慌ただしくも

さて、二泊ほどの旅程で奈良へ旅行をして参りました。

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嫁さん方の父君が還暦を迎えられて、ちょっとした旅行など。
奈良なれば主に仏様の拝観でありますから、写真はホトンドなく。

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名産の柿の葉寿司で御容赦を。

と、本日の午前中に帰宅して・・・・

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夕刻まで掛かって何とか窯詰めを終えて。

・・・現在既に窯焚き中!

ボチボチと丸太を放り込んで休息中であります。

ちょっと一息

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今日は窯詰め。旅行から帰って窯詰めの予定が、日程を勘違い。
しかし秋に焚くはずの予定がすっかりと。もう12月ですね。

色々と窯廻りの防寒もやらねばなりません。冬の窯焚きは久しぶりです。

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窯の中も。ウチは伊賀を焼くので灰量が多いのです。珪砂を一部撒いたりするのですが、すっかりと御覧の通り。普通は珪砂が在る程度吸収するのですが、灰が流れて溜まりガラスの状態になっています。ハンマーで叩き割って掃除したりするのですが、なかなかに。碧く濁っているのは珪砂と混じり合って溶けているからでしょうか。珪酸分による乳濁かと思われます。

などと閑に任せて書いている時間も無いので。
あと、少しくメールなども数日返信出来ませんので御了解下さりませ。

今日は早く寝ます・・・って、もう一時半ではないですか!

おやすみなさい~。

う~む

予定が・・・。やっぱりギリギリです。今日から窯詰めに入りたかったのですが。
しかしちょっと予定がありまして。明日明後日と留守に致します。

とりあえずの更新ですいません・・・。


⇒と思ったら、日程を勘違いしていたようで。

窯焚きばかり考えていたので頭に入っておりませんでした。
出掛ける予定は明後日から・・・。

う~む。更に予定の具合が・・・。

ちょっと教室

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自宅でちょっと教室。

窯焚きを目前に色々と忙しくしております。ともあれ処理すべき事柄もあるので、いつも通りにギリギリに廻して行く感じになろうかと。外はすっかりと寒くなって。日に日に紅葉が色の深味を増して行く様子を見ながらに、屋内で手ロクロを廻しております。

と、今日は少々教室的に。薪割りなど色々と手伝ってもらってますが、製作も。タタラの作業を両親に手伝ってもらって。どうもビアマグを作ってみようという話があるらしく、そちらも含めての小皿量産をお任せして、作業に慣れて貰いました。タタラの作業は手間が掛かるというだけで、内容自体はとても簡単。誰が作っても在る程度の品質が保証され、課題となる大きさの不揃いも出ない。むしろ昨今は積極的に採用して、よくよく売っている若手の、特に女性の作家さんに見受けられる。逆にロクロで造った様なものは、機械が随分とロクロっぽい外見を仕上げる技術に卓抜をみせてきて、あまりロクロの魅力は伝わりにくくなっている。職人要らずの時代に、これまた職人と対極の流行をみせているのが昨今の環境であろうか。

ビアマグなんかもね。備前なんかではよく焼成されるんですが、伊賀信楽では比較的少ないかと思います。食器をあまり焼かないのですよね。ただ根本的にはやはりビールの泡が細かくなるので、あれはやはりイイモノです。外見上の見栄えを重視するならガラスですが、泡などを重視するなら焼締。気分的に夏と冬で使い分けてもいいのかもしれません。

昔に一度焼いて、それっきり。今回のはタタラの薄造りを試しに焼いてみます。耐久度的に、奥の方で焼く感じでしょうか。小皿なども焼いてみますが、これもちょっと不安要素あり。さてさてどうなるものであろうか。


ともあれ。え~っと来週に窯を焚くんだっけ。間に色々と予定があるのでややこしい。
ん~っと、再来週か。

と、そんな感じです。あとは小物の製作!

打ち合わせ


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昨日は瀬戸へ。水野師匠と打ち合わせ。来年の二月末から名古屋三越にて個展をされるので。
細々とした辺りのお手伝いをさせて頂く事に相成っております。
順々に試験製作品も出来あがって来て。焼成を待つばかりの品が多く並んでおりました。

紅葉も随分と綺麗でありましたか。工房を出たのは日の暮れた後でしたから写真もありませんが。
いつもながらに薪ストーブが温かい工房でありましたか。

そうそう。陶芸作家さんの薪ストーブってのは便利です。木灰を作るという点、
冬場の乾燥遅延・夜間凍結の防止、ロクロ挽きの水も温まります。

いやぁウチも欲しいなぁと思うのですが、工房はかなり手狭なのです。家での製作も多いです
からね。やはりしっかりした工房を見ると、ええなぁと思ってしまいます。

と、結局天目談義ばかりで打ち合わせはそれほど進まなかったのですが。

来年の2月27日~3月5日が会期とのこと。珍しく食器関連の充実販売があるので、
是非楽しみにされてみて下さりませ。

ようやく

昨日は「調子がどうにも乗らない・・・」と書いておりましたが。

今日になってみると、どうも急に色々と意欲が。日程詰まってきたから?と思いながら。
乾燥期間的に、今は掛け花入などの時間ですが、なぜか花入や水指を作ってます。
昨日ブログ記事を書きながら「兆し」のようなものは感じていたのですが。


とはいえ明日はちょっと遠方まで御出掛け。
さてこそ、ようやく調子も上がって来て、忙しくなってまいりました。

いやいや、よかったよかった。

さて困った

さてさて。正直あまり仕事も進んでおりません。昨日は地元の草刈りなどもありましたが、
それにしても今一つ。

窯焚き前になると自然と気力も湧いてくるものなのですが、ちょっと今回は明らかに遅い。
何もしないという事をしたりもするのですが、どうもぼんやり。僅かに風邪気味だったのは
もう治ったので、まずまずそれではないのですが。

まぁちょっと、窯焚き前に色々と出掛ける予定も入っているので。
済ませておきたいものも諸々と出来ておらず。

う~ん、なんでだ。ちょっと困ってます。

御稽古

今日は茶道の稽古。炉に入って二度目の稽古。台子稽古の日であるので、台子での基礎稽古。炉に入ったことで色々な基礎も思い出しつつの稽古でありましたか。

訓話は稽古について。日本人の特技?として知られる「改善」という事の大切さを改めて訓話頂きました。「せっかくならばより善く」という心構えの上に、色々なものが成り立っていくという日本の素養。昨今はより善い状態というものが、得てして金銭収支など欲望を充たす点を中心に語られることが多いわけですが、素養自体は変わらず備わっているのではないかと思うわけです。

陶芸もそうですが。改善に終わりはないわけで、どこまでも続いて行く。その改善をどこまで、いや延々と追い続けるには、やはり相応の道徳的な精神が必要で、延々と続けるだけの深遠な素地を習得し、修練を続けて行くことを、まぁ随分と概括的ではありますが、「道」といわれるものの本質であろうかと推測するわけです。これが器自体の美を磨いて、せっかくならば茶道の素養を加え、色々な教養を身に備え、茶に相応しい器をと思うわけです。深める程に迫れるのかどうかというのは色々と難しいものではありますが。

う~ん。しかし。言葉で云うのは容易いわけですが、実践となればホント難しいです。例えば今だって、時間が無くなってくればある程度の妥協で窯の隙間を埋める作品を作ったりする場合が、まぁそれほど重要な場所ではありませんが、そういうものを作ることがあるわけです。しかし回数多く焼く事を目的としていた頃と異なって、さて佳い物を焼こうとなれば、勢いそういう仕事は少なくなり、1つ1つ悩むといいますか、非常に困る。悩めば作れるというようなものであれば簡単です。時間を掛ければ出来て来るというものであれば簡単ですが、話はそう簡単ではありません。しかし時間は容赦なく進んで行くわけで、季節気候も変化していく。

本気になればなるほどに、簡単なことが難しい。1つ1つを真剣に作るという事が、本当に難しいわけです。


そんな事をつくづく感じながらに。足の捌き1つにしてもまだまだ。1つの薄茶平点前も本当に難しい。



と、そんな稽古でありました。

案内

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今日は秋の京都へ。友人の京都御来訪ありて御案内でござりました。

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15日。茶道の友なれば、御希望にて天満宮の茶会へと御案内。
今日は武者小路さんの御席で御座いました。

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ついで老松などで和菓子を求めつつ、途上弓の神事を拝見。
なるほど、「破魔矢」という言葉を聞きますが、見れば納得です。
音といい、迫力といい、辺りを払うものを感じるのですね。

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昼御飯は同志社大学付近の定食屋で苦しいほど満腹になりつつ、
午後からは京都国立博物館へ。京都駅から徒歩15分くらいでありましたか。

書聖とされる伏見天皇の書を中核とした展示。私は書には詳しくありませんが、
御友人は書に興味在りて、これが主目的という辺り。掛けモノとしても一級品の
品々と相成りますね。

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博物館の紅葉も美しく。すっかりと秋の彩りが盛りを迎えている様です。

気分転換

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秋ですねぇ。しかしちょっと寒い。妙に体がだるいなぁと思ったら、僅かに風邪気味です。

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今日も収穫。天麩羅にして頂きました。

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少し気分転換にMIHOミュージアムまで出掛けて。土偶展です。
今回は作るものがなかなか浮かばないので困ってます。

といっても土偶を作るわけではありませんが。土偶も祭器。紋様は青銅器系も多いです。
形も、古伊賀に酷似したものも多く。「天衣無縫」などと云いますが、精神的な自由ですね。
土偶も焼物として見れば様々考えられて作られているもの。技術的にも粗末なものばかり
ではありません。むしろ現代の作家にこそあのような仕事は不可能。

と、そんな話はええのですが。

困ったものです。構える程に難しい状態です。

紅葉の頃に

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昨日は楽志会にて。本年最後の茶会でありました。滋賀県に本当の茶会を行う事を目的として設立された定例茶会。常連の方がとても多いもの。ありがたい事であります。茶会前に「落葉した木々の姿こそ、枝葉の無い本来の木の姿」という主旨の訓話がありました。なるほど、御神木とわれるものは皆、樹齢高くして幹の太いもの。細々しく花ばかり綺麗なものは神木にはなれず。また桜の花とて主幹の活力に従う派生物であります。「本当の」茶会という意味は深いもの。ここの記事でもそうですが、茶会の日記に道具組をあまり書かなくなりましたか。それほど意識した事はなかったのですが、茶会の本質は道具に在らずという訓えが納得されてからのものであろうかと思います。もちろん、書かずとも道具自体を出来る限り見て、探求をさせて頂いております。

11月。紅葉の頃は例年炉開きの茶会となる事も多く。時に続き薄という歳もあれば、今年は濃茶薄茶を分けての御席。御客様も色々と想像されつつ、「今年は御席が分れているの?」という辺りの御質問などもあり。私は善哉の係を頂いたので、お越し下さったお客様を確認させて頂いて、少しく寒い道中をお越しいただいた方々へ熱々の善哉を給仕させて頂きました。

なかなかに。例えば定食屋1つにしても、客とすれば美味しいタイミングを要求してしまうもの。ラーメンが延びていたり、冷めていたりしたら興醒めもいいところですね。最初の水一杯にしても、美味しくない水が出て来ると「う~ん」と思ってしまいます。給仕というのはなかなか大変です。不定期に来客される中、善哉の濃さを一定に保ちつつ、それを常に熱々の状態にして、餅も柔らかく茹で上げた状態を用意。食事屋と違い、来客はゆっくり善哉というわけではなく、皆さんが「濃茶席という予定持ちの方々」。時に大勢急に来られることもあれば、少人数が来られる事も。すぐに席に入られる方には席中への給仕となりますから、濃茶席の状況把握も必要。

来客の把握、善哉の良好状態の把握、濃茶席の状況把握。これに善哉の碗を給仕して、引き取りをさせて頂いては洗い上げての拭き上げ作業。全体の把握と、個々の把握と、手順の最適化と、臨機応変と。1つ抜けると様々に破綻が生じますね。1人の御客さんが抜けてもいけません。炉開きの善哉は楽しみにされている方も多いですから、美味しい物を全ての方々に。パッと来られた方に、すぐから熱々の美味しいものを給仕するというのは難しいもの。いつなりと不意の来客に美味しい茶を点てられる様にしてこそ茶人であるそうですが、実際にはとてもとても。

茶道の一服も、一服が美味しく点つ様に、清めの動作を繰り返し、絶対に茶筅の折れたものが入らない様に確認して、また少しでも温かくするために茶碗を湯で温め、、などなど色々な手順を踏むわけです。道具も、美味しい茶を味わって頂くための演出。これらも、手順だけでなく時間的な点でも、色々な臨機応変が可能となるべくして構築されたものなのかもしれません。

っと。長くなってきた。

本席は三条実満公は「紅葉の詩」。炉開き3ベの道具組に、紅葉呉器でありましたでしょうか。


無事に茶会も終えまして。ありがとうございました。

来年の楽志会は二月。しばらく御休みの頃と相成ります。

秋の味覚

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秋の味覚がいつの間にか豊作です。ちょっと見に行っていなかった間に山盛り。
秋の収穫も二年目なので、そろそろ最盛期でしょうか。次の椎茸もそろそろと準備
した方がいいのかもしれません。

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あとは掃除。明日は来客。来客と云っても親父の御客さんでありますが。

場所が場所だけに、大勢さんの集まりにも対応出来ます。昔の家屋は基本的にそういった作りになっていますね。親戚の集まりにせよ何にせよ、大家族と新族が十二分に宴席を作れるだけの場所が作られています。色々な冠婚葬祭が自宅で行われていたのも、こういった家屋あってのものでしょうか。現代の家屋も様々便利に作られている様ですが、なかなか昔の様式だって自由なものであります。

う~ん、ちょっと仕事が遅れ気味。ちょっとやばいかもです。

山里へ

今日は茶道。宗道先生の御供をさせて頂いて。社中の金曜稽古組にて遠路の旅路。
有難く様々に手配を頂いて。私としても久しぶりの旅行を堪能させて頂きました。

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早朝京都駅。乗り込む電車は「特急ハクト」。岡山を経由して鳥取方面へ向かう特急列車。

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カタコト。揺られること2時間。岡山と鳥取の県境の頃合いにある、中国山地の山里にて。

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温かいお出迎えと、見事な紅葉の景色。

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中でも一際見事な紅葉を誇る山里の山荘にて

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美味しいすっぽん鍋の手料理を堪能させて頂いて。
いや何分と初めての体験でありました。

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そしてメイン。山荘なる茶室にて、濃茶、更には薄茶を御相伴させて頂いて。
本当に心尽くしのものばかり。もちろん、勉強になる事ばかりです。
季節のもの、祝のもの。様々手を掛けて用意頂いたものばかり。

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里は山深き中国山地。宮本武蔵が生誕の地。

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心尽くしの歓待に名残を残しつつの日帰りにて。



いやいや、素晴らしい1日、誠に有難い1日。
感謝感謝です。ありがとうございました!

冬備え?

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ここ最近はイタチごっこをやっておりました。夜中になるとゴソゴソと。ちょっと留守にするとガサガサと。
パンが御好みのようでありまして、長々と滞在してご丁寧にトイレまでして御帰宅されるという有様。

ホント、寝た直後に来ます。気配感じて居るのでしょうな。

ちょっとリフォームが手抜きの箇所がありまして、写真の床側面が張られておらず。といっても応急の補修はしてありまして、僅かに数センチの隙間でありますが、これがなかなかに。イタチさんは冬が近くなると御在宅されまして、ネズミ捕獲機を設置してみたり色々してみたものの、なかなかこれが捕まりません。現場を見るのがようやく。ちょっと色々と被害があったので困ったものです。とりあえずもう仕方が無いので完全封鎖。これはこれで玄関からの勝手口が塞がれるので不便ではありますが。

冬が近くなって。どうもエサが無いのでしょうな。野良猫さんもよく縁側で昼寝などしつつ、こちらが通りかかるとエサを要求する始末であります。前はすぐに帰って行ったもので、一度やればしばらく来なかったものですが、最近は毎日来るようになってきましたか。動物の様々な動きにも冬を感じるこの頃であります。

冬近し

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すっかりと冬が近くなりました。親が吊るし柿を作っておりましたので見学しつつ。風物詩?の1つかもしれませんが、実際に田舎では各所で吊るされています。しかし街中で見ることは滅多にありませんね。柿の木自体はまだ見る事があるかもしれませんが、相応に豊作?でなければ難しいものでしょうか。正月の縁起物?でもあるようです。新しく植える場合も富有柿が多いですので、あまり渋柿の形は少ないのかもしれません。

製作はボチボチ。古作から色々と学ぶ写しの仕事は、手慣れた側面があるので進み易いのです。もちろん難しさに関しては別問題。それはよいとして、そこから得た伊賀の特徴を活かして自分なりに・・・となれば、これがなかなか、伊賀の風格に近づくものは作れないというのは悩みであります。どうしても装飾を入れると花入が強く出てしまう。装飾がありつつも、花を阻害しない。非常に精妙なものが古作の名品。もちろん、古作にも装飾過多と思われるもの、また明らかに物足りないものというものがあるわけですが、そういった辺りと肩を並べてみても、「昔のものにもあるよ」などと言い訳にこそなれ、自慢にはなりません。

と、色々と古作を写してみようとすれば、なるほど古伊賀の名品を作った陶工さんにも手癖・常套手段というものが見えてきます。古い名品はほとんど同じ系譜の手法による製作が多い。実際的にそれほどの人数が形を任されていたとは考えにくいので、精々5人くらいではないかと思われます。名品を作っていたのは1~2人くらいというのが実感されるところです。

いやしかし。桃山時代の花入などを並べてみても、伊賀の腕前は卓越しています。織部系の備前、志野、唐津などの古作花入と較べれば一目瞭然です。なかなかそこに迫るのが難しいのは当然なのですが、さてさて。ともあれ頑張っております。

開炉の頃

11月になりまして。稽古場も全ての炉が開かれて、気候もすっかりと冬支度でしょうか。善哉を頂戴しての稽古も1つの楽しみであります。亥の日は26日で在ったそうですが、なるほどちょっと亥の日と言われてもなかなかピンと来ないのは勉強不足であります。

ただ「陰の日」と言われても以前なら「・・・そうなの?」という感覚でありましたが、昨今は日没にせよ気候にせよ、何か境界となるような時節を感じることも在り。例えば昨日今日。周囲の木々が、目に見えて紅葉を始めました。色々なものが同時に紅葉を示してくるものですから、「折り返しの日がなんとなく在ったであろう」ことを感じるわけです。きっと昔の人はもっと自然に鋭敏だったろうかと思いますから、明確にその日を感じたりしていたのではないでしょうか。

色々な自然の動きを知るほどに鋭敏になるもの。空の色なども好い指標でしょうか。個人的に空の色、奥行きの変化は楽しい物だと思います。もちろん住居する地方にも拠るのでしょうか。有田などは尖った山が多く、中国地方はこんもりとした山多くして、近畿地方は比較的なだらかな山が多い。関東などは平野ですね。それぞれに空の脇役である山並みも変わります。空が澄んでいくほどに月も綺麗なものですね。

正月。炉。実際本当に寒くなって、火が欲しい季節。炬燵やストーブも使ってます。古い日本式家屋は寒いです。野菜もちょっと狭間でしょうか。色々なものが一度停まって、これから色々と動きだす時期。自然に準拠して正月を決めるなら、なるほど今の時期というのは始まりの季節であることを感じます。


さてさて。炉の季節。またぞろ勉強の課題も多くなって参りました。


老子読解 その八

よし、老子の勉強をしよう。

>
微明第三十六
之を廃せんと将欲せば、必ず固(シバ)らく之を興す
>

衰退の前には隆盛の時期がある。陶芸史などでもそうであるが、伝統工芸全般に於いて、常に隆盛していたものというのはホトンド無い。十数代を数える名家といえども、多くは江戸時代に衰退期がある。歴々たる茶道宗家なる千家でさえ衰亡の危機があった程であるからして、何事も一時の隆盛ばかりを夢見ていては難しいのだろう。最近の陶芸史に於いても、例えば21世紀の前半は凄まじいまでの瀬戸窯隆盛期であるが、21世紀の末、バブル期を過ぎて自らの膨張を制御しきれず、以降は墜落するが如き凋落の憂き目を見ることとなった。バブル期を経て、その過剰なる大量生産技術が機械と共に中国に渡り、日本どころか世界の窯業を苦しめている。目先の利益に囚われてしまう事の愚かしさであろうか。

>
為政第三十七
欲せず以て静かなれば、天下将に自から定まらん
>

無欲に、鎮かにしていれば天下は自然と安定に向かうもの。先の三十六の例を見ての様に、淡々と自分の手仕事を守っていれば今の凋落も無かったであろう。あれよあれよと、作れば売れるというような時代に任せて好き放題をしてしまった結果が現在のもの。町や村にそれぞれ小さな職人が居て、それぞれの領分で仕事をしていた時代であればこそ、天然資源である良質粘土の枯渇など生じるわけもないのである。この緑豊かな日本で山林資源が枯渇したことがあるわけだが、やはりこれも戦国時代の大量消費。田舎の役所は人口増に躍起になって、新興住宅地の開発にいそしんでいるわけであるが、税金が欲しいがために街並や住民環境は悪くなる一方である。伝統的な木造住宅の衰亡も同じ理由だったという話であり、まぁともあれこの手の切り口が色々な伝統を破壊してきたのである。明治維新とて、古来の日本文化を捨てずに改革出来ればこそ最上であっただろうことは言うまでも無いだろう。古来の寺社仏閣仏像を壊したあの革命が、「西洋的な観点では理想的な革命」であるらしく、今も左様に歴史教科書では教えるわけだが、さてどうだろうか。

>
論徳第三十八
上徳は徳とせず、是を以て徳有り。下徳は徳を失わざらんとす、是を以て徳無し。
>

自然に振舞って徳に叶ってこその仁徳。仁徳者として人に認識させるような行為は本物の徳ではない。茶道にも「叶うはよし、叶いたがるは悪し」と云う言葉を聞き及ぶのであるが、おそらくこの思想が根底になっているのだろうかと思う。茶陶にも「無作為」と「無作為の作為」の違いが指摘されるもので、非常に難解なもの。上辺だけそれっぽくするのは容易であるが、淡々と作って自然とにじみ出るようになるまでには遠い修練が必要だとされるもの。現代は「上辺さえよければよい」として、ちょっと「見分ける力」の欠如を感じるといいますか、見る方もネットやらの即席知識で色々なことを知ったつもりになってしまう面がある。そんな時代だからこそ大切にしたい言葉でしょうか。

>
法本第三十九
玉の如くならんと欲せざれ。落々として石の如くあれ。
>

栄誉を求めることなく、路傍の石の如くなろうとすべきである。宝石は確かに美しいもの。しかし路傍の石、例えば御地蔵様、また古い寺院の苔蒸した燈籠石も劣らずに美しい。桜の華やかさに対して枯淡の美を賛美するのは茶道の特権と思われ勝ちであるが、思想原典とも言うべき老子にしてその思想を見出す事が出来る。「落落として」とは枯れ果てた状態の事を示すものであるそうだ。その賛美が仁徳、道徳へと繋がる道であるという点、全く道教と茶道は軌を同じくしているように感じる。

>
去用第四十
天下の万物有より生じ、有は無より生ず。
>

全てのものは無(道)から生じている。茶道というものは奥深いもので、様々な自然からも道徳を学べと訓えてくれる。そうして実際、例えば苗1つにしても、若い頃に添え木をしてやるだけで真っ直ぐに伸びるし、樹木も不要な枝を払ってやれば高く太く成長する。人間だけが道徳だのを心得ているわけではなく、むしろ自然に学ぶことは多くして、「人間どころか、万物にこそ道徳が在る」と言われれば、なるほど感心し、学ぶ様になったこの頃であります。最高の美にしても、多く自然のものが最高美を持っています。日々変化する青空、夜の星空、風の音に気温、虫の音。歴史を越えて愛され、いつまでも変化を失わないもの。誰もが毎日眺めることが出来る。何も代価は要らないし、それぞれの場所に、それぞれの青空があるわけです。なんと贅沢なものでしょうか。その上にして、そこには学ぶべき道徳が在る。これこそが老子道教の思想の根幹でありましょうか。


今日はここまで。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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