涼風の日

dokusyo_20120731221755.jpg 

今日は読書しつつ。ちょっとここ数日気落ちしておりまして。先日に焼成した際に数時間程寝落ちしてしまって、窯を1回分ダメにしてしまったのですよ。まぁね・・・ガックリきます。金銭云々や手間というより、自分の手落ちに。割合にガス窯でも適当にやっていたつもりは無かったのですが。

日々是好日とは申しますが。なかなかに気分の落ち込む時は落ち込んでしまいますし、ロクロも少し気が乗らないのです。要は修行が足らんだけですが、「言葉を知っているだけ」なのだなぁという事をしみじみと。

書籍は大宗匠の著作。時折に読み返す本の1つです。何度も読み返して、その度に発見の在る書籍というものはとても有難いものでしょうか。侘びとは何か、本当の茶道の目指す方向などなど、折に触れて確認して、「そういった深い意味もあるのか」などと改めて読み深めることも多く。もちろん作陶にも関わる美意識の話も多く触れられています。

まぁ、今日はちょっと料理などして落ち着いて。
涼風の心地好い日で御座いました。

夏の盛り?

higanagai.jpg 

日照時間が長いと1日が長いような気がするのですが、時間は変わらないというのは不思議なものでしょうか。しかし連日昼間は随分と。今年は何か、「眩しいほどの明るい日照」というわけでもなさそうなのに、しかし随分と気温が高いような気がします。

suika.jpg sorosoro.jpg

不思議とこの季節。キュウリやトマトを始めとして、夏野菜は瑞々しいものが多いですね。水をしっかりと蓄えている野菜が沢山にあります。スイカは数年振り?に植えたらしく、さてさてどんな味になるものでしょうか。トウモロコシももう少し。猿被害だけが怖いものですが、頭の方まで実が詰まって来たので今週から来週に掛けて嬉しい食材となりそうです。途中アリの被害が大きかったのですが、割合に収まってきました。代わりにちょっと、トマトなどが不作。

まだまだ暑い季節が続く様で。栄養はしっかりと摂りたいものですね。

蓮の池

 myourenn.jpg

今日は日本古来固有種である蓮を保存している妙蓮庵にて茶会水屋でありました。
去年も書いたかと思うので、覚えておられる方も居られましょうか。
バスを仕立てて遠来のお客様も大勢に。

それにしてもハスの花というのは不思議な感がしますね。その咲き方にしても、
腐ったような栄養過多の池にこそ咲くような面もあり。
様々な面で古来見られてきた花でしょうか。

tyakai_20120729231926.jpg

比較的気軽な御席でありましたが、水屋はベテランの方ばかりにて。

小生も袴を履いての点前でありました。普段の稽古では着物と云っても着流しでありますから、時々機会を見つけて、菓子運び、茶の運びにしても立ち座りを確認しておかないと、つい裾を踏んでしまうことがあります。日頃の心掛けでしょうか。手入れも手間のかかるものですから、億劫に思ってしまうといけません。

今日は何やら御天気も。朝から蒸し暑い灼熱天と思いきや、午後から凄まじい豪雨でありましたか。溢れている用水路もあちらこちらで見掛けるくらいな辺り。

さてさて今日はゆっくり致しましょうか。
有難うございました。

夏らしく

いやいや連日暑いですな。山中の日本家屋なればこそ街中に比べれば随分と涼しいものですが、それでも暑いものは暑いです。ウルサイって言われそうですが、まぁ暑いのも夏らしさでしょうか。暑いからこそ涼しさが楽しめるという辺りで御勘弁下さりませ。朝晩はとても涼しく寒いくらいの日もあるわけですが、昼間はさすがに暑いです。。

何か今日からオリンピックの様で。夕刻から常会(地元の定例会議)だったわけですが、集会所は避難所も兼ねているのでテレビが付いておりまして、なるほどサッカー観戦という辺りも少し在ったり。僅か14件の集落で、六畳二間の倉庫付き2DK平屋を持っていたり、なかなか田舎というものは侮れません。何を侮るのかは知りませんが。

議題としては夏云々の盆行事関連、及び猿対策という辺りでしょうか。とうもろこし被害、やはり既に出ているそうです。数十匹の群れではなく数匹の斥候隊みたいな猿が動いているとか。ウチもそろそろと、スイカ、トウモロコシという好物が収穫期。およそ収穫日の早朝に被害が出るので、何とも気が抜け無いのですよ。


そうそう。今日は焼いてます。屋外設置の窯ってのは夏に有難いもの。
明日は茶会の水屋手伝いをさせて頂くので疲れの出ない程度にて。

街中へ

今日は夕刻から京都方面にて青年部の会議でしたか。なんぞスタバなど何年振りに入ったでしょうか。いやはやすっかりと田舎者ですな。漆教室も最近御休みを頂いているので世の中からすっかりと置き去りにされてます。帰宅時間帯?なのか夏休みなのか、ともあれ世の中は皆さん忙しそうで。ガヤガヤとした世界に居ると「スゴイなぁ」などと感じてしまいます。何かオリンピックも始まるらしいじゃないですか。

ええっと・・・。何を書こうと思ったんでしたか。

そうそう。茶道雑誌「淡交」ですか。最近高麗茶碗について野村美さんの著名な方が記事を載せて居られまして、高麗茶碗に関しては最先端研究でしょうから、なかなかに興味深く拝読しております。今月は粉引について記載されていましたか。技術的にはちょっと「違うんじゃ?」と思う箇所もありましたが、その辺り。

kohikigake.jpg miyosi.jpg

火間。白化粧の掛け残し。陶芸に関しては専門家じゃないものですから、伝聞で色々と書いて居られるわけですが、韓国の高麗茶碗作家さんに聞いて居られるわけです。確かこの記事を書いた時にも記述しましたが、「撥水剤を用いて掛け残すような人もいる」というもので、淡交でも「韓国陶芸家に拠ると意図的にやらないとこの景色にはならないらしい」という話で載っていますが・・・。いやいや、色々と理由が在り、それに従ってやればこの景色は残るんですな。現代一般に行われている方法でやると粉引には問題が起りやすいわけで、その方法を白紙にして、常識を外した素の状態から考えてみれば、まずまず自然と分ると思うのですよ。趣味で陶芸やっている人でも、凝った人は普通に辿りついていると思います。意外と作家ほどに気付かないと言いますか、職人的な頭の固さですな。一般的な粉引技法書とか、陶芸書籍では記載されていないものですから、まぁそれだけの話です。自分で辿りつく必要があるもの。

まぁ写真のものはとりあえず辿りついた方法の確認だけなので下手な掛け方ですが、ちょっと練習すればも少し巧く掛けられます。 記事でも非常に柔らかく指摘されていますが、韓国の作家さんは井戸形も結構甘いものが多いような感あり、それほど追及の深さを感じないものの、土はちょっと、やはり本場の雰囲気があるのでしょうか。最近は古道具屋さんのカタログでも見掛ける気がします。実物見て無いのでなんとも言いませんが。

と、そんな話でありました。

さてこそ

昨日は色々と思案をしていたら更新を忘れておりました。

okyakusama_20120726195629.jpg 

今日は自宅に御客さん。「腹が減った」と威嚇するもんだから止むなく。時折縁側を占拠しているのを見るのですが、まぁまぁ、猿に比べれば要求するだけ可愛げがあるというものです。そうそう、最近夜中に猿が来ているらしき日があるのでゴソゴソと懐中電灯を取り出す日も時折。彼らの大好物であるトウモロコシの収穫が近く、早くに植えている家はもうすっかり美味しそうな状態なのです。去年もこの頃にやられました。

え~。御仕事はボチボチ。今日もロクロを二時間程度挽いたくらい。昨日は窯詰めをしていたのですが、少し前に挽いた茶碗が、まぁ挽いた時から「ダメだわこりゃ」と思っていたものですが、改めて見るとホントにダメで、ガックリと粘土に戻しておりました。形に迷っていた時に挽いたものですから、どうもヨワヨワしく、キレも無い。ホント、自分が情けなくなる時です。

茶碗も随分と良くなっているものの。水野師の言葉など借りれば「いつでもキザエモンを狙い続けないとイカンぞ」という話でありまして、さてこそ先々は長いものです。一週間前に作った物を見て情けない気分を味わってこそ進歩もあろうというものですが、なかなかに苦労が絶えないものでもありましょうか。

ともあれ暑い日が続きまして。皆さまも体調にはくれぐれもお気をつけ下さりませ。

道の行方

今日は仕事へ行こうと思ったトコで草刈りの続きを思い出して。

sizennnomiti.jpg 

春に作った道がすっかりと埋もれております。人が通らないとこんなもの。以前は鹿が通っていた様ですが、最近はそうでもないのでしょうか。鹿の季節でも無いか。一度は土を起こしているわけですから、雑草の種も一からのもの。それでもこれだけ旺盛に伸びるのだから、ちょっと夏は侮れません。


午後からはロクロ。草刈りの筋力疲労が残っていたのか指先微妙。土の調整も今一つだったので再調整して1日寝かしておきましょうかという辺り。気温も急激に高くなっておりますから、水分量の増減が著しく、なかなかに調整の具合も変わってきおります。

まだちょっと気力不足。少し回復しつつあるようですが。

御休み

さてさて。今日は休養。草刈りを少しやった程度です。朝粥茶会での茶碗も無事に使って頂いて、少しくホッとしています。前日まで作り込んで窯出ししたもので、なかなかに大変でした。

というわけで。ブログも今日は御休みです。

早朝にて

asagayu.jpg

今日は茶会。早朝六時半にては既に2席目という盛況なる朝粥茶会。7時頃には待合が満室。年々と人気が高まっている感があるのですが、さてどんな辺りでしょうか。夏の盛りに涼しき時刻。今日は一段と涼しい日で在ったかに思います。

茶会は「雲開山岳青」の御軸にて。

濃茶席にては拙作の茶碗も数茶碗にて御使用を頂いて。誠に有難い限り。
古瀬戸の居られし、落ち着いた涼を感じる席でありました。
朝の一服は嬉しいものですね。

 kumoakete.jpg
 
茶会も午前の内に終了。雲は晴れての快晴へ。
青年部にて50周年への会議を経て、色々と思案も。
そろそろと1ヶ月半の刻限。

さてさて、朝粥にては健康に気を付けつつ、夏に備えて参りましょうか。

時事の話

何やら滋賀の県庁市で随分と連日採り上げられている様で。昨今の学校なるものを知らんので何をか云わんという辺りですが、政治に始まって、企業の倫理から、工芸界の状況まで、様々な場所で「道徳規律」が緩み切っている中、教育の場だけが端然とするわけもなく、むしろ教育の場が緩んでいるからこそ、社会全体の規律が緩んでくるのだと捉える方が自然なのではないかと感じます。

正直、私の頃とて酷いものでしたか。その教育を受けてきた世代が社会を担う頃になってようやくに問題が浮上するわけですから、そも教育が国家の基本となるのは歴史に学ばずとも基本中の基本と云われるもの。かつては企業内教育なども在ったかに聞きますが、現在では全く機能しておらず、派遣に見られるような即戦力の時代でしょうか。振返ってみても、さて一時たりとも道徳の教育を受けた記憶がありません。

いじめという様な問題も。丁度私が中学に居た頃(1990年代前半)もこの手の問題が浮上していたかに思います。暴行死や自殺などのニュースが在ったかに思います。実際に授業中の暴行も多く、先生は骨折入院させられ、多くの友人がいじめを苦に転校。まぁ酷いもので、馬鹿な人間が生徒会長などに立候補して「いじめを撲滅せよ」などと演説。終わったところで当たり前の様に囲まれてボロボロに殴られて、一週間程も動けなくなる様な。そして演説した人間に声を掛ける人間も、仲間も、投票する人も居なくなる。動いてくれた担任はこれもボコボコに殴られてという、そんな学校でした。(馬鹿な人間ってのは私のことですが。)

それからもう20年来、何も解決出来ていないのであるとすれば、この20年、そういった人間を送り出している事になり、世代を確立するような状態であるという話でしょうか。進学校ではそういった問題が少ないなどと云いますが、はてさて。今にして想うのですが、「イジメ撲滅運動」などという高圧的な方法は、一時的に押しこめる程度の効果しかありません。つまり一時凌ぎ。急場の対処方法です。

やはり「和敬」という言葉の大切さでしょうか。和を尊び、敬の心を持つ。ニュースにせよ、何か複雑に絡み合った権力構造がどうこうと、無駄に小難しく、クダラナイ話を繰り返している様です。問題の本質は「和」の不在であり、「敬」の不在。とても単純な話じゃないですか。漢字を覚えるより、科学の実験をするより、探求心を育てるより、創造力を育てるより、英語で国際力をつけるより、難しい物理を解明するよりも、何より第一に優先すべき事項です。

御受験の問題点として、随分と昔から学校教育の「知識偏重」が問われてきたかに思いますが、何か枝葉ばかり気にして、根幹となる人間の「基礎」を放っている状態が、結局変わっていないのではないかと感じます。世のあらゆる製品にしても、薄っぺらい報道の知識にしても、見た目の枝葉ばかりが繁っていて、基礎がとてもぞんざいに扱われている。それが「深化」しているのは、工藝に至るまで同じ状況を感じるものです。

なるべくして成る。今の問題も、当然の帰結。またぞろ、枝葉を付けて解決に見せかけるのではないでしょうか。枯れ木に、プラスチックで色漬けた精巧な職人芸の葉を茂らせて、「これぞ芸術の極み」などと嘯いている。咲かぬ花に栄養を点滴して強引に咲かせるような、そんな手法で騙し、騙され、花見をするような時代。

んまぁ、実際の話、今現代の表面偽装技術ってのは精巧です。興味深い程に。
でも実際は気付いている人が大半なのではないでしょうか。

声は出さずとも、手を差し伸べる事もしないけれど、それが不誠実な、忌むべき行為であることを。釈迦の説法、孔子の遺徳。歴史の築いてきた道徳価値観を堂々と、改めて掲げても好いのだと思うわけです。仏堂でロック演奏させているような活用方法、自然を破壊した自然公園で楽しむというような手法、新しい機械を買わせる偽エコにせよ、原発問題にせよ。

経済。「経世済民」とは「世を経営して民を救済すべし」という理念。今の日本の経営ってのは、金儲けが目的のような、御金さえあればというような。古来の政治に立ち返れば、全ての経営は民の救済のため。だからこそ儒教道徳のプロで在ることが官僚の必須最低条件だったわけです。


何か末法思想の通りです。時代と共に枝葉が繁る一方、本質が失われて行く。孔子の時代から既に唱えられ、利休もまた観じたと聞きますか。近くは昭和期も同じく。全ての時代に於いて偉人が唱えているのが退歩。時代は随分と退化しているのではないでしょうか。結局、人々が変わらなければ時代は変わらないのですよ。そこには本当に教育が根幹になるもの。

あ。長くなってきたので止めましょう。

「なぜ和敬をしっかりと訓えなかったのか」、と。
この問題は一言で尽きます。

日々を好日に楽しみつつ。1人1人が日々を好日と感じられる様に願うばかりです。

試案の思案。

今日は茶道の稽古。途中雷雨も降りまして、なかなかに変わりやすい天気。

稽古場の軸は「淡如水」と在りました。何事も我意少なく誠実に在りたいものだと心掛けつつ、今日は花月の稽古。廻り花1つにしても、なかなか心掛けが悪いものですと、まぁ何ともダメでした。自分で入れておいてガックリ。こういうものは知識云々の世界じゃないものですから、経験で流れる水の如くにスッと出来てこそなのでしょうけれど、日頃から花についての探求が疎かであるという話で御座います。稽古場の諸先輩方は日頃から花を育てて居られますし、やはり家でも花を入れて居られるのでしょう。「花入を掛けたら一輪は入れておくものだ」と訓えられておりますが、なるほど、時々は居間に掛花だけ掛かって居たりします。忙しいとつい。花の一輪も入れられぬ心構えではダメですな。

今日は周年茶会の計画についても相談に預かって。無い知恵絞ってみたものの、やはり無い智恵は無いのでありまして、無い袖は振れないのでありました。話を聞くに師匠は30歳の頃からに大きな式典級の茶会を主催されて来られているわけで、現在は御存知のように淡交社の茶事茶会も頻繁に。名前の載っていない月刊「淡交」はまずありませんが、大きな公式茶会から茶事まで、更に多くの門弟から稽古から。元より背景となる引出の数も違えば、その応用力も果てが無いような感がありまして、「師匠は弟子の三倍研鑽を積むべし」という言葉の下、尚一層現在も縦横無尽の研鑽を積まれていますから、さてさてどうやっても追いつけないような・・・というのが弟子の感想です。まぁそんなコトでは不出来な弟子でありまして、猛追すべく頑張らねばならないのですが。

ともあれ。智恵が無くとも茶会は行われるので、無い袖を借りて来なければなりません。


とりあえず借りてきた袖で、袖を振る練習をしてみたいと思っております。
いやいや、借りてきた袖ですが、何ともスゴイ袖を借りたものです。

振れるのか?コレハ。

選抜

今日は朝から茶碗を窯出しを。昼に少し横になって、起きたら夕刻でありました。
というわけで、今まで御仕事であったわけです。

sennbatu.jpg 

昨日焼いて、朝に窯出しした井戸形の茶碗。納品へ向けての選抜。都合90碗から30碗を選抜しました。A品が35碗、B品が30碗、C品が25碗という辺りでしょうか。B品~C品は作品としては使えませんので、まぁボチボチ転がしておきます。C品は抹茶碗として用いるコトは出来ない辺り。

んで、ハマスリの処理で今さっきまで。30碗ってのは手強いです。

ともあれ。まだまだではありますが、今現在の力量範囲では最善を尽せているのではないかと思いつつ。1つ1つの茶碗を手にとって処理していくので、またぞろ「う~ん、どうすれば・・・」という様な事を思案しております。

あまり夜更かししても、明日は茶道の稽古なれば。
も少し仕事があるのですが、明日の朝かな。

ボチボチ寝ます。御休みなさい。

陽気

natunotenki.jpg 

すっかりと夏。それにしても同じ太陽とは思えない暑さですな。天の陽気に花々も負けつつあるような。雑草だけが負けじと背を伸ばしております。梅雨の明けるこの時期に祇園祭ってのは厄祓いにしてもそうですが、実際には色々と在るのでしょうね。昼はホントに仕事になりません。集中力が持たない上に、湿度も在るので蚊が飛び交っておりますか。それでもボチボチと焼成をやっているのですが。

suzusigeni.jpg 

こんな日は涼しく在りたいもので。京都に行くと好んで買うのが豆腐。一番気に入っている店がありまして、そこで買います。どちらかと云えば揚げ出しとか揚げが美味しいので、そちらが中心になるのですが、炎天下でもついつい買いに行ってしまいます。器は近江八景染付皿。江戸末期の染付にて。葱はもちろん庭のもの。さすがに生姜は作っておりませんが。

ロクロも変わらず挽いてます。も少し作り込みが続きますが、余裕を持っての製作に落ち着きつつあります。

本場の

いやまぁ、今日も暑い日で御座いました。

tawa-.jpg
 

本日は朝から京都へ。これまた京都の暑さは格別のものがありまして、いやはや七月の京都ってのはホントに暑い。別に私が云わずとも皆さん仰りますか。格別に暑いからこそ、茶道の「夏は涼しき様に」という辺りの工夫にも磨きが掛かるのかもしれませんね。

gionmaturi.jpg 

そうそう。御存知のように本日は祇園祭です。京都の御祭ではありますが、茶道的には東京のスカイツリー宜しく、全国区?の規模で祇園祭関連のものを見る様な気がするのですが、さてどんな辺りでしょう。なかなかに小生はあまり詳しくありませんので、どれが何、というような辺りは区別がつきません。

まぁまぁ、大学時代など京都に居たわけですが、また電車で滋賀県からでも近いものですから、何度か来てはいるモノの、何に来たかって、宵山の屋台、つまり「喰いもの主体」でありまして、暑い最中にヒョコヒョコと歩いて見に行くことはありませんでしたか。茶道始めて無かったら、今日もその勇気(?)は無かったかもしれません。

例に拠って京都駅から歩いて行きました。やはり疲れが残っているのでしょうな。かなりきつかったのですが、思ったよりも普通に歩く事も出来、見物することも出来ました。見物客も、地元の人より観光客が主体かな。街並が低かった時代であれば、何とも勇壮なものであったのでしょうけれど、ビル群の中を通過するとなれば、どちらかに見れば「雅」という辺りになるのでしょうか。祇園祭りはスサノオの祀りなれば、本来的には「勇壮であればあるほどに」という祭りであるやに聞き及びます。


あぁ、ちなみに祇園祭はついでの用事。

tenjijyou.jpg 

京都のタカシマヤさんで、漆の先生のグループ展が行われていたので、楽しみに訪れて参りました。京都で茶道具関連に知られる著名作家さんの、若手御子息さんを中心とした展覧会。ちなみに先生は岩渕さんという方なのですが、塗りも独特の、しっかりとコダワリを持って製作される方。利休時代の棗について研究されたりしておられます。京都なればこそ、業躰さんなども御来訪されていたそうです。ちょっと御案内すれば好かったのですが、今日が最終日でありました。色々と勉強になることも多く、有難うございました。

と、いやはや、何とも充実した1日でありました。

梅雨はけっきょく

atuiwa.jpg 

しかしまぁ、こうも暑くなるとかないません。今日は朝から夏祭りの設備を全て解体撤収して。午後からは焼成に入っておりますが、なかなかに。昼間はかなり厳しい暑さです。しかも昨日車の中でイカ焼をひっくり返したので、車の中は異臭があり、まぁそれはどうでもよいのですが。

今日の焼成は井戸形。さてさて、一応現段階で力を尽くしたものでしょうか。数か月に渡って作って来た粉引の集大成的なものになってくれると有難いのですが、結果はさてこそ窯出しをしてみないことには分りません。というか、ガス窯の焚き上がり予定は深夜でありまして、まだ焼成中です。

う~ん、しかし夏ですな。蝉の声が盛大になって参りましたか。

古来伝統的な日本の働き方に倣いまして、暑い盛りは避け、早朝や夜に仕事をしたいものであります。ともあれ、明日もちょっと出掛ける予定があるので、今日も早く寝たい・・・のでありますが、ガス窯を焚いているのでありました。

田舎のぎおんさん

昨日は早朝から夏祭りの準備・準備・準備。甲賀一帯各地で行われる花奪い神事の「ぎおんさん」でありまして、準備は全て住民の手で。飲食調理から全てを企画するものでありました。今年は役職を頂いたので色々と仕事が御座いました。

maturinojyunbi.jpg
 

涼しい内にテント立て。これだけでもなかなかに。
機材も軽トラックで借りに行って、自分で設置して。

omikosi.jpg 

その後は祭りの当日に神輿を作ります。
麦わらのヘビに、竹。花と景品を挿しこんで

hanabai.jpg 

午後にはそれをボロボロにします。
刺さっている花を奪い合う「花奪い神事」です。

senrihin.jpg 

ぎおんさん。スサノオのお祭り。荒々しい神事により厄を払うもの。
神輿の造花を家々に持ち返って、各家の厄払いにします。
なので、沢山獲ってこそ厄も払われるというもの。

まぁ・・・昨今は金封の方が人気ですが・・・。
(写真はわたしの戦利品。なぜパック酒・・・。)

motimaki.jpg 

続いての餅撒き。これも厄祓いの神事です。これも抽選券が入っていたり。
夏の厄祓いの後、直会としての夏祭りでした。
(夜の写真撮って無かった・・・)

ともあれ。住民の三分の一が高齢者という集落。ビールを飲みつつ、色々な
ものを食べつつ。小生もビールサーバ・缶ジュースにての販売を担当しつつ。

一応の片付けが終わる頃には11時近かったでしょうか。
昼前から酒付きの作業が続いたので、もうすっかり何が何やら。

という昨日の日記でありました。

錬成会

さて、今年も茶道合宿に参加してまいりました。
カメラを持って行かなかったため写真が無いので・・・

renseikai.jpg 

去年の写真を流用してみたり。

開催前の訓話では宗道師より現代茶道の衰退と、本物の茶道への決意が宣言されつつ。利休茶道を奉じての第45回夏季錬成会でありました。今年は「行の行台子」を徹底的に稽古していただいて、早朝より夕刻までの稽古を終えて。本来は明日も続くのですが、明日はやむなく欠席に相成りまして。昔は一週間や一ヶ月というような期間に渡っていたそうです。やはりこれだけの会場手配・設営、加えての講師の方々の充実。どれもこれもそうそう簡単なことではありません。

ともあれ茶道では「道学実」という言葉がよく奉じられているのですが、武道に於ける「心技体」に近いものでしょうか。武道の「体力」に替って「学問」というコトに相成ります。それぞれ第一に挙げられているものは、どちらも「道徳」であり「心掛け」でありまして、これを主軸に、どちらも「心」を最も重要視するという立場は変わらない様であります。利休さんの話にも数多くそういった示唆があるように感じるものでしょうか。とても明確ながら、実践としての成長はとても難しいものだと思う次第。そういったことを、改めて考えるように、との講話でありましたか。

ともあれ日々の精進を。

さてさて、頑張るぞ~。

たまには

今日は自宅で御仕事でした。パソコンに向かっての事務仕事でした。時々、まぁホームページ触ったりする時なんぞは一日向かってますが、あまり好きな作業でもなく、ついつい更新も滞ってしまったりしておりますな。

今日は焼成しようかどうか迷ったのですが。ボチボチ明日は茶道の錬成会。朝七時過ぎには会場にて、毎年に足が筋肉痛になるくらいのものですから、「夜中まで窯焚き」ってのはちょっと辞めておこうかという思案でした。ホントは合宿なのですが、2日目は夏祭りなので今年は失礼をして。夏祭りも早朝からの準備なので大変です。

まぁそういうわけで、今日は早く寝ます。おやすみなさい~。

在地の物

昨日今日と微妙な御天気。天日干しは叶わぬもののという辺りでした。

oreini.jpg
 kunikunosaku.jpg

昨日の話ですが、御中元のお返しなどにブルーベリーを買いに行ったりしておりました。自宅は「旧宮村」という地区に属するのですが、最近に売り出し中の「宮ベリー」さん。自宅でも作っておりますが、ブルベリーってのはなかなか、ちょっとの量で高価な食べモノです。ホームセンターなどでもよく売られていて、比較的人気?があるのかもしれませんが、栽培となれば意外に難しいと申しますか、よく枯れてしまうこともあるようです。ウチのブルーベリーも、最初に植えた2本は元気がなく、今年は数粒程度しか獲れないような感があります。まぁそれはそれで、とても美味しいのです。

自宅で作ってみたのは・・・やはり「特産として作っている人が居るからには気候・土壌が適しているのだろう」と、基本的な思考の下で作っていたのですが、話を聞くならく「粘土質は向かない」という話であるそうな。よって、鉢植え栽培をされておられます。一般的には地植えしたものが多いらしいです。いやいや、話はちゃんと聞かねばなりませんね。

まだ収穫には早いそうで。8月に入らないと販売は難しいそうです。


いやいや、残念でした。

老子読解その5

少し時間が空きましたが、続きを読んで勉強します。

>
「虚心第二十一」より抜粋
孔徳の容は、唯だ道に是れ従ふ。道の物たる、唯だ怳 唯だ忽。
>

通釈より「大いなる徳を備えた人の姿は、道と同じである。それはボンヤリとしていて定まっていない」という辺り。実際問題として、例えば茶碗1つでもそうでなのだが、「国宝茶碗と寸分違わない寸法」で作ったとしても、誠に情けないものにしかならない。規則や尺度によって最高のものを規定するコトは出来ない。黄金比などというものは、まずまず最高の美を創り出すことはなく、せいぜい普遍的な、「そこそこの美」を創り出す程度の力量しか持っておらず、「これが出来れば達人」とか「人間国宝の肩書があれば」というような判断の方法は、そもそも随分と信用がならない。道は見えないものと云いますが、理想の到達点というものはそうそう、見えるものではないのだろうと思います。

>
「益謙第二十二」より抜粋
曲なれば則ち全く、枉なれば則ち直し。
>

木偏に「王」と書くいて、「曲がった木」を云う。通釈より「自らの身を曲げて謙(ヘリクダ)ってこそ、真っ直ぐに進む事が出来るのだ」という意。う~ん、非常に深いものを感じるのですが。例えば茶碗でもそうですが、直線が如何に美しくとも、いやさ少し歪みを含んでいるような自然体と較べて、その美の底が浅い様子には驚くばかりです。そも自然界は如何に真っ直ぐに見えるものでも、僅かに様々微妙な歪みを持っているもの。一本杉でも太陽の方向に僅かな曲がりが御座います。歪みのある方が自然の在るべき姿であり、全くの直線ですとか、完全なる真円などというものは、世の最高美として顕然する自然には無いモノです。まぁ無いからこそ珍しく新奇に見えるのかもしれませんが、ともあれ剛直なものでは無い様で、一見役に立たない、曲がっているものにこそ「真の姿」が在るというわけでしょうか。

>
「虚無第二十三」より抜粋
希言こそ自然なれ。飄風は朝を終えず、驟雨は日を終えず。
>

通釈より「無言こそ自然の姿である。突風も豪雨も、一日とて続くコトが無いのである」という辺り。茶道に於いても騒がしく、口煩くするコトは戒められている。それは「音が邪魔になる」などという話ではなく、「茶人の人格として在るべき姿では無い」という観点で叱られるのである。その観点が茶道具にも反映され、主義主張をうるさく「陶芸家ここに在り!」みたいな茶碗は敬遠されてしまう。私自身にも覚えがあるのですが、とかく半可通、分っていない頃合いほどに、何か主義主張を必死になって、何かを守らんが如くに叫んでしまう様なところがあります。自然は語らずとも多くを語っているわけで、静かに見ていてこそ、色々と学ぶことの多きを感じます。

>
「苦恩第二十四」より抜粋
跂(ツマダ)つ者は立たず、跨ぐ者は行かず。
>
通釈より「爪先で立っている者は、いつまでも立ってはいられない。大股で歩く者も、遠くまで歩くことが出来ない。」という辺り。至極自然に、普通に歩いてこそ、遠くまで着実に歩いて行ける。日々、誰もが歩いて行く際に承知していることこそが大切という話であろうか。しかし思うに、自分が爪先で立って背伸びしていた頃も、躍起になって頑張っていた頃も、まぁそれはそれで経験ではありますが、「何も見えていなかったのだなぁ」と反省する点が大いにあります。色々な人に迷惑も掛けたでしょうし、礼に失する時もあったかに覚えます。静かに歩いてこそ。車に乗って移動していると、自然の草花を見るコトさえ出来ていないのです。そこに在るにも関わらず、見えているにも関わらず。現代人が自然に学ぶことが少ないのは、全く「自然の減少」などという話とは、全くの無縁だと思うのです。どうでしょうか。。

>
「象元第二十五」より抜粋
人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。
>

通釈より「人は大地に従い、大地は天に従い、天は道に従い、道は自然に従っている。だから人の道も自然で在るべきなのだ」という、分った様な、分らない話。抽象文言を真に理解するのはとても難しいわけですが、人の生活が自然たるべきであり、不自然に満ち満ちたもので在ってはならないというのは、誰しもが肯定出来るのでは無いでしょうか。古来人間は自然に従って、四季天地の働きに従って、その中で日々の生活を営んできましたか。では現代人ってのは造反者ですな。これは科学文明が悪いのではなく、それを「用いる方法」に問題があるという話です。知らぬ間に「科学」とか「御金」とか「権力」とか「自分勝手」に従っている。「太陽の恵み」なんてものは、誰だって感じるものを、「科学的に云々」って話です。「天体科学」を教える前に、「お日さまに感謝」という感覚を訓えてこそ、自然に従う人の有様なのだと思います。


以上。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

記事内容の分類
過去の記事(月別)
06 | 2012/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
来訪者数(2006.5~)
LINK
リンク
メール送信はこちら
・来窯時などに御使用下さりませ

御芳名:
貴アドレス:
本文の件名:
本文:

不在時・繁忙期などは返信が遅くなる事もあります。悪しからずご了承下さい。もちろん、迷惑メールは駄目ですよ。