思い立ったが吉日。

さて、毎度夜更かししてます。「暇」とまで云うと語弊がありますが、手元不如意につき出不精で。外に出るのは茶道関係だけにしております。微妙な時間にFaceBookで遊んだりしていたのですが。

で、「陶ISM」さんに参加させて頂く事に相成りました。

と云っても、一応理由を書いておかねば納得しない方も居られそうなので。


「陶ISM」というのは若手による連帯活動という事で、30歳頃を中心とした文字通りの次世代作家集団です。活動は笠間・益子中心の様ですが、理念には賛同出来るものが多く、広く全国から共鳴を待って居られる様です。以前に考えていた古窯会から「伝統」という枠組みを外して自由にした感じに近いものでしょうか。去年から活動を開始された会派というもので、同じ時期に、似たような改革方法を考えている同世代の若手作家さんが居た事を、素直に嬉しく思いました。

http://touism.p1.bindsite.jp/index.html

画廊の力、派閥の力を借りなければ不自由であった中から、こういった活動が出来る様になる。なかなか、考えたとしても、実行に漕ぎ着けるというのは大したもので、上から下までおよそ20代~30代。本当に、素直に感心させられます。それぞれ、ツイッターなりで簡便に対話出来ると云う時代の産物でしょうか。正直、伝統系だけで会派を組むには人材的な人数の限界がある事を感じていたものです。

http://www.ava-cha.com/

こちらは。いくつか見た現代茶道の1つですが。「アバンギャルド茶会」という事で試行錯誤されておられます。諸手を挙げて賛同という事は出来ませんけれど、同世代の茶人修行者さんが頑張っておられるもので、これも1つ、なかなか実行には困難があろうものを感じる次第。1つ違いの裏千家茶人さんが主宰されておられるもので、こちらも、実行力を考えると敬服せざるを得ないもの。若者に茶道を楽しんでほしいという心から発した試みの中、しっかりと逸脱すべくして逸脱を狙っている辺り、なかなか奥が深い。ちょっと注目しております。この両者が組んで色々と楽しまれている。


色々と考えたのですが。

若手が協力して茶陶を組み上げて行くというのは、非常に魅力的な仕事です。
楽しくなければ、好い作品は作れないし一座も建立しないもの。

登る山が違えば、いづれは袂を分かつ事になります。
登る山が同じなら、道は違えど協力出来るものです。


伝統的な茶陶が入って無い活動。それを外から批判するよりは、この勢いを助けるべく。1人なりとも伝統の茶陶が参画する事で、そういった批判に対する盾になる方が建設的ではないか・・?などと本質論を思っています(どこまで役に立てるかは別として)。両活動共に日は浅いものです。伝統排斥を掲げているのは美濃の若手茶陶ユニット?ですが、「陶ISM」では「派閥否定」を冒頭に宣言しておられます。開放的な活動をされておられるもの。かつての古窯会構想も「伝統否定に対する反論」みたいな側面がありましたが、そういう対立軸が無いってのは好い事です。


と、云うわけで。ちょっと楽しんで来ようかと思ってます。

現状では伝統系の作家が多く居る、備前や萩、唐津や有田などの作家さんが殆ど参加されていない。伝統作家、特に産地の王道系作家はプライドが高いものですけれど、この際、皆で乗って見ては如何なものでしょうか。伝統色の希薄な笠間・益子主導であればこそ、集えるものがあるのだと思います。正直、信楽が旗を立てても、備前が旗を立てても、どうせ喧嘩になるのです(笑)。時代の波に挑んでみるのも、一興ではないですか。またやはり、伝統産地で無いからこそ、こういった活動が出てくるのだと感じます。私もそうですが、伝統産地では「伝統か、伝統否定か」という、2つに1つの選択肢に陥り易いものです。


このついでに。茶道も盛り上がってくれれば、1つの時代が開くかもしれません。
ならば。黙って居るより、行動でしょう。下手に伝統会派を造るより強力。

また、先には批判的な記事。その頃には応募してました。
自分の立ち位置を確認する意味も含めての記事でしたか。

御託は置いておきますが。言い訳の必要な私の為に、上記の言葉を置いておきましょう。
もちろん、伝統が本道ですから、そこは変わらずに保持します。そこは御心配なく。



新参にて。忍者の末裔ですが怪しい者ではございません。
宜しくお願い申し上げます。

新緑の頃

昨日は夜中に政治系記事を書いたが、見直してみると微妙だったので削除。

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天気は雨。新緑の美しい頃。伊賀の仕事場は一畳にて。

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雨が降ったお蔭か、小手毬(コデマリ)が咲いてます。

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枝垂れる花は、花の生け方がピンと来ない。修行不足ですな。



今回の伊賀は花入を中心に作陶を考えております。

今日は雷雨

raiu.jpg 

今日は雷雨。縁側で仕事が出来ないなぁ・・・

などと云っていると

raiuniokorare.jpg 

雍正帝に怒られそうなので・・・

ボチボチと、大人しく工房でタタラ皿など作っておりました。

七月の職人展向けかな。百貨店も昨今の売れ筋は食器なのです。

もちろん、懐石系じゃなくって、大衆向けの食器ですよ。

そろそろ

 今日は・・・気分を換えて知らない道を走って見たら、道に迷って骨董屋さんに会見。せっかくなので拝見させて貰ったりしていると、何故か抹茶の点て方を教えてほしいと云われて、シャカシャカと茶筅を振る人が居りました。気が付いたら二時間近く滞在してました。

まぁしかし、手元に御金がある時は危険です。それほど高価なものが置いてある店でもないわけで、本来の値段からすれば安いものでしょうけれど。


そろそろ土も出来てきたので、心を鎮めて伊賀の作陶時期に入ります。
少し雨の日が続く様で、そこらが微妙な感じです。

水指1

初心を思い出しつつ。(初窯作品より)

今日も水屋で修行の日。

最近は着物の日が多いと思ってみたら、週の内3日が着物。茶道稽古も一日中が着物。先日の藤棚茶会の時ですが、着物のままで作家市会場に戻って見たら、見事なまでに「浮いた人」になっておりました。

まぁ、それはいいとして。

今日は楽志庵の定例茶会にて水屋方を勤めておりました。濃茶席に入る時間が無かったので、詳細な会記は難しい。高麗青磁の花入に見事な牡丹が生けられておりました。「初風炉の茶会」という事で長板の飾り。釜は真形、水指は八角染付で、清代の景徳鎮産という風を感じましたか。格調高く道具が揃い踏みする中、涼やかなる風が降りている感じの取り合わせ。掛けモノも同じくで、歌モノ。この流れで使うとなれば、茶碗・茶入はおよそ流れる音楽の如くに定まって来る感じが致します。(詳しくモノは見られなかった・・・。)

最近は水屋修行という事で色々と御指導を頂いてます。水屋も色々と職掌があります。「お運びさん」とか「お点前さん」という辺りは前線の軍隊なので目にする事も多いわけですが、そこに美味しい御茶を適宜提出する事は「後方指揮官」の能力。宗道先生の茶会ですから、遥々海を越えての茶人来客もあるわけでして、もちろん茶会巧者の方々も。そういった方々に喜んで頂くための工夫も様々に応用が必要という事で勉強は多くあります。

今日は茶碗を洗っておりました。茶会は、もちろん普段の台所と違うわけです。数百万円、時に数千万円相当の茶碗を洗う仕事。器の扱いに信頼が置ける人物以外には任せることが出来ないものです。担当は薄茶席でありましたが、主茶碗は大樋。大樋の飴釉は見事なもので、上作は黒楽に匹敵する美を持つものですが、釉が比較的薄い上に貫入があります。よって、茶会後半ともなって水を充分に含有した状態では、あらゆる焼物の中で「最も脆いもの」へと変貌しています。焼の強さにもよりますが、およそ元々が脆過ぎる楽茶碗の中でも、最も脆い種類になるでしょう。

bannjyoutakasi.jpg 薄茶席
(水屋方の先生方が薄茶席を担当しております。)

およそ仕事上の才覚ですが、陶芸家というのは、器にさわった瞬間に、その堅さ・脆さを感覚的に感じ取ることが出来るものです。日頃から、粘土の状態、乾燥土の状態、釉掛け直後の状態、釉薬乾燥後の状態、素焼きの状態、本焼き後の状態、などなど。器の硬度に対する感覚は高台削りの能力に関係するので、茶陶作家は非常に敏感です。僅かな器表面の弾力で察知します。同様に、「如何なる持ち方をすれば器に負荷が掛からないか」という「微妙な力加減」にも長けているものです。

そういった意味で。大樋の含水状態は・・・「乾燥土よりも脆い」というものです。
もちろん、弁償したって「名品」は基本的に「一品モノ」ですから、帰ってこない。
大樋ですから、当然に半筒です。耐久力に於いて一番危険な形です。

いや・・・何とも、本当に危険なのですよ。ちょっと胃にきます。
自分の作品で、「ビスケット割れ」を経験した事を毎回に思い出します。

この事を逆に云えば、好い道具を持って茶会を行うには、その扱いに長じた水屋方が必要な算段になるわけで、これにはやはり、「プロの技」という性質の感覚・経験が要求される事になります。水屋能力を鍛えて、高位の茶会水屋方となって・・・というのが「茶人修行の王道」であると聞き及んでおりますか。普通の方が思っておられる「点前修行」の方は・・・どちらかと云えばですが、「教授者修行」の方向でしょうか。茶人への道は険しいもので。

「茶碗洗いを大切に」という辺りには、道元禅師の逸話を思います。
・道元禅師「食事の用意などは新入りの若い者にでもさせればいいではないですか。あなたのような徳のありそうな老いた僧侶が、坐禅や仏法の議論よりも、そんな食事の準備などを優先させて。何かいいことがあるのですか。」⇒老僧は大笑いし、 「日本の若い人よ、あなたは修行とは何であるかが、全くわかっていない」と言い残して帰ってしまった。

一応、解説?しておくと、道元が仏道修行のために宋に渡り、「下働きの日常仕事に仏心が宿らなければ、いくら経を唱え、高僧と呼ばれても無意味」と云う、「中国禅の厳格なる思想」に衝撃を受けた時の逸話。下働きをしている時こそ、自分の徳性と対峙する事が出来るという禅の仏法思想。茶道の修行もまたこの思想に沿っているわけで、「日常坐臥に茶道を取り入れる」という事は「日常坐臥に禅の心を取り入れる」という事と同義という意味になり、「茶禅一味」という事になるわけです。別に寝ても覚めても、いつでもどこでも御茶を飲む、という様な意味ではなく。「丁寧に心を籠めて一服の茶を点て、深き感謝の念と共に頂く茶人の姿勢」に、「禅僧の姿が在る」という意味ではないでしょうか。

まぁ云えば、「上っ面」と「本質」の厳格なる区別。結局はここに集約されるわけです。
毎日真摯に、心を籠めて料理をしていれば、上達しないわけがない?
およそ陶芸も同じことです。惰性では上達しませんね。


まぁこれを「精神論」と馬鹿にするのは自由ですが・・・


それとは別に、一向に上達しない小生の料理の腕は秘密にしておきまして・・・。


おっと。今日は珍しく、最後まで茶道の話でありました。

今日は好い天気。

昨日はブツブツと文句を書いた。が、別に他意は無い。
現状分析。それぞれの思想がある。好き物も永続はしない。
栄枯盛衰・今日是好日。自分は自分の信念をやるだけの事である。

伝統は玩具か。

雑感。この手の事を書くのは、あまり気が進まない。しかし同時に、伝統系の口上として、同業の方々から、こういった事を書くべくして期待されている面もあります。時々は御容赦を。


チャリティ関係で、東京方面・及び多治見方面の「現代茶陶」なる動きを知る機会を得ましたか。どうも茶陶ユニット?なる横文字で複数の団体が活動盛んである様です。個人的には、どこから見たら茶陶なのか不思議なものであります。意匠系で、伝統的な焼物作家は殆ど属していないもの。さすがに全てが全て、とは申しませんが。

現今の茶道に関わらない処からの、「茶道ブランド」を借りた主張。まぁ、それ自体は過去からあります。昔の茶道雑誌など見てみると、一頃は茶室建築に於いて現代デザイナーさんが手掛けたものがありました様で。掛けモノ無用の世界、Jazzを流して楽しむような茶室。まぁ云えば、娯楽です。珈琲隆盛時における「コーヒー茶会」に代表される様に、見た目の現代化は昔から云う人が絶えないもの。


少し、茶道の歴史を振り返ってみましょうか。


茶はそもそも「禅」と共に入ってきた「修行の一環」です。陸羽の茶経に感動し、禅に茶道が取り入れられた。それが日本に伝わった。しかしやがて「修行」は忘れられ、「高貴な方々の酒肴の場・賭博場」となり、娯楽・享楽の場に変えられてしまいます。いつしか、「高価な飲料を以て享楽し、高価な道具を披露する」という「遊芸」になってしまったのです。書院造・金閣寺というのは、云わば黄金茶室です。その背骨をへし折って、再び「禅」の手に茶道を叩き直し、更には「侘び」という喝を叩きこんだ。それが千利休、その人であります。現代的視点で以て、何か茶道を「武士の遊芸」の如くに表現する向きもある様ですが、そんな甘い世界ではないわけで、当時武士が信仰した禅宗の「修行」である事を外してはなりません。戦国時代に欠かせない要素である宗教色を外すのは現代小説の影響。禅僧が大名をも師導した時代の産物です。

しかし利休死後、茶道は僅か100年と経たぬ内に、再び「修行」としての本質を失い、「道具競争」という場に落し込まれます。そこに再び喝を入れたのは、利休の名を借りた「南方録」、及び大徳寺の無学和尚でありました。精神を忘れた茶道、修行でない享楽の茶道を戒め、「あるべき姿」としての「利休茶道」が改めて問われたのです。武士道の構成要素。外に武道、内に茶道。常に修行を怠らない姿。

それでも尚。明治維新によって茶道は経済的困窮に追い込まれボロボロに。大正数寄者なる人々の時代になってみれば、「道具披露」を主眼とした茶会が行われ、名家から売りに出された名品の数々を以て「戦利品茶会」が行われました。有名な益田鈍翁は流儀茶を軽んじ、茶室で正座する事は無かったという事で「成金茶道の家元」とも呼ばれます。そういった人物が「新時代の茶人筆頭」として君臨していたわけです。(益田氏の資金源である三井財閥は、同時に表千家の庇護者。両者の関係は元々が紀伊徳川の御用商人と御茶頭。商人が金銭の力によって茶道家元の上に立つ下剋上の時代。)

やがて戦争が終わり、千家茶道が再興される。大衆的な稽古・教養としての茶道流行。それは爆発的なもの。今の60歳以上の方々に聞けば、およそ茶道に関わった事の無い人は希少なもの。茶道人口の膨大な量に応じて、桃山茶陶作家が一躍人気を集め、史上最高潮の茶道時代に。しかし「修行」がいつしか「稽古」として認識され、女性が主体となる。茶道の姿が著しく変化する中で、中核の家元だけは伝統的な修行の茶道を護り継いでいく。


そして現在。その方向性は「個人主義的なもの」を反映し、再び「趣味・娯楽」という性質を帯びつつある。そこには再び千家茶道、つまり「千利休の提唱した茶道」=「侘び茶を通じた精神修行」という事が、再び軽視されているかに見受けられる。茶陶も現代様式のものが登場し、およそ自己主張の世界である。何故かそれが「利休が生きていたら支持したであろう」という看板を掲げている。マスコミを通じて、その主張が喧伝されている。 利休は南蛮文物が多く流入する中で、生涯を侘び茶に捧げた。現代に在っても、彼は侘び茶に命を捧げるだろう。ここに、一体何の異論があるのだろうか。適当な事を云って古人を冒涜してはならない。古田織部だって、煌びやかな南蛮文物の時代において、敢えて侘びの範疇で茶道を実践しているのである。積極的に侘びを選んでいる事を、曲解してはならない。


もちろん、流儀茶(千家茶道)のみが茶道ではない。しかしおよそ現代茶道の「利休の名を借りて自らのブランドを高めよう」と云う手段は、「姑息」と断じる他に無い。少なくとも、当代千利休が率いる世界規模の茶道集団が存在しているのだ。その流祖の名を勝手に拝借してよいものかどうか、当然ながら礼儀として心得るべきものがあるだろう。「ぶぶ漬け」が出ている内に気が付いたほうがいい。それこそ、哲学なき茶道・礼儀無用の道具茶である事を示している。有名人の名前を借りなければならないもの、という事だ。織部も同じ。某漫画の著者くらいの勉学はした上で、礼儀を弁えて使うべきもの。

加えて。大衆も、果たして心の底から現代式のものを欲しているだろうか。400年の時を経て受け継がれ、今も欠かさずに利休忌が行われる。800年の時を経て、名品唐物が大切に受け継がれている。我々が想像する以上に、人々は「伝統」を、「和」という文化を愛している。


更に加えて云う。バブルの時代。茶道の隆盛に伴って「百貨店・画廊・陶芸界・骨董界・マスコミ」が組み合っての錬金術が行われた。価格を吊り上げる者、人気作家であると叫ぶ者、勲章札を与える者、褒め称える者、それを宣伝する者。高額所得者から金銭を巻き上げるが如くに、茶道具を「投機」という「賭事」の世界に放り込んだ。

「値が上がる」(上げるのは私ですが)、「世間の評価は高い」(世間とは私ですが)、「次の人間国宝である」(認定するのは私ですが)、「今注目されている」(注目しているのは私ですが)、「新進気鋭の人気作家」(に仕立てるのは私ですが)などなど。1人の作家を囲んで、それに関係する人々が演出して本物に見せる。やがて、その人気を本物に仕立て上げる。

この手法による莫大な金銭収入が百貨店のメイン収入だった。それが、茶道具に対する感性を狂わせ、何も茶道に関わらぬ様な部外者までが、やれ茶室建築、やれ茶道具と云い始め、作り始める。儲けるが為に茶道具に手を出す。「茶碗だから」という理由だけで、価格を吊り上げる。その心は見栄である。元は雑器と云いながら、高額な値段を付ける。何の事はない。商売根性が逞しいのである。もしくは惰性で頭を使っていないだけの馬鹿者である。その値段に見合うだけの修道を行い、学識を磨き、茶の心を探求し、魂を傾けて作り上げたのか。


儲け心。そんな「スケベ心」が見え透いた茶道具。
そんな道具で「スケベ心」に溢れた茶室。
曰く「格好いい」、曰く「可愛らしい」。
曰く「自由である!」

現代らしさとは。某政党のマニフェストの如く、空虚な言葉が躍る。
人気が取れればOK。それが現代らしさなのか。

茶道具が儲かったのはバブルの時だけだ。夢を捨てよ。
今は全く、茶道具なんていうものは儲からないものだ。

吊り上げられた茶道具を求めたのは、同じく成金の富裕層だった。
「スケベ心」に溢れた茶道具を求めるのは、さてどんな人々だろうか。
感じるのは、意図的な流行の扇動。茶道具バブル再来の願い。


現代の茶陶とは何か。そこに「利休の心」は灯されているのか。
なぜ抹茶なのか。「美味」でも「見栄」でもなく「心を平穏にするため」。


これを「古臭い」と云うならば、現代のものは「スケベ臭い」と反論しよう。
一時の享楽に浸るためのもの。それは、禅の修業とは対極に在るものだ。


本質を見失う時代。それは、茶道にとって不幸な時代である。「現代茶道」なるものも、豪奢を捨てて簡便に点前するものが盛んに活動をしている様子。これも「利休」を唱えている。それは別段に好い事かもしれない。しかし組んでいるのが「現代茶陶」である辺り、何かバブル時代の歴史再来を画策しているかに感じてしまう。彼等が伝統系作家を組み込まない理由は何だろう。知らずしての排除だろうか。一度、理念の裏を知るべく応募してみましょうか。どこまで本気なのか、1つ膝を付き詰めて話をしてみたいものだと思っています。


元より、茶道は楽しいもの。利休式の高位な茶事。非常に愉快でありながら、茶も美味しく頂戴して、学ぶことの多いもの。茶の伝統空間があればこその楽しみがある。息苦しい理由は修行の不足ではなかろうか。


茶陶ユニット。「我らこそが伝統の新旗手」と云う主張。こちらとしては、黙っては居られないわけでありまして。冷静に普通の視点で観てみましょう。式正に伝統をやってる人間が居るのです。どちらが伝統でありましょうや。「伝統の御旗」には「積み重ねられた職人・文化の心」が籠められています。広く開かれた門です。しかし、その信用・威光を汚すなどというのは、歴史的門柱にキズを付けるが如きものです。慎重に、敬意を以て扱うべきものです。その御旗。伝統はキズだらけで破れかけている。しかし御旗は御旗です。「他人の褌」で相撲を取る事は許されないものです。


怖いのは・・・「茶陶ユニット」の作家年齢層です。30代が主体。つまり、30年後の陶芸界を暗示するものです。伝統系の次世代作家は存在自体が希少であり、加えて茶陶となれば壊滅的とも云えるくらい。日本工芸会の進展と同様に「伝統茶陶が伝統のみならず茶陶の主導権さえ失う」という危惧を感じます。陶芸に於ける上位画廊も「現代茶陶」を積極支援する方に立っている様で。むしろ現状態の立役者かもしれません。


「古窯会」の構想・・・。「若手作家による伝統会派」と云う署名参加集団。これは現在冬眠中。本格的な伝統を背負う作家は少なく、道も険しい。さてさて、どうしたものか。茶道は揺るがないだろう。信奉者は多く、その視線は今も熱いものがある。少々の逸脱を包容する力がある。けれど、茶陶には屋台骨が居ないから、何とも判じかねる。担う人材も僅かなもの。


求む議論。議論なくして進められてよいものか。
対話なくして捨て置くというのは如何なものか。

初収穫。椎茸の刺身。

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初収穫!原木椎茸。ここらでは皆やってる御仕事で

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ウチも、菌を打ち込んで1年になります。

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神々しい白い光。

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早速に生食。う~む。香りが素晴らしい。

所謂「椎茸の刺身」という贅沢品。「完全無農薬の収穫直後」に限って行える荒技というものらしいですが・・・、意外と人に薦めると不評だったりします。なんでかなぁ・・・。東大寺に観光に行った時、たまたま「椎茸の刺身」が販売されていたのですよ。それ以来の食であります。


求む、同志。
 

風炉の季節と陶器祭り御礼。

今日は茶道の稽古でした。風炉の季節になってみて。元々、茶道の点前は風炉が最初、つまり原点という話でありますが、云われてみればなるほど、正面を向いて、およそ全ての所作を行うわけですから、点前を見ていても、炉より風炉の方が格の高い感触を覚えたのですが、さてどんなものでしょうか。柄杓も随分と細く・小さくなるので繊細な動きが要求される様な。

今日は基本の点前を復習しつつ、甲赤、老松、大津袋など変わり扱いの点前でした。土風炉と敷瓦の関係も興味深いもの。気候も一挙に潮目となった感じにて、温かい日和。田園風景にも稲の姿が見受けられる様になりました。

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先日の藤。さて、どこへ植えるか思案中。新緑の嬉しい季節。
個人的に新緑の樹木が一番好きです。


で、後日談。昨日までの作家市、改めて沢山の御来場・御買上に感謝致します。

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今回は茶碗という事で。大壺などの技術誇示系をバッサリ。茶道具の展示。伊賀茶道具は単価的にも展示みたいなもの。いつもながら、多くの方に観覧頂いて、楽しんで頂きました。

どうも世の中では、何か人々が「伝統」に対して「否定的」「飽き飽き」「ツマラナイ」と思っているのではないか?などと考える向きもあります。しかし実際は、素直に伝統というものに敬意を払って下さる方々が多いのです。「半可通さん」ほどに「伝統軽視」を声高く叫ぶ人が多い。そういった新奇の嗜好は自己満足感が高いものですが、何を変えずとも、何が目新しくなくとも、とかく素晴らしい。そういったものが歴史的な名品です。松の美、月の美しさ、心の清らかさ、などなど、普遍的な美の例は非常に膨大です。

今回の展示では色々と試行錯誤も。

1つは接客。以前は技法、難しさ、歴史の事などを説明していたもの。去年の夏頃に「あんた口が巧いねぇ」と云われてからは、「聞かれない限り語らない」様にしてます。解説文なども撤収。何がどうとも書いていない。実物が先。そこに感動があってこそ、物語に意味があると思いつつ。・・・売上的には落ちる事もありますが。

もう1つには、「値段を下げたって売れないものは、売れない」という事に対して。「ホントに値段を下げたくってみたら、どうなのか。」という問い。今回はガス窯・薪窯焼成の茶碗を安価販売。高台は手削り、歪みありで真円では無いよいう様なもの。そういったものであるにも関わらず、およそ三分の二が売れて、それぞれにお買い求め頂きました。その際には多く、「本当にこの値段でいいんですか?」という問い合わせを多く頂いたものです。関西では基本的に値切る人が多いわけで、むしろ値切らない人は少ないくらいですが、そういった御客様も極めて少なかったもの。 

100人も居る作家作品の飯椀、中には三つで1,000円という価格競争の中で選んで頂いたわけですから、やはり伝統的なものの好さが人々に渡らない障害は、バブル的な「高価」というものなのかもしれないなぁ、と感じました。値段の敷居を下げるだけで、多くの人が求めてくれる。会期中の藤棚茶会もそうですが、「一服300円」という安価なる席であれば、およそ殆どの人が、一服の茶を求めて下さって、点前を見て楽しんで下さる。何も咲いていないに等しい藤棚の下で、ゆっくりとされる。作法も知らないけれど、いいですか?と仰られたり、叔父さんが片手で茶碗を酒の様に飲んでいたり。

激安単価は、沢山売れても実入りが僅少。ですが、数量が売れるというのは嬉しい。高額品を、少数の方々にお買い上げいただく仕事とは、全く別のものがあります。

あ・・・ただ・・・・

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予想通りというか、何と云うか・・・。柿の蔕系の評判が厳しかった。売れる程に黒・茶系で塗り残されて行く売場。向付的に使って、漬物とか冷奴なんかを載せると嬉しい感じになると思うのですが・・・。やはり現代式の、白を基調とした西洋式家屋。黒っぽい器は敬遠されるのかもしれません。男性向けという感じですね。個人的には最新作でもあり、形もまずまず。最もオススメだったのですよ。

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あと、十文字割高台。十文字を見て喜んだ?人は皆無だった様な気が。サービス的に入れたツモリだったのですが、まさかに売れ残る方に入るとは思いませんでした。木守ではないですが、私蔵に廻します。不思議なものですね。普通のものが好いという事で。これで私も晴れて「信楽・粉引焼祭り」に本格参戦という事に相成りました(笑)。


ともあれ・・・。まずは使って頂く。器の持つ「味の深さ」が段々と解っていただけるのではないかと。茶器的な好さというのは、自然調和感。野菜を始めとする食物を盛った時の景色が、やはり優しいものになります。そういった処からもう一度、茶碗というもの、伝統的なものを見直して頂くのも好い事かもしれません。「少し歪んでいた方が、なにか優しい感じがするのだなぁ・・・」という辺りを、少しでも多くの人に感じて頂ければと思います。「薄く・軽く・真円でこそ!」という肩肘張った先入観を、少しでも解いていく事が出来ればと思います。



以上。頂いた資金の何割かは、早速にチャリティ関係で使う予定です。

陶器祭り御礼

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信楽陶器祭り作家市、最終日が終了。4日間、ありがとうございました。

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まだ少し、桜が咲いている信楽。


後日談はまた明日にでも。



別の話。・・・茶道具チャリティ開催の方ですが、ネットでも入札出来る様になっている様です。

http://sara-ya.com/love.html

作品一覧の下部にある「オークションに参加する」から申し込みが出来る様です。

289997717.jpg 
会場の写真を拝借してきました。東京って狭いんですね。

ネットの入札が可能という話も、出品した私さえ知らなかったくらい。なので、色々と格安で買えるものは多いかと。もちろん小生作だけでなく、他作家さんの作品も同じく、という所になるのではないでしょうか。高額になっても、義捐金が増えるだけです。まぁ「現代茶道具」というものも珍しいと云えば珍しい。ともあれ募金が主目的。ですから、別に茶道具だと思わずに、細かい事は抜きにして、宜しく楽しんでいただければ好いかと思います。

「明日6日まで」という事ですので、ちょっと御案内まで。

藤棚茶会・・・。

今日は青年部の茶会。藤は日本各地に様々名所がありますが、滋賀県の南部で藤棚として有名な処としては、湖岸近辺になります三大神社の藤。信長公による寺社焼打(六角攻め・安土築城)の際に一度焼かれたものの、藤の強靭な生命力で再度芽が生えてきたそうです。そんな・・・

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樹齢400年!という「桃山級の藤」が見られるというので。

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こんな感じという話を聞いてワクワクしながら行ってみると・・・

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お・・・?最盛期には180cmにも枝垂れるという藤は何処に・・・?

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テレビから観光客から。しかし、咲いていないので来客は例年の三分の一。
今年は類例がないくらいに遅いそうで、神社の方いわく「自粛してるんだよ」とか。

およそ百名様に呈茶という処でありまして、トルコ青の茶碗を使って頂きました。
(写真忘れてた・・・。)

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また、神社ですから、最初には献茶も。簡易ながらに行いました。
もちろん全員がボランティアで、茶券の余剰利益は義捐金です。

天然の藤はもう少し遅いけれど・・・。

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盆栽はしっかり管理して、この季節に合わせて咲かせるそうです。

折角だから、藤の鉢植えを一本頂いてきました。枯らせない様に管理しないといけません。



一応・・・明日も藤棚茶会ありです。ただ、小生は陶器祭りの方に戻っております。

陶器祭りも明日が最終日。宜しゅうに願います。
(店に居ない?と思った時は、斜め向かいの同期と喋ってる事が多いです。)

信楽祭り作家市2日目

2日目終了。ありがとうございました。

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やっぱり・・・御客さんが多い。去年などは昼頃を過ぎれば人手はパラパラとしていて、夕方になるとパッタリ人が居なくなっていたものでしたが、昨日・今日も最終時刻まで御客さんが歩いておられました。近場での楽しみを過ごされる御客様が多かったのでしょうか。遠来で来て頂いた方も居られ、何ともありがたい事でありました。この分であれば、最終日まで楽しい祭りになるのではないでしょうか。

まぁちょっと・・・こういう状況で少し気が引けるのですが、明日は茶会の方へと出ております。

~案内再掲~
案内:藤棚茶会 滋賀県裏千家淡交会・水の郷青年部
場所:滋賀県草津市志那町309 三大神社(藤が綺麗に咲いています)
日時:5月4日・5日10時~15時 一服300円(菓子付)
※一般客大歓迎の気軽な呈茶。

不在ですが、陶器祭りの店も宜しくお願い申し上げます。

信楽作家市 初日

さて、今日は初日でした。GWの事には詳しくないのですが平日という事で。

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ゆっくり準備をしていたら、思いの他に大勢の御客様。 去年と較べても、沢山の方が来られました。作家が百人、正確にはも少し少ないですが、100ブースというもので、全てが直売。B品が表に出てくるし、元からの値段も安いですからね。  

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今回は茶碗屋です。あえて雑器の売り方を採り、ありったけを並べてみました。
なかなか結構、楽しいです。昔に焼いた茶碗なども入ってます。

元々が抹茶碗という事で、歪んでいたり傾きがあったりする、非実用面もあります。 ただ、飲口などは優れています。盛鉢として、飯碗として、普段使いにも存分に 御使用頂ければ幸いです。 値段が安かったりすれば、侘び道具とか関係なく普通 に喜んでくれる人々があるのだなぁ・・・、など思ったりしていました。 もちろん、賛否は色々。歪みと高台が、やはり気になる人は気になってしまうようでした。


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天気も好く。様々、お買い上げありがとうございました。


明日からは少し、天気が曇り勝ちという話も。朝夕は寒く、丘の上という事で風があります。時間帯により、御来場の際は上着を持ってお出かけ下さい。


あと・・・
http://sara-ya.com/charity_chakai.html

チャリティの方は明日からという事で。会場では茶会の方も行われている様で、同世代・若くして頑張っている茶人さんも居るのだなぁ、と感心すると同時に。各席数名という茶席が埋まらない様ですから、ちょっと宣伝?まで。東京ですからイベントが多いのでしょう。羨ましい事で。なんとも台湾茶がある様子。しかし東京方面に集中して、現代式??茶道を打ち立てようとする動きがある様な感触があるのですが。陶芸作家、茶人、マスコミ(へうげ)、画廊。関西では居ない感じなのですけれど。

それにしても。普段から数百名に及ぶ集客をされる諸先生方、また作家市で百名の作家を募集し、数万の集客を行われる主催者の方。何にしても、こういった事はスゴイ事なのだなぁ、と、つくづく思います。

明日から

さておき、明日から信楽陶器祭りです。

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搬入を済ませまして・・・。

詳細は前記事、もしくは公式サイトをご参照下さい。
http://www.sccp.jp/info-list/top-event/011-5th_sakkaichi.html

ではでは、会場にてお待ち申し上げております。

GWの御案内と、蛇足の一言。

宣伝記事ばかりですが、ちょっと整理します。

①Web販売サイト、作品追加しました。
⇒サイトを参照してください。http://gasui.jp/hanbai/index.htm
茶碗追加。トルコ青の茶碗も追々に載せます。

②茶の湯チャリティ 茶道具出品してます。
⇒サイトを参照して下さい。http://sara-ya.com/love.html
日時:5月3日~5日東京・恵比寿 STUDIO BYBROS
伝統系作家が殆どいないので、伝統を求める客層は少ないかも。
旨い事行けば、伊賀茶碗も千円で買える可能性があります。
でもチャリティなので、どれでもいいので、高く買ってあげて下さい。

③ 藤棚茶会 滋賀県裏千家淡交会・水の郷青年部
⇒滋賀県草津市志那町309 三大神社 (藤が綺麗に咲いています)
日時:5月4日・5日10時~15時 一服300円(菓子付)
※4日はこちらにいます。一般客歓迎の気軽な呈茶です。

④信楽焼祭り 陶芸の森作家市
⇒滋賀県甲賀市 陶芸の森。作家100人が集合し、テントで直売を行います。
日時:5月2日~5日 9時頃~17時まで。
※4日は不在に致します。嫁さんが店番してます。

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場所:拡大して御覧下さい。
※地図の上側が「見晴らしの良い方向」です。



以上、宜しくお願い申し上げます。




で。蛇足の方です。

49日が過ぎて、様々被災地も状況が変わったかに報道されています。
ともあれ、まずは犠牲になられた方々へ祈りを捧げさせて頂きます。


さて、チャリティなど、GWには様々にイベントが行われる事かと思います。信楽陶器祭りでも、陶器商主催でチャリティオークションが行われます。この時期は同時に他産地でも陶器祭りが行われており、伊賀でも小規模の祭りがありますし、大産地では萩や美濃、あと笠間などで陶器祭りが開催される様です。それぞれ、何らかの善意を考えておられる事かと思います。

以下は個人的な感想です。

震災後、産地毎に、様々に器を被災地へ送っている様です。それ自体は、当然に素晴らしい事だろうと思います。それぞれ数千単位、窯元が参画していれば万単位で送っている可能性もあるでしょう。すると、大量の食器が送られているわけです。ちょっと過剰かもしれません。 どうでしょうか。少しづつ、状況も変わっています。確認しているのでしょうか。

そこで。「多くても、余るのは別にいいんじゃないか?」と思うかもしれません。
それは、ちょっと待って下さい。 それ、一方的な善意じゃないですか?

忘れてはならない事があるかと思います。会津本郷焼、及び相馬焼です。彼らもまた被災者です。仲間です。何らかの形で復興する必要があるわけですが、もし、我々同業者が過剰な器を送り過ぎてしまったら、彼等の復興は相当に厳しいものになります。考えてみれば分かると思いますが、およそ、一般の方が作家作品を買う数量というのは限られています。そこへ、凄まじい量の作家作品が無料で配られていく事になるのです。「需要を過剰に潰さないようにする」という繊細な気遣いが、被災された同業者への思いやりではないでしょうか。そう、彼等も被災者です。「大勢を救う」という大義で以て、同じ窯業界に居る彼等の仕事を犠牲にしてはならないのではないでしょうか。ただ用を満たすだけなら、「割れ物である陶磁器よりもプラ食器」である事は、我々も知っての行動です。こういった時は、むしろ陶磁器のような重くて割れる嗜好品は、後からでいいのです。もっと必要なものがある筈です。そういうもので現地の作家の死活問題を左右する。そんな適当な事をやってはなりません。

理想的な形としては、器を送るのではなく、日頃お世話になっている産地の窯屋に動いて頂いて、会津本郷、及び相馬焼などの作家さんの処で窯を修復、または設置して頂き、その上で、彼ら現地の作家に作って頂く事だと思います。(会津本郷の方は山手ですから、窯は大丈夫かもしれません)。粘土はおよそ、やはり瀬戸か信楽土でしょう。その辺りも全て、現地の作家に任せます。ただただ、義捐金を「復興本部」ではなく「陶磁器組合」などに送って、大量に作ってもらうのです。

遠い産地から送った陶器で、その魅力を伝える事も大事かもしれません。しかし一歩停まって現地作家の、これからの厳しい不景気を考え、行動してはどうでしょうか。彼らがいざ、と思った頃には、マスコミも手を引いているかもしれません。陶器を造る者として、壊滅的に追い込まれつつある産地を放っておくというのも、如何なものかと感じる次第です。既に会津本郷焼では販売イベントを行ったりしている様で、つまりは器を造り始めている人も居るという事です。それを掣肘する事が無いように、と思うのです。


作家や窯元も、常の技術を量産に傾ければ、相当な数量を挽き上げる事が出来ます。それに、彼等にとって、とても嬉しい仕事だと思います。会津本郷であろうと相馬の職人であろうと、一日に1人で500はこなしてくれるでしょう。一般の人がびっくりするくらい、職人の製造能力は高い。そこに必要なものは、粘土と窯。元々がすでに不景気で相当に苦労されている産地です。それを安く売るなり、寄付するなりして頂いたら好いのではないでしょうか。現地の人が頑張ってくれるのが、やはり一番の事だと思います。それが、「復興支援の本質」ではないでしょうか。既に現地の職人が動き始めている中で、膨大な器を送るより、彼等が存分に腕を奮って量産してくれる方が、東北の方々、全てにとって良いのではないでしょうか。


まぁ・・・我々はおよそ、現金の大半を器に換えてしまっています。送れるのは、器。そういう事を踏まえて、様々なGWのイベントの売上から、上記の様な事を考えてみてはどうでしょうか。もちろん、現地にも窯屋があるかもしれません。その場合はもちろん、その窯屋に義捐金を送って、その資金で窯の修復をしてもらう事が望ましい。

なかなか、私には多くの人を動かすだけの人脈も、力量もありません。窯屋、現地の作家、受け入れ先。この三つに話をつけて、という事になりますから、万全を期するとなれば非常に煩雑になる。しかし体当たり的にやって、やれない事もないのではないかと思います。例えば下記の方法です。

どうせ現地へ器を持っていくのです。ならば、チャリティなどで集めた資金を握りしめてですね、代表者が現地へ行って、会津本郷や相馬の器を買い占めて。そして、被災者の方々に無料で寄付してくる。もしくは、現地の陶工に、「無料寄付ための器を発注」して、送付先を受付センターに指定すればいいのです。「どこそのの産地代表です」なんて事は、現地の陶工さんに伝わればいい。宣伝はいらんのです。これが、被災した方々、誰もが喜ぶ支援だと思うのです。現地の陶工さんに、「寄付」という名誉も渡しておきましょうよ。

東北といえば「福島長石」。ガス窯の作家。つまり、殆ど全ての作家が、いつも東北に御世話になっているのです。日頃の恩を返すだけの事に、見返りを求める必要はありません。

また、広く「工芸」としての仲間を考えるならば、「会津漆器」があります。これも、忘れてはならないものです。割れないし、軽い。東北で「本当に必要とされている」という器を考えるなら、陶磁器よりも漆器の方が上位である事を、我々は知っているはずなのです。同じ工芸として、「会津塗」も支援しましょうよ。

豊かな生活とは。東北の方々にとって豊かな食生活とは何か。それを、「ド真剣に考えた結果」で行動したいものです。東北の人々が元気になるもの。百歩譲っても、他産地の陶磁器よりは会津漆器じゃないでしょうか。 塗りが間に合わなければ、漆器の木地でもいいのですよ。それだって充分に、被災した方々に「文化的な生活」を取り戻して頂ける筈です。器を送る目的。器が人を豊かにするという信念。しかしそれは、必ずしも貴方の陶磁器じゃなくていいんです。もちろん、私の器でなくとも好いのです。その人にとって好い器。相手の立場になる思いやり。



以上、ちょっと思った事。何を単純に考えているのか分かりませんが、今更に「器を送れ!、送れ!」という大きな声が残っている様です。そこに、違和感を感じたのです。気づいている人は、私以外にも多くいるのではないでしょうか。思いやりの充分な支援こそ、大事なものだと思うのです。私も売上がしっかり立てば・・・とは思っているのですけれど。
論者:吉村祐

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。

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