• 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30

箱書の事。

okoityausume.jpg 

濃い目の一服を頂きつつ夜更かし。瀬戸で茶道を習っていた頃は、毎回に濃茶を濃茶として練っていた覚えがある。不味い濃茶は拷問に近いものがあるものだが、それほどの覚えが無い事を思い返せば、よほど好い抹茶を使っていたのだろうかと思い返す。応答の定型文に「永寿」を使っていたから、小山園の永寿であったのだろう。近畿圏外では、比較的手に入り易い丸久小山園さんが多い様に思う。クセが無い感じは独特のものか。

家でちょっと飲む時は、茶菓子が無いのと、抹茶を漉していないのでダマが出来やすい。嫁さんに相伴するので、薄目に点てる。濃茶の稽古にならないのだが、本当に濃茶を練るとなれば三人前は練らなければならないのが悩ましい。

hakogaki_20110612010903.jpg 

カフェインを摂取しつつ箱書。箱書に関する記事は昔に書いた切りなので、消去されている。およそ茶陶作家なら、基本的な知識は弁えていなければ素人扱いされても仕方が無い。多く好いものを持つ人は、箱の次第で中身を見る。一々に箱の中身を確認しなければならないようなものは、使い難い。保管機能だけではなく分類整理上の役目も持っているので、およそ箱を見れば中身が分かる。

詳しい事を書くとキリが無いが、普通の量産的な桐箱屋に聞いても適当な聞きかじりの知識が返って来るだけであるし経済優先である。だから小生の場合、特注で作って貰っているし最低限の仕事以外は自分で行う。とても手間が掛かっている。桐箱屋の云われるままに従って、「誤まった箱」を揃える陶芸家は跡を絶たないから、箱を見るだけで、茶道と関わって仕事をしている茶陶か、コレクター向けなどで茶陶を作っているかを見分ける事も出来る。箱書の位置によって中身が違う事、真田紐の事、柾目の事などなど。桐箱の専門家だって誤まっている事があるくらい、なかなか複雑である。例えば上の写真。見ただけで、中に入る茶碗が当該作家の中でどのクラスに位置されている茶碗であるか、「分かる人には一目瞭然」という仕組みがある。茶陶同業であれば売価まで分かるかもしれない。一般に専門家が行うものから、更に厳密な事まで行けば「中身の焼物の茶格」によっても変化をさせるべきである。が、そこまで行くと桐箱屋が全く対応出来ないという事になるし、コダワリが強すぎて理解する人が殆ど居ない事になるだろうか。

偉そうに書いているが、小生だって教えて頂く前は素人である。初期の頃の桐箱もいくつか残っている。陶芸の師匠・茶道の師匠、あと裏千家出入方の当代職人さんに口伝頂いた知識、そこに実践があってこそ、今現在のものがある。「桐箱が出来る」というのは、茶陶の大前提であるからして、勝手気儘に行うのは自由だが、「誰の為の箱であるか」という事を考えれば、勝手な事をやるのが「お門違い」である事は自明の理という事になる。自己主張は自由だが、それはそれとして、弁えてやる場合と、無知でやる場合がある。圧倒的に後者が多い。特に、箱を業者任せにして箱書だけをやる作家は、殆どが知らぬままに適当な事をやってしまっている。これも1つ、伝統の廃れたる姿の1つであろう。そういった無知の代表例が、「チョークの粉を撒いてから箱書する」という噴飯の方法。これが結構流布しているというのは嘆かわしい限りである。江戸時代にチョークなんかあっただろうか。まともに考えてほしい。そんな事をやる必要はどこにも無い。実用面としても桐箱の通気性を低下させる行為に他ならない。

様々、とても貴重な知識である。しかし教えてほしい、という方には惜しみなく伝授させて頂いている。もちろん、マニュアル式に「上辺だけ整えたい人」は御断りであるので、口伝でしか伝えるつもりは無い。けれど、茶陶を志している方には、知っていなければ無用の遠回りをする事になる。茶人の方も、名品道具と共に覚えるものであるからして御存知で無い方が多く居られるけれど、是非勉強して頂くと、桐箱1つでも楽しむことが出来る。指物師という工芸品と見る事も出来るし、純粋に柾目を楽しむ事も出来る。茶会で「箱書の展示」が行われる場合が多々あるが、そういった場では箱書のみならず、桐箱も楽しむのが本来のものだ。特に本物の古陶磁に付属して伝来いた古い桐というのは、とても好い経年変化を起こしている。これも、実は現代では再現不可能な技術なのである。経年変化は、陶磁器のみならず、白木や漆に関しても素晴らしいもの。そういった意味では、木工職人の方にも是非勉強してほしい。 桐箱文化には、桐、紐、布、和紙、墨、印泥、裁縫などの周辺工芸が付随してくるのである。

まぁ、分からないからといって、何か損をするわけでは無いけれど。様々な文化を理解しているかどうか、というのは茶人教養としても大切な修行の1つ。理解とは、即ち思い遣りである。いくら誠心誠意頑張ったとしても、折角の心入れが汲み取れないというのでは礼儀の不足になる。

とはいえ、私も実地経験量がまだまだ不足。例えば茶入の桐箱などは作った事が無い。仕覆と象牙。桐箱1つとってみても、勉強する事は山積しているのである。水野師曰く、「茶人を圧倒できるだけの知識量を持たなければ一人前の茶道具作家とは云えないぞ!」というものにて、日々の勉強は欠かせないものです。特に作家は「専門家」であります。茶道の中で尊重して頂けると同時に、常に「聞かれる側」に立っている事を自覚せねばなりません。相応の勉強をせずに茶陶作家を名乗っている方々というのは、無闇に「茶陶作家の専門家たる信頼」を損ねている事になります。そういった「伝統の食い潰し」というのが、最も恩知らずな行為である事は、云うまでもありません。信頼あってこそ、茶陶作家は厳しいものとして格調高く扱われるのです。伝統を受け継ぐ覚悟があればこそ、日々勉強し、修行し、それを伝えて行くのです。


とまぁ、理想を書いてみました。現実はなかなか思い通りには行かぬものですけれど、桐箱文化というのも楽しいものなのです。今は国産桐の桐箱など「廃絶寸前の工芸」だったりします。国産桐のタンス作っているトコはあるけど、茶道具の桐箱知識は無かったりします。先に書いた様に、昔の良質な桐箱技術も現代では再現不可能になっています。需要の激減というのは、やはり悲しい結末を呼ぶのです。茶道具が廃れると、桐箱や真田紐、和紙・和布などの周辺工芸も打撃を受ける事になるのです。なので、楽しめる人が少しでも増えると好いなぁ、と、思っております。

コメント

コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する

論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

記事内容の分類
過去の記事(月別)
10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
来訪者数(2006.5~)
LINK
リンク
メール送信はこちら
・来窯時などに御使用下さりませ

御芳名:
貴アドレス:
本文の件名:
本文:

不在時・繁忙期などは返信が遅くなる事もあります。悪しからずご了承下さい。もちろん、迷惑メールは駄目ですよ。