今日も水屋で修行の日。

最近は着物の日が多いと思ってみたら、週の内3日が着物。茶道稽古も一日中が着物。先日の藤棚茶会の時ですが、着物のままで作家市会場に戻って見たら、見事なまでに「浮いた人」になっておりました。

まぁ、それはいいとして。

今日は楽志庵の定例茶会にて水屋方を勤めておりました。濃茶席に入る時間が無かったので、詳細な会記は難しい。高麗青磁の花入に見事な牡丹が生けられておりました。「初風炉の茶会」という事で長板の飾り。釜は真形、水指は八角染付で、清代の景徳鎮産という風を感じましたか。格調高く道具が揃い踏みする中、涼やかなる風が降りている感じの取り合わせ。掛けモノも同じくで、歌モノ。この流れで使うとなれば、茶碗・茶入はおよそ流れる音楽の如くに定まって来る感じが致します。(詳しくモノは見られなかった・・・。)

最近は水屋修行という事で色々と御指導を頂いてます。水屋も色々と職掌があります。「お運びさん」とか「お点前さん」という辺りは前線の軍隊なので目にする事も多いわけですが、そこに美味しい御茶を適宜提出する事は「後方指揮官」の能力。宗道先生の茶会ですから、遥々海を越えての茶人来客もあるわけでして、もちろん茶会巧者の方々も。そういった方々に喜んで頂くための工夫も様々に応用が必要という事で勉強は多くあります。

今日は茶碗を洗っておりました。茶会は、もちろん普段の台所と違うわけです。数百万円、時に数千万円相当の茶碗を洗う仕事。器の扱いに信頼が置ける人物以外には任せることが出来ないものです。担当は薄茶席でありましたが、主茶碗は大樋。大樋の飴釉は見事なもので、上作は黒楽に匹敵する美を持つものですが、釉が比較的薄い上に貫入があります。よって、茶会後半ともなって水を充分に含有した状態では、あらゆる焼物の中で「最も脆いもの」へと変貌しています。焼の強さにもよりますが、およそ元々が脆過ぎる楽茶碗の中でも、最も脆い種類になるでしょう。

bannjyoutakasi.jpg 薄茶席
(水屋方の先生方が薄茶席を担当しております。)

およそ仕事上の才覚ですが、陶芸家というのは、器にさわった瞬間に、その堅さ・脆さを感覚的に感じ取ることが出来るものです。日頃から、粘土の状態、乾燥土の状態、釉掛け直後の状態、釉薬乾燥後の状態、素焼きの状態、本焼き後の状態、などなど。器の硬度に対する感覚は高台削りの能力に関係するので、茶陶作家は非常に敏感です。僅かな器表面の弾力で察知します。同様に、「如何なる持ち方をすれば器に負荷が掛からないか」という「微妙な力加減」にも長けているものです。

そういった意味で。大樋の含水状態は・・・「乾燥土よりも脆い」というものです。
もちろん、弁償したって「名品」は基本的に「一品モノ」ですから、帰ってこない。
大樋ですから、当然に半筒です。耐久力に於いて一番危険な形です。

いや・・・何とも、本当に危険なのですよ。ちょっと胃にきます。
自分の作品で、「ビスケット割れ」を経験した事を毎回に思い出します。

この事を逆に云えば、好い道具を持って茶会を行うには、その扱いに長じた水屋方が必要な算段になるわけで、これにはやはり、「プロの技」という性質の感覚・経験が要求される事になります。水屋能力を鍛えて、高位の茶会水屋方となって・・・というのが「茶人修行の王道」であると聞き及んでおりますか。普通の方が思っておられる「点前修行」の方は・・・どちらかと云えばですが、「教授者修行」の方向でしょうか。茶人への道は険しいもので。

「茶碗洗いを大切に」という辺りには、道元禅師の逸話を思います。
・道元禅師「食事の用意などは新入りの若い者にでもさせればいいではないですか。あなたのような徳のありそうな老いた僧侶が、坐禅や仏法の議論よりも、そんな食事の準備などを優先させて。何かいいことがあるのですか。」⇒老僧は大笑いし、 「日本の若い人よ、あなたは修行とは何であるかが、全くわかっていない」と言い残して帰ってしまった。

一応、解説?しておくと、道元が仏道修行のために宋に渡り、「下働きの日常仕事に仏心が宿らなければ、いくら経を唱え、高僧と呼ばれても無意味」と云う、「中国禅の厳格なる思想」に衝撃を受けた時の逸話。下働きをしている時こそ、自分の徳性と対峙する事が出来るという禅の仏法思想。茶道の修行もまたこの思想に沿っているわけで、「日常坐臥に茶道を取り入れる」という事は「日常坐臥に禅の心を取り入れる」という事と同義という意味になり、「茶禅一味」という事になるわけです。別に寝ても覚めても、いつでもどこでも御茶を飲む、という様な意味ではなく。「丁寧に心を籠めて一服の茶を点て、深き感謝の念と共に頂く茶人の姿勢」に、「禅僧の姿が在る」という意味ではないでしょうか。

まぁ云えば、「上っ面」と「本質」の厳格なる区別。結局はここに集約されるわけです。
毎日真摯に、心を籠めて料理をしていれば、上達しないわけがない?
およそ陶芸も同じことです。惰性では上達しませんね。


まぁこれを「精神論」と馬鹿にするのは自由ですが・・・


それとは別に、一向に上達しない小生の料理の腕は秘密にしておきまして・・・。


おっと。今日は珍しく、最後まで茶道の話でありました。
論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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