反省文?

せともの祭りの反省文?なんてことを書いている暇もなく。仕事が随分と溜まっているのですが、訓練校の在校生諸氏も読んでおらるるという事。なので、少しばかりに書いておこうかと。試験のヤマが外れたのは答案作成者がココを読んでいる?という可能性を考慮していなかったもので・・・、まぁそういう言い訳は置いておきます。(スイマセンでした。)

焼物祭り。秋頃・春頃を中心に各地で行われます。景気の良かった20~30年前であれば、僅か数日で100万~200万という売上を得る事もザラに存在したそうで、所謂「作れば売れる」という時代の話であります。今とて、言葉で云えば「数十万の来客で数千万規模の陶器が売買される青空市」ですが、実態としての売上規模は1店舗5~50万円くらいでありまして、経費を引けば僅かに1ヶ月や2ヶ月程度の生活費。年収の半分を稼いだ時代とは、全く隔世のもの。

価格帯も、ここ数年の景気急落で陶器商(量産陶器)は100円から。在庫の投げ売りです。作家も、以前は見られなかったカゴ売りが当然の様になり、1つ300円程度のものが多く売られています。一昨年までは少なかったカゴ売りですが、去年の祭りの際、猛暑日ということで客が寄りつかなくなり、雪崩を打つようにカゴ売りが行われたもの。その悪夢の影響か、今年はあきれ果てて出店を止める人が多かったようで、一方で出店した作家も、最初からカゴ売り前提の武装状態。陶器商に至っては「詰め放題1,000円」なるものも見受けられる状態。

まぁしかし、こうなると客も呆れ果てている様に感じました。買うとなればカゴ売りのもの。棚のものを見て、好さそうな物をカゴから探す。もしくは値切りながらに正規品を買い求める。こういった中で、せっかくだから少しでも楽しんで行こうと、そういった感がありました。

と、批判材料は相変わらずの豊富さです。


しかしまぁ、不景気の潮流も「値段の壁」で止まりつつある様に感じました。もうこれ以上、値段は下げられないトコまで進んで、出店者の投げ売りにも限界があります。そりゃぁまぁ、「100円均一ってのは中国製で品質が悪い」というイメージは相変わらずに存在しているわけですが、実態としては「国産陶器」でありまして、1枚捲れば堂々たる「美濃焼量産」であります。明白な「作家手作り」が「300~500円」で投げ売りされているのを見れば、「あれ?なんか安過ぎないか?中国製と変わらない値段じゃないか。」という感想を抱く人々が増えて来る。

しかし内情を知ることは出来ないので、「多少値段があろうとも、安心して求められそうなものを」という防衛本能が働いているかに思います。値段だけではなく品質に目線が動いていたとすれば、1つ好材料かもしれませんね。 実際のトコ、作家には「作ることを止める事は出来ない」という宿命があります。作らないと巧くならないし、試験も出来ない。若手作家となれば、B品を売って好い暮らしがしたいのではなく、一回でも多く焼成資金に廻したいだけです。量産工場ではありませんから、腕を上げるには経費が掛かります。回転寿司しか売れない時代には、意図的なB品制作も止む無しです。

世の安価販売の限界。廉価市の凋落。

「値頃感」というものは、一度凋落すれば回復は難しい。それを了解しながらに、値下げ競争は限界領域に入っての殴り合い。「せともの廉価市」における出店者激減という現実。商売上の戦略として、「体力勝負」というものがありますが、それに酷似した状態。己が満身創痍になったとしても、相手を倒して市場を占有するというもの。

商店街と量販店が好例でしょうか。大手量販店が低価格を提供し続け、在地の小規模電気店を次々に閉店へ追い込みます。すると、小規模電気店が保持していた顧客は全て、大手量販店に流れ込むことになります。大半の小規模店が潰れた辺りで最終的に価格を是正すれば、大手量販店は完全な勝利を得て盤石の利益を得ることになります。

問題は漁夫の利を得る第3者の介入。家電量販店やコンビニの店舗、また大手の製造業などにおいても見られるものでしょうか。低価格路線で疲労した状態を見透かされて、即座に廉価勝負を挑まれる。いつまでも利益を上げられることが出来ずに、店舗閉鎖という事になる。

資本主義的な、いかにも「金欲」に塗れた、反儒教、反道徳的な手法であります。
この対極的手法は「談合」。談合を否定し、競争を是とした結果の過当競争。


淘汰の時代。小回りを利かせて、どうやって廉価勝負に対峙したものか。少なくとも量産窯元が限界領域で殴り合っているのは確かな様相でありまして、不景気によって泥仕合が加速している状態かと判じます。なるべく余波を避けつつ、巧く世を渡ることでしょうか。淘汰の先には、作家過剰・供給過多が解消され、過去ほどの栄光は無くとも、相応に安定した状態になろうことを、祈っております。

大気の水蒸気量が過剰になれば、雨が降って調節される。
雨が降った後には、少しく晴天も望めるものであります。
晴れないって事は、雨が降り足らんということです。
せともの祭りでは、陶祖が雨を降らせるのです。


以上、せともの祭りの反省文まで。
論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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