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「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第六回

第六回。
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東洋史論:「六朝隋唐の時代」より抜粋・雑感。
(※元本は宮崎氏の東洋史論文集です。)

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悲劇が起こるには、それが起こりうる社会的背景がある。みんなが欲張りで、権勢にあこがれる。上部の権力に対しては、ひたすらおもねればおもねるほど、今度は下層に対しては自己の権力を笠にきて威圧しに出る。後漢の時代は名節が尊ばれたなどというのは、大きな空言で、口では綺麗なことを言っている間に、実質は止め処ないまでに堕落していったのである。この間に立って、善良な気の良い人間は生きていけない。運の悪い者はずんずん落伍してしまうのだ。それというのも、この時代から、世情が過酷なまでにきびしく、一度社会的な地位を失えば、二度と取り返せない。駆け落ちしても暮らしていける場所がない、最後的な悲劇を生み出す原因が至るところに充満してきたからである。詩人はいったい気が弱い。いな、気が弱いからこそ詩など作るのだ。従ってこの時代の詩に哀調が多いのも当然である。(中略)これが王者の詩かと疑いたくなる底のものである。救いようの無い絶望感をこめた詩は唐代まで続く。有名な白楽天の「折臂翁」の詩がそれを代表する。(中略)生に執着する強気の人間でなければ生存を続けられない時代であった。それは単に悪い時代というだけではない。前よりも絶えず悪くなり続ける時代であったのだ。
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何だか現代の話の様であるが、1000年以上も前の歴史の話。論文が書かれた時代とて戦後復興期である。現代とて、職に執着しなければ職もなく、金銭をしっかりと求めなければ十分な収入を得る事は出来ない。気を抜いて人生を歩むには、とても厳しい時代である。そしてまた、”前よりも絶えず悪くなり続ける時代”が続いている。いや、まだ時代という程の年月は過ぎていないかもしれない。しかし宮崎歴史観に依れば、その周期は後漢を頂上として唐末まで、500年もの長きに渡って悪く、哀しい時代へと転がり続けたのである。時代の流転というものが十年や二十年の短期ばかりではないことに、戦慄するばかりである。

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現実の歴史には、どこまで古い時代へ遡っても、王道楽土の黄金時代などはなかったであろう。しかし概して住み好かった時代と、誠にもって住みにくい時代との区別はある。そして一概に古い時代ほど住みにくく、時代が下がるに従って住みよくなったともいえない。(中略)中国史上、人権の尊重された時代などはなかったといってしまえばそれまでだが、しかしその中においても、自ずから程度の差というものがある。(中略)後漢末の董卓の乱が始まって以来、中国の内部は戦乱に明け暮れする、兵馬倥偬の時代となった。それは時には異民族と異民族の戦争であり、時に異民族と中国人との戦争であり、時に中国人と中国人との戦争であったが、戦争である点に変わりはなく、人民は塗炭の苦しみに陥った。しかも単に戦争の傍杖に苦しんだばかりでなく、戦争をしなければならない立場にある政府からの重圧に苦しんだのである。人民は常時戒厳令下におかれ、政府の戦争目的の犠牲となって、次第にその権利を無視されてきたのである。
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「戦争」を「経済戦争」と読み換えれば、これも現代そのものであろう。中国産に対抗する国内産業、中国に拠点を置いて国内産業に対峙する国内間の競争、安い中国産と安い台湾産のせめぎ合い。TPPも同じことだろうか。日本という国を云々するコトは大切だが、その大義名分の元に苦しむのは、社長や政治家ではなく、常に国民である。如何なる理由や大義を掲げた所で、それによって人民の苦しみは軽減されるものではない。経済云々の犠牲としての派遣という雇用形態にしてもそうだが、止むを得ないとしても、しかし苦しむのは常に大衆である。住みよい時代と、住みにくい時代。後漢から唐朝に向かっても科学は進歩し、政治も巧くなっていった。しかし、それと人々の苦しみ、哀しみというものは無関係な変動を辿っていた。科学が進歩するのに、人々はより哀しい、住みにくい時代へと転がり落ちて行く。

子供の頃は、科学の進歩こそが夢を開くかの様に教育されたものである。しかし戦後の歴史研究大家にして、そんな絵空事が通じる様に歴史が出来ていない事が指摘されていた。器も同じく、如何に技術が進歩したとしても、夢の様な器は一向に登場する気配が無い。いや、むしろ技術の進歩と共に、その本質は退化さえしているかに感じる程である。経済を優先したことで、機械製の怜悧なる器に彩られる結果に堕ちて来たのが現代の食卓である。科学の進歩、携帯電話や電気自動車で人々が幸せになるなどというのは絵空事だ。それは、我々も身を以て体験しているのである。科学の歴史で云えば現代は大躍進であるかもしれない。しかし、人民の歴史で言えば哀しい時代である。それは、「唐朝の輝かしい王朝史と、唐朝の哀しき人民史との乖離」を指摘した宮崎論の様に、しっかりと指摘されるべきものだ。

人民の苦しみが転がり堕ちた底の時代、唐末。人々の哀愁は仏教の流行を呼び込み、禅の成立へと繋がる。人々は唐の滅亡と共に再び自由なる時代を取り戻し、芸術においても世界最高峰の宋磁を獲得するに至るのである。茶道の原型が形成された時代。真なる革新、「住みよき時代」とは。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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