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「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第九回

第九回。
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史論:「玩物喪志」より抜粋・雑感。
(※宮崎氏の東洋史・論文「中国文明論集」より。)

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明代の芸術家の中で、その作品といい、その議論といい、また後世に対する影響の点からいって、その名を逸することの出来ぬ第一人者はおそらく董其昌(トウキショウ1555~1636)であろう。中国には昔から玩物喪志(ガンブツソウシ)、物を愛玩しすぎると人間の本領をなくしてしまうという譬えがある。特にそれは学者や芸術家が、書が骨董の蒐集僻に陥ると、善悪の見さかいさえなくなって不道徳な行為をも平然として行うようになるのを戒めた言葉である。ところで董其昌は芸術家の最も陥りやすい美術品蒐集マニアに憑りつかれたのである。(中略)彼の意見によれば、画は単に自然を師とするだけでは足りない。すべからく古人の筆意を会得した上で無ければならぬ。いいかえれば独創よりも研究が必要なのである。この董其昌の芸術態度はそのまま清初に引き継がれている。

(中略)今日、展覧会場など、雑踏の間で、ガラス越しに拝見するのは、実は窮余の一策にすぎない。展覧会でしか画を見ないと、展覧会用の画しか描けなくなる。(名品の)普及、大衆化は大切なことには違いないが、しかしそれで(名品の)本来の使命を無視していいことにはならない。近頃はどうも鑑賞の本筋が忘れられてきた。名画の複製なども一枚ずつ取り出して鑑賞さるべきで、厚い本に綴じつけられたのでは困る。1つ見てわからぬくらいなら、画など見るなと、誰が言い切れるものか。芸術とは本来が贅沢なものである。だから董其昌の芸術態度はその限りにおいては是認されなければならない。
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中国では多くの贋物が、古来作られてきた。それは、一重に権力者に所望されたら譲らねばならず、贋物を飾る事が往往にして行われたのである。歴史書に於いて、董其昌は贋物を扱ったと批判されるのだが、宮崎氏は芸術家に関する考察を深めることで、董其昌が贋物を扱った理由を挙げている。それがこの論文の本旨だ。

しかし骨董蒐集家など、特に悪評というものは絶えない。蔵を持つような田舎集落では、骨董屋による悪行というものは有名である。陶芸家にしても、陶片などに於いては善悪の区別を喪失する者が多い。茶道具に於いても同様のことであるが、しかし骨董屋にしても、それ以前に人間であることには疑いが無い。人間としての素地を失ってはならない。中国では「玩物喪志」という言葉で以てこれを戒めている。道具に囚われてはならないという意味で、やはり中国に源流を持つ茶道や禅道にも、この戒めは底通している様に思う。それは即ち、「如何なる時も善悪の見境を失ってはならない」という一点に在る。逆に云えば、「善悪の見境が盤石で在ってこそ、名品の扱いに習熟出来る」という話であり、「名物を扱うに人品を要求する」といった茶道の修行に通じている。若年者が名物を扱うべきでは無いという考え方は、単に「不釣り合い」というだけでなく、「人倫修行の観点」からも説かれていると見るのが自然であろう。いやしかし、中国では常識かもしれないが、現代の日本で、この考え方は通俗していない。

また、芸術態度としての”自然を師とするだけでは足りない。すべからく古人の筆意を会得した上で無ければならぬ。いいかえれば独創よりも研究が必要なのである。”という内容は、現代では正に魯山人が唱えた理論そのものである。書画に通じた魯氏が董其昌の文章を読んでいないと見る方が不自然であるから、魯氏もこの影響下と見る方が実際に近いだろう。しかしまぁ、表立って指摘するのは顰蹙か。魯氏に関わらず、陶器に関わらず、此の手の思想は古いものであり、董其昌は禅にも参じている。
自然と歴史的名品を鑑としての制作。其昌は明代の、日本で言えば正に戦国時代~桃山時代の人物であり、生年は蒲生氏郷などが近い。桃山の陶工が四苦八苦している一方、中国では滔々と芸術論が展開されていたわけである。日本で此の手の芸術論が為されたのは、まぁ20世紀に入ってからであろうか。それも輸入した思想が主体であろう。人類史上に渡り、中華王朝は文物も、思想も、常に圧倒的に優れている。唐物を崇拝した時代も当然のことであっただろう。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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