夏休み?

さて、八月も最終日と相成りました。昨日に宿題(「茶の本」読解記事)を終わらせたのですが、よく考えたらWebサイトの更新が出来てない・・・。商売はなかなかに、難しいものですなぁ?

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とりあえず当面の宿題は色々あります。高原は夏が短いので冬野菜の種蒔きが早いのです。寒冷地の分類を見ながらに播く感じでありますから、昨日今日で、写真の畑を耕して、種を蒔いておきました。肥料はいつもの様に木灰や牛フン堆肥。要は植物でありまして、枯れ草なども好いものでしょうか。「竹は竹で育てる」なんて格言を耳に挟んだ事がありますが、やはり植物は植物で育てる側面あり。牛フンってのは、牛が発酵させてくれる植物堆肥の上物です。植物しか食べてないですからね。

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そういうわけで、草刈りも貯まっているのでボチボチと。草を刈って、乾燥後にそれを集めて、堆肥にしていきます。一部は燃やして、土壌アルカリ分の調整剤としての木灰として使います。

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一応・・・こちらも仕事をしております。ガス窯焚きつつ、土作りをしております。


そろそろと、夏もすっかり終わりが近いのでしょうか。秋の楽しみへ向けて、という辺りですね。

岡倉天心「茶の本」に見る思想 「第七章(最終章)」より

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第七章「茶の宗匠」より

最終章は茶の宗匠。宗匠ということでは各流派ありますけれど、詰まる所、天心が利休流の茶道を推戴し、それを本流であると認めている事は、本文を読むほどに明らかなもの。宗匠とは、即ち、利休。

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茶の宗匠の考えによれば芸術を真に鑑賞することは、ただ芸術から生きた力を生み出す人々にのみ可能である。ゆえに彼らは茶室において得た風流の高い規範によって日常生活を律しようと努めた。すべての場合に心の平静を保たなければならず、談話は周囲の調和を決して乱さない様に行わなければならぬ。着物の格好や色彩、姿勢や歩行の姿などすべてが芸術的人格の表現でなければならぬ。これらの事柄は軽視することができないものであった。
>

茶室・道具、茶、炭火、様々な芸術を真に鑑賞し、また客に供するならば、亭主もまた芸術品で無ければ点睛を欠く事になる。故にこそ、亭主もまた芸術的人格を持ち合わせた立派な人物であることが必要であり、若輩者が文化財級の道具を用いたところで、基盤となる土台からして、不調和・不釣合ということになる。真塗板の上に信楽水指を載せる様なもので、誠に不調和ということになる。何も小難しいことが語られているのではなく、道具が良ければ、亭主も相応しい人物であれ、と、それを説いているだけのこと。

この当時。文明開化などと云いながら、従来の伝統文化が打ち捨てられ、貧しきに喘いで道具を手放した宗匠。財閥系数寄者がそれを引き取って、戦利品的な道具茶会が行われていた頃のもの。もちろん、茶の宗匠を庇護したような立派な方も居られる。一方で、正座さえしなかった亭主が居る。多く、現代の美術館に収蔵された品々。もはや扱える者の居ない道具という事になるのでしょうか。美術館が・・・果たして「茶道具の納まるべき処」なのかどうか。

>
この人生という、愚かな苦労の波、騒がしい海の上の生活を適当に律してゆく道を知らない人々は、外観は幸福に、安んじている様にと努めながらも、その甲斐もなく、絶えず悲惨な状況にいる。われわれは心の安定を保とうとしてはよろめき、水平線上に浮かぶ雲に、ことごとく暴風雨の前兆を見る。しかしながら、永遠に向かって押し寄せる波濤の中に、喜びと美しさが存している。何ゆえにその心を汲まないのであるか、また列子のごとく風そのものに御しえないのであるか。
>※列子:風を意のままに操るという仙人。

少しく抽象的な文言が多い。過去に無い大きな国家間戦争を目前とした戦慄であろうか。遠くに堂々たる暗雲を見る日々。そういった荒波・暗雲。しかし、暴風と雷雨をもたらす巨大な入道雲にさえ、人は美を感じ、夏の喜びを感じる。入道雲に不安なるを知りながら、そこに喜びをも見いだして行く。不安に陥るか、それとも心を強く持って美を楽しむか。それは列子が自在に風を操るが如くに、己自身が、入道雲をどう見て行くかという事に拠るのである。悲観の上に何を載せるか。展望批判を並べ立てるのか、科学分析を並べ立てるのか、人の生きる術を説き立てるのか。そういった事を、改めて説いているのだと感じる文章かと思う。

>(利休切腹の日)
「不幸の人の唇によって不浄になった器は、決して再び人間には使用させない。」と言って、利休はこれを粉砕する。その式は終わった。客は涙を抑えかね、最後の訣別をして茶の室を出て行く。彼に最も親密な者がただ一人、あとに残って最期を見届けてくれるようにと頼まれる。そこで利休は茶会の服を脱いで、大事にたたんで畳の上に置く。それで、その時まで隠れていた清浄無垢な白い死に装束があらわれる。彼は短刀の輝く刀身を恍惚と眺めて、次の絶句を読む。

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺

笑みを顔に浮べながら、利休は冥土へ行ったのであった。
>

最後の文章。「茶の宗匠」とは「利休」のこと。「不幸の人の~」という話は、1つ楽茶碗に通じる。カワラケとして低温で焼かれた楽茶碗は、何度も使用する事を想定してはいない。もちろん、当時の客も同じく、一期一会の戦国時代であり、大将・大名とは云え、その流転は先が見えないものであるし、合戦のみならず、失策による斬首なども多く行われていた時代である。それは利休とて蚊帳の外では無く、やがて切腹を申し渡されることになる。

書かれた英文にも、しかしこの絶句に関しての説明は無い。現在も色々と云われるものだが、色々云っているのは学者さんや小説家に多いのかと思う。説明は不要。不可能ではなく、不要というものだろう。蛇足は茶の心に在らず。天心もまた、説明を不要として、「茶の本」を締めくくったのである。


以上、第七章「茶の宗匠」(最終章)より、抜粋・雑感まで。

茶湯の灰

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さて、灰は灰ですが、炉灰。茶道で用いる灰です。灰というものは、現在でこそ都会生活とは全く無縁のものですが、古くは材木を主体としていて、馴染まぬ言葉で分かり易く云えば”エネルギー”というものでしたか。囲炉裏にしても勿論、大切な米を炊くにも、また灯りを取るにしても、弓を放つにしても、住居を建てるにしても、全ての原点は「木」。陶芸も、漆も、刀剣も、全ての工芸は木材無しには成立する事が出来ません。

その木材の凝縮剤と云うべきものが「灰」です。知らずの知識として、「ゴミ」などと思う人も居られましょうが、ガラスの原材料でもあり、釉薬に欠かせないものである他、非常に優秀な畑の肥料として、染織の材料として、根菜類などのアク抜き材料として、溶融剤として、つまりは植物の根幹部分でありますから、その有効性というものは高く、現在の化学的は量産劣化版でしかありません。その最高品質は貴重なもの。上記の効用を知れば、過去よりどれほどに大切にされていたか、崇高なまでの特殊効果には敬意が払われて然るべきものであったことは、容易に想像が出来るのではないでしょうか。

当然、古来釉薬としても、自然釉薬は勿論、井戸茶碗にしても、青磁にしても、侘びの器から真の器まで、全ての根本原料は木灰という事になります。信楽の緋色にしても、薄く膜を張った木灰の為せる色彩でありまして、ただ土を焼けば出る色ではありません。

・・・と、脱線はさておき、今日は灰作りの稽古でありました。

窯焚き翌日ということで、起床した時点ではガクガクだったので、仮眠で強制復活。窯焚き直後に可能である荒技?なのでしょうか。昨日も畑を耕したり、草刈りしたり。今日も一日、元気に炎天下での作業でありました。


「茶道においては、灰はとても大切にされている」・・・という話は聞くものの、「じゃぁホントはどうなのよ?」という辺りや、「なんで?」と云う問いに答えられるほどの知識も実践もなく。手順などは書籍に書かれておりますが、なかなかに興味が持てないというか、文字をなぞるだけで何も勉強できていないというか・・・。

宗道先生の「茶の湯の基本 灰と灰形―作り方、炉・風炉のすべて」(淡交社)を読んではみたものの、しかしせっかくならば実践して勉強をしてみたいと思いつつ背伸びをしてみまして、臆面も無く灰作りに参加させて頂きました。古く育てられた灰がどういうものか、新しい灰、またその使い分け、風炉・炉の違いなどなど、灰の元はイワユル”茶道炭”でありますから、原料的には一定程度同じであるわけですが、見れば瞭然、触れば愕然に違う。「畑の土に似ているかも」と仰られた方が居られましたが、なるほど、よく耕された畑の土の感もあります。灰にも「時代」というものがあるというか、新しいものは、いかにも新しく感じます。粒子の具合も違う。「火事の際に茶人が持ちだすのは、茶碗ではなく灰である」という話を聞いたことがありますが、なるほど、自らが毎年に手塩に掛けたものとなればこそ。つまり頻繁に掛釜してこそ。その掛釜も、茶席を借りるとしたとして、やはり基本は自分の灰を用いて行うものだそうで、そうやって灰を育てていくものだそうです。茶碗に似ていますか。(ちなみに写真のものは「新しい灰」です。)

昨日も淡交社さんで灰作り講座だったとか。同じく灰の位置づけ、茶で洗う意義、古来の風習などなど、そういった質の高い講義を頂戴してきました。北野社中の有難いトコであります。灰を触ったことも無いのに、と思っていましたが、なかなか、ちょっと灰に対する認識が随分と変わった、というか、面白そうだなぁ、と思っております。灰はやはり、我々薪窯の者にとっても身近なものであります。


う~む。しかし実践は・・・実践は・・・やるなら「灰を造る」トコからやりたいだけに・・・。妙なコダワリ癖が障壁であります。冬は火鉢を入れるので、クヌギの材木を手に入れて・・・か。しかし利休時代はクヌギとは限らなかっただろうけれど・・・。う~む。馬鹿の考え休むに似たり。本気で金銭を投入すれば出来ない事も無いのが悩ましいトコです。レンガの小さい窯もありますもの。巧くクヌギを手に入れる先も聞いて来たのですよ。


まぁ、そういった一日でありました。日と木の恵みに感謝。

穴窯焼成記録・第二十回、短期間焼成

さて、夏の最中でありますが、短期間の焼成を行ってまいりました。

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そろそろと、いい加減短期焼成のことを書いても仕方がない様な気もするのですが、一応に記事まで。今回は日程的に厳しいトコでありましたので、あまり体調が宜しくは無かったものの、父親が助っ人として初日から来てくれたので、随分と安定して焚く事が出来ました。色々と窯の構造を触ったこともあり、様々に結果の気になる短期焼成。

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茶道の稽古から帰宅して、昼刻三時に点火。気温は30℃少々という辺り。

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ボチボチと焼ながらに夜を明かして・・・

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モクモクと。夏の収穫前というあたりです。メイン試作は茶碗。

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秋の気配を感じつつ、夏の雲も見納めでありましょうか。

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焼成時間としては40時間弱。丸2日間という辺り。

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夜は涼しいもの。八月とは云え、山中の月末ともなれば別のもの。

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夜が明ければ窯も終了の時。ちょっと・・・窯の中で色々ありましたが。

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ともあれ終了。試作が盛りだくさん。どんな作品が採れるか楽しみ。

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帰宅してみれば芙蓉が咲きそうな気配。


う~ん。しかし疲れた。とりあえず寝ます・・・・。結果などなど、その辺りは窯出しの頃にでも記事に致します。もはや窯焚きも年中行事。いつもの事ではありますが、毎度ながらに感謝。

なんとか

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昨日に引き続き、窯の改装をしながらの窯詰め。何が問題かっていうと暑いのもあり、レンガの出し入れが大変なのもあるわけですが、蚊とかアブがですな・・・。ヘタに手を振り回すことも出来ないし、身動きも出来ない中。もうね、追い詰められた鼠の気分ですよ。

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まぁしかし、何とか完了です。この写真を撮ったあと、車の中に置き忘れた蹲を発見して慌てることになるんですが、ともあれ完了は完了ということで。今回は釉薬モノが多くあり、もちろん生掛けなので、ウカツな持ち方をすれば割れます。ってか、いくつか割りました・・・。窯詰めの苦労も多く、また窯の蓋などの修理もあり、色々と面白いものでした。自宅の方でも、芙蓉を買ってきたはいいけれど、植えるのを忘れて危うく枯らすトコであったり、色々細かいコトが沢山に。最終的に熱電対を買いに行く暇が無かったのですが、まぁ無くても焚けるので、さしたる問題ではありません。


今日はゆっくり寝て、明日の朝から焙り焚き・・・と云いたいトコですが、茶道の稽古がありますので、稽古から帰ってきてから。稽古は昼までで失礼させて頂こうかと思いつつ。

ちなみに只今は洗濯中で、これから晩飯作って・・・桐箱書いて・・・。う~む、大丈夫か?

窯詰め作業。

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今日から薪窯の窯詰め。昔は「伊賀の窯に釉薬モノなんぞ入れた日には、”あらぬ御疑い”を受けるんだから、やらぬが良いに決まっておる。”塗り灰伊賀”の作家連とは違うんだ!」みたいなコトを想って、実際に実践していた頃もありました。まぁしかし、そういったコトは、無駄なコト。真摯に作っている人は真摯に作り続けている。その客観証拠を確保したトコロで、何の証明にもなりゃぁせんのです。分かる人には、見れば分かるもの。

というわけで、朝から窯の仕様を大幅に変更して、過去にない程の大改造を行いました。

・・・まぁ全部、窯の中の話です。技法としては「疑似全地下仕様」とでも名付けましょうか。ある著名作家さんの窯からヒントを得たものです。その他色々、ここらは極秘事項?であります。薪窯ってのは、まぁ普通は構造が固定されて触れない様になっているものですが、ウチの窯は、最初から仕様変更を見込んで作ってりまして、色んなコトが出来るわけです。あとは発想と知恵です。何度も窯を築き直すことも1つ、経験としては大切でありましょうけれど、相応の財力なども必要ですし、本質的には細部の変更ですから、1つの、焚き慣れた窯から最大限の情報を引き出して行く事も大切な視点だと考えます。

小細工的な仕様変更は従来から様々に試してきています。極論すれば、その多くは「効果不詳」。という辺りでしょうか。焚き方次第で、いくらでも左右される範囲内のモノ。要は小手先。しかし、どこまでの仕様変更が小手先で、どこからが技術なのか、という辺りを見極めていくという事は、とても大事な経験則です。実際、焼成技術の高い作家さんの多くは、窯に小細工を施していません。大半の小細工は無用なもの。「小賢しい智恵」で終わるものが多いのです。その辺りの知見を、しっかりと掌中に納めて行きます。分かった様な顔をしても仕方ありません。


っと。何か変な方向に話が。

とりあえず、従来はトルコ青など低温釉を入れてましたが、今回は少し色々と、本当の意味での試験窯、もとい、窯試験ということになりましょうか。巧く行けば有難いものですが、どうなるものか。


しかし・・・窯の中は暑い。入った瞬間から汗が出てきます。
明日で何とか窯詰めしたいのですが、さてさて。

試作色々

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ガス窯を焚きつつ・・・

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夏休みという事で、信楽「森のCafe」さんで美味しいランチを頂きつつ。
自家製のベーコン、自家製ハーブによるハーブティなど素晴らしいもの。
信楽・伊賀観光の際にはオススメです。水曜定休。

山野草と熱電対を求めに行ったのですが・・・。熱電対買うの忘れてた・・・。
(記事を書いていて初めて思い出した・・・。)

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さておき、とりあえず色々と試験中です。内容は・・・説明が面倒なので省略。粉引を形にするべくしての試験です。多分・・・これで巧く行くと思うのです。最終的に薪窯で焼き上げる予定です。 荒土ということでは世界随一?と云ってもそれほど問題がない様な原土ですから、「信楽鬼粉引」みたいなトコになりますか。(「鬼」の呼称は雰囲気的?につく事も多いようですが、本来的に萩などでは「荒土」が鬼萩、「細土」が姫萩ということで、原土の分類からくる呼称と視る側面もあります。)


今日は地元の地蔵盆。子供は少ないのですが、地蔵様を池の水で洗い、祭壇に供えて菓子を供える。御経により、夏の収穫と、稲作、つまり大地の恩恵の大なる収穫に感謝と祈りを捧げるもの。今日の法話?でありましたが、なるほど、地蔵様とは、「大地の蔵」ということで、自然の恩恵が詰まっている祭壇という事に相成ります。地蔵も関係の無いコト、無信仰の時代ということでは、ともすれば「どうせ子供にやるんだから、適当なモノでいい」などと云いますが、あくまで地蔵様に供えるもの。 子供の多少は関係の無いものです。

まだ窯に火が入っているのですが、宴会もあり。


とりあえず嫁さんに工房まで送ってもらいつつ、仕上げを焚いてます。

秋の気配

しかしまぁ、随分と涼しいものです。

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今日は漆。午前中から分刻みでロクロ仕事をこなして、少し遅刻しつつ、という辺りでした。来月は漆教室を休みにしたので、しばらくは少し、仕事の回転がやりやすく・・・。と思ってみましたが、茶の予定とセトモノ祭りが入っているので気分だけであります。

しかしまぁ、涼しいものですね。今年は冷房を使うことなく夏が終わりそうです。天候も、雨が続いてくれると困ったことになるトコでありましたが、曇・雨と云いつつ、晴れ、時々雨という天候でしょうか。しっかりと乾燥が進むので有難い。

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しかし当面、この結果を反映した薪窯焼成を考え、仕事の算段を色々と変更しております。ガス窯をもう一回焼いておかないと駄目という事になり、まぁ色々、色々であります。(説明が面倒なことをやってます)

少し遅くなりましたが、茶道の青年部各位の作品を据えての焼成でもありますが、窯の構造を大幅変更予定。どうなるかなぁ・・・と思いつつ、来週辺りに短期焼成です。これくらい涼しいと非常に有難いのですが、さてどうなるものか。

新しい土。

昨日のガス窯、高麗茶碗用に採掘した新しい原土の試験結果・・・。

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粉引です。鉄分は想像以上に多い様子で、井戸としては場違い。

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雰囲気は面白いのですが、コレデワ実用不可。水も漏れます。
やはり土が荒い。収縮に関しても化粧土と合わない。

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同釉薬、別土。いつも使っている細土。細土と云っても、「市販の荒土」くらいには荒いか。これも原土100%。やはり好みというものでしょうけれど、小生は俄然に荒土好み。両者を巧いこと配合すれば、少し道が開ける可能性があろうかと思っています。あとは・・・も少し、土に合わせて高い温度で焼いてみる事でしょうか。どうしても、低い耐火度の土に合わせて焼かなければならないので、混在の窯における試験焼成は予備試験、という事になります。

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しかし柿蔕の色彩としては非常に魅力がありそうです。
土味が非常に深いのですよ。新調合の柿蔕釉です。

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従来の柿蔕茶碗が、とても平凡に見えます。
 実用との兼ね合わせでありますな。


ともあれ、せっかくの新土。かなり不安定な採掘状態なのですが、これを活かした作品という事で、思案を積んでみようかと思っております。

爆発音

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今日はボチボチと焼いてます。ガス窯も一ヶ月振りという辺りでしょうか。ロクロと並行して焚いていると、ツイツイ温度を上げたくなっていけません、・・・などと素人らしい事をいつまでも言っております。夕刻から焚き始めて、まだ三時間程度。八時間~九時間ほどで焼き上げる予定です。

個人的な持論ですが、薪で20時間掛かるものを、ガスで20時間やってしまうと・・・違うものになると思います。焙りがドウコウ、などという問題ではなく。ややこしいので詳細は省きますが。

井戸と粉引。巧く行くといいんだけれど、そう簡単に行っても面白くないのです。


と・・・日が落ちてもロクロを挽いていると爆発音!

「こりゃぁ・・・窯だな。なんともまぁ・・・。中身?は聞こえない筈だし・・・。いやぁ・・・窯天井が飛んだ?」などと思いながらボチボチと出てみると(基本的にガスボンベが爆発しない限り窯は大丈夫な様に設計されてます。)

・・・花火でした。工房のある集落の地蔵盆。

花火で鎮魂というのは江戸時代、まぁ花火自体が新しいものですから、比較的新しい風習という事になりましょうか。元は中国では古くは二千年も前の時代の風習。主に祝事などで爆竹を盛大に鳴らして「魔除け」ということを行う風習から来ていると思えば、なるほど、随分と導入は遅いものの、夏の風物詩であります。京都の「大文字」なども同じものですか。祖先の霊を送迎する盆行事。

そういや今年は花火、見に行って無いなぁ・・・と思っている内に、夏も終わってしまいます。

夏の御稽古。

夏の盛り。稽古が夏休みというトコも多いと聞くけれど、休まれる方が多い分だけ、しっかりと稽古を付けて頂きました。花月が2回、長板の点前を2回、少しばかり点前指導の稽古を1度。

このトコロ花月稽古が続いていて、4回程。花月の合間は四ヶ伝であったので、薄茶点前が久方振り。長板の点前で、一瞬、棗の清め方が頭から消し飛んでしまいました。いつもながらの反省ですが、思い出すのに点前稽古を使って居てはなりませんね・・・。人に手順を教える事で、しっかりと復習をさせて頂きました。

で・・・う~ん、何を書こうか。

今日は「無言」という事を、御指導頂いたので、何となく色々と思案をしております。宗道師は、もちろん時代的に、昭和の巨匠とされる方々と直接に出会っておられます。「無言」ということで印象に残っておられる方として、やはり職人の頭領的に見られている豊蔵さんを挙げられました。対照的だったのが唐九郎氏で、著作も多く。しかしその内容を見ると、自分語りも多い事ながら、後進として非常に学ぶことの多い内容であって、何かを貶したり、愚痴を言ったり、そういった内容が非常に少ないというのは、1つ特徴でしょう。駆け出しの頃は何も判らなかったものですが(まぁ、今も駆け出しでありますが。)、その内容は、端的で、経験に基づいた大切な要点が籠められた言葉が多いことを思います。行動が対照的とは言っても、両者の行った「業」としては、随分と共通したものがあったのではないだろうか、と想像してみたりするもの。表出の方向性の差異。また同時に、「語らぬ事が、より多くを語る」という事も多い。

陶芸、茶道以外の分野。最近は漆芸について、松田権六氏の著作などを読んだりしてみましたか。そういった工芸の分野に於いても共通して云われる事がありますが、全く他の分野も色々と参考になるようで、今日は剣道など武道の話を引き合いに朝の講義を頂きました。

最高の腕を持つ者の、資質とは。


とりあえず、今日はここらで「無言」にしておきます。

でわでわ。

夏のお仕事

今日は色々と。夏は軽装故にカメラを持ち歩かないことも多く、写真無しです。


朝からサヤ鉢を造って、直射日光で強制乾燥しつつ少し信楽方面へ。途上、某作家さんが窯焚き中で、何とも暑い仕事の様子。夏はキツイ。八月の半ばってのは一番ツライ時期ですが、秋頃に個展がやりたかったら、まぁ・・・仕方ないのかと思います。ウチも月末頃に短期焼成。

工房に戻った後に、土を掘りに行って、土造りを進めつつ、同時進行で釉薬を調合して釉掛け。今回は10種類くらいになるでしょうか。土と釉の組み合わせがあるので、少ない数でも、どれがどれだか、よく分からないようになってきます。土が二種類、釉薬が三種類、濃度差含めて四種類。加えて白化粧の有無を含めると2×4×2で16種類になります。「年間に100種類の試験を・・・」と云えば格好が良いモノですが、実態を計算してみると案外に少なかったり。緻密にやっている方は本当に緻密でありまして、100などでは全く納まりません。化学原料を使う場合などは再現性があるので、緻密に計算するだけの価値があるだろうかと思います。

夕刻から窯詰めを行って、明日は茶道なので早めに切り上げ。


少し事務仕事をして、あとは箱書の仕事をして寝るだけです。

盆休み

どうも。今週は漆も茶道も窯焚きも無いというもので、とても久しぶりという感じの一週間でありましたが、さりとて色々と法事もありければ、墓参りもありますので、二~三日程に嫁さん方の縁戚墓参りという辺り。渥美・豊田(猿投)という辺りなので、陶器産地としても有名な場所でありますから、土質などはやはり、面白そうな粘土が各所に見受けられるかに感じました。

時間の余暇で少し瀬戸にも廻ろうかと思ったのですが、水野先生とは予定が合わず。まぁ、ゆっくりとしつつ久しぶりの休日を過ごさせて頂きました。今日に帰宅して、夕刻からは旧来の友人と会食へ行って、先程に帰宅。意外となかなか、休日というものは休めないものですね。

ボチボチと、明日から仕事再開です。

御盆です。

先程に少し雑感的な記事を書いたのですが・・・具体論に踏み込み過ぎたので書き直し。

値段の話、です。

ちょっとなぁ・・・道具屋にしても、何だか怪しい品物を・・・怪しいからって値段も安いけれど・・・。う~む。茶道具って信用がならんというか、何と云うか・・・。分からないでもないですが、茶に関わるなら、道義的にも本筋で居てほしいなぁ、と思うわけです。もちろん、全ての業者が悪徳ではありませんけれど、骨董稼業というのは基本的に「騙された方が悪い」の世界でありまして、「良い勉強をしたね」という世界。茶道具に関連する相場が、作家も、骨董の古い道具も、本当に昏迷してきているのだなぁ、という事を感じました。

著名大家の薪窯作品を・・・経費以下の値段で堂々と売られてしまうと、もう本当に、我々はどうしてよいのか分からなくなります。我々が真摯に仕事をするならば、著名大家の値段や時代モノの値段よりも高額に設定するというのは、やはり道義として疑問があるべきです。某元首相のように、存命師匠の10倍近い値段というのは、一種の冒涜としか思えない。しかし、ここまで値段が下がってしまうと、本当に経費を割り込んでしまって、何ともならない。道義を立てられない。もちろん、売上も立たない。

バブル期に超高額で売れに売れた茶道具群。その購入者が高齢となり、放流が始まって・・・。要は流通過多で急速な値崩れが起っている。行き場所の無い茶道具の亡霊。


んぁ~。サラリーマンなら飛びついて色々と買っただろうけれど・・・。

茶道具が投げ売られて行く。とても悲しい。


御盆であります。茶道具も供養しないと、泣いておろうものが多いかと思います。要らん、分からんものがあったら、別段に小生が引き取って、山に埋めてやってもよいです。使ってやることが出来るものもあるでしょう。


まぁちょっと、雑感まで。明日から盆休み。ブログも多分、休息になります。

宿題も随分と

茶の本も、残すところは最終章。疲れたトコで書いて行くのは辛いんですよ・・・。

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今日は新しい土を挽いてみました。ちょいと、井戸茶碗を狙っている土としては無理があるけれど、まぁそれはそれ。本産地の土を取り寄せて焼いてみよう、という様なものでは無いので、あくまで地産の井戸を作り上げるまでのこと。だから、石も特別に取り除くことなく、そのままに挽いています。さすがに随分と粗いもので、縮緬どころか、ササクレになっております。縮緬に関しては、素人技法として、「削った後にヘラを立てて縮緬皺を出す」という様な事をする人も居ますが・・・、普通に考えて分かる様に、「そんなことをわざわざ、当時の人間がやるわけがない」のであって、種付け天目に通じる愚行というもの。あくまで趣味に於いてはご存分でありますが、「表現手法の1つ」と嘯いてしまっては、もはやオブジェになってしまいます。土と削りが正しければ、普通に、本当に普通に削っただけで出ます。もちろん、この土は粗すぎるのですが・・・。

で、コイツは焼くのも薪窯で考えてます。ガス窯の薪併用ってのは違う気がしてます。サヤ使用で薪窯。もちろん、その前に調合試験を焼かねばなりませんし、新しい土自身の耐火度も確認する必要があります。鉄分が多いので、厳しい結果となる事も十二分に予測される処。駄目なら駄目で、それも結果です。この土を活かせる場を、考えてみようかと思います。挽く時も特別に挽き方を変える必要がありますし、口辺もベベラになります。土の具合によって重量も多分にあります。井戸の様に端正を狙うのは少し厳しい感がありますね。

まぁともあれ、土は焼かないことには何も判りませんから。


ウチも、明日からちょっと御盆休暇に入ります。

岡倉天心「茶の本」に見る思想 「第六章」より

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第六章「花」

茶碗や棗、陶芸・漆芸・木工など様々な工芸をさて置いて、第五章「茶室」の具体論の次に来る説明は「花」である。要諦を、紙面の範囲で説明する中で優先される順位。美としても、やはり「花」という自然の持つものは格別であろう。

>
原始時代の人間は、その恋人に初めて花輪をささげると、それによって獣性を脱した。彼はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時、彼は芸術の国に入ったのである。
>

⇒古来、人は花を供えてきた。決して、茶碗でも無く、芸術品でもなく、花である。今も、花は多くに存在し、人々を飾り立てる。無意識の内、習慣の産物であるやもしれないが、其処には、人が人であるべく、不必要な物を必要だと認める心がある、という説明がなされている。世には理性的に装って「それが必要なのか?」と嘯く人々が跡を絶たない。茶室に花は必要だろうか。人生に花は必要だろうか。しかしその実、一見して不要なもの、見捨ててきたものが、どれほどに有難いものであったか、戦慄することがある。花の無い世界、また青空の無い世界。自然の美しき色彩を代表するものが「花」である。

>
悲しいかな、われわれは花を不断の友としながらも、いまだ禽獣の域を脱することあまり遠くないという事実を覆うことは出来ぬ。羊の皮をむいて見れば、心の奥の狼はすぐにその牙を現わすであろう。世間では、人間は十で禽獣、二十で発狂、三十で失敗、四十で山師、五十で罪人といっている。たぶん人間はいつまでも禽獣を脱しないから罪人となるのであろう。(中略)
お前はよじ取られて手足を1つ1つ引き裂かれ、お前の静かな家から連れて行ってしまわれるだろう。その浅ましの者は素敵な美人であるかもしれぬ。そして、お前の血でその女の指がまだ湿っている間は、「まぁなんて美しい花だこと。」というかもしれぬ。だがね、これが親切なことだろうか。お前が、無情なやつだと承知している者の髪の中に閉じ込められたり、もしお前が人間であったらまともに見向いてくれそうにも無い人のボタン穴に挿されたりするのが、お前の宿命なのかもしれない。何か狭い器に監禁せられて、ただ僅かの溜まり水によって、命の衰え行くのを警告する狂わんばかりの渇を止めているのもお前の運命なのかもしれぬ。(中略)その人は自ら「生花の宗匠」と称している。
>

⇒花は自然のままに在るを最高のものとする。それを最高の芸術とするならば、何故にそれを弄びて意のままにしようとするのか。貴方は芸術的な絵画を見た時、それを切り貼りしたりするだろうか。花は尊重せらるべく咲いているものであるからして、最高の礼儀を以て、相応しい花器を用意し、床中に鎮座すべき芸術品である。彼は更に、花の扱いについて言及を深めていく。

>
彼はお前たちを切ってかがめ歪めて、彼の勝手な考えでお前たちの取るべき姿勢を決めて、途方も無い変な姿にするだろう。もみ治療をする者のようにお前たちの筋肉を曲げ、骨を違わせるだろう。出血を止めるめに灼熱した炭でお前たちを焦がしたり、循環を助けるためにからだの中へ針金を差し込むこともあろう。(中略)彼の治療を受けない場合に比べると、二週間以上も長くお前たちの体内に生命を保たせておくことができるのを彼は誇りとしているだろう。お前たちは初めて捕えられた時、その場で殺されたほうがよくはなかったか。
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⇒華道に対する批判、もとい、茶花と華道花との認識差異である。茶道では華道を習うべきではない、という言葉も聞く事が在るだろう。しかし同時に、茶道・華道を同時に稽古する教場も多いと聞き及ぶ。

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西洋の社会における花の浪費は東洋の宗匠の花の扱いよりもさらに驚き入ったものである。舞踏会や宴会の席を飾る為に日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数は、なかなか莫大なものに違いない。(中略)西洋においては、花を飾るのは富を表わす一時的美観の一部、すなわちその場の思いつきであるように思われる。これらの花は皆、その騒ぎの済んだあとはどこへ行くのであろう。しおれた花が無惨にも糞土の上に捨てられているのを見るほど、世にも哀れなものはない。
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日本が野蛮国家であるか、西洋が野蛮国家であるか。しかし結局、現代の草花に対する扱い・価値観は、およそ西洋に準じている。花屋に茶花が置かれることが少ないのも当然ということであろうか。多く作れば、多く浪費することが許される。それでは禽獣と同じであるという事だ。ここに於いてやはり、自らの茶室に供える花というのは、やはり茶人が自ら大切に育ててきたものであるべきなのであろうことが了解される。

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変化こそは唯一の永遠である。何ゆえに死を生の如く喜び迎えないのか。この二者はただ互いに相対しているものであって、バラモン教の説く昼と夜である。古き物の崩壊によって改造が可能となる。われわれは、無情な慈悲の神「死」をば種々の名前で崇めてきた。(中略)花を千切ることによって、新たな形を生み出して世人の考えを高尚にする事ができるならば、そうしてもよいではないか。われわれが花に求むるところは、ただ美に対する奉納を共にせん事にあるのみ。我々は「純潔」と「清楚」に身を捧げることによって罪滅ぼしをしよう。こういう風な論法で、茶人たちは生花の法を定めた。茶や花の宗匠のやり口を知っている人はだれでも、彼らが宗教的の尊敬をもって花を見る事に気が付いたに違いない。彼らは、一枝一条もみだりに切り取る事をしないで、おのが心に描く美的配合を目的に注意深く選択する。
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自らが育てた草花でありてこそ、思いも一層に深いのではないだろうか。または山野に行って摘み取るのである。花の生涯って長いものでは無いのだから、その無常を共に崇拝するのだろう。しかしその境地へ進むのは、なかなかに大変なことであろうかと想像するばかりである。花1つ、最高の美を演出することが出来るようにならなければ、茶としての資格がないということになる。”花の美を活かせてこそ、道具の美も活かせる”ということになろうか。

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太閤は庭中を歩いて御覧になったが、どこを見ても朝顔の跡形も見えなかった。地面は平らかにして美し小石や砂がまいてあった。その暴君はむっとした様子で茶室へ入った。しかしそこには、みごとなものが待っていて、機嫌が全く治ってきた。床の間には宋細工の美しい青銅の器に、全庭園の女王である一輪の朝顔が在った。
こういう例をみると、「花御供」の意味が充分にわかる。たぶん花も充分にその真の意味を知るであろう。花々は人間のような卑怯者ではない。花によっては死を誇りとするものもある。日本の桜花は風に身を任せて片々と落ちる時、これを誇るものであろう。吉野や嵐山で薫る雪崩の前に立ったことのある人は、だれでもきっと、そう感じたであろう。
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花は死を恐れない。如何にも仏教的な観点かもしれないが、「その生死を人が預かる」とはどういうことか。茶道を通じて、岡倉天心は仏教の理想を語り、日本的価値観を述べて行くのである。しかし実態としての日本はどうであったろうか。また、現在もどうであろうか。時代を経て、我々は文明を進歩させているのか、野蛮を進歩させているのか。嵐山の桜や紅葉も、ここ数年は随分と淋しいものになっているという話であるが、岡倉天心に云わせれば、

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諸君は、野生の花が年々少なくなっていくのに気はつきませんか。それは、彼らの中の賢人たちが「人がもっと人情のあるようになるまで、この世から去れ」と彼らに言って聞かせたのかもしれない。たぶん天へ移住してしまったのであろう。
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かように、花というもの1つから訓えられるものである。


以上、第六章「花」より、抜粋・雑感まで。次回は最終章。

暑い・・・かなぁ・・・?

世の中、どうにも酷暑、酷暑という声が聞こえてきますけれども、今年は冷房のスイッチを入れないままに夏が終わりそうな感があります。別に節電とかそういうものではなく、普通に去年より涼しい。畑の野菜も生育が遅く、本来なら食べ切れないほど採れる野菜が、ようやく少し採れてきた程度です。何か不景気対策として特定産業が言ってるのでは?・・・と、思わないでもありません。冷房機器を買い替える金があるなら、も少し被災地に贈ったが宜しかろう・・・というのは言い過ぎました。陳謝。

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今日は土掘りに出掛けました。楽しかったです。

何箇所か土を掘る場所があるのですが、今日は一ヶ月半振りに伊賀土を掘りに。・・・と思ったら、夏の生育期ということで見事に草が生え放題。牛が食べるよりも多く生育するので、腰ほどまでもの背丈になっていました。マムシもウロウロとしているし、草を掻き分けて土を運ぶのは大変な労力になります。

で、久しぶりに使いました。今回は短期焼成なので伊賀は焼けないのですが、粉引・井戸茶碗に使う土を新しく掘って見ようと画策。巧く行くかどうかは、まぁまずガス窯での試験が必要でありますが、およそ薪の釉薬モノということでは、ガス窯で失敗しても薪窯ではOKだったり、逆にガス窯ではOKなのに薪窯ではサッパリ、という場合がありますから、何ともです。勿論、どちらとも変わらないようなものもあります。

また、今回は一部にサヤを使ってみようかと思っていて、過去の鬼桶失敗作を使ってもいいんですが、それも情けない気分になるので、適当に紐で積んでみようかと思ってます。

あ。ちなみに、別にこれで土を運んだわけでは無く、草を掻き分けて、手当たり次第に掘りだして土を見繕っていたのです。積みだして運ぶのは、バケツとスコップ。軽トラックなど、車が横付け出来ない場所なので、なかなかに重労働なのです。


ちょいと・・・お盆があるので、意外と忙しくなって来そうな予感あり。

とりあえず夏休みの宿題として、並行して「岡倉天心の思想」を書き上げる事にしております。

岡倉天心「茶の本」に見る思想 「第五章」より

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第五章「芸術鑑賞」

第四章「茶室」では、西洋から見た場合、価値観の根本的相違により日本文化を理解することが難しいのではないか、という提起が折々に為されており、その上で「芸術の観賞」ということについて言及していく。

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諸君は「琴ならし」という道教徒の物語を聞いたことがありますか。
(以下適当に省略します)
大昔、竜門峡に真の王者たる桐の古木があった。ある偉大な妖術者がこれを切って不思議な琴を作り上げ、皇帝に献上された。しかしその弦は、名手が代わる代わる努力しても、ただ軽侮の音、歌と不調和な琴の音が鳴るばかりであった。
やがて伯牙という名手が現れた。御し難い馬を鎮めようとする人の如く、優しく琴を撫で、静かに弦を弾くと、四季・高山、流水など、古木の追憶が呼び起こされ、調べを変えれば琴中に雷光起り、轟々と鳴り渡った。
皇帝は演奏の秘訣を尋ねた。伯牙、答えて「陛下、他の人々は自己のために歌ったから失敗したのです。私はただ琴に任せただけ。琴が伯牙か、伯牙が琴か、本当に自分にもわかりませんでした。」(以上、物語の大筋。)
この物語は芸術鑑賞の極意をよく説明している。真の芸術は伯牙であり、我々は竜門の琴である。
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人の情感を動かすもの。例えば禅語は伯牙である。その伯牙によって我々の心は様々に鳴り響くことになる。その音色は琴によって様々であろう。如何に伯牙といっても、凡庸な琴を相手には凡庸な音しか出ないものであるし、名琴と出会ってこそ、素晴らしい音色を奏でるのである。逆に云えば、名品の感動というものは、己自身の観賞能力に比例するのである。観賞能力の無いことを置き去りにしてしまった時には、名手の音色を「凡庸」と評してしまう結果となる。美しき音色が響いてこない時には、素直に自己を反省する事も大切であるが、琴が凡庸である時も同じ。まずは伯牙の音色を、自らの琴の中に奏でる体験を知ることであろう。奏者の妙手を知るにも、様々な知識や経験があると尚一層に味わいも深い。そうして、その相克を見極めていくことで芸術鑑賞力、「琴の音色」を磨いていくものであろうか。

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宋の有名な批評家が非常におもしろい自白をしている。「若い頃には、己が好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、己の好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に嘆かわしいことである。われわれは、手のつけようのない無知のために、この造作の無い礼儀を尽くすことを厭う。こうして、眼前に広げられた饗応にもあずからないことがしばしばある。名人にはいつでも御馳走の用意があるが、われわれは只だ、自ら味わう力が無いために飢えている。
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少し判り難いので再訳すると「若い頃は自分の好きな絵をヨイモノだと公言していたものだが、鑑識力が熟達してくると、妙なことに、過去の名人が選びあげた名品が次第に素晴らしいものに見えて来て、”名人の目に近づいている自分の熟達”がとても嬉しかった。」という意味である。例えばロクロの名人になりたかったら、現在の名人の技を見に行くだろう。同じく、観賞の名人になりたければ、過去、例えば利休の目に学んでしかるべき基礎を積むべきであろう。それが好いと見えてこそ、観賞力の基礎が積まれて行く。よくよく、この世界には食わず嫌いも多いし、苦いものは食べない。ビール宜しく、最初こそ苦いというものもある。しかし少し我慢もしなければ、その良さも判らないというものがある。それは何事にもついて廻る。観賞力の鍛錬だけは例外だと考えるのは、まったく不可思議な思考である。「自ら味わう力が無いために飢えている。」という言葉は、心して聞かなければならない。ファーストフードを常食にしている様では、一生を費やしても懐石の味は分からない。

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慣例、因襲の力は美術観賞力の範囲を制限するものである。われらの個性さえも、ある意味において理解力に制限を設けるものである。そして、審美的個性は、過去の作品の中に自己の類縁を求める。もっとも、修養によって美術観賞力は増大するものであって、これまで認められなかった多くの美の表現を味わうことができるようになるものである。が、畢竟、われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。すなわち、自分特有の性質が理解方式を定めるのである。茶人たちは全く各人個々の観賞力の及ぶ範囲内の物のみを収集した。
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本棚を見れば、また友人を見れば、などなど、その人柄を反映するものは多い。文章1つでも同じこと。即ち、自らの収集品というものは、自己の価値観の反映物である。見栄高き者の収集品にはブランドのものが多く、内実高き者の収集品には本質が反映される。無教養な者の集めるものは嗜好的なものが多く、芸術に価値を認めない者の収集品には安価なものが多い。逆に教養の高い者は歴史由緒の深いものなどを集め、芸術に詳しい者は価額に関わらず求めている。それは万有の中から、その人物が「自己の類縁」として選び出したモノ。結局、人は、その器の持つ力量の範囲でしか収集を行う事が出来ないのであるからして、自己の観賞力や教養を深くしなければ、その収集品、また創作する品々は高まることが無いのである。

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「人は皆、嘆称せずには居られないもの。これによって、利休にもまさる趣味を御持ちになっていることが分かります。というのは、利休の集めた物は、ただ千人に一人しか真に判る者が居なかったのでありますから。」と、遠州は嘆じて「これはただ、如何にも自分が凡俗であることを証するのみである。偉い利休は自分だけにおもしろいと思われる物をのみ愛好する勇気があったのだ。しかるに私は、知らず知らず一般の人の趣味に媚びている。実際、利休は千人に一人の宗匠であった。」 
実に遺憾に堪えないことには、現今美術に対する表面的熱狂は、真の感じに根拠を置いていない。人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられているものを得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。一般民衆にとっては、彼ら自らの工業主義の尊い産物である絵入りの定期刊行物を眺める方が、彼らが感心した振りをしている初期のイタリア作品や、足利時代の傑作よりも、美術鑑賞の糧としてもっと消化しやすいであろう。
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いやまぁ、実際問題、美術館にしても作家にしても、儲けるがためにやるものだから、万人に受けるものを狙う。そうして「売れるものが良い物で、売れないものはゴミである」などと嘯いている。例えば「国宝」と銘打てば来館者が殺到し、「世界遺産」となれば観光客が押し寄せるのである。押し寄せておきながら、その内実となれば、法隆寺で仏像を見るよりも漫画雑誌を読んでいた方が面白かろう。もちろん、マクドナルドとロッテリアの差異を論じるのも観賞ではある。そういった、大衆の分かる範疇だけでの議論というのは、マスコミを始めとして欺瞞的に「数字」や「利益」を得るために行われる。
長次郎の黒楽茶碗1つに、10分も20分も滞在して見る人がどれくらい居るだろうか。飽きずして眺めるだけの価値があると感受している人間が、どれほどに居るだろうか。現代とて、やはり千人に一人であろう。有名であるから観るだけのことで、特段に特別なものを感じてなどいないのである。そしてやはり、遠州系のものは多く技巧的で、人々の支持を得易いものである。それは見え易いという事でしかない。陶器で云えば「薄く・軽く・手間の掛かりそうなもの」である。作者に馬鹿にされている事に、そろそろと気付いた方がいい。

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今日の美術は真にわれわれに属するものであり、自らの反映である。これを罵倒するのは、ただ自己を罵倒するのである。今の世に美術無し、というが、これが責めを負うべき者はたれぞ。古人に対しては熱狂的に嘆賞するにもかかわらず、自己の可能性にはほとんど注意しないことは恥ずべきことである。(中略)過去がわれらの文化の貧弱を哀れむのも道理である。未来はわが美術の貧弱を笑うであろう。われわれは人生の美しい物を破壊することによって美術を破壊している。
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流行品が強い世の中を創り出すのは、他ならぬ流行品を求める大衆である。マスコミに流行品を決めさせて自らが踊るのも、現今の大衆の持つ踊り易い性格を反映しているのである。大衆が安いモノでOK、真の美術など不要と思うからこそ、真の美術が抑えつけられ、機械量産が大手を振るのである。自らに媚びる芸術をヨシとするからこそ、媚びた芸術が台頭するのである。全ては自己の投影物。

我々は桃山美術を称賛し、江戸時代を侮蔑し、明治の技巧主義を罵倒した。では現代の美術はどうだろうか。真の観賞者無くして、真の美術が掬われ、崇拝されることは無い。古物は良い。しかし、それを理由に現代に絶望するとなれば、その絶望が、彼の視界を更に絶望的に飾り立て、全く盲目にしてしまうのである。目に暗い、メクラの時代に名品は台頭しない。ゴッホを評価出来なかった美術界とは、そういう者の時代だったという事である。彼等は「メクラ」と呼ばれたいのだ。そんな芸術鑑賞は、下の下であることは云うまでもない。 本当に熱狂するならば、一人や二人、育ててみせよ。利休は、織部は、徒手空拳で指をくわえて眺めていたか。古陶磁に憧れた末に、自らの私財を擲って名品を作り上げた。そうせざるを得ないほどに愛好していたのだ。昭和の巨匠による陶芸作品も同じく、私財を擲った愛好者が居てこその具現化であった。現代陶に盲目な愛好家というのは、それら先人に何をも学んでいないことになる。愛好の程度も希薄。これではやはり、現代もまた「貧弱」と評価されることだろう。


以上、第五章「芸術鑑賞」より抜粋・雑感。

岡倉天心「茶の本」に見る思想5 「第四章」より

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第四章「茶室」

元より茶道について紹介する書籍であるが、第一章で茶道の本質を、二章で歴史、三章でその目的とする精神性を紹介した上で、ようやく具体的な各論に入って来る。「形質というものが本質では無い」という茶道の立脚する位置を呈しているというものであろうか。西洋人の興味を引くようなもの、即ち着物に代表されるエキゾチックな東洋神秘の紹介に陥らなかった辺り、さすがのものだと感じ入る。

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石造や煉瓦作りの建築の伝統によって育てられた欧州建築家の目には、木材や竹を用いるわが日本式建築法は建築としての部類に入れる価値はほとんどない様に思われる。(中略)茶室(数寄屋)は単なる小屋で、それ以外のものをてらうものではない、いわゆる茅屋に過ぎない。(中略)それは「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させるからには「数寄屋」である。(中略)今日、日本の普通の家屋の内部はその装飾の配合が極端に簡素なため、外国人にはほとんど没趣味なものに見える。
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建築1つを取っても、ここ半世紀の内に日本も西洋化してしまったと云える。それ以前は木造建築、見事な赤松の梁が姿を魅せた建築が、全く日本のどこに在っても、それこそ馬小屋や牛小屋であってさえ見られたものであり、当然に地元の材木を中心に用いていた。だからまぁ云えば、和風建築に対する一般の人々の感慨も、「金銭価値を想像するが結果の称賛」であったりするものだ。用材のことなどは、全く論外ということで、無理解なものとなってしまっている。現代、一般の人々が和風建築を見る目は、憧れというようなものであろうか。一種の異文化体験的な快感で以て観ている面があるのかもしれない。

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茶室は見たところ何の印象も与えない。それは日本のいちばん狭い家よりも狭い。それにその建築に用いられている材用は、清貧を想わせるように出来ている。しかしこれは全て、深遠な芸術的配慮の結果であって、細部に至るまで、立派な宮殿寺院を建てるに費やす以上の周到な注意をもって細工が施されているということを忘れてはならない。
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柳理論の云う処の「民藝的簡素」と、茶の云う「清貧思想」の差異であろう。馬小屋の様に茶室を作ったとすれば、やはり馬小屋なのである。飯椀を造ったら、やはり飯椀なのである。一見すれば「丼鉢」であるものが、実は精魂込められた「茶碗」であるという様な辺りに似ている。井戸茶碗にしても、多大なる数量を挽いた中から、「唯一絶対的に美しいもの1つ」を採り上げている。簡素であるが、非常に精緻な結果であり、非常なる労力が払われている。竹1つにしても、竹自体は粗雑なものかもしれないが、原料を吟味するのは大変な労力であるし、それを効果的に用いるには非常なる感覚が要求されるのである。粗雑を粗雑のままに用いるのが民藝、粗雑に精緻なる美を持ちこむのが茶道かと判じているのだが、どうだろうか。少なくとも「周到な細工」というのが、「絢爛豪華たる平等院のような様式美」ではなく、寧ろその対極であることは云うまでも無い。

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茶の湯の基をなしたものは他ではない、菩薩達磨の像の前で同じ碗から次々に茶を飲むという禅僧たちの始めた儀式であったということは既に述べたとおりである。が、さらにここに付言してよかろうと思われることは、禅院の仏壇は、床の間ー絵や花を置いて客を教化する日本間の上座ーの原型であったということである。わが国の偉い茶人は皆、禅を修めた人であった。そして禅の精神を現実生活の中へ入れようと企てた。こういうわけで、茶室は茶の湯の他の設備と同様に禅の教義を多く反映している。正統の茶室の広さは四畳半で、維摩の経文の一節によって定められている。
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物事の根本は本質。およそ本質さえ外していなければ、形質は時代と共に変質をしていくものであるが、本質だけは不変を固守しなければ換骨奪胎して別のものとなってしまう。伝統の時代に沿いたる変化というものは、およそそういったものである。即ち、各家庭はともかくとして、少なくとも「茶室という茶道の場」を自称するならば、「床の間は仏壇であり教化の場である」というものが本質になる。床の間たる仏壇は、小さくなっても、場所が変わってもよいだろうけれど、仏壇は仏壇でなければならず、また「善徳」の象徴である「仏」が存在しなければならない。時にそれは自然草花に代替され、高僧の掛軸など禅語に代替される。「仏」を「徳」と置き換えれば、それは自然美を礼讃することにも代替されていく。しかし「仏像」を「美術品」と扱ってのオブジェ代替などというのは換骨奪胎である。茶の「基」、「本質」が何かというのは、最も基本的なことになるから心しておかねばならない。

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「庭石は三度洗い石灯籠や庭木にはよく水を撒き、苔は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」 「馬鹿もの、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と云って利休は叱った。利休は庭に降り立ち一樹を揺すって、庭一面に、秋の錦、黄金の木の葉を散り敷かせた。利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。
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清潔の更に上。「清浄とは何か」という事を考えさせられる。他に例を採れば、極めて普通の事を云っていることが分かるのかもしれない。魯氏の云う「美食」とは、「おいしい」(味)だけではなく、器との一体感や演出などの美しさを兼ね備えてこそ、最も「美味しい」、即ち「美味」というものに至る。では最高に美味しいものを提供するのに、汎用的であるからと云って白い磁器ばかりを用いるというのは、相対的には「一種の手抜き」と判じる事が出来る。同じく、露地を清浄にするという事も、「清潔にすること」に加えて「自然美による精神的な浄化感」というものを加えて「清浄」となる。なんとも、漢字というものは実に精妙に出来ているものだが、我々凡人は簡単に見落としてしまう。目に見えているものが、見えていない。これを目暗(メクラ)という。 判っていても墜ちる穴。難しいものだ。

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人はいろいろな音楽を同時に聴くことは出来ぬ。美しいものの真の理解は中心点に注意を集中することによってのみ出来る。かくのごとく、わが茶室の装飾法は、現今西洋に行われている装飾法、すなわち屋内がしばしば博物館に変わっている様な装飾法とは趣を異にしていることがわかるだろう。(中略)、(西洋的装飾法は)単に俗な富を誇示しているに過ぎない感を与える。一個の傑作品でも、絶えず眺めて楽しむには多大な観賞力を要する。してみれば欧米の家庭にしばしば見るような色彩混沌たる間に毎日毎日生きている人達の風雅な心はさぞかし際限もなく深いものであろう。
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皮肉屋となっている文章。だがこれは、当時の日本に対する皮肉でもあっただろう。道具茶の時代、西洋建築の盛んな時代であって、日本建築の捨てられし時代。ずらりと並べ立てた宝物。美術品に囲まれて育ったからと云って、美術の申し子となるとは限らない。美術画廊、美術館など、毎日を美術品に囲まれている人々だって、意外な程に何も知らない場合がある。親の茶道具だって、簡単に投げ売られて行く。美術品というのは、観賞力が無い者にとってみればガラクタに等しい。単なる換金価値、即ち「札束を並べて悦に入るが如し」と云われても止むを得ないだろう。云うまでも無く観賞力とは即ち人間能力であるからして、磨かなければ育つものではない。 そこが難しい。

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今日は工業主義のために真の風流を楽しむことは世界至るところで、益々困難になっていく。我々は今までよりも一層、茶室を必要とするのではなかろうか。
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飛行機が開発され、鉄道が敷かれ、車が交錯し、電話が通じる。全ては工業主義というものであるが、その潮流は二度に渡る世界大戦で加速され、圧倒的な主流として君臨している。現代となっては、柱一本、窓一枚、服一枚に靴一足、茶碗1つに箸、料理の燃料から保存まで、全ては工業製品の世界である。均整の世界。風流に欠けたものである。しかしこうなってしまっては、そも風流という概念さえ、「忙しきビジネスの世界」によって、「必要性を想う暇も無い」ようになっているのではないだろうか。 今は茶室よりも「茶」が必要な時代と判じてみたい。


以上、第四章「茶室」より抜粋・雑感まで。

夏の京都の風物詩?

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今日も漆教室にて京都へ。第一週の振替で行ってきました。ボチボチと水指の蓋も完成が近付いてきたので楽しみではありますが、しかしまぁ・・・時間が掛かることにはビックリです。陶芸とて、薪窯となれば三~四ヶ月という場合もありますが、漆というのは随分と時間が掛かるものであります。

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気が付いていなかったのですが。五条坂の陶器祭りですな。一昨日の漆教室の日もやっていたわけで、すぐ近くを通って居ながらに全く気付いておりませんでした。五年ほど前に一度見に行って、「京焼あんまりねぇなぁ・・・というか、他産地ばっかりじゃねぇか!」と想った記憶があります。五条坂の陶器商さんが主催するもの。その時は、茶碗坂の麓に居た警備員さんに「近藤悠三記念館って右の方ですか?」と聞いたら、「は?誰?河井ナントカ記念館なら戻らないと駄目だよ~。」と返って来た衝撃を、よく覚えています。京都の人も、ソンナ感覚で、祇園祭が終わって、まぁ感心も高くない様子。屋台目当ての若者が主体?。

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まぁしかし・・・。同業では有名な話、深夜営業は11時まで。京都の夏でこれわ厳しい・・。今年は話をするような知り合いが数軒、見知った程度の辺りを含めると10軒ほども出店していました。萩や備前などから来ているというのはスゴイものですが、京都訓練校出身という辺りでしょうか。やはり端正な作りのものが多く、丁寧に作り込まれたものが多かったかに思います。

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まぁ・・・京都らしいものを1つだけ。個人的に京焼の最もツマラナイとこは「形」にあると思っておりまして、ロクロと絵付は分業であって絵付師が上位という辺り、漆にしても何にしても、しかし富本論を引くわけではありませんが、器は第一に「形」。それが拙いというか、定番のものしか使っていない。陶器である本義は土。その土の可塑性を十全に活かさずに2~3の程度で満足しているというのは、何とも手抜き感が強いのです。

そういった意味で、トルコ青などに伊賀的な要素を含めた造形を入れて試作をいくつか作って居るのですが、「自分が京焼を造るとしたらやってみたいなぁ・・・」と思っていた発想を、そのまま作っておられたモノがあったので、求めてみました。まぁ大体、人間の発想というのは似たようなものがあるので、独自発想ということは少ないものです。丁寧な仕事ですが、しかし値段も安いもの。ちょいと、「茶道具中心の制作」と云っておられた割に陶歴的な栞も何も入っていなかったので、主には稽古道具を造っておられるのでしょうか。入ってないと、聞かれた時に困るじゃないですか。まぁ特徴的だからすぐに分かるだろうけれど。

写真では青磁っぽく写っていますが、均窯系の乳濁釉です。土に緋色を付ける為の薄釉が施してあり、その上で乳濁釉の掛け外しを行って、そこに合わせて上絵が行われています。も少し、歪み系の形にするならば勢いが在るべくして楽しいのですが、京焼の陶工さんに求めるに、それは贅沢というものでしょう。


まあまあ、しかし今年は不景気であるとか。セトモノ祭りも出店者が激減したという噂あり。こちらでも、「五つ千円」などの店がありました。不景気は不景気であるようで御座います。


と、最近は遊び呆けているような感じですが、一応、仕事をしております。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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