環境。

今日は茶道の稽古。夕刻からは青年部の会議という辺りで、早朝発の夜遅く。明日は仕事が出来そうです。時折に茶道の方が陶芸よりも忙しいのでは?と聞かれることがありますが、時間的優先度としては茶道かな。茶会にせよ稽古にせよ、逃せば次のないものばかり。しかし時間としてはもちろん、本業の方が・・・長い・・・?

というよりも。もはや茶道は大きな陶芸修行の一環です。技術の進捗よりも大事なのが精神修養。技術で進める場所というのは知れているんですよね。技巧の極致なんていうのは、まぁ見事なものは見事なもので、素人さん相手に褒めて頂く分にはこれが一番です。・・・しかし。技術しか能が無いっていうのは・・・一番ダメなんです。技術は目に見えて上達もするし、その方法も比較的分り易く、一定程度まで簡単に達することが可能なのです。極端に云えば、絵付けなら昭和期の絵付けパートおばさんなんていうのも、技術的に達する処まであっという間に達してしまいます。つまり、技術だけで造形なり雰囲気なりというものが全く置き去りになっているような作品というのは、いわゆる明治期の、「超絶技巧だが・・・半面非常に奥行きの無い、薄っぺらい焼物」になってしまいます。現代などはさしずめ「発想は斬新だが・・・(以下略)」というような時代でしょうか。いや、もちろん私を含めての話です。技術的にも現代は退化しています。発想だけが新しい。

大切にするべきは環境。今日の朝の道話は「孟母三遷」でありました。名品に迫る為に必要なもの。それが精神修養であることは、昭和期の多くの大家が共通して認識していたものでしたが、振返って現代、それは全く活かされていない様に感じます。それぞれが自分勝手に、自分の思うままのものを作っているだけではないでしょうか。今更に厳しい貧乏生活はするけれども、厳しい叱責に身を置いたり、弟子入りしたり、そういった精神的な苦難は回避してしまう人が多いのが昨今です。そして同時に、そういったものを鍛えてくれる様な場所や師匠も少なくなっているのかもしれません。私にとっては茶道がその場所なのです。自らの作品の進歩にしても、姿勢や視点というもの1つが進歩しているだけで、技術的な面での進歩によるものはもはやほとんどありません。

例えば山登り1つにしても、視点が違うだけで本当に色々なものを学べるようになった様に思います。しかし茶道が無ければ・・・まぁ、なかなか学ぶ事も得る事も本当に少なかったのではないかと思います。それだけ、今の茶道稽古の環境の恩恵が大きいという事です。技術は集中的に短期間で上達することが出来るわけですが、こちらは一朝一夕には参りません。何を取り、何を捨てるか。色々な方が応援して下さる中で、出来る限りの精進をしたいと思いつつ、悩みつつ。

今日は単衣の着物に袖を通させて頂いて。
清風を感じながらに、改めて稽古に励みたいものであります。
論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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