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柳宗悦『茶と美』読解。22

『茶と美』読解。22
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⇒初版本第十二章『蒐集について』抜粋と雑感 その5。
(柳が出版した初版本は、現在の『茶と美』と章建てが異なります。
ここでは、1941年初版に準拠して読解を進めています。)

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吾々は数よりも質が遥かに大事なのだということを忘れてはならない。徒に量のみ多いのは、良い蒐集ではない。否、良い蒐集にはなれないという方が早い。質の良いものがそう数多くあるわけがないからである。無闇に集めても、蒐集の内容が高まるわけではない。却って粗悪になる危険が十分にある。数への執着はむしろ蒐集を悪くする。
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例えば粉引碗が100碗あれば、100碗なりの順位が在る。良いものと悪いものというものを考えた時に、低いものを10碗持つより、100碗の上位を得る方が質が良い。碗と云うものは沢山用いるものではないのだから、量を尊重する理由は乏しい。至って単純な話である。例えば個展に於いてもそうであるが、名品はそれほど多く無い。私の穴窯でもそうであるが、佳作は1つや2つである。高麗茶碗でも、名碗はそれほど多く無い。伊賀や信楽にしてもそうであるし、長次郎などにしても同じことである。出来の悪い長次郎を10碗持つより、最高クラスの長次郎を持つ方が好い。目が無いと、結局これが出来ないことになる。個展など眉間にしわを寄せて眺めるくらいなら、専門家たる作家に「自信作はどれですか?」と聞いてみれば、参考としても色々と得るものがあるだろうか。売っている方になれば解るが、目を持っている人は、どれだけの数を並べていても、僅か1~2の佳作だけを対象に、他は眼中に入らぬ状態で話掛けて来られる。値段の安価には見向きもしないのである。

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あまり珍しさに執着することは正しくない。珍しくて良い物は、それこそ珍しいといわねばならない。珍しくて悪い物はこの世に案外珍しくないのだともいえよう。蒐集家はこのことに留意していい。珍しい物をと求める時、その蒐集は案外質の乏しいものに終わるであろう。それは正当な道ではないからである。
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珍しくて良い物。稀少価値の最高位は曜変天目だろうか。例えば東京のものは景色が最高である一方、その造形に於いては最高位の天目形とは言い難い。寸法内には入るが緊張感に欠け、平凡に属するであろう。コト珍品というもので良い物というのは、本当に稀少だと思った方が好い。伊賀の名品に完品を求める様な話であり、文字通りの無茶、穏当なものではない。逆に珍しいだけのものとしては、例えば古い信楽茶碗や伊賀茶碗というものがあるが、珍品であるものの、伝世を貴ぶという意味を除外してしまった場合、茶碗としては珍種に他ならないだろう。

また「奇を衒ったもの」と見る事も出来る。ともあれ「一風変わったものが大好き」というのは日本人的な傾向だろうか。現代茶道具などによく見る造形は、伝統的なものから逸脱しているものが多いので惑い勝ちであるが、冷静に良否を見たいものである。基本的な視座としては、まず第一に良い物を探して、それが珍種であるかどうかは二の次。肩書みたいな扱いで十分だろう。「珍種の中から良い物を探す」というような事をやってしまえば、主客転倒してしまって、一度切りの「話のタネ」にしかならない。何度も使えば簡単に飽きられてしまうだろう。ついつい没頭して自分で気付かない事も多いから、簡単な事なのだが、常々の留意が必要な話であろう。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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