「禅のすすめ 道元のことば」角田泰隆著より 読書感想文の14

台風ですね。衣替えなどの作業も終わって、ボチボチと。

p87『正法眼蔵随聞記』道元
「只管打坐」ひたすら座禅をすること
~~~~~~

道元の代名詞的な言葉だそうで。鎌倉仏教では、
親鸞が「南無阿弥陀仏」、日蓮が「南無妙法蓮華経」。
道元は「座禅」を一心に行うことを勧めました。

とはいえ、「座禅でなければならない」という意味ではなく、
「散漫に学ぶよりも、1つのことを真剣に取り組むべき」
という話の中で、「座禅は簡単で、仏法を学ぶのに良い」
というように、選択肢の1つとして示したものです。

この当時の民衆は娯楽はおろか、食糧不足で慢性的な飢餓の中。
今のような趣味娯楽の多い時代とは、全く違う中での言葉です。
もちろん、茶道や剣道など、そういった選択肢の無い人々です。

「真剣に1つのことをやる」

そういった意味では、私も茶陶を真剣にやる中で、
無作為の課題に突きあたり、
更に茶道を実践的に学ぶことへと進み、
禅の美学や発想というものを少しづつ理解してきて、
今の通過点まで来ている次第です。

でもまぁ、売上的に茶道具を作っている人を見れば、
無作為なんてどうでもいいし、
茶道なんて、もっとどうでもいいし、
禅の美学よりも、個性の発露あってこそで、
売れなくなったら、茶道具なんて放り出せばいい。

そんな側面があったりして、現代は後者の方が主流。

でもね。あれこれと流行に従って、作る品物も変えて、
そうしてしっかりと売上を築いているという仕事も、
売上に対して真剣に取り組んできた苦労の結果です。
だから、売上を作っていくことにおいて、やはり名手です。
そうでなければ、食べていくことが出来ませんからね。
それはそれで、非難されることではないのだと思います。

だから、何が高尚で、何が低俗というのは、
作品についてはあるかもしれないけれど、
人間の生き方については同列だと思います。

そうやって思っていると、どんな人も、真剣に生きてますから。
人間ってのは、地位や収入、仕事、年齢などなど、
そういう基準で優劣をつけるのは、くだらないと思います。

ただ、人の迷惑を顧みず自分勝手にイジメをやる人とか、
そういった人は、もう本当に、劣っていると思いますけどね。


論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

記事内容の分類
過去の記事(月別)
09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
来訪者数(2006.5~)
LINK
リンク
メール送信はこちら
・来窯時などに御使用下さりませ

御芳名:
貴アドレス:
本文の件名:
本文:

不在時・繁忙期などは返信が遅くなる事もあります。悪しからずご了承下さい。もちろん、迷惑メールは駄目ですよ。