井戸の正体論は?

微妙な時間が余っているので暇つぶしに書いてます。晩御飯は小生が作っているのですが今日は嫁さんが遅いので待ちぼうけというトコです。

今月の「淡交」(裏千家月刊誌)の山本兼一さん(「利休にたずねよ」著作、昨年より淡交に毎月寄稿中)の記事は、柳宗悦さん絡みの記事でした。主旨内容としては、「”井戸は雑器”としたのは柳氏でありますが、現在、韓国では申氏により”祭器”としての説が提唱され、同氏は歴史小説まで書かれるほどの状況。そもそも朝鮮半島では椀を手に載せて食事をしないそうで、狭き高台、高き高台は全く用の美を満たしていない」という話にて、要は「井戸は雑器というのは過去の説である」という事の紹介でした。

まぁただ・・・歴史学的に、韓国の歴史学者さん、および中国の歴史学者さんの学説は、「初めに結論ありき(主に政治要因に左右される)」という場合が多々あるので、道義的に鵜呑みにする事は危険であるわけです。私が大学(歴史学部卒)で学んだ事に従えば、「歴史学者にとって、歴史小説や大河ドラマなんていうものは百害あって一利無しである!」という大原則があり、「主観を育てるので”危険物取り扱い”のこと」と教わったもの。

しかしまぁ、この申氏は自らの説を定着させるために歴史小説まで書きあげる熱意なわけで、暴走もイイトコです。そも歴史を語る者としてこういう人物の説は眉唾で掛からないといけません。歴史の空白は「空白」と記すべきであり、精密な推論で慎重に埋める作業が許される程度。「〇〇の研究や新事実が待たれる」という記述であるべきで、空想や妄想で埋めてはならんのは、素人でも判る話であります。

ついで申氏は元々が”井戸茶碗の陶芸家”であるわけで、自らの商売とも関連するわけです。その立場が「雑器陶芸家」であるか、「祭器陶芸家」であるかという区分になりますから、何をどうひっくり返しても「歴史を中立公平に浮き彫りにする」作業が出来るわけがないのです。唐九郎さんみたいに「瀬戸に居ながら瀬戸の正統を否定する論説」を唱えるならばともかく、逆方向なのですよ。「裁判官並みの清冽」を以て歴史に対峙するのが歴史学者としての鑑。そこに照らしてさてどうか。

随分と昔に、件の書籍を立ち読みして鳥肌が立った覚えがあります。(信憑性の低さに中身を読む気が起きなかった。)


まぁ、それはさておき。

「井戸が雑器である」というトコには確信的なものが不足しているというのは何となく。申氏が信用出来る、出来ないはともかくとして、「雑器でなく祭器である」という説は少し、傾聴の価値があるかと感じます。

陶芸に詳しくない方には「雑器説」がピンと来ない人も居るのかもしれませんから説明しておくと、井戸茶碗の制作工程は非常に単純で、ロクロの勢いある制作物。単純ですが奥が深く、華麗なもんです。ただ技術として「量産の腕が見て取れる類のロクロ技術」が使われているのは明らかです。また、日本にも多く見られた「目跡」というものが雑器の鍵となっています。要は「窯の中で積み重ねて焼かれた」事を示しているわけで、崇高な神の器であれば”1つ置き”であるべきでは?という辺りの単純な思考から来るものだと理解すれば好いでしょう。昭和期はまぁ、「目跡があるから雑器だよね。」と、そんな程度の認識でも「高い見識」とされていた感じがします。

しかし・・・。井戸茶碗はあれでいて、丁寧に作り込まれています。山茶碗などは高台が削られていないものですが、井戸は高台廻りが卓越していて、しかも薄手に削られている。磨かれた技を使っている。加えて、トトヤや粉引などに見られる様に、白化粧が施されている場合もある。いくら”中国製の祭器である白磁”への信仰があったにせよ、「雑器に白化粧するか?」という疑問があるべきでしょう。白化粧は工程として別途の手間が掛かる。ただ”簡略化した作業の白化粧”が行われているので、さてそれが、「祭器として相応しい白化粧か?」と云えば、これも怪しい。どちらかと云えば、”高付加価値を付けるため”という感じで、どちらとも取れるものです。

件の「目跡」に関して云えば、志野の存在を想います。志野も重ね焼きされた跡がありますが、茶陶として大量焼成されたものです。つまり、「雑器ではないが、さりとて祭器ほどでもない。」という、如何にも当時の桃山茶人による「狙い澄まされた標的」の範疇にある事を感じないわけには参りません。志野の祖流は陶工の故郷である瀬戸・猿投の灰釉技法でしょうか。「目跡自体が雑器を示す」という論説は、なかなか事実の前には弱い論説であります。目跡は、「高貴なる器」を否定するけれど、「雑器」を示すわけではない。

普通、祭器であればその範は唐物であり、天目や青磁の世界であります。大量生産でありながら非常に丁寧で端正なな作りが施されるものであり、日本でも韓国でも、その様式に従った丁寧な焼物が製造されています。つまり、祭器として堂々たれば、作れる筈の技術を保有しながら、それを施していない。歴史経緯とかは詳しくないのですが、井戸の「祭器説」に否定的な論拠はこの辺りになるでしょう。

逆に「御本」の説の方が、やはり信憑性が在る様な感じがします。日本からの発注品。在る程度作り込まれているが、さりとて祭器程に手を掛けていない。あくまで雑器を作る範疇の、「高品位作品」という感じの作り込み具合です。つまりは当時の桃山茶陶各種と、「同じ位階」に在る技術が投じられている。造形を作り込んだ一点狙いの伊賀、先端技術の窯と釉芸を投じて量産された志野といった、桃山陶の代表と同じ位階を感じるのですが、さてどうでしょうか。伊賀、志野も突然変異的に発生し、衰退したものですね。井戸も又、同じく極地的に一時期だけ登場したものであり、”舶来という事にしながら、実は山口県南部(毛利本拠地)の隠れ窯が本産地”という説を読んだこともありますか。

しかし・・・結局のトコで問題があって。残っているものは、「茶人選定品」であるわけで、「特定の篩い分けが行われた後の茶碗群でしかない」という点が全てを阻んでいます。ほとんど茶碗しか無いんですよ。香炉などがあるくらいですが、統計するには数が少ない。焼かれたものが全て茶碗だったのか、それとも擂鉢とか甕と一緒に焼かれていたのか、花入など他の祭器と一緒に焼かれていたのか。もう、ほとんどこれ一発で決まるわけです。井戸茶碗の技法が適用されて一緒に焼かれていたものが何か。その1点で決まるわけで、輸入量がどうこうとか、風習がどうとか、技法がどうとかってのは、現物の前には「クダラナイ御託」になってしまうわけです。


まぁ、結局のトコ窯跡が見つからないと話にならない・・・・。

ん?あれ?



窯跡って、数年前に見つかったんじゃなかったっけ?


というわけで。今更ながらに昔の議論を思い起こしてみました。今頃は著者の山本氏も「その説は・・・」という話を聞いているであろうかと推察致します。淡交の編集さんも不勉強ですね。今の段階は窯跡の調査結果が学説になるのを待っている頃合いなのでしょうか。あんまり最新事情を取りに行って無いので知らないのですが、詳しい方が居られれば御教示下さい。


それによっては・・・柳氏の民芸論も木端微塵か。民芸自体がアレなので、元より実作者の間では信仰する方も少ないようですが。

土砂降り

なんだか今日は土砂降りで。

今日は夕方から常会なので。三月に入ったので、そろそろと窯焚きへ向けて制作の山場へ突入する時期。窯詰めの構想方針を決めて、制作量の詰めを決定。余る茶碗の量を睨みつつ、ガス窯では先に粉引の決着をつけるべく方針を決めて。朝から工房で悩んでました。ちょっと用途があるもの。

今年に入って、早速からに去年の個展作品が色々と、方々の御茶会で御使用頂いているという話を聞き及んで有難い限り。そういった意欲もあり、やはり今回の窯も茶陶の比率が相当に高いわけですが、茶陶は”イイモノ”で無ければならないので、”焼け上がりの悪い処”に詰めてしまうと全く意味を為さない廃棄品を作ってしまう事になります。”詰めない”という選択肢や”レンガ置く”という方策を採っていた時期もあるのですが、焼成との兼ね合いが出てきていて次第に複雑になってきています。特に後列で釉薬モノを触りだして、しかし釉薬モノは重ねられないのが面倒にてなかなか。


そういや。Web販売の方を昨日に見直してみたのですが・・・。割と見難い・・・、という事に愕然としました。やはり時間を置いて見直すという事も大事にて。写真も、時間が無かったので蛍光灯の光そのままであるせいか、あまり実物の感じが撮れてないものが多い。

まぁ・・・それ以前にアクセス数が無いわけですが。
(最初にココのブログから行った方だけという感じ。)

その内に再整理します。一週間ほどで結果分析するのもどうかと思いますが、期限販売より常設的に安価品を置いた方が好さそうにて。とりあえず窯焚きが終わったら考えます。作品クラスのものはパスワードを設けるのも好いかと思っています。

萌芽。

さて、今日は御茶会へ行ってまいりました。北野社中の大先輩が裏千家の「教授」を拝領するという目出度き話がありまして、記念の茶会へと寄せて頂きました。(準教授→教授→正教授とあり、多くの先生方は準教授。宗道先生は正教授。)

以前から楽しみにしつつ、今日は祝膳まで頂いて参りました。

茶席は楽志庵。私が初個展をさせて頂いた場所にて、小間の席がとても好い感じの処です。今回は御詰を勤めさせて頂いて、有難い事でありました。

御軸は「春風吹又生」。白居易の賦より、大徳寺451世懸道宗晶さんの筆。

「離離原上草 一歳一枯榮 野火燒不盡 春風吹又生」
 
野に生える草々。刈り取られ、枯れ果て、焼き尽くされても、「春風吹けば又生ず」。


不思議と、春と共に一斉に緑が芽吹く姿、生き様というものでしょうか。夏は草刈りに苦労するほどの強靭な生命力が、冬には枯れ果ててしまう。春風と共に、大地に眠りし生命力は息吹を取り戻して大地に根を張り、太陽を目指す。千年、二千年もの間、同じ大地に住まいする自然というものの姿。凄まじい根性でありますよ。

今回は茶碗飾りにての濃茶を頂いて。香合は青磁の鯱鉾。花は名前が判らないので割愛頂き、花入は胡銅写しの御深井焼。御出身は名古屋にて。茶道は御先祖、親、社会への感謝を基本とする辺りでしょうか。茶釜は古く、前田家御用から始まる寒雉初代による大振りの釜。大板に染付の太鼓銅水指が据えられて勇ましい風情。

飾られているのは茶碗。由緒ある茶碗ありての点前にて、錐樅の鋭い呉器が端坐。そこへ金襴の仕覆に包まれた大振りの茶入が添えられており、席主入り。半東の形式を使わず、亭主自ら点前をして茶を点てて下さり、応答をされる。

仕覆が外されて、古瀬戸茶入の御登場。連客にて濃茶を頂戴し、祝いの席を過ごさせて頂いて。静かな席でありました。次碗は道年さん(名古屋の楽窯)の黒楽、それに現代と覚しき井戸。主役の茶碗は呉器ですから、余の茶碗は拝見に廻らない。

やがて茶入・茶杓・仕覆の拝見にて。個人的には茶入が圧巻。瀬戸にしては薄作りではなく、グっと挽き上げられてスパっと糸切りが行われて潔い。少し重量があるけれど、軽薄型のものより、ずっと頼もしく安心感がある。やはり唐物では無いのだから、こういったものの方が嬉しくなってしまう。牙蓋もグっと古色を戴いた色彩を帯びていて、素朴ながらに風情あり。井戸的な土モノの魅力がありましたか。

今回の祝い席。茶を掬いし杓の名は「千年の翠」。


後、薄茶席にて有志懸釜。掛軸は「一華開五葉」の末広がり。寿棚に松竹梅を取り合わせた祝いの席にて薄茶を頂戴し、今日の好き日、「好日」の茶会を頂きました。


及ばずながら益々の御発展を祈念させて頂きます。有難うございました。

試験終わらず。

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昨日の結果。

形は「選別落ち」の品です。釉薬か焼成を調整する必要あり。

しかし・・・。柿の蔕に関しては、ガス窯だけでもイイトコまで焼ける感じあり。試験項目を複数追加して、今年の夏頃には一応の完成品まで持っていきたい。最も好適な焼成方法としての方策もほぼ決まり、最終的には薪も組み込む。進められる回数が少ない事もあるが、調査から含めて行くと、取り掛かってから既に一年近く経っている。想定していたよりも好い色が出ているので、茶碗を挽き増ししておくか。釉の調整も、前回に試験片を焼成した際は巧く行ったのであるが、作品サイズによる差異が出ているので要再調整。一応これくらいでも、「まずまず範疇として出来ている」くらいには、水野先生からOKも頂いているのですが、「作品クラスに育てたい」と想っているので改善を積みます。

粉引は・・・堅く冷たい感じに仕上がってしまって、いわゆる「粉引らしくない」というモノになっている。「それはそれで・・・」と言ってしまうのは簡単であるが、「これはこれで」と置いたまま、「次へ先へ」と進むのが作家の仕事。一応、これはこれで使えるだろうかと思います。伝世品の様なものでなければ茶会が出来ないというわけではないので、「白釉」として数茶碗に組み込む事は面白かろうと思わないでもなく。青白系なので「雪の色」を目指していくなら、その方向で改善するのも面白いかもしれない。

ただまぁ、「雪」は冬の風物詩であるが、観ていてやはり寒々しい。「雪色の茶碗」というと何か綺麗な感じがするが、冬は「暖かきやうに」演出するのが基本であるからして、「雪色の茶碗」が出てくると、何だか「連客に雪ダルマ」という感じになってしまう。だから、本当に暖かそうな演出、信楽の緋色濃い大振りな水指であるとか、とかく寒さを全く感じさせない程に暖かい演出の中で一盌あると嬉しいかもしれないが、そういう意味で使途が難しいやに想像する。といってもちろん、夏に使うと季節外れで面白くない。どこまで行っても数茶碗程度かなぁ・・・、などと。冬は柿の蔕の方が暖かいし、「柿の蔕の不足感」が落ち着いた感じになります。そういうのは、茶を点ててみると瞭然だったり。


まぁ、出来たものを観てそう想うだけ。そういう事を考えて作っていると「同じような定番ばかり」という「遊びの無い世界」になっていきます。よくある「茶に囚われた茶陶」に陥る轍だけは外して行かねばなりませんので、土耳古青など正反対のものに手を出している一因でもあります。


今日は祖父母が来客でしたので。抹茶など点てたりして過ごしておりました。

暖かくなって。

時々想うのですが。よくも毎日こんなに書くものだと。書き流しているだけですが、次第に所要時間も短縮されてます。

今日は・・・ガス窯を焚きつつ仕事をしてました。乾燥が完全に終わった茶碗を検品して、半数を落として。丁度25碗くらいあったので、窯一回分として釉薬の試験に廻しました。柿の蔕と、久しぶりに粉引などの試験。

茶碗を検品してみるとやはり、一部の場所は氷裂してました。一応、寝る前に工房へ行って三時間ほど「時限式装置」で暖房を付けたりしていたのですが、大雪の降った14日の夜中だけは雪に阻まれて行けなかった。多分、その日です。朝方は随分と冷えていましたか。最近は流石に、水道も午前中から使う事が出来るのでありがたいもの。2月前半は昼間になっても使えない日がありましたからね。

作品は既に過多なので、そろそろ伊賀作品に取り掛かろうかと思案中です。日の出ている頃なら、外でも仕事が出来そうなので。

信楽茶陶の新説。

ここ最近は色々と新しいものに手を出して。

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御存知、芋頭水指であります。

あんまり作陶の事を書いていると真似をされそうなのですが。


まぁしかし・・・何と言うか。芋頭って、茶道やってないと縁が遠いんじゃないでしょうか。風情は名前の通り、如何にも田舎っぽくあります。日本の鎌倉期の焼物よりも田舎の風情があるような感じがするのですが、さてどうでしょうか。むしろ、その田舎風味を出すのが難しいというか、そういうのは狙ってやる仕事でも無いのですが、田舎育ちという事で、芋頭を作るには一日の長?があるやもしれませぬ。しかしこれわ・・・普通の人にはウケが判らんだろうなぁ・・・。茶道やってなかったら、堂々と作る気にはならない形の代表格ではなからうか。芋頭ってのは茶室に置くと頼もしいというか、何とも落ち着く感じになるわけで、そういうトコが茶道具の好さかと思います。

茶道って、なんだかんだと独特の美学がありますよね。芋頭は東南アジア系の貯蔵壺。日本で言えば「蹲」に相当するわけで、用の美という事で口辺の捻り返しなどに共通点があります。で、御好みは利休。ついでに云えば信楽は「蹲」と「鬼桶」が二大巨頭なわけです。同時代、利休の好みとして、信楽の舶来として「南蛮芋頭」と、「南蛮縄簾水指」が存在するわけです。

まぁ個人的見解ですが、「蹲=芋頭。鬼桶=縄簾」という構図が説明されている書籍は観たことが無いので、これは新説になるのかもしれません。一口に雑器とは云っても、信楽が取り上げられる以前に南蛮が舶来していたとすれば、これは1つ、信楽研究に重要な鍵となるべきものでしょうか。鬼桶が紹鴎などに取り上げられて一世を風靡し、「若い茶人までもシカラキ・ヒゼン」などと重宝していたわけで。鬼桶が水指を意図して、つまり茶陶として作られる様になる事に関係があるのではないかと。ついでに云えば、芋頭としては古伊賀の名品にもあります。

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まぁ、これは小生作ですが。

しかしこの、「芋っぽい水指」が、利休時代の「最先端流行形式」であります。


最近に1つ想う事としては、当時の仏教信仰でしょうか。西国浄土と云えば印度の事です。「唐・天竺までをも掌中に納める事」が夢であったとして、当時の人々の憧れというのは随分と大したものであったのではないでしょうか。

なので、単純な美学としての芋頭と観るのでは、不足がある様な気がしています。「より天竺に近い場所で作られたもの」としての「南蛮モノ珍重」という側面があるのでは。唐物の珍重の側面には、現代の様な単なる舶来に対するミーハーというやつではなく、「禅の故郷で使われたもの」としての「敬慕」があります。当時の茶における掛軸がその姿勢を示してますね。そういう意味では、禅、更に「天竺への思慕」が在ったとすれば、さて「唐物」と「南蛮」(東南アジア)というものを考えると、天竺に近いのは「南蛮」ですな。

で・・・。その憧れの「南蛮モノ」と同じものが・・・隣接する近江・信楽で焼かれていた 。


ちょっとした感動では無いでしょうか。旅人とか甲賀忍者(神札を配る行者で信楽は甲賀の一翼)など、何かかの際に「え?それ南蛮?シガラキで沢山作っとるよ?肌合いなら・・・ビゼンに似とるなぁ・・・」と口にして。まぁこんなのは妄想ですが、交流はあったわけで。1つ、ただ師匠筋が「信楽は好い」というだけで、何も判らない様な若輩茶人までもが「ヒゼンシカラキ」と珍重するかと云えば、それは無いと思うのですよ。それほどの影響力は無い。その流行の鍵が、この感動にあったのではないか?、と。ちなみに南蛮の形は信楽、肌味は備前に近いという事で、そういう側面の事が、大大的な流行に繋がった可能性があるんじゃないか。

・・・などと云うタワゴトを、芋頭を作りながら想っておりました。



あとはちょっと、楽茶碗なども作ってます。これも意外と楽しいですね。

以上、今日は温めていた新説披露まで。

情報というやつ。

さて、Webの更新も一区切りして。枯渇感があるのでロクロでも挽きに行こうかと思う感じです。

そういえば、先程には茶道の教本を読んでいたのですが。まぁ、「裏千家茶道教科」という、全巻揃えて・・・という基本的なものです。最近に新しく全面書き下ろしになったせいか、古い書籍が安くで売られている事もあり。

んで・・・もちろん監修は御家元にて、執筆は業躰さんという、裏千家直門の御弟子の方々の中でも、偉い?方。もちろん修行もされているわけですが、茶道の先生方に家元の代理として点前を伝えたり、意味を教えたりする仕事をされているので、その言葉には伝統を背負うだけの重責があります。教わった茶道教授の方々を通して、ネズミ算的に増加する一門下生まで降りて行き、また各道場にて伝えられるわけです。

んでも・・・時々、「業躰さんでも認識を間違えることが・・・」と云う様なブログ記事を見掛けたり、噂を聞く事もあったりして。当然ながら、私にはそれが合っているのか間違っているのか、なんて事は判らん話であるわけで、「そうなんだ~」と云うだけなんですが。

しかし・・・基本となる教本が間違っているのを見て、ちょっと吃驚しました。業躰さんにして、伊賀と信楽の違いを・・・知らない方も居られるのですね。”伊賀の花入は種籾壺で・・・名品は「からたち」「藤堂伊賀」など~”とあり、信楽は、”伊賀によく似通っています”という僅かな記述で終わっていたりします。云うまでも無く、「種籾壺」っていうのは信楽に代表される「蹲壺」の事です。その魅力を茶陶として昇華させた「茶陶専用の信楽窯」が「伊賀」。ついでに云えば、藤堂伊賀というのは、何か名品の名前ではなく、「藤堂家が藩主となった時代に焼成された伊賀」という意味です。「松屋肩付」などとは違います。他に記述されている「東五人男」というのは、関東に在る古伊賀花入の「5大名品」を指して云う言葉。

「伊賀花入は元々が種籾壺」という辺りで・・・何とも、何かの書籍を見ながら書いたのだろうという感じがします。それはいいとして、やはり正確な記述をして頂かないと、長い間に渡って広く教本とされてきたのですから。(ちなみに手持ちのものは初版です。時代的に1980年という事もあり全集図録などが売れていた時代。初版は相当に流布したであろうと思います。)

まぁ、細かいトコはいいのです。時代的に伊賀焼の再興が始まって、それほど研究も進んでいない時代です。穴窯を現代に蘇らせるという様な事が、ようやく一部陶芸家によって行われた頃合であり、具体的な資料なども少なかったし、専門的知識と云っても、陶工という職人上がりの者の言葉に耳を貸す人は少なかったとか。今も、研究としてはそれほど変わらない状況であるとは思います。それだけに、こういった説が流布してしまうのは痛恨であります。

近畿地方の焼物って云えば、まず京焼と信楽焼なわけで。侘びの茶花に精通された方の様で、侘びの花入れとなれば・・・。隣接県に住んでおられる名茶人に、この程度の認識を受けていた、というのは悔しい話であります。最高の信楽を焼き上げておられた高橋・上田の二氏が活躍されていた頃でありましょう。信楽は紹鴎の国焼茶陶に絡む重要な焼物なれば、瀬戸茶入などを覚えるより先に、まず見に行って然るべきものだと思うのですが、これは我田引水なのでしょうか。信楽を足掛かりに伊賀があるわけで。

仕入れた情報というのは危ういもの。

そういや風説と云う事では、美濃のマジタさんの話にて、「荒川豊蔵さんの志野が汚れ易い説」について、「んなこたぁ無い」という様に解説されてましたか。説の発端は上口愚朗さんの本であったり、他でも何かで読んだような覚えがあり、ネットでは晴三さんであるとかも。晴三さんは・・・個展に寄せるコメントなどでも歯に衣を着せない辺り、評論家としての矜持を感じますが・・・。とかく実物に触れないと判らない事というのは多いもので。私の実地で行くと、例えば三輪壽雪さんの鬼萩は「オブジェであって実用不適」と自称した言葉が歩いているわけですが、その実として「茶碗として使える様に焼かれた鬼萩」がありますね。大振りなのに軽くて、口当たりも好い事に驚いたものです。現作備前の石含み1つでも、私とて現地へ行くまでよく判って無かったり、簡単な事でも、実際に触れて勉強しなければ判らずに居るものでしょうか。 薪窯だって、古谷氏の著作にも誤認がある事は、薪窯をある程度知らなければ気付けない。


しかし。作品1つでも、特に古陶や著名作家のものは、なかなか実物に触れる機会というのが少ないもの。好くてガラス越し。それでも、特別な展覧会で無ければ同時に数を見ることは少ないですし、光源の問題もあります。井戸論などで云えば、キザエモンには触れる事が出来ないものの、しかし作家側の憧れが強いものだから、実見記の簡単な感想が独り歩きして広まっていきます。曜変天目などに関しても同様ですか。観ただけ、聞いただけ、触れるのも僅かな例だけ、という状態で、全てを知ったかのように語らざるを得ないトコがあります。 陶磁器の苦しい点の1つですか。


「正しい基本知識」ってのを「実見に基づいて間違いなく記載されたモノ」は、やはり誰かが総合的に指揮を執って行わなければ難しいのでしょう。大正名器鑑みたいな事業も、今では難しいのでしょうね。


ま、小学生の歴史教科書だって記述が変わるくらいです。言葉では簡単ですが、「常に勉強を怠らない事」なのでしょうね。今年は野村美術館の研究会に参加しようと思っていたのですが、定員にて入れずに終わった事が残念でありました。去年の天目研究発表会などは随分と参考になったもの。焼物1つとて、まだまだ知らぬ事ばかりです。


常に知識に対して謙虚に在るべし、という事ですか。このブログでも心せねばなりませんね。

Web販売開始

やっと・・・。全部の商品を掲載出来ました。お待たせです。

http://gasui.jp/hanbai/hanbaitop.htm

12点と少数なのですが、やはり手を掛けた掲載をしようと思えば時間が掛かりますね。しかしこんなに時間が掛かるとは・・・。撮影用の部屋などがあれば随分と簡略化されそうな気もするのですが、追々です。とりあえず、現時点で思っている事を詰め込んだものになりました。御高覧頂いて、宜しければ御買い上げ下さりませ。

あ・・・。あと、何ぞリンクミスなどあれば御指摘の程を。素人仕事ですので、色々と粗相があるかと思います。


今日の仕事はこんなトコにて。徹夜の日々も今日で終わりかな。


とりあえず・・・、おやすみなさい。

産地の表示方法

まだ試行錯誤中ですが、Webの販売を開始。「ただ品物を並べて、窯直売価格」という事なら簡単なのですが、本職が売っていくと云う事はどういう事が出来るか、という辺りを考えてみました。まぁ・・・ウチのブログを読んでくださっているのは同業者が多い?という話を聞くので何ですが。茶道関係ではまだまだ、滋賀県で少し知って頂いている程度ですか。1つの布石ですが、軌道に乗るまでにはまだまだ掛かりそうです。検索サイトにも登録していないし、アクセス数もかなり少ない状態。あと、文章に画像を多用したので、検索に引っ掛からなかったり、そういったSEO(検索エンジンの検索に拾われ易くするための細工。更新頻度やリンクの数などが関係)も多少は手をつける必要があります。

http://gasui.jp/hanbai/hanbaitop.htm

販売という事で。ブログでは伊賀について色々と記事で書いてしまっているのであまり触れていないものの、自分の中でも色々と知識量や認識などが変わってきています。新しく来て頂いている方々に向けて、そういった事をマトメテおく場所も必要なのかな、などと思っていると付属説明が長くなって。

そうそう。最近に古い記事にコメントを頂いて。今の信楽に多い「粉引」が、百貨店やマスコミによって「信楽焼である」とされている事に対して、”法律的には問題ないかもしれないが、あくまで「信楽産」であり、感覚的にはブランド名を使った「偽装表示」に近いものを感じる”、という主旨の記事を書きましたか。コメント頂いたのは「全くのデタラメ記事で、どこが偽装にあたるのかサッパリ判らない」という内容でした。

普通の方の感覚との違いですが、そういった基本的な事を、我々はついつい説明していない所がありますね。百貨店やスーパーなどでは、「信楽焼」とか「有田焼」のシールが一般に貼られています。その商業内で聞けば、至極当然の様に「え?信楽から仕入れているけど?」とか、「いや、信楽で作られていれば信楽焼きでしょ?」という事になります。

ですがまぁ、作り手の感覚はどうかと云えば。粉引を作っている信楽在住の作家さんに聞けば一発です。

「これは信楽焼ではありません。」

ウンザリするほどにこの説明を繰り返している筈です。今時、どこの土とて釉薬とて、どこでも作れるものであります。信楽に住んでいるからと云って信楽の土を使っているかと云えば、さてさて事情を書くと長いので省略しますが、ほとんど使っていない上に、釉薬も。ただ信楽という土地で作っているだけで、その素材は信楽外に由来があるものが多い。例えば粉引というものは元来朝鮮で作られていた焼物で、日本で言えば萩が本場になる。もちろん「萩焼です」とは言わないわけで、

「粉引という種類の焼物を作っているのです」

と答えます。まず10人居れば10人の作家が答えます。「信楽で作れば信楽焼である」と言う陶芸家は、大体が趣味の人でしょう。「粉引の好い作品を作る作家が居て、彼は信楽で作っている」という話が普通なのですが、普通とは何だ?って事です。

逆に、オブジェ関係などは扱いやすいが為に信楽土を使う事も多い。んでも、それは信楽焼とは言わない。口が裂けても言わないでしょう。

つまり、そういう感覚というか、基礎的な常識感覚さえ乖離している様で。しかしこういう時、作っている人が口を揃えて「信楽焼では無い」と言っているものを、わざわざ「信楽焼です」と表示するのが百貨店や量販店。ほとんどの人は後者に接して陶器を求めますから、後者の感覚が共有されていくのですね。我々の様な作り手の言葉が、如何に消費者から遠いものであるかを想います。

まぁ一重に、どこの産地も似たようなものを作っています。量産業の中心地である美濃・瀬戸辺りは、一面としてあらゆる「産地モノ」の代替製造をやっていますから、全く

「じゃぁ信楽焼って何よ?」

という性急な言葉に対応する事が出来ないのです。「信楽焼祭り」と謳いながら、その実「釉薬モノ祭り」でありますから、来客が勘違いしていくのも無理は無い。産地の人間が適当な事をやっている。本来、「信楽焼とはこういうものだ」という基準があり、それは「業界内では」常識的なもの。古信楽の系譜という事で、その一部に「伝統的工芸品指定の制度」がありますが、現今では随分と懐疑的なものまで許容されている現実があります。一々制度に所属する作家は少ないです。

結局、適当な事をやってきた上で、流通の発達に伴い粘土屋・釉薬屋なども産地外への出荷を行って、全く産地に依存した器が作られていないという現実に、認識が追い付いていないというか、商売上の規律を定めずに、好き勝手にやらせてきた。しかし作家は、伊賀の地でも萩焼を作ってれば「萩焼」の看板を掲げたし、東京で作っていても「信楽焼」の看板を掲げてきた。

んで。そういうものを「正しく認識させる」という事では、例えば「備前焼の商標登録」という話が浮上するわけです。認定したものだけを備前とする規律。備前こそ、自身の産地に誇りを持って立つ、頑固なる陶磁器産地。鎌倉から連綿と続いて、あまり浮気をする事も無く。備前六姓辺りがキッチリと抑えてきたのでしょうか。大したものであります。備前市内に於いて、備前焼たるものを備えたものだけに「備前焼」と称する事を許す事を目的としたものでしょう。これを外野批判するだけでは、木を見て森を見ずという部分も。「伝統を護る」という気概の過熱。もちろん、「備前市外の作家はどうなるんだ!囲い込みだ!」みたいな批判があろう事かと思いますが、目的は正しいわけですから、あとは許容量を柔軟にするべきであるだけで、この思想自体を潰す必要性は無いのだろうと思います。

とはいえ。「産地による商標登録」は、どうも却下される可能性が高い様子。他工芸にて、「商標の囲い込みである」と結論された話がありましたね。


元来、信楽の地では、信楽焼以外のものが作れなかったのです。だから、信楽焼という言葉は、信楽の土を使い、信楽の焼方で、信楽で作られたもの、という意味を包括していました。土地と素材は全く蜜月の関係であったわけです。だから、信楽の土に鉄釉を掛けたものとか、タヌキの置物も、信楽焼として認識されてきました。

しかし現況、換骨奪胎した、「全く信楽の材料を使わないもの」が登場している。これを「信楽焼」というのは、やはり行き過ぎです。しかも、本来の本場が存在する焼物なのですよ。信楽の土を使ったとしても、信楽の製土屋の粘土とて、その粘土材料が「純信楽産」という事は稀で、特に釉薬モノに使う粘土は・・・ですから、信楽土と言っても名前だけの事です。長石とか、天然〇灰みたいなものも怪しいわけですが、そういう事は表に出て来ない。

そういう中で。やはり作り手こそ、正鵠を射た知識を勉強し、それを伝えて行く仕事があろうかと思います。何が正しい、正しく無い、という事を決める必要はありませんが、

「粉引という種類の焼物を作っているのです」

こういう正直な事を、誰もが不思議に思わずに伝える。「あっちの赤いやつが信楽焼だよ」と案内する。そういう陶芸家の持っている常識こそが、基礎になってしかるべきであろうかと思います。商売人に任せる事、無知な方に任せてしまう事の恐ろしさを、備前に倣って危機感とするのもまた、必要な事であろうかと思います。

産地表示1つでグダグダと言う時間は無いかもしれませんが。

しかし「姿勢を正す」という事はどういう事か。小学生宜しく、「規則正しい」生活から始まりますね。「筋の通らないものは、通さない。」という頑迷な姿勢も、1つ必要な姿です。背骨が無いと・・・ぐにゃぐにゃになってしまいます。柔軟なだけではスライムさんにて。イザという時には粉引の生活も確保せねばならず、走る事が出来ずにズルズルと這っていく事になるんじゃないでしょうか。


私は派閥にも産地にも隷属していないので、1人身軽に出来るという面があります。
外野と云えば外野です。あまり信楽の作家さんとも交流していないので。 

とはいえ。派閥には派閥の苦労があるでしょうね。

販売開始と常滑と。

最近・・・Webが意外と手間が掛かっていて、作っている時間がほとんど無かったり。ちょいとストレスです。


が・・・、一応花入三本の記載が出来ましたので・・・

http://gasui.jp/hanbai/hanbaitop.htm

宜しければ御高覧下さりませ。まだ花入三本のみの販売開始です。


販売の事はさておいて。


昨日は法事があったので愛知県をウロウロと動いておりました。
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常滑空港(勝手に命名)に迎えに行ったものだから・・・

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僅か30分の余裕時間を使って、町並みを「黒服で」走ってました。


久しぶりの常滑。色々と観光が整備されていて、来客も多かったです。常滑空港から流れているのかよく判りませんけれど、駐車場も一杯に近い状態でした。空港が出来てから景気は好くなったのでしょうか。

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しかしまぁ・・・作っている人は苦労している感じがしたのですが。伝統工芸士のトコに焼締・・・。一応は常滑も六古窯ですけれど、薪窯は伝統工芸士の認定基準範囲外じゃないかと。急須の朱泥でしょうね。ロクロも明らかにそれ系なので、ロクロと焼物が合って無い。京焼作家が伊賀破袋を作っている感じ。作家さんが売るのに必死になっておられて、ちょっと同情しました。釉薬も多くあり、急須も朱泥意外のものが多く、加えて「最近の形」であるものも散見。常滑らしい王道のものは質が低い感じで、在地の作家が本格的に競合していない空気を感じました。まぁ、「30分の滞在で何をかイワン」ですが。

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とりあえず急須が欲しかったので。常滑の急須には職人の心意気を学ぶことが多いです。仕事としては、色々と特殊な事もあるけれど、丁寧に作り込んで、尚且つ非常なる安価での販売です。しっかりした急須は技術難易度がベラボウに高い。加えて常滑は「焼締」の急須であるから、釉薬で誤魔化して接着する事も出来ない。手仕事の経緯が全て出てくる。同業であるほどに、そういった苦労と手間がよく判る。それを知っていれば、上出来のものが数万円というのは安過ぎる。時間が無いので「常滑急須館」へ行ったくらいですが、若い作家の非伝統系ではない、ちゃんとした職人の王道の形のもの。およそ一万円前後が平均価格帯。て事は、職人さんの卸値は・・・というわけで。他店で、安いだけの朱泥とか、もしくは最近の作家?か知らんですが、象嵌とか煉込などの技巧系急須を買うくらいなら、ここで王道の急須を求めるのが手っとり早いかと。無い店には1つも良質なものが無いので。

急須は使い方も大事。私は手が大きいので、一番大振りの急須になってしまいましたが。

週末。

週末は・・・逆に忙しい事も多いので休日感は無いのですが。

今日は出荷へ出掛けたり、銀行回ったりしつつのんびりと。Web販売用の写真を撮ったりしてました。一部水漏れの試験を改めて確認として行ったりして、まだ半分くらいしか撮れていない。も少しです。明日は用事があるので明後日には揃うかと思いつつ。仮予定を21日開始にしていたので、当日中には何とか・・・なる予定です。まぁ、それほど急ぐ必要も無いのです。桐箱を先に用意するべきかどうか迷ったモノの、結局は受注後という形で始めてみようかと思ってます。

あとは・・・御軸をちょっと干してみたり。気を使っていないと割合に痛むことも多いとか。軸が決まらないと取り合わせが決まらない、という言い方はよくありますが、そういう意味でも御軸は大切にしないといけませんか。ちょっとした失敗でシワが寄ってしまう事があるそうで、扱いも大事。保管と云う事では外箱を作ってもいいかもしれません。桐箱ほど優秀なものはありませんが、最重要なのは湿度など容器よりも外的環境にて。桐箱も一重であると湿度の防止には不安があると実感する事があります。好い桐箱ほどに、一枚でもかなり優秀であります。

しかし最近に気付いたのですが・・・私は「実際に使える物」を中心に好む傾向がある様な。


とりあえず今日の内に、出来たトコまでWebを作っておきますか。

URLは・・・明後日くらいにこっそり初めて、こっそり載せます。

稽古の日

今日は御稽古。炉の季節も残りが少なくなって寂しい感じ。御軸は雪月花にて、大宗匠の若い頃に書かれたものであるとか。判る人には一目で判るそうです。(サインがちょっと違うらしい。)

今日は盆点など。許状としては四ヶ伝(中級)なのですが、手順はまずまず覚えているけれど、まだギコギコした所があり、精を出して頑張ってます。前にも書きましたが、四ヶ伝というのは①天目を使った点前、②唐物茶入を使った点前、③名物唐物茶入を使った点前、④拝領の布を使った点前 の、計四つ。一通りの所を教わってみると、茶道の点前がどれほどに難解に出来ているかが理解出来るので、何ともその奥深さを感じます。ザックリ平たく「誤解のある様に」言えば、平点前は”名物無し”の点前。四ヶ伝は”名物一種ありき”の点前。更に”名物ズラリの点前”があります。一応ですが、茶道点前の基準軸=名物の判定軸は”利休時代”なので、長次郎黒楽でも”名物”ではありません。

①~③、天目・唐物茶入という辺りは、当然ながら利休が最初に出会った茶道です。楽茶碗の世界、竹花入の世界に到達する前、利休さんも齢60になるまでは「律」に従っておられたそうですから、その茶道人生の基礎・背骨というものは天目や唐物の世界です。その時代に伴うのは、象牙茶杓(薬匙)、また元節の竹茶杓(紹鴎考案)などの作法が付随して、その世界を覗く事が出来ます。簡単に云えば、利休の考案した楽茶碗の侘び世界の出発点。「基礎として利休の胆に納められていたであろう世界を少しずつ追体験していく」という内容でしょうか。

残る④の「拝領布」というものは、「和巾」と呼ばれる裏千家独特のもの。これは利休時代のものではありません。しかし、これが入っている事で、唐物や天目の作法というものが、合理性・法則性に従って定められている事に戦慄する事になります。一枚の布というものを主役とした点前の考案実例。道具の格や敬意、点前における特殊性に、当時の歴史や茶道の姿など、あらゆる事を勘案して、多重要件の全てを、万全同時に満たす唯一の一点を模索するという仕事。「自由なる点前の考案」というものはどういう事か、という視点を与えてくれるものです。特別な布というのは、長らく絶えていた天皇様への献茶を実行した中興の裏千家家元が、「献茶の礼」として拝領した布。「天皇への献茶」は即ち、「利休の利休たる名前の始まり」という歴史を伴う事を知っていれば、これが相当な偉業であり、どれほど裏千家が嬉しかった事か、それを伺い知る事をが出来るでしょう。喜びと共に、拝領に敬意を表し、敬意が客観的にも正鵠を射るという定めを以て、「拝領布を使った特別の点前」を、「古き点前から模索して構築していく」という仕事が行われたとか。

当然ながら、布を「主役」として茶道点前に組み入れる。となれば、まず茶入や水指が目立っては駄目であるし、さりとて普通と変わらない点前でも駄目。当然、敬意あればこそ、布とはいえ「清められる側」に来なければならないわけで、袱紗(清めるための布)にするわけにもいかないし、ただ仕覆として茶入の「着物」だけにしてしまえば、それは主役ではなく引き立て役の「名脇役」になってしまう。格としても、楽茶碗の如く草の水指の前に置くわけにも行かぬ。茶道具として本来の主役ではないものを、既にある多くの点前との比較の上で、更に「明白な主役である」として「堂々と」打ち出さなければならない。

本当に色々な要素を、それも多重的に重ね合わせて、慎重に慎重なる検討を加えた上で、ようやく「和巾」の点前に到達する。水指は何故に曲げ水指でないのか、草の水指ではないのか、そして楽茶碗であるのか、などなど。点前の考案・変更というもの。素人考えで「こうやればいいんじゃないの?」などとやってしまうものとは、全く笑える程に別次元である事が理解される。だからこそ、迂闊に点前を変更すれば、正鵠を射るために精緻に積み重ねられた「均衡」を崩してしまう事になる。そういう事を教えるために、「和巾」は口伝たる四ヶ伝に組みこまれたのだろうか。大事な名物を扱う点前ばかりでは、そこに気付き難い様な気がします。ちなみに江戸末期の中興とされる家元(玄々斎)の考案にて、表千家では採用されていないが、きっと表では表で、これに代わる訓えがあるだろうかと思います。

しかしまぁ・・・圧倒的な頭脳力と理解力を要求される仕事にて。茶道は一番省略された点前から入って、次第に茶道点前の歴史を遡っていくという構成ですが、それには点前の複雑さだけでなく、理解という意味でも合理的な理由なのだなぁ、と。

ちなみに四ヶ伝の上へ行くと、名物級唐物(紹鴎茄子など)・伝世天目(国宝油滴クラス)を同時に扱う場合の内容へと進んでいきます。要は足利家所蔵の宝物庫に納められた名物(いわゆる東山御物)を扱った台子の点前。それがどういったものであったのか、という所まで遡っていきます。茶道の当初は金閣や銀閣などの書院茶にて、貴族の茶。その道具は、台付き舶来の国宝天目や、貴重な唐物茶入の世界。「茶碗は全て天目」という、禅の始原を夢見る世界。そこまで遡って、ようやく「茶道教授者」としての修行が許される仕組みになっています。今日は「夏までには四ヶ伝を完璧に終えて、上の点前へ行ける様に」、との激励を頂きましたか。

先へ先へと行って、最終的には全てを知ってこそ、初めて判るものがあるのでしょう。


「稽古とは一より習い十を知り、 十よりかへるもとのその一」


御存知、利休さんの言葉です。「十」は全てという意味にて、その意味を改めて思います。茶道に対する点前だけでなく、「目の稽古」や「創意の稽古」という事。全てに於いてこの言葉が適用されているというか、きっと利休は、まったく私には遥か遠い世界を指して「十」と言っているのであろうなぁ、と。「人生50年」という時代に於いて、若年より茶道に関わり、昇り詰め、50歳を超え、そして60歳になるまで創意を出さなかったという利休の世界。「守破離」とは何ぞ。「無知の知」という、道のなるべくして在る通過点。果ての遠い事、「己の無知」である事。それを、少しづつ肌に感じる、つまり「己の無知を知る」という通過点に近づいてきた様な気がする、最近の稽古であります。

「全ての点前には意味がある。」 言うは容易く、しかし理解は果てしなく深いものにて。


個人的な「妄想」を云えば、長次郎黒楽=”現代から見た名物”を扱う”新点前”が考案されてもいいんじゃないか?、などと思ったりするのですが、さてどうでしょうか。現代茶碗と、伝世高麗などが同じ点前というのは何か悲しい様な気がしてしまいます。長次郎などが平点前で畳に置かれると、何だかとても・・・、「勿体ない」気がしてしまうのですよ。せめて共の古袱紗を添えてあげたい様な。利休は平点前と長次郎を組み合せたわけで、そこの絶壁があるのかなぁ・・・などと「休むに似たり」。

その意味では、稽古茶碗用の点前は・・・盆略点前?だったりするのかもしれませんね。台所でもどこでも点てられる事が主眼なので。


以上、本日の茶道稽古でした。(日付が変わってるけど)

暖かな日射し

寒い日の後には暖かい日。三寒四温というものですか。これくらい暖かいと、縁側で作陶する事が出来るので有難い。

そうそう。今日の朝方記事で心配していた事は杞憂に終わった様でホッとしました。ニュースは鳩山語録とエジプト関係で一杯でしたから、まず好かったのかな?と思っています。それにしても中東・北アフリカ沿岸各国ですか。私は海外へ行ったことが無い人(国内派)なので外野のタワゴトなのですが、民衆が立ち上がって、僅か数日の話でありましたか。「やれば出来る」という事が、実際にやってみないと判らない。やれば出来る。その証明が照明となり、独裁政権の各国へ波及しているとか。

何か1つ、過去、中国の大王朝が滅亡する時は民衆蜂起を伴うものが多かったわけですが、1つの蜂起集団の勝利が、次々と別の集団を生み出していく。それが、まさに今現在に起こっているという事に戦慄します。民衆発の革命。やがて理想の王たる指導者を仰いで、旧政権を打ち倒して行く。「1人の英雄は、数多の民衆の希求よって誕生する」というものですか。1人の勇気ある一番槍が出なければ、大軍勢もなかなか動かなかったり。その一番槍の土壌は、日本では儒教・仏教であり、あちらではイスラーム教という事になるでしょう。個人的に思うのですが、イスラーム教は危険な宗教でしょうか?また、今でいえば、日本の仏教は怪しい宗教だろうか?という辺り。善悪二元論に囚われた思考は幼稚なものです。

何にせよ、国が若返るという事でしょうか。色々あるにせよ、勢いのある国、情熱のある国に生まれ変わる。日本みたいに、不安や絶望に駆られた国とは随分と違うもの。世の中が明るいと・・やはり、いい文物・工芸が出て来るだろうと思います。明るいってのは・・・儲かるとかそういう意味ではなく、希望があるというか、気分の志向性の話。桃山時代なども、戦争が終わって平穏が訪れた喜びの中の話。民衆が一丸となって政権を打ち倒す姿に、何か羨ましいというか、「今の日本には無いもの」を感じたのですが、おそらく私だけでは無いのでは。1つ、このエジプトの話が、アフリカ独裁国家のみならず、平和なる日本をも照らし、1つの希望をもたらしているような・・・、と、そんな事を思いました。

三寒四温を経て、春へ。


以上、ニュースの感想文まで。

どうなるものか

さて、Web販売のサイトを構築していたら、不穏なニュースが流れてきて吃驚しました。

臨済宗相国寺派の管長さん、もとい禅仏教の指導者である方の、揮毫料の申告漏れという話。揮毫っていうのは、簡単に云えば掛軸を書く事にて、美術表装を経て掛けモノになります。要点をまとめると下記の様に報じられています。

・東京・京都・神戸の美術品販売会社3業者の依頼で、年間数百点以上を揮毫
・業者から1点3~5万円程度の揮毫料を受け取っていた
・H21年までの5年間で2億円以上の申告漏れを指摘された
・信仰への志「志納金」の名目で受け取り、税務申告する必要がないと誤解した
・宗教法人側の帳簿上にも計上されておらず、有馬管長個人の所得に当たると判断
・美術品販売会社の内、東京の一社「日彫」(ニッチョウ)は、全国の高齢者らに電話を
 かけ「選ばれた人だけが購入できる」などと、限定品を装って販売。全国の高齢者
 を中心に契約を結んで21年8月、特定商取引法違反の指摘を受けている。
・「日彫」では、掛け軸を1点40万円で販売し、約3000件の契約を結んだ
・揮毫料で文化財保護のために古美術品を購入、境内にある承天閣美術館に展示
・購入古美術は主に墨蹟・陶磁器。文化財の海外流出を防ぐことを主眼として活動
・私財としていないため、納税する金は残っていない。購入した文化財で支払う事になる
・氏は京都市内のビル高層化に反対するなど文化保護の活動でも知られている。
・約20年前からの慣例として行ってきたもの

茶道の大徳寺は大徳寺派ですから別派閥。相国寺派というのは慈照寺銀閣、鹿苑寺金閣で知られる所のものだそうで、聞き覚えがあるとすれば京都五山という所で暗記していたかもしれません。同志社大学の北隣としても。

私は当然ながら、管長さんとて名前を伺った事がある程度のもの。ですから、茶道に属する者として、何をか云わんという身分です。ただ、報道する会社によって、上に挙げた内の下4つ。つまり、「文化財流出防止のための活動として」という管長側の使途部分がゴッソリと削られた状態で記事にされているものも多くあり、意図的な記者の考えを感じます。これが1つ、暗い一石を投じる事が無いように思いたいのですが、さて、明日のニュース番組ではどうでしょうか。クダラナイ自称評論家さんの玩具にされない事を祈るばかりです。

美術品として収集されたものは美術館のサイトを見れば判るのですが。

http://www.shokoku-ji.or.jp/jotenkaku/index.html

仏教関係のものばかりにて、茶道具は香合ばかりに偏っており、趣味性は感じられません。

色々と検索していると・・・

九条関係、また朝日新聞・赤旗を支持しているという記事があり、ネット右翼の方々から「宗教団体の政治介入」として抗議を受けたりしている様で、ネットでの旗色もあまり、よくないかと心配される所です。個人的に、僧籍に在る方々が平和を希求する事は、むしろ「至極当然の事」として、感謝しても好い話であろうと思うのですが・・・、あまり変な事を書いて面倒になっても困るので、これくらいにしときます。ちなみにA新聞はお嫌いです。

禅の方ですから、もちろん茶道もされる様で、点前される様子を映像として残したりする様な記事も。ともあれ、基本的には尊敬される方としての記事が多い様子。出自が少し云々と書かれている事もありますが、僧籍出身の方とて普段、同級などによく居られるもの。特別視したり、外野が人の出自で云々言うのは違うと思ってます。

論点?としては・・・。あくまで報道された限りの事実という偏った情報源に於いて。仏教美術を保護するのは、やはり仏教しか無いんだろうと思います。しかし文化庁が御金を出すわけもない。それが理由として通るか、と云えば、やはり日本の人々は法律に従って生きる事を大切にしているわけです。「人々の上に立つ方が」と云えば簡単に批判が出来ます。

しかし、今の文化行政、つまり政治に問題があるだろう事も正しいかに思います。「所定の手続きに従って改革させればよい」というのが机上論である場合、これにも一定の理があります。今にも餓えて死にそうな人に対して、「役所へ行って生活保護を貰え」と云うでしょうか。伝統文化・工芸に対する行政の冷淡さというのは、何か同意出来る所も多く。個人的な立場としてはかなり微妙な感じです。法は振りかざす為にあるのではありません。法を護らせ、有効に機能させるのは仁徳かと認識しています。日本において、その長い歴史に於いて仁徳の流布に勤めて来たのが仏教です。だから、仏教の指導者の言葉というのは、法に対して一定の効力があって然るべきであろうかと思います。法は、人によって護られる。人とは、弁護士でも裁判官でもなく、人の心の話です。法家と儒家の話ですが、法律と仁徳、人は両者をしっかり使いこなしてこそ自然な姿でしょう。なればこそ、今の法律万能、科学万能ってのは行き過ぎかと思います。宗教は、それ大企業、政治の法運用と較べて、今ほどに批難されるものでしょうか。

ただ、今回の話で誰もが指弾出来るのは美術商の仕事。これは美術界に対する不信の積み増し。宗教の怪しい壺商法を地でやるとは、不届きなものです。そういった者を相手に、商売材料を提供してしまったのは手抜かりです。揮毫というのは、勝手な個人感想で言えば「直接の関係あってこその揮毫」だと思うのですが、年間に数百点の揮毫となれば、毎日の仕事でしょうか。それを元手に動く美術商。この辺りは・・・私が触れてはイカン問題でありましょう。臨済禅だけに限らず、多くの揮毫をして卸している方は他にも多く居られるかに感じます。これを単なる慣習として流す事は仁徳では無い様な気がするのですが、当事者たる禅僧の方に聞いてみない事には何とも言えません。宗教に対する人々の冷淡さが最初の引き金を起こしているのではないか?と想像する冷静さを持つ事も大事であろうと思います。今の時勢、廃寺は多い事を思えば、過去と違って金銭無くしては生活出来ない時代ですもの。


従来、宗教云々で問題になったりしたのは末寺などが多く、滋賀県永源寺(臨済宗永源寺派本山)の酒乱事件にしても、修行途上の僧籍の方であったかと思います。が、今回は管長さんの話です。無用な詮索は不要としても、希望的観測を以て静観したいと思います。なんと悲観しようとも、仏道の指導者なのですから。


しかし・・・、自分で書いておいて何ですが、視点の置き場所が非常に難解です。法家と儒家の論争と同じく、これは非常に難解な根本の話になるからでしょうか。


ただ心配なのは、仁徳の象徴たる地位者を相手に、法・儒論争ではなく、これを単なる”マスコミの玩具”にしてしまうのではないかという事。それを不安に思っております。

微妙な空振り加減

寒いながらに。今日は朝から桐箱が届いたので色々と作業もしつつ。

昨日は百貨店の催事を1つ近場で話を頂いたり、特注?していた真田紐が到着したり。色々と好い事が多かったのですが。今日は葉書が届いたと思ったら、何やら今日庵(裏千家家元 )の訪問事業に申し込んでいたのが抽選漏れ。などと思っていると棗が到着。おぅおぅ、と思って開けてみると・・・

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う~む。まぁ・・・こんなものなのだろうか。桐箱の次第から推測して、それほど期待はしていなかったものの。一応は工芸会正会員さんであるわけですから、「一応の水準は満たしているのだろう」と思いきや・・・。

ハズレでした。蓋が・・・ね。カタカタでした。稽古道具より酷いか。

検索しても名前が殆ど出て来ない方にて、偽物が流通する心配をするクラスではありません。「漆は作家数が少ないから、まずまず工芸会というだけで一定の質が保たれているだろう」と思った私が馬鹿だったのか。逆の結果も想定しておくべきでした。もちろん、これ1つで判断する様な話ではないし、これが量産作である事は箱からも明らか。それらを勘案するとしても・・・ね。

工程上、焼締めなどで「水指の蓋がカタつく」という事は、ある程度、理解されているもの。んでもまぁ、漆の場合は・・・木地を挽くのはロクロなわけですが、陶芸における「素焼」に相当する。その時点でカタカタするものに、「本焼き」に相当する漆を塗ってあるわけです。いくら焼締めでも、成形時で蓋がカタついたら廃棄するし、許容されるとは言っても、焼成後の景色が特別に好いもので無い限りは廃棄にするのですけれど。

まぁ・・・箱の感じからして量産的に作られた木地を使ったのでしょう。寸法だけを合わせて行くような民芸崩れの木地屋ってのがあるもので、茶道具なんか知らないから形だけ、寸法だけが合わせてある感じの手仕事量産系の風味。仕上がりに銘も彫ってないです。

「作れば売れる」という時代は、陶磁器もそういう側面が多くあったものですか。有名作家ほどに制作が追い付かず、職人が代挽きをした仕事も多かったと聞き及びます(職人さん曰く)。また、今は随分廃れていますが、昔なら素焼きの状態で売られているものも多かった様で。しかしそういうものに釉薬掛けて、それが馬鹿みたいに高額な値段で売られて行った・・・。そういうものかもしれません。桐箱の次第は低いけれど、材はそこそこのものが使われているので。

最近の量産モノの蓋がしっかりしているのは、プラ製という事もあるのかもしれませんね。やはり実物を見ないと駄目なトコ。「蓋の合わせがかなり緩いです」と書いてあれば考えたものを。自分で販売を手掛ける際にも気を付けたいものです。

まぁ、今回は勉強代でした。漆の塗りは参考になるので、無駄金ではありません!(と、言い張っておきます)

張り切って

作りたいという想いが強い時は、楽しい。・・・割と気分が載ってきたのか、窯焚きの予定が近づいてくると気合いが入ってきます。畢竟、何をどう言ったり、思ったりした所で、茶陶は御託で作れるものではなく。一種、全く経験感覚的なものに委ねて作り上げて行くものだと感じています。今日も雪。色々と頭の中が陶芸に染まってくるのですが、思うようには仕事は進んでおらず。Webもやらねばなりませんし、乾燥が遅い事を見込んで早めに作品を仕上げる事も必要です。

で、あるにも関わらず、ちょっと楽焼に手を染めてみようか・・・、などと本気で思ってみたりしています。端緒は・・・この前に茶道の稽古にて、御同輩から楽茶碗のことを尋ねられた時に、「作った事が無いので詳しい事は言えないのですが・・・」と、自分で言いながら、「作った事くらいは・・・、あってもいいんじゃない?」と思ったから。

もちろん、本格的なものが出来あがるとは思っていないのですよ。自分の調子に任せているだけです。


楽焼。原理としては七輪焼成ってやつと同じ。というか、七輪焼成は独自発想の様な感じで書かれているものの、明らかに楽焼の窯とか色絵窯の縮小版です。七輪は訓練校に居た頃に随分と。アパートの狭いベランダで焼いて、暇があれば結構焼いてました。ちゃんと温度も1300℃超で焼いていましたか。窯が無くって、それでも焼きたくって・・・、というものでしたが、よく苦情が来なかったものだと思い返します。茶碗を何とか焼きたくって、しかし素焼きも出来ないから、焼いては破裂させていた思い出があります。

楽は基本的には小窯。そういうわけで七輪焼成ってのは楽窯の縮小であるわけですが、温度計で測るとちゃんと1300℃の高熱が得られます。なので、物理上に市販楽釉は800~900℃とされているけれど、黒楽本歌などが「1200℃以上の高温で焼かれる」などと書かれるのはこの数値に基づいて書かれたものです。昇温の理論としては刀剣と同じ。今は当然、薪窯の事やらの知識があるので、まずまず、楽窯の仕組みを持ってくるのは難しい事ではなく、半日もあれば組んで、焼ける。

と・・・、「焼ける」と云うのは簡単ですが、あくまで「物理的に焼く技術は容易である」という話でしかなく、ちゃんとした名品が焼けるという意味ではありません。。要求技術水準としては、まず長次郎を目指すとして釉薬が壁ですか。加えて名品たる形。市販の楽釉みたいなのを焼いても仕方がない。
しかしともあれ、実際に焼いた事が無いと、何とも口先だけの話になってしまいます。茶碗という事ではやはり、茶道では楽茶碗です。その理由は様々にあるとして、ともかく絶対的な格が与えられ、茶碗としては天目と双璧を為すというか、そういうものとして扱われています。あと、伝世の信楽の手捻り茶碗なども楽の手法に同手です。形として、得ておいて損は無いもの。

しかし面白い事に、楽茶碗という世界もまた、実は「長次郎という大手本がありながら、その再現が実現不可能である」という桃山陶の宿命を背負って現代に来ています。楽家歴代の茶碗を観た時に、それは如実のものとして体感されます。技法としては十分に引き継がれ、他の桃山陶の様に断絶もしていない。しかし内実として、誰1人として長次郎に迫る事が出来ていないというわけで、「長次郎写し」などと言うは容易いものの、絶望的な差はいかんとも成し難く、現代作家の矜持など、いとも容易くへし折ってくれるものです。

時々、「瓦職人の遊びごと」などと言う人もありますが、まぁ「遊びごと」であったとしても、なかったとしても、その実物の価値が減ずるわけでもなく、その突出した素晴らしさが減ずるわけでもなく。もちろん、長次郎の作ったものが全て最高である、などとは申しません。当然、その中でも「屈指の作」であるものが「長次郎の代名詞で語られるもの」となるわけで。あと、語る人によって好みの長次郎も違ったりしますか。私も実物を全て見たことがあるわけではないので、何とも語るを避けておきます。


ちなみに面白い事に、最も楽焼が盛んなのは・・・アメリカじゃないかな・・・。RAKUって言いますか。釉薬も黒と赤だけじゃなくって、変幻自在の抽象画みたいな陶磁器だったりして、緑やら黄色やら金属調な感じであったり、まぁ面白いです。「芸術っぽい?」という言い方は不穏当で明確な誤りですが、そんな感じ。当代の楽氏が海外での評価が高いという側面には、RAKU焼が海外では「伝統手法」ではなく、「非常に基本的で簡単な、そして変幻の焼き上がりが得られる焼成技法」として知られている事は、1つの文脈として知って置いて孫は無いだろうと思います。

と・・・、余分な話は置いといて。

とりあえず、前から窯の設計は考えてあるので。壁になっていたのは釉薬。他人はともかくとして、私は自家調合じゃないと楽しめない人なので。もちろん、土も同様の事。出来がどうこうという以前に、面白さを知ってしまえば引き返す事が出来ないと云うか、「どうにかして自家調合・自家粘土でなんとかしたい」という方向で思考・嗜好が働いてしまいます。元より楽はブランドのものですから、販売としては極めて弱いもの。それだけに趣味の事が出来るという面もあり。


・・・などとグダグダ書いておいて。土が合わなければパシっと割れて「御仕舞」で、手持ちの自家調鉄釉が溶けなくっても「御仕舞」でありますから


・・・風呂敷は小さく広げる事にしときます。

今年で一番の雪?

とりあえず、明日のお出かけは中止・・・。北野天満宮の茶会へ行って雪見の梅が見れると踏んでいただけに残念。諸々の仕事を作っておいたのですが、そちらも断念。せっかくなので「積雪自慢」・・・じゃなくって雪の景色まで。

yukinohu.jpgこれが・・・

yukinoume.jpg2時間程でこんな感じ
 
門松ならぬ竹の門が出来ていて。右には梅の花。松が在れば目出度い限りでありますが、門が出来ているって事は、今年で一番積もっている?様な記憶になるですが、これが明日朝まで降るそうです。日の出が重なったりしたら「宝尽し」って感じになりそうですね。


で・・・、雪の時に丘を登るのは転んだりして危険なのですが、せっかくだから梅を見に。
(実際転んだ・・・。)

yukinoume2.jpg 

銀千樹。全然誇張でも何でも無いです。写真では何とも魅力を伝えられるものか怪しいですが、何とも綺麗なもの。黒と白が互いに引き立て合って、見事なまでに美しいです。一度、こんな魅力を写し取った如くの茶碗を作ってみたいものです。

yukiumore.jpg 

しかしフト思いましたが。雪って、色んなものを隠して、角のあるものも、色の強いものも、全てを等しく、丸くして。一見して、昔の電線無き時代の風景ってのは、こんな感じだったのかもしれないなぁ・・・などと思いながら・・・


とりあえずコタツに入ってます。

でわでわ。

静かな日

yukinohu.jpg 

いやしかし、今年はよく降るもので。明日に出掛ける予定があるので、ちょいとこれは思案ですが、まぁ仕方がない。これほど降るのであれば考え直したのであるけれど。ネットをしていると今日が何の日かgoogleさんが教えてくれるのですが、生憎と猫くらいしか相手をしてくれる人はいないので。もう少し、街中に出ていれば好いのですが、とりあえず灯油を買いに行くくらいです。

で。

Web販売計画ですが、来週頭くらいには開始出来る予定。Webサイトの方も色々と更新途上で放置しているので気にはなっているものの。ボチボチに、という所です。モノは、酒器少々と、茶道具を少し。個人的に次回本焼成の作品で開始したい様な欲もありましたが、試験運用的な形になろうかと思うので。それに、まだまだ、世の中はそれほどネットで買い物をするにも抵抗があるでしょうから、1つの布石です。

そういや、今日はエジプト云々で久しぶりにフェイスブックを覗いてみたら。いつしか海外の方から随分と気に入られたのか、某方より「今日祝いたい方No1」みたいなコトになってました。正月もそんな話がありましたが。英語出来ないので・・・とりあえず出来ないふりをして作品の写真を載せてるだけだったりします。 (御許し下さい)


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最近は漆。興味の無い人にはちょいと煩いですか。でもまぁ、一応水指には塗り蓋というものがあるし、金継ぎもあるので。役に立たないという事は無いかと思います。器の魅力を知らない人こそが器を割ってしまう様に、やはり漆の魅力を理解していない人こそやはり、工業用接着剤で真鍮粉というものを金継ぎと言い張ってしまいます。そういった仕事が、本業たる漆匠の方々から見てどうか。漆も陶器同様に茶道の核たる工芸ですから、茶道の人々からすれば漆器と陶器は同等に重要な工芸。茶室に入り込む陶磁器において「偽漆の御登場」ってのは・・・以下略です。ただ現実、そういうものが仕方ない面はあるかと思います。草庵などであれば少しは許されるのか?と勝手に思ってみたり。

漆の歴史、というのは私も詳しく勉強した事が無かったのですがこれも随分と古いもの。中国の祭器が青銅器であるとすれば、日本の祭器は漆になる。普通に想像する様に、やはり宮中御用達の高位高級の器。陶磁器だけが器ではありません。大きく云えば木椀ですから、大衆にも広く愛されてきたもの。そういうトコロでは、漆の前に白木工芸に対する理解も必要とされるかと。

白木という事では、やはり唐木が至高とされてきましたか。「黒檀の机」というヤツで、あれはかなり古い時代からの舶来尊重意識ですが、現代、例えば私も、器に銘を彫るヘラは黒檀を使っていたりします。舶来だから、では片付けられない魅力があります。重量感が好いですよね。唐木は、薪として使うと火力も強いです。水に浮かないのが欠点かな。

で、そういう白木はどうしても脆さがあります。緻密な材でなければ、やはり油で拭いたり、適度な湿度が必要であったりします。ウチは日本家屋ですが、エアコンを入れておくとどうしても過剰乾燥になりますから、材木には好く無い環境になります。現代の茶室で、冬や夏にエアコンを入れていて、大事な竹花入がピシっと割れるという話がありますが、風に直接当たると一発で割れてしまいますね。しかし逆に、湿度が高すぎると腐ってしまう。そういった管理における脆弱さがありますか。

なので漆も、やはり管理が難しいのかなぁ、などと思いつつ。

茶道と漆という事では、道具組から漆の格というものを見ることも出来る様で、例えば草庵の茶室には漆というものが少なく、利休の茶道で言えば黒棗1つばかりが漆黒の保持者になりますし、逆に書院であれば蒔絵無くしては語れない感じになっていきます。高台寺の漆で塗り込められた部屋の世界ってのは、中世の1つの理想であったそうですが、秀吉の黄金茶室に通じるものがあろうかと思います。同じ桃山時代の産物とは云っても、今の世の中と同様、草庵好みもあれば書院好みもあるわけで、何も別に1つだけじゃない。そういう選択肢が今の時代だけ特権では無いことを、歴史の遺物から改めて感じたり。


ま、私が漆を語っても仕方がない、というか素人話の受け売りになるので駄文になります。


とりあえずは工芸会正会員さん辺りの黒棗を1つ買ってみました。もちろん正規品は血を吐いても買えないので、ネットオークションで馬鹿みたいに暴落した中古キズあり品です。1つ1つ実物から勉強です。

御稽古。

今日は流石に足が痛い・・・。気付いてみればいつになく長時間にて、10時間近い?稽古でした。

冬という事で。今日は「大炉」の点前などを教授頂いたり。文字通り大きな炉で行う点前ですから、部屋が随分と暖かくなる様で。釜だけじゃなくって、御客さんも温まる感じです。さすがに手をかざしたりしませんけれど。昨日が雪でしたから、寒い時期に嬉しいものでしょうか。その他は四ヶ伝など。

そういえば家でも火鉢などを使っているのですが・・・ちょいと火残りが多かったのか畳を一部焦がしてしまったり。ちゃんと敷き瓦なりを敷かないと駄目な様で。底に軽石やカワラケを入れたり、伝熱性の低いワラ灰を入れたりするのですが、火残りが多いと通り抜けてしまうのでしょうか。まぁまず、火は出ないですけれど。

ネタは・・・何を書こうかしらん。今日は棗の事が気になっていたので色々と先生に教わったり。「1つ1つの点前には意味がある」という事は常々から教わる事ですが、「点前の意味が判って初めて、道具の取り合わせという事が出来る」という話が1つ、腑に落ちた感じでした。

取り合わせ、という事では。陶器に関してはやはり、茶陶というものは特殊ですから。ある程度、取り合わせというものを聞かれる事もあり、どういった茶室に適するか、どんな茶碗が好いか、という話を受ける事があります。陶器に関しては専門職ですから一日の長があるとはいえ、茶道に関してはまだまだ、勉強は不十分な所が多いです。やはり御先輩の方々は名物茶入の伝来なども覚えておられるし、ノンコウの茶碗銘をスラスラと出して来られたりします。仮の宣言とはいえ、「利休より某君、誰それに伝わり〇〇家の所蔵として伝来しております××茶入で御座います」(実在の経緯)などと出てくるのは、素直に「格好エエなぁ」、と思ったりします。直接に関係無い所からも、得る所は多かったりするので。

何にしても、若い内は「知りません」で通りますが、一応に色々と茶会にて花入など勤めさせて頂いているので。せめて伊賀に関する事くらいは十全を目指さないといけません。今日は格という事についても新しく得る所ありて。伊賀の格が高いとして、ではどういう意味で格が高く、どういった道具と取り合わせる方向で優れているのかといった辺り。単なる美的感覚だけでなく、歴史的経緯だけでなく、更に茶道的感覚としての取り合わせの妙、ですか。グダグダ書いても意味が無いので何ですが、1つ1つ扉を開いて行く事ですね。それがまた、茶事茶会に行った時の楽しみが増える事でもあり、それが実地経験でのものになっていくので。

1つの軸を中心とした侘びの道具を自ら作り上げてみる。そういう道具作りもやってみたいなぁ、などと思ってみたりしています。侘びを際立たせるには、別の極である端正な世界の力を借りる事もあるでしょうか。茶道具も色々と種類があるなぁ、と、思っていると、まぁ大体、作るモノが決まってくるわけですが。

と、何だか散漫な文章ですが、ここらで筆を置いときます。

春の雪

暦の上では春の雪でしょうか。こんな日は「家宝の掛軸」を掛けたくなるのですが、じっと我慢です。初個展の際に宗道先生から拝領したものですが、今日の様な雪の日に最高の御軸です。頂いた時は随分と舞い上がってしまって、字義をよく掴めなかった覚えがあるんですが。今日の春の雪に逢ってこそ、その意味をスッと感じる事が出来ました。自然の景色が語りかけてくるというか、景色が人に、軸の意味を教えるというか。そういう事って、ホントにあるんですね。(・・・すいません、掛軸の中身は秘密です。)

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甲賀は積雪ありて。動けなくなる前に、朝から用事を済ませてきました。明日の茶道稽古がちょいと心配です。四輪駆動とはいえ、タイヤはノーマルなのですよ。

御軸の代わり、というわけではありませんが。

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庭の花の写真を撮って来ました。右は雪中の梅花。まだ香りがするほど咲いてもいないのですが、雪の白い中、鮮やかな緑というのは綺麗なものですね。蕗の薹とはまた違う、春の雪という感じです。「銀千樹」の美しさ。庭に樹木ありてこそ、世に梅の花ありてこその美しさ。ありがたいものですね。



そうそう。ちょいと現実的な話でアレですが。昨日はそのまま徹夜をして。メールフォームのCGIがなんとかなりました。頭を色々悩ませた揚句、なんだか簡単な方法が見付かったので。色々触って、郵便番号を入力すると自動で住所を入力してくれる機能を付けたかったのですが、試行錯誤して失敗しつつ、最終的に導入が不可能である事に気が付いて。朝になる頃にはボチボチ整理されて。これであとは、販売する作品を決めるだけ。吉日を選んでWeb販売を開始致します。

仕事もボチボチ、春へ向けて。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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