基礎稽古。炉に入ったことで色々な基礎も思い出しつつの稽古でありましたか。

訓話は稽古について。日本人の特技?として知られる「改善」という事の大切さを改めて訓話頂きました。「せっかくならばより善く」という心構えの上に、色々なものが成り立っていくという日本の素養。昨今はより善い状態というものが、得てして金銭収支など欲望を充たす点を中心に語られることが多いわけですが、素養自体は変わらず備わっているのではないかと思うわけです。

陶芸もそうですが。改善に終わりはないわけで、どこまでも続いて行く。その改善をどこまで、いや延々と追い続けるには、やはり相応の道徳的な精神が必要で、延々と続けるだけの深遠な素地を習得し、修練を続けて行くことを、まぁ随分と概括的ではありますが、「道」といわれるものの本質であろうかと推測するわけです。これが器自体の美を磨いて、せっかくならば茶道の素養を加え、色々な教養を身に備え、茶に相応しい器をと思うわけです。深める程に迫れるのかどうかというのは色々と難しいものではありますが。

う~ん。しかし。言葉で云うのは容易いわけですが、実践となればホント難しいです。例えば今だって、時間が無くなってくればある程度の妥協で窯の隙間を埋める作品を作ったりする場合が、まぁそれほど重要な場所ではありませんが、そういうものを作ることがあるわけです。しかし回数多く焼く事を目的としていた頃と異なって、さて佳い物を焼こうとなれば、勢いそういう仕事は少なくなり、1つ1つ悩むといいますか、非常に困る。悩めば作れるというようなものであれば簡単です。時間を掛ければ出来て来るというものであれば簡単ですが、話はそう簡単ではありません。しかし時間は容赦なく進んで行くわけで、季節気候も変化していく。

本気になればなるほどに、簡単なことが難しい。1つ1つを真剣に作るという事が、本当に難しいわけです。


そんな事をつくづく感じながらに。足の捌き1つにしてもまだまだ。1つの薄茶平点前も本当に難しい。



と、そんな稽古でありました。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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