隆景公追善茶会

行ってきました大徳寺・黄梅院さん。

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大規模。かつ壮大な修復が行われた塔頭。今年の春に一般公開が行われていたという話でありましたが、つゆと知らず。「大徳寺戦国大名追善茶会」というものにて、ん?と思ったら、やはり企画されているトコがありました。(濃茶席まで廻られた方は判った筈です。)

まぁ、そういうトコは置いておくとして。

今日は七時出立。八時で早いくらい?という噂を元に八時過ぎに大徳寺に到着したのですが、既にして92番目という有様で御座いまして、何とも出遅れたものでありました。

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既にして入場制限が掛かっている状態。京都・滋賀の茶人さんがひしめいている中、一般客の方?と思しき方々も見受けられました。公式サイトを見ると、「戦国ファン層」を取り込もうと云う企画意図が見受けられるものでありましたね。

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綺麗に、綺麗に整備された庭園。夏の清々しさが極まったかに感じるほどのものでした。綺麗に水が打たれて苔も青々としており、日頃の入念な手入れというものでありますか。

まぁ、基本的に非公開の塔頭でありますから、以降の写真は控えるとして・・・。

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まぁともあれ、スゴイものです。目を止めてみれば、なかなかに。茶席を待つ間には所蔵の茶道具なども展示されていて、古萩の良い茶碗などが展示されておりました。

席は・・・法要・濃茶席・薄茶席・呈茶席・点心席。これだけの席があります。何とも贅沢なもので、それぞれの待合も茶室、もちろん茶席も茶室。言いだせばキリが無いので止めておきます。

会記を簡単に。主たるは紹鴎好みの茶室・「昨夢軒」であります。黒を基調とした、非常に雰囲気の深い席。今回は四畳半の核部分を点前・床の場として、周囲の障子を外しての広間席。席主は北野宗道師。正客の方々以下、とてもエライ?茶人の方々が並ばれて、皆さんとても楽しみに来られておりました。私の方も、北野社中の方々が勢ぞろいという事で非常にたくさんの仲間と共に席を楽しませて頂きました。

あまりゴタゴタと書いていくと長くなるので簡単に。まず、床は大燈国師。青磁の花入に唐物の香合。井伊家伝来の唐物茶入に仕覆三組、唐物盆から挽家など一式の堂々たる名物、そして無節・紹鴎茶杓が飾られての拝見。名実共に、まず以ての「大名茶」という事に相成りましょうか。これだけのものが揃うと云うこと。

点前。古天明の釜に紹鴎好の眉風炉。古天明が素晴らしい。絶妙の肌合いに蓋との調和造形も完璧。隣には不識形の焼締水指・即ち古常滑の名品水指でありまして、紹鴎の好んだ焼締水指の道具組であると共に、禅寺の茶会としての不識。う~ん、実は予想の通りでありましたが、なかなかにしかし雰囲気がスゴイ。古材の風炉先も、ただの古材という感じではなく。そも建物自体が古い建材を活かしたままに修復されたもの。そういった中に落ち着けるもの。

点前が始まっての茶碗は大徳寺呉器。棗は宗旦・黒大棗。点前茶杓は紹鴎の子息・武野宗瓦作。広間でありますから、水屋からの点て出しとはいえ、連客全てが惜しみなく高麗揃いにて濃茶一服。なかなか、こういった風情はありません。なんとも壮観な茶席でありました・・・。

で、次いで薄茶席。軸は「道無古今」。カセた古瀬戸瓶子を花入に、根来の香合。点前座は真台子での点前と相成りまして、こちらは京都の池田宗愛先生。玄徳軒という席にて、綺麗に修繕された清々しい茶席にて櫛形の風炉先が引き立った点前座。バカラの菓子器にて頂戴しての薄茶は、各人に楽茶碗から奥高麗から、侘びの茶碗から赤絵まで、平茶碗から筒に近いものまで三ざまなる茶碗が40も揃い踏み。それぞれに江戸前期から明治頃、また昭和の偉人作家ものまでの楽しい席。

最後の呈茶席は、まぁ企画会社、もとい道具屋さん席でありまして、悔しいことにダマダマの御茶ではありましたが、これまた道具はさすがにスゴイものも多く、輝元公の軸が掛けられし四畳半茶室での呈茶を頂戴して・・・。

最後にはタラフクに点心を頂戴。土産付でのありがたい御席。

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いやぁ・・・スゴかったです。

ちなみに三月には蒲生氏郷公の追善茶会。同じ会場にて行われます。今から楽しみなものでしょうか。しかしこれだけの茶室、およそ13ほどの茶室が1つの塔頭の中にありまして、相互に見え隠れしているわけです。ホントに、ちょっとした北野大茶会が開催出来そうな勢いでありましょうか。


いやまぁ、そんな感じで、ちょっと御報告の日記まで。

明日も一服。

最近気付いた・・・。予定が埋まり過ぎていてヤバイ・・・。まぁ仕方無いが。

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昨日は山野草を求めに行って、タニウツギやら矢羽ススキの他、季節が過ぎて安くなった根モノなどを見つつ庭に植えておきました。咲いているのを見て、根モノであると確認して植えておけば、来年、忘れた頃に生えてくるはずです。

で、今日は茶道の稽古。花月と四ヶ伝。

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午後からは皆で茶会へ。

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妙蓮の咲く妙連庵へ、観花と呈茶の一服。

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咲くとこんな感じになるそうで。綺麗なもの。


今日の話題は明日の大徳寺茶会。小早川隆景公の追善茶会であります。

http://cha-miyashita.com/chakai.html


小早川隆景公となれば毛利元就の第三子にして両川の1人。三本の矢の1人、と言った方が周知でしょう。豊臣政権樹立後は五大老となり、政治・外交手腕においては戦国屈指の武将と評価された人物。今回の会場・黄梅院は大徳寺の塔頭にして毛利家の菩提寺でありますから、一族たる小早川公も同じく。御存知の通り、大徳寺は地方の戦国大名菩提寺として表の姿を持つと同時に、朝廷への橋渡し役として外交を担っております。利休様も朝廷に入るには僧籍を得る必要がありました。毛利家の政治・外交を担った小早川隆景公は黄梅院と繋がりの深いことは言うまでも無く、その教養からして茶会などにも縁が深かったことでしょう。俗に「黄梅院殿」と呼ばれていたそうです。没年は1597年。小早川家は養子として迎えた小早川秀秋(秀吉の縁者)が後継者になり、関ヶ原にて著名なる裏切り行為。功を賞して岡山に戦国大名として領地を得るものの、後継者不在で廃絶しています。

さて、明日は早起きですな。ゆっくり休むことに致しましょう。

岡倉天心「茶の本」に見る思想3 「第二章」より

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第二章「茶の諸流」より

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茶は芸術品であるから、その最も気高い味を出すには名人を要する。茶にも色々ある、絵画には傑作と駄作ー概して後者ーがあると同様に。と言っても、立派な茶を点てるのにこれぞという秘法はない。ティシアン、雪村のごとき名画を作製するおに何も規則が無いのと同様に。(中略)真の美は必ず常にここに存するのである。芸術と人生のこの単純な根本的法則を、社会が認めないために、われわれはなんという損失をこうむっていることであろう。
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およそ、現代にも存在する病であろう。”軽く薄く精密なるを以て「是」とする根性”と云うのは、マニュアル式の評価方式を用いることの典型的な弊害であって、これが和陶を駄目にしてきた側面は強い。写しモノというが、形を似せても異なる結果となるのである。1つの富士を描くに、描き手によって感じ方が違うのである。全ては「選択方法」に拠るのではなく、「描き手の感性」によって選ばれているのであって、それを後付けで法則化して「美の法則」なるものを打ち立てて「分かった様なツモリ」になってしまうというのは、とても危険な事である。よく知られる処では名人でさえも陥るもので、柳宗悦氏の「民芸論」、または骨董系の「約束事」など様々にある。定型文でしかモノを評価出来ないという事だ。

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疲労を癒し、精神を爽やかにし、意思を強くし、視力をととのえる効能があるために大いに重んぜられた。ただに内服薬として服用せられたのみならず、しばしばリューマチお痛みを軽減するために、煉薬として外用薬にお用いられた。道教徒は、不死の霊薬の重要な成分たることを主張した。仏教徒は、彼等が長時間の黙想中に、睡魔予防剤ついて広くこれを服用した。
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茶が古来用いられてきた効能は薬。寝る前に濃茶を飲むと、まぁ眠れない、眠れない。化学的な事は知りませんが気分もスッキリ致します。道教と云えば不老不死の仙薬を求めたり、某ゾンビ映画など、変わったことをしている様な印象があるかもしれません。しかし元を辿れば日本の妖怪伝説など民間神話などと変わりの無いもの。今だって各地に様々な怪しい(?)式・祀り」というものが伝えられております。西洋にも似たような話はありますか。その基本は自然に対する畏怖。実際、夜中の森林などは恐ろしいものがありますし、野生の動物に感じる恐怖、樹木の強靭さなど、自然の脅威というものは、実感すれば本当に寒気のするものが多いです。そういった中から、人間の存在の小なるを感じ、自然を祀る。何とも自然な感情の流れであろうかと思うのです。人間、怖いものは怖い。科学がどうとか、御託ではありませんよね。

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仏教徒の間では、道教の教義を多く交えた南方の禅宗が苦心丹精の茶の儀式を組み立てた。僧らは菩提達磨の像の前に集まって、ただ一個の碗から聖餐のようにすこぶる儀式張って茶を飲むのであった。この禅の儀式こそはついに発達して十五世紀における日本の茶の湯となった。
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茶道の歴史を日本史の中だけで見た場合、酒肴・遊興・賭博の茶というものを利休が革命的に変更したなどと語るものがありますが、本来の姿に立ち返れば利休は茶を「禅茶に回帰」させ、更に昇華させたと見る方が正鵠です。茶の木を持ち帰ったのも、その道具を招聘したのも、茶の姿も、元来は禅僧が持ち帰ったもので、その祖は全て中国。掛けモノや唐物の存在も、元より禅茶の創成期に用いられた茶道具を崇拝する側面があり、単なる純粋美学などとは無縁のもの。遊興・賭博の茶こそが異端であり、邪道であったわけです。

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今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無情の幸福を作り出す神聖な儀式を行う口実となった。茶室は寂寞たる人世の荒野における沃地であった。疲れた旅人はここに会して芸術鑑賞という共同の泉から渇をいやすことができた。(中略)その全ての背後には微妙な哲理が潜んでいた。茶道は道教の仮の姿であった。
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「下り坂の道教」と言われる様に、道教は浮世に幸福を見出す側面がある。戦国時代の混沌に発達したこと、また祖を辿れば中国が分断された宗の時代に創始されたものであることを思えば、その心が垣間見えるのかもしれない。その観点に立ってこそ、打ち捨てられた雑器に見出す破調の美があり、純朴なる器の美が存在する事になる。有名な言葉で言えば、「国破れて山河あり」という考え方である。唐王朝が打ち倒される中での言葉。不幸なる、混沌なる時代。心を修めた者が集い、互いに一服の茶を分け合って精神力を鍛え上げていく。茶室も、茶道具も、およそこの価値観で統一・調和されたものが用いられ、山河たる自然の恵みと共に一服の清涼を頂戴する。茶は「荒野の中の沃地」であり、「沃地の中の御殿」ではない。その思想は、世の混沌とした時代、また道・仏・儒の混然とした時代に生まれた「禅仏教」の思想であろう。


以上、第二章より抜粋。

交流。

今日は信楽の同期の工房へ。訓練校の同期で、今年の春から信楽にて独立。

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イイトコです。家賃も安い。民芸作家に弟子入りして修行を積まれてます。
GWの信楽焼祭で少し記事を書きましたか。せともの祭りでも御一緒します。

色々と情報交換をしつつ・・・

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この方のトコを訪問してきました。工芸会の話やら灰の事やら、忙しい処を色々と教わって、個展前の作品も特別に拝見。写真を見れば、誰だかわかる。伊賀唯一の工芸会正会員。入選回数13回というのは、なかなかに圧倒的な実績。実は他に正会員が居ないのですよ。今となっては伊賀として入選することはほぼ不可能だそうで、信楽も同じことですな。(所謂正真の信楽・伊賀という意味で。)

知られている様に、基本的に灰釉をされておられまして、ビードロ釉、もとい伊賀釉で知られる方。しかし著作で知られる様に、薪窯を知らなければ駄目、天然原料を使わなければ駄目、という原理主義系の、いわゆる古典的技法を軸とする作家さん。「破袋」一辺倒で制作されている感じでしょうか。とても気さくな方で、作家風も無く、Tシャツ一枚で楽しく歓談を頂きました。薪窯も二基使われますし、二世伊賀作家の「偽伊賀」などもバッサリ。痛快な話となりました。ここ最近、数年振りに個展を再開されたそうで、忙しくされておられました。心斎橋大丸での個展が近いそうで、時間を割いて頂いてありがたい限り。

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今日は雨。随分と降りまして、信楽ではマンホールから水が逆流して道路が冠水状態になっておりましたか。夕刻からは常会にて、またぞろ畑の被害云々。猿は早朝に仕事をするらしいので、明日から気を付けて見廻って見ようかと思います。


ここ数日行った漆の修復で・・・半袖で仕事をしたせいか、ちょいとカブレが痒いです。


しかしまぁ、頑張っておられる先輩作家さんには励まして頂くことも多く。ちょいと井戸を頑張って調合してみようかなぁ、などと思っております。しっかりと手を入れた作品に、挑んでみたい。

そんなトコで、今日の日記を終えておきます。

いわいでもの事。

いわいでもの二件目記事。(「言わなくてもよい事」の方言)

あまり、新聞もテレビさえも見ていないので言えた義理では無いのだが、政治が色々と昏迷を深めているというようなことくらいは分かる。細かいことは知りませんが、それを承知の上で少し書きたいことが。

歴史を教養とする事というのは、1つ大事なことです。

政治の歴史が深いのは、中国。民間から官僚を登用して政治実務を行わせると云う官僚制度・九品中正法の創始は220年の話。かれこそ1800年も昔から、今の日本と同じ様に、官吏登用試験としての国家公務員試験を行って政治を行ってきた。6世紀末には、本格的にこれが科挙に進んでいる。科挙とは、科目試験による選挙

複雑な事をバッサリと落して言ってしまえば、「国立大学卒」、もしくは「地方試験合格者」が第一選抜試験。地方での選抜以降は中央で行われ、三段階の選抜試験を抜けなければ官僚になる事は出来ない。試験内容は儒教、歴史学、国家運営学の総合で、暗記ではなく論述として具体的に政策論を提示したりするもの。儒教に鑑みて、歴史を鑑として、国家運営としてどうあるべきかを答えるもの。試験の内容は異なるが、現代の日本における官僚も、同じく国家試験を受ける必要があり、そも頭脳の出来が悪い者は門前払いである。

で・・・。一見すれば儒学を修めた秀才の精鋭が勢揃いする筈なのですが、中国の政治史というのは、ほとんどが官僚腐敗と是正の繰り返し。時に皇帝をも操り、民を虐げ、反乱を呼ぶ役割を行っている事もあれば、それを是正し、新たな善法を施す場合もある。その最高権力者が皇帝を抑える事という事例は多々ある。皇帝は絶対的権力と云えども「最高の徳を保持する者」として「功績ある官僚の処罰」などには制限がある。悪意の前には敗北する構造がある。儒学を修めた秀才と云えども、いとも容易く徒党を組んで自己の目先の利益を優先し、酷い人間となることがある。

まぁつまり、政治というものは必ず腐敗するのであって、その時に被害を受けるのは国民であると云う事。それが試験登用制度であれ、投票選挙制であれ、腐敗を前提として注視していなければならないものという事だろう。

現代の制度では、政治家さんが官僚を従える構造になっている様であるが・・・。上が無能なら、下を抑える事は出来ない。システムに問題が在るかの様に語られることが多い様な気がするが、如何にも現代的で、およそ問題は人間にある事の方が多いのである。ただ個人を指弾することに制限が強いと言っても、そこを誤魔化して制度改革でどうにかしようというのは、そも場当たり的な仕事に感じる。先に人を変えて、刷新された人々が新しい制度を創る。何かしらの制度改革によって目線を逸らして、結局は中に居る人間、そして利権構造が変わらない。

中国の史上では、皇帝がその座を賭してまで挑まなければ刷新を行う事が出来なかった。失敗し、最終的に退位する事になった事例さえあるものだ。絶対権力者の力を以てしても、この程度なのである。

テレビやマスコミが表に書かない、官僚の辺りが・・・寧ろ最近は気になるのであるが、さてどうだろうか。原発関係では〇〇保安官など色々な人々が出ておられたが、ああいった辺りが「官僚さん」の一面。日頃の仕事はどんなものかは知らないけれど・・・(以下略)、という印象を持った方が多かったのではないでしょうか。滅多にああいったトコを見る機会って無いですよね。儒学必須の善行に縛られた科挙官僚でさえ腐敗したものを、今の官僚さんは儒学など・・・という時代です。机上論で言えば腐敗があってこそ当然の話。

官僚制度改革。難しいからって放っておくと・・・国家崩壊の歴史が色々に。


以上、フト、少し気になった事を書いてみました。

岡倉天心「茶の本」に見る思想2 「第一章」より

「第一章 人情の碗」 より

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十五世紀に至り、日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てである
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まず第一に、茶道なるものが、「単なる美術品崇拝では無い」という事が宣言されている。日常生活の俗事に修行を見出す仏教的素質を供えているという意味で、一種の宗教であると説いている。その影響が禅宗であろうと、道教であろうと、とかくその究極的な目的が「美術教養」とか、「歴史学問」とか、「儀礼習得」にあるのではなく、「純粋と調和、相互愛」と書かれた様な「和敬清寂の心」を習得する事にある。そうして、茶道の要義、その核心にある意義とは、「不完全なもの」=人生に対する崇拝・敬愛であると宣言して、冒頭の段としている。決して、名物道具をして遊ばせるような遊興娯楽ではない事を、まず以て宣言しているのである。

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われらの住居、習慣、衣食、陶漆器、絵画など、文学でさえも、すべてその影響をこうむっている。いやしくも日本の文化を研究せんとする者は、この影響の存在を無視することはできない。
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歴史を知らなければ噴飯の我田引水に聞こえるかもしれないが、茶道は日常生活の中から様々なものを取り上げることで様々な文化に通じている。その成果が、一世を風靡した時代がある。決して貴族趣味だけではなく、庶民までもが茶を点てていた時代がある。それはとても安い、粗末なものであったかもしれないが、今とて、およそ如何なる飲食をするにも煎茶が伴っている事に等しいものだ。1つ1つの実例を挙げ得るほどの教養が無いので申し訳ないことであるが、天心は「茶気」という言葉の流行でそれを示している。「無茶」とは「茶の無いこと」であり、余裕が無い事。言葉にも茶は深く浸透している。陶磁器で言えば、名品と呼ばれるべき品々を護り伝えてきた守護者であり、育成者である。常に陶磁器の最高峰は茶器であった。とかくあらゆる面にそれは及んできた。

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おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見逃しがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているだろう。
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今となっては日本人とて茶道を馬鹿にする者は跡を絶たない。いわんや陶磁器作家、また美術・芸術評論に於いても多いのである。表向きはどうであれ、袖の下の本音では「東洋の奇癖」と断じていたり、果ては「恥」とさえ感じる人も居るだろう。天心の云う「己に存する偉大なるものの小を感ずることのできない人」とは英語の直訳だろうが、つまりは「慢心した尊大なる自己肯定者」である。彼等は自己の眼に入らぬものを否定する。慢心した心では茶道の美を捉える事は出来ない。西洋崇拝の長かった現代、人々が保持している物差しは西洋的な「完全美」を測るものが多く、「不完全の美」を測る事が出来ない。まず以て、その観点に開眼し、他者に対して謙虚になる事が必要なのだと説いている。東洋を侮る西洋人を開眼させる言葉として、彼は強烈なる名文を用意した。

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西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行い始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道ー我が兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術ーについて盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。我々は我が芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。
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ザックリ云えば、「我々の価値観からすれば西洋人こそが野蛮国である」と、正面切っての正論を唱えている。西洋人に、「己の価値感が絶対的では無い」ことを自覚させるに、鋭利極まりない刀であった。しかし天心が東洋文化の刀を突き付けた時、悲しいことに、彼が後にした故国・日本は既に西洋崇拝に傾倒して茶道を捨て、文化を捨て、野蛮国に向かって邁進していたのである。しかるべき尊敬が払われる時期を待つだけの余裕など、全くどこにも存在しなかった。悲しみの言葉である。文明開化・明治維新の美名。その実は、文明喪失、文明封殺。苦渋の決断をしての世界大戦。「力無き正義は無能なり」。漫然と座って居るだけで正義が貫徹されることもなく。彼は「喜んで待とう」という言葉を「大々的に発した」のである。何事も、積極的に動かぬことには達成する事は難しい。戦後茶道の復興という事でも同じ。裏千家の世界的拡大とは、即ちこの反省に立脚していると考えれば、無為にこれを否定する事の愚かしさを感じるだろう。

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私の同国人のうちには、諸君の習慣や礼儀作法をあまりに多く採り入れた者がある。こういう人は、こわばったカラや丈の高いシルクハットを得ることが、諸君の文明を得ることと心得違いをしていたのである。かかる様子振りは、実に哀れむべき嘆かわしいものであるが、ひざまずいて西洋文明に近づこうとする証拠になる。
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形から入ること。文明とは何か、という議論に繋がる。西洋文明を受容するとは、文物外見を西洋化する事だろうか。文明を対等に見て、相互に影響を受けるとは、相互に服装を交換する事だろうか。天心の云うには、例えば合理的な思想であったり、数学的な見地であったり、そういった思想学問を輸入する事であって、外見上の物というのは全く関係が無い、と考えていただろう。西洋が武士道や茶道から、その精神面を学ぶことこそが文明の交流であって、相互尊重という事になる。彼等が鎧や着物を用い、畳で生活しただろうか。逆に云えば、日本もまた思想を学ぶことであって、わざわざ跪いて服装まで西洋化する必要は無いのであろうものを、という話。和服、洋服、「好みのものを着る」と云えば聞こえが好いが、日本では十二単衣や着物の様に、少々面倒でも「実用より美を重視した服装」が長く伝統として存在した。およそ服装を選ぶにも思想というものが関わってくるのである。「美」を掲げながら「実用」を選ぶ。服装から茶道具まで、およそこういった風潮がある。茶道具を選ぶときも、「実用面の否定」は出来るが、「茶的感覚の否定」が出来る人は少ないかに思う。上辺だけ面従腹背するというのは、悪しき東洋精神ではあるまいか。和魂洋才とは、即ちこれである。洋魂洋才で和魂を学んだ西洋人に対して、なんとも御粗末なもの。彼らが「洋魂和才」などとやっていればどうか。日本からすれば「御追従」に見えるだろう。逆に立てば「和魂洋才」の真理が見える。

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茶道の高雅な精神そのものは、人から期待せられていることだけを言う事を要求する。しかし私は立派な茶人のつもりで書いているのではない。新旧両世界の誤解によって、すでに非常な禍を被っているのであるから、御互いがよく了解することを助けるために、いささかなりとも貢献するに弁解の必要は無い。
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黙して語らぬ事を美徳とするは、茶に関わらず中国儒教に始まる美徳。しかしながら「上り坂の儒教、下り坂の老荘」と云う様に、これは正常なる時の話であって、非常時には通用しない。「力無き正義は無能なり」と云う様に、言うべき時には言わねばならない。孔子も同じく、実効性を求め、論語を説いて名声を挙げ、各国の王に語りかけ、説得を行わねばならないと判断したのである。大義の前の小義。もし天心が小義に捉われていたら、この書の出版も無く、今の西洋における禅・茶の評価というものは得られなかっただろう。大きく言えば、日本文物に対する評価に関わる大義が載っていたのであり、彼一人が、その代弁者となる位置に居て、その力を持っていたのである。黙して語らぬことこそ、茶への背信であっただろう。

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不思議にも人情は今までのところ茶碗に東西相合している。茶道は世界的に重んぜられている唯一のアジアの儀式である。白人はわが宗教道徳を嘲笑した。しかしこの褐色の飲料は躊躇もなく受け入れてしまった。午後の喫茶は、今や西洋の社会における重要な役をつとめている。(中略)渋いか甘いか疑わしい紅茶の味は、客を待つ運命に任せてあきらめる。この一事にも東洋精神が強く現れているということがわかる。
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形はどうあれ、抹茶も煎茶も紅茶も中国茶も、全て「茶の木」から成るもので、同じ飲料である。それは中国の古代より用いられた飲料で、日常生活と関わり、また宗教などとも関わり、一時に禅茶の発達を見る。中国の禅茶を輸入し、日本が熟成させたものが茶道である。煎茶を輸入して西洋が熟成させたものが紅茶文化である。誠心誠意、最も好いと思われる作法を尽くして呈茶を行い、客に味を問う。禅的な人情が、洋の東西を問わず受け継がれているという事実。文明の受容や相互理解というものの理想が、ここにあるのではないかと感じるものだ。西洋は茶の「味や格好」を受け入れたのでは無かった。西洋の本当の意味での素晴らしさというのは、こういった自己文化に対する矜持ではないだろうか。哀れむべし、日本はこれを学ばずに外見を学んだのだ。

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現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行われている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二龍の如く、人生の宝玉を得ようとすれどその甲斐も無い。この大荒廃を繕うために再び女媧(ジョカ。粉砕された天空を建て直したとされる中国神話の女皇。)を必要とする。われわれは大権化(大いなる神)の出現を待つ。まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林に映え、泉水は嬉しげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめの無いことをあれやこれやと考えようではないか。
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第一章の末文。富と権力を求めて争う限り、人道は粉砕されていく。己の作りし衣服を着せ、茶碗を使わせ、作法を強要し、文物を求めさせ、名声と権力を求める。それは即ち、茶の荒廃に他ならない。何の茶に関わらず、一服の清涼を「本当に味わう」という事は、、富と権力を忘れてしまう事でもある。午後の日差し、泉の音、釜の滾る音。富や権力に平穏があるだろうか。くだらない、ほんの小さなことにさえ楽しみを見出して行く処に、「本当の心の平穏」があるのではないだろうか。


以上、岡倉天心「茶の本」、第一章より抜粋。

休養日

朝から台風で倒れた竹の始末などをしつつ・・・二度寝をしたら、起きたのは夕刻でした。疲れが取れた感じがあるので、ちょっと疲労が貯まっていたのかもしれません。

昨日から猿が出没している様で・・・。隣家のトウモロコシ、スイカがヤラレタそうです。群れでは無く一匹の猿。通常、猿は群れで行動するので、そうすると30匹くらいの数になり、畑は全滅。しかし一匹の猿だって、食べ放題に美味しい所だけを食べるものですから、壊滅的な被害が出ます。

という事で・・・先程から少し巡回を繰り返しつつ。

時々・・・鳴き声がするのですよ。


明日辺りから、柳宗悦辺りの思想を書いて行こうかと思っております。

ではでは、今日は簡単に。

第十九回穴窯焼成作品

少々遅くなりましたが写真を撮りましたので御高覧まで頂ければ幸いに存じます。窯出しから一ヶ月近く経って、冷静に、改めて作品を見ております。総体として灰量が少なく、伊賀に至らず信楽の手で止まっている作品が主体となっており、常のところからすれば物足りないと感じる面が多くあるやに思われます。狙った仕上がりとは遠く、反省材料も色々。しかし信楽としてみれば良作と感じるものもあり、時には二枚看板の「信楽」という手も面白いものだと思い直しております。

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引出伊賀の作品。これは文句なく伊賀です。窯焚きの記事で説明しておりますが、窯中から引き出すことで急冷する技法のもの。青の色彩を得易いものでありますが、楽茶碗と同様の手法でありますから、器の耐久の程度がかなり落ちます。色彩としては緋色が失われるもの。青が出るとは云え、窯中で仕上がる青とは異なるので、古伊賀を狙う手法としては最終的に不採用になるもの。されど、1つ、独特の色彩でもあり、決して茶に合わぬものでは無いと感じます。 

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かように、緑との調和は嬉しい処でしょうか。

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少し意匠の強い作品も。上の引出花入にもあるような「鍔」が特徴です。「生爪」から来る着想ですが、これを1つ、自分の手法として成立させようかと思っておりまして、造形的には微調整を加えて参ります。緋色、緑、青の対比が強いもので、少々花入が強く、見事なる花と合わせて頂く必要があるやに思います。唐九郎さんの信楽水指を感じさせる造形でしょうか。アクが少し強いですが見所は多いです。

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四方花入。耳付とルイザの意匠。青銅器系の造形になりますから、少し厳しい印象があってよいものかと思います。伊賀にも道祖神の様な感を受けるものと、青銅器系の少し厳粛な感を受けるものがあります。なかなか、バランスが難しいもので、これも1つ、課題として進めているもの。特にルイザに関してはかなり高度な感性が必要なのか、苦労というか、作っても潰してしまう事が多いものです。この辺りの色彩であると、信楽、という分類になりましょうか。少しビードロが弱く、焦げも少ないものであります。

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掛花入。生爪ってのはモノスゴク難しいです。伊賀花入でも屈指ではないでしょうか。しかしそれだけに、追う側も否応なしに戦意が高まると云うか、頃好い目標として挑ませるものです。実際のモノは、「鍔」というより帽子というような薄いものですが、そこまで行き着くにはどれくらい掛かるものでしょうか。

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同じく掛花入、蹲ウズクマル。焼き上がりは信楽の手。左のものは少し前の販売時に紹介させて頂いたもの。右のものも同じく。昔の「蹲」は、壺形であって、それほど寸胴形では無く「少し胴が太い壺」というようなものですが、それはそれで時々に作ることも多いです。では「この手の寸胴のものは昔に無いのか?」と問われれば・・・あります。まぁ、秘密にしておきましょう。専職なら答えを知って居てほしいもの。

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先だっての写真はこちら。やはり花が入ってこそのもの。掛花入ですから、最終的には掛けた状態での観賞が望ましいことになります。格としては伊賀が高いものですが、信楽はその原点でもあり、侘び茶の創成期に愛されただけの魅力があります。焼き上がりは不明な状態で作っておりますが、それぞれに使い分けるという方が面白いものかと愚考。

寿老人花入も、花を入れた時の写真を再掲しておきましょう。

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置きの簡易床。しっかりとした床の間があると好いのですが、我が家には無かったりするのです。いつか茶室など作る日が来れば、作品写真もそういった撮り方をしたいものであります。今のトコ、この寿老人花入が最佳作。

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水指。信楽としては非常に好ましいかと思っているのですが、少々我田かもしれません。左のものは小さめの頃合いで、運びの点前に好いのではないでしょうか。気軽な風情が信楽らしく上がりました。元々が信楽に上がる予定で窯詰めしていたものです。


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表と裏の景色が好対照な水指。なかなか、表裏に景色が得られるとは言っても、多くの焼き上がりでは表、裏、どちらかに軍配の上がる事が多く、「両面が面白いもの」というのは希少であったりします。また緋色がとても明るいもの。水に濡れると一層に涼しく色を増すものです。蓋は五角で作っており、少し意匠系の作品になりましょうか。造形の手が新しい間は、どうしても少し目立ってしまいます。

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少し大振りの、置き水指。やはり置きとなれば重厚感が欲しいですか。動かないわけですからね。こちらも緋色という事で信楽の手。濃い緋色を楽しみつつ、という信楽水指として面白いものかと思います。丁度、信楽の中でも自然釉の多くカセタ大壺など、こういった風情があるものでしょうか。今回は全体に信楽の手が多い。

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ちょっと休息。今回は茶碗は皆無なので酒器を少しだけ。作品って呼ぶのは、最近はどうにも茶道具に限定されつつあります。載せていないものの、一応、色々に作って居るのですよ。酒器としては片口も人気があるものですが、最先端としては酒壺でしょう。中国式に、飯椀くらいの酒盃に溢れるが如く豪快に注ぐというのも一興。山茶碗の世界ですな。イラボの茶碗に写真の芋頭壺でも添えて、野外にて一興。なかなか楽しい酒宴が出来るかと提案してみます。

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で、最後に「破袋」の今作になります。ちょっと・・・コイツはいつも、火の最も激しいトコで焼くので、限界まで収縮してます。思ったよりも小さくなってしまって棚が使えるサイズになってしまいました。まぁそう思って気を付けていると、今度は大き過ぎたりすることが多いのですが、ボチボチと、なかなか楽しい水指であります。



作品は以上。今回はトルコ青も無し。いつもの様に新しい焼成方法をやりました。一応机上の空論では理想の通りに焼ける筈なのですが、想定外に出る事もあれば、想定通りに巧く行くことも。今回は想定外で信楽の手に上がっておりまして、これはこれで、なかなか勉強になる結果でありました。失敗策として、伊賀を焼く時に避けるべきことが明確になり、逆に信楽の手を焼きたい時の参考になろうかというもの。一応、5日間の焼成ですから、いつもと同じ時間数を焼いており、土も亀裂を得ているものが多い。

実践と理論を積み重ねて、薪窯の力量を高めていきます。



以上、御高覧ありがとうございました。次回の本焼成は10月予定。



第19回臥翠窯穴窯焼成:2011.6.21~25 5日間焼成。

さて、たまには長文でも。

最近は更新内容の中身が少なかったかなぁ、と思いつつ夜更かし二件目記事。あんまり書けないことが多かった側面があり、少し不満もありつつ。昔の半泥子や魯山人、また柳宗悦や唐九郎さんなど、言いたいことを言える時代というわけでもないので、少々面倒なものであります。

このトコロで「う~む。」と悩んでいるのは、「焼締の魅力」という辺り。私はまぁ、陶芸に入ってよりのこと、最初から焼締一筋で、これがやりたいが為に陶芸の仕事をやって居るようなものでありまして、おそらく世の中に伊賀・信楽という焼物がなかりせば、自らが作る仕事をすることは無かったでしょう。

まぁそういうわけで、一種の信仰的なものがあり、その魅力を追求し、分析し、自らの技術として血肉とする事に躊躇いは無く進めてきたわけで、その技術・熱意・勉学という辺りの探求結果としての作品を高く評価して頂いた結果、様々な茶道的な実績を頂いたり、様々な方から応援を頂いたりしているわけです。同じく焼締を仕事とする作家が多い中で、ただ単純に人脈だけで選んで頂けるほど、世の中は甘く出来ていない。分かっている人には云うまでも無いことながら、薪窯としては特異的に挑戦的な仕事を続けている中で得てきたもの。常に目に見える程の変革を伴いながら進めている仕事。判らない人には進歩も何も分からない様ですが・・・

例えば茶会実績にしても、主催者の名誉看板も掛っているわけでありますから、およそ情実だけで選ぶことが出来る程、簡単なものではありません。現代作家の作品が滅多に茶会に出て来ない理由の一因です。力学作用が働いているのであって、それを押し切るというのは尋常ではなく、無名のものを取り上げるというのは力量無しに出来うるものではありません。実績を頂いて来た作品は、小生作品の中でも選り抜きのクラス、つまり窯の力で押し上げられている作品です。公募展などもそうですが、何事にも要求水準というものがあり、人脈や血筋だけで簡単に行くものではありません。名家に生まれても実力が無ければ苦労するし、名を潰してしまう事もあるでしょう。

まぁそこはいいのですが、最近の、複数の事で感じたこと。「焼締にピンと来ていない方々」の視点というもの。販売の仕事などでは、まぁ他の職人さんとも色々に話をするし、作品について云々する事も多いのです。また茶道で茶道具を少し見て頂く機会があったり、美術館の方と談義をしたり、まぁ色々あるわけですが、

「同じに見える」という言葉はなかなか難しい。薪で焼いた、焼いてない、焼き上がりの好いもの、悪いもの、伊賀らしい造形、少し外している造形、作為が多めに出ている造形、作為が少なめに出ている造形、茶に適している形、そうでない形、などなど。そういった差異が、「全く分からないぞ」という人が、意外にいるものなのだなぁ、という事に、今更ながらに感慨を覚えてます。ちょっと最近、そういった感想に複数回出会ってきたので気になってます。

不思議。フェイスブックを例に上げるのも何ですが、異邦人の方でも直截的に差異を感じられるものが、日本人に読み取れないのです。もちろん、細かいトコロというのは実践抜きで得られる感覚では無いので、特にビードロなどの技術難易度などに関しては机上論というものはおよそ上っ面をなぞるだけのものになります。同業者だけが分かるもの。そういうトコではなくって、分かり易い優劣。緋色の色とか。

私は・・・焼締が「分からない」という時期が無かったので、想定外という感じがしました。しかしよく考えれば、そういった方々も居て当然です。私も、以前は拒否反応のある種別などもあり、例えば無意味に備前に対抗意識を持って敬遠していた時期もあれば、京絵なども唐九郎よろしく「着物の柄」程度に見ていた頃もあります。茶杓など全くピンと来るものが無かった頃もあり。傾倒的にも備前派は伊賀信楽を理解しようとしないし、唐津派は井戸・萩に対する理解が浅かったり、京絵派は織部に興味が無かったり、色々な差異があるもので。

まぁ小生に関しては、これは基本的には勉強でありますから、先だっては最も縁が遠いと思っていた「京焼」に関しても考察を深めるべく、折を見ては実物に当たって居ますし、漆も同じく、書も同じく、難しいというものも、嫌いと思っていたものも勉強しています。備前なども楽しんで見る様になりましたし、万古焼だってちゃんと見ます。見ていると、時にはオブジェ陶にも面白いものがあったりして感心する事もあるのです。触って見ると、意外な巧さがある作品に出会う事もあります。

そういった分からないものを見ようとして来た経験の上での視点。「分からない」と語る方々に共通して感じた事は・・・余白の無さでしょうか。高所所見でモノを見たり、全く知りたいという欲求が無かったり、外面(ソトヅラ)で見切っていたり。例えばコレクターさんなどに関しても、小生の作品はじっくり見て頂いて、長々と話をして楽しい時間を過ごしつつ、んでも他の作品や作家さんのものには目もくれなかったりすることが多い。一重に陶芸には深い興味があり、伝統系には興味津々であるけれど、それ以外は眼中に無く、瞬間的に見切ってしまう。まぁ人の事は云えないわけで、私もオブジェなどを見ると、余程に暇で無い限り、もしくは心の中で自制心を働かせない限り、一瞥で去ってしまう人であります。つまりは興味の問題。

それぞれ、興味の範疇というものには「限り」があります。女性茶人さんなどは多く「京絵」に興味を持たれることが多いのですが、「色彩の見事な深み」であるとか、「配色の妙」であるとか、「素地のロクロの腕」なんて事には全く興味がなく、「何の絵であるか」、「誰の作品であるか」、という辺りで満足してしまっている方が多い。京絵が好きといっても、永楽が永楽である理由にピンと来ていない人が多いわけです。つまり「色彩の妙」とか、「配色」とか「ロクロ」などというものには興味が無く、知りたいという欲求もないので、探求するつもりもないし、解説されてもメモを取るくらいで、聞き流してしまいピンと来ない場合があります。もちろん、そうでは無い方も多いわけですが、そうである方も多いのが実際のトコです。

だからまぁ・・・、例えば先日の茶会では本歌の呉器、古瀬戸丸壺といった最上級クラスの道具が出ているにも関わらず、まぁ皆さん拝見はするものの、感嘆はするものの、「では、この器のどこが素晴らしいのか?」という辺りの感嘆を以て、深い感嘆をしたり、憧れを持って、敬いの眼差しを持って見ている人は少ない様に感じました。「いつの時代のものかしら?」という辺りの知識水準では歴史的感嘆も出来ないものですが、「いつのものか?」と云う事にさえ興味が無い様な人々の心も受けつつ。よく出る、了入とか旦入の黒楽などとは全く較べものにならぬ程に優れたものであるわけですが、それと同じ様な感じの拝見姿勢。

まぁ何事にも「敬」の心、慎んで素直に聞く心を持つ事が出来れば理想的でありますが、理想とされるだけの事はあって難しいもの。こういった「道具観賞に冷淡な態度」を持つ人に、「どうやれば興味を持って素直に聞き入れてもらえるものか」という事を想ったりしています。モノに対する愛情が無いわけではないが、見るからに浅いというか、まぁこういう事を書くと柳さんっぽくなるので書きませんが、興味が無いってことは、愛情が無いってことの裏返しであります。拝見の姿勢や目線を見れば、およそモノに対する理解度を察する事が出来るもの。

分かり易い例を言えば・・・茶を斜めに見ている陶芸家なんぞが茶会に行くと、器には目を輝かせている一方、点前とか、棗とか、茶杓とか、果ては御軸などになると、全く、その拝見における情熱の落差たるや「三門峡の如く」である姿があるわけですな。柳氏の書籍なぞ読んでいると、彼もその手のタイプでしょうか。

難しいなぁ、と思うのは、この「その気が無い」という人。動かすのは難しい。魯山人の名言?である「分かる奴には一回云えば分かる。分からんやつには百回云っても分からん。」という言葉を想うばかりであります。

利休道歌のトコでは

・心の師とはなれ、心を師とせざれ

とありますが、教訓として書かれるという事の裏を返せば、「自分の感じている事を真実としてしまう(心を師とする)場合というのは、およそ避けられない程に現実にある煩悩である」という事になりましょう。その煩悩を前提として、理知的に否定し、「違う。今の感覚が絶対ではないのだから、虚心に1つ聞かなければならない」と思いなおし、素直に聞くことが「心の師とはなれ」という意味でありましょうか。茶の根本理念である「和敬清寂」で云えば、「和」という事で毛嫌いの心を取り払い、「敬」という事で謙虚な心を座らせて、「清」として素直に聞き入れて、「寂」として静かに心身に行き渡らせる。およそ道具を見るにも、勉強するにも本質は和敬清寂を忘れていなければ大丈夫な筈で、その理論の素晴らしさに感嘆しつつ、しかしその「和敬清寂の実践」というのは、なんとも遠い道のりである事を痛感するものです。

これを・・・そも自分でさえ実践困難なものを、他人様に説明だけで理解して貰うなどと云うのは、ある種の僭越な行為でありますが、さりとて放置というのも薄情冷淡な事であります。

・その道に入らんと思う心こそ 我身ながらの師匠なりけれ

入らんと思う心、興味。興味こそ師匠。師匠がヘボであれば、天才弟子も凡才に終わります。そういったことを踏まえたとして、しかし焼締に興味の無い人を・・・どうすればいいのか。漆に関して、眼を持つ方から教わることで飛躍的に漆に興味を持ち、勉学や実感覚を受け取る中、一方でそんなことを考えていました。


最近はそういう・・・結論の出ないことを感じてます。

漆の勉強

今日の御昼御飯はこちらの気分。

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もとい京都行。

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漆教室の日でありました。三回目の塗り工程が終わったトコです。今回からは剥がれた漆の修復なども追加。根来やら何やらと、自分の中でも少しゴタゴタとした感じになってきています。水指の蓋も進行中、桐箱の塗りをしたり、一閑塗りを学んだり。

今日は先生作の真塗大棗、「出来たて」を拝見。伝来利休型の写しモノ。やっぱり真塗棗が一番面白いと思うのですが、さてどんなもんでしょうか。根来などは好む方も多いものですが、変化が楽しめるのはやはり真塗という事もあり。

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ともあれ勉学中です。写真はクラフトで求めたトンボ。
縁起ものでありますが、指先に停まる・・・と云えば・・・


帰りの電車が大雨による増水で運航停止。見事な足止めを受けて色々と大変でした。
先日の鈴鹿と言い、眼の前で停まるってのは面倒なことです。

ボチボチと、進めて参りますか。

朝粥茶会などなど記

今日は早朝より朝粥茶会。会場には6時に着いたのですが、既に先客が三名様程も居られまして、皆さん楽しみにされている様子でありました。近畿では茶会の開始時刻が早い、と云う話を、瀬戸など他の処へ行くと聞くものですが、朝粥となれば尚一層に早いもの。

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んでもやはり、その早朝の涼夏を味わってこそであります。「暑い中をワザワザ出掛けなくっても・・・」などと言っている様では、人生の損でありますな。(と、偉そうに言いつつ、祇園祭は暑くて敬遠していたりします・・・。)

席は1席のみ。しかし濃茶席であります。早朝から濃茶を頂いて、尚且つ薄茶一服も頂戴して。涼しげなる綺麗な菓子を味わいつつ、なんとも贅沢な朝で御座りますれば、槿の花に清風を感じるような気がしてきます。早朝から満席となった第一席に入らせて頂きました。

軸は「雲収山岳青」。大徳寺190世天室宗竺和尚にて、宗旦時代の軸。時代を経て落ち着いた素朴な色彩が、青一色の夏の色の如く、表装と共に掛けられておりました。花入は御覧の如く、香合は唐物。

点前座は琵琶湖へ向かってのもの。青竹の結界にギヤマンの水指、雲龍釜が大きな土風呂に載って、いや入道雲の景色でしょうか。今日は天候も好く、早朝の琵琶湖は日の照り返しで輝いておりました。

濃茶席という事で、点前なども男性茶人さんが勢揃いという辺り。道具は大き目なる古瀬戸丸壺、仕覆は宝尽しの石畳紋で銘は「湖畔」。点てられし茶碗は呉器。当たり前の本歌。クルリと刳りぬかれた高台。琵琶色と時代の黒色が鮮やかなる対比。細かいロクロ目が入っており、銘は「年輪」ときたものであります。茶杓は大宗匠にて銘「澄声」。

暑い中の鍛錬にしても、雲中、霧中、暗中、様々な中を抜けた時の「年輪」を重ねた境地でしょうか。涼夏早朝の風の中で濃茶を共に分け合いまして、主茶碗以下、全てが井戸に準じる器で統一されて、贅沢にも薄茶一服。今年の夏も頑張らんとなぁ、という事を想っておりました。

んで・・・

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朝粥。粥は御替り自由。副菜盛り沢山にて、腹を減らして参った甲斐?があるというもの。

とまぁ、何とも贅沢なことでありました。数ある大寄席茶会の中でも、なかなか、とても楽しく満足度も高く、人気の茶会であるのは当然であります。最後に金額を書いて何ですが、以上で4,000円。いやいや、ありがたいことです。


今日は色々あったのですが・・・

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茶会の帰りにクラフトフェアやってたので散財したり。顔見知りの方も居られました。基本的に直売なので、品質に対してかなり安価なのですよ。あっちこっちで話が込むものだから、気付いたらかなりの時間が経って居りました。茶会が終わったのは8時だったのですよ。

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で、帰って午後の御客様をお迎えする準備をして・・・

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午後は陶芸談義でありました。今日は美術館関係の方にて、刺激的な談義もしつつ、色々と聞きたいことなども聞かせて頂いて。朝から夕刻まで茶呑みしつつ、なんとも愉快な1日を過ごさせて頂きました。

また是非、御来訪下さりませ。ありがとうございました。

漠然と

今日は早朝から草刈りをして、昨日刈った草を集めて・・・。

漆の修復、なかなか苦労しつつ。止めたと思っても、水を入れてみると他のトコから漏れてきたりします。小さい亀裂。今月中に納めたい仕事が沢山あるので、腰を落ち着けて補修の仕事をやろうと思っています。

最近は・・・エエモノを作りたいなぁ、という思いが強いです。蔵から、ビードロの色彩が鮮やかなる昔の作品を取りだしてきたのですが、

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床に飾って見ると、やはり侘びの風情が物足りない。侘びってのは難しい。そも理解だって難しいものですから、侘びの器というものは暗中模索的なトコがあります。造形の問題。

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こっちの方が圧倒的に侘びの花入である。制作時期としては2年くらい、茶道による造形力の進歩と言っても差し支えないでしょう。しかし”焼き”としては過去のものにも見るべき偶発的佳作があり、侮れないものがあります。


ともあれ。作品の写真を撮る用意が出来たので、明日か明後日辺りに記事が書ければ、と思っています。といいながら、明日は早朝から朝粥茶会、午後から来客。明後日も朝から京都へ行って漆の稽古であるわけで。追々であります。

御稽古の日。

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いやぁ、すっかり夏野菜の季節であります。台風で倒れたものもありましたか。窯場も、修理したトタン屋根の飛ぶことも無く、二年前の惨事を繰り返さずに済みましてありがたい事であります。

今日は茶道の稽古日。今回の販売仕事では着物を着なかったので、久しぶりの着物。といっても2週間程の期間であります。少しづつ、着物も似合う様になってきたものでしょうか。

稽古は花月。五回も稽古を付けて頂きました。花月というものは「稽古」とばかり思っていましたが、なかなか、そんな浅知恵では「馬鹿の考え休むに似たり」という辺りの様で、まぁそれ以前に完璧に出来るようにならんとイカンわけですが、なかなか、完璧に出来る事も無く、思考回路を使って怪しい動きをしてしまう事が多いですな。考えている内は駄目で御座る。まだまだ。でもまぁ、花月は楽しいもので。

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今日は色々と茶花の話が色々と。雑談も、その大半は茶道・茶会に関する事や、自然・収穫などに関する事が多いもの。ちなみに蹲花入に挿していた桔梗とウツギ?の花は、ウチの庭園で育てたもの。去年の今頃、伊賀の農産直売所で買ってきて植えた桔梗です。

今週は明後日に朝粥茶会。来週は大徳寺茶会。

明日辺り、作品の写真を撮ろうかと思っております。

台風一過?

今日は雨。台風一過はどうしたのやら。少し疲れもあったのか先程まで寝ておりました。とりあえず当面の仕事が終わったので、山に籠って制作に入る時期になりそうです。やるべきことが色々と積まれているので、少々意欲減退気味。作品の写真を撮ったり、漆の補修を仕上げていって採寸なども必要。Webサイトも放置されて久しいトコ。販売のサイトをいい加減に更新したい。茶会も色々と待ってくれている。あと遠路の予定が少し。これから詳細を詰める。

細々とした仕事が続きそうです。制作意欲も割と高いので、薪割り、土掘りなども並行して。


目の前の面倒な仕事は・・・草刈り。一週間分貯まっております。


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使い回しの写真で何ですが。一週間の販売では今窯の作品も少し並べていました。伊賀に届かない、信楽の手のモノが多かったので少しくガッカリしていた側面があったのですが、「冷静に信楽と見れば、まずまず楽しめるものではないか。」と思い返す様になりました。人との付き合いが好い例ですが、やはり瞬間的な判断というのは冷静で無い事も多く。長期間向き合っていると見えて来ることもあります。また逆の意味では「信楽の手で上げる焚き方」という経験でもあります。毎度のことながら、今回は窯焚きの手法を変えてみた結果でもある。いつもの事ながら、やはり窯出しから一ヶ月を経ていないと冷静になれないもの。自分の作品を見るという仕事は、なかなか表層的なものに捉われてしまうので、難しいと感じる事も多いです。



追々と。当面、八月中には短期焼成をやります。

収穫

いやぁ、久しぶりの都会生活でありました。御一緒した方々も好い方ばかり。陶芸などは美術画廊などがありますが、他工芸、桐箪笥に代表される様な「一般家庭用」に分類されるものというのは、職人展に一級の方が居られたりするもので、なかなか刺激になる事も多いのです。

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今回は通勤圏内というもあり、ありがたく出展させて頂きましたが、なかなか、好天ならぬ荒天に恵まれて、面白い経験をさせていただきました。ここ半年以上、この手の催事は断ってきたもの。去年の・・・岡山の高島屋以来です。そういうコトもあり、とても楽しかった。

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台風はまだ居ましたが、帰宅の頃には高速道路も晴天。

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山への帰路。蝉の音が懐かしい。夏の音、自然の音の中へ帰っていく。

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今回の収穫。半泥子の思想に触れたこと。近いこともあって、何となく反発するようなトコがあったのですが、今回は御客さんに託して頂いた書籍をジックリと、抜き書きをするほどに読み込んでみました。感受するトコロは大きく、これ1つでも、出展した甲斐が在ったと云うもの。

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数寄の器とは何か。何となしに思ってはいても、やはり先達が実績を築いて、道の跡が作られているというのはありがたいもの。思想的に近いトコロが多いので、自分のやっている事に自信を持つことに繋がりました。今後の作陶に、大いに参考になるもの。 「名声に捉われるな、外面の好い器で迎合するな。土と自然だけを見ろ。」それだけの単純な事が、なかなか、大いに励まして頂きつつ進まないと、とかく今の世では難しい。また同時に、それを奨励してくれる方も少ないし、評価してくれるひとも少ない、細く孤独な道。

半泥子に魯山人。かれらは「素人」を自称した。その真意。自らを卑下するわけでもなく、陶界を揶揄しているわけでもない。そう思っています。「この思想をでやる本職が現れてこそ、陶芸は面白い。そういうヤツが居なかったから、素人が偉そうな顔をすることになる。」という事を想っていたのだと思います。「本職で、生涯を掛けて数寄の器を作りたかった。」そんな思いが、この「素人」という言葉の真意ではないかと。また同時に、それを受け継ぐ者を期待しての言葉。書籍とするは、大いに共鳴者を求めていたからこそでしょう。


まぁ・・・御託はいいや。問題は胆に入って居るかどうか、だ。

そういえば。一昨日かの記事で「半泥子の名前は大徳寺由来」と書きましたが・・・。ネットではそのような記述を確認出来るものの、本書では「南禅寺管長による命名」となっておりました。こちらの方が正確でありましょうから訂正を。陶芸に携わる前に南禅寺に参禅し、陶芸に入って後、大徳寺の黄梅院の禅師の元で修行をされたと理解した方が好い様です。


ともあれ1週間。色々な方にお越しいただきました。改めて御礼申し上げます。

何かに見込まれているのだらうか

あぁぁ・・・・。今は漫画喫茶で時間を潰しております。

台風ということで、昼過ぎには電車が止まり始めて、新名神が通行止めに。少し早上がりをさせて頂いて、小雨程度の中、四日市近鉄を出立・・・したのは好いのですが・・・。通常家まで45分の処を、4時間かかって、ようやく鈴鹿峠に到達・・・。

するってぇと、移動の間に鈴鹿峠は封鎖されて通行止め。渋滞は「鈴鹿参り」をするが如くに、亀山ICから鈴鹿峠を上り、Uターンさせられて下山する車列。ビタっと動かない渋滞は、全てが全て、鈴鹿参りをして戻ってくる。

名阪国道で南から入るのが当然と思われたが、それも封鎖。残された道は「伊賀越」の道で甲賀に入るのみというラジオ放送を聞いて、

「これはまた風流なことだ」

と思いつつ、鈴鹿峠を下山してそちらに進路を採ると、伊賀越の経路も通行止めに。そして「伊賀越参り」というUターンの渋滞。幸いにも擦れ違いの滋賀ナンバーさんに聞くとジェスチャーで教えてくれたので、ありがたく早期にUターン。っていうか、亀山ICで詰まった車が、ウロウロと渋滞の長い車列をつくり、何も知らされぬままにお参りをさせられる。そして為す術がないことを知るまでに、数時間の渋滞に嵌まり込んだ末、宿を求めることに。なんとも無様な道路交通整理。ただ閉鎖すればいいというものではなかろうが。天下随一の東海道を袋小路にして、一般道の山道へ封じ込めて、一体どういうつもりなのか。というか、最新設備の第二名神が最初に使えなくなるとか・・・。


結局・・・三重方面から滋賀県・大阪方面へ抜ける道、全て封鎖されました。

南の伊賀越はもちろん、さらに南の尾鷲方面も封鎖され、鈴鹿峠も断絶。スカイラインも駄目、永源寺ルートも駄目。果ては関ヶ原の中仙道ルートも封鎖されたとあって、滋賀県に戻るには飛騨高山を越えて富山へ北上し、越前から下る他なし。


ここに至って帰宅を断念。4時間掛けてお参りした道を、僅か20分で戻り・・・。

日帰り温泉に入って・・・今に至ります。

ちなみに四日市ですが・・・。道路乾いてます。ずっと小雨です。今も小雨です。
きっと、四日市に随分と気に入られたのであらう。


う~む。明日は最終日ですが、どうなるんだコレワ。搬出だぞ。しかし帰れるのか??


と、そんな一日を過ごしております・・・。

台風直下。

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台風で。昨日の四日市は殆ど雨も降らずに傘要らず。御一緒させて頂いている方々はとても好い人柄の方ばかり。職人展の皆でまた食事に出掛けて楽しい一時・・・、と思いきや、帰路の高速道路が途中で「通行止め」となっておりました。実際、トラックに走られると巻き上げる水で視界が無くなる状態でしたから止む無し。文明も大したことはありませんな。いや、自然が偉大なのです。降りた所で一般道も雨で視界が無く、地元でありながらに道を間違えたりというようなトコロ。

今は速度規制に回復した様子。荒天では御客さんも来れないだろうけれど、しかし仕事は仕事なので、休むわけにも参りません。今日は朝からトウモロコシを起こして紐で立ててました。台風過ぎるまで置いといた方が良かったかなぁ・・・。

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ボチボチと本を読みつつ。半泥子さん、イイですね。毒舌は半年程で納めていて、後半に反省文が書かれていたりします。なんだかとても、分かる様な気がしました。このブログも同じ経緯を辿ってましたか。唐九郎さんの影響、あと魯氏の影響もあるようで。やはり師匠の影響と云うのは強いです。

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実地では作品の修復作業なども。漆をやっていると気付く人は少ないです。そも漆で治すこと自体の知識が無いのかな。なかなか、簡単といえば簡単ですが、大変といえば大変。漆の乾燥は数週間単位である上に、思っても見ないトコから漏れてきたりもしますから、想外の時間が掛かる事も。また不在時に美術画廊の方も来られて。御客さんから推薦して頂いたようで恐縮。ホントは自分から営業にも行かないといけないのですけれど、伊賀最寄の百貨店という事で、話は色々とあるもの。修復が全て終わったら作品の数も回復するので、色々考えます。

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ちょっとだけ様子を追加。今作の掛花入であります。掛けるとなかなか、好い雰囲気になるのではないでしょうか。道祖神(お地蔵さん)の風情がある信楽掛花。庭に咲いてくれた桔梗の花に添えております。


ボチボチと、明日まで販売を行っております。明日は最終日なので四時半まで。

台風ですが、どうぞ宜しゅうにお願い申し上げます。

ボチボチと

一日勉強して帰って来ると、あまりブログに書くことが思い浮かばないのですが・・・。

終日、暇な時間を見ては茶道の復習とか、半泥子さんの書籍を読みこなしています。半泥子さん、なかなか、思想的にも共鳴するトコが多く、また小生の嗜好と合致するものが多く、楽しいものでありますか。元々が唐九郎さんを師としてロクロ仕事を始めて、魯山人と共鳴したり、というような方面の方でありますから、なるほど当然ではありますが、当時の論壇として、正面から著名作家をコキ降ろす様な言動を出版していた辺り、やはり楽しいものだと思います。

まぁ、その内に紹介も致しましょう。私も若い頃?は随分と毒舌も吐いたものでありますが。

例えば・・・民藝派の事を「熨斗餅派」(ノシモチ)と書いていたり。多分、鏡餅の事でしょう。雑器なのに作家モノとして、堂々たる茶会の主役となるべく抹茶碗を作ったり、そういう辺りをコキおろして云うとしても、なかなかに言葉がこういった調子であったりします。濱庄さんを「熨斗餅派の和製リーチ」と書いてしまう辺り、今ではなかなかに考えられんことで。

昔の方の著作を読むに、言いたい放題をやった著名作家と、体裁を繕って格好を付けた文章を遺した作家と、無言で何も言わなかった作家と、およそこの辺りに分かれるのでしょうか。文章の性格も、それぞれの作品に類似した感を受けます。

私はまぁ・・・見ての通り、思ったままに書き連ねる人です。

一応・・・、言いたい放題は少々、矛を収める様にはしておるのですよ。

3日目

あぁ・・・三連休なのですね。朝から高速道路が休日運転車で混み合っておりました。甲賀では祇園系の祭りが多いので、この休みに夏祭りが行われる事が多いのですよ。

で・・・3日目。午前中は地元の茶人作家さんが御来訪にて、楽しく談義を色々と。流派が違うと云うのも刺激になるもので、いつしか随分と長話をして引きとめてしまいました。ツィッターでの知り合いという事で、こういった縁も楽しいもの。いやいやどうも、ありがとうございました。

昼頃には親が観光がてら来てくれたので四日市名物のトンテキを食べて・・・
午後からは同期生が来てくれて、これまた長々と。こちらも地元の作家さんです。

チョイト写真が無いので物足りない感じですが、連日楽しく過ごさせて頂いて感謝。
あと4日間。暑いトコロでありますが、宜しゅうにお願い申し上げます。

2日目

2日目終了。色々な方が来て下さり、とても楽しく過ごしております。

handeisi.jpg 

今日は差し入れではありませんが、四日市となれば、この界隈は半泥子のお膝元という事で、付随して目の在る方々も多く。「読んでないなら読まにゃぁイカン!」という事で、是非にと勧めて頂戴を致しました。半泥子さんの随筆集。何とも有難いことであります。有名な「からひね会」にしても、原土原理主義にしても、共鳴する処は色々とありまして、楽しみに拝読させて頂きます。ちなみに奇遇にも、今月末は黄梅院の茶会でありますが、半泥子が修行した場所。その名付け親であります。大徳寺・黄梅院にて好清和尚という方より「半泥」の名を得ているという話にて、何とも奇遇なこと。というか、大徳寺で修行しておられたのですね。 (⇒最初、南禅寺に参禅。後に大徳寺に参禅。ネットでは大徳寺にてと書かれているものが見受けられるが、書籍に「半泥子の号は南禅寺管長より」という記述がありました。)


お膝元という事では。販売として並べている茶碗は、名目は「盛り鉢」で売っておりますが、「これは御抹茶茶碗じゃないの?」と聞いて下さる方も多くおられまして、さすがの城下町という処でしょうか。盛り鉢として挽いたものは一個も無かったりするのは御愛嬌であります。昨日にお越しいただいた地元の作家さんの話の通り、なかなかに茶道もあり、またコレクターの方もあり、という様子でありましょうか。高校生が土を懐かしんで座り込んでいる姿が多いものの、文化度の高い層がある事を感じます。百貨店の美術画廊がしっかりしている辺りにしても、百貨店さんの社員用喫茶店や食堂などを見てみても。他の百貨店とは少し、違う感があります。


ともあれ。明日もありますから、手短に更新まで。

連日に漆作業をやっているので・・・ちょっと痒くなってきた・・・。腫れて無いのに痒い・・・。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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