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自然の教訓

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変わらぬ生活で。自然の中での作陶。先日、同じく自然の美を観じながら作陶する事を大切にされる方と話をしましたが。海ってのも1つ、いいものだろうなぁ、などと思いました。自然を愛好しつつ作陶する者に限って、ではありますが、周辺環境で出来あがって来るものが変わって来るんじゃないかな。コンクリートに囲まれていると直線があらゆる所にありますが、自然環境の中に居ると、およそ直線というものとは無縁。どこを見ても、自然な線があります。何が自然で、何が不自然か。海など見ていると雄大なのが「当たり前」という感覚になっていくのかしらん。

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粘土を掘ってると牛が近寄って来ます。先日に草刈りした草を与えたら、見事に餌付してしまった様子。バケツの中が気になる様で、油断しているとバケツをひっくり返してくれます。動物や植物。与えれば、与えただけの反応がある、とは申しますか。とても素直です。素直じゃない猫も居ますが、基本的に動物も、植物も。実は人間(自分)が一番ヒネクレテいるんじゃなかろうか?などと思う事がよくあります。「思考力が高くても、その性格が狡猾だったら動物以下だぞ。生物としてもワシが蹴れば一発ではないか。」そんな事を云われている様な気になる事も。牛は雄大です。ここに神性(人間としての理想)を見たのは仏教生誕の地でありましたか。解る様な気がします。雨が降ろうが、雪が降ろうが、ハエがタカっていようが。ゆっくりと動き、食べ、寝て。

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この季節。夕刻の日の入りが遅いわけですが、日の入り前の青空は何とも、好い色をしております。しばらく晴れの日が続く様で、作陶にも有難いこと。森の樹景と、青空と、日光の陰影。自然が描くものが、一番美しい。木も、青空も、太陽も、全てが一刻毎に動き続けているわけで、およそ「生きている」という定義とは何だろうか、などと思ってみたりします。智恵や頭脳がある事を高等生物と定義する思考教育が健全なのか、それとも八百万信仰として自然に神が宿っていると考え、あらゆるものに敬意を払い感謝して生活する思考教育が健全なのか。


とかく、自然には訓えられる事が多いです。

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論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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