秋もそろそろ

なかなか紅葉も進まないのですが、各地名所では色々と見事な紅葉も見られるそうであります。あまりテレビも見ないのでそういったものを映像でさえ見ていないのですが。

製作はちょっと漠然とした日々。何か煮詰まらない感じです。

昨日は宗道師の御供をさせて頂いて京都へ。小唄の御家元主催の懇親イベントと申しましょうか、そういったものを拝見させて頂きました。なるほど日本文化とはいえ、全く見た事も無ければ、豆知識さえないというものは数多くあるもので。特に小唄や落語などは、ハテちょっと話を聞いて、本を読んでみた所で何1つとして得られるものの無い部類。実際に見たことがあるか、無いかというのはとても大切なのですね。御家元の唄も聞かせて頂いて、誠に勉強になりました。

小唄というものも、陶芸も色々と苦労が多い者ですが、較べれば余計に色々と継続には苦労されていることでしょうか。小唄も1つの芸道という話を聞きましたが、なるほど三味線が唄い手に呼吸を合わせている様子、唄の内容もあれば、拍子もまた独特。少しだけ小唄をやってみようという趣向がありましたが、なるほど日本人とはいえ西洋式の音楽気風が染みついてしまっていて、あの独特の間の取り方が巧くしっくりと来ないわけです。音階も12音階に定まっているわけでもなく、いやある程度の法則性には近似したものがあろうかに思いましたが。そういえば御経1つにしても日本では抑揚に独特なものがあるわけで、そういったものを感じる場というものは非常に少ないのではないでしょうか。演歌くらいかな?まぁそれもあまり聞く人はいないわけですが。

邦楽。日本式の音楽。それでさえなかなか。ホント今は音楽振興といえばライブイベントであったり、また西洋式の演奏楽団であったり、コーラスであったり、日本式のものは・・・精々が夏祭りなど、子供の和太鼓くらいなものでしょうか。基本的に賑やかですね。静かに聞くようなクラシックにしても、西洋食器宜しく、基本的に華麗壮大でを旨としている側面がある。ゆっくりと端坐して聞くような、例えれば黒楽長次郎のような音楽というのはなかなかありません。そういった風情はやはりちょっとした座敷音楽、または自然な静寂などにあろうかと思うわけです。同じ音楽とはいえ、やはり現在の嗜好は西洋的です。日本的なものを、強引に西洋的な方向性に捻じ曲げて、御経をロックにしてみたり、三味線をギターのように掻き鳴らしたりして、「新しい」と言ってしまう、素晴らしいと褒め称えてしまう、「発想が斬新」などと迎合してしまうのが今の日本の持つ文化嗜好。いやいや、利休様の時代とて僅かな期間で文化性の改革が行われたわけですが、同じく僅か戦後50年で文化というものが様変わりしてきている。そんな歴史を実感するわけです。


ん?なんか批判的な感じですが。変わるものは変わってしまいます。

日本文化が持っていた深度が現代人の嗜好によりどんどんと逆方向、つまり浅く浅くした方向性に呼び込まれてしまっているわけですが、その方向性もはや50年。産まれた頃からその文化に居る新しい世代にとっては、そういったものが新鮮ではなく普通なもの、平凡なものとして映ってきます。例えば若い人でも古民家に面白さを見出す人は非常に多く居るわけで。どんな形であれ、そろそろと次の世相が始まるのかもしれませんね。

淡々と

最近少しく更新が少ないのは・・・単純にネタ?が無いからでございます。

日々の仕事は製作。それほど数多く作るわけではなく。実際的な製作所要時間はそれほど長くありません。時間的には、数時間置いて改めて確認しての手直しなどありますが、時間効率は完全に度外視しています。時間を掛ければよいというものではありませんが、さりとて時間を効率に使えば好いというものでもなく。良いものを作ろうとすればするほどに、それ自体が随分と奥の深いものである事を感じます。最終的には技巧よりも、自分の眼や教養の深さ、修養を背景とした美学でしょうか。う~ん、こういってしまうと安っぽい感じになってしまいますが、実際そういうものなのではないか、と昨今考えています。

伊賀。色々と書いても好いのですが。色々と名誉他様々に頂いて。より一層の勉学をと思ってみると、なかなかまだまだ、未熟な知識を披露する程の自負には足りませんので、何を書いてよいのやらという辺りです。本当に深く識る人は語らないものだそうですが、言葉だけを知るよりも、感覚的に時々感じることがあります。まだまだ知らぬことが多いので、今の段階で結論?というか、そういうものに至ることの浅はかさと申しましょうか。形についても奥が深いものですが、理論についても、固まってしまえばそれまでと申しますか。勉学するほどに、色々なものを考えて、それに修正が必要な事に気が付いて。それの繰り返しという辺りです。


ともあれ。更新が少ないというのも何ですから、追々に考えて行きましょうか。

と、3日ぶりの更新でありました。

御仕事。

すっかりと寒い風が吹いておりますか。天候もようやく回復。

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少し盛りを過ぎてしまいましたが、近くのコスモス畑。畑と云っても休耕田です。

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冬野菜も育ってきています。寒い中育ってくる植物は、形も力強い気がします。

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ともあれ鋭意製作中。寒くなっているので室内で作っております。

淡々と。以前ほど気負わずに作れている気がします。

昨日と今日と

昨日は水屋方にて。

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主茶碗には拙作の粉引茶碗を使って頂いて。直方さんの細水指にて約200名程の方々に呈茶。呈茶と云っても点前をする事もあり、中置きを繰り返し点前させて頂きました。御軸は大徳寺橘宗義和尚にて。奥の深い、とても感じる所の多い言葉。御軸の言葉って奥が深いんだなぁ、と、大きく学ばせて頂いた御軸の1つ。そう、この御軸好きなんですよ。


で、本日は献茶式への参列。

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多賀大社献茶式の協賛席にて。拙作の伊賀花入で御座いました。誠にありがたい限り。いつも思うのですが、茶花。自分で入れてみて思う事には、なかなか寿老人のこの形は巧く入れることが出来なかったのですよ。その意味でも非常に勉強になり。もちろん感謝もあり。花入も活きるし、もちろん花も。相互に活かすというのは、言葉で簡単なようでありますが、実践はとてもとても難しく、奥の深いものであることを想います。

軸は「水急ニシテ月流レズ」という言葉にて、茶杓は大宗匠の「仙境」。

2年程前の拙作ではありますが。活かし方によってこうも好くなるものであるのだなぁ、と。


ともあれ感謝、感謝であります。



よし!次の窯も頑張りましょう!

冬の気配

昨日・今日は天気も好く。まだ10月も後半でありますが、随分と冬の気配がします。山の秋は短いのですよ。

昨日は茶道の稽古にて。炉の点前も含めての稽古。茶通箱の点前に且座の稽古をつけて頂いて。存外に炉の点前も染みついているもので、それほどに戸惑う事も無く。毎年の稽古が身についてくれているということでしょうか。やはり継続というものは知らぬ所にも色々なものを蓄積してくれるようで、地味ではありますが大切なのですね。

朝の講話では侘び、名残の季節について。慣れて来るとついつい、こういった基本の話について、ともすれば分ったつもりになってしまいるようで、様々指摘を受け、話を聞くなかで改めて考える事も多く。書籍を勉強したからと云っても、読み返せばびっくりするような発見があるように。読んだ、読んだと思って分ったつもりになるのは浅はかなことですね。

侘びの講話も。伊賀は侘びの道具なればこそ。分っていなければならないし、日々深く考えなければならない大切な点。言葉でこそ色々と表わされておりますが、軸の言葉と同じく、含蓄の深さを改めて感じつつ。あぁ、侘びってのはこんな雰囲気、気分になるようなものであるのだなぁ、と、伊賀水指の製作を始めているので深々と考えさせられました。

そうそう。製作には取り掛かっております。ちょっと遅れ気味なのでも少し迅速にやらなければならないのですが、ボチボチと。外はもうすっかり寒いのですよ。なので家の中でやっております。秋の日射しは温かいですが、なかなかに秋の風には冬の気配。近くではコスモスが綺麗に咲いています。時間があればちょっと写真でも撮ってきますね。


でわでわ。明日も茶道にてお出掛けなのですよ。


試験の結果

昨日から引き続いての雨。ホント朝は冷えます。

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手配しておいた薪材が御到着。いつもありがとうございます。
んでも・・・今日は少し頭痛という辺りで少し寝ておりまして。

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とりあえず昨日の試験結果。ちょっと還元掛かってますか。
しかし雰囲気は少し落ち着いたけれど・・・う~ん。

ただ形は少し好くなった様であります。少しづつの進歩。
皆さんも風邪には気を付けて。ゆっくり寝ましょう。

試験試験

今日は試験窯を焼いてます。

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大して変化のない可能性もあり、それとも巧くいくのか、逆にダメになるのか。
今日は雨が強く降って。土掘りに出掛ける予定でしたが、さすがに難しく。
とりあえず昨日に掘った分を粘土に仕立て上げて。

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あとはゆっくり。最近嫁さんが色々と菓子を作ってくれます。

試験窯は・・・なんだか落ち着かないのですよ。
日付けが変わる頃に焼き上がる予定です。

世間の価値観と

今日は街中へ買い物へ行っておりました。栗が美味しい季節でしょうか。栗を拾って今日は菓子なども作りつつ休日を過ごしておりましたか。ちょっと近隣で新しく出来た喫茶店へ行ったのですが、昨今は色々と流れも違うようになったのであるなぁ、と思ったので感想文まで。

う~ん。その店は手作り多くして。木工職人さんの手になろうと思われる机に、手塗りしたであろう漆喰、古民家から貰って来たと思しき梁が色々と巡らされて・・・というもの。昨今は色々と退職されて色々なことを始める方が大勢おられる時節ですから、こういったものは各地様々にある話だろうかと思います。

んで・・・・ゲッソリとしてしまったのがコーヒーカップ。いわゆる流行ものと云いますか、昨今は訓練校などを出たばかり、陶芸教室上がりなどの非常に未熟な、熟練の腕もへったくれもない作家モノが、なんともよく売れているのです。技法もね、分っている者からすれば常套手段的と申しますか、「陶芸雑誌そのまま」というようなものも多く、装飾についても「某作家デザインの流用」という辺りで御座いまして、誠に陶芸教室に毛の生えたような品物なのです。

今は・・・露出の多い若手作家にせよ、こういった品がまずまず普通に紹介され、取り上げられることも少なくありません。オシャレ?と申しますか、デザイン的には聞くならく「伝統の器なんかより絶対こっちを買うよ!」という反応が多く、要は女性的なデザインであります。いやもちろん手堅く作っている人も多いわけですが、中にはデザインだけで非常に腕の悪い、実用品として果たしてこれはどうなのか?というような水準のものが、なんとも見受けられる。そして買手にはその区別が付いていないのですね。

具体例を出せば、例えば粉引。これはもう定番的に決まってます。これに可愛らしい模様と形を与えるのは、もう基本中の基本として世間に出まわっています。んで、粉引ってのは陶芸雑誌とか陶芸技法書を見ると「低い温度で焼く」などと書いてあるものですから、その通りにやってしまうわけです。もうほとんど焼けて無い、スカスカの器。水も浸みるし、耐久度も著しく低いものです。で、これに「とりあえず撥水剤」をやってしまって、水漏れを止めただけで「立派な商品」として売るという・・・。もうね、何の実践もないわけです。本読んで、レシピ見ながら作る料理で「専門料理店」を立ち上げるような、そういう感じのもの。

とはいえ・・・B級グルメにせよ、素人料理だからと云って馬鹿にするようなものではないわけですが。

こういう器を作っていても「売れっ子作家」さんになってしまう。何と云いますか、日本人の器に対する教養と云いますか、文化教養と云いますか、そういったものに思想がない。質実な器を好んでいた日本の高度な文化嗜好が失われつつあるわけです。もちろん何を高度とするかは自由でありますが、この延長線上に、例えば精緻なる宋の焼物群、また井戸茶碗を見出したり、桃山陶を創り出したような、いわゆる歴史的な名品というような、世界に誇ることの出来るもの、陶芸史に誇るべきものというものは、決して産まれ出て来ないわけです。

個人の嗜好、個人の自由。そういったものを大義名分にしてしまって、眼を磨いたり、美に思想を見出したり、また工藝について勉学をしたり、そういった努力を完全放棄しているのが現状ではないでしょうか。個人の嗜好も大いに結構、個人の自由も全く大賛成でありますが、だからといって勉学も努力も無しで、好き勝手に選ぶ。そんな所作から選ばれた工藝が、果たして文化度の高いものでありましょうか。本来いかなる芸術家にせよ工藝家にせよ、自らの感覚、わかりやすく云えば「センス」を磨くことには懸命であります。何も磨いてない徒手空拳のままで、センスの好い選択・選別が出来るわけがないのです。

個人の嗜好・個人の自由。大いに結構ですが、今の状態は買手・作り手共に「単なる怠慢」と見える側面があるやに思います。お互いに水準の低いままに賛美をし合っていると申しましょうか。程度の低い器を「芸術的だ!」などと持ち上げて、程度の低い買手をも「選ぶセンスがいい!」などと持ち上げる。なあなあの談合ではありませんか。個展会場からブログやフェイスブックなど、こういった会話のやり取りは非常に多いわけです。厳しい指摘をする人も居なければ、悔しい思いをバネにして自らの感覚を磨くこともないという状態で、さて、日本の工藝はどうなっていくものか。死滅しつつある職人の技は、、無為に個人の自由を賛美する作家には伝達されていないのが実情です。


う~ん。ちょっと今日はこんな事を想いつつ。

批判はあまり載せたくないのですが、たまには長文を書いてみました。

とはいえ。

それぞれに、それぞれの道を進むだけであります。

土の前に

今日は土掘りへ。もう少し早く動いておくべきなのですが・・・

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こんな感じに草を押しのけて行かないといけないので・・・

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重機を稼働。草を抑えても今一つだったので

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結局草刈り機で道を作って

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粘土層をいくつか新しく掘ってみたり。


なかなか良さそうな粘土は見つからず、いつも通りになりそうですが。バケツに土を盛って運ばないといけないので、草多いままではなかなかに思う様に運べないのですよ。もちろんマムシなども危ないので道の整備は大切。本格的な冬になれば草もないのですがこういった作業もあります。

たまには

昨日は村の運動会。スポーツフェスティバルというやつでございました。体育協議会の理事さんを仰せつかっていたので朝から夕刻まで動き通しという辺り。翌朝の今も少々体が重いようでござります。

写真を・・・と思ったらそんな時間も全く無く。丸太切りを始めとして色々と変わり種と申しますか、とって付けたような種目では無く人々が楽しいものを考えた種目が様々。昔は餅つきも行われていたらしく、収穫祭も兼ねていて。今年は新米を使ってのポン菓子を作るべく機械を借りての作業もあり。

さてさて、もう月の半ばではないですか。


ちょっと急ぎ足で穴窯の準備に取り掛かります。体は重いのですが・・・。

秋は色々と

昨日は茶道の稽古。今日は運動会の前日準備という辺り。なかなかに閑の無い生活でしょうか。


茶道では開炉。大きな炭を熾して、最初に炭を入れさせて頂きました。茶では名残の季節と言われる季節ですが、最初の頃は「やっぱり風炉より炉の方が御茶らしくてええなぁ。炉は嬉しいものだ」などと思っていたものですが、今となっては「もう風炉も終わりかぁ」という感慨もあり。台子などの荘厳?な点前を見ていると、なるほど風炉の良さというものも奥深いのだなぁと感じる面もあります。季節としてもすっかりと寒くなりまして、朝晩はかなり冷え込みも。そろそろと田舎では暖房の用意でしょうか。

で、あとは茶碗の試験焼成。多分・・・いや、とりあえずもう一回焼きます。それで考えている試験が一段落。うまく行くとよいのでありますが、はてさて。とりあえず今日に茶碗を40ほど削り仕上げを行ったので、今週中には一応の結果が得られる予定です。少しは形も・・・よくなったかな?というもの。


ついで今日は運動会の前日準備。

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2週間前にトラクターでの整地から草刈りを行ったものでしょうか。明日が運動会なれば、白線を引いて、テントを設営して。80件ほどの集落ですが、テントの数は10以上。設備はすっかりと一流で、今年はポン菓子の作成もあり。もちろん例によって酒盛りもあり、一日仕事に近い様な辺り。今年は役員なので色々と。明日も早朝から終日駆けまわることになりそうです。


さてさて。世間でも運動会の季節でしょうか。怪我のないように頑張りましょう。

いろいろと

田圃もすっかりと刈り取られて。地区では減反政策による休耕田にコスモスの種が播かれており、丁度見頃。1つの村興し事業であります。秋の季節、皆さまもお忙しいことでしょうか。

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21日にはコスモス祭り?でありましたか。色々なイベントも、昨今は茶会と被る事が多くあまり参加しておらず。今週末には運動会があり、そちらは役員故に色々と駆り出されることになっております。

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栗が獲れ始めて。こういった秋の実は、それこそ植えておくだけ。水をやるわけでもなく、毎年に実を頂戴するものでありましょうか。何ともありがたいものですね。

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仕事は少し茶碗を。も少し茶碗の形に追及が欲しいのです。
伊賀用の粗い粘土に切り替える前に、少し挽き貯めております。

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あとはガス窯。釉薬の調子を一段と改良するための試験。
さてさて、巧く行くものかどうかという辺りです。


いろいろと収穫が楽しみでもあり。忙しい中ながらに楽しみたいものですね。

老子読解 その七

たまには老子の勉強を。

>
偃武第三十一より抜粋
兵は不祥の器、君子の器に非ず。
>
偃武とは「武を休める」の意。「武器というものは不吉な道具であり、止むを得ず用いる道具である。」という辺り。現代も随分と強権発動と申しますか、弱肉強食と申しますか、相手を攻撃する事で自らの目的を達成するというコトが、まずまず「当然の権利」の如くに横行していることを感じることがあります。商売1つでも、近江商人的な三方良しではなく、相手の弱点を突いて、例えばコンビニ1つにしても、家電量販店にしても、共存という世界ではないようで、わざわざに近接して店を構える事例が、どうも田舎でさえ見られる世の中。著名作家、売れている作家の作品を模倣して、より安価で販売する。こういったコトも日常茶飯事です。それぞれが、それぞれの腕を磨いてこそ、名工の多き時代となるのでしょうね。

>
聖徳第三十二より抜粋
候王若し能く之を守らば、万物将に自から賓せんとす。
>
「道を踏まえて行けば、万事がうまく運ぶ」という辺り。王や候、現代で云えば大臣や知事という辺りでしょうか。高い地位に在る人が道を踏まえているかどうかというものが、老子の思想では非常に重要視されています。現代の政治家さんにも道を守って、信頼されるべく道義を大事にして頂きたいものでしょうか。実際、日本にせよ中国にせよ、過去の大半の歴史に於いて、政治を任される者というのは道徳学問の探究者でありました。実際色々と思うのですが、例えば工芸界1つを取って見ても、大きな権力を持つ方々が子弟の引き上げに注力したり、自己の好む系統ばかり、また対立派閥の意図的な妨害など、惜しむらくは様々な側面があります。「上座に据えるべき人物を誤まると、万事が逆に滞ってしまう」と解釈することも可能でしょうか。

>
弁徳第三十三より抜粋
人を知る者は智、自らを知る者は明なり。人に勝つ者は力有り、自らに勝つ者は強し。
>
他人の事を知っているよりも自らの事を知る者こそが本当の知者であり、他人を打ち負かす力持ちよりも自らに克つ者こそが本当の強者である。という辺りでしょうか。禅は自己修養を基本とし、他者への祈祷なども行わない。何より自己修養。そういった思想の根源を示している文章かもしれません。三十二の文言と合わせれば、自己の徳道を守る先に、万物の慈雨を見ているという話。自分の事というのは指摘されなければ分らない点多くして、自らの欲望にもなかなか打ち勝てないという日々。こんなことではイカンのでありますが、なかなか難しいもので御座います。

>
任成第三十四より抜粋
聖人、終に自ら大とせず。故に能くその大を成す
>
以前にもこの問答は在ったかに思います。大きな功績を得ても尊大とならず、功も誇らないでいてこそ、聖人として大道を成すことが出来るという話。陶芸では「無作為の作為」が相当するもの。自ら無作為を狙えば、それは作為。無作為を狙わずに、ただ淡々と自らの眼を磨き、腕を磨いていく先に、「本来の無作為なる美」が宿るものでしょうか。昨今は芸術的な観点から個性だの創作だのと申しますが、狙い澄ましている限り、言葉ばかりを並べる限り、また上辺ばかりの無造作を無作為と言い換える始末。ここに於いて、さてさて歴史的な名品の如きものは産まれる筈もなし、と、そういったコトを想うのであります。「成るに任せる」という章で在ります。

>
仁徳第三十五より抜粋
楽と餌とは、過客止まる。道の口より出づるとき、淡としてそれ味無し。
>
人々の耳目を集め、立ち止まらせるもの。楽曲に御馳走。西洋風のレストランには美味なる食事に流麗なある音楽が鳴る。華美な装飾に人々は喜び、平凡な黒一色の色彩には見向きもしない。得てして国宝を始めとする茶碗にせよ、全く地味なもの。仁清などの装飾ばかりは喜ぶ一方で、なかなか黒楽や井戸茶碗の美を喜ぶ人は少ない。儒教論語が日本の教育から去って、果たしてこういった美学を理解出来る人々が今後どれほどに育ってくるものでしょうか。「長次郎の精神美」などという話を、どれほどの若手陶芸家が理解しているでしょうか。でも実際、人々が足を止めるものが、年々と華美なもの、楽しいもの、娯楽性に富むものへと流れております。「時代に適応する」などと言えば聞こえは好いのですが、果たしてこのままでよいものなのでしょうか。最近は「淡」という言葉の奥深さが、浅いながらに少し見えてきたように感じます。


祭りの頃に

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昨日は楽志会の定例茶会にて。拙作を御使用頂いて誠に有難い限りでありました。茶会は何にせよ好いものですね。誰もが楽しそうにして、また緊張しつつも色々な事を学んで。誰もが色々なものを得ながらに、楽しいものとなれば尚更に。いつも楽志会の水屋に入らせて頂くと感じるのですが、花1つにしても学ぶ事が多く、その他様々、ともあれ知らぬ事、全く能力の無いものが沢山あるものだなぁと反省するわけです。花を育てること1つにしても、一年に一度しか咲かぬものがほとんどですから、花というものは桜に限らず、年に一度しか会うことが出来ないわけです。その色や育ち具合をうまく活かして花を飾るとなれば、なかなかこれは修練も長いものなのでしょうか。年に一度の収穫期。少し一休みをして、一服を頂戴するというのも有難いものですね。

そうそう。信楽焼祭りも最終日にて。閉場の頃に帰着したので昨日は失礼をしておりました。今年は例年よりも少し温かかったように思います。来場者数も最終日が一番多かった?のでしょうか。ちょっと、新しく配合した鉄釉はあまり今年の来場者の方に受けるものでは無かったようで、いやいや難しいものですね。とはいえ売り場が変われば売れることもあり、様々です。展示で茶道具を主役にした形にしたものですから、全体として少し堅苦しい感があったかもしれませんね。

ただ一方で。今後色々と御世話になりそうな、古材を専門とする木工職人さんと意気投合させて頂いて。自然を活かして、作為を排除して、ただ素材をそのままに活かしたものを製作されている方。近いうちに遊びに寄せて頂くべく、新しい楽しみが出来ました。何くれと収穫はあるものですね。


さてさて、薪窯へ向けて。来月に焼成予定です。頑張りましょう!

2日目

信楽焼祭り作家市、2日目でござりました。例年日曜日は家族連れ・ペット連れが多いので、来客多くしてもあまり買い求める方が少ないという辺り。昨今は陶器も鑑賞用といいますか、それほど実用性が重視されていないような感もあり。作家側も実用を離れたものが多い様に感じます。丈夫なものではなく、薄くて軽いもの。和風ではなく洋風的なもの。

大枠の中でも、例年何が売れるかというのは、カップだったり皿だったり、小物だったり大物だったり、つまり見当がつかないものですが、今年はカップ類が多いようです。結果論で言ってみれば、まだ少し日中が暑いからかもしれませんね。ウチは・・・カップとか皆無なのですけれども。

明日はちょっと不在します。楽志会の茶会にて水屋を勤めております。
三時頃には戻ってくるかと思いますが、明日は四時半まで。

ともあれ明日が最終日。宜しゅうにお願い申し上げます。

あれ?

さてさて初日ですが・・・

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今年はダメっぽいです。出店者数、来場者数とも減少。渋滞もなし。
もちろん売れている店もあるようですが、あまり宜しく無い様子で。
この不安定な時期、税金も色々でありますから、ちょっと時代も何ですか。


とはいえ。様々差し入れ感謝です。


ちなみに明日まで在店。明後日は茶会にて水屋を承っております。
随分と気楽?なものでしょうか。駐車場も普通に空きあり。

宜しければ御来場下さりませ。

っと。昨日は場所も書いてなかった。信楽陶芸の森にて朝9時より夕刻5時頃まで
飲食店のある辺り、グルっと回って少し買物して、腹ごなしでもしようか?と思う辺り
に御座います。

天候も好いので、も少し来場者が増えるとよいのですが。

明日から

さてさて。明日から信楽焼祭り・・・らしいです。色々と予想外の予定が入ったので、昨日に最後の焼成をやって、今日に窯出しという辺り。

さりとて今日はいつものように早朝から茶道の稽古。なかなかに、こちらも大事であります。陶芸の仕事としても、本業は茶道具なればこそ、茶道抜きの茶道具とならぬべく精進しているわけで。

そうそう。中置きの季節。侘びの季節でありましょうか。「あっ、もう風炉の季節が終わるのか」、と、なぜか少し寂しい?感のある10月でしょうか。豊かに実った稲穂が刈り取られて、田圃では日々に煙が上がって。刈り取りの青々しい匂い、また焼き上げる際の燻された薫り、どちらも独特ですね。収穫後の一息でしょうか。炉開きは茶人正月と聞くわけですが、なるほど水稲農耕民族の本来の区切り、収穫祭の前夜であるのですね。

そうそう。明日から信楽焼祭り。陶器製造業も秋は焼成に頃合いのもの。これも本来は感謝祭のような側面が多く在ったものでしょうか。昔の人々であれば冬の山刈りに始まる薪作りからの仕事を終えて、昨年来の薪を使い切って薪窯を焚き上げていたことでしょう。

と、いいつつ。準備がも少し・・・・。

rasikunai.jpg 

とりあえず今回はコレ。黒釉しか御座いませぬ・・・。
割合に一般的な嗜好に合わせた大人しいもの。
数量も少ないので宜しゅうにお願い申し上げます。

あとは焼締ですか。いつものように茶道具は展示のようなものです。


え~っと。場所は・・・端の方です。ブース抽選会に行けなかったため、一番来客の少ない区画です。現地にて案内状を御覧下さりませ。(という全くやる気の感じられない案内はいけませんが・・・)

ともあれ明日より三日間。宜しゅうにお願い申し上げます。

季節の変わり目

今日は朝までガス窯。昼前から御葬式にて、先程にようやく帰宅致しました。
82歳の、近所のおじいさん。とても真面目な方で、ほんの少し前まで、毎日
草刈り機を載せて田畑の草刈りをされていて、いつも黒々と日焼けされていて。

合掌。

今日は以上にて。

久しぶりに

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さてさて。もうあまり時間がないのですが、調合して釉薬掛けて。

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とりあえず試験です。釉薬は二種。鉄釉と藁白。
焼けたものは結果に関わらず週末の信楽祭りに行く予定。

syouseinaka_20121002233640.jpg 

さて・・・感触としては今一つの結果かと思うのですが。
釉薬の濃度1つにしてもこれからの調整。


明日の早朝四時頃には終わると思うのですが。ぼつぼつと久しぶりの焼成です

季節の変わり目

さてさて台風一過。少し雨模様ではありましたが、まずまず被害も無く。備えているほどに被害はないものでしょうか。削り仕事をこなして、そろそろ焼成という辺り。最近画像もありませんが、撮る程のものもなく平穏に過ごしております。

今日は親父の退職記念にて会食でありました。ここ最近御馳走続きです。

う~んと。あとはまたぞろ御訃報なども。同じ在所の方がまた亡くなられて。少し前まで、毎日元気に草刈り機を積んで自転車を走らせておられたのですが。まぁ、そういう話もあります。先月に引き続いてということでもあり、少しづつ人口が減ってしまっていくものを感じます。

少し寒くなりました。季節も少し、僅かに冬の寒さを感じさせる朝がありますね。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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