「禅のすすめ 道元のことば」より その3

「禅のすすめ 道元のことば」角田泰隆氏 より、適当な独り言。その3。

p17『上寧宗皇帝表』道元
”仏法の位次は、尊卑・年少を論ぜざるなり。
先に受戒せし者、先にありて座し、後に受戒せる者、後にありて座するは、
けだしこれ七仏・諸祖の通戒なり。”
~~~~~

道元が渡航後、日本僧の待遇改善要求を皇帝に願い出て、達成した言葉。
仏教では、元の身分、財産、階級、男女などに関わらず、「入門の順」
という「平等思想」がある。「利休は身分の平等の精神を茶室に・・・」
という書き方が教科書にあるけれど、

仏教の高僧である利休が設計したのだから、仏教思想の平等は、
むしろあって当然のもの。これを「特徴」と書いちゃう感覚のズレは、
昭和らしい歴史作文というものです。歴史研究もまだまだ大変です。

茶道の茶席ではよく、「男性なので・・・」という男尊思想があります。

茶席を仏教の修行道場と見るなら、
「仏教の修行場のように身分なく修行順に並ぶ」のが本来と解ります。
なので、高僧は上座に座られることが多いですね。

なかなか、茶席で坐る順番ということ1つについても、
きっちりと、これを教わることはありませんし、私も教わったことはないです。
でも、仏教を勉強すると、それが書いてあったりするようで。

わからないままに適当に、何となくやってることも、よくあります。
それがやがて「風習」「慣習」「伝統」、「普通のこと」になる。

例えば茶道の師弟関係も、仏道修行なら、師が弟子を養うわけで、
御家元の門弟はそのように給料もあるという話は聞くものの、
茶道の稽古場は、弟子が払う指導料で成立しています。

それは、仏教の檀家制度の様に近いかなぁ、という感じです。
檀家が、金銭支払いと引き換えに僧を招いて教導してもらう形。

茶道をはじめた人が戸惑うことの1つは、「御祝」の存在。
終日に茶席の手伝いに行って、「御祝」という「指導料」を納める。
戒名をもらって、「お布施」という名目で「戒名料」を納める。
そういう感じに、随分と近い。無料奉仕も同じようになってる。

本来的な師弟なら、陶芸でも内弟子、外弟子を弟子と言います。
陶芸教室にきてる生徒は、生徒であって、弟子とは違う。
内弟子は、何年も衣食住をお世話になっているので、
その御礼として、無償で何年も奉公したりするという風習。
生徒に、檀家的な奉仕をさせていくというのが、今の茶道の風習。

茶道では内弟子制度も見ないし、ほぼ先生と生徒の関係だけれど、
それで師弟関係とされているのは、檀家制度的な観点なのでしょう。
要は仏教的な視点を見ていくと、色々と氷解する場面がある。

現代の茶道は仏教色というか、宗教色をなくしている感じがあります。
「日本文化」としての色を出しているけれど、元々、これは「宗教」です

茶道具も、陶芸界には「仏教なんぞ放り出して芸術品に」という意思があり、
茶道にも「仏教色を切り離して文化の粋を集めた儀式」という脚光の感じかな。
切り離した仏教について、ゴニョゴニョした、説明できない部分がある。

茶道を学んでいくと出てくるゴニョゴニョとした説明が色々行われる。
仏教を勉強すると、ゴニョゴニョしたところが、かなりはっきりしてくる。

ゴニョゴニョと、はっきり仏教だと言わずに続いていくと。
仏教だと全然知らない層が、育ってくる。

猿も、畑の作物を食べて育った世代が完成すると、
もはや畑の作物しか食べなくなってしまう。

実際、高校や大学の茶道というのはそういうもので・・・
華やかな日本文化を楽しみたいという人が完成する。

茶道も、陶芸も、文化事業と、芸術事業に。
昔、それは仏教と、仏具だったんですよ。

世代が変わっていくまでやれば、それが抜け落ちていく。
本来の姿っていうのが、変わっていく。

猿も、今更に木の実だって食べられると言われても、
やっぱりね。畑のおいしい野菜がいいですよ。

段々と、本来の姿も、どうでもよくなっていく。
それが現代の姿。文化は、必ずしも進歩を続けない。

「禅のすすめ 道元のことば」より その2

「禅のすすめ 道元のことば」角田泰隆氏 より、適当な独り言。

p12、道元『正法眼蔵随聞記』より
”国家に知られ、天下に名誉せんことを教訓す。”
”高僧伝、続高僧伝等を披見せしに、
大国の高僧・仏法者の様を見しに、今の師の教えの如くには非ず。”
”此国の大師等は土かはらの如く覚て、従来の身心皆改ぬ。”

指導者は全国的な知名度、高い地位を求める修行を指導している。
しかし古の高僧も、中国の高僧も、全くそんな行動、指導をしていない。
つまり、今の指導者はゴミクズようなもので、全く価値がない。
~~~

道元が若いころの言葉で、当時の高僧を真っ向から批判。
「お前たちのやっていることは、仏の教えと全く違う」、と。
もちろん、何をも恐れない発言ですが、彼が権力者の産まれでなければ、
この発言の上で、中国への渡航僧に選ばれることは難しかったでしょう。

現代の陶芸界でも、権力層っていうのはひどいものでした。
「一般受けのするもの、分かりやすいもの、売れそうなことが大事」
「茶道具なんてものは、もうダメです。入選しないよ。」
コレダケの言葉が、1万円払って作品を見てもらっての指導内容。
中身なんて皆無です。やっているのは派閥による入選というね。

「馬鹿じゃねぇのか!?」と、そんなブログ記事を書いた覚えがあります。
まぁ世の中を見てみると、そんなに珍しい話でもないというのがね。
というか、権力を手にするには、登って行く道が決まっていて、
そっから外れたところから、何かしらを打ち立てるのは至難なもの。

分かっていても、若い頃は、まっすぐに反抗してしまうというか・・・
私も、工芸会を見捨て、茶道の修業を志していった思い出です。

「禅のすすめ 道元のことば」より その1

さて、久しぶりに勉強でもしようと思い立ってみました。

茶道の大成者である利休が「豪商」であり「臨済宗大徳寺の高僧」とは知られた話。
この当時の禅僧は、著名な僧ともなれば戦国大名の師匠となり、
政治はもちろん、時に兵法などの軍事さえ指導する最上位の地位。

茶道を深めようとすると、「秘伝の点前」や「許状」、「地位」などなど。
ついつい、最初は、そういった「分かりやすいもの」を目標に頑張ってしまいます。

でも、次第に色々と知ろうとして禅の入門書をパラパラと読んでみると、

「う~ん?」「あれ?」

と、思う事が沢山出てきます。そんな話を整理してみる、適当な独り言。

パラッと開いたのは、「禅のすすめ 道元のことば」角田泰隆氏。

なんのことはない、子供を連れて涼みに入った図書館で借りた本です。
筆者は道元の研究者にして現役の住職兼、大学教授とありますので、
そこらの歴史学者や歴史文筆家が書いたものよりも信頼が置けますね。

陶芸でもそうですが、実地経験のない、美術史家とか芸術論者の書籍って、
残念ながら上っ面を滑ってる感じで、知識面の学習にはよいけれど、
器に関する分析や所見に関していえば、正直言って微妙なものばかり。
受け売りで語ってる感じと言いますか、「名品だから名品」みたいな。
腰回りの曲線が素晴らしいとか、「実地の感性」で語れてるものは皆無に近い。

そういった意味で、茶道をやってない茶道研究家、禅をされていない禅研究家
の言葉というのは、どうしても空虚さがつきまとってしまって、よくない。
「日々是好日」の言葉1つ、受け売り解説されても感動が無いようなもの。

読み解いてみようとしている私がスッカスカなので。
身近な中から、なるべく実のある、分かりやすい書籍を選んでみた次第。

道元禅師は、もちろん利休の臨済宗ではなく曹洞宗です。
その始祖である栄西に学んだ上で、更に本場中国で禅修行をした方。
両者の違いは「公案」と「座禅」などと言われるようですが、
それは今現在21世紀などの話であって、道元の言葉が書かれた当時は、
「栄西に学んだ上で、中国で禅修行を重ねた人の言葉」です。

なので、「道元禅師は曹洞宗だから」という論法は、ちょっと本質に遠いかと。
「臨済宗の始祖たる栄西に学び、それを中国本場の禅に照らした高僧の言葉」
と見れば、日本における禅の生成期の思想、言葉と見ることが可能です。

およそ仏教全体、始祖を重んじて、それを大切にする風習がありますので。
茶道が利休に常に回帰していくように、更に利休の禅思想の本流を知ることは、
茶道の観点を知る上で、なかなかに勉強になるのではないか、と思います。

論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

記事内容の分類
過去の記事(月別)
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
来訪者数(2006.5~)
LINK
リンク
メール送信はこちら
・来窯時などに御使用下さりませ

御芳名:
貴アドレス:
本文の件名:
本文:

不在時・繁忙期などは返信が遅くなる事もあります。悪しからずご了承下さい。もちろん、迷惑メールは駄目ですよ。