たまには器の話

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こんな季節ですか。自然溢れると云えば聞こえは好いのですが、他の作家さんの工房へ行ってから自分の工房に戻ってみると、時折愕然とすることがあります。はい。すいません。基本窓なども空けっぱなしなので風と共に塵も多く入りまして、猫なども居座っているのでホコリも沢山。もちろん土造りもあるので土埃も多いし、釉薬も狭い中で掛けるので・・・って言い訳っぽくなってきたので止めましょう。

※ちなみに猫はカマキリで遊ぶことが多いので、この状態を放置すると危険です。

ここ数日、ちょっとロクロを挽いています。基本的に1つの事に集中したい方なので。7月の茶道と夏祭りの忙しさも完全に落ち着いて。そろそろ10月なり9月の窯焚きに備えて切り替えて行く時期。と、その前にガス窯の仕事に取り掛かっています。以前に途中まで進めていた、茶碗と菓子鉢。余分に挽いておいて、穴窯にも入れるのですよ。試験の結果次第では全部使ってしまうんですが。作業はタタラでボチボチという事も多く、それほど仕事は進んでいません。

実はちょっとしたスランプと云いますか、課題はあるのですが巧く行かず。解決策も巧いものが見つからず。ロクロに向かえないままに居て、さてではロクロに向かったは好いものの、どうもやはり巧く行かないというのが現状です。まぁ難しい課題なんですけれど、どこかで解決しておきたいもの。「まぁこれで通ると云えば通るが・・・」というものは作れても、「これは好いな」と思えるものが作れない。薄くて軽くて点て易い数茶碗。粉引とは別作として作るので、色々と悩んでます。

あとは菓子鉢。形はほぼ固まっているので、こちらは釉薬の試験。派手過ぎずというもの。実は近代の人間国宝さんの方々も、茶陶としての茶道具としての菓子鉢をほとんど作っていない様に、また在ったとしても盛り鉢の雰囲気であったり、少し茶の菓子鉢としては使いにくいものが多い様に感じる事が多く、「いいなぁ」と思える、主張し過ぎない菓子鉢というのは、なかなか御目に掛かる事が難しい。干菓子を盛るための漆器などは色々あるように思うのですが、主菓子を盛る菓子鉢というのは、これが意外に奥が深い。「盛り鉢と、菓子鉢の違いは?」って処ですが、長くなるので省略。現代では多く京焼のものを見掛けますが、色々と知るにつれ、なるほど、取合せとしても難しい。それだけに作るとなるとピンポイントで要点を突く必要が在る様に感じます。今年で好いなぁと思ったのは了入の楽焼鉢。さすがの茶陶でありましたが、基本的に古いものの雰囲気によるぐらいでしょうか。ともあれ京焼系・磁器系以外となれば難しいものです。

と、そんな辺り。陶芸に切り替わると、途端にそちらの事ばかり考え始めています。

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今日はまだ霧の深い早朝5時半出立で朝粥茶会へ。

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毎年楽しみにしている支部主催の朝粥茶会。到着したのは6時15分頃ですが、6時半開始の一席目はほぼ満員の状態でした。いつもながらに人気の高い茶会。濃茶席という事もあり、濃茶席そのものの勉強を目的にされる方も毎年居られる様に思います。そうそう、会場はいつものように琵琶湖グランドホテル。道具は桃山時代を始め李朝に古瀬戸。釜と水指は今のもの。何度か拝見させて頂いているものもありますが、例えば伊賀水指などは明るい場所で見る雰囲気と、広間で見る雰囲気では全く趣が異なりますね。茶杓や茶入、茶碗なども同じくそういった面が在る様に思います。

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床は「万里一条鉄」。このブログでも楽志庵の茶会にて宗道先生の濃茶席にて拝見させて頂いて、随分と思い出の深い御軸です。その時と同じもの。宙宝宗宇。同時に「万里一条鉄」という言葉に思う事も随分と変わりました。最初、この軸に出会った時には「貫徹」と云う様な感想を抱いた覚えがあり、正客の方々などもその様な感じの事を仰っていた覚えがあります。万里の長城などを連想してしまう辺りでしょうか。もちろんそれとして。

今日に感じたことでは「万里」は、むしろ中国本土では「世界の果てまで」という様な意味合いとして考えて。つまり「全ては1つ」という様な意味を今日は感じました。誠に茶道らしい言葉だなぁと、また改めて別の事を感じ入りながら。 「御軸の意味は、その日、その人それぞれに思う処のものを感じるように」という宗道師の言葉を想いつつ。

朝粥。精進料理的なものでしょうか。この6月~8月というのは、夏祭り自体も多いわけです。昔の人々にとっては、収穫を前にして、実は最も死亡率。もっと云えば餓死率の高い時期でした。僅かな食物もすぐに腐ってしまいます。多くの古い御祭りは平安時代や、室町時代に端があるとして、それから戦国時代の終焉に至るまで、この飢餓というものは例年行事の様に人々を苦しめていたもの。だからこその「祀り」であり、精進料理なのではないかと、まぁこれは勝手な解釈ではありますが、それほど間違ってはいないものだと思います。最後の最後で台風や、大雨や、また獣害、更には腐敗に端を発する疫病などなど、これを「免れたい」という「祈り」というのが「祀り」の発端だと思います。

決して今の様に、墓参り、戦没慰霊というようなものだけではなく。もっともっと、昔の人にとって「祀り」というものは深い意味や意義、そして祀る側の感慨があったのではないかと思います。それを含めての「万里一条鉄」。

今日はそんな事を感じた朝の茶会でありました。

夏の雨

暑かったり、蒸し暑かったり、涼風が吹いたり、豪雨雷雨がやってきたり。

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夏らしいと云えばそうなのでしょうか。今年も草刈りに追われつつ順調に収穫も増えて来ました。写真のものは今日の収穫。大体その日の食材にそのまま消えて行く感じです。もう少ししたら収穫量が倍増して来る気配です。草と共に野菜も色々と大きくなってきました。(明らかにこのオクラは大きすぎますが・・・)

自分で野菜を作っていると、もちろん手間も掛かるわけですから、今風に人件費を考えると随分と高額な野菜になります。といっても、「楽しみ」としてやってしまうなら別のことで、世の中には自分でお金を払ってまで収穫に行くという娯楽が一般化していますね。イチゴ狩りなどはもちろん、田圃オーナーなどの話も聞くもので、家庭菜園のために高額な賃借畑をされる方も都会には多い様で、捉え方によって全く正反対の価値観。

まぁ家庭菜園は商売にはなりません。揃わない上に、スーパーの価格に対抗出来ない。やはり量産野菜というのは、一種の魔法というか、味がどうもオカシイ事が多い。その代わりに安い。旬のものなど、しっかり吟味すればそれほど悪くないのですけれど、スーパーに行くと揃った綺麗な野菜や肉魚を求めてしまうのは不思議なもので、場所によって価値観が変わってしまう面白さです。

野菜は、家庭菜園規模でも色々と腐らせてしまうものもありますし、料理人さんの様に端から端までしっかり使い切るという事もそれほど多くありません。それはそれで、畑に戻せば肥料になります。場合によって、トマトやジャガイモなどは翌年に芽を出して来ます。昔であれば家畜が雑草を食べて、クズ野菜なども食べていたのでしょうね。ともあれ一斉に出来るもの、例えばトウモロコシなどはスーパーでこそ9月だろうが売っている一方、実際には一斉に実を成らせて収穫を迫ってくるので、家庭菜園だと一週間やその辺りで食べ切ってしまう様な勢いです。美味しいから好いのですが、これが腐らせる原因でしょうか。同時にバケツ一杯のトマトなども採れるので大変です。

草刈りも、都会ではゴミ袋に詰めて焼却炉へ行くわけですが、田舎であれば燃やして木灰として重要な肥料にします。家畜が居た時代は色々なものが家畜の餌で、収穫の頃には牛が活躍したという話を聞くものですし、同時に家畜の糞なりは良質な肥料。人が全部を食べ切らなくても完全使い切りだったのだなぁと思うと、それにしてもよく出来たものです。色にしても味にしても、やはり自家製で作ってみれば本来の味が得られるもの。

色々と。「本物」って何かなぁという辺りを想いながらの収穫です。

例え北海道産だろうが、量産野菜は量産の味。果物など比較的高級なものを作っている様な方の話を聞くと、大抵本物と贋物の話がある様に思います。高く売れる時期と、最高に美味しい時期の違い。経済的価値と本質的価値の乖離。収入を追う程に不味くなる。しかしそうしなければ農家の低収入では厳しい。最高に美味しいものは作れるが、経済がそれを許さない。いや経済とは世間ですか。料理屋さんの絶品料理と定食も、腕を魅せる様な最高の料理よりも、安かろうの材料で定食作らない事には廻らない事が多い。陶器もそうですね。安かろうの全工程自動機械の量産品だけが世間並みの収入を得るもので、手間を掛ける程に厳しい結果が待っています。

今でもよく分らないのですが。100年前はほとんどに於いて、今よりも本物が多かったようです。200年前は更にもっと多いのでしょうか。もちろん農薬や知識など便利になった面はあるにせよ。

今も昔も変わらないのは空の色や植物の色、自然の色でしょうか。
そして我々は未だにその自然色に勝る色を創り出す事が出来ないもの。

野菜を見ながら、そんな事を考えていました。

錬成会

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さて、2日間に渡る合宿稽古も終わりまして。この行事が終わるとすっかり夏休み?ではありませんが、そんな感じが致します。今年も随分と琵琶湖が綺麗な景色でありました。淡交会滋賀支部の茶会はこちらが会場となることが多いのですが、実際に稼働率も高く、温泉も好く。たまにはゆっくりと来訪するのも好いのでしょうね。あ、琵琶湖グランドホテルです。来週も朝粥茶会があります。

合宿稽古は朝8時開始。夕刻は4時半終了ですが、色々な方々とゆっくり話が出来る機会でもあり、点前だけの勉強というわけでもありません。合宿開始の講演でも訓示が在ったのですが、「点前を習得してから茶の稽古が始まる」という辺りでしょうか。最終的には茶道は人と人の繋がりから来るものですから、点前稽古はもちろんですが、色々な付き合いというものも大事にしたいものです。今回は後片付けまでお手伝いをさせて頂いて。多くの道具類を稽古場まで持ち帰って。いつもながら準備から何からありがとうございました。


今日は土砂降り。

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やがて8月となり、夏も本当に暑い日の到来ですね。

好日

風の涼やかな日和でしたか。家の中に居ると少し寒いくらいの気候でした。

今日は公道の草刈り。いつもの奉仕活動(?)です。夏祭りなどもそうですが、基本的に何か金銭的な見返りがあるようなものでは全く無く、そういったものに終日なり半日なり。昨今はそういった事を非常識と見る様な向きと云いますか、世間一般的な、特に若い人の間で共有されているところの価値観でしょうか。苦労は損、楽しい事は得。

「何も得るものがない」という返答が多いのですが、とはいえ実際にやってみれば得るものもあり喰わず嫌いという事も多いのでしょうか。先入観に支配されて嫌々にする限りは何も得るものがないのかも。草刈りも、僅か半年放っておくだけでガードレールが草で埋まります。特に蔓系の成長力はすごいですね。藤などもそういった意味では非常に生命力が強い。逆から見れば非常に面倒なものですが、稲など夏の収穫物も同じく生命力が強いですね。トマトなどは水も要らず、土にちょっと挿すだけで生え付いて実を作っていきます。

そういえば最近も山を少し歩きました。相変わらず花はありません。これも実際に見てみるものですね。夏のこの時期は草の背も高いので、あまり油断すると道の方向を見失うのですが、本当の山中であれば日がほとんど当たらないので草は生えていません。日当たりのよい処だけに草が大きく成長します。僅かな位置の差ではありますが、その差1つで、10年眠る種もあるというものでしょうか。草花だけでなく、木々の成長も不思議なものですね。松や竹などは非常に生命力が強い。竹は言うまでも無いとして、松もなかなかスゴイものです。実感として目の当たりにした経験がないのですが、松竹梅というくらいですから、やはり梅も生命力が強いんだろうと思います。

という暑い日々。今年も錬成会の合宿が明日明後日。泊り込みでの茶道稽古であります。



色々ありました。

やっと一息。

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土曜日は茶会の前日準備に参加させて頂いて、帰宅しては夏祭りの準備で遅くまで。模擬店は輪投げ、綿菓子、金魚すくい、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくい、光る腕輪、やきそば、おにぎり、フランクフルト、かき氷、イカ焼き、スペアリブ、生ビール、ジュース、バザー。他餅まき神事の餅まで用意して、餅に封入されたクジによる抽選会まで行います。食材調理こそ別ですが、発注から借り出し、整理までを僅か役員3人という仕事なので不足・不測も諸々に。経費を抑える為にテントから材料まで多くの物を自弁します。

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日曜は朝6時半には京都・清心庵へ水屋入り。修学院の近くと云えば分る方も多いのでしょうか。祇園の季節。「心楽五声之和」にて、茶杓は「宵山」。細棗にての長板の取合せ。御点前もさせて頂いて。途中雨もザっと降りましたが、時間一杯まで多くの方が御来訪されて。後半受付をさせて頂いたのですが、「20年来ここの月釜に来ているけれど、今日の御茶は本当に格別でした」と仰って下さる方も居られました。前回お手伝いさせて頂いたのは2年前。色々と思い出す事も多くありました。

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茶会後は、出来る限り車を飛ばして帰路へ。夏祭り当日なれば、急きょでの不足も。食材1つでも、発注の通りには届かない事がありますから、フォローで色々と走り回りつつ。昼頃には大雨も降ればこそ。とはいえ着いた頃には子供が当日券の売り場に行列状態。当日券の具合によっては食材を追加で買いに走りますから、さてさてゆっくりも出来ず。地元甲南太鼓にも来て頂いて、一息つけたのはその時間くらいでしょうか。9時まで御祭り。片付けと御礼賄いで当日深夜1時まであれやこれやと。

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更に翌日は後片付け。朝9時から、前準備したものを全て撤収して清掃まで。実は青年部の茶会の日でもあり、そちらにも本来は走り回らなければならなかったのですが、今年はさすがに無理ということで。朝早くからテントはもちろん、大量のゴミや調理用の鉄板からガス台、冷蔵庫に地区内から掻き集めた机や椅子、諸々のものを処理して、また金魚すくいから綿菓子から、そういったものを清掃して返却へ。当然に支払いの集計も必要。夕方7時頃に解散という辺り。


で、昨日は支払いに走って物品返却。今日もこれから支払いに行ってきます。

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先日書いた良い事。大きな山雲の下、忙しく走り回っておりました。

後日更新を・・・

昨日は茶道の稽古。良い事が在りました。とても記事が書きたい様な話です。そして今日は明日の茶会前日準備、及び夏祭りの前日準備にて。朝4時まで資料作って、6時起床で諸々作業。夏祭りの方は実質3人で計8店舗からの模擬店を、金魚から抽選会景品から、食材から調理機材、各種借り出しに、パックトレイ調達からコンロの清掃整備まで、ともあれほとんど全ての下準備をするものですから、朝から動き回って、ギリギリで茶会の準備にて勉強をさせて頂いて、帰宅するなり家にも入らずに準備作業の続き。

明日が本番なので今日は早めに終わりましたが。さて、明日は両方共に本番です。まずは茶会へ。早朝7時前には水屋入りさせて頂いて準備ですので、今日はもう寝ます。午後帰宅してからは夏祭り本番で、おそらく終わるのは深夜2時くらいになるでしょうか。そんな祇園の祭りの日であります。

いろいろ

ここ数日は夏祭り云々で終日買い出しに行ったり、在庫照合をして諸々の包装資材を買いに行ったり、当日準備の段取りを文書にしたり。模擬店の自治会運営というのも30年近く続いているとはいえ、パソコン云々も最近のこと。申し送りというか、もう経験者しか分らないような感じで出来あがっている部分が多いので、その辺りを色々と。

何がいくつ必要で、その際に何を発注して、という細かい辺りが、その年々でなんとか乗り切っている感じで、年々の経験というものがそれほど活かされる形が採られて居らず、毎年わかりにくい一覧表を元に不安ながらの作業をして、当日に不備を補うために諸々走り回る側面があるようで。合理化が全て良いというものではないにせよ、その遠回りに大きな価値や経験というような必要不可欠なものが無い限りは合理化してしまう事も必要なのかと。無理無駄の無い姿というものですね。

とはいえ。もちろん他の誰もやらないのですが。

当日準備は茶会で失礼させて頂くので、ともあれ前日までの準備段取りをしっかりやっておこうという事で動いています。というわけで、ちょっと更新停滞中でした。明日は茶道稽古であります。

7月

さて、7月ですね。今日は七夕という事で。昨日は夜中2時過ぎまで夏祭りの会議。チケットを作って100件分?くらいの前売り券を再計算&チェックして金額照合して・・・という細かい作業。早く終わる様に手配したはずなのですが・・・という辺りでした。今日は必要な物品を整理してこれから買い出しへ出発です。来週には夏祭りなので色々と準備で終日に。基本的に地元の業者さんに依頼するのですが、色々と居られるものですね。

茶道では祇園祭の季節。来週は茶会水屋にて修学院清心庵。なかなか、秋の七草だの祇園祭という辺りには暗記が追いつかないのですが、梅雨らしい雨が数日続いたことで、草木がすごい勢いで成長していますね。植えておいた花や苗木が雑草に負けてしまうのもこの時期・・・。今年も7月の窯焚きは見送る方向なので一応草刈り、草刈り。野菜も同時に大きくなってくれるので収穫も油断出来ません。

どうも梅雨明け近いらしいとか。我が家も扇風機を出して洗いました。
現代の日本では扇風機が風物詩ですね。いやクーラーかな・・・。

さて、とりあえずそろそろ出立準備なのでこれくらいにて。

室生寺

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今週は思い立って寺院へ。奈良の室生寺まで行ってきました。車で一時間程度の距離。午後になってから思い立ったのですが十分に時間もあり、少し疲れている様に感じていたので、静かな場所でゆっくりとしてきました。写真の太鼓橋は今年の5月に落慶したとか。朱の色彩が鮮やかなままに残っています。

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奥の院は山上に在り、長い階段が続いていました。来るのはもちろん初めてです。女人高野として寺院の名声はよく知られるものであり、歴史の教科書にも載っている様に思うのですが、来客は極めて僅か。奉納?される線香さえも絶えている状態で、2組とすれ違っただけという状態でした。交通の便も悪くないので、ちょっと不思議です。時代が時代であるだけに、木々の大半が文字通りの大樹です。

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門前街は閉店している店が大半。駐車料金が収入でしょうか。山岳信仰とはいえ、本当に山深き場所。龍穴神社へも行きましたが、なるほどこれほどの山奥であればこその竜神伝説なのでしょう。今でこそ車で移動すれば早いものではありますが、古来であれば相当な旅路なのでしょうね。

7月

早くも7月となりました。まだどこか涼風の多いような感のある山里の気候。今年も半分が過ぎたと云う事ですが、なかなか実感が無いもので困ったことであります。

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先日の楽志庵茶会の記事まで。月曜水屋組から日曜水屋組に移籍という事でしたが、御存知の方ばかりにて緊張することもなく勉強させて頂きました。「ベテランの先輩方を中心に全部を見て勉強する様に」というありがたい御指示を頂いて。必要な手配を頭に入れてという差配ですが、楽志庵の茶会では来客も次々とあり、濃茶席との連携もあり、また御客様もベテランの、常連として楽しみにされている遠来の方も居られ、やはり着物の方多く。茶会としても粗漏の無い様に練度の高い動きが求められるので、それだけに思案1つでも経験量が相当に必要なのだなぁ、と感じつつ。

御席は濃茶席にては「用尽一生心」、玉甫紹琮?と聞きましたが定かではありませんです。利休時代の大徳寺高僧で宗旦参禅の師である清巌宗渭の師。こうなれば感想というようなものでも無いものでしょうか。信楽桶の水指に瀬田掃部の茶杓という辺りで御想像の動く処かと思います。

薄茶席は瀧の一字。小野澤寛海老師。一文字の御軸はより一層難しく感じてしまいますが、どこか山中の瀧の感を想い浮かべつつ。瀑布などは別として、山中では瀧が近付くと空気が変わり、どこか神聖な雰囲気が強くなっていく様なものが多く、実際の瀧のある様な場所ともなれば不思議な感覚があるように思います。「実際に自然を感じるために歩かないと駄目」とは宗道師の言葉ですが、感じた事の有無というのは味わいに大きな差を生じさせるように思います。よく陶磁器などでも「知識・知見が無いと楽しめないというのは不親切だ!子供にでも分る様なものが芸術!」というような主旨の思慮の浅い御批判があるわけですが、増して御軸というものは、正に知識や経験から来る味わいなのだなぁ、と最近以前に増して感じています。実際色々な感情移入にせよ、多く感動と云う者は自己の経験や知見というものが関わっていると思うのです。


と、あまり長々と書いてもアレですので。ちょっと茶会の記事まで。
有難うございました。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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