「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第三回

itisada.jpg 

台風一過。仕事が進まぬので今日も小難しい話、第三回。

東洋史論:「中国火葬考」より抜粋・雑感。
(※元本は宮崎氏の東洋史論文集です。)

>
死生観に従ってそれに対応する埋葬の方法が発生する事は勿論だが、また何とはなしに発達した埋葬の習俗に従って、それを説明するような死生観が生ずる場合も考えられるはずである。中国人の埋葬の起源を説明した最も古い記録は『孟子』(・・・)自然に肉体の腐朽するまでこれを保存しなければならぬ。これには土葬が最も適当であり、出来るならば防腐剤を用いてその腐朽を出来る限り延ばすのが孝子の勤めだということになる。こういう考え方は清朝まで続いた。
しかし一旦仏教による火葬法が伝えられると、それが仏教と共に次第に中国人の社会に浸透していくことを免れなかった。(・・・)宋元明の三王朝はいずれもその天下一統の始めに、火葬禁止の命令を発布している(・・・)朝廷の火葬禁止はとかく有名無実に流れる傾向があった。(・・・)仏教は必ずしも火葬に固執するわけではないが、中国における火葬は仏教からの影響なしに在考えられぬ。(・・・)火葬を論ずるには、勢い仏教と儒教との勢力消長の大勢を背景において見直さなければならない。
>

伝統的な習俗の変遷について述べられた論考。我々は、ともすれば直近の経験や、知りたる事象から類推を行うけれど、そも火葬と土葬についてさえ、日本では今現在においても土葬の風習が残っている地方があり、現に私の在住する地区でも数年前まで行われてきたのである。死者に対する敬意を同じくする仏教と儒教、その思想は交錯し、時に対立する歴史を持つとはいえ、互いに理想郷の世界を求めるものである。細かく見た時に、仏教にも宗旨対立があり、儒教にも学派というものが生じた歴史がある。これは別の視点で言えば、陶芸の各派ということも同じであるし、茶道の流派についても同じことであろう。それが何を引き起こしたか、という事は、なかなか、数十年単位の話であるからして、歴史に学ぶことは大いに参考になるものである。

>
現実の動きとしては、民族主義的な傾向を持つ新儒教の土葬法が、世界主義的な仏教の火葬法を、次第に駆逐しだしたのである。われわれはここに歴史の発展が必ずしも世界的に合理的な方向にばかり発展するとは限らないという一例証を見る事が出来ると思う。(・・・)歴史研究にはある一時期を取り上げてその詳細な断面図のようなものを作製することは是非必要である。しかしそこから余り多くのことを永い年代の前後にわたって推測することは慎まなければならない。清代の社会は宋代の社会より全般的に見て進歩しているには違いないが、時には宋代の方が進んでいた点もないとは言えない。同様にして同じ清代でも、後の時代ほど前の時代より進んできたとは云い切れぬのである。
乾隆頃から中国の社会では次第に火葬法がすたれて土葬が普遍化し、それは一時の好景気時代に起った趨勢ではあるが、一旦習俗として成立してしまうと、今度は習俗に反して火葬を行う事は大なる非難を招く原因となった。ついで世上が一転して嘉慶以後の不景気時代に入ると、土葬のための土地入手が極度に困難となった。そこに起こったのが、最も忌むべき停葬の風である。屍骸を入れた棺を路傍、田間、所かまわずに放置しておくのである。(・・・)これは恐るべき歴史の逆転である。
>

古代に於いて、遺骸を山間に捨てる人々の風習を咎めたのが儒教であった。そうして始まった土葬の風習であるが、簡便・合理という点から、已む無きには火葬を併用する歴史を経て行く。その火葬の風習を退けたのが、儒教に忠実たらんとした清代。それが停葬という、正に「遺骸を放置する」という儒教以前の状態を眼前に蘇らせたという話である。

対立する思想。現在の日本では逆に、火葬の風習が完全に土葬を駆逐してしまったが、それは何と云えば、政治による決定によるのであって、信仰による変化ではない。腐敗という化学的な現象を批判するのであって、土地とか思想は全く関係のないものである。遺骸を業火で焼くというのは、儒教的に数千年の永きに渡って「最低の行為」とされてきたものが、この数十年で、いとも容易く覆されていく。仏教的には「どのようにしても好い」のだから、およそ土葬が残りそうなものであるが、それほどに現代の変革は速断である。問題は、理想を追って火葬にしたのではなく、合理との競争で廃滅させたのであるから、これが、理想一本槍で失敗した乾隆帝の土葬推進策と、成否はともかく、さて進歩的な政策であったのはどちらかと云えば、どうだろうか。

歴史は必ずしも進歩するとは限らず、また憶断というものもアテにならない。故に歴史を見れば「未来など判らない」という事が「判る」のである。例えば日本も、仏教、儒教、神道、自然信仰などなど、永きに渡る伝統的思想の柱を固定せず、また教えることも無くなって、半世紀。人を善に導いて来た教科書を捨て去って、機械や科学など、人間そのもの、己を信仰する世界と言えるのではないだろうか。さて、これが自由なのかどうかは、やはり歴史となって後に判ることなのであろう。新時代であるからと云って、即ち「進歩した」とは云えないのである。「新」は必ずしも「真」ではない。また「理想一辺倒」も弊害が大きいのである。儒教はこれを「中庸」と云う。すべからく全てを見通しているのが二千年前の『論語』であることは、とても興味深い。

論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

記事内容の分類
過去の記事(月別)
08 | 2011/09 | 10
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
来訪者数(2006.5~)
LINK
リンク
メール送信はこちら
・来窯時などに御使用下さりませ

御芳名:
貴アドレス:
本文の件名:
本文:

不在時・繁忙期などは返信が遅くなる事もあります。悪しからずご了承下さい。もちろん、迷惑メールは駄目ですよ。