雨の日

9月も最終日。いわずもがなですが、明日は10月。甲賀は雨の降る一日でありました。

今日は箱書やハマスリなどの仕事。主に作品などの手入れになりますか。案外と、此の手の作業は時間が掛かります。何だかんだと、土造りから始まって最後は桐箱まで、ロクロを挽いたりしている時間と同じくらい、様々な手間が掛かります。要は仕事としても、そういった比率になるわけですが、勢い、なかなかにどうしても、作品の手入れは時間配分が疎かになってしまいます。なんでかなぁ・・・。

しかし箱書は、同時に嬉しさもありますから有難いモノです。箱に入れて出せるというだけでも有難い。昨今では茶道具くらいなもので、よくある牛肉とか引出物などの桐箱というのは、御世辞にも桐箱と呼べるものではありませんから、京紐師さんの真田紐や手漉き近江雁皮紙などで包み上げるというだけで、現代では随分と丁寧な作法なのかもしれません。時代と共に様々なものは変化する様ですが、こういった面では時代と共に劣化する事も見受けられます。

そいった辺りでは、桐のタンスなどは代表的かもしれません。桐はあくまで実用本位。別に高級品だからって云うなら、黒檀とかの箱が高級なわけですが、黒檀は机とか棚に使われますよね。なかなか、木材の適材適所というのは基本として、よく踏まえられているもので、高級だからと云って、黒檀で汁椀を造ったりすることはないわけです。まぁ、探せばあるかもしれませんが、非常に趣味的なものでしょうか。現代ではベニヤ板のタンスが安くて多くありますが、非常に壊れやすく、湿気に対しても非常に脆弱。ウチもやはり、そういった安価タンスが多くあるわけですが、古民家的な湿度には到底耐えられないものである様で、引っ越しをしてから、見る間に傷んできています。現代式の密閉性住宅では別かもしれませんが。


箱書きも墨1つ、印泥1つ、それぞれに色々なモノもあり、礼儀あり。
「時代と共に」と云いますが、「時代を越えて」という言葉もあり。

箱を整えると同時に、中身もしっかりと整えて行きたいもの。
外見と内面。最終的には人の器も同じことでしょうか。

袋。

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今日は心地好い日和でありました。写真はオクラの花ですが、少し柔らかくなった日射しの中、夏からずっと、毎日の様に咲いている花です。野菜の花というものも、1つなかなかに良いモノだと思います。ニラなども綺麗な花を咲かせますね。

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庭でボチボチと。今は水指。ココのとこ焼成が厳しいのか、焼成結果では想定以上の収縮を呼んでいることが多く、従来の様に造っていては難しいという反省も踏まえて、大型のものを多く制作しています。やはり大きくなれば当然に、収縮幅が大きくなるので亀裂も大きくなります。

同じ1割でも、モノによって実際の値は異なるわけで、グイノミなどでは「5cmの2割⇒1cm」でありますが、「20cmの2割⇒4㎝移動」でありまして、収縮で4センチも動くってなれば、小さいグイノミ1個分くらいに相当します。

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まぁ取り敢えず造り直し。コレも結局は夕刻の頃に乾燥収縮で破れました・・・・。
といって、破れていても好いのです。上の様に潰れるトコまで行くと無理ですが。

破袋の持論。亀裂を入れておいたり、破っておくのは「破り袋」であるのは云うまでも無いのです。焼成前・焼成中の論は別として、前提として自然収縮によって生じる亀裂であることは自明の理。破った亀裂は・・・作為が強いというか・・・、知らない素人相手であればどうか知りませんが、「見せかけ」という意図が判ってしまうと興醒めしてしまいます。オブジェで亀裂を表現として用いるのであれば、それはそれですが、表現で「破袋」を造る人は居ないわけですよ。まぁ鈴木五郎さんが、自然由来的ではあるが、明白なオブジェ目的の破り袋を造られておりまして、直接に解説して頂いた懐かしい記憶があります。あれも1つ、面白い趣向だと思います。

先日に、杉本貞光氏の破袋写しを拝見させて頂くと、全く別の方法論が提示されていて面白いものでありました。個人的には「破れたものを構わずに焼いたのではないか?」と思っておりましたが、加えるに非常に参考になるべく方法論にて、当時の焼成としても充分に有り得る手法。とても勉強になりました。


今回は・・・水指が多めかな。写しモノは少な目になるかもしれません。
漆を習得して、亀裂を恐れる必要が無くなって。

安心して水指に取り組めます。

釣瓶落とし

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日の暮れるのが早くなって、何だか仕事の時間も短くなっている様な気がします。六時頃でしょうか。暗くなってきたなぁ、と思ったら、次に見た時は夜になっております。


仕事は伊賀。前回作品では少しく作為が強かった反省を以て、ゆっくりと作陶しています。気合いを入れ過ぎない事を心掛けつつ。個人的に思うコトですが、例えば夏の器は、商売的に考えると春先から作って、夏の個展や販売に間に合わせるというような形が一般的であろうかと思いますが・・・。

夏に造る方が、それらしいモノが出来ると思いませんか?

必要な時に、欲しいモノを、その環境下で造る。まぁ、見事な泥縄制作になりますけれど、ガス窯焼成であれば難しくは無いかと思います。侘びの器は、侘びの季節に、ということになりましょうか。秋は、気温的には春先と同じ気候といっても、何くれと冬に向かう感がありますが、そういったものでしょうか。量産食器などには関係の無い話ですが。



今日の仕事は穴窯の補修と、土造りでした。

晴れの日に

今日は御出掛け日和でありました。

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連日のお出掛け。ICが近いというのも考えものですな。
今日は午前中は仕事をして・・・

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午後からは免許の更新へ。琵琶湖湖岸にある免許センター、佐川美術館の近くですが、甲賀から行くとなれば遠いのですよ。まぁ滋賀県の県境山麓に住んでいるのだから、当然といえば当然なのですが、一般道で一時間半のトコ、高速道路を使うと50分ほどで到着します。便利なものでありますな。なかなか、景色の良いトコです。

まぁ・・・五年前?くらいですが、学生さんの高速スリヌケバイクに脇腹を突かれたことがありまして、それ以外は過去一切違反も何も無いのですが、相手がバイクだったので事故扱い。よって違反者講習でありました。ガックリ。

ん~と。陶芸に絡めるネタが無いので強引に。

「運転にコダワリの強い人=神経質なので、他者の運転にも要求が強く、怒り易いので気を付けましょう」なんていうコトが書いてあったりして、「あぁ、なるほど、世間的に見れば”コダワリが強い=神経質”なんだなぁ」と思いました。一種のレッテルでありましょうけれど、全く火が無いわけじゃぁないなぁ、と思います。

んでもまぁ、「神経質」って書くと、なんだか眉間にシワを寄せていないといけない感じがするのですが、別にそうでもない人って、結構多い様な・・・・。要は表現の問題ですな。

しかし陶芸作家に「神経質?」な人が多いのは、まぁ確かです。陽気でありながら、豪放でありながら、各種様々に居られますが、どこかに「神経質?」なコダワリが見え隠れしている場合が多いです。「陶工」なんて書く人は、およそコダワリが強いとみて間違いないでしょう。・・・・・・

んん・・・。やはり「繊細」って云ってほしいですな。

「繊細なコダワリ」です。「神経質なコダワリ」じゃないです。
(という辺りが神経質と言われるのだ)

気性の荒い・穏やかに関わらず、大なり小なり、作家さんは「繊細」な感覚を持つ人が多いし、繊細な心を持つ人が多い様に思います。表向きは色々と、格好をつける場合もあるので別でありますが、作家同士として話をすれば、ビックリするほどに繊細な人ばかり。基本的には優しい人が多い。矜持を守るために居丈高になってしまう、まぁ云えば「俺は作家だぞ」という人が目立ってしまうのですけれど。


とまぁ、強引に話をつくり上げたトコで、今日の記事にしておきます。

茶会修行

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今日は楽志庵の定例茶会。秋の始めの頃合いに、2日連続で水屋修行をさせて頂きました。今日は点前役を頂戴して・・・大先生の方々の前で緊張して、ガタガタと。なんとも修行のやり直しです。どちらかと云えば精神修行?。何とも油断・慢心でありました。ここ2ヶ月程、小生都合で花月稽古。別途、家でもやらんといけませんね。

う~ん。しかし柄杓の落ちやすい建水ってのは罪ですな。
落したワケではないけれど・・・精神衛生も非常に悪い。
「実用不足は点前を堕としてしまう」という事を実感しました。

昔にはトランペットソロなどもやっていた経験もあり、それなりに大丈夫という思いがあったのでガックリ。長いコト田舎に引っ込んでおりますからね。もうすっかりと空手形。


茶席には入れずに終わったのですが、濃茶席は無学和尚の円相、宗旦茶杓を中心に格調高い侘びの席。薄茶席は「水を掬いて月、掌に在り」との軸を中心に菊・月による秋の茶席。9月の茶会ではありますが、少し肌寒い気候。今年は何か、冬を感じさせる秋という感じがするのですが、如何でしょうか。台風も終わって、これから安定するのかなぁ?などと思いつつ。


もう10月。来週は青年部の茶会にて、こちらも水屋。再来週は信楽祭り。10月は茶会多くして、後半には窯焚きの予定。10月は陶芸も茶会も盛会でありますから、気合いを入れて頑張らないといけません。

研究会の席

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さて、今日は淡交会滋賀支部の研究会。茶道の御点前について、業躰さんという直門修行の方が公開指導をされるもので、家元と地方を繋ぎ、また地元茶人の集う場所として、なかなかに素晴らしい機会です。有難いことに濃茶点前にて小生の粉引茶碗が登場してビックリ。感謝。

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ちょっと・・・朝方の余暇にしか撮れなかったので、釜とか何にも無いですが。大津市青龍寺にて。以前にも研究会については紹介しましたね。点前のみならず、足捌き1つから、客の作法・応答の流暢などに至るまで、一会の席の流れ全体としての指導でありますから、色々な面でとても勉強になります。

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ここには御茶席が付きます。これも写真は早朝のものでスイマセン。雲龍の、風情ある古い釜が掛かっておりました。寒雲棚に丹波の水指。とても丹波らしい色彩で、躊躇なく丹波だなぁ、と直感出来るもの。沓形に歪んでいるものの、蹲などに有名な種壺でしょうか。底は下駄底。棗は竹の溜塗棗で、これも風情のあるものでありました。

ちなみに席主は山本宗力先生。北野社中にて大先輩。いつも御世話になっている方でありまして、水屋に入らせて頂きました。役に立てたのかどうかは判りませんが、微力を尽くさせて頂きました。

ちなみに床は淡々斎の自画、賛「有悦」にて、茶杓は長谷川寛州さんの「和心」、大樋九代の「無心」。他意無く自然な無心で集う処に和が生まれ、そこに茶道の喜びがあります。水屋方も、御客様も、様々顔見知りの方々ばかりにて、行くだけでも楽しいものであります。


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帰宅して昨日の焼成品を窯出し。粉引のA品を焼いたので、御使い頂く方面へ持って行きます。焼成するとやはり、1㎜とまでは行きませんが、少し形が動きます。碗の角度が変わるんです。薪窯では1㎜以上動きます。最終的な良品は・・・3碗くらいかな。100個焼いて、3個がA品。まぁ、しっかりと選別したらそんなトコです。


明日も茶会。いつもの楽志庵茶会が本日、明日と開かれております。う~ん、どんな席でしょうか。とても楽しみであります。明日も水屋方にて、勉強をさせて頂きます。

写真付きの記事

さて。今年は写真付記事を心掛けつつ、ここ数日サボってました。

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涼しいけれど、相変わらずの夏野菜収穫。そろそろ終わり。

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食物が無くなったのか、オクラにアリが群れる様になりました。
高さ1.5メートルほどの花ですよ。今年は害虫に苦労してます。
実際、畑の野菜って甘いものが多いですからね。

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世間は御彼岸の時期でしょうか。噂では三連休と聞き及びます。

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ボチボチと茶碗を削ったりしておりますと

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稲刈りの音。ここ10日程の間で一挙に進められています。
雑草も背が低く。生育が衰えると牛の食欲が勝利します。

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地面が少し乾いて来たので私も獣道を通って・・・

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伊賀土の収穫へ。今回はこれで足りると予測してます。

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ついで昨日に詰めておいたガス窯を点火。

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まぁしかし、涼しくなったもので、日の暮れるのが早いです。
長く楽しませてくれた桔梗の花も終わり。芙蓉も最後の一輪。

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そろそろと、秋の花でしょうか。釣鐘人参。自生の花です。


ちょっと点火が遅かったので明日の朝までガス窯になる予定。その足で、そのまま淡交会の研究会。茶会の水屋方に入らせて頂いて、勉強して参ります。御茶人だけの集まりって、とても朝が早いのですよね・・・。

でわでわ。

秋の寒さ

う~ん。寒い。寒いぞ。

今日はコタツを出すかどうか悩むくらいなものでした。朝晩はかなり冷えるようになりまして、朝露が随分と深く大地を濡らす様に。毎年のことですが、秋が短いなぁ、と思います。東北などでは夏が終われば冬支度だそうですが、そういった感覚なのでしょうか。

ここ数日はボチボチと。粘土を造ったり、多少作品を造ったりという辺り。御蔭さまで台風の被害は僅少でありましたが、甲賀も随分な大雨でありましたから、昨日に台風一過して、今日が晴れ。終日、山水が流れておりました。雨が随分と降ったのでトユから滝の様に水が溢れていて、大壺が動かせる状態になっていたから良かったものの、危うく壊滅するトコでありました。しかしやはり、家に依っては水によって倒木があった場所もある様で。

今年は色々と天候が不順である様子。畑の作物1つとってみても、随分と収穫は鈍く、変動があります。去年は暑かったんですよね。地震やら台風やら大雨やら、まぁ色々とありますが、永い目で見ればこういった事はあるものでしょう。テレビを見ていると「観測史上最高の云々」ということを聞きますが、せいぜい50年ほどの歴史でありますから、そりゃまぁ、50年計測したくらいで百年後まで予測出来るわけも無く。温暖化1つにしたって、さて今一つ予測値は微妙らしいですが、門外漢なのでクダラナイ妄言は止めておきます。

と、今日も微妙にネタが無い一日でありました。


明日は玉葱を植えるかな。

信楽焼祭りの頃には、今年は随分と寒くなっていそうな予感です。

「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第四回

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第四回は簡潔に。ってか、一度書いた記事が消えたのですよ。

東洋史論:「中国の歴史思想」より抜粋・雑感。
(※元本は宮崎氏の東洋史論文集です。)

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歴史をかに理解すべきかという問題は、歴史学の専門家と非専門家とではその受取り方がちがう。というのは、一般の人にとっては歴史事実は始めからそこにあった自明なもの、与えられたものとして、それをどう理解するかだけが問題なのであるが、歴史の専門家にとってはそうはいかない。歴史学者にあってはまず自分で史料から歴史事実を汲みとり、造りあげることから取りかからねばならぬのである。

儒教のいうところによる、と周が殷に替った革命の際には、平和的手段によってのではなく、凄まじい戦争によってであった。(・・・)ところが現在ある『書経』のこの部分、及びその他のある部分は、孟子時代の『書経』ではなく、遥かに後世、晋代の偽作であることが、清朝の考証学者[エンジャクキョ]によって証明された。(・・・)儒家が解釈するような、聖君の武王と無道な紂王との対決だという結論は怪しくなり、単に武力においてすぐれた周が、先進国の殷に打ち勝っただけの話になってしまう。
>

考証の作法として、歴史学ほどに整ったモノはないのではなかろうか。誤まった情報や、誇張表現に溢れた現代においても、その良心を柱として学問を積み重ねるものである。例えば利休の『南方録』が、江戸中期頃の偽作であることなどが付きとめられているし、利休好み、利休所持というようなものが気儘に増加されていることなどが知られる様になったのは、歴史学者の成果である。こういった作法は、中国の史官、つまり歴史を忠実に書き遺すという官僚であり、最も清廉な官僚が執った仕事の作法。茶道のみならず、あらゆるものに於いて大いに参考にされるべきであろう。

陶芸に於いても、桃山技法の再現などに於いては、常識的とされている手法が多くある。しかしその実、当時の薪事情としても赤松の生息環境、材木の用途、伐採権の存在など、考証を積んでいくと多種の知識が必要なのだが、例えば芸術評論家や陶芸家など、中途半端な読みかじりの知識で議論を行う姿が見受けられ、果ては書籍となっていることさえ珍しくは無い。本当にその調合であろうか、さてどうだろうか。必ず、原典史料に帰って、自分で組み立てるという作業を癖にしてみるべきだろう。史料というのは、書籍、実経験はもとより、陶片や伝世品なども含まれる。

その際には、「専門家」として、書籍の信頼性、また陶片の信頼性、伝世品ならば、その信頼性までも調べるべきで、怪しいものを混ぜ込んで理論を組み立てた場合、全くその理論は使えないどころか、誤まった方式を導くこともある。確認を怠ったことによる好例が永仁の壷事件であろう。今や骨董にしても伝世と云われるものにしても、偽物が非常に横行している。現代の偽作もあるし、江戸時代の偽作もあろうことは、利休神話を見れば当然に疑うべきものである。

本当に信頼出来るもの。確実な史料だけを抽出すれば、全く変わった視点が得られることもある。そこに忠実に在らんとすれば、全く別に手法になることもあろうし、云われてきた手法と同じ事もあろう。そういった作業を、自分で組み立てて検証するというのは、工芸家にとっても決して、負の財産ではなく、見に付いた経験・知識・教養となるのではないだろうか。

以上、今日は1つだけ。

「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第三回

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台風一過。仕事が進まぬので今日も小難しい話、第三回。

東洋史論:「中国火葬考」より抜粋・雑感。
(※元本は宮崎氏の東洋史論文集です。)

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死生観に従ってそれに対応する埋葬の方法が発生する事は勿論だが、また何とはなしに発達した埋葬の習俗に従って、それを説明するような死生観が生ずる場合も考えられるはずである。中国人の埋葬の起源を説明した最も古い記録は『孟子』(・・・)自然に肉体の腐朽するまでこれを保存しなければならぬ。これには土葬が最も適当であり、出来るならば防腐剤を用いてその腐朽を出来る限り延ばすのが孝子の勤めだということになる。こういう考え方は清朝まで続いた。
しかし一旦仏教による火葬法が伝えられると、それが仏教と共に次第に中国人の社会に浸透していくことを免れなかった。(・・・)宋元明の三王朝はいずれもその天下一統の始めに、火葬禁止の命令を発布している(・・・)朝廷の火葬禁止はとかく有名無実に流れる傾向があった。(・・・)仏教は必ずしも火葬に固執するわけではないが、中国における火葬は仏教からの影響なしに在考えられぬ。(・・・)火葬を論ずるには、勢い仏教と儒教との勢力消長の大勢を背景において見直さなければならない。
>

伝統的な習俗の変遷について述べられた論考。我々は、ともすれば直近の経験や、知りたる事象から類推を行うけれど、そも火葬と土葬についてさえ、日本では今現在においても土葬の風習が残っている地方があり、現に私の在住する地区でも数年前まで行われてきたのである。死者に対する敬意を同じくする仏教と儒教、その思想は交錯し、時に対立する歴史を持つとはいえ、互いに理想郷の世界を求めるものである。細かく見た時に、仏教にも宗旨対立があり、儒教にも学派というものが生じた歴史がある。これは別の視点で言えば、陶芸の各派ということも同じであるし、茶道の流派についても同じことであろう。それが何を引き起こしたか、という事は、なかなか、数十年単位の話であるからして、歴史に学ぶことは大いに参考になるものである。

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現実の動きとしては、民族主義的な傾向を持つ新儒教の土葬法が、世界主義的な仏教の火葬法を、次第に駆逐しだしたのである。われわれはここに歴史の発展が必ずしも世界的に合理的な方向にばかり発展するとは限らないという一例証を見る事が出来ると思う。(・・・)歴史研究にはある一時期を取り上げてその詳細な断面図のようなものを作製することは是非必要である。しかしそこから余り多くのことを永い年代の前後にわたって推測することは慎まなければならない。清代の社会は宋代の社会より全般的に見て進歩しているには違いないが、時には宋代の方が進んでいた点もないとは言えない。同様にして同じ清代でも、後の時代ほど前の時代より進んできたとは云い切れぬのである。
乾隆頃から中国の社会では次第に火葬法がすたれて土葬が普遍化し、それは一時の好景気時代に起った趨勢ではあるが、一旦習俗として成立してしまうと、今度は習俗に反して火葬を行う事は大なる非難を招く原因となった。ついで世上が一転して嘉慶以後の不景気時代に入ると、土葬のための土地入手が極度に困難となった。そこに起こったのが、最も忌むべき停葬の風である。屍骸を入れた棺を路傍、田間、所かまわずに放置しておくのである。(・・・)これは恐るべき歴史の逆転である。
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古代に於いて、遺骸を山間に捨てる人々の風習を咎めたのが儒教であった。そうして始まった土葬の風習であるが、簡便・合理という点から、已む無きには火葬を併用する歴史を経て行く。その火葬の風習を退けたのが、儒教に忠実たらんとした清代。それが停葬という、正に「遺骸を放置する」という儒教以前の状態を眼前に蘇らせたという話である。

対立する思想。現在の日本では逆に、火葬の風習が完全に土葬を駆逐してしまったが、それは何と云えば、政治による決定によるのであって、信仰による変化ではない。腐敗という化学的な現象を批判するのであって、土地とか思想は全く関係のないものである。遺骸を業火で焼くというのは、儒教的に数千年の永きに渡って「最低の行為」とされてきたものが、この数十年で、いとも容易く覆されていく。仏教的には「どのようにしても好い」のだから、およそ土葬が残りそうなものであるが、それほどに現代の変革は速断である。問題は、理想を追って火葬にしたのではなく、合理との競争で廃滅させたのであるから、これが、理想一本槍で失敗した乾隆帝の土葬推進策と、成否はともかく、さて進歩的な政策であったのはどちらかと云えば、どうだろうか。

歴史は必ずしも進歩するとは限らず、また憶断というものもアテにならない。故に歴史を見れば「未来など判らない」という事が「判る」のである。例えば日本も、仏教、儒教、神道、自然信仰などなど、永きに渡る伝統的思想の柱を固定せず、また教えることも無くなって、半世紀。人を善に導いて来た教科書を捨て去って、機械や科学など、人間そのもの、己を信仰する世界と言えるのではないだろうか。さて、これが自由なのかどうかは、やはり歴史となって後に判ることなのであろう。新時代であるからと云って、即ち「進歩した」とは云えないのである。「新」は必ずしも「真」ではない。また「理想一辺倒」も弊害が大きいのである。儒教はこれを「中庸」と云う。すべからく全てを見通しているのが二千年前の『論語』であることは、とても興味深い。

「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第二回

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小難しい話、第二回です。宮崎氏の文章は、歴史学者さんとしてはとても判り易く、楽しい文体だと思うのです。暇な時間を使って書いているので、暇な時間に読んでみてください。

東洋史論:「宋代における石炭と鉄」より抜粋・雑感。
(※元本は宮崎氏の東洋史論文集です。)

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三、四千年間、世界文化の先頭に立っていた西アジアは、その文化の先進性の故に、西アジアの自然を収奪し過ぎた結果、地力の消耗を来たして、少なくも十世紀頃になるとその文化・社会に一種の行き詰まり現象が現れてきたと思われる。地力の消耗の中で特に著しいのは森林資源の枯渇である。(・・・)燃料の不足は生産活動を拘束する。殊に金属の生産を阻害すること甚だしい。西アジアにおける金属加工品、精製品の名声は、どうも西アジアに金属地金が豊富であったためでなく、少量の輸入地金を最大限に加工費をとって再輸出せんとする努力の表れと見られる。古い歴史によって支えられた高度の技術を持ちながら、西アジアの産業はともすれば、次第に土地から浮きあがろうとする不安を蔽うことが出来なくなった。
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高名なるペルシア銀器、イスラム青の器。技術は、資源と密接な関係にある。やはり磁器などに於いても、資源の希少性が、かの精華に昇華させたのである。貴重な磁土、貴重なコバルトを用いて制作するのであるから、勢い、そこには精緻なる技術が鍛えられるのである。日本ではおよそ、自然なる資源を用いるに際して、そこに敬意を払い、祀りを行ってそれを用いている。如何に水が豊富であろうとも、水神を祀り、大切にそれを扱ってきた。貴重な資源であれば尚更である。現代の様に「あるだけ使ってしまう」という発想では、到底、その心情は測り知ることが出来ないだろう。これは理論でもなく、思想でもなく、「実感」の話である。

現代。陶芸に於いては、量産食器を造るために、貴重な粘土資源を有する山を、数年で1つ、潰しているのである。古琵琶湖が堆積させた粘土というものを、山ごと1つ、潰して行くのである。山中のことであるが故に気付かぬかもしれないが、瀬戸・美濃辺りの「キャニオン」などと呼ばれる地域を見に行けば、山中に高大な平野が広がる恐ろしき光景がある。人々が器を、百円の価値しか見なくなった時、やはり工芸としても、そこに精緻なる技術は育たない。豊富なる資源を大切にしてきたからこその、高度な技術工芸と見るなら、「内情は資源の使い倒し」である現代に於いて、その技術が低下するのは当然の流れであると見て良いのではないだろうか。日本工芸二千年の歴史に於いて、かように土を粗末に扱った時代というものは、例を見ないのである。「技術立国」なる言葉は、今の工芸には正に空虚な言葉である。貴重な輸入貴金属を用いる科学技術が発達し、地力を用いる工芸が衰退しているのは、この歴史観に従えば、まず当然の帰結であると云える。要は、資源の豊富さよりも、資源を如何に大切に生かすか、という話になる。「量」は古代、「名目」が中世、「活用」が近世の文明である。

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西アジアを停滞に陥れた燃料問題が、中国に於いては巧みな解決を遂げ、いわば燃料革命とも称すべき文化の発展が見られたという事実である。唐末から宋にかけて石炭の利用が普及し、これに伴って万般の生産が刺激され、夥しい物量の算出が可能となり、その物量を土台としたのが宋代の新文化であったのである。宋代文化の高度性は、単に精神的なものでなく、豊富なる物量を背景にして始めて可能であったと言える。
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枯渇によって育てられた技術が、突如として豊富なる資源に出会って「華」を開く。厳しき時代に禅を生み出し、その精神性の高きもので以て、豊富な物量を差配したのである。桃山時代も同じことで、乱世における森林資源の枯渇、食糧難というものから解放された「直後」の時代である。細かいコトを云えば、モノを造るのも、文化を造るのも人間なのである。艱難に耐え、不足の中で最大限に活用をする精神を得た人間が物量を差配する時、全ての物が活かされた時代、即ち宮崎史観による「最も高度な文明」という時代が生じるのである。苦労を知らぬ人間には不可能、苦労あってこその文明開化。宋の高度な文明は、詩聖や禅僧に代表される精神性を以て、万物を生産したというものである。その時代の工芸品を造るのは「人」であるからして、如何に材料が豊富で、その質が向上したとしても、「製造する道具たる人間の質」が低下すれば、その範囲でしか文物は生産出来ないのである。魯山人を初め、「人間力こそが決定的な作陶能力である」と喝破する工芸の巨匠は、それこそ枚挙することが出来るのであって、広く歴史的に見ても、狭く個人作家の視点に立っても、人間力こそが文明を決めるのである。戦後の日本復興とて、これもまた同じことなのである。昭和の偉人作家は皆、その半生で資源枯渇なる戦争を経験して精神を磨いた人々だ。

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石炭は、製鉄に利用されたのみならず、また製陶にも用いられた。そのことは『宋会要』食貨巻五十五、窯務の条に(・・・)とあり、在京の陶磁製造所では、その燃料に薪と石炭を併用したのであった。華北における製陶の中心はいうまでもなく磁州であり、磁州焼が普及した結果、「瓷器」に代って「磁器」という言葉が用いられるようになったほどである。さて磁州は鉄鉱と共に石炭を産するので、製鉄の要地でもあるが(・・・)先の引用文の続きに(・・・)特に在京窯務は宮中用の上製品を製作しなければならなかったので、石炭を避けて薪に頼ることにしたかったのであろう。しかし磁州のような大衆器物には石炭が盛んに使用されたと思われる。
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森林資源の少ない中国北方は石炭を燃料に、華南では薪材を燃料として、精緻なる宋磁を造り出したことは常識的に知られているものであるが、歴史的な視点として考えれば、当然に宮中用というものは、即ち国の総力を用いて制作するわけであるからして、「石炭が豊富であるから石炭を用いた」という様な発想が、こと官窯に於いては通用しないという事である。「磁器」の由来についても少しく豆知識であるが、磁器という言葉自体、やはりその故郷は世界最高峰の精華陶技を誇った「宋磁」の世界に発しているのであり、なかなかに歴史浪漫のある経緯ではないだろうか。

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宋が大量の鉄生産手段を有したのは、国防上に好条件であったが、しかし困ったことには宋にとっての最大の敵国であった遼も同様にその国内に鉄と石炭の資源を有していた。(・・・)宋に行われたコークス製鉄法を遼が知らない筈はなかった。遼が宋の北辺で東は日本海から西は中央アジアに至る大帝国を建設したについては、その鉄の威力による所が多かったことは疑いない。遼はこの武力的優位を守るために、領内の鉄が、特に西方に向かって流出することを極度に警戒し、(・・・)隣接する蒙古部族すら、長くその箭鏃(矢)に骨角を使用せざるを得なかった。(・・・)金代になって、金はこの鉄禁を維持するに熱心でなく、そのために鉄器が蒙古族の中に流入し、蒙古人はこの鉄を用いて武器を製したので。あたかも虎が翼を得たように、また掣すべからざるに至ったのであるという。
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文明の伝染。鉄の量産技術は宋の高度な文明を成立させたが、同時にそれが蒙古に翼を与えたこととなり、却って蒙古帝国に呑みこまれることとなった。そうして元以降、その文明の精緻なるは次第に低下することとなる。著名なる染付が典型とされており、以降は「量」を貴びて紋様を次第に増殖させ、色彩は単一から過剰なる量へ。技術こそ高度であるが、文明の程度が著しく低下するのである。かくして史上最高の陶世界が失われた。現代も、技術こそ機械製の陶磁器は高度である。薄く、軽く、丈夫で、耐久性も高く、均一・均質であって、紋様も伝統的なものを踏襲することが多い。しかしその世界は明々白々に、「文明の低下」を確認させるのである。文明の高きは、力の低下を呼ぶ。それは国力の低下である。そのジレンマは文明論として宮崎氏も指摘するものである。文明は常に進化しているが、人は波の如くに進退を繰り返している。過去と現在を比する際、ともすれば現代を無条件で進歩的だと判断するが、それは技術進化の話である。人間力まで進歩したと考えるのは、現代人の我田引水ではないだろうか。

「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第一回

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少し変わったネタでありますが、歴史学的な視点についての抜粋感想記事。魯山人とか柳宗悦、また岡倉天心という辺りは、およそ陶芸に関わっていれば多少なりとも知識はあろうし、人によっては繰り返し読む事もあろうかと思うわけです。そういった辺りの抜粋記事も面白いものですが、少しく変わった視点を紹介しようかと。

著者は歴史学者。東洋史学を志す者にとっては巨匠といっても好い方でありまして、偉大なる昭和期の歴史学者さんであります。唐九郎さんと同じ辺りの世代でありますから、昭和期の偉人に数え上げられる学者さんと云っても過言ではなかろうかと思います。あ。時折出てきますが、小生は東洋史学部卒であります。「小生」などという云い回しを用いる様になったのは、ココに居たせいです。また、茶道史で有名な桑田忠親氏も歴史学者。茶道方面の方は御存知かと思いますが、桑田氏は東京。ほぼ同年の方で京都の歴史学派を率いておられたのが宮崎氏という話です。

さておき、歴史学的な実証方法というものは、およそ論の述べ方を見れば瞭然というもので、1つの言葉を丁寧に扱い、当時の背景などと照らし、本当に、確実に「真」と出来るもの以外には根拠を置かないという姿勢です。また埋まらぬ空白に対しても、丁寧に、丁寧に、埋められるだけの外堀を全て埋めた状態で、最後に推測を行うという姿勢。反省を行いながらの仕事。およそ陶芸における桃山陶技や宋青磁の絶技再現などに於いて充分に参考になるもの。憶測を行う際の手法として、歴史学というものは、かように繊細であります。

少し長くなりますが、第一回を早速に。


東洋史論:「中国における奢侈の変遷ー羨不足論ー」より抜粋・雑感。
(※元本は宮崎氏の東洋史論文集です。)

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他人の奢侈をするのを調べて何が面白いかと云うと、この奢侈というものに依って当時の社会状態がよく判るからであります。どうせ奢侈にふけるというのは、当時の有力者に違いありませぬ。その人たちが、何か奢侈をやろう、何か贅沢なことをしようという時には、あらゆる智慧を搾り、あらゆる能力を発揮するものであります。つまり人力と物力を総動員してやるから、この点は戦争と大変似ております。
(中略)
時代を経るに従って社会が進歩する、そうすると前には奢侈であると思われたことが、最早今日では奢侈でなくなってしまう。そこでまた新しい奢侈の方法を考える。時に依るとその逆もありますが、とにかく社会が進歩する、それに応じて奢侈のやり方が進歩してくるわけです。そういうことを、『塩鉄論』の著者は、ちゃんとこの羨不足篇の中で云うているのであります。もっともこの『塩鉄論』の著者桓寛は大変に保守的な人でありまして、(・・・)これは人間が悪い方に堕落して行くのだという風に考えているようでありますが~以下略
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⇒二千年前の中国の書物・『塩鉄論』の話より、奢侈というものは何か、という事について書かれている。奢侈論というのは、一見して関係無い様に思うかもしれないが、桃山時代の奢侈こそ茶道であり、また昭和バブル期の奢侈の1つにも陶芸がありました。今となっては「嗜好品」に分類される作家モノの陶磁器でありますから、1つ、知識として教養を得る事は大切な事であろうかと思います。嗜好品は誰の為のものであり、どういったものであるのか。奢侈の変遷・進歩とは、即ち流行物の変化であり、利休の美、織部の美、遠州の美と変遷した陶磁史を指しているのです。二千年前の『塩鉄論』に依れば、また歴史学者の見地に拠れば、それは当然に「社会に応じて奢侈のやり方は進歩(退歩・変化)するのである」ということです。また、奢侈を決めるのは、有力者、つまり極一部の者であって、大衆ではないという観点も、事実として受け止める必要があります。

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古代における奢侈の代表は殷の紂王でありますが、そういう(酒池肉林)行為を今日から見て、一体どこが奢侈であったかと云うと、結局分量が多過ぎるというだけであります。(・・・)これは今日日本でも、例えば田舎などで招待されて行くと口を割っても御飯を食べさせようという歓待方があり、あるいは高等学校生徒が酒は飲め飲めというように分量を貴ぶ。まぁ殷の紂王の奢侈は高等学校生徒の程度に毛の生えたものと言って宜しい。元来奢侈という文字からして、奢は大きな者と書き、侈は多い人と書き、いずれも分量的な意味を離れない。大きくて多い。これが中国における奢侈の原義であります。その他珍しい玉であるとか、あまり世の中にないような物を貴ぶということが頻りに記録に見えております。

珍奇を貴ぶにしても、その貴び方が、量を貴ぶということに依っても判るように、本当に自分が見て楽しむのではなくして、人に見せる、人に誇るための奢りであります。これは紂王の酒池肉林のことについても言えるのでありまして、酒池肉林というほどの酒を沢山集めても、紂王が自分で飲んだ酒の分量は知れたものであって、他の人に飲ませて、人に見せるための奢侈をしている。
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⇒贅沢とは何か。量を貴ぶという手法は、即ち他人に誇示するためのもの。人に見せるための贅沢とは、人に見せるための技法行使であり、人に見せるための道具陳列であろうか。それらは「古代の贅沢手法から一歩の領域も出ておらず、高校生の酒盛りに等しい」とは、なかなかに耳の痛い分析である。無駄に珍奇な道具を並べただけの茶会というのは、つまり酒池肉林の趣向ということに相成りますから、心したいものです。

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中世、唐頃までの人のやり方を見ますと、ある人は長生きをしたいために、玉を粉にして飲みます。(・・・)当時は貴族政治であって、貴族と云うものは一般の人とは血筋が違っている。普通の平民とは種が異なっているということが、貴族のいばる理論的根拠であった。種が良ければ芽を出したものも良いに決まっているという考え方から、この考えを以て総てのことを類推し、演繹して行った。豚を養うにも、豚よりは人間の方が上等であるから、豚の乳よりは人間の乳が上等である。上等な乳で養ったものは、下等な乳で養ったものよりは上等なものになる。結論として、豚の仔を、人間の乳で養えば良い豚になるというような考え方が基礎になっているのであります。
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⇒つまり、ブランド信仰。量より質。しかし浅い。「人間国宝が作ったものが、悪かろう筈が無い」という筆法。上等な地位にある人間の造るものはすべからく上等と類推するのである。こういった観念的な喜びを贅沢としたのが中世的な、およそ唐の時代、7世紀頃までの贅沢手法であったわけです。新しいモノ、またブランド信仰の強い日本というものは、さて成熟しているのかどうなのか。唐物ならばOK!という手法であります。桃山時代のものならば、およそ現代のものよりも全て素晴らしい、という判断など、中世的な未熟なる視点。薪窯信仰とか、赤松信仰とか、天然原料信仰とか。須らく、イメージで上等、下等を決めるのが中世。 良いモノ⇒きっとスゴイ肩書の人、また古いモノに違いないという期待も、裏の発想に相当します。例は悪いですが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と同じもの。

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もう少し合理的な奢侈のやり方が、唐の末か、宋の初め頃から始まって来るのです。(・・・)「石炭で炊いた飯はどこでも同じではありませぬか」と言うと、「いやその石炭にも法がある。炭を使う時には一度焼いて煙の気を取ってしまってから料理につかうべきものである(・・・)」と言うたそうであります。思うままに火力を支配するということがこの時代に行われたので、(・・・)中華料理がうまくなったのも、おそらくこの頃からであろうと思います。(・・・)それから陶磁器は世界で最初に中国で、宋の時代に完成された。現今世界の陶磁器の祖先は宋の陶磁であるといっても宜しい位でありまして、宋代に陶器が堅牢に優美に、単に実用品のみならず立派な工芸品としての価値を有するに至ったのであります。(・・・)どういう性質を持っているかを研究し、そういしてその性質を生かして使う。こういうことが宋の頃に行われたのであります。
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⇒要は本質的な価値を愉しむことが出来るという事でしょうか。料理ならば味に徹底して深化させ、味に付属するものであれば素材は当然の如く、調理から果ては見た目まで、味に関わるものを全て究めるという方向性になるわけです。宋代は陶磁器のみならず、禅や茶道の発祥の頃でありまして、徹底的に完成されたもの、素晴らしきものが多く登場しております。

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例えば庭を1つ造るにしても、徽宗皇帝の庭の作り方は前の時代とは違っている。なるべく自然に近いものにする。築山でも樹木でも最も自然の趣を存せしめる。家を建てるにしてもなるべく木地を表わす様に努める。これが一代前の六朝の時でありますと、木地が見えるとみっともないと云うので、それを錦などで覆う。柱掛や壁掛で覆い尽くすというのが、贅沢だとされておった。(・・・)岩などをもってくると、その岩に彩色を施したものであります。(・・・)徽宗皇帝などはちゃんとその趣きを解して、最も自然のままに、岩は岩のように、木は木のように、あまり小細工を施さない様にして、気品のある奢侈を行っております。もっともあまり奢侈をし過ぎたので国が滅んでしまいましたから、その点は誉められませぬが、そのやり方は非常に合理的であります。
(・・・)硯の中で特に尊重されたのは端渓の硯でありますが、(・・・)この石の質が非常に緻密でして、細かい粒子から成り立っている。しかもその粒子が非常に硬い(・・・)ある者には眼(ガン)という渦巻きのようなmのが出ている事があります。本来から云えば硯の疵(キズ)であります。ところが当時の人はこの疵を生かして装飾にする。これをなるべく端の方に持って行き、池の付近に置いて一種の装飾にして単調を破る。(・・・)適当な疵ならばその疵を尊重するというところまで進んできている。
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⇒何が合理で、何が非合理か。歴史学者は、言葉を精密な意味に還元して選択する。木地を覆い隠す様に壁紙で覆い、畳を黒塗りすると云う様な手法は、いわゆる小細工。奇抜性はあるが、気品が無い。珍奇で埋めるなら、それは酒池肉林の手法にまで堕ちている。本質をしっかりと突き詰めるのが合理。決して、経済的な均衡を合理とは云わぬ。徽宗は宋磁の立役者と言える。禅にも流れたこの精神は日本の茶道にも底通していくことになる。利休の調和美、織部の破調美、遠州の端正美にしても、全ては彼らの400年前、徽宗皇帝の時代に完成されているのである。知らずに「日本独自の美的感覚」とか「キズを美と見立てたのは織部が初めて」と云う様な云い回しを見掛けることがあるが、とても恥ずかしい話である。芸術論者は此の手の知識教養が浅いように感じることがある。 実物、実践ともに宋代は最高峰のものが突出している。

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時には奢侈が邪道に陥ることがある。端渓の石が宝石の様に尊重されますと、硯を造る職人がなるべく大きな石を、小さく削らずに使おうと云う考えを起こす。つまり石を惜しむのであります。それがためには、出てきた形をあまり変えずに使いたい。出てきた形まで生かそうとする。これはある程度まで同感出来る事であります。しかしそれも時によりけりで、どんな形の石でも、そのまま何とかこじつけて硯の形にしようと苦しくなる。出て来る硯石の偶然の格好に支配されるということになると、これは堕落であります。偶然形の非常に大きな石が出てきたので、(・・・)職工が何とかこじつけて、蛙や蓮の葉をあちらに付けてみたりこちらに付けてみたりして拵えたのが、あの硯でありますが、どうも悪趣味です。やはりある限度においては、惜しくても大きさを減らして切らなければ本当に気品のあるものは出来上がらない。勇気がないと、そこに趣味の堕落が生じて来るのであります。そういう趣味の昂揚と低下とが、不思議に政治能力の盛衰と並行しているのも注意すべき現象です。
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⇒工芸論に踏み込んでいる。この硯をヨシとせば、もちろん肩書で云えば「自然美の尊重」であるが、実物は上品ではない。つまりは「自然美」という観念で判断していることになり、中世的な視点に堕落しているのである。しかし商売上、教育上、日本での美術品販売や芸術家論というのは、「作者・肩書先行」の教育が行われ、人々は中世的な判断力に、意図的に留められているかの様である。大衆は愚かであるべきで、云われるままに、云われたものを買わせた方が、経済的に合理的なのである。やはり政治に似ているというべきか。


余。

この論文は二次大戦の、「贅沢は敵」という時代の産物。故に、上記の抜粋部分こそ歴史学であるとしても、抜粋しなかった結論部分は戦時統制的、賛美的なものになっている。また戦後には共産主義賛美の傾向が出たり、歴史家の文章も時代の政治背景に無縁でいることは難しい。だからこそ、論文を元に論文を書いてはならないのである。常に原典に当たる。原典の背景も調べるのが理想。そういった姿勢は、陶器もまた同じ。釉薬屋の云う織部と、唐九郎の云う織部と、本歌の織部は別のものである。

以上、第一回まで。

晴れの日

今日は快晴、とまでは行かないものの、好日でありました。

ゆっくりとしながらに、台風で倒れた檜を薪にして、庭の草刈りを一通り。畑仕事に漆の補修作業というあたりで、ノンビリと仕事をしておりました。

漆の補修作業は、もう少し乾燥時間を少なく採れば早期に進むのですが、なかなかに思い立たないと進められないもので、ついついと、長期化してしまいます。元より、一々に充分乾燥させる方が好ましいそうで、特に破袋くらいの深いキズでは、下手に一週間程度で上塗りしてしまうのも宜しく無いのかなぁ、などと素人判断であります。どちらにせよ、一度の塗りで乾燥に二~三週間を見ていると、どうしても。

今日に確認したトコロ、ポツポツと、水漏れの止まった作品が出てきたので、あと一回~二回くらいの修復で一段落するかと思います。止めたと思って居ても、ちょっとしたトコロから水漏れが出て来る。土が耐え切れなくなった状態での亀裂というものは、目に見えないくらい細かい亀裂が沢山あるのです。現状、半年掛かって、ようやくに売りに出せるという感じですな。そしてその頃には次の窯が焼けていて・・・?

ともあれ、水漏れのチェックもあるので、好天のゆっくりした日の仕事でありました。

祝い事。

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昨日の結果は一盌。今頃に平茶碗の好いモノが採れました。

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あとは祝い事。両親の還暦祝い。少し無理をした甲斐あって、
とても楽しい一時を過ごさせて頂きました。
しばらく緊縮財政であります。

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同所、軸。煌々と天下を照らす月光に、秋を感じるこの頃であります。



ボチボチと。今日は頃合いに疲れているので、オヤスミです。

秋の御稽古

今日は茶道の稽古。なんだか台風が来ているらしい?ということで、久しぶりの雨。着物も何だか久しぶりという感がありましたが、九月もあっという間ですね。一応、月末方に水屋入が二つありまして、今月は三件の茶会になります。秋らしく茶会の機会が増えて参りました。来月に窯を焚く予定であったものの、信楽焼祭りと窯焚きと、茶会と、もう何が何やらという感じで、何とか窯焚きの日程を死守しております。

と・・・、慌てても暇が出来るわけではないので。

今日は花月稽古。茶碗飾りを、本当に久しぶりにさせて頂いた他、基本の花月を様々に。重茶碗の客稽古もつけて頂いて、茶会の客振りを改めて指導頂きました。どうしても、男性は茶会で上座になるもので、まぁ若輩なので比較的固辞することは楽でありますが、正客は固辞出来ても、次客辺りを頂戴する場合は多いのです。

その他大勢の中に入って見ていると気付くのですが、正客・次客辺りの動作というのは、殆ど全員が、見るともなしに見ていますから、あんまり不調法な事をしてしまうと、茶会を台無しにしてしまいます。御茶を飲んだら、飲んだ後の表情など、まぁ見ていますよね。嫌そうに正客を引き受けて、偉そうなシカメッ面で飲んでいたら・・・まぁ見ている全員が嫌な気分になるものです。時々、無いことも無い様な気がします。別に高尚なものでもなく、一般的な社交儀礼の範囲ですが、ともすれば簡単なことが難しい。


あと今日は多少、茶碗の指導を頂いて。粉引と鉄釉。井戸形について、「高台が僅かに広いなぁ」という事を仰って、まぁ嬉しかったです。会心の茶碗はまだ焼いていないので、形に於いては並品のものを持って云ったもので、実際、造る側としも高台が1㎜、それに伴って高台脇が1㎜という辺りで不足があるもの。しかしまぁ、ソレを指摘出来る方というのが、それも作陶者で無い人が、となれば、とても難しい事なのです。頭の中と手の頃に、井戸の比率を納めていないと難しい。実物を多く手に取ってこそ、かもしれません。


まぁボチボチ。そろそろ仕事へ行かにゃぁならんので、この辺りで。

秋の夏空

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今日は土造り。土を掘るのも何ですが、一々とバケツで運搬するもので、なかなかに重労働だったりします。と、書いて思いついたのですが、深形の一輪車が便利かもしれませんな。ちょっと検討してみましょう。

とりあえず、伊賀用の土が大壺で無くなったのですが、先に鬼粉引の調整土を調合。途中に信楽焼祭りがあるので、そこで出そうかと思ってます。セトモノ祭りで少しだけ販売に出したのですが、随分と好評でした。限界ギリギリの景色が面白い、と水野師匠にも好評。フェイスブックで少し出した際も随分と評価が好かった様に思います。少しく男性的ではありますし、用途は随分と限られてしまうのですが。
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あと・・・天目に使う土も造らないといけません。
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宗道先生に講評を貰ってみようと思っていたのですが、も少し手直しを加える必要あり。水野師匠から重量に関する資料を譲って頂いたので、色々と課題山積です。瀬戸天目にするなら、また建盞を狙うなら、などなど様々に。

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秋の空に、夏の雲。九月特有の青空でしょうか。土を造りながらに、薪も作ってます。よく乾燥していて、好い窯になってくれれば有難い。稲穂も正に収穫期。トラクターに乗った笑顔のオジサンたちが嬉しい季節であります。台風に耐えて、好い収穫であったのでしょうか。

あ・・・。

昨日は草刈りで熱中症になりかけたので・・・。ちょっと御休みでした。
今日は・・・免許の更新に行くか、土を掘りに行くか。

まぁちょっと、考えます。夜にまた更新しましょうか。

でわ。

反省文?

せともの祭りの反省文?なんてことを書いている暇もなく。仕事が随分と溜まっているのですが、訓練校の在校生諸氏も読んでおらるるという事。なので、少しばかりに書いておこうかと。試験のヤマが外れたのは答案作成者がココを読んでいる?という可能性を考慮していなかったもので・・・、まぁそういう言い訳は置いておきます。(スイマセンでした。)

焼物祭り。秋頃・春頃を中心に各地で行われます。景気の良かった20~30年前であれば、僅か数日で100万~200万という売上を得る事もザラに存在したそうで、所謂「作れば売れる」という時代の話であります。今とて、言葉で云えば「数十万の来客で数千万規模の陶器が売買される青空市」ですが、実態としての売上規模は1店舗5~50万円くらいでありまして、経費を引けば僅かに1ヶ月や2ヶ月程度の生活費。年収の半分を稼いだ時代とは、全く隔世のもの。

価格帯も、ここ数年の景気急落で陶器商(量産陶器)は100円から。在庫の投げ売りです。作家も、以前は見られなかったカゴ売りが当然の様になり、1つ300円程度のものが多く売られています。一昨年までは少なかったカゴ売りですが、去年の祭りの際、猛暑日ということで客が寄りつかなくなり、雪崩を打つようにカゴ売りが行われたもの。その悪夢の影響か、今年はあきれ果てて出店を止める人が多かったようで、一方で出店した作家も、最初からカゴ売り前提の武装状態。陶器商に至っては「詰め放題1,000円」なるものも見受けられる状態。

まぁしかし、こうなると客も呆れ果てている様に感じました。買うとなればカゴ売りのもの。棚のものを見て、好さそうな物をカゴから探す。もしくは値切りながらに正規品を買い求める。こういった中で、せっかくだから少しでも楽しんで行こうと、そういった感がありました。

と、批判材料は相変わらずの豊富さです。


しかしまぁ、不景気の潮流も「値段の壁」で止まりつつある様に感じました。もうこれ以上、値段は下げられないトコまで進んで、出店者の投げ売りにも限界があります。そりゃぁまぁ、「100円均一ってのは中国製で品質が悪い」というイメージは相変わらずに存在しているわけですが、実態としては「国産陶器」でありまして、1枚捲れば堂々たる「美濃焼量産」であります。明白な「作家手作り」が「300~500円」で投げ売りされているのを見れば、「あれ?なんか安過ぎないか?中国製と変わらない値段じゃないか。」という感想を抱く人々が増えて来る。

しかし内情を知ることは出来ないので、「多少値段があろうとも、安心して求められそうなものを」という防衛本能が働いているかに思います。値段だけではなく品質に目線が動いていたとすれば、1つ好材料かもしれませんね。 実際のトコ、作家には「作ることを止める事は出来ない」という宿命があります。作らないと巧くならないし、試験も出来ない。若手作家となれば、B品を売って好い暮らしがしたいのではなく、一回でも多く焼成資金に廻したいだけです。量産工場ではありませんから、腕を上げるには経費が掛かります。回転寿司しか売れない時代には、意図的なB品制作も止む無しです。

世の安価販売の限界。廉価市の凋落。

「値頃感」というものは、一度凋落すれば回復は難しい。それを了解しながらに、値下げ競争は限界領域に入っての殴り合い。「せともの廉価市」における出店者激減という現実。商売上の戦略として、「体力勝負」というものがありますが、それに酷似した状態。己が満身創痍になったとしても、相手を倒して市場を占有するというもの。

商店街と量販店が好例でしょうか。大手量販店が低価格を提供し続け、在地の小規模電気店を次々に閉店へ追い込みます。すると、小規模電気店が保持していた顧客は全て、大手量販店に流れ込むことになります。大半の小規模店が潰れた辺りで最終的に価格を是正すれば、大手量販店は完全な勝利を得て盤石の利益を得ることになります。

問題は漁夫の利を得る第3者の介入。家電量販店やコンビニの店舗、また大手の製造業などにおいても見られるものでしょうか。低価格路線で疲労した状態を見透かされて、即座に廉価勝負を挑まれる。いつまでも利益を上げられることが出来ずに、店舗閉鎖という事になる。

資本主義的な、いかにも「金欲」に塗れた、反儒教、反道徳的な手法であります。
この対極的手法は「談合」。談合を否定し、競争を是とした結果の過当競争。


淘汰の時代。小回りを利かせて、どうやって廉価勝負に対峙したものか。少なくとも量産窯元が限界領域で殴り合っているのは確かな様相でありまして、不景気によって泥仕合が加速している状態かと判じます。なるべく余波を避けつつ、巧く世を渡ることでしょうか。淘汰の先には、作家過剰・供給過多が解消され、過去ほどの栄光は無くとも、相応に安定した状態になろうことを、祈っております。

大気の水蒸気量が過剰になれば、雨が降って調節される。
雨が降った後には、少しく晴天も望めるものであります。
晴れないって事は、雨が降り足らんということです。
せともの祭りでは、陶祖が雨を降らせるのです。


以上、せともの祭りの反省文まで。

せともの祭り2011

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さて、せともの祭りに出店をして参りました。日本最大の集客数を誇る焼物祭り。その正式名称は「廉売市」でありまして、結局の処、多くの人々が求めるものが集約されているということになりましょうか。売れるモノが良いモノであるならば、やはり百円均一こそが現代を代表する陶器なのです。品質だけで人々の支持を得る事は出来ないもの。出店側からすれば、単日で数十万の動員というものであればこそ、画廊に展示した際の閲覧数とはまったく桁違いの人々を相手に、テント展示・陶歴・肩書抜きで対比される世界。

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そういった「問答無用の土俵」に立って現実を学ぶのは、やはり若手作家が中心です。十万、二十万の人々と云っても、それぞれに好みがあり、平均して買うわけではなく、多くの店から、せいぜい数個。一人が選ぶ店は多くて数軒。少なく見ても半分以上の人は何も買わずに素通り。10万人規模の人々に素通りされる作品群。何が売れて、何が売れないのか。生計を立てて行く上で不可欠となる実際的な経験です。

「売れるもの」と「良いモノ」をしっかりと区別する実際的な場所。出店者は訓練校卒生などの若手作家、及び瀬戸・美濃の陶器商人。つまり「ロクロ成形の手作り陶器」と、「型もの量産陶器」が入り乱れての販売でありまして、出店場所は「型もの」に優先権があります。そういった市場で、「客が頓着無しにどちらを選ぶのか」という話。「陶器販売上の学問的魅力」に溢れた市場で、販売側に立たないと分からない事も沢山。

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良いモノ。瀬戸では古瀬戸茶入、鉄釉が有名でありまして、前日入りして水野先生と天目談義。本式のもの、種付け天目、重量のこと、大きさのこと。「建盞」と「瀬戸天目」の差異などなど。

その後、同期である美濃・駄知町屈指の量産窯元「丹山窯」にお世話になりつつ、皆で酒を飲みつつ販売を行い、風呂に云って、グッタリと寝て・・・という、まぁなんとも、祭り出店者らしい祭りかもしれませんね。三日間御世話になりました。

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祭りは初日・2日目の両日とも晴天。同期生七人による出店。トルコ青から民藝系、万古食器などの女性作家、及び野郎衆の志野・備前・伊賀という辺りのもので出店販売。

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夜には花火が上がって・・・

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いつもの美濃寿司さんで柏樹先生を囲みつつ同期会・・・

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あっという間の?2日間。

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写真は子供に大人気の備前焼。薪窯の本格派です。
小学生が競っての御買上でありました。


不景気、不景気という話。出店者も数割減、来場者も数割減。廉売市自体が縮小傾向にある中で、出店者もなかなかに大変ではあり、売上が厳しいからこその出店者減。最終的には例年より総売上は伸びる結果になりましたが、出店者の減少が効いたのかもしれませんね。

分析はいろいろと出来ますが・・・。実感的なものが無ければ机上論。
帰りに小さな打ち上げを行って、水野師のトコに寄って。ボチボチと帰ってきました。


御来場・御買上に感謝。ありがとうございました。



追記。
訓練校にも顔を出しました。今年の廃校が危ぶまれていた訓練校ですが、もう数年、当面の寿命が延びるだろうという展望話でありました。まだ延命確定では無いそうですが、おそらくは大丈夫。永らく勤めてこられた先生方が、ここ数年で皆さん御退職され、今年、柏樹先生がベテラン派の最後?を執られてます。さてさて、どうなることでしょうか。

セトモノ祭り出店へ

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昨日に焼いたもの。天目、景色としては再現出来るもの。
自家調合ですが、天然原料なので使い切り。

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飴釉となる場合もあり、焼き上がりは不安定です。
しかし全体として、鉄釉として成立の感があります。

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まぁ、あとはコヒキ。販売用に焼きました。


んで、今日はセトモノ祭りの荷詰めをしております。もちろん、まだ終わっておりません!
(今日に窯を出したので処理が色々と。)

祭りは今週末の土日。去年は猛暑と不景気によって散々な売上でありまして、随分と出店者が減ったそうでありますが、残っている者はまぁ、猛者ということでもあります。出店料高いからなぁ・・・。

場所は・・・よぉ知らんのですが、瀬戸川を挟んで瀬戸蔵の列。大きな交差点を渡って、喫茶店の前辺り?と聞いていますが、詳しい場所はよく分かりません。地図には「柏楽」という店名で載っておりまして、訓練校同期・・・七人?で出店する予定です。ちなみに”伯楽”の誤字ではなく似非でありまして、”カシワラク”です。木看板がぶら下がっていると思います。まぁ毎年、「わからんかった~」という方が居られるので、まぁ気にせずに。特に瀬戸にそれほど縁の無い方には、このような説明で通じる筈もありませんので。

まぁとりあえず、「祭り」です。ちゃんと陶祖さんに御参りするのです。

売れるかどうかは・・・さてさて。では、会場にてお待ち申しあげております。

論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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