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六月も

あっという間の月末ですな。昨日はちょっと記事を御休みしましたか。最近夜中もガス窯を焚いたりして、昼間に寝てたり、つまり日付の感覚が・・・。「あれ?昨日焚いたんだっけ・・・?」という辺りでブログの更新も忘れておりました。

ちなみに昨日は削り仕事をこなして釉薬掛けて、午後から焼成しようと思ったら・・・腹を下して。寝込んでおりました。う~む、原因不明。とはいえ二時間くらいで復活しましたが、午後から休養に致しました。お蔭で今日は元気?といいますか、いつもより仕事の持続時間が長かったような気がします。ちょっと疲れが貯まっていたのかもしれません。

gasusyouseinaka.jpg 

んで、今日はもちろん焼いてます。

wannari.jpg 

井戸形の御仕事。削りに失敗したものを割って、碗形の反省会。焼き上がりの直径は14cm前半辺りでしょうか。ホントの大井戸は14cm台~15cm台、大名物に15cm後半のものが在るわけですが、そこまで行くとホント、普通の茶筅を載せたり、茶杓を載せたりしたらビックリするくらい感覚が違う話になりそうです。

当然ですが、濃茶向き。昔は「茶」と云えば「濃茶」のコトであったと聞き及びます。だからこその高麗。半可通の陶芸オヤジなぞが、「濃茶用とか考えて作るからダメなんだ」という”誤”知識をよく御開陳するわけですが、昨今の研究では高麗茶碗も、「雑器」でもなく「祭器」でもなく、その大半が「茶道用の特注品」という辺りが落とし所の様で、つまり高麗茶碗は茶道用、つまり現代訳すれば「濃茶用」に作られていた事に相成ります。

まぁ桃山陶器だっておよそ特注品の性格が見てとれるわけで、創始はともあれ、雑器の代表格である信楽にしても茶人の登場と共に「茶道用の特注雑器」として変貌しているわけですから、茶人が器の製作に関わるというものが、何か当時一般的な感覚で在ったのかもしれません。利休さんと楽家の関わりは明白であるとして、ならばその茶道子弟がこれに倣うのも当然の流れと申しますか、時代的にも17世紀初頭。伊賀や美濃などの最盛期に高麗も等しく。

いやまぁ、憶測ですよ、憶測。素人の感想文です。


いや、変な話にならない内に、今日はこれくらいにて。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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