漆に拠る修復作業

麦の収穫が終わったようで、麦畑はモクモクと煙を挙げておりました。六月も終わりですね。

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天気予報を見ていると、梅雨は少し北方に出掛けているそうですが、なかなか、雨は降らぬと云えども蒸し暑い季節であります。草木もよく成長するもので、朝晩で感じる程に成長しています。それだけ草刈りが大変であったりもするのですが。

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湿度という事で、補修作業に入りました。もう少し早く始めたかったのですが、伊賀焼成に傾注していたので、窯焚きが終わってようやく。前回焼成品の良品、その大半が補修工程に載せられております。中には補修不能というものもあり、そういったものは庭に置かれる事になっております。

亀裂に関しても。全ての品を確認して、要因というものも深く掴みました。漆教室へも亀裂の多い徳利を持ちこんでいるのですが、目に見える亀裂、怪しいと感じる亀裂を修復し終わってみると、「およそ漏れないと覚しき僅かな亀裂」さえも水漏れ要因となっている事が判明。また亀裂の位置の傾向や、二度焼で放り込まれた最も耐火度の高い配合の土でさえ亀裂を受けている事などなど、ではどういった要因でこれが生じたものであるのか、全く未知の知見でありました。1つ2つの亀裂作品を見ても得られない経験知識というものになるでしょう。

そういった意味では。現状の激しく焼き上げている焼成方法に対して、土の収縮耐久限度が見えて来る。焼きを抑えるか、日数を短くするか、亀裂に構わずに焼き上げるか。この辺りから選択する事になる。おそらく現状の焼成方法では、6日焼けば確実に亀裂を生じるだろうか。今回の焼成品に関しても、一定数の亀裂品がある事が想定される。元より、亀裂品の一切無い窯というのは一度も無いのである。どちらが好い、という話ではありませんが、「100%完品でこそプロ」という様な「業務用食器の世界」とは土俵が違うものになります。「最高の一品を造り上げてこそ」という世界が茶陶です。「1つでいいから後世に遺るものを・・・」という言葉の世界ですね。

と、話が脱線しましたが、漆の補修。器の格に合わせての補修を行ってこそ、プロ?の仕事という事で、茶陶としての仕事の一環。水指の蓋にしても同じ事。本漆を用ると云っても、様々な方法がある様ですから、そういった中から選択して、という事になりましょうか。例えば「金継ぎ」などと云いますが、破れ袋などは金を蒔いたりしていません。まぁ、ありがたい事に、焼物の性質上、染付磁器などの様にピシっとした仕上がりが要求されるものではありませんから、ある意味で助かっているのかな、と思いつつ。例えば水指の蓋にしても、「真塗り」という事では素人がやるわけには行きません。そういった辺りの事。

まぁ、意外と楽しいもので。まだ少しカブレるのですが、なかなか、生漆の匂いは嫌いではないのですよ。

暑い休息日

今日は息抜き。窯焚き後の休息。暑い日ということで蕎麦を食べに出掛けてみました。

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八日市まで初夏の風情漂う田園風景を楽しみながら。

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有名な蕎麦屋という事でしたが、入って見ると何とも綺麗な店舗でした。現代の柱材を用いた場合、四角の柱をワザワザに削り落とすという形になる様で、全く歪みの無い木組みになっています。歪みの無いものと、あるもの。その差異という事ですが、やはりどちらに軍配が挙がるかは云うまでもないのだなぁ、と思いつつ。もちろん、蕎麦は非常に結構なものでありました。

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帰りに永源寺散策。臨済宗、つまり禅寺なんですよ。永源寺派総本山。涼しい風が吹いています。窯焚き後、それほど休めていない事もあって体力的な底が浅くなっているのか、早々に疲れ果ててしまいました。なかなか、思うようには動けないもので。

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修行が足らん!と云えばそれまでです。

今少し、ゆっくり休むことにします。

茶花修行?

まぁ・・・花入を造るからには、茶花に在る程度精通する必要がある・・・わけですが・・・。女性茶人の方々は驚くほどに豊富な知識を持って居られるわけですが、なかなかに男性は焼物などに目が行って後回しにしてしまい勝ち・・・?という様な声が「内側から」聞こえて来るような気がする小生です。

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一応は努力しているのですよ、一応は。

今の住居に越してきて、山野草の方がおいでになった折に、「これは”駒繋ぎ”というものだから、草と一緒に刈らずに残しておくといいよ」などと云われ、随分と大きく育ってきましたか。越してきた際に”コデマリ”が綺麗に咲いていたので、最初に親しみを持って覚えたのがコデマリ、育てる意識を持ったのが”駒ツナギ”と”釣鐘ニンジン”です。岡山の高島屋で仕事をした際に西王母を分けて頂いて、今年は二輪程咲きました。

駒ツナギは文字通り、「馬を繋ぐ柱」の事です。いかにも武士が名付けた名前ですが、とても小さく可愛らしい花です。槍の穂先みたいに格好は好いのですが、武士が愛でるにはチト小さい様な。

んで・・・今日は今年の投資として茶花を増やすべく。まぁ申し訳程度ですが、500円程の小さな苗だと思っていたら、百円均一宜しく、そこそこに買い込んでしまいました。

まぁ、よ~わからんので適当です。素人のやることです。

・白花笹リンドウ、大紫リンドウ・・・漢字で「竜胆」。格好いい・・・というトコもあるやもしれませんが、秋の茶花という事で、秋に活躍の多い侘び花入を考えての選択。

・鳥足升麻・・・なんか頭に残ってた名前。とりあえず咲いているやつを買って来ました。

・黒松・赤松・・・小さい苗で安かった。コラコラ、薪にはしないぞ!

・土佐の暁・・・アジサイの一種です。今に咲いてる。アジサイが欲しかったので。
yamaajisai.jpg 拝借画像。こんな風に咲くといいなぁ・・・。


と、こういったトコです。素人の植え付けなので、いくつ生き残るかも不明でありますな。器で学んだものですが、やはり基本的には自分で手間と金銭を掛けて行かなければ覚えるのは遅い。茶会で花の名前をメモしても、まったく翌年にはもう一度聞き直しているものですから、無為の修行をやっている事になります。咲くのが翌年になってしまっても、いいなぁ、と思ったものを積極的に育てたい・・・・ものですな。

そうそう。

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帰りに、いつもの様に小道を走って居ると・・・

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なかなか素敵な喫茶店がありました。4月に開店されたそうです。水曜定休ですが、滋賀には珍しく朝八時からのモーニングなどもやっておられます。嫁さんは名古屋系なので「モーニングマニア」なのですよ。杉木立の中、本当に静かな場所で、ウチの自宅とか工房よりも山奥、と云えば、拙宅に御来訪頂いた方は驚くのではないでしょうか。とてもゆっくりする事が出来ます。住所としては信楽神山で、「五位の木窯」の在った道、即ち伊賀と信楽が伐採権を争って土地区分が入り組んでいるトコです。(何と云うマニアックな説明・・・。)

裏道を通る時に使うので、また機会があれば寄って見たいもの。美味しいランチを提供してくれる店って、信楽にはとても少ないのです。少し辺鄙な場所ですが、伊賀~信楽の中間点から山に入っていく処。珈琲も美味しく、値段も良心的。 少なくとも「いかにも好い器が出てきそうな店名であるにも関わらず入って見たら”狸形の珈琲カップ”が出てきて”ゲンナリ”」という事はありません。(ゲンナリした事がある人は分かってくれる筈だ!)

で、店の名前は[森のcafe]というトコです。元々が避暑地的な信楽の中でも涼しく、競走馬用の牧場に隣接していて、簡単に云えば「北海道並みの気候」という事を示しています。夏でも屋外で楽しめる事でしょう。

とても気分の好い時間を過ごさせて頂いたので、ちょっと宣伝まで。伊賀・信楽観光の休憩・昼食にオススメです。「丸十」の看板を入っていく道にて、この店の場所まで太く新しい道路が建設されてます。細い道を抜けて行くと、信楽から小生の工房方面へと抜ける裏道になっています。

でわでわ。

岡倉天心「茶の本」に見る思想1 「はしがき」より

冒頭に岡倉天心の弟君が寄せた文が掲載されている。天心の性情について書かれているので参照しておきたい。

>
たやすく郷党に容れられ、広く同胞に理解されるには、兄の性行には狷介味があまりに多かった。画一平板な習俗を懸命に追うてただすら他人の批評に気をかねる常道の人々からは、とかく険峻な隘路を好んでたどるものと危ぶまれ、生まれ持った直情径行の気分はまた少なからず誤解の種をまいてついには有司にさえ疑惧の眼を見はらしめるに至った兄は、いまあらのように天地の広さを思い祖国のために尽くす新しき道に想到したのであった。
>

狷介味が強かったとされる人物。序文には手放しの称賛が行われるのが常であるが、冒頭の文として慎重に選択された言葉である事には留意が必要だろう。訳書の出版時は1927年。論壇の盛んな時代背景もあるだろうか。ともかく、「片意地が強くて妥協を許さず、他人と強調せずにこれを遠ざけ、人の云う事を聞き入れない人物。」そういった人物として郷里から見られていた。直情のままに突き進む人物。交遊の深かったフェノロサとも晩年には距離を取っており、とかく孤高であった事を感じさせる。

もちろん。この評価を即ち「正しい」として受け取ることは難しい。数多くの名言が示してきた様に、本物の人物というものは多く誤解され、称えられし正義は少なからず敬遠され、ともすれば孤高に陥る事が多いもの。君子豹変す。大義を為す者は、その孤高と引き換えに偉業を為す側面がある。彼の言葉に意味が無ければこれほどに取り上げられる事は無かっただろう。事実と言葉を天秤に掛け、冷静に言葉を受け取っていきたい。

>
外国の文字でつづられてあるというゆえをもって、自国の者がその存在をさえ知らずにいることを遺憾に思って、洋々塾の村岡博氏が、原文の一字一句をもゆるがせにすることなく多大の労苦を物ともせずに、章一章克明に日本語に写して塾の雑誌『亡羊』に、昭和の二年(1927)四月の創刊号から前後十号にわたって掲載し、翻訳者としての最善を尽くし、昨年八月ついに業をおえられたのである。
>

本書が訳された経緯。先んじてドイツ語、フランス語に訳されて広く西欧諸国で読まれて後の事で、アメリカで出版されて後、半世紀の時間を経ている。現代の日本にもまた、「異国の評価を以て」という例が少なくは無い。例えば「日本陶磁器の種類豊富で大衆の日常に用いる食器が華麗である事」は過去より驚嘆されてきた文化であるが、こういったものも捨て去られて「白い器」を持て囃す「研究家」なる者が居て、追随する者、また料理研究家が「モダン」な器をデザインしたり、何とも滑稽な事である。その他、茶道や禅というものを高く評価するのも西洋諸国であるし、焼物の種別としても伊賀信楽の素朴なる自然美を高く評価してくれているのも西洋諸国である。和食と呼ばれる料理群に関しても同じこと。日本は茶道や信楽や懐石というようなものを、「古臭い」という建前で以て「触れるも恐ろしきが如く」に扱う癖があると聞き及ぶ。理解してからこれを批判するのではなく、無理解であるにも関わらず「イメージ」で批判するというのは、全く「ブランド信仰」にも見られる日本人の特質である。数千年の古くより「あるべからず」と批判されてきた「軽薄な判断方法」を、未だに我々は未だに有している。

岡倉天心もまた、日本からは「触れるも恐ろしきが如く」に扱われた人物と言えるだろう。その著作を訳した人物もまた、本当の処を知る人物か。

次回以降、本文に入ります。

松雲会志季釜 在釜の茶会。

さて、昨日は窯焚きの疲労が多く残る中、水屋方に入らせて頂きました。今年の松雲会志季釜は同じ金曜稽古、茶歴としても本当に若い頃から茶道を始められ、教授として長年茶道の普及に努めて来られた近江古参の茶人の方々が担当されていて、今回は木俣宗美先生。日々、本当に沢山の茶会へ参じ、本当に茶というものを楽しんでおられていて、とても羨ましいもの。およそ、私の出掛けている範囲の茶会では、どこへ行っても御一緒する事が多いのです。

そういった中で、色々と稽古でも大先輩の方々でありますから、水屋方を頂けると云うのはありがたいもの。多少の無理を押して前日準備などから出掛けるというのも、日頃の恩義なりがあってこそのものでしょうか。水屋方の一座建立はとても大切なことであると云う訓示もあり。

茶会記ですが・・・写真を撮る時間が無かったというか。

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本当の早朝に一枚撮れただけでしたが、とても好い御席でした。志季釜では、気を楽に茶を一服頂戴するという茶会が行われておりまして、1つ北野社中も多い事から、主客の嬉しさが多いというのが嬉しい茶会でしょうか。亭主と正客のみならず、客同士も全てが知り合いというのは、なかなかに無い事。誰でもどうぞ、という気軽な「在釜」という様な茶会ですが、遠来に来られる方も多く、およそ百人以上の御客様。

席ですが、軸は「亀毛万年を寿ぐ」にて御家元の筆。感じるところは様々にあるものですが、私としては「何事にも感謝する心」でしょうか。有馬籠の花入に鮮やかな松明草を主役として生けられており、香合は黒柿に浮御堂の蒔絵。点前座は堂々たる信楽水指にて、直方作。先代が居られた頃の焼き上がりにて見事なものでしたが、少々水漏れありというもの。漏れてこその信楽とも云いますが、そういったものを実践される方はとても少ないもの。風炉釜は常什。「常什」というのは普段使いの気軽なもの。国宝井戸・喜左衛門が有名な常什でしょうか。

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常什という辺り、如何にも「信楽水指」に相応しいかもしれません。気軽な一服としての茶。点じる茶碗としては客に呈する処でありますから、茶碗は赤楽、黒平棗に又妙斎花押、茶杓は大宗匠による日光杉を素材とした茶杓。その他、煙草盆が嬉しい舟形のもの。近江でザックリと作られて沢山売られていた骨董道具らしいのですが、下書きの鉛筆線もそのままにザックリと上塗りが施されたもの。その草の風情が楽しいものにて、建水などもそういったものが選択されて。もちろん、好い道具も持たれておられます。そういった中で、「こっちの方がいいと思うから」という事で選択されるというのは、なかなか、現代にされる茶人の方は少ないのではないでしょうか。由来なども色々と聞かせて頂くと、御主人と選ばれたものなども多く、それぞれに御亭主の思い出があり、そういった道具、茶会というものは、とても温かいものでした。

亭主が在って、茶会が在る。そういった事を、改めて思う茶会でありました。


次回は九月。また楽しみにしつつ。

第十九回 臥翠窯 穴窯伊賀焼成

さて、無事に第十九回の焼成を終える事が出来ました。梅雨頃の焼成というものは比較的珍しいものではありますが、振り返って見ると毎年に焼いております。梅雨という事で大雨の中で焼成を行う事が多いものですが、今回は珍しく酷暑となりまして、完全な夏の窯という様相でありました。

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焙りはボチボチ。この頃の焼成では、作品の乾燥が不十分という事もあり、尚且つ窯の動きも相当に悪いもの。窯変という結果に出る事も多いわけですが、理由の1つは気候天候による技術的課題。その背景には焚き手の精神的労苦が多分にあるのではないだろうか、と感じます。窯詰めが少し遅れて、徹夜の窯詰めからそのまま、午後二時半に窯焚きを開始。これ1つ採っても、「晴天数日分の不足」による遅れです。

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焙りは窯の調子を確認して、適正な窯調整を行うためのコテ調べ。要所さえ外していなければ難しいものではありませんし、薪の投入回数も少ないものです。とはいえ、2日目に突入して朝焼けの頃には窯の温度も上昇しております。

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回数を重ねている事もあり、窯の昇温にも癖がついている様子。楽器などでも「癖がつく」と云いますが、窯も熱伝導という側面を見れば、毎回によく焼締まっていく場所と、縁が切れていたりして熱伝導の遅い所があったりする可能性があるわけで、全く科学的根拠に乏しい、というものではありません。興味はありませんけれど、楽器の様に「物理的に癖を左右する」という事も可能でしょう。

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窯の前はこんな感じの温度。2日目でコレ。少し離れた所で35℃くらいですが熱風が吹いてきます。梅雨といいながら、全く雨が降りません。どうにも・・・・暑い・・・・。

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窯焚きの前日までは雨続きでありましたから、薪の調子は微妙なものも多く。濡れ切って乾燥が必要なものも。元々が火力の低い薪で、窯の調子も良好とは言い難い中で、湿った薪というものは大きな苦戦材料以外の何物でもなく。まぁ、少しく長時間燃えてくれるので、ありがたいと見る事も出来るのですが。

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3日目は更に晴天。まぁ・・・景色は完全な「夏」であります。ちなみに焚き手ですが、基本的に家族のみ。一日の内の20時間は小生が焚いております。初日と最終日は自力。残りの4時間に関しては、2日目・3日目が嫁さん。4日目は親父が焚いてくれます。食事などは母親がやってくれて、巧いマッサージで体力を回復してくれて。しかしそれでも、これだけ暑いと、正直云って極限状態に近いです・・・

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そういった中での炎との格闘。元々が扱い辛い時期でありますから、いつもより沢山に取っ組み合いをやらないといけません。そういった中で、思わぬ窯変が出たりすることがあるというもの。同じ時期に決まった焼成方法で行っていくものとは、随分と性質が変わって来ます。手元の作品が手薄なので・・・。窯変ではチト困る。躍起になって炎と格闘・・・。


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そこへ、四日目も変わらぬ好天。ちょっとは雨が降ってくれてもいい。寒い中の窯焚きも辛いものですが、暑い中で、35℃の待機場所と50℃以上の窯前と、1300℃の炎を相手とするのは大変なものでありました。


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まぁ、ちょっと番外で窯焚き装備。道具を見れば窯の焚き方が多少分かります。前掛けが必要で、皮手袋に加えて軍手装備。濡らしたタオルが必要・・・・という事は、相当な「近接型」です。よくあるのが少し遠くから薪を投げ入れる「投擲型」。炎との距離が極めて近い手法を採ります。顔を炎が舐める事があるもの。一瞬で口元から何からが乾燥するため、長期間焚くには濡れタオルも必需品。炎から身を護るとなれば、もちろんに厚手のものを身に纏います。それを怠ると筋肉が焼けてきて耐久力が不足する事に相成ります。ちょっと焚くくらいならシャツ1枚で大丈夫ですが、長時間という次元が違う。 残っているタイマーは、「一人焚き」の必須道具。


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忙しい合間に牛の引き取りがあって、突如として「暴れ牛登場」という一幕も。 まぁ叔父さんの仕事なので時々見に行ったくらいですが、牛の鳴き声で牧場中の牛から猫までが反応し、電気柵を引き千切って救援に向かう牛が居たり。常に放牧・野生であるだけに、人の意のままにはならない野獣的な側面も。もちろん、基本的にはとても臆病な動物なのですよ。

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毎回、色んな事がありますが、5日目の朝を迎えて。最終日も晴天と云う、この時期には考えられない気候の中で、無事に第19回の伊賀焼成、5日間の窯焚きが終了です。様々な手助けありての事。深謝。




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ん・・・っと。少し御土産あり。今回も引出あり。窯を焚きました。

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窯出しが楽しみでもあり、怖いものでもあり。様々な試験結果も楽しみです。


以上、御高覧ありがとうございました。



第19回穴窯焼成。5日間。平成23年6月、21・22・23・24・25日。 
作家:吉村 祐

第十九回 臥翠窯穴窯焼成開始

暑い日になりました。乾燥からすれば一日早く欲しかったのですが、ともあれ窯焚きにはありがたい事です。

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昨日から徹夜で窯詰めをして。数時間程の仮眠を摂って、そのまま窯焚きに突入しております。まだ焙りなので余裕がありますが、さて今回は予想通りの雨模様の予報。これからどうなっていく事でしょうか。

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まぁ、予想通り、初期の引きはあまり良く無い様子。窯詰めの設定と、気候の条件、湿度の高さ。どれもが窯の状態として動き難い条件で揃っております。巧く調整を進める事が出来れば好いのですが。

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今回の核作品。破袋は・・・破れるかどうかは分かりませんが。「破袋」の破れですが、しっかりと試験していない項目が1つ残っておりまして・・・「水分を保持した状態で焼く」という試験が残っております。1つ間違えれば大損害になるので、まぁやる人は居ないでしょう。爆発しますからね。今回の焼き上がりは、さてどうなるものか。

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とりあえず徹夜なので睡眠が欲しいです・・・。


次回更新は窯焚き後。ツィッターくらい、時々書いているかもしれません。

徹夜で窯詰め

昨日は雨中に漆教室。水指の蓋制作に取り掛かりました。塗りの真行草、なかなか奥が深い様子。基本的に素人向けの教室ではなく、職人さんが受講する事もあり、基本的な漆の調合から色合わせまで習得する事になります。まぁ、とてもとても、勉強になるのですよ。漆、特に棗の拝見も見方が随分と変わって来ました。仕事とは関係無いですが、蒔絵なども学べます。

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このネタはそろそろ終わりにして。

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帰宅後は仮眠を摂って窯詰め作業・・・・

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あ・・・?夜が明けてきた・・・。


という辺りで、朝飯を食べに帰って来ました。伊賀焼成に入りますよ~。

御茶人さんの陶芸教室。

今日は近江裏千家・水の郷青年部の御一行様が御来窯にて、陶芸教室の一日でした。

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・・・といっても、私もその一員なので御仲間さんです。

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朝10時から午後4時まで。制作講座から陶芸講義まで様々。
色々な焼物を、実物を提示しながらに説明をさせて頂いて。
御茶人さんが多い事もあって、評価が高いのは素朴なもの。
クラフト・デザイン系は超有名作家の作品もバッサリでした(笑)。

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作陶も。さすがに御茶をされている方ばかり。なかなか飲み込みも早く、好い感じのものが多く出来あがっておりました。あとの仕事は焼き上がりという事で、短期焼成ではありますが原土の薪窯焼成。しっかりと焼き上げる仕事が残っております。

いつもながらに皆さん好い方々ばかり。日頃の行いというものでしょうか、天気も予報に反して悪化せず、小生も楽しい時間を過ごさせて頂きました。


焼き上がりをお楽しみに。ありがとうございました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

小ネタ。

今日は忙しいので小ネタで御勘弁を。

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夜の仕事をしている時は・・・(怪しい意味では無い) 
田舎の虫はとても多く、時々大きいのも居るので・・・。

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コレが活躍。見たことのある人は居ないんじゃなかろうか。
20年モノのアンティーク蚊取り線香、しかも「動物用」です。

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家畜用という事で、威力が強いのか弱いのかピンと来ないですが・・・
割れてる蚊取は空き缶が便利。いつもより香りが強い様な・・・。

という小ネタでありました。

あ、蚊やり作ってないや。今度自分用に・・・。
これから飯を食べて、窯詰め作業開始です。

大徳寺と大名と茶道。

今週は花月稽古の日。花月が五回、立礼の稽古を一回という辺りにて、非常に回数多く稽古を付けて頂いた。随分と暑い頃合いになって来て、単衣の季節もあっという間でしょうか。夏の茶会は少ないと申しますが・・・

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今の手持ちで、近々六月後半~七月の茶券です。レアモノ多数?楽しみな茶会ばかり。特に大徳寺にては小早川隆景法要もでありますが、昨夢軒という武野紹鴎好みの四畳半茶室。なかなか、数百年に一度でありましょうほどの大修繕が完成したそうであります。

大徳寺関係のマメを書いておきますと、戦国時代の大徳寺・妙心寺という二大禅寺というものは、簡単に云えば檀家制でありました。当時の主流は東大寺などを始めとする荘園収入方式ですが、禅寺は違います。檀家といっても普通の庶民ではないもの。近畿だけではなく、「全国の戦国大名」の菩提寺として存在しました。武田信玄であろうが、上杉謙信であろうが、伊達正宗であろうが、大友宗麟(「宗」=大徳寺法号)であろうが、大徳寺に寄進を行う事によって、流転敗亡の恐れがある領地ではなく、確実に京都で代々の菩提を弔って貰える様に、また、後継者育成の為に帝王学である儒教・道教・兵法に通じた高位の禅僧を招いて養育の師としたり、見込みのある者として直江兼続だの、足利義昭のように長子以外の子息を剃髪出家させて禅寺にて修行を積ませたり。足利義昭や今川義元などは還俗して大名となった人物。こういったマメが無いと「元坊主に突然大名が勤まるか?」と反応してしまいますが、当時の出家というものには色々な意味があります。まぁ・・・義昭と義元では例が宜しく無いかもしれませんが、少なくとも義元の方は東海一の弓取りとして善政家であった様で、他の例としては関東北条家の始祖である北条早雲も禅寺修行を積んだ者の1人です。格式の高い寺院として、観光地としても多くが見学謝絶となっていて、本来の寺院らしい側面がありますね。小さな寺院が国宝の天目、及び井戸を所持している辺りも、大名から預けられる形で納まったものです。

小早川隆景は・・・三本の矢、五大老という辺りで思いだされるでしょうか。毛利家の政務を取り仕切る辣腕家という辺りで語られる事が多い人物ですが、九州征伐や小田原の陣、朝鮮出兵などでも活躍し、豊臣姓と直轄領を拝領しています。直江兼続みたいな位地でしょうか。

で、先の話に戻りますが、「大徳寺黄梅院」は毛利家の菩提寺として寄進・建立されたもの。大名が檀家という事は、そういう事になります。もちろん、萩にも有名な菩提寺がある様に、当時は「複数の宗教に帰依する事」も通常の感覚でありました。黄梅院には蒲生氏郷の墓も存在しており、豊臣家の寄進も多い様子。天目所持の龍光院は黒田官兵衛の黒田家が寄進建立した菩提寺でありますし、井戸所持の孤篷庵は小堀遠州が建立した寺院となります。

まぁ、大名の間で茶道が流行する、という下地には、こういった①菩提寺であり②京都(中央)との繋がりという中で、大徳寺・妙心寺という二大禅寺で行われていた禅茶というものが繋がっていく。例えば「利休が天皇に拝謁する際に大徳寺の法号を得た」という事で判る様に、禅僧は「地方大名が直接朝廷に連絡を取るための手段」でもあるわけです。菩提寺という事、禅寺という事、禅僧と云う事、茶道というもの。歴史を知るには、あらゆる事象を複合的に総括しなければ認識したと云えません。茶道書籍、歴史書籍、どちらの書籍を読んでも、こういった事は書いていません。

底の浅いマスコミなどテレビで語る様な、「茶道が流行した」とか、「格好いいとされた」とか「御政道である」とか、そういった「時代の流行物」として捉えていると、全く当時の時代背景を勘違いしてしまいます。お殿様が行うことというものは、およそ厳選されているのが通例であって、庶民で流行したからといって採り上げる事はありませんわな。念仏踊りとか、一向宗であるとか、そういう事はあまりやりません。


長くなるのでマメ話はこれくらいで。



窯焚きが近いのですよ。

茶陶の来客

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今日は来客ありて。若い茶陶志望の作家さんが遥々、雨中に御来訪下さりました。なかなか、今の御時世においては、本格的な茶陶作家というものは、志望する作家自体が随分と希少な存在です。お見えになられた方は近藤さんという作家さんで、主に志野や井戸という辺りに惹かれておられる方。修行なども経て居られる事もあり、様々詳しく、アレやコレやと陶芸談義。気づいてみればアッと云う間に日が暮れておりました。これから独立、という方ですから、楽しみな事であります。

今の時代ですから、様々に障害も多いもの。現実の状況を様々に感得しなければ、簡単に飲みこまれてしまうもの。そういった中で、私の持っている知識や経験というものが、役に立てればありがたいというもの。アザミの花の如く、土壌に関わらず強靭に咲く事の出来る強さ、時にトゲのある葉で身を守るという事も、1つ必要なものかと思います。花言葉も「独立」と申す様でありますれば、前途の洋々たらん事を思います。

いや、楽しい時間を過ごさせて頂きました。また折があれば是非に。共に頑張って参りましょう。宜しくお願い申し上げます。

京都散策。

今日は漆教室にカコツケテ京都観光。月曜日は楽志会茶会であったので水曜に臨時振替。水曜は嫁さんも休みなので、久しぶりのお出かけでありました。

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折よく15日。日頃なかなか行けない、天満宮の月釜。御稽古仲間の方々も結構来られておりまして、とても評判の高い月釜。料金も非常に良心的。宗道先生も今年は11月に掛けられる予定だったと記憶しております。

軸は「流水廻青山」という事で、自然の流転を説く辺りを感じるものでしょうか。背の高き釜に居据棚。据えられた水指は伊部。建水は信楽で、火入は丹波。焼締めが勢揃い。背の高き釜を青山(中国式の背の高い山?)に見立てて、という辺りでしょうか。棗は渦蒔絵、茶杓は「乱れ棹」という辺りにて、茶碗は左入「緑山」。「青山緑水」という印象を抱くような席でありました。三鳥居の鉄蓋置が最後に棚上に飾られて幕を閉じるものでした。

次客の席を頂いたので左入の茶碗を拝見したのですが、重量あり。カセの具合が低くツヤあり。長次郎回帰が巧く行く前の作品であったのかもしれません。次碗は新庄萩・筆洗にて茶を頂戴致しました。ありがとうございます。


その後は・・・
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目的の店が閉まっていたので・・・

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五条へ移動し、五条坂へひたすら徒歩。
清水焼の現状を色々と感じてみる・・・。

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値段の書いてないうどん屋は意外と安かった。
こういう店が近くにあると嬉しいよね。

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今日の気分はカンジロー記念館ではなく・・・。
近藤悠三記念館。・・・・は休館日だった・・・ガックリ。

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近くの店のお婆さんに訴えてみると、奥から悠三さんの作品。
とても楽しかった。

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もう一路の清水寺参道に行って「茶碗坂」と「飲食土産坂」の人気差に唖然としつつ。
とか云いながら和菓子を求めてみたり・・。

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清水焼の店と茶道具店を片っ端から寄ったけれど、目的の古清水は1つも無し。
ちょっと色々と京焼茶碗を見る機会が最近多く、見分深化。

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やむなく繁華街へ戻り、職人街散策。夕刻からは漆教室へ。
いつもながらに楽しく三時間。


色々見て楽しかったが、古清水が心残り。今度は骨董街を廻るかな。

梅雨の合間に

梅雨の合間にて。晴れてくれると急に乾燥が進むので、時々困る事もあるわけですが。

yamanomizu.jpg 近隣道中。

この時期は特に、山中の水が豊富。二日ぐらいの晴天であれば、普通に山水が流れています。日本に於いて水が豊富であるのは、1つに粘土質である事が関係しているのかなぁ、などと思ったりしてみました。粘土の保水力というのは相当なもので、地盤全体が粘土というのは、一種特殊な土地になります。保水の反面、冬の乾燥期には田圃が地割れして使えなくなるもの。陶産地はおよそ粘土質の地盤でありますから、二期作を行う事が出来ない事になりますから、春~秋は稲作を、冬は器作りと山仕事を行って薪窯を焚く事になったと考えられます。粘土が凍る時期になると製陶は止め、来年に向けての薪貯蔵という辺りに切り替わっていったのではないでしょうか。

とりあえず・・・今週末に向けて忙しい時期が続くので、晴れ間はとても有難いものでした。

楽志会 中興名物茶会と利休

今日は楽志会定例茶会でした。瀬田・ロイヤルオークホテルは楽志庵。定例茶会の創成は23年も前の事であるそうで。元々が日本一の栄誉を獲得した料理長と北野宗道師が組んで、「安くにして最高の茶を楽しめる場所を近江に!」という理念と共に始まったものだとか。長い年月を経た現在にしても、滋賀県の茶道会の中でも断トツのものと断言して差し支えないものかと思います。日本としても屈指でありましょう。

今日は水屋方。前回より都合がつく限り水屋に入らせて頂ける事に。ありがたい事です。


会期まで簡単に。いつもながらの利休茶道に感謝。

小間・濃茶席。軸は大宗匠にて「歩歩起清風」、床の右手には中興名物の挽屋が飾られ、遠州直筆の銘が見えます。左には籠花入。高く飾られた花が、槍の鞘というような背の高い籠に入れられて、涼風の茶会であります。

点前座は寒雲棚。赤松柱の侘び棚として一度使われている姿を見たかったもの。水指は信楽桶形と参り、釜は唐犬風炉釜にて仙叟の好み。薄器が根来でしょうか。当然、主役としては中興名物。それを取り巻く道具組みとしてのもの。

茶碗は見込みの広い井戸系の高麗茶碗。目跡多きもの。次碗は遠州所持「六地蔵」に似た井戸茶碗。井戸と書くからには、当然、全てが本歌です。茶杓も大宗匠のもの。

と・・・こう来れば・・・。

利休が「大徳寺の師・古渓宗陳の書を初めて床に用いたが如く」である事に思い至りましょうか。中国禅僧にまつわる掛けモノが当然という中で断行された、「師匠の書」という利休の所作に同じ。中興名物に対する軸として、利休流の道具組という事に相成ります。茶杓も同じく。もちろん、利休も名物を所持していたもの。そういったものを、常と変わらずに用いる時の選択という事になりましょうか。中興名物を用いた道具組ではありますが、台子として真台子ではなく、寒雲棚という選択により侘びの信楽を用いて。水に濡れる風情の涼しきもあり。

そういった中での、中興名物。銘は伏せておきましょう。瀬戸の大振りな丸壺形。さぞ厳粛な席が行われた事でしょうか。御客様の中でも常なる方々にて心得のある方は、こういった道具がある事を御承知なので、裏千家といえども古袱紗に加えて出し袱紗も懐中されている方も居られます。拝見の楽しみでしょうか。


薄茶席は、緊張を解くという事もあり。「山是山、水是水」にて瓢棚で涼しげなる席にて、小生作の掛花入を御使用頂きました。近江神宮を御使用頂いて、大宗匠を始め、誠にありがたく御好評を頂いたもの。有難い限りであります。香合は扇形。京焼の茶碗を色々と取り合わせての席。御来訪頂いた方々には少し気を軽くして頂いて、楽しんで頂けましたでしょうか。

総じて70名様ほどの御来客でしたか。有難うございました。

~余記~~

今回は水屋方にて。あまり軽々しく表へ出ない様に!と申しつかりました。点前者も1つ、茶席に配置される名品の1つで無ければならぬ、という指導があるわけです。茶道に於ける男尊女卑の思想が、「単純な古来の風習から来ているものと浅薄に理解してはならない」という話でありましたか。役所主導のヘンテコ論に惑わされてしまっている側面があり、あまり深く考えた事が無かっただけに、根本を理解すればなるほど、道理であると承りました。簡単に道具に例えるならば、井戸茶碗が男性茶人、京色絵茶碗が女性茶人という事に相成りましょうか。薄茶一服の席と、濃茶・薄茶の席、格式の高い席と、呈茶の席と。道具(点前者・運び・半東)の使い方も様々という事にて。

今の世であれば、「男尊」されたければ、相応の実力を身につけて、茶人として尊敬される様にならなければなりません。男尊女卑とは言いつつも、要は「男は尊敬される様な修行を積まなければ一人前にはなれない」という事でしょう。問答無用で男性を尊敬せよ!などという考え方とは、少々違うものが由来。特に昔の時代、男は経済としても大黒柱でもあり、主たる農は力仕事でもあり、いつ強盗が来てもおかしくなく、戦場ともなる時代。現代よりも責任と力量が求められた時代の言葉である事を考えてみたいかと思います。それだけ、求められる要求が高いという事。

常々より、「男の茶人は他の人の修行とは違う。心して修行せよ」と指導頂いておりますが。ヨチヨチの新人からは少し、次の段階へと認めて頂いたのかもしれません。宗道先生の社中は稽古も長時間で、茶会の経験数も半端では無く。速成ではありますが、なんとか頑張って貪欲に勉強しております。


う~む。しかし・・・水屋はもちろん勉強になります。しかし・・・。茶席にも入って見たいもので。日曜日に行くというのも手でありますが、悩ましい事ですよ。特に今回は、「信楽水指と中興名物を同時に用いる際には、どういった組み合せを用いるか」というもの。特別の格を持つものと、草の水指の組み合わせというのは、ちょっと、簡単には考えるのが難しいものだと思います。普通にやってしまえば格調高く揃い踏みさせる事になりましょう。今後の茶会を開いてみたい、と思う場合において、あらゆる可能性を勉強させて頂きつつ。


次回は九月。小生も楽しみにしております。

たまには趣向を変えた話題

昨日は寝る前に濃茶を飲んだら見事に眠れず・・・。

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今日は少し趣向を変えた話。小生、昔はトランペットをやっていたもので、中・高と吹奏楽を、大学で少しばかりJazzをやっておりました。高校生の頃は実力も無いのに市民楽団に所属したりして、随分と苦労したものでしたか。楽器というものも、継続が非常に大切な側面がありまして、Jazzなどは特に体力が必要だったりしますから、やったことの無い方からすれば想像しにくいかもしれませんが、「途中でバテる」という仕事であります。立って息吹いているなんですけどね。当時は長髪の人でしたから、結構目立つ人だったんです。今にして思えば、周りが見えていなかったのかな。

しかしまぁ、挫折に近い感じで楽器を辞めたので微妙なモノです。ダブルハイGという高音を吹いていた時に、血管が切れそうになる感じで眩暈を起こしたんですな。半時間くらい吐き気が停まらず。それでまぁ・・・体力の無い自分には無理だなぁ、と。大学生で出せる人は少ないものですが、アマチュアでもある程度の方々は普通に出せるもの。当時は巧くなりたかったので、挫折感が強くって・・・。奏法から「マイルス」(マイルスディヴィスの意)という渾名も貰っていたものですが、あっさりと辞めてしまいました。当時は知らなかったのですが、マウスピース換えると楽に高音が出るそうですね・・・。

まぁ、そんな話はさておいて。

音楽ってのは、意外と役に立つものです。何に?って、陶芸とか茶道とか。応用は随分と幅が広いなぁ、と常々感じる事が多いもの。例えば先日の大宗匠の袱紗捌きですが、茶杓の清めなんかはノリの好いリズムと共に拭き上げているんですよね。だから、同じ様にしたいと思ったら、そのリズムを想いながらやってみたりします。とても覚えやすい。茶道では、よく空間的な間、つまり寸法などは注目されますが、巧者の方々の点前を見ていると、「時間的な間」というものが意識されている事を感じます。例えば茶碗を3手で動かす時は、「ワルツ」で持ちかえてスッと降ろします。よく聞いていると指導される先生も、「ぐ~~っと来て スッと抜く!」みたいに、リズムと共に指示下さる事も多い。「時間的な間」を意識していると、なかなか楽しいものです。

陶芸もまぁ、同じ事であります。別にロクロの回転を感じるとかいうものだけではなく。詳しい事を書いても伝わるわけがないので何ですが、偉い人の御言葉を引いておきましょう。谷本光生さんにお会いした時ですが、「音楽をやるといいよ。是非やりなさい」と云われた事があります。クラシックなどを聞く人は多く居られますが、演奏する側として音楽をやってみる作家さんは少ないかもしれませんね。昔のものなど、とてもリズムの好い挽き上げや削りを感じるものです。


色々な楽しみ方があろうかと思いますが。陶芸家がBGMとして様々な音楽を愛好して流すというのは、全く意味がないわけではないのだろうと思います。まぁ好みは色々ですか。私などは、音楽そのものよりも、「音色」を楽しむ方なので。昔に買ったCDを、飽きもせずに聞く人であります。「雅楽聞いてそう・・・」なんて事を言われますが、んな事たぁ無いです。といって、あんまりクラシックは聞かなかったりね。マンハッタンジャズオーケストラとか、ゴリ押し系?のものが多いか。長い事CDも買ってないです。


とまぁ。一年振りくらいに取りだしたものですが。意外と吹けるもので、自分でも吃驚しました。たまには好いものです。まぁ、楽器の性質上、とってもウルサイです。田舎なので、無駄に遠くまで聞こえるのよね・・・。


つくづく、器にしても何にしても、「人生の投影物」という事を感じます。


あ。今日明日は瀬田・ロイヤルオーク楽志庵にて、楽志会の定例茶会。スイマセン、今日は終わっております・・・。明日は水屋方にて参じておりまして、薄茶席にて茶碗を1つ出す予定です。お誘い合わせのうえ、是非御来訪下さりませ。

箱書の事。

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濃い目の一服を頂きつつ夜更かし。瀬戸で茶道を習っていた頃は、毎回に濃茶を濃茶として練っていた覚えがある。不味い濃茶は拷問に近いものがあるものだが、それほどの覚えが無い事を思い返せば、よほど好い抹茶を使っていたのだろうかと思い返す。応答の定型文に「永寿」を使っていたから、小山園の永寿であったのだろう。近畿圏外では、比較的手に入り易い丸久小山園さんが多い様に思う。クセが無い感じは独特のものか。

家でちょっと飲む時は、茶菓子が無いのと、抹茶を漉していないのでダマが出来やすい。嫁さんに相伴するので、薄目に点てる。濃茶の稽古にならないのだが、本当に濃茶を練るとなれば三人前は練らなければならないのが悩ましい。

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カフェインを摂取しつつ箱書。箱書に関する記事は昔に書いた切りなので、消去されている。およそ茶陶作家なら、基本的な知識は弁えていなければ素人扱いされても仕方が無い。多く好いものを持つ人は、箱の次第で中身を見る。一々に箱の中身を確認しなければならないようなものは、使い難い。保管機能だけではなく分類整理上の役目も持っているので、およそ箱を見れば中身が分かる。

詳しい事を書くとキリが無いが、普通の量産的な桐箱屋に聞いても適当な聞きかじりの知識が返って来るだけであるし経済優先である。だから小生の場合、特注で作って貰っているし最低限の仕事以外は自分で行う。とても手間が掛かっている。桐箱屋の云われるままに従って、「誤まった箱」を揃える陶芸家は跡を絶たないから、箱を見るだけで、茶道と関わって仕事をしている茶陶か、コレクター向けなどで茶陶を作っているかを見分ける事も出来る。箱書の位置によって中身が違う事、真田紐の事、柾目の事などなど。桐箱の専門家だって誤まっている事があるくらい、なかなか複雑である。例えば上の写真。見ただけで、中に入る茶碗が当該作家の中でどのクラスに位置されている茶碗であるか、「分かる人には一目瞭然」という仕組みがある。茶陶同業であれば売価まで分かるかもしれない。一般に専門家が行うものから、更に厳密な事まで行けば「中身の焼物の茶格」によっても変化をさせるべきである。が、そこまで行くと桐箱屋が全く対応出来ないという事になるし、コダワリが強すぎて理解する人が殆ど居ない事になるだろうか。

偉そうに書いているが、小生だって教えて頂く前は素人である。初期の頃の桐箱もいくつか残っている。陶芸の師匠・茶道の師匠、あと裏千家出入方の当代職人さんに口伝頂いた知識、そこに実践があってこそ、今現在のものがある。「桐箱が出来る」というのは、茶陶の大前提であるからして、勝手気儘に行うのは自由だが、「誰の為の箱であるか」という事を考えれば、勝手な事をやるのが「お門違い」である事は自明の理という事になる。自己主張は自由だが、それはそれとして、弁えてやる場合と、無知でやる場合がある。圧倒的に後者が多い。特に、箱を業者任せにして箱書だけをやる作家は、殆どが知らぬままに適当な事をやってしまっている。これも1つ、伝統の廃れたる姿の1つであろう。そういった無知の代表例が、「チョークの粉を撒いてから箱書する」という噴飯の方法。これが結構流布しているというのは嘆かわしい限りである。江戸時代にチョークなんかあっただろうか。まともに考えてほしい。そんな事をやる必要はどこにも無い。実用面としても桐箱の通気性を低下させる行為に他ならない。

様々、とても貴重な知識である。しかし教えてほしい、という方には惜しみなく伝授させて頂いている。もちろん、マニュアル式に「上辺だけ整えたい人」は御断りであるので、口伝でしか伝えるつもりは無い。けれど、茶陶を志している方には、知っていなければ無用の遠回りをする事になる。茶人の方も、名品道具と共に覚えるものであるからして御存知で無い方が多く居られるけれど、是非勉強して頂くと、桐箱1つでも楽しむことが出来る。指物師という工芸品と見る事も出来るし、純粋に柾目を楽しむ事も出来る。茶会で「箱書の展示」が行われる場合が多々あるが、そういった場では箱書のみならず、桐箱も楽しむのが本来のものだ。特に本物の古陶磁に付属して伝来いた古い桐というのは、とても好い経年変化を起こしている。これも、実は現代では再現不可能な技術なのである。経年変化は、陶磁器のみならず、白木や漆に関しても素晴らしいもの。そういった意味では、木工職人の方にも是非勉強してほしい。 桐箱文化には、桐、紐、布、和紙、墨、印泥、裁縫などの周辺工芸が付随してくるのである。

まぁ、分からないからといって、何か損をするわけでは無いけれど。様々な文化を理解しているかどうか、というのは茶人教養としても大切な修行の1つ。理解とは、即ち思い遣りである。いくら誠心誠意頑張ったとしても、折角の心入れが汲み取れないというのでは礼儀の不足になる。

とはいえ、私も実地経験量がまだまだ不足。例えば茶入の桐箱などは作った事が無い。仕覆と象牙。桐箱1つとってみても、勉強する事は山積しているのである。水野師曰く、「茶人を圧倒できるだけの知識量を持たなければ一人前の茶道具作家とは云えないぞ!」というものにて、日々の勉強は欠かせないものです。特に作家は「専門家」であります。茶道の中で尊重して頂けると同時に、常に「聞かれる側」に立っている事を自覚せねばなりません。相応の勉強をせずに茶陶作家を名乗っている方々というのは、無闇に「茶陶作家の専門家たる信頼」を損ねている事になります。そういった「伝統の食い潰し」というのが、最も恩知らずな行為である事は、云うまでもありません。信頼あってこそ、茶陶作家は厳しいものとして格調高く扱われるのです。伝統を受け継ぐ覚悟があればこそ、日々勉強し、修行し、それを伝えて行くのです。


とまぁ、理想を書いてみました。現実はなかなか思い通りには行かぬものですけれど、桐箱文化というのも楽しいものなのです。今は国産桐の桐箱など「廃絶寸前の工芸」だったりします。国産桐のタンス作っているトコはあるけど、茶道具の桐箱知識は無かったりします。先に書いた様に、昔の良質な桐箱技術も現代では再現不可能になっています。需要の激減というのは、やはり悲しい結末を呼ぶのです。茶道具が廃れると、桐箱や真田紐、和紙・和布などの周辺工芸も打撃を受ける事になるのです。なので、楽しめる人が少しでも増えると好いなぁ、と、思っております。

試作結果

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そうそう。ガス窯による試作結果。なんでぃ、ただの条痕釉じゃねぇか!・・・とまぁ、一度で巧く行くものでは無いのです。条痕を残しながらの調整を掛けて行きます。昔の、手探り状態の釉薬調合。きっとこんな感じだったのではないでしょうか。もちろん昔というのは桃山時代の事です。織部の条痕って辺りには、そういうものを感じるのですよ。

土に鉄分が多い事によって、銅の呈色が完全に喰われている感じです。よって、目的としていた緑色方向に動かすよりは、これによって得られる色彩を追ってみた方が勉強になるかもしれませんね。

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最近は蛇も起きている様で。1メートルくらい。草刈り時にはクレグレも御注意下され。

御茶の御稽古。

今日は茶道の稽古。朝の訓話は「有難いとは何か」という話でありました。

文字通り、「有る事が難いもの」であると云う事。何事も当然と思ってしまう事もあれば、有難いと思える事もある。例えば一服の茶を頂くとしても、それが「有難いと感じる人」と、「有難いと感じられない人」が居るという話。茶道は、突き詰めれば「有難い事」を感得する事なのかもしれないなぁ、と、深く感慨を覚えました。「一期一会の感得」、即ち「有難う」(有り得難い事に感謝)の一言。「万物への畏敬と感謝」というものが、古来の日本的哲学。それを表面上の事ではなく、内面として感じられる様になってこそ、茶道の功徳があるという事でしょうか。

言い換えれば。「今日と云う日に有難う」=「今日是好日」という事に相成ります。「無事是貴人」などと同義という事になりますでしょうか。上っ面でマニュアル式に「有難う」と云ってみた所で、やはり感得が無ければ礼儀の範囲でしかないのだなぁ、と思いました。言葉だけ口に出しても仕方が無いもの。去年でしたかに出版された「いい人ぶらずに生きてみよう」で大宗匠が指摘された様に、マニュアル礼儀で留まっていては本当のいい人、茶道で言えば「本当の茶人」にはなれないのだなぁ、という事を想いつつ。

まぁ、そういった事では、何と言っても美味しい一服。やはり美味しく無ければ感謝の念も湧き難いものでしょうか。「茶は美味しく無ければ」という根本というのは、「感謝の念が湧かない様な茶では駄目」という事でしょうね。

また、利休的な「侘び茶」を「貧乏趣味」などと斬り捨てた論考が昔にあった様ですが。例えば信楽の種壺が如き雑器。そういった「雑器にさえ感謝する程に修めた心」があって初めて、「謙虚に雑器に対峙する」事が出来、その先に「雑器の持つ美」に気付いていく。つまり、「侘び茶に目覚める」という事が出来るのだと思います。昔の”若い者が「ヒゼン・シカラキ」を用いて「侘びぶっている」”という批判文なども、こういった点を指摘したかったのではなかったでしょうか。

そういった視点では、楽茶碗なども同種の性質を帯びた茶碗として登場したのだと思います。カワラ師の手作りの、脆い茶碗。ブランド骨董であった「天目」に対して「イマヤキが如き茶碗で一服などと笑止!」などと云う心構えの道具茶人を、厳しく峻別するための茶碗であったかもしれません。「天目唐物で無ければ茶道具に在らず」という「固定された不自由な価値観」。そういったものへの否定には禅的な思想を感じます。古今に捉われず、唐物和物に捉われない。しかし「自ら侘び=感謝に捉われていく茶」が「侘び茶」(利休茶道)ではないでしょうか。


格好良く万人受けに仕立て上げられたもの。京焼や有田、また現代式の陶磁器など、華麗かつ薄挽きな器は万人に理解され易い器ですが、そういった茶碗が「式正な濃茶茶事では使われない」というのは、そういった世界観から来るのではないかと愚考します。積極的に愚直に、努めて自然に還っていく器。「侘び=侘びる事、謝する事」と辞典は申しますが、世界=自然に感謝し、捧げられる様な器が「禅の道場」(茶室)には相応しい。積極的に侘びる事。

もちろん、その大前提。「自己顕示による単なる奇抜趣向」=「侘びの酒肴」ではなく、「亭主の禅心」あってこそ。茶陶で言う所の、「作為」と「無作為」。「侘びを装ったモノ」は、禅的には最低。始末に負えない。魯氏を始めとして茶陶の大家が口を揃えてきた「精神修養論」というのは、詰まる所はこの本質論に在る。小手先で作ったら絶対に駄目、という事。器を作る根幹となる素材は人間。その由来を積極的に、本格的に「侘び」に染め無ければならぬ。


道具ではなく、人が根本という事。器作りもまた然り。

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「和(わ)」とは、お互いに心を開いて仲良くするということ。「敬(けい)」とは、尊敬の敬で、お互いに敬いあうこと。「清(せい)」とは、清らかという意味で、目に見えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかであるということ。「寂(じゃく)」とは、どんなときにも動じない心。
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裏千家Webサイトより和敬清寂の意味。居丈高にならず、常に感謝し、平身低頭です。こういった事を「猪突猛進して実践する」というものが侘びなのかな、と愚考しております。
 

「陶を以て政(時代)を見る」。器に現れる人の心とは・・・ 。


以上、感謝という議題より、色々と雑感まで。

23年度近江神宮献茶式

今日は献茶式。個人的には晴れ舞台で御座いますが、その辺りは裡へ秘めておいて参席させて頂きました。去年は水屋方を勤めておりまして、とても懐かしい思いが致します。

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綺麗に清められた参道。天気も好く誠に有難い日。

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由緒の深い神社。創建は昭和・二次大戦の頃。所謂「皇国時代」とでも申しましょうか。そういった信仰の熱狂から創建されたもので、仏教と縁の深い比叡山の山麓に、天智天皇を祀るための官幣大社でありました。それだけに、規模も大きく、非常に堅実な風合いを感じる事が出来ます。

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そういった中で。大戦を経て茶道の隆盛に尽して来られた大宗匠の献茶。歴史というものは、人の行動の積み重ねとも申します。例えば今回、私が花入の役目を頂戴するという事1つをとって見ても、滋賀県への献茶祭招聘という事があり、その背景には近江の茶道隆盛というものが背景に存ってこそ。多くの先輩方が築いてこられた成果を以て、期待を籠めて鍛えて頂いている事を想います。多くの先人や、師匠や、先輩方がありてこそ。

1つ、伝統は受け継ぐもの。受けた恩を返して行く事でありましょうか。現世的な金銭では無く、営々と続いてきたもの。

始めて拝見させて頂いた大宗匠の点前。去年年末茶事で瞠目した宗道先生の点前、その源流を拝見したかに感じる、風の流れるが如き点前を、有難く目に焼き付けて。とても近い席を頂いて参列させて頂きました。天智天皇におかれましても近江茶道を温かく見守って頂ける事と思います。


簡単に協賛席の茶会記まで。本席は塚越先生(滋賀支部幹事長)の御席にて、「竹明風弄影」。道具は主に大宗匠の好みモノで揃えられておりました。茶杓は「浦の景」。茶碗は赤楽にて銘「清流」。朝鮮風炉でピシっと締められた点前座。殆ど拝見の時間が貰えなかったのが残念なトコでありました。

副席は滋賀支部席。幹部の方々が担当されているので、多く御存知の方ばかりです。立礼席。「神光天地照」と祭神が中心に据えられ、近江を代表する焼締が捧げられております。伊賀掛花入として小生作。大宗匠より色々と御下問を頂戴したという事にて有難い事でありました。点茶の道具は塗り台の上にて、流水紋の青水指に五郎左衛門の筒釜。茶碗は先代大樋。次碗がイラボ「葆光」という辺りで雨中の神光。もちろんホタルの時候でもあります。棗は「三景棗」として日本三景より東北の神にも祈りを捧げるという辺りでしょうか。蓋置も三鳥居にて神への祈りが底通しており、敬虔なる直会(ナオライ。神に捧げた後、同じものを相伴する風習。)の茶会となっております。

茶杓の銘は「清新」。清々しい新緑の生命力に、自然に宿る神々を見る思いが致します。


・・・お分かりの通り、副席は宗道先生流の見事な取り合わせ。本当に学ぶ所が多いです。



誠に有難うございました。「清新」を心に、益々の精進を御約束申し上げます。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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