製作へ

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ようやくに製作へ入っています。気候的にも寒くなっているので普段は客間にしている場所での御仕事。乾燥も兼ねて温かい部屋にしての作業です。水指や花入のサイズともなれば、冬は自然乾燥では全く仕事が進まないことになるので、さてさてという辺り。変わらずに花入と水指が主となる作品。あとは細々とした辺りを作っていくのみ。

実際の製作の日数的には10日間くらいでしょうか。1つ作り上げるのに1時間程度。細かい調整に1時間程度。手間はそれほど難しいものではないのですが、感覚を総動員して、どの部分をどれくらい調整するか。1㎜削ったり、動かしたりという作業を進めていくので、非常に疲れます。基本的な形は変わらないのですが、そういった細かい部分ですね。僅かなことでも、雰囲気が大きく変わります。

仕事としては、創造的か?と言われれば、一般の人が考えるような、「アイディアを捻り出す」ような御仕事ではないのです。そもそも、そういったアイディアなんかは日常の中で考えて貯蓄したりするものでしょうか。基本的にその場で即興で新しい形を考えることは少ないものかと思います。そういったものではなく、自分の感覚に従って、どれだけ追求することが出来るか。研磨と追及。「美的感覚」という言葉を使えば説明は簡単なのですが、茶道というのは「用」のものであって、「美というものを至上に考える」ようなものではありません。従って、言葉にするとすれば「茶道的感覚」です。仮に「美的感覚」に従ってしまうと、次第に文字通りの「華美」ならぬ「過美」になってしまって、茶道的な用途を満たさなくなってしまいます。

意外とね。アイディア陶器っていうのは、普通にデザインの会社にでも頼んだりすれば、そういった人々が考えてくれるでしょう。そこに陶芸家がちょっと参画したとして、技術アドバイザーくらいなもので足ります。単に市場として陶器というのは長期間斜陽産業なので、わざわざ総力を結集するような産業にならなかっただけであって。景気の良かった昭和の頃などでは十分に色も多彩で形も考えられていたように思います。今の現代的な陶芸作品も、本当に目新しいというようなものは滅多になくて、それこそ昭和の陶芸家が片手間に作ったものであるとか、ヨーロッパの陶芸作家であるとか、また陶芸以外の分野であるとか、どこかしらで同じものというのが存在している場合が多いようです。まぁ、最近の著名作家など全くしらないようになってしまっているので素人論ですが、10年くらいではサテ、全く業界というものは変わらないです。著名作家の作品があって、若手がそれの模倣的な、ちょっと違うものを作って、窯元がソックリの安物を作る。量産化ってのはそういうものです。著作権なんてものがないので、真似するにも誰も止める人もおりません。

そういう話はさておいて。

とりあえず夜。寝静まってからの御仕事ですので、昼頃まではグッスリと寝ていることが多いです。寒くて風邪を少しひきましたが、まぁまぁ大丈夫。ここ1週間が最も大事なところです。
論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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