明日から窯焚きへ

ようやく。結局諸々の準備もギリギリまで。時間がある分だけ花入や水指などを作り直したりしている内に、いつも通りのギリギリの支度になってしまって。乾燥に時間を要するだけに世話の掛かる製作でした。明日に窯詰めを終えて、そのまま窯焚きへと入る予定。正月に窯出しをする窯元さんを何件か聞いたことがありますが、おそらくそういった日程になるかと思います。

今日は茶道の稽古仕舞。といっても稽古に終わりは無いわけですが。健康を回復されて、今日は久しぶりに朝の講話も。「修業という難しさ」という辺り。自己管理で勉学をしたり、稽古をしたり、独り自発的に向上を目指して努力するという事の難しさについての話。難しいだけに師匠を持つことの大切さは勿論ですが、私自身としても、色々な陶芸の名手に聞いて回った話も思い出しましたか。陶芸家というものも、結局は自己独りで進まなければならない仕事。誰かが指導してくれるわけでもなく。そういった環境の中で、自分なりに工夫して、目的を見出して、自らにそれを課していく。

多くの陶芸大家から同じ内容の話を聞いた。それは全くに「自分で進めるようにならなければならない」という点で全く共通していて。当時私は弟子入り先を探して聞きまわっていた頃ですが、「技術なんてどうでもいい。何より自発的に土に取り組むようになれば卒業。逆に云えば師匠の仕事はそれを与えることに尽きる」という話を聞いたものである。世に芸術家などと云われる職業の厳しさは、詰まる所はここにある。

その意味では「好きこそものの」と云いますか、文字通り利休道歌の第一首である「その道に入らんと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ」そのもの。で、あるからこそ、私は茶道具を志して、それを作り続けています。おそらく食器をつくり続けるという事になれば、今ほどに熱心でもなく、品質も相応のもので満足してしまっていることでしょうか。

と、偉そうなコトを言ってみても。無為に過ごしてしまう日もあれば、怠け心の出る時もあり。何とも知れたものであります。壁に当たった時などは特にそういったものでしょうか。何をすれば進めるのか分からない。そういった頃合いは避けることが出来ないものでしょうか。進むというのは、言うは容易いもの。稽古場の軸は「金鳥急にして玉兎速やかナリ」でしたか。日月の進みは早く、焦るばかりにも進まずというのは苦しいもの。茶道1つにしても、師匠あってこその進度です。


ともあれ。明日から窯焚きへ。気候的には温度の上昇も早く、木枯らしも収まって焚き易い気候であろうかと思います。少しく焚き手には寒くなりますが、何とか焚き上げられることを祈りつつ。


あ。そうです。スイマセン。年賀状は遅くなります。何卒御容赦を・・・。





論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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