農家と作陶家

今日は日射しも暖かく。少しく自宅~工房の道路は山間でありまして、今日も雪道が残っておりました。坂道の雪ってのは厄介というか、侮っていたので最初の冬にクルクルっと回転した経験が御座います。初窯が終わった冬の頃ですな。兄がタイヤのチェーンを買って土産に持ってきてくれたのを覚えております。日陰はいつまでも雪が残っておりますね。

最近は色々と、晩飯なども多少は考えるようになってきたので。本屋に行くと料理本のコーナーにも寄るようになっております。そういえば茶道雑誌も女性コーナーに在ったりしますね。

本の話は別にいいんですが、無農薬野菜って話を色々と、まぁ別に専門的に調べたわけではなく、ネットだのというような、程度の低い話でありますが、農業の問題っていうのは、とても興味深いというか、まぁ例によって工藝の問題に先んじて困っている内容が多く参考にすべき点が多い?と感じたもので。まぁ、誰向き?って云えば、訓練校の生徒さん辺りでしょうか。そろそろと卒業時期ですね。

まぁ、家庭菜園。自分の畑で野菜を作るわけで、ウチも基本的に肉類と調味料だけを調達して、野菜や米は貰ってきたり自家調達したりというもの。こういうものは、比較的無農薬系というか、非常に安心して食べられるものとして考えられています。しかし一方で、普通一般に入手できる野菜というものは、農薬を用いたものしか手に入らない側面が強い。

ここに於いて、無農薬と農薬使用との論争はとりあえず置きます。専門家ではないので。残留しない農薬であれば問題が無いとか、虫に食われた植物は農薬的毒素を発生させて自衛してしまうとか、色々あるにせよ、どうも「化学的な決着がつくまで話の基礎がコロコロと変わる」というものだと観察されます。素人がアレコレと言っても始まりません。それに農業の大規模企業化だの、高齢化だの、無農薬指向だの、様々な利権的構造が絡んでいるので、自分は自分で、という話になります。

人々は「無農薬を支持」するわけですが、生産者は「その値段じゃ作れない」というコトになりまして、要は「値段」に於いて折り合いが難しい。なぜならば、価格としては「農薬を用いた大量生産品の価格を支持」しているからです。その結果としては、無菌工場など大規模屋内プラントなどの野菜生産へと進んでおりましょう。これは無農薬に近く、大量生産が可能だから値段も居り合いがつきやすいわけです。「合成の誤謬」と申しますか、人々が望んでいたのはおそらく、「小規模でやっている無農薬栽培が支持され、その道の専門農家によって大規模化され、最終的に一定の安価で人々に供給される」というものを望んでいたのでしょうけれど、話は全く違う手法で実現され、農家の預かり知らぬうちに「農業を成長産業にしよう」という話が聞こえて来るものでしょうか。

あれ・・・?と思ってしまうのは私だけでしょうか。

一応、「安心・安全な野菜」が「低価格で供給」されているわけです。粉塵も無いから、昨今気になる「放射能の影響」も無いわけであります。これって、表面的には理想が実現しているのではないでしょうか。

でもやっぱり、「あれ・・・?」と思ってしまうのです。

何事も感情論だけで片付けるのも問題ですが、化学的見地だけで片付けるのも問題でしょう。「どこに問題が?」って、売場で「植物工場で生産」なんてことを書かない辺りが如実に示す様に、ちょっと違うわけです。風評被害とも云えるかもしれませんが、工場栽培のものが危険だから買わないというものでもない。

色んな議論があろうかと思うのですが、先の農薬にしても「人体に実際の影響は無い」ということで、「農薬に対する過剰な敵視は迷信や誤解」ということを説得したとして・・・。でもやはり、人は農薬を用いた野菜に、感謝や祈りを捧げるかと云えば、どうも難しいのだと感じます。どうも「これは・・・理想していたものとは違うな」と。

我々は日々の健康のため、生活のためによりよい食事を求めるわけですが、別に工場製の野菜を買ってまで長生きしようとは思わない。除菌云々だってそうですが、商業広告に乗せられている人は、それほど多く無いかと思います。そういった「中庸」の感覚がどこか潜んでいるかに思うのです。

陶器に於ける作家品というものは、いわば「農家の無農薬野菜」でしょう。色々と作られているが、普通一般の人が手にするには、何らかの縁や、もしくは一定の金額が必要になってきます。多くは知らず知らずの内に、「〇〇焼」とシールが貼られた「工場機械製の食器」を、それとも知らずに使っており、頓着しない人や、社員食堂・学校給食などでは更に廉価な「プラ食器」が一般的です。外食チェーンや加工食品・冷凍食品が中国製を始めとする廉価野菜を用いることに共通していますか。「廉価」を突き詰めていくと、「酷い食材」に「酷い食器」という、何ともつり合いの採れた存在が誕生します。大学の学生食堂などは色々と無理が現れているというか、一定の安全性を確保するために「彩り」や「味」を犠牲にしており、健康的で合理的であるが、如何にも「貧しい食卓」というか非常に「見た目が淋しい」ものになっておりましょうか。正直、まぁ学生の頃だから楽しく無い事もなかったのでしょうけれど、今となって1人で食べるには敬遠したい食事ですよ。(←あくまで個人的な嗜好ですが。百貨店の社員食堂などもこの雰囲気ですよね。)

「健康的な食事が、廉価で」という理想。なかなか、頭で考えた理想ってのは、実現してみると不備の多さに驚くことが多いわけです。

そういった意味で、です。陶器家がよく、「機械製はダメで、作家モノは好い」という言い方をするわけですが、昨今は機械製の方が丈夫で、電子調理器や食洗機などの使い勝手もよく、品質は均一、価格も安く、デザイン面も進歩しているわけで、一概に作家ものが優れているとは言い難い現実が、まぁこの5~10年くらいで、不景気と共に襲いかかって来たわけです。正直、場合によっては機械製の方が手軽に用いられる場面があろうかと思うのです。要は農薬業界が、様々な進歩改良を加えて、殆ど無農薬に迫る様なもの、場面によっては凌ぐものを、以前と変わらぬ低価格で作るようになってきたわけです。

そうするとですな、「人々の喜ぶ器を作る」という原義が、色々と揺らぐと思うのです。自信を持てなくなるというか。クラフトフェアにしても、それほど売れなくなっているわけで。自分は誰のために作っているのか、という辺り。

特定の答えは無いわけですが。
自家の小さな家庭菜園のものを、安くで人々に売る。

そういう仕事だというコトでしょうか。イイモノ、こだわったものを作るにしても、
現代の作陶家の現実は、「無農薬野菜の個人農家」という辺りに感じます。


仕事を大きくするにしても、理想を追うにしても、また大規模工場と闘うにせよ、最新技術に対抗するにせよ。他業種に比して見ると非常に客観的に見ることが出来る例は多いものですから、1つ参考になればと、ツラツラ若輩者の思い付きを書いてみました。どんな野菜を目指すか。市販品っぽい綺麗な野菜を作るのもよし、味だけに拘るのもよし、中間点を目指すもよし、新品種を探すのもいいでしょうし、目新しい野菜の栽培や、希少品種を作るのもよいでしょう。経済的に儲かるように農薬を用いて家庭菜園をしてもいいわけで、ビニールハウスを進化させて「個人栽培だけど無菌室」みたいにやっても自由です。

と、中身があるようで、多分スッカラカンの話でありました。

「理想の置き方」という意味では、これからの人に参考になるのでは。

私は「茶人御用達野菜」という辺りでしょうか。

以上、そんな話でした。
論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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