環境から来る感覚、道筋。

昨日は京都を歩いて。京都自体はそれほど都会というものではないけれど、京都を歩いている人は行動的な観光客も多く、とても急いでいる。その急ぎ方には東京に通じるものがあるように感じる事も。ゆっくりする為に来訪した筈であるが、蓋を開けてみると仕事人の如くに合理を求め、寸暇を惜しんで歩きまわる。別に悪い事でもないし、私も以前はそういう側面を持っていた。急いでいるからと云って楽しみ方が違うだけの事。達成感という充足感も楽しみ方の1つだろう。

この所、あまり外出する事なく田舎に籠っていた。外出しても、神社や茶席へ車で直行する世界である。久しぶりに電車に乗って、随分と自分の感覚が変わっている事に驚いた。僅かな間であるが、東京・日本橋のお勤めだった頃があり、その頃はやはり分刻みの仕事。「地下鉄の何両目に乗ると乗り換えが・・・」みたいな事も覚えていたもので、懐かしいもの。

そういった感覚で、変わらずに現実を急ぎながら楽しんでいる?人々が居るのだという事を、改めて感じた。変わったのは自分だけという事になろうか。物事が便利になり、世の中が不安になるほどに、現実を急ぎながら、合理的な方向性を性急に求める感覚が人々の間に共有されていく様な気が致しました。

ただ、忙しき表の通り。京都では、そこから一歩裏通りへ入っていくと、とてもとても、静かな街並に変わります。あまり人が歩いていない事が多く、車も運送業者くらいなもの。小さな豆腐屋や、タワシ店とか、団扇製造とか。三畳くらいの小さな金物屋でお婆さんが店番に座って居たり。そういった古い建物の中に、とって付けた様な「和風デザイン」の店が時々に見受けられる。小奇麗な店である。

ある種、伝統の様相を呈しているかに感じたもの。そういった小さな店は、場所を問わず全国の商店街の姿、街道沿いの沿線に見られた、極めて普通のものであっただろうか。田舎である滋賀県でさえ、宿場町の風情を遺す街並へ行くと、「かつてはそうであった」というものを感じるのである。これは商売の話であるが、底通するものがあるやに感じる。

伝統が人と密接に関わっていく中で生じるものだとすれば、小さな豆腐店などはその世界であろう。民藝なども同じで、本来は「伝統」と「民藝」などという区別はツマラナイものだ。生活と共に在る商売店。人と離れて、そのブランド性だけを取り上げたものが、「和風デザイン」の建物になるだろう。如何にも「営業しております」という風情。

もちろん、そんな豆腐屋が世の中に必要とされているか?と云えばどうだろう。

多くの人が、「売上が云々」という事を考える。実際に多くの店が潰れている事を想う。どう考えても儲かるものではないという時、多くの人が求めていない時、それは「別に潰れてもいいんじゃないか」という話になる。机上論的な話が好きな人などは、「そんなものは早く潰して、新しく起業するとか、町屋として新業態を考えるとか、そういう事をやるべきだ」などという事を云う。とても性急である。つまり、多くの人が大した価値を認めていない。

しかし実際はどうだろうか。そんな小さな豆腐屋でも、毎日買いに来る客が居たりするものである。昔ながらの店が存続して欲しいと思う人も多い。売上として「日本経済」には貢献していないかもしれない。そういったものの存在。利益を挙げられないサラリーマンが「無能」であるが如く、実際は厳しい環境である。

伝統というものの存在価値。

今の儲からない状態を維持しても、「和風デザイン」には対抗する事が難しい。


ではどうするのか。同じ土俵に上がって、町屋風の清新な業態にするのか。それとも墨守して時の流れが変わるのを待つのか。業態などに目もくれず、ひたすらに好い豆腐を追及し続けるのか。色々な方法があるだろう。

一応断っておくが、「業態の変更」を「伝統の革新」などとするのは「マスコミ人の浅薄な知識」である。「経済面での革新」が、「伝統の本質革新」であるわけがない。「革新と云えば商売上のものだ」という先入観に踊らされているだけの姿である。そんなものに踊らされてはならない。言葉は正確に用いるべきものだ。



思案に思案を重ねる事。一足飛びに、性急に「答え」を求めても仕方がない。長期的な展望と、地道な活動からなるもの。例えば後継者1つを挙げても数年、数十年が必要になる。その時はぜひ、「兵は詭道なり」(騙した者が勝ち)という選択肢は捨ててほしい。伝統を王道・覇道・詭道の中で「詭道」に貶めてしまったら、そう簡単にはひきあげる事が出来ない負の遺産を遺すことになる。伝統に対する「恩知らず」である。上っ面で誤魔化した世界に落ちたら、外面上で儲かっても、積み重ねてきたブランドを食い潰して終わりである。

一見してガンジガラメの制約の中で、しっかりとした道筋を見つけて行く事。そんな「伝統の御家芸」を底通させて出来る事を考えて行くべきなのだろうと、個人的に考えております。
論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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