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岡倉天心「茶の本」に見る思想3 「第二章」より

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第二章「茶の諸流」より

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茶は芸術品であるから、その最も気高い味を出すには名人を要する。茶にも色々ある、絵画には傑作と駄作ー概して後者ーがあると同様に。と言っても、立派な茶を点てるのにこれぞという秘法はない。ティシアン、雪村のごとき名画を作製するおに何も規則が無いのと同様に。(中略)真の美は必ず常にここに存するのである。芸術と人生のこの単純な根本的法則を、社会が認めないために、われわれはなんという損失をこうむっていることであろう。
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およそ、現代にも存在する病であろう。”軽く薄く精密なるを以て「是」とする根性”と云うのは、マニュアル式の評価方式を用いることの典型的な弊害であって、これが和陶を駄目にしてきた側面は強い。写しモノというが、形を似せても異なる結果となるのである。1つの富士を描くに、描き手によって感じ方が違うのである。全ては「選択方法」に拠るのではなく、「描き手の感性」によって選ばれているのであって、それを後付けで法則化して「美の法則」なるものを打ち立てて「分かった様なツモリ」になってしまうというのは、とても危険な事である。よく知られる処では名人でさえも陥るもので、柳宗悦氏の「民芸論」、または骨董系の「約束事」など様々にある。定型文でしかモノを評価出来ないという事だ。

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疲労を癒し、精神を爽やかにし、意思を強くし、視力をととのえる効能があるために大いに重んぜられた。ただに内服薬として服用せられたのみならず、しばしばリューマチお痛みを軽減するために、煉薬として外用薬にお用いられた。道教徒は、不死の霊薬の重要な成分たることを主張した。仏教徒は、彼等が長時間の黙想中に、睡魔予防剤ついて広くこれを服用した。
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茶が古来用いられてきた効能は薬。寝る前に濃茶を飲むと、まぁ眠れない、眠れない。化学的な事は知りませんが気分もスッキリ致します。道教と云えば不老不死の仙薬を求めたり、某ゾンビ映画など、変わったことをしている様な印象があるかもしれません。しかし元を辿れば日本の妖怪伝説など民間神話などと変わりの無いもの。今だって各地に様々な怪しい(?)式・祀り」というものが伝えられております。西洋にも似たような話はありますか。その基本は自然に対する畏怖。実際、夜中の森林などは恐ろしいものがありますし、野生の動物に感じる恐怖、樹木の強靭さなど、自然の脅威というものは、実感すれば本当に寒気のするものが多いです。そういった中から、人間の存在の小なるを感じ、自然を祀る。何とも自然な感情の流れであろうかと思うのです。人間、怖いものは怖い。科学がどうとか、御託ではありませんよね。

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仏教徒の間では、道教の教義を多く交えた南方の禅宗が苦心丹精の茶の儀式を組み立てた。僧らは菩提達磨の像の前に集まって、ただ一個の碗から聖餐のようにすこぶる儀式張って茶を飲むのであった。この禅の儀式こそはついに発達して十五世紀における日本の茶の湯となった。
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茶道の歴史を日本史の中だけで見た場合、酒肴・遊興・賭博の茶というものを利休が革命的に変更したなどと語るものがありますが、本来の姿に立ち返れば利休は茶を「禅茶に回帰」させ、更に昇華させたと見る方が正鵠です。茶の木を持ち帰ったのも、その道具を招聘したのも、茶の姿も、元来は禅僧が持ち帰ったもので、その祖は全て中国。掛けモノや唐物の存在も、元より禅茶の創成期に用いられた茶道具を崇拝する側面があり、単なる純粋美学などとは無縁のもの。遊興・賭博の茶こそが異端であり、邪道であったわけです。

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今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無情の幸福を作り出す神聖な儀式を行う口実となった。茶室は寂寞たる人世の荒野における沃地であった。疲れた旅人はここに会して芸術鑑賞という共同の泉から渇をいやすことができた。(中略)その全ての背後には微妙な哲理が潜んでいた。茶道は道教の仮の姿であった。
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「下り坂の道教」と言われる様に、道教は浮世に幸福を見出す側面がある。戦国時代の混沌に発達したこと、また祖を辿れば中国が分断された宗の時代に創始されたものであることを思えば、その心が垣間見えるのかもしれない。その観点に立ってこそ、打ち捨てられた雑器に見出す破調の美があり、純朴なる器の美が存在する事になる。有名な言葉で言えば、「国破れて山河あり」という考え方である。唐王朝が打ち倒される中での言葉。不幸なる、混沌なる時代。心を修めた者が集い、互いに一服の茶を分け合って精神力を鍛え上げていく。茶室も、茶道具も、およそこの価値観で統一・調和されたものが用いられ、山河たる自然の恵みと共に一服の清涼を頂戴する。茶は「荒野の中の沃地」であり、「沃地の中の御殿」ではない。その思想は、世の混沌とした時代、また道・仏・儒の混然とした時代に生まれた「禅仏教」の思想であろう。


以上、第二章より抜粋。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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