月末

さてさて、月末でしたか。午前中は晴天なれば忙しく仕事をしておりましたが、午後からは雨。七月になれば本格的な梅雨になるのでしょうか。月末らしく、先月末に補充して貰ったガス燃料の在庫も切れて、追々と御仕事です。と云っても、今日を含めてあと数回は焼けるかなぁと思っておりますが。

夕刻からは夏祭りの会議もあり。裁断機でチケットを裁断したり、明日には数量把握に代金を回収などなど。祇園祭と同じ頃に在るので、こちらも毎週の会議・作業という辺りです。田舎の夏祭りですから、餅撒きもあり、喧嘩祭り的な神輿の製作と損壊も御座います。甲賀一帯の祇園祭としては小規模かもしれません。大きいものは大原神社の祭りで、なかなか良いモノです。

明日は早朝八時から草刈り。かなりハードです。全員が草刈り機を持って、何度もガソリンを補充しつつ、時折に倒れる人も居るくらいなもの。もちろん無償奉仕です。午後からはゴミ拾いの美化活動、その後は獣害報告会が在ります。そういやゴミ拾いですが、今日は道のド真中にガラス片が播かれていてビックリしました。田舎道の山道ですから、日頃より小動物に気を付けていて、それで気付いたわけですが・・・。中国語の書かれたビンが含まれていましたか。なんともはや。

よく田舎の町興しで、人を呼べるようなイベントを狙うわけですが・・・。原発と一緒で、やはり御金が無くってもいいから、住みよい綺麗な町で在って欲しいものです。人さえ来れば何かが解決するような、そういった理念はどうにも、資本主義的と申しますか、発展・向上の狙いどころに金銭が在ると云いますか。


・・・。いらんコト書いてないで寝ますか。おやすみなさい。

梅雨はいづこに

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今日も終日の夏日でありました。梅雨の雲はどの辺りに居るのでしょうか。昼間には少しく入道雲の様なものも出ていたかに思います。夏にしてはも少し空が低い気が致しますか。あとちょっと気温が低いというか、少し夕刻は肌寒い。気温に関しては、実際に野菜の生育が遅いのです。

しかし最近はどの季節も楽しいなぁ、と思いつつ。春は春で、新緑は新緑で、夏は夏で。秋になればまた、「秋はいいなぁ」などと思うのでしょう。ちなみに田舎はちょっと、冬が長くて年間の三分の一くらい占めている感じです。


ん~っと。何書こうと思ったんだっけ。まぁいいか。

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最近の焼き上がり。馬上杯です。先月の茶会で拝見させて頂いた記憶がどうにも残っていたといいますか。御気楽に作ったものですが。茶碗を挽いていて、茶碗を挽けるほどの土が残って無い最後の土塊で挽くのですよ。よく職人さんなどはグイノミを挽いたりするなどと云いますが、まぁホントのグイノミはちゃんと挽くわけでして、残り土で挽くようなものは昨今作品としては如何なものでしょうか。しかしまぁ、昔の職人さんはそれくらい酒好きであったという辺りでしょう。

あぁ、この馬上杯もワインなどそれくらいのサイズかもしれません。

今日も茶碗を挽きつつに。それにしても、日が長くなりましたね~。

六月も

あっという間の月末ですな。昨日はちょっと記事を御休みしましたか。最近夜中もガス窯を焚いたりして、昼間に寝てたり、つまり日付の感覚が・・・。「あれ?昨日焚いたんだっけ・・・?」という辺りでブログの更新も忘れておりました。

ちなみに昨日は削り仕事をこなして釉薬掛けて、午後から焼成しようと思ったら・・・腹を下して。寝込んでおりました。う~む、原因不明。とはいえ二時間くらいで復活しましたが、午後から休養に致しました。お蔭で今日は元気?といいますか、いつもより仕事の持続時間が長かったような気がします。ちょっと疲れが貯まっていたのかもしれません。

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んで、今日はもちろん焼いてます。

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井戸形の御仕事。削りに失敗したものを割って、碗形の反省会。焼き上がりの直径は14cm前半辺りでしょうか。ホントの大井戸は14cm台~15cm台、大名物に15cm後半のものが在るわけですが、そこまで行くとホント、普通の茶筅を載せたり、茶杓を載せたりしたらビックリするくらい感覚が違う話になりそうです。

当然ですが、濃茶向き。昔は「茶」と云えば「濃茶」のコトであったと聞き及びます。だからこその高麗。半可通の陶芸オヤジなぞが、「濃茶用とか考えて作るからダメなんだ」という”誤”知識をよく御開陳するわけですが、昨今の研究では高麗茶碗も、「雑器」でもなく「祭器」でもなく、その大半が「茶道用の特注品」という辺りが落とし所の様で、つまり高麗茶碗は茶道用、つまり現代訳すれば「濃茶用」に作られていた事に相成ります。

まぁ桃山陶器だっておよそ特注品の性格が見てとれるわけで、創始はともあれ、雑器の代表格である信楽にしても茶人の登場と共に「茶道用の特注雑器」として変貌しているわけですから、茶人が器の製作に関わるというものが、何か当時一般的な感覚で在ったのかもしれません。利休さんと楽家の関わりは明白であるとして、ならばその茶道子弟がこれに倣うのも当然の流れと申しますか、時代的にも17世紀初頭。伊賀や美濃などの最盛期に高麗も等しく。

いやまぁ、憶測ですよ、憶測。素人の感想文です。


いや、変な話にならない内に、今日はこれくらいにて。

涼風

今日も風が心地好く。明け方といいますか、完全に明けた頃にガス窯を終えたので、ついついと昼過ぎまで眠っておりましたか。なので、今日はまだ、あまり仕事もしておらず。まだ釉薬を掛けておかねばなりません。

とりあえず窯出しをして、井戸形の削り仕事。「ん?思ったよりちょっと小さいかも・・・?」と思いつつ。大きさとして一周り大きくなるだけの話ですが、削り具合も微妙に変わります。この微妙ってのは曲者でして、大きく変わるならいざ知らずという話になりますか。いくつか少々、高台が小さくなってしまった失策を数点。感覚でザックリと削りを入れるので、0.5㎜ずつ削って薄く仕上げていく京焼や磁器ならいざしらず、土モノでは、なかなかに計測したトコロで大した意味がありません。「心のモノサシ」というやつですな。も少し作り込みをしたいのですが、さてさてどうしようか悩み所。

あとは・・・。請求書が・・・色々と・・・。

なかなか、仕事が大きいだけに5万~10万クラスの請求書が先月からコロコロと。あぁ、ちゃんと払いますので御心配無く。資金繰りというものでしょうか。丁度少し前に収入が在ったので、なんとか・・・大丈夫だと・・・思います。いや、とりあえず今月は大丈夫。来月に待っている請求がちょっとコワイ。ガス代はもちろん、釉薬も適宜調合して追加していたり、箱代に始まって、数量が多いだけに熨斗紙だけでも数万円、梱包用の包み紙も同様に嵩んでまいります。

御金のコトは苦手なので・・・。まぁ、ボチボチと。

来る日も

今日もガス窯をボチボチ焼きながら。夕刻の火入なので焚き上がるのは明け方でしょうか。あまりガス窯に「焚く」という言葉は相応しくありませんな。「木」を使っていない「炊く」の方が、何となく適している感があります。ガス窯焼成は、「火で炙っている」と云うよりも、何か空気をガス火で沸かしているような感じなのですよ。電気窯などがその典型でしょうか。だから温度計も、窯内の空気の温度を測るのであり、焼物自体の温度を測っているものではなかったりします。

ん?冒頭から長文になりましたが。

今日は涼風が心地好い初夏の気候でしたか。これくらい心地好いと、何か気分も爽快になります。日射しも温かく。夏が近付くにつれて、何か窓から差し込んで来る日射しの色彩が、どことなく明るくなっているように感じるのは気のせいなのでしょうか。夏の日射しは随分と、何か「神光」と云うような言葉が分る様な気がしますし、太陽に神性を感じるのは世界共通であるそうですが、感覚としてとても分る様な気が致します。

何か、「自転や公転がどうのこうの」と教える時代ではありますが、太陽の有難さってのは、人間として最低限に感じるべきであるし、敬意を払うべきものではないかと思うのですが、まぁそれは別にどうでもいい話です。

今日も大井戸形を挽きつつ。やはり気分の良い気候であるせいか、とても快調でした。

これから夏に向けて。気が付けばもう七月が迫っているのですね。

一服。

今日は朝から御茶会へ。松雲会の志季釜にて、とても気楽に一服を頂戴させて頂ける楽しい茶会。軸は「閑座聴松風」にて茶杓は「庵の友」。梅雨頃に染付など爽やかなる取合せで御座いましたか。早朝八時半よりの第一席に寄せて頂いて、朝からありがたい一服を頂戴してまいりました。

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帰宅してガス窯を点火して、午後からは梅の収穫。自然なる花も綺麗なものですが、実もまた素晴らしい色彩である事が多いのは何故でしょうか。梅雨時の風物詩なのでしょうか。漬けるのは母親がやってくれます。漬けものも勉強すればまた別なのでしょうけれど、なかなか余裕がありません。

今日は窯を焚きつつ大井戸形の粉引を挽いて。濃茶用の大振りのもの。そろそろと碗形も安定して、迷い無く挽く事が出来て一安心しつつ。まだ削り仕事があるにせよ、まずはロクロが一番大事であります。

朝が早かったのですが、昨日は乾燥進行具合により深夜に削り仕事をやっていたので、ちょっと寝不足。とはいえ今日も一時頃が焼成終了の予定時刻。晴れている間に御仕事を進めております。

天日

いやぁ、昨日に引き続いて晴れ間も御座いまして、何とも有難い限り。

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曇り空ですから、突然の小雨に気を付ける必要はあるにせよ。乾燥具合が全く違います。雨天では丸一日必要な乾燥時間が、天日では僅か数時間で終わるわけですから、何とも天日の恵みは有難いもの。梅雨時に天日の恵みを体感するというのも不思議ですが、毎年に感じるのは梅雨時ですね。つまり「日頃の感謝が足りない」という話で汗顔で御座いますが・・・。

削り仕事の器も一挙に削り時を迎えるのでなかなに大変ではありますが。


今週は割合に雨が少ないとか。さてさて今の内に仕事を進めておきましょう!

心を得る

さてさて、折角の晴天でしたが仕事ではなく茶道の稽古で御座いました。今日は色々と。茶碗を指導頂いて、花月を様々。包み帛紗を久しぶりにという辺り。花が様々に咲いておりましょうか。季節というものですね。

朝の講話では「弟子の心得」の御話。少し前から時折に何度か出ておりまして、七カ条在るそうです。(検索しても出てきませんよ~。)心得ってのは「心を得る」と書きますが、要は「精神を修養して成す」という辺りの意味に捉えるのが正確でしょうか。諳んじてみたトコロで意味は無く、その言葉通りの修養をしてこそ意味が在るといいますか、「心得た」というコトに相成るのでしょうか。「弟子の心得」とは、言い換えれば「学び方」という意味かと。

陶芸も、昨今は弟子入りなぞ激減しております。よく「黒と言われれば白も黒と思い、白と言われれば黒も白と思え」などという言葉がありますが、まぁ世間的に見たら世迷言に聞こえるのかもしれませんが、コト奥深いものを習得するに当たって、「師匠の言葉に素直になれないようでは駄目だ」という、1つの弟子の心得だというコトは常々に。陶芸でもそうですが、昔に反発したものの、実は過去に師匠やベテランの職人さんから親身に聞いた話というのは、多く真実が含まれているわけです。何でも批判したがる陶芸オヤジ?の話なんぞを聞いて批判人間になっていても、まぁ何の勉強にもならんわけで、1つ、特に現代はネットなど知識面に偏り勝ちな若者の落とし穴でしょうか。

今でも思うのですが、昔、訓練校に通いながらに陶芸家廻りをして。その頃に著名作家さんから聞いた話を色々とメモしていたわけですが、その大半は、その当時半分も理解出来てい無かったものの、後々に「あぁ。このコトを言っておられたのか!」と気付く話は多く、自己の成長に大事な原動力となっていたものです。いやまぁ、今でもそうですが。

要は「分らないものを否定しない」という話でしょうか。茶碗1つでも、この一ヶ月で見えるものが随分と変わりました。一ヶ月前に、「まぁこれでいいか」と思っていた自分は、既に否定されるわけです。絶対というものはなく。もちろん「誰の助言でも」とは参りませんが、先が見えている人の助言には従うものでしょうか。

そういった意味で。宗道師は全国で茶道に関する講演会を任されている方。点前方面では研究会など業躰の先生方を始めとして居られますが、宗道師は茶道の思想面を担われている事に相成ります。淡交社でも茶事など最も重要な講座を担当されていますから、名実共に。毎回の講話はとても大事なものなのですよ。


あれ。何の話になっているんだ。

ともあれ、今日も楽しく稽古をさせて頂いて。
さてさて、頑張りましょう!

予定が・・・。

何だか連日の雨にて、梅雨らしいといいますか、ちょっと雨が強すぎないかと思いながら。

今日は朝食後少し横になったと思えば、起きてみれば正午前。すっかりと寝てしまったので大急ぎで御仕事。明日は茶道の稽古なので朝から焼成に入る予定でしたが、どうも今日も夜が遅くなりそうです。

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寝ぼけていたのか、最初の一~二時間ほど、ダンパー(煙突穴)を閉じたままでした。危ない危ない。一酸化炭素が出まして、密閉された窯場であればかなり危険な話です。何年か前に素人の方が亡くなった話がありましたね。普通は警報機が付いてまして、まぁウチも付いてますが、屋外なので形だけの警報機。一酸化炭素中毒にならないというのは、屋外設置利点の1つです。

まぁしかし。乾燥が進みませんな。「君たち、全く一日何をやっていたのか、何も乾燥が進んでいないぢゃ無いか!」と怒りたくもなりますが、半日寝てしまった人間が勝手なものです。

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今日に高台を削った茶碗。なぜか削りをして完全乾燥前の茶碗は少し不格好に見える不思議。乾燥すると高台廻りが一回り引き締まるのです。比較的好さそうなものを降ろしましたが、右から順にバッサリやりますと、「碗形が少し硬い」、「高台が撥高台気味」、「高台際にキレ不足」、「口辺の向背が微妙」「よ~見えんが畳付がダメ」という辺りで、自分でもバッサリ指摘が可能なほどに、まだまだ不満は多いのです。なかなか満足の得られるものは遠く険しい。

ともあれ。仕事も窯も一段落。少し仮眠でも摂っておきましょうか。


追記:そうそう。すっかり忘れていたのですが、作品集をFacebookに載せました。
http://www.facebook.com/media/set/edit/a.413469688692306.92152.100000878346017/

最近はFacebookも出来ておりませんが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

台風一過

台風の翌日にしては随分な曇り空でしたか。台風に備えて工房を締め切った状態にしておいたので、全く乾燥が進んでおらず。よって釉薬乾燥が不十分にて今日は焼けず。明日の朝からですな・・・。

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昼頃には台風ですっかり寝込んでいた野菜が起きだして。しかし自分で起きるのですから、いつもながらに感心します。雑草などはもちろん、倒れることもなく。基本的に倒れてしまうのは人間が育てる様なものが多い様な気がします。あとは大樹でしょうか。大きくなるほどに風のあたりも強くなる。

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草花。左が駒繋ぎ。右は額アジサイです。駒ツナギは当初から自宅に沢山自生していて。
額アジサイは去年に買ってきて植えたモノ。今年は花がついてくれました。

梅雨頃の台風は珍しいのだとか。
奥に見える田園の稲穂も倒れる事無く。無事に根を張って行くことでしょう。

強風の日。

朝になってから今日が台風らしいという話を聞いて。急な話で御座いました。最近はあまりニュース見て無いんですな。新聞も読んでおりませんから、割合に田舎に隔離された生活を送っております。夕刻頃には随分と降りましたが、それ以外は割合に小康状態という辺り。

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そうそう。台風の中を紙函が御到着。ありがたいものです。意外に軽バン一回で運搬出来そうなので安心しました。と云っても相応の養生をしなければ難しそうです。梱包などなど、これも時間が掛かりそうですから、いづれ手伝ってもらわねばなりません。ノシ一枚貼るのでも、数が数なのでなかなかの手間になります。納品まで少し時間がありますから、も少し造りこんでからの話ですが。

しかしサスガにちょっと、家の中がジメジメとしております。古い家ってのは湿気といいますか、要は空気をよく吸い込むだけに、空気中の湿度が高いと同じく畳や材木も湿度が高くなって参ります。やがて許容量を超えて来るのか、梅雨頃では湿度が高く感じられるような気がします。いやまぁ、実際に多分高い。機密性の高い現代住宅と違い、家の中でも何か、外の空気を感じます。


今日はさすがに。納品も在ったのでホトンド仕事が出来ておりません。

台風なれば、たまには休みもいいか。

梅雨らしく

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いやぁ、草が生えて来ましたな。梅雨ってのは、現代の人間にとっては鬱陶しい側面があろうかもしれませんが、およそ自然界は喜んでいる様に感じます。草花は賑々しく成長を競い、蛙は道を歩きまわり、それを狙って鳥が飛び、蛇が歩き、更にそれを小動物が狙う。とても活気のある状態であろうかと思います。活気が無くなるのは人間だけ?でしょうか。しかし昔は作物中心だったわけですから、喜びの雨という側面もあったかもしれません。洪水などもあったかもしれませんが、洪水の後は作物が豊富に実るという話でありましたか。

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今日もボチボチと。

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う~んしかし梅雨です。今日は比較的に晴間も在ったので、釉薬掛けて4~5時間もすれば乾燥は十分かと思いきや、バッサリとやってしまいました。3時間程度で一度確認して、念のため更に1時間置いたのですが・・・。粉引に関わらず基本的に素焼きをやらない主義(??)なので、徹底的にと乾燥させないとこういう目に。今日は削りも少し早かったので、そちらでもいくつか駄目にしてしまって。

あらら。やはり人間は活気が御座いませんな。

さっき工房を出る時にホタルが見れました。いやいや、季節ですか。


今日は夜中3時頃に焚き上がる予定です。

検品中

今日は天気も好かったので粘土採掘の御仕事でした。雨が降る中掘りに行くのは辛いですからね。

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んでまぁ、検品。写真の数量で450個程度。一ヶ月の御仕事ですな。まだ作業は沢山残っているのですが、あとでマトメテ。窯から出して、足だけ取り外した状態です。右に分けてある150個は作り直しの予定。なので実質300碗くらいでありまして、まだ峠を越えていない状態です。窯場に焼成待ちが100碗くらいありまして、それでようやく峠になります。

しかし・・・。最初の頃に作った茶碗がちょいと不満なのですよ。

やはり一ヶ月の間に相当の進歩があり。仕事を始めて以来、ずっと薪窯一本でしたから、最初は花入に専念、ここ数年は水指に専念というわけで、茶碗に専念していた時期は非常に限られており、まだまだ改良の余地が大きい状態であった様子。土がまぁ、ちょっと細か過ぎるので萩のようなザックリした感じに乏しいのですが、本来の高麗は意外に細かい土で薄引きのものも多く、細かい土でも風合いを出して行くのが本来なのかもしれません。

あとは・・・頻繁に窯変が出るのが困りモノ。水野師匠から「その調合だと、多分こういう事があるぞ~」という予言(?)が在ったのですが、原因はやはりソレでありまして、確認済み。ちょっと焼成温度が高い。

そういう辺りまで含めると、なかなかに現状の得心も難しい・・・。


しかしそれはそれ。ともかく現段階での最善を尽くすのみです。

雨の始まり?

今日は随分と雨の日で御座いましたか。湿度97%と表示されていて、工房の壁にも水が上がっておりました。(コンクリブロックを積んだだけの壁なので浸水性があり、雨が多いと濡れて色が変わって来るのですよ。)

例によって朝から窯詰めして点火。土作りながら釉薬を掛けて、ロクロ挽いて、土作って。

夕刻からは夏祭りへの会議。と云って何が出来ると言うわけでもなく。田舎の話ですから御酒も出ます。年額数万円に昇る町会費は、まぁこれも多分に含まれているかと。ガス窯が在るので呑みはしませんでしたが、しかしまぁ、会議の拘束が二時間程度としても、さてさて、現代の若者が主張しかねない、「最低賃金時給で二時間1200円程の手当てくらい」という支払いを想えば、「缶ビールの一本や二本の方が数百円で安い」という話でもあり、いやまぁ、実際問題として時給手当が支払われるよりも、缶ビールとツマミが出る方が、実際には余程出席率は上がるし、協議の効率もいいのかもしれませんね。

あぁ、別に他意はありません。それに下戸ですから。

しかし夏祭りも、出店は全て地元民のボランティア。僅かにあるような無いようなという利益も運営資金へ廻されるというもの。なかなか、都会では左様には参りませんね。商売屋さんを呼ぶほかは無いものでしょうか。実際なかなか、ホントに草刈りに始まってゴミ拾いから、人々が自分の村なりを盛り立てていくわけですが、これをやっている田舎は過疎・高齢化。やらないトコは人口増というのが滋賀県の実態ですから、世の中というものは解らないものです。理想の街は誰に聞いても前者だと思うのですが、自分が関わるとなると別で、自分は無償奉仕はやりたくないという辺りでしょうか。別にそういった気分が解らないでもありません。特に故郷でもなく愛着も無い土地で、転勤などもあり、終の棲家でも無くという話になれば、尚の事でしょうか。

こういう問題は結局、工藝などの衰退にも通じる性質を感じます。誰もが大事なものだと答えるし、守るべきものだと思ってはいるけれど、しかしそれ以上では無いし、自分が支援者となり購買者となるかと云えば、さてさて百円均一から量産廉価品で済ませてしまうものがとても多い。蓋を開けてみると機械生産の大量廉価品、ハウス栽培の味の少ない野菜に、人々の膨大な資金が集積され、守るべきものが淘汰されて行くような実態があるわけです。村興しなどのイベントも、奇抜な器で一時的な人気を博すに近い感があり、持続的な底力に乏しく継続力が無い。

なかなかホント、難しい問題だと思います。
分析してみても、解決策は思いつきません。

あっと。妙に大きな話になりました。
いやほんと、別に井戸端の独り言です。

稽古日

今日は稽古場も少しく蒸し暑い感がありましたか。しばらく梅雨らしい天気が続くそうですが、さてさてどんなものでしょうか。予報通り先程から雨が降っております。

今日の稽古。御軸は「時々勤払拭」にて。四ヶ伝を中心とした稽古でありましたか。水屋入りする人員として、最低限必須となるものが薄茶濃茶の平点前。先生方の持たれる席はどれも格式の高いものばかりですから、同じ平点前でも要求の水準はとても高度で詳細です。そういった基本の動作が、やはり唐物など格の高い点前に移っても「形式美の基本」となるわけで、なるほど基礎はとても大事なものである事を再認識するばかり。自分では気付かぬものばかりにて、中には以前注意を受けた内容も在ったり。なるほど、ホコリというものは知らぬ間に積もるもので御座いましょうか。払拭に勤めなければなりません。

んで、帰宅してみると何やら・・・

また猿被害が・・・

というわけで、柵は突破されていた様です。ここ数日、夜中になるとガタガタと音がするので、またぞろ睡眠時間が短いってのに見廻りしておりまして、「う~ん、もう限界だわ」と思いながらに寝てしまって、その後、朝方などが多いと聞きますが、食われてしまったのかもしれません。とはいえ、今回はジャガイモが少々食われただけ。どうも被害が少ないのは、警戒見廻りしている事と、柵のお蔭なのかもしれません。中に入れば、当然に出る時にも手間が掛かりますからね。

まぁ、そういうわけで。今日は新ジャガが食卓に並びそうです。

夏の日?

何だか梅雨にしては湿度があまり高く無いような気が致します。普通の夏の日の様な。

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今日は仕事をしていると、「ん?・・・あぁ、例年なら薪窯を焚いている時の薫りか・・・」という感触でした。昔の、名品が作られたりしていた頃の時代など、基本的に仕事と云えば畑仕事で穀物を作っていた頃ですから、年中に、ちょっとした空気の感触で気候を想っていたのかもしれませんね。

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ちょっと茶会などの所用で焼成が滞っていたのですが、釉薬の乾燥が悪かったのですよ。全体的に乾燥に必要な時間が1.5倍くらいという感触でしょうか。釉薬を掛けた際の乾燥も同じく延びるので、雨が長いと棚に滞留し始めてきます。

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というわけで、さすがに今日は焚いてます。
12時か1時頃には終わるかと思うのですが。

ボチボチ。明日は茶道の稽古なので無理をせず。

老子読解 その四

老子読解 その四。

とても歩みが遅いのですが、少しづつでも勉強を。 時々禅語的?な言葉もあり、雑感を書くのに困ることが在ります。それはそれで未熟ながらに。

「帰根第十六」より抜粋雑感。
>
根に帰るを静と曰い、是を復命と謂う
>

通釈より「万物は生じても、全てはやがて、根源である道に復帰していく。」という話であるとか。工藝にせよ茶道にせよ、伝統というものには色々な横道や邪道というものが出て来るわけだが、大きな流れを見て行けば、自ずと収束する方向は定まっていて、無用なものはやがて失われるのが原則。「根に帰らない者」というのは、「横道に逸れる者」や「根を持たない者」という辺りでしょうか。およそ何事も突き詰めていけば原則・基礎というものは不可欠。例えば茶道では「利休に帰るべし」という事が原則となるだろう。根が枯れない限りに於いて伝統は持続可能であるが、根が腐ってしまえばこれも不可能になる。帰るべき場所、基本原則とはとても大切なものだ。


「淳風第十七」より抜粋雑感。
>
太上は下之有るを知るのみ。
>

通釈「最も理想的な君主というものは、人民はその存在を意識せず、特別に有難いとも思っておらず、民の平穏をも自らの手柄であると思っている。」という辺り。日頃、ついつい馴れてしまうとわからない有難味というものが各所に在る。空気や水、太陽の光、大気の流れ、雲の降らせる雨などなど。また茶道具の名品についても、例えば井戸茶碗など、全く多くの普通の人々は、これを特別な美と感じる様なものでもないし、それで一盌を頂いたとしても特別に有難いとも思わない。そういった一盌で頂いた僥倖も、亭主の心配りではなく、自分の幸運として受け取っていまう事さえあるだろうか。解らない人には解らないもの。長次郎なども同じく、また軸や茶杓なども同じく。これを「お高く止まって身内だけで楽しんでいるだけ」などという批判も、昔から跡を絶たないのかもしれないが、「文化は大衆に理解されなければならない」などという思想は、時に硬直的で低俗な思想でしか無い事も在る。「最上の在り方」として「太陽」を神格化し、「人格の理想」として学ぶ姿勢。古来万国に共通するものだろうか。

「俗薄第十八」より抜粋雑感。
>
大道廃れて仁義有り。
智恵出でて大偽有り。
六親和せずして孝慈有り。
国家昏乱して忠臣有り。
>
何か現代社会の姿に通じるものかと感じます。通釈より、「理想の世界では仁義が取り立てて誉められることは無い。智恵先行で酷い詐術が行われ、親族が喧嘩をするから孝行者という言葉が出て来る。国家が混乱しているから忠臣の存在が際立つのであり、元よりそれは理想の姿ではない。」という意味の話。器にしてもそうであるが、「絢爛豪華な京焼」が、「地味で素朴な器」に対して「上の格を占めるコトは無い」のが茶道である。無事是貴人などなど、この方面の示唆を感じる言葉は多く見るように感じる。理想的な存在は、その存在を感じさせないし、特別に喧伝したり、目立つような仕掛けをしたりもしない。そういうものは、「道徳」の語源たるこの書に於いて「俗薄」と批判されている。現代の器がとかく「俗薄」という批判を聞くことが在るが、智恵を立て、華美を飾り、喧伝に終始するのでは、何とも批判を免れることは出来ないのだろう。「そんな地味な器じゃ楽しく無いよ!」などという批判が、どれほどに心無いもの、老子道徳の言葉を借りれば「俗薄」であるかという話。


「還淳第十九」より抜粋雑感。
>
素を見わし朴を抱き、私を少なくして欲を寡なくせよ。
>
通釈より「金持ちになろうという思想が盗賊を発生させているのである。道徳に関する議論を紛糾させるよりも、ただ素朴・純朴に生活することが理想世界へ還る道である。」という話。欲望が文明の発達を加速させる側面もあろうけれど、それよりも人間の在るべき姿を守る点を優先する世界だろうか。現代はとかく「金持ちを目指せ」という思想であり、さて経済成長率や競争に勝利する事を目標にしているわけである。どうだろうか。50年や百年前と比較して、現代はどれほどに欲望を刺激する文言や虚飾に溢れていることだろう。いやまぁ、人の話よりも自分の話か。ともあれ反省の一途である。

「異俗第二十」より抜粋雑感。
>
我は愚人の心なるかな、沌沌たり。
>
通釈より「世間から見れば、私は愚か者で、望みもなく智恵もなく、塵にまみれていて、一方で仁や義を高らかに唱える大衆こそが潔白で、理想に燃えた人々であるらしい」という辺りの意味。ウチもまぁ、地味な器は多い。「なんだ、こんな地味なものばかり。古い手法ばかり。もうちょっと芸大でも入学して最先端の芸術品を勉強してきたらどうだ!」などという言葉を聞いたことが、まぁ無いわけではない。それがさも当然で、薄く軽くシャープで現代的な、そういうものこそが美の極致だと言わんばかりの、マスコミから借りてきた様な薄い信念でぶつけて来るような人は居る。まぁ、それはそれで自由だが、つまりはそういう話である。俗薄な時代に大衆が賛美しているものは、ちょっと気を付けた方がよい、という辺りの教訓。今の政治など好例だろうか。絶大な大衆支持を得た人々の姿に、現代最高の人格者の姿を、さて見る事が出来ているだろうか。


あぁ。最後に変な政治批判などを入れてしまいました。すいません。

理想。難しいところでしょうか。今日勉強した話を総合するに、「人々の支持多きを気にするよりも、高潔な人格者や、信じた師匠の教訓だけを気にして進めるべきである」という話でしょうか。「自分だけを信じるってのは軽薄」と説かれているので、この辺りの認識でそれほど誤まってはいないのではないかと思います。古陶磁を手本にするというのも、1つの師匠。自然の美を手本とするのも同じく。陶芸1つ採ってもそうですが、解って見ていると、何ともテレビや雑誌・DMなどなど、イメージ優先ばかりで中身の軽薄なことが多く、解説も虚飾が平然と使われる世界です。時に、そういったものに惑ってしまう自分を時折に見出し、反省するばかりです。理想を目指すにせよ、「じゃぁ正しい理想って解ってる?」と、そういった根本的な問い掛けを感じます。

思案色々

今日は午前中は仕事、昼過ぎから街中へ出て、青年部の会議まで。

9月開催の50周年茶会の会議。道具をアレコレと考える会議でありましたが、なかなかに所持する道具も少なく四苦八苦という辺りでありました。余所の青年部茶会などの会期を見ると、何とも人間国宝クラスから古陶磁の御道具が勢揃いしていたりするわけですが、おそらくは借り物の道具なのでしょう。今でこそ安くなりましたが、それでも1つ数十万円しますし、昔に買っていたとすれば茶碗1つで数百万円という時代です。バブル期の人々は青年部(50歳以下)を卒業している筈ですから、さような道具が勢揃いというコトは、まずまず難しい話です。まぁそれ以前に、人間国宝の作品って、あまり茶会では見ないというか、バブル期に桃山の巨匠作品群を買っていたのは茶人よりも「投機目的の金持ち」が多かったそうで、そりゃ同じ金額なら古陶磁などに手を伸ばすというものです。

特に昨今は道具にしてもやはり、基本的に青年部なれば稽古人ばかり。ほとんど茶会を主催しないのですから、道具も集まっている道理がありません。もちろん、それはそれ。何ぞの本では「茶会をするために道具を買い揃えるために数百万円掛ける。」みたいな話を読んだことがありますが、無理をして高価な道具を買い込むのが「茶の道」だとすれば、それはやはり、ちょっと問題があります。見栄と虚飾。茶道ならずとも、忌み嫌われて然るべきものでしょうか。金持ちなら買い込めばいいわけですが、無いものは無い。まずは自己の未熟を認めるのが青年部らしさかと思いつつ。背伸びをせず、青年部は青年らしく。茶人というにも若すぎる、全くの茶人見習いの集団なればこそ。

という辺りの思案でしたか。何か、ともすれば見栄や虚飾に陥り易い性根を感じながらに。

「う~ん、でもなぁ・・・、これでは格好がつかないか・・・?」
「いや、しかしそれは見栄・・・?いや、これは礼儀か・・・?」

などなど葛藤しつつ。
何かとても、人間性を試されている様な・・・。

個人的に、若い茶人があまり古陶磁を並べ立てるというのは、古い大切な道具を扱う程の茶人でもない見習い人にも関わらず、形ばかり先行して茶人ぶっている感じがすると云いますか。利休時代の話にも「若い茶人が備前信楽を扱って”侘び”、”侘び”と唱えている」などという批判が在ったかに思うのですが、「形骸化」という話でしょうか。茶人が在って、茶が在って、道具が在る。「道具を揃えただけで茶人振る」のは、「作務衣を着ただけで陶芸家を名乗る」という類の話でしょうか。いやもちろん、道具は揃えるだけで苦労があろうかと思いますが、そういった順序という辺りを、常々に自分に言い聞かせながら。陶器も、まずは陶器を作る素材であり道具である「人間」作りが大事だと考えております。

もちろん見習い集団なればこそ、助力を仰ぎ、指導を頂くものですが。


さてさて、悩み事も色々で御座います。
しかし、だからこその青年部かもしれません。

深謝。

今日は楽志会の定例茶会。楽志会は滋賀県の茶道指導者である宗道師が濃茶席を、宗道師の門下である淡交会幹部の方々が薄茶席を担当されるという、誠に以て格の高い、それでいて非常に値段も格安で敷居の低い茶会として、楽志庵の創設から続けられてきたもの。有難くも水屋に毎度入らせて頂いて、勉強の日々を積み重ねております。

今日は・・・
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何とも有難い事に、濃茶席にて拙作の伊賀水指を。もちろん私は駆けだしなればこそ、当日まで道具組を知らずに。誠に有難い限りでありました。席主はもちろん、日本屈指の宗道師。古き朝鮮風炉釜に、時代の瀬戸肩付茶入・もちろんこれも本歌の青井戸との取合せにて。とてもとても、名誉な事で御座いました。加えて粉引の茶碗も。

ともあれ益々の精進を。

もう今日はこれだけで。点前をさせて頂いたり様々御座いましたが、
これにて。

深謝。

不調。

今日は午前中は公民館などの清掃作業。ちょっと疲れているのか、どうにも身体が重いので困っております。とりあえずやらねばならない削りの仕事などを済ませた程度で停滞の日。

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仕方が無いので単純労働にて。玉葱を晩飯用に収穫。猿に壊滅させられた玉葱ですが、当時にほとんど実にもなっていなかったものは捨て置かれていて、それが大きくなりました。今年は手を掛けた成果?もあってでしょうか、随分と大きな実になりました。つくづくに惜しいと云えば惜しいもの。また来年、頑張りましょうか。

あとは草刈り。自宅周辺と公道を少しやりまして、睡眠を摂っておりました。

明日は茶会水屋にて、今日はあまり無理をせずに体調管理です。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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