日時が

土曜日は夕刻まで来客、夕刻から青年部の会議。日曜日は朝から神社清掃作業、続いて午後からは地元の草刈り日にて池に倒れた桜の木を裁断して綱引きをして水揚げ&解体。金土日と何くれと用事が入って作品も進まず。今日は土堀りの予定が、スコップを探すのに手間取ってしまって、結局ロクロを挽いたり。

何を書こうかと思いつつ。

そうそう。青年部の次の行事は「クリスマス茶会」というコトになったようで。サンタの棗や雪だるまの茶碗という、仮の茶事形式のものではありつつ、如何にもな趣旨。ここ何度かの会議に欠席が続いていた間に決まった話にて、「一般の人にも分かり易く・・・」という趣旨で決まったようですが・・・ちょっとガックリ。それらしい道具の他はいつもと同じもので、特別に蒲生氏郷なりキリシタン大名の云々が出ることも無く、知識的にも十文字割高台が出てくるというコトさえなく。一応・・・青年部といっても学生主体じゃなくって、平均すると30~40代の茶会なんですが、およそ一般的にはこういった茶会が多いのかな。

キリスト教というコトでは。戦国時代、利休時代は「多神教」即ち「多信教」の時代でしたか。神様は沢山いるという思想が前提ですから、仏も信仰するし、神も信仰する。地元の神様を信仰し、スサノオの祇園講があり、浄土宗も信仰すれば、禅門の大徳寺にもつながりを持つ。武門には毘沙門天が居ると聞けばそれも信仰する。更にはキリストという神様も居ると聞けば、それをも追加して信仰する。よって、多くの著名な戦国大名は、地元の仏寺と京都の大徳寺の両方で祀られているわけだが、地元の菩提寺の方は必ずしも禅寺ではない。

そういった歴史知識を前提としなければ、例えばキリシタン大名を、現代式の「一神教」ならぬ「一信教」の、特定1つの宗教に帰依する西洋的な発想で見てしまう。これによって無用な誤解を獲得してしまう場合が多い。例えば蒲生氏郷はキリスト一辺倒の人物ではない。キリスト教の洗礼名を持っているかもしれないが、もちろん大徳寺に菩提寺もあるし、それぞれの城下町にも関わりを残している。

宗道師の講和でも覚えがあるのですが、キリスト教も多くは道徳を説いている。「儒教」に通じるものがある。つまり茶道に合致する部分がある。何も茶碗を拭く動作がキリスト教の云々という話だけではなく、そもそもの素地からして、宗教というのは道徳を説いているから、人としての理想の在り方というのが、徳を大切にするという基本理念は同じ。それは現代の新興宗教でもそうであるし、過激派などのイメージで彩られるイスラーム教も同じく「徳」を大切にする宗教。何かの書籍で日本人の「無宗教」というのは「徳に拠り所を持たない」という意味において非常に「不気味」であると海外に受け取られることがあるらしい。実際、ほとんどすべての宗教が道徳を説いているわけですから、「どれも気に入らない」というのは不思議なこと。茶道に仏教的な要素や、陰陽五行という要素があることを、ともすれば積極的にその色や匂いを排除して、これを「現代的」とするものもあるように聞くのであるが、私が訓えられてきた茶道観からすれば、むしろ真逆なのではないかと感じることもある。

うんっと。何の話を書いているんだろうか。

とりあえず、「キリスト教にだって儒教に通じる点があるから、聖書を一通り読むくらいの勉強をしておくように!」と云われながら、「全く読んでいない」ことだけは思い出した。はい。

少なくともクリスマス茶会となれば。そういった要素があらんことを祈りたいものですね。私個人の感想としては、宗道師に入門させて頂いた年のコトですが、「利休時代・天目茶碗の茶事12月25日」と張り紙がされていて、「さてこそ、ここは世俗とは全く違う!」と感心した覚えがあるだけに、微妙な感慨を抱いております。
論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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