平成英雄論

たまには政治記事。また似つかわしくない事であるが、勝手な議論を開陳してみたい。常に英雄は待望されてはいるが、英雄と云う者はなかなか現れない。それは何故なのだろうか。(「ヒデオって誰?」という突っ込みは御遠慮下さい。)



地震災害以降、様々な報道などを見るにせよ、現代に於いても「英雄待望論」が再燃しているかに見受けられる。歴史を知る物は、丁度、百年前の日本に同じ現象が巻き起こっていた事を思うだろう。現代の論者は歴史を知らぬのであろうか、メディアにしても何にしても、そも英雄というものを考察するにしても勝手気儘な議論を並べている感がするものである。

百年前の英雄論。その論者として有名なのは徳富蘇峰。最近の話に引き寄せるとすれば、『蒼穹の昴』に於ける梁文秀のモデル、梁啓超その人。中国を追われて日本へ亡命して後、彼は日本における英雄論の白熱した議論に触発され、故国中国での革命を強く願うのである。時は大正時代。その白熱した議論は新聞紙上においても行われ、人々に、特に若き人々に「我こそ次代の英雄たらん」とする気概を与えたのである。二次大戦時の将兵の強靭さ、又、陶芸家で言えば魯山人を始めとした桃山再興の巨匠の若き青年時代。誰もが「心身の修養」を実践して「英雄たらん」とした時代。その思想に大なる影響を与えたであろう事は想像に難くないのである。

「英雄論」。これは「英雄待望論」と共に起ったもの。英雄とは何か。そして、如何なる時に英雄は現れるのか。大正時代、この議題に関して様々な推論が発表され、思考に思考が重ねられた。簡単に云えば、「研究」したのである。その研究の成果を教養として活かす事が、「歴史教養」というものである。

当時の英雄論。当時の学者・元武士というものは四書五経を諳んじて覚えており、朱子学について研鑽を深めている。古臭いというなかれ。これは別の言葉で言えば帝王学であって、現代の言葉で云えば「統治システム論」なのである。経営者として最も大切にされている学問である事は言うまでもない。また、日本の英雄として第一に挙げられるのは織田信長であるが、その文書にも明確に「儒学を以て国を治める」という事が書かれている。余談で云えば彼に儒学を与え、指導をしたのが禅僧・茶坊主である。戦国時代の英雄・織田信長は朱子学という英雄論に従って天下を治めんとし、英雄と呼ばれるに至ったのである。日本における数少ない英雄の例が「儒学と共に在った」という事こそ、本来ならば教科書に載せるべき事実であろう。他、近代史の英雄としては吉田松陰が取り上げられるが、彼の善導者は孟子であっただろうか。

大正期の英雄論では、釈迦や聖徳太子に始まり西郷隆盛まで採り上げ、西洋におけるナポレオンやビスマルク、李鴻章やレーニン、クロムウェルなど様々な事例も採り上げられ、「西欧における英雄論」についても、これを翻訳し、議論の対象としている。正に国を挙げての研究が行われたのである。明治の元勲死去が相次ぐ中で、政府を担った第二波の人物。人材の枯渇感が強い中に巻き起こった近代戦争時代。日清戦争、日露戦争こそ、彼等の活躍で切り抜けたが、彼等の亡き中で巻き起こる第一次世界大戦の号砲。大正時代の英雄論、いや「英雄待望論」はそういった濃厚なる不安の中で生まれたのである。過去・現代の英雄は如何にして生まれてきたのか。陶界の英雄もまた然り、日本の英雄もまた然り。その法則ありや、無しや。


長くなるので本題に進みたい。断っておくが、小生は近代史の専門家ではない。

~英雄論の第一歩:英雄に倣う事により、英雄は誕生する。~

英雄の事例に細かく学び、英雄の事例に倣う事である。過去の英雄の言説を学び、その理想を正確に掴み取る事で、現代にも姿を同じくした人物が出来あがってくるのではないか。まず第一段階としての浅い思想時代。前提知識の共有は議論の基礎。坂本竜馬的人物の待望論など、およそ過去の人物はどうだった、こうだった、などと引き合いに出して現代の人物を斬り倒すのである。痛快であるが故に、大衆も白熱してこの議論に参加する事になるが、やがて専門的な見解へと進む。以下はその成果。

~英雄論①:英雄は大衆が創り出す。~

見解の①。「大衆が英雄を産み出す」論。英雄の出現は、大衆の要求と共に在る。人々の支持と共に登場した英雄は、人々の支持を失うと同時に英雄の座を追われるのがその証拠である。即ち、英雄とは「傑出したる才能」で以て登場するものではないという議論である。信長、ナポレオンなどが容易に想像出来るだろう。大正時代の英雄像は、吉川英治など昭和期の歴史小説にも影響を与えている。英雄の末路が大衆に理解されず、孤独で悲惨であるのはなぜか。

およそ、孔子や老子などの思想界の英雄にしても、その晩年は孤独であり、大衆の支持は無いのである。孔子に云う。「水至って清ければ則ち魚無し。人至って察なれば則ち徒無し。」思想的英雄。別の言葉で言えば、正義というものは必ずしも大衆の支持を得るわけではない。「清き水を求める時代」で無ければ、およそ「住み難い場所」として敬遠されるのである。君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。大衆は正義を賛美するが、不必要と見れば行動を共にせず、これを黙殺するのである。孔子の説いた真理は現代にも通用する。孔子の前に孔子無きが故に、独立して思想を打ち立てた孔子は聖人と呼ばれるのである。「英雄は公衆の奴隷」という言葉で、この性質は指摘される。分かり易く云えば、「出る杭が打たれる時代には英雄は潰されるが、出る杭が求められる時代には英雄が浮上する」という事を真理としているのである。

逆に云えば、本当に英雄を待望する時代となった時、人々が英雄に道を与えるのである。逆説的に云えば、英雄が壇上に登れない環境を作っておいて「英雄待望」を述べるという矛盾を指摘・批難している。英雄待望論の中、いち早く決起した吉田松陰は、「時代の先頭に立ったが故に斬首された」という史観だ。人々が英雄に道を与えなければ、英雄は登場出来ないのであるという考察。徳富蘇峰は言う。「農夫、職工、労役者、商人、兵卒、小学教師、老翁、寡婦、孤児等、数限りなき無名英雄が、一個の偉大なる人物を運動せしめるのである。」、と。我々は実際的に行動すべきである。英雄を選び抜いて、そこに厳しい道徳を課して運動させるべきであって、批判の徒として無駄なる時間を過ごしていても、英雄は誕生しないのである。その前段階として、若き者に「次代の英雄」たるべくして教育する事が必要となるのである。天(世界)を回す(動かす)者。「回天」。中華王朝を打ち倒してきた新皇帝は「天命」を受ける。過去の「天命」を「革める」事を「革命」と云う。民主主義の根底思想とも云う事が出来る。


~英雄論②:英雄が大衆をも動かすのである。~

最も分かり易い理論だ。一個の英雄が周囲を動かし、国を動かし、世界を動かすのである。超絶なる力を持つ「救世主」たる人物が世に降誕して、その超人的な能力で以て世界を、大衆を導いて行くのである。英雄とは、特別な人物に他ならない。

これは同時に人間の区別でもある。大衆は英雄を求めるとしても、その求め方が分からない事を指摘する。国の代表者に相応しい者の資質が何か判るだろうか。軍学、政治、道徳に暗い素人が集まった所で、いかほどの事が出来ようか。烏合の衆に英雄を産み出す力は無い。孔子を見よ、キリストを見よ、吉田松陰を見よ、西郷隆盛を見よ。彼等は英雄の資質を備えたる偉大な人物でありながら、大衆はこれを黙殺し、無惨な死を与えたのである。正義の行われざるを見ても、見ぬ振りをする。ただ浮かれ、無闇な空論に踊るのみ。大衆は愚者である。「水至って清ければ則ち魚無し。人至って察なれば則ち徒無し。」清い水に住む事の出来る魚は少ない。人々は正義の視線に晒されるのを嫌う性質を持つのである。この当時。白人により「人間として劣っている」とされた「東洋人の意地」が、この思想の背景にある。我々にも英雄が居るのだ。

どちらも同じ事を別視点で述べているだけで、本質は近い。
まぁ・・・挙げるとキリが無いのである。最終的には着地点として

①英雄形の英雄:大衆の支持と共に現れる英雄。・・・民藝作家かな。
②聖人形の英雄:後世にまで影響を遺す事跡的英雄。・・・桃山陶工。
③天才形の英雄:自己の力量で全てを動かす英雄。・・・唐九郎ですな。
④機能形の英雄:政治システムにより選出される英雄。・・・学歴主義作家。

分類法。こんな議論に決着点は無い。考察を深める事に意義がある。ただ、最終的には国家の意志によって議論は収束されていった。普通選挙法という「システム」により機能形の英雄選出を「西洋的合理主義」として賛美・採択すると共に、「国民は選出した英雄に従って身を粉にして尽くしていく事」と教育される。その方向が戦争に向かった事は悲しむべき事であるが、これによって発揮された日本の力量が、西洋を震撼させたものであるのも事実である。現代の日本繁栄おける基礎とされているものだし、世界が依然として日本を特別視する事も、これに拠る所が大である。強大な力の使い方。恩恵と教訓は忘れるべからず。

教訓からしても、「英雄論」は政治とも結びつくことになる。①を採れば民主主義を背景とする事となり、②を採れば英雄による集権国家を背景とする事になる。「英雄待望論」は、「中央集権」とセットで無ければならない。こんな簡単な事さえ見落とされている様な気がしてならないのだが、さてどうであろうか。若者の特徴とされる「無意味な万能感」とは何か。百年前には、この様な議論が新聞紙上で行われ、市井で青年までもが議論したのである。対して、現代のマスコミ論壇の低さは何だろうか。「万能感」を感じて得々としている人々は若者なのか。

少し放言を。今の時代に現れる事が出来る英雄とは。最も優れた英雄である②、それに次ぐ③辺りは潰されそうです。①の可能性はありそうですね。ここ数十年の流行は④ですか。マニュアル式に外面(ソトヅラ)で英雄候補を選んでは斬り捨てる、英雄候補の使い捨て時代。いかにも現代らしく、育てる気なんか全く無し。短期視点の斬り捨て・使い捨ての時代。一過性の気まぐれ気質。

日本を変えたいなら、まず大衆が襟を正す。英雄は「大衆の中」から生まれてくる。①~④、どの英雄論も共通して持っている前提論です。青年が英雄たらんとして日本の事を真剣に考える様に教育する。日本に誇りを持つ。誇りのある日本を堅持する。そこから生まれる、日本の強靭な力。文化文物、科学も然り。

「英雄の土壌は大衆教育である」という、百年前の「常識的感覚」。これさえ持ち合わせない現代。本当に枯渇しているのは、経済なのか。よくある「西洋では云々」などの理論も、所詮は上塗りを綺麗にするだけの事。その「云々」を自己の中から叩き出せる国家体制が、国民環境が重要であろう。科学技術だって陶芸だって何でも、「自己の力量」こそが全ての本質ではありませんか。魚を貰ってくるよりは、魚を釣る方法を知らなければならない。スーパーに買い物へ行って済ませる根性で、最高の魚が手に入るわけがない。西洋的な合理主義の弊害。誰だって知ってる話が実行出来ない時代。

さて、以下私見。

テレビを見ていると枝葉の理論ばかりにて、こういった話が一切出て来ないってのは・・・何でかなぁ、と思います。まだまだ、英雄を本当には欲していないという事でしょう。首相の椅子をコロコロと転がして、「この急場を凌ぐ程度の人物くらい居るだろ?」くらいの、軽い指向、一過性の根性が、まだまだ日本には根強いんだなぁ、などと、一人で勝手気儘な事を感じてみたりしておりました。

そうは云いつつ。私も軽い危機感しか持ってないです。裏切られる事もありますが、それでも人を信頼してます。無知なる幸せを噛み締めているだけではないと、常々、そう思っています。そんな信頼・期待こそが、英雄を育てていくのでは無いでしょうか。先だっての原発の停止だって、あれは国民の期待が背中を押しました。続いての自然エネルギーへの転換も、全ては大衆が思うものの受信。善良なる受信装置。「英雄は大衆の奴隷である」という①英雄型の英雄発生と見ていました。

一方の・・・批判ばかりの使い捨て思想・自己万能感に溢れたマスコミに、どうにもウンザリする日々であります。この受信装置はポンコツで、悪い思想が選別出来ない。電波放送局とはよく言ったモノであります。英雄が自らを奴隷として大衆に仕えるならば、大衆はこれを英雄として遇する事が礼儀であり道です。自己万能感に酔った勘違い馬鹿が英雄を奴隷扱いし、使い捨てるなどという腐った根性。我先に奴隷を意のままに動かそうとする者。正に「衆愚が英雄を叩き潰すの図」ではないだろうか。

まずは人を信頼する所から。和の精神。正しき循環の流れ。向上の精神。英雄は我々の内から産まれ出るもの。日本の民主主義の創成期に唱えられた英雄論。「我々、一人一人が英雄となるべくして身を正し、日々向上する姿こそが無名の英雄であり、その姿の中から、「偉大なる英雄」が登場するのである。」という思想。

亡命した梁啓超を始めとする中国創成期の人物が共鳴した大正時代の英雄論。

私もこれに賛同するのである。


歴史を「鑑」とするという「歴史の教訓」とは何か。過去を踏まえてこその力。



以上、久しぶりの長文。歴史を借りての私見まで。

台風一過?

台風が過ぎて一時間くらいは晴れていたのですが・・・。相変わらずの曇天続き。

最近はチト、茶道の資金源に困ってきたので。販売の仕事を増やしたいとは思いつつ、手元に品物が無いのだから仕方がない。資金繰りが厳しいです。モノが無ければ個展の営業も出来ませんから。

最近はツィッターで遊んでいる?時間が少し多いです。なかなか、ブログなどは違って素の人間性が感じられるという側面があるので、虚飾が無いだけに楽しいものですね。(いかにも「始めたばかりの人」の感想です。)意外に感じた事では、茶道をやっている男性。少ない、少ないと聞きつつ、ツィッター上では意外に多い感を抱いております。

基本的にはやはり、何らかの主張がある人が多いのでしょうか。肩書なども関係無く、専門家の方が色々と知識なりを教えて下さるのは勉強になります。あぁもちろん、すっかり飽きてしまった方々も大勢居られるので様々ですよ。世代的に若いという事から、「正義」を主張する様な面もある様で、そういった面が震災支援なりの原動力にもなったりしたのでしょう。(と、今更感のある分析を書いてみました。)

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世間的には「青臭い」というか。そういった世評になっても仕方がない側面も。対義語としては「老練」という事になりましょうか。フェイスブックの方は外国の方が多いのでまた別。

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色々やってみるものだなぁ、と思いました。 

日吉大社献茶式

今日は台風。大雨警報が発令されてますが、日吉大社の献茶式でした。

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日吉大社と云いますと別名で山王権現・総本宮。山上の楼閣社寺となれば、昔で言えば比叡山。日吉大社の古名は日枝(ヒエ)大社。つまり、「比叡」大社です。今でこそ神道と仏教は隔離されておりますが、日吉大社は天台宗の守神として長い、長い歴史を持っている神社です。信長の宗教権力に対する弾圧によって焼失し、その後秀吉の寄進によって復興。全国に在る日吉大社の総本宮になり、鳥居も「山王鳥居」として有名なもの。「鳥居」(神)に「合掌」(仏)を併せた形には神仏習合の信仰を見る事が出来るのではないでしょうか。戦国時代では家康も山王権現に帰依していて、日光東照宮を建立していますね。滋賀県では多賀大社に次いで、由緒の深い神社ではないでしょうか。風情がとても良好で、門前町には遠州の庭園などもあり、常から茶席もあり。蕎麦もオススメ。三井寺や近江神宮など、素晴らしい所が多いのですよ。

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とってつけた様なマメ知識ばかりですが、日吉大社は叡山です。最澄が茶を持ち帰ったという言い伝えがあり、現在でも駅前にちょっとした茶畑が作られています。茶摘祭も今月にありました様で。また、秋には表千家の献茶式も行われております。今時分は生憎の雨、ではありますが。植物には恵みの雨。緑が生き生きとしております。

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ともあれ献茶式。御家元が神様を客に迎えての儀式です。2人の神様が祀られているので、二碗の献茶。今回は黒天目が用いられておりました。茶会の格式をつけるとすれば、基本的には御客様で決まります。神様と御家元をお迎えする献茶式の席は、茶会の中でも別格のものになります。

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直会席は二席ありまして、慈光院の御席はとても風情があって好いのです。木村先生の茶席にて、軸は「遠山無限碧層層」。何とも好い言葉です。比叡の遠景、琵琶湖の遠景、足元を流れる雨の流れ。全ては同じ水からなるもので、遠くまで霞の色に彩られた季節。取り合わせも非常に落ち着いた席でありました。茶杓は円能斎で「郭公」。誰?と思っていたら「鳥のカッコウ」でした。「託卵」の鳥です。深いですね。

もう一席は滋賀支部席。こちらも古い建物で、神社付属の日吉会館。

軸は「玉」の絵。文字だけだと判らないけれど、玉串のタマ?になるのかな。神的なものを表していると聞き及びます。水指が薩摩。白薩摩ではない古いもの。茶杓が日吉竹による銘「神輿」という辺りにて、献茶の祭り、つまり「祀り」の席でありました。直会の紅白菓子もありがたく頂戴致しまして、神様に御相伴させて頂く事と相成ります。やはりこれは、宗道先生の取り合わせであります。御茶も美味しかった。


簡単ではありますが、ちょっと会記まで。ありがとうございました。

結果は出る前が楽しい。

釉薬を調合したり、作品を造ったりしていると思うのですが、陶芸家って職業はつくづく楽天的な職業の様で、

「う~ん、良い色が出たらどうしようか。」
「予想外に巧く焼けるかも・・・?」

などという事を考えていたりするもので、目出度いものです。陶芸教室などで作ったりしていても同じかもしれませんね。失敗したらどうしようか・・・、などと考えている時は、納期に追い詰められていたり、なかなか辛い時期です。

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今日はアク抜きをしつつ、青織部を調合しておりました。まぁ牧場土を用いて焼成する方向なので、織部と名を冠するのはどうかと思いますが、「緑釉」というと三彩のイメージが強い。美濃の方に「緑釉」としてやっておられる有名な方がおられますから、細かい事を考えずに緑釉でいいかもしれません。

土は赤土の方を使うので
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これは予定している土にトルコ青を掛けた試験品。薪窯です。およそ基本的な銅釉である事は共通しています。材料が石灰か木灰か、という違い。薪窯での焼成も視野には入れつつ、まずはガス窯。ゼーゲル計算も無視しているので、融点がサッパリ分かりません。そもそも、天然灰を用いた時点でゼーゲルは放棄せざるを得ないのですが。(一応に断っておくと、訓練校を出てるのでゼーゲル計算は出来ます。)

で。調合比率を考えていて思ったのですが。

まぁ、1:3:6でも2:3:5でも、0:0:10でも好いのですが、昔の手法を取った場合、同じく「木灰が五」としても、他の硅石とか長石って、この当時で大量に採れていたのでしょうか。ってか、硅石と長石の区別って、この頃出来てたと思います?。木灰も、毎回に材料を吟味して作ったわけではないでしょう。高火度で焼き切られた窯の灰が基本として。しかし純度を高くしようと「特別仕様」にしたとすれば、カマドや囲炉裏の灰なども使ったかもしれません。灰は畑の肥料としても重要で、なかなか重宝された材料。今日の様に「燃えカス・ゴミ同然」というような感覚の人は居なかった筈です。しかし、原料は一定ではない。炭という視点で考えれば雑木が多くなったりするでしょう。もちろん樹種によって結果が異なる。松明的な松が用いられたとしても、結果は違う。細かい事を云えば赤松と黒松で違うなど、また、アク抜きの程度にも左右される。そういった意味で、煤の少ない薪材を用いるカマドや囲炉裏は、薪窯の灰と較べて比較的安定した灰であったかもしれません。

それでも。同じ調合をして、毎回異なる結果である方が普通でしょう。それは織部のみならず、黄瀬戸や志野なども同じで、もっと云えば唐津や萩なども同じ事になりしょう。単純な事ですが、名品がほんの一握りの数でしかない理由は、そういった辺りにもあるのかもしれませんね。現代式に考えているとツイ、「薪窯の偶発性」だけを考えてしまって、「材料の偶発性」を忘れてしまう事がある様な。天然灰ってのは、これも又、「二度と無い調合比」であるかもしれませんね。


まぁ・・・結果はあまり期待してないのですよ。楽しみではありますが。

気力不足

今一つ、気分が優れない感あり。雨続きにて、合間に草刈り。気分を変えようと緑釉を検討してみたり。およそ調合比率は決まったので、試験焼成用に茶碗を挽く事になる。本来なら来週に窯を焚く予定であったが、延期して正解であったかと。

昨日は葬儀参列。稽古仲間と云っても、私は新参です。皆さんから可愛がっていただいて、初歩の処から色々と教わりつつ、今日があるわけです。何事もバッサリと云われる方で、「名品と云われていようが、分からないものは分からない」とハッキリ言われる方でした。葬儀も、交通至便な場所を選び、香典辞退の質素な式。亡くなられた方の教示を感じるものでありました。


ともあれ。雨続きという事もあり、少し気分が滅入ってます。この処、とても葬式が多いのです。世の中が平和であったとしても、多くの人が亡くなっていくのだなぁ、と、つくづく思ってしまいます。

岡倉天心の思想1 「茶の本」

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岡倉天心・『THE BOOK OF TEA -茶の本-』より、茶道思想について。

・著者読解
いつものように著者の背景を探ることによって、書籍の思想的傾向・時代背景を考えておく。

幕末の動乱期1862年、横浜に次男として生まれる。家の系譜は福井藩士だが、父は既に横浜で貿易商に転身しており、その片腕となるべく英才教育を施される。東京開成学校(東大)に入学し、英語・政治学・哲学などを学ぶ。この時代は教師不足の時代であり、即時に教官となってアーネスト・フェノロサの助手を務める事となる。

・フェノロサ
重要人物なので概要を解説。明治維新期に外国人講師として招聘。元々は美術教師ではないものの、日本美術に開眼。”日本では全国民が美的感覚を持ち、庭園の庵や置き物、日常用品、枝に止まる小鳥にも美を見出し、最下層の労働者さえ山水を愛で花を摘む”としてこれを称賛するが、同時にそれは、明治維新によって見捨てられ、西洋崇拝の中で破壊の限りが行われていたものである。特に天皇制護持の為に、仏教権威の徹底的な破壊が行われていた。その日本文物に対し、これを認め、保護する事を提唱。寺院や工芸文物に対して文化財保護行政が必要である事を訴え、その責任者となると共に、仏教に帰依。やがて東京美術学校を設立し、帰国。天心を招聘し、また収集した一級日本文物がボストン美術館へと持ち帰られる事となるが、文物の私的売買などで失脚。最終的には日本に葬られている。

天心がフェノロサの助手を勤め、古寺を巡ったのは19歳の時。やがて国費で欧米視察を行うなど、政府から美術教育の第一人者として育てられ、東京美術学校を開校。27歳にして校長を勤め、日本美術の最大権威者となる。およそ当時の政治的な指向によるものだ。この1889年は柳宗悦が生誕した年でもあり、名実ともに美術制度の先駆者。パリの万国博覧会が行われているが、日本は出展していない。⇒1900年パリ万博で御物などの古物を出展。1925年日本の工芸品出展。西洋の評価を狙って工芸界が幾何学指向に走る事となる。

脱線ついでに、当時の陶磁器関係の年齢を整理しておこう。
1900年当時:岡倉天心(38歳)、柳宗悦(11歳東京華族)、富本憲吉(14歳奈良建築志望)、北大路魯山人(17歳京都丁稚奉公)、板谷波山(28歳石川教師)、加藤唐九郎(3歳瀬戸に生誕)

岡倉天心は文科省と対立して美術学校から排斥。横山大観らを率いて日本美術院(院展)を結成。不倫騒動の大騒動があり日本での居場所お失っていく。1900年を境に日本を離れるようになり、インドなどを歴遊。最終的にフェノロサからボストン美術館の東洋美術を任される事となり、渡米。フェノロサ失脚後、日本文化の紹介者として一躍、欧米で脚光を浴びる事となる。出版を重ねた末、アメリカにおいて茶道を紹介する『茶の本』(1906年)を出版。これがアメリカ・欧州でベストセラーとなった。やがて1913年(大正2年)、日本帰国中に没。

余談。天心の功績?として、日本美術の弟子というようなラングドン・ウォーナーの話。彼は後の二次大戦時、軍司令部顧問となり、「京都の文物を守るために空襲を避ける様に提言した」という美談が知られている。しかし事実はそうではなかった。後に実際には略奪リストでしかなく、原爆投下候補地であった事が明らかとされた。この美談はGHQによる意図的な誤説流布という説もある。(吉田守男『京都に原爆を投下せよ』)

話を戻して。岡倉天心の茶道に関する心得に関しては、天心の弟君によって序文で明らかにされている。子供の頃に茶人を招聘して月に数度の稽古を受けていた事、及び「茶経」(陸羽)を愛読していた事。注意点としては、月に数回の稽古と云っても、幕末時代に鍛えられた茶人である。茶道中興とも云われる時代の、男性茶道が行われていた時代のものであって、現代とは全くその内容が異なるもの。まずもって茶会文化が違う。「茶と云えば茶事しかない」という時代における茶道である。

まぁしかし、それにしても若いです。


次回以降、内容について触れて行きます。

表題変更。

「日々是好日」と「無常なる風」。表裏一体の言葉。

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さておき。

ブログの表題を変更しました。「陶芸の思想」は・・・前々から思っては居たのですが、少し抽象的で判り難いというか。内容とも少し乖離がありましたから、この際と思って変更。

「破袋」を考えていたので、そこから表題を取って見ました。「破袋」は・・・元々は良く知られた重文水指の名前ではなかったもの。矢部氏による所の「伊賀水指三絶」など、ルイザの水指でした。造形としてはルイザのものはかなり品格を出すのが難しいという様に感じています。

元々は・・・単純に「破れているからだろ?」などと思っておりましたが、「破水指」ではなく「破袋」という辺りが妙です。禅語?的に解釈をしてみると、「破袋」という言葉には奥深さを感じます。

守破離という言葉があります。およそ、若輩が語れる性質のものではありません。しかし、若輩なるを以て強引に行うとすれば・・・、

守・・・器に水を満たす
破・・・器が破れて水が漏れ
離・・・器が空になる

かなぁ、などと思ってみたりしています。「離」の段階は、欠けた茶碗。一見すれば、水が入る前の、最初の茶碗の状態に似たり。最初の状態よりも悪く見えるくらいなものだが、内には水が浸みこんでいる。「一」へと戻る修行の心。

「空」とは「無」と聞き及び。「破袋」も、これを暗示する言葉かと愚考。破れたる袋は「離」へと繋がる心。ここ数日で思っていたことですが。フェイスブックの方で書いた話、「枯山水に水は無い。しかし自分が思えば、そこには水が見える。時に雲が見える。宇宙が見える。現実に水は一切無いが、心の水は満々として在る。」という様な事を、枯山水の説明として英訳したりしてみましたが。

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空(カラ)になった器の世界。禅寺に石庭が在る意味。

「麻三巾」の話。万物に禅の心を見るという事、でしょうか。八百万の神。「破れた袋」に見る心。Twitterでは「全てを呑みこむ大器の意」と書きましたが、無尽蔵に全てを素直に受け入れるという意味にもなるかと思います。満たされた器(慢心した心)では水を受け入れる事が出来ないというもの。常に心を空(カラ)にする事。「初心」そのもの。


そういった辺りを考えつつ。「破袋の心意気」という表題に改めてみました。

今後とも宜しゅうにお願い申し上げます。

今日は

ツィッターなるものに触れてみましたが・・・。正直・・・よく判らん。昔ほどの順応性が無くなってきたって事でしょうか。

今日は通夜式。実感が無いのでなんとも。とりあえず、そろそろ準備して出掛けてきます。

天候の不順

雨が降ったり、晴天となったり。慌ただしい天候が続いています。

今日は・・・茶道稽古を御一緒頂いて来た方が亡くなられたという知らせを頂いて。風邪、という事でした。嫁さんも数日に渡って39℃の高熱が続いていましたか。ほぼ一週間寝込んで、昨日・今日になって少し回復したもの。過去には肝炎と判明して半年入院した事もありましたか。風邪と肝炎は症状が似ているのだそうで、血液検査をして初めて分かったもので大変な事でした。なかなか、風邪だと云っても油断はならないもの。私もおよそ病院を忌避する傾向がありますが、やはり医者の代替というものは無いもので。

今日は陶芸記事を書く気分にはなれず。


ではでは、皆さまも体調には気を付けて下さりませ。

雨の日

少し雨の日が続いております。嫁さんの体調が相変わらず好くないので、窯焚きを少し延期。ウチの窯は家族で焚きあげているわけですが、嫁さんは前半期の重要な焚き手。全ての窯焚きに参加してます。もちろん無理して焚けない事はないのですが、人が在って窯が在る。その順序を外したくは無い。ここ数日の看病やら送り迎えにて、作品の制作が滞っているという面もあります。



と、いうわけでボチボチと窯を詰めて行きます。少し時間が出来たので釉薬でも作ろうかと思案。とりあえず今日は窯の灰を処理しつつ。緑釉なども面白いかなぁ、などと思いつつ思案しております。

青龍寺の茶会

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今日は茶会の水屋方。会場は大津市坂本・黒谷青龍寺。由緒ある浄土宗の寺院で、大津市の中でも三井寺などの古い地区にあります。叡山焼き打ちで焼失していたものであるけれど、戦後になり、青少年育成道場としての役割と共に再建されたとか。淡交会の研究会会場でした。大きな釜で湯が煮え立たせてあり、庭園なども綺麗になっておりましたか。


茶会記。席主は宗道師。

床。墨蹟。「宝剣在手裡」。大山蓮華に竹花入。香合は冠(放巾子ハナチコジ・加冠の儀に用いる冠。)のもの。点前座で目立つのは染付水指。湖東焼にて柳に燕。井伊直弼の好み柄。およそこの辺りの取り合わせで一座の感触あり。釜は大西五郎左衛門。大西家初代・浄林の弟の作であるが、私は釜の考察力が浅いので何とも。

茶碗は仁土斎。こちらは四代・楽一入の庶子の家系による玉水楽。ロクロで挽いたかに感じる器胎は大らかでありつつ、奇も衒わない嬉しい形。棗は黒大棗。裏千家創始たる仙叟の在判。茶杓は七哲・瀬田掃部。

もちろん、道具ばかりが茶会ではないけれど、道具に託して語られるのも茶会。瀬田掃部と黒棗に利休あり。「宝剣」の言葉も利休を想う。竹花入も同じく。これを「断じて行う」という辺りに井伊直弼の茶道思想あり。主流であるとか、傍流であるとか、流行であるとか、そういった事に囚われることなく、宝剣を持って己の道を拓いた人々の作。宝剣は仏の手にあるわけでもなく、他人の手にあるわけでもなく、また、使うかどうかも自分次第。宝剣が己の手にあるという事。「主人公」という公案?に近いのかなぁ、などと思ってみました。自分がやらねばなりません。

感じ方は様々自由ですが、私は「叱咤激励」を感じた次第。


途中に雨も過ぎ、涼風の中で行われた茶会でありました。170名程の御客様。
研究会も勉強させて頂きました。


余談。

そういえば、帰りの車中でフト気が付いたのですが。利休って、秀吉の相談役でありますが、つまりは茶頭と云いつつ、禅僧の役割を果たしていたのですね。当時の戦国大名は、多く禅僧を参謀に迎え、政治指南役として禅僧を招いておりましたか。それは一重に、中国の治世学(四書五経)、及び兵法(武経七書)を保有した禅僧の学識に対する信仰でありました。そういった中で、利休のユイゲにしても、「切腹」という武士扱いにしても。「茶人・商人」ではなく、「禅僧」の扱いではないか!、と思い当りました。

例を挙げるまでもなく、例えば有名な太原雪斎(妙心寺の禅僧。戦国大名屈指の名家・今川家の栄時指南役にして、政治から軍事、時には総大将の役割さえ任される。同時に、家康に治国兵法の教育を行った人物でもある。)など、もちろん「僧」ではあるが、どう考えても武士以上の扱いが為されてしかるべきもの。同じく妙心寺派の安国寺恵瓊は戦国大名になっているし、将軍。直江兼続の師も妙心寺禅僧。伊達政宗の師である虎哉宗乙などなど。(この当時は妙心寺派が最大勢力だが、派閥に関係なく師として招かれている。)

様々あるけれど、そういった「僧」を「刑に処する」となった時。

「元商人」なんて事は、全く気にするものではない。

この当時の価値観に照らせば、どう考えても「茶人利休」よりも「禅僧利休」の方が格式が高い。認識としても高い。「千宗易」は「大徳寺派の禅僧」なのである。よって、利休の死に関して「商人の世界が終った事を示すためである」などという考え方が噴飯ものである事が判明する。「禅僧の切腹」という事実は、「商人の階級差別を提示」する事にはならない。


まぁ、これ以上は憶断になるのでコレクライにて。う~ん、小説作家も意外と勉強が浅いぞ。

暑い日

暑い日差しになりまして、着物も衣替えの季節。「着物の衣替え」と云っても、元々が百年少々前の時代までは着物しか無かったわけですから、昔は「単なる衣替え」というものであったのでしょう。Wikiなどを見てみると、江戸時代の武家の風習時期に準じている様子であります。

今日は稽古日。花月の週にて、四畳半花月を中心に4回程度。午後からは稽古を早めに切り上げて、茶会準備。瀬戸黒茶碗などを拝見させて頂いたり。ベテランの幹部の方々ばかりなので、用意もあっという間でありました。

茶会は一般向けのものではなく。茶に御熱心な方々は定期的に「研究会」というものに参加されておられるのですが、折角に茶を志しておられる方々が集まるわけですから、茶会が行われます。その前日準備。県下の茶道教授の方々が御客様。往時を思えば衰退傾向にある、とは言われてはおりますが、縮小したとしても、本質的には大きな組織。決して衰亡寸前というようなものではなく、小学校やら何やらと、茶道体験や呈茶というものは、非常に幅広く行われています。本場の京都ともなれば、探せば毎日の様に茶会が行われている様な感覚を抱いてしまうほど。正直、懐次第によっては行ってみたい所が山積している感じです。まぁ今は夢のまた夢。

滋賀県でも、来週は献茶式。六月にも献茶式があり、楽志庵茶会もあり。青年部さんの陶芸教室もあり。しばらくは茶続きです。

無理は禁物

嫁さんが寝込んで4日目。色々と予定もあったのですが外しております。私もおよそ似たようなものですが、何度かの無理ならともかく、無理は重ねるものではありませんね。少しは好くなってきたかと云うあたり。過去の大病が再発というものでは無かったようなので一安心しつつ。風邪も疲労が重なると重篤になるもの。


明日明後日は茶道にて、好日ならんことを。

進展なし

今日は終日、嫁さんの看病でした。仕事疲れも重なってか長引いているもので、窯焚きの予定を後ろに倒すかもしれません。

夕刻にJAさん来客。話は煮詰まらず雑談で野菜の事とか聞きました。車の掃除をしていたので準備不足。風炉の火が落ちてしまっていたので、急遽の煎茶。湯温が下がった場合には煎茶に丁度好いですね。

ともあれ、今日は簡単に。

自然の教訓

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変わらぬ生活で。自然の中での作陶。先日、同じく自然の美を観じながら作陶する事を大切にされる方と話をしましたが。海ってのも1つ、いいものだろうなぁ、などと思いました。自然を愛好しつつ作陶する者に限って、ではありますが、周辺環境で出来あがって来るものが変わって来るんじゃないかな。コンクリートに囲まれていると直線があらゆる所にありますが、自然環境の中に居ると、およそ直線というものとは無縁。どこを見ても、自然な線があります。何が自然で、何が不自然か。海など見ていると雄大なのが「当たり前」という感覚になっていくのかしらん。

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粘土を掘ってると牛が近寄って来ます。先日に草刈りした草を与えたら、見事に餌付してしまった様子。バケツの中が気になる様で、油断しているとバケツをひっくり返してくれます。動物や植物。与えれば、与えただけの反応がある、とは申しますか。とても素直です。素直じゃない猫も居ますが、基本的に動物も、植物も。実は人間(自分)が一番ヒネクレテいるんじゃなかろうか?などと思う事がよくあります。「思考力が高くても、その性格が狡猾だったら動物以下だぞ。生物としてもワシが蹴れば一発ではないか。」そんな事を云われている様な気になる事も。牛は雄大です。ここに神性(人間としての理想)を見たのは仏教生誕の地でありましたか。解る様な気がします。雨が降ろうが、雪が降ろうが、ハエがタカっていようが。ゆっくりと動き、食べ、寝て。

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この季節。夕刻の日の入りが遅いわけですが、日の入り前の青空は何とも、好い色をしております。しばらく晴れの日が続く様で、作陶にも有難いこと。森の樹景と、青空と、日光の陰影。自然が描くものが、一番美しい。木も、青空も、太陽も、全てが一刻毎に動き続けているわけで、およそ「生きている」という定義とは何だろうか、などと思ってみたりします。智恵や頭脳がある事を高等生物と定義する思考教育が健全なのか、それとも八百万信仰として自然に神が宿っていると考え、あらゆるものに敬意を払い感謝して生活する思考教育が健全なのか。


とかく、自然には訓えられる事が多いです。

ガス窯開けて

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昨日のガス窯。御本手を狙ったモノの、ちょっと還元が強かった様子。
行き先は七月の職人展。特価品の広告原稿が必要なのですよ。

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土の具合にも拠るのかな。釉調整は悪く無かった様子。
御本手としては二回目の焼成で、この写真が一回目。


予定としては薪窯もあるので、あまり時間がなく。
少し薪も不足しているので追加も依頼して到着!

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(ありがとうございました!)

そういや、友人がまた一人、薪窯を造るので相談を、という話があり。
以前は安価・独力で薪窯を造って焼く方法の記事を置いていたものでしたが、
昔の記事だから消えてます。でも、頭の中には改訂版が入ってます。

水野一門の同門弟子さん。大いに支援したい所です。


あと、いつか登り窯も作ってみたいものです。

次への布石?

今日も一日。作陶を進めつつ・・・

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ガス窯を焚いて・・・

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夏野菜への布石のために・・・

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エイ

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エイ!

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オゥ!!

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という感じの一日でした。

機械を借りてもいいのですが、折角に典座を読んだばかりですから、
自分の手で耕すべく。

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半農半陶へ向けての布石。自然を知る為の布石。
あと・・・、少しだけ・・・減量目的?


ここらは気候も適しているので、茶畑もやりたいなぁ・・・。

典座って?

やりたい事はあるけれど・・・

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まだまだ無理は出来ません。


昨日に典座(テンゾ)の事を書きましたが。

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こんな本を読んでみたり。曹洞宗の書籍です。茶道の源流である老子なども積んであるのですが、難解な原典を理解するには、まず外堀の解り易いトコから埋めて行く方がやり易いか?などと思いつつ。

といっても・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~
(米から砂を取り除く作業の話として)
洞山(禅師)「砂をといで米を取るのか?それとも、米をといで砂を取るのか?」
雪峰(典座)「米も砂も、同時に取っています。」(選別していますの意)
禅師「なるほど。では、修行僧は何を食べているのかな?」
雪峰⇒これを聞いて、選別した米を床に落とす。

⇒道元の解説:仏道修行に優れた人々は、このように心を籠めて典座の職を実践をしたのだ。一粒の米だって疎かにしてはならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

こういう内容の本。ほとんど「禅問答」です。歴史学的な「訳注の書籍」なので、
先入観に影響するような「本文の意味解説」はありません。


五分くらい考えてピンと来ました。


実はちょっと、懐石料理的な、「美味しい調理法」なども載って居るかと期待したので。


私も砂の上に米を播く所から始めなければならない様です・・・。

新茶の季節に感謝して

新茶の季節ですね。帰宅して見ると友人から贈り物でした。
ありがとう御座います!

sintyanokisetu.jpg 

今日は茶道の稽古でしたが、そちらでも昼食に新茶が登場しておりました。朝八時半には稽古が始まって、途中で典座役?つまり台所方(禅では高位の僧が勤めるもの)が指名されまして、まぁさすがにそこまで厳しくは無いけれど、昼食の準備。基本的な調理は宗道先生自らがして下さったりするものでして、なかなか、日本広しと云えどもこういった稽古場は無いかと思います。今日は典座の御役を命じられたので、オニギリなぞを握っておりました。

で、今日は午後三時に稽古切り上げ。粟田焼の個展拝見にて先生の御供をさせて頂きました。作家さんは安田さんという青年部の近畿ブロック長さんです。茶道では、「京都の特色ある器は⇒京焼」という事になるわけですから、茶道の盛んな京都においては、とてもとても有名な方です。水指の蓋作りに関して、漆作家さんを御紹介頂いた?御縁があったり。器も1つ持ってます。

まぁ拝見すると・・京焼(※一般ではなく作家モノ)は薄い。絵付けも細かいですが、ロクロ。まぁ分業ではあればこそでしょうけれど、我々の云う「薄い」とは基準が段違い。有田の薄胎とまでは行きませんが、随分と削り込んであります。土が勿体ないなぁ・・・と思うくらい。茶道の先生方が「薄い茶碗がいい」という場合の「薄いの基準」が、何だか核心的に掴めたような気がしました。器には器に合った、土に合った厚みがあるものでしょうか。京焼はどうひっくり返しても「侘び」にはなり難いものですから、そういった性質によれば「薄い」という方向性は然るべきものです。

まぁ・・・トルコ青は半磁なので、一度、この手の薄さを造ってみるのも勉強になるか。訓練校の頃にペラペラのを造ったりして遊んだものですが、それ以来という感じでしょうか。何度か書いてますが、 「薄い」ってのは「作陶哲学に拠って選択されるもの」であって、技術的には簡単なんです。削るだけですから、競うような、見所となる様な特質ではないのです。時々に「薄い!」という点をやたらに誉める方が見られますが、「全く褒め言葉になっていない」ので御注意下さい。「この抹茶!これ泡立ってるよ!すげぇ!!」みたいな誉め方に相当します。作家さんが可哀想・・・。


ちなみに会場は彦根だったのですが。ICを降りると「一休亭」という「焼肉店!?」がありました。晩年でしたっけ。しっかりと修行を積んで、最高位になるまで修行した後で。その絶大な権力を捨て、仏教の戒律を破り、肉食したり女性を追ったり、酒を飲んだりして奇行を行ったのですよ。何とも深い。深いぞ(笑)。

ちなみに意味無くリンクを貼ってみる。
http://www.ikkyutei.com/

近江牛!
(「魯山人御好み」の牛肉です。)

まぁ、それは置いといて。そういや子供の頃に見ていた、御存知「一休さん」。「禅の坊主が幕府の将軍に指図する」という話ですな。もちろん、御存知の通りに大徳寺の坊さんであるわけで、禅の二大派閥である内の1つ、「臨済宗大徳寺派の最高位僧」です。桃山時代に「武士と茶」という関係性が成立するための連結物が「禅宗という宗教」である事は、本来が誰でも知っている知識の応用でしかありません。茶道を語る時ってのは、「美に従う」というのは二義的であって、一義には「禅に従う」という側面があるわけですよ。「茶道-禅-美」という関係。だから必ず、「美」を語る前に「禅」を語るのが筋道。「禅を語って美を語らない」というのはアリですが、「禅を語らずに美を語る」というのは、本来的には「ナシ」です。すべからく名品とされてきたものは、「禅のフィルターを通した状態」で美が判定されているのです。

織部を「武家茶」と云うなら、それは「禅茶」という事になるわけで、「武家禅の美」。利休も「禅茶」ですが、「禅僧の美」と云いましょうか。僧と武士の違いですから、織部は「自分の茶道世界を追え」という利休哲学に従っているわけです。前提としての「禅」の通底性は外せないもの。侘び茶の祖とされる村田珠光の師匠が「一休」ですね。全部が全部、禅で始まって、禅で浸透しているわけですよ。何で「武士の遊芸」とか「美に興じる」とか、そういう話になるのかなぁ・・・。と、とても不思議。普通に捉えれば、「武士の修行道」、「禅の世界に興じる」という表現ですな。普通に茶道をやっていれば実感としても違和感に気付くものですから、茶道教養の深浅ってのは、こういう端緒で簡単に露呈します。本来的には千家茶道じゃなくっても、「禅」なのです。

まぁ、マスコミなどが関係の無い美術評論家に茶道具を語らせたりするから、「美術的価値観の対立によって切腹」などという、「腹抱えて笑えそうなトンデモ説」が流布するわけです。茶道専門家の云う「美」ってのは「哲学」の素質が強い。まず禅に照らし、後に美に照らす。一義と二義。二義で語るってのは「一夜漬けの知識」で何とか語ってるのがバレバレ。普通に歴史を追えば、禅を切り離す事が不可能である事が分かる。掛軸の内容がそれを端的に示している。「哲学を啓示する場所」に、「美術的に優れた絵」を掛けたり、「自分が描いた書」を掛けたりするのは、亭主がおよそ「茶道の根本原理」について「理解していない事を誇示するための所作」になります。「俺ぁ、何もかもが判らねぇ!」という、一休的な悟り(??)に達した方のための、高度な床の間であります。墨蹟なんかは完全に「禅の哲学」の世界です。

逆に。漫画「ヘウゲ~」なども、結局は大衆に分かり易くするため、「禅を伏せる」という立場を取っている。なぜって、語るのが難しいものだから。「フィクションに候」と断るのは、内容の改変・創作だけでなく、そういったトコも踏まえての宣言。『利休にたずねよ』なども「美が云々」という、「大衆理解性」を優先して書かれているだけの事。およそ、「売上」が必要な場合の作法です。本気で主張したいなら、「論文」とか「学説」になります。分かった上で「フィクションの小説で候」として楽しむもの。わざわざ「フィクション」と書かれているんですから、「虚実を確認せずに鵜呑みにする」のは情報弱者の仕事なのです。「許せない!」とか怒ってみても、ちゃんと「小説に候」と書いてあるのですから、「学術論議で使っちゃ駄目よ」という意味の、簡単な日本語・ヨコ文字。そういや、アニメの「へうげ略」で名品解説をしている某島〇之助さんも・・・、何だか随分と怪しい言動で・・・、こないだの井戸茶碗の説明も・・・その前の・・・。まぁ、ここをツツクのは止めておきましょう。


せめて焼肉屋くらいの勉強は。書いてる私だって「茶道修業の新米さん」にて、本格的に勉強を初めてまだ二年くらい。「茶道の専門家」になりたかったら、果ての長い勉強が待ってます。禅とは何かという哲学の「上辺」を追っていくだけで、日本禅⇒中国禅⇒中国茶道、老荘思想、仏教思想、儒教思想・・・。様々、哲学の王者が勢ぞろいしているわけで、例えば「四書五経」を潰すだけでも相当な骨が折れるものです。歴史学者的に極めようとすれば、1つの書籍だけで一生が懸るほどの奥行きです。もちろん、参禅ともなれば・・・。


逆に云えば「底なし」という事。「道」なるものの永続性であり、魅力であります。


「新茶」ってのも茶道の歴史あってこそ。粉茶があったから、煎茶が出来て、今の日本の茶畑がある。いやいや、ありがたいものです。

今日も何とか、最後まで茶道の話でありました。

しまった

ちょいと寝不足が祟ったかな。茶道の稽古は明日にして。
急ぎの桐箱が届いたので箱書きして出荷です。

seikouudoku.jpg
 

今日は家で作陶ですな。久しぶりの晴天。草刈りが・・・大変そうだ。

論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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