「禅のすすめ 道元のことば」その7。

「禅のすすめ 道元のことば」角田泰隆氏 より、適当な独り言。その7。

p38『宝慶記』道元
”いっさいの生きとし生けるものが仏であるというのは、
自然外道(ありのままでよいという誤った考え方をする者)
の言うことである。すべて善も悪もなく、何をやっても、
ありのままでよいとする考え方であり、仏法ではない。”
~~~~

現代に仏道を目指す人がどれだけいるのかは分からないけれど、
日々を善良に生きていこうと思う人は多いと思います。

その”善良”の基本になる道徳は「仏教と儒教」が長かったものが、
明治維新の大改革で、「仏像が木片として」焼かれ、仏教の権威が
終わる方向へと進んできて、今の時代があります。

ありのままでよい。そんな歌が流行しましたね。
善悪の区別も何もなく、「犯罪行為でない限り」という人も、現代は許容します。
子供の教育でも、「叱らない教育」とか、まぁそんな方向性も多いです。

「自由にのびのび」とは、聞こえはよいものの。
子供相手でも、暴力が犯罪行為であることは、しっかり教えないといけません。
規律を体得した上に、大人としての自由を乗せないと、世の中が息苦しい。

良いと思うものを、無条件に肯定していく。
考えなしに。例えば七五三や祭りなど、色々な風習がイベント化してきています。
神仏に捧げるものだったのが、単なる着せ替えのイベントのようになってきて。
うん。確かにとても楽しいですし、難しい儀式の準備や勉強もやりたくないです。
「こっちの方が、いいよね」・・・が深まっていく。

美術教育でも、私の子供の頃でさえ、
「あなたが、良いと思ったものが良いんです。それが個性!」
なんていう教え方でしたよ。この発想が教えられていく。

書道の授業でしたが。
幼少から書道教室に通っていたので、ちゃんとした字が好きだったんです。
でも、「何にも面白くないでしょ?」とか言われて、成績は最低評価でした。
可愛らしい字体で書いてみたり、ハート書いたりした人が、通知表で10。
単なる先生のエゴですよね。ファッション的に個性とか自由って言ってる。
そら先生は、それがいいと思ったんでしょうけれど。

結局、新しい価値観に「置き換わっただけ」。
勉強もなんも不要で、直感感性のみだと、日本の伝統的な工芸美は・・・
普通に理解できないものが沢山に出てきます。
多様な価値を勉強しないで、好きな物だけ高評価していくってのは。
全体として非常に向上のない世界になってしまいます。

まぁ実際、もうマスコミも工芸家も、パッと見て分かりやすいものを、
選ぶし、作るし、売るし、買うようになってきています。

「自由に」選びたいのなら、漆も、陶芸も、金属も、ガラスもプラも、
それぞれの良いところを学んで、良さを知って、それで選びたいもの。
知識が狭すぎると、ホント、何にも分かってないから、自由に選べない。

最初から、ありのままでやっちゃうのは「外道」。道元さんの言葉です。
論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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