雪降らず。

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最近は寒い日が続く様で。普通に工房内で凍て土が出来たりします。気温的には標高差があるので信楽より少しマシな筈ですが、谷風が吹いているので外気温と内の気温が同一化しやすい、もとい、工房の隙間が多いという事です。

雪の予報がここ数日続いているので気を揉んでおりましたが・・・

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結局、甲賀では全く降らず。遠来の御客様の予定が入っていたので心配していたのですが、雨も降らなかったので道も凍らずに。遠い所、ありがとうございました!


そういえば。今日・明日と恒例?のロイヤルオークにて宗道先生の楽志庵茶会が行われております。なので、明日はそちらへ行く予定。それもまた楽しみであります。夕刻からも会議があったりするので、明日は終日不在となります。

この所、丁度屋内仕事が多いですが、追々と、三月末方には次回の本焼成を行う予定です。薪の用意は随分と進んで、土の用意も十分に。あとは氷点下の季節が和らいできたら、一挙に進めて行きます。

Web販売の構想・・・

http://gasui.jp/hanbai/htop.htm

フラッシュのページ。扱いが悪いので思案中。

http://gasui.jp/hanbai/hanbaitop.htm

で、販売のサイトを新規に構築してみました。Webギャラリー的な感じですが、途中から方針転換したのでデザイン的にちょっと訴求性が弱いかもしれません。 販売は、現状のサイトに放り込む形を考えて途中まで仕上げたままですが、その案は引っ込めて、分離させようと思ってます。あと、自分の作品だけでなく、他の方の作品も扱える形にして行く公算を考えて、少し明るい感じのサイトで構築。但し、画像を多用しているので、欠点として”検索に引っかからない”というトコロが出てきます。

現状としては、多数作家のページなりがあるものの、簡易委託とか、マニュアル的な構築に従ったものが多く、作家が手掛けたとは思えない様なページが多いです。といって、デザイン性を高めると実用不適になっていきますから、プロの腕が必要なトコですね。ギャラリーなどは金銭を使って構築している感じです。Web専門?の陶器店も多く登場していますが、明らかに陶器に対して机上論的な素人知識である事が殆どで、結局は流通業です。作家の取り値もありますから、なかなか難しいであろうと感じます。成功している店というのは、現実同様、極めて僅かでしょう。

と、まだまだ、陶器のWeb販売。現実でさえ難しいのですから・・・、と思うのですが、古窯会にしてもですが、なかなか形にならないのは仕方がないです。そもそも、それほど先例の多いものでは無いですから、”新しい事”です。

果敢に色々とやるべき時期と思いつつ。ただ、Webというのは、元手が殆ど必要でないという所がそもそもの最大の利点でありますから、その点に於いては躊躇う必要が無い。それは有難いですね。

なかなか販売開始に踏み込めていないのですが、もう少し。

フラッシュの試作。

shisakuFLA.swf
(ブログ用に画像をかなり劣化させてます。)

とりあえず勉強せにゃぁならんかと思って、始めてみましたが。なかなか、これわ面倒な仕事になりそうです。使いこなせるのかなぁ・・・。あと、どれくらいのサイズが許容量なのか、ちょいと見当がつかない様なトコがあります。初めて触ってみましたが、意外と楽しい作業ではありますか。昔はコイツがあるとTopが重くなって駄目と言われたものですが。 Suzuka というフリーソフトを使用してます。ありがたや。

ブログは500kbまでなので、試作のものはサイズを圧縮して劣化画質。

画像サイズが600×800のブログ記事サイズを使ったから、もう少し小さくても好いか。


明日は出掛ける予定があるので、今日はこれくらい。

Web販売サイト構築中。

そろそろ凍らない時期になってきたか?と思いきや、またぞろ寒くなって来る様子。

岡倉天心の書物にしても、云わば宗教哲学の世界の勉強です。で、何となく根を降ろすべきトコが見えた様な気がして、昨日からWeb販売のサイトを構築しています。元より金儲けという事は、禅的な思想、つまり茶道とは相容れない側面があります。だから、茶道具を販売するサイトと言っても、しっかりしたもので在りたい小生としては、なかなか足を踏み出せない。

金銭と茶道という難しい課題。ヒントとなるのは、禅宗とて”食べる物”とか”修繕費用”というものが必要で、つまり何らかの方法で金銭を入手しなければ、毎日抹茶を点てるという様な事は出来ない。禅宗でも、まぁ食事の用意というのは高僧がやるもの。典座というものでしたか。

一日作さざれば一日食らわず

というわけで、やはり何か、商売だけで終わらせるのでは心苦しいので、仏教風に云えば「善行」を積みたいのです。こちらで頂く利益の分を、何かしら知識なり作品なりで埋め合わせしたいと思いつつ。

なかなか煮詰まらないですね。顧客の使い勝手を考えると、ある程度、世の基本的なデザインに従う必要もあるわけです。似ているだけに、ちょっと油断すると駄目になるというか、金銭の匂いがしてしまいます。そういうのは、自分としてもツマラナイというか、気に食わない。

あとは・・・ネットの利点を十分に活かすという事でしょうか。情報量や画像の事ですね。しかし情報量で買ってもらうと云うのも本末転倒なわけで、その辺りを考えると禅問答みたいな感じになってきます。

追々と修正しながら、かもしれません。その内に叩き台が出来たらお知らせ致します。

初茶会御礼

淡交会滋賀支部 初茶会。薄茶席にて伊賀花入。ありがとうございました。

今日は地元新年会と重なってしまって、何とも無念な事ながら失礼を致しました。田舎という事で、僅か14件の家長がピシっと準礼服を着込んでの寄り合いでありますので、特段に何もない交流の飲み会ではありますが、欠席というわけにも行かず。バスでの移動なれば遅刻しての参加というわけにも行かずでありました。午前中であったので、早くに終われば最終の席に行けないか?と思っていたのですが、今しがたに帰って来たので茶会にも間に合わず。

ともあれ。新年早々より、ありがたい事であります。目出度き初茶会の席でありますし、こちらも県下の茶道人の方々が正装して、というものでありますから、茶陶作家として、何よりの福でしょうか。感謝!

いやはや。事前に知っていたら通らない無理を通したかもしれなかったのですが、私の代わりに花入が参加してくれたと思う事に致しましょうか。今年も、より好い作品を提供させて頂く事で、少しなりとも茶道の発展に寄与する事が出来れば幸いであります。


今年も茶陶へ一意専心を。初茶会に参加は叶いませんでしたが、そんな思いを新たにしております。


今年も何とぞ、宜しくお願い申し上げます。

今日は仕事の話。

今日は気候も好く、日差しの嬉しい一日でしたか。作品の仕事は、先週に手を掛けた凍て土が好い感じの粘土に仕上がったので、そろそろと”柿の蔕茶碗”を挽いて行くトコであります。氷裂分解の粘土作りってのは初めてやったのですが、凍て土による粘土作りは優れ物と感じました。まだ、実際に挽いてみないと判りませんけどね。

今日は・・・
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薪を黙々と・・・・

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運び続けて三千里。違う。

二三日程、工房を留守にしていたら、叔父さんが丸太を全て玉切りしておいてくれてました。一日ちょっとの仕事だそうで。いつもながらに70半ばであるとは思えない馬力です。生木の国産赤松、20~30年モノの一級品なので、大きい玉1つで軽く50kg以上の重量があったりします。親父と一緒に、1日かけて屋内へと運び込みました。

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元の写真はこちら。12月の窯焚き中に頂いたもの。入手先は極秘。他にも米松を2tほど頂いたり、家屋の解体廃材も2tほど頂いて。皆様のお蔭・御好意にて、今年の窯焚きも安心して執り行う事が出来ます。薪の不足は1番の悩みになりますから、何とも嬉しい事。薪窯やってる人の合言葉に「御好意は赤松で」という言葉があるくらいなのです。(嘘です)


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帰ってくると・・・本が届いていたので早速に読み始めています。名著と言われるものですから、読むにしては遅きに失しているのですが、ともあれ実際にはまだ読んだ事が無く。禅の素晴らしさを世界が評価するのは、この著書があればこそ、でしたか。茶道国際化の先駆。ちなみに先週の宗道先生の講演会で、「茶道には道教の思想からも学ぶことがある」という話があったのですが、おそらくは中国で発祥した禅の原始に老荘思想の関わりがあるのだろうと思いつついましたが、なんとも、そういう細かいトコにも触れている様です。。少し前の記事で岡倉氏に触れましたが、その時に思い立って注文したものでありました。

ちなみに写真の表紙に書かれている解説。

「茶の湯によって精神を修養し、交際の礼法をきわめるのが茶道である。」

いやぁ・・・これを見ただけで、この本の価値を感じます。”おもてなし”とか”楽しい世界”とか、”文物工芸の教養”ってのは副産物というか、茶道の核はどうも、「禅なる自己修養」と、「正客との人間関係の極み」であるが故に、「釜さえあれば」という話になるのかな?と、勝手に思っているこの頃でありますか。なんとも時宜を得た書籍であります。

まぁ、長くなるのでこれくらい。


明日は淡交会の初釜なんだけれど・・・う~む。時間的に地元新年会と被っているので、大急ぎでトンボ帰りすれば、行けない事も無いと思われるのですが・・・。ちょっと悩んでおります。茶券も手にしていないので当日券の次第もあるし・・・。京都の淡交会初釜も行かなかったし、濃茶席もある事だし、ちょいと行きたいのだけれども・・・・。


と、後ろ髪を引かれつつ居ります。あと、カーナビ壊れた・・・。


まぁ、自営業をやっていると色々あります。

茶の問答稽古

今日も茶道の稽古にて、台子の基本の点前と花月。いづれ、四ヶ伝が終わったら台子点前(利休の完成させた点前)に入っていくので、しっかりと固めておきたい所。炉の季節もあっという間に過ぎて行きますか。

最近は・・・正客さんとしての受け答えで、色々と指導を頂いてます。言葉も、必要なもの、不必要なもの、しっかりと無駄と必要なものを区別して言葉を選ばないといけません。

うっかりと・・・
「御茶入れの方は?」

などと言ってしまって「”方”って何?」と激が飛んだり。判っていてもつい、口に出てしまう事なもので、指摘されないと気付かなかったり、ついつい「次は気を付けるか~」などと流してしまいますから、有難い事です。ブログ記事文でも余計な言葉が多いですな。多くの稽古場では、まぁマニュアル的な場合が多いようですが、北野道場は基本的に正式な茶事を念頭としている稽古場なので・・・。

「心得があれば判る様なものは、一々聞くものではない!」
という実践の芯があります。確かに普通、心得の無い人が茶事に呼ばれる事は無いです。
マニュアル式の応答とか、心の通わない儀礼も「駄目」の烙印ですが、まずは言葉も大事。


簡単に言えば、より実践的。するとどう違うか。

例えば。茶を点てる時の最初の挨拶。「薄茶を一服差し上げます」と挨拶するトコが多いです。私も瀬戸に居た頃は「薄茶、もしくは御薄と丁寧に言う事!」と指導頂いたりしましたが、北野道場では・・・

「茶道口で挨拶するのは薄茶だけ。それに濃茶を差し上げた後の席で、もう一回濃茶が出てくるわけも無い。連客の全てが薄茶と承知している所へ、襖を開けて一々、”薄茶です”と云う必要があるものか。よく考えてものは云わなければならん!」

という事に相成ります。故に、「一服差し上げます」のみ。


なかなか、グウの音も出ない話ですね。他に例を挙げるとすれば、”典型的な肩付茶入”に対し、紋切に「御茶入れの御形は?」などと聞く様な事は、「好ましくない応答」というわけです。「肩付と御見受け致しますが・・・」と云う様に、連客にも伝わる様にして応答を行うのが実践的な言葉遣いという事でしょうか。「肩付って何?」という水準の人は、そも「肩付で御座います」と言われても判らないですよね。「肩付です」と言われて、「これが噂の肩付茶入ですか!」などという応答は、まずあり得ない滑稽な場面であります。

 門外の方へ判りやすく言えば、ラーメン同好会の寄り合いにて、典型的な醤油ラーメンを出されて、誰もが醤油ラーメンと認めている所へ持ってきて、”同好会の会長”が「店長、これは何ラーメンですか?」と聞く事態です。ラーメン好きが聞いて呆れるというか、正客としての品格、つまり茶会の品格に関わる問題になります。また、本当に「何ラーメンか聞かないといけない!」などという人だとすれば、ラーメンを作った人(亭主)もガックリです。むしろ実際にこうなると、ラーメン屋の店長こそ、「変な味のものが入っていただろうか?」と心配になります。好ましい?応答であれば、「素晴らしい醤油ラーメンでありました。素材を是非御教示下さい!」というとこですよね。御互いの信頼関係や常連性、名物性など、様々な要素で好適な応答が変わります。茶道の習得が”単なる形式の暗記”に終わっては、死んだものになってしまいます。


と、格好良く書いてみた所で、これは難しい。よくよく茶事にも陶器の事にも、あらゆる事に精通している必要がありますが、それは一朝一夕のものじゃない。陶器に詳しいだけでは到底歯が立たなかったりします。形だけ勉強してみたい、という方にはマニュアル的なトコで好いのではありますが、「男は正客が出来ないと恥を掻く!」という事で、よくよく指導を頂いて。実際に陶器の事から軸の事から、受け答えするのは正客のみです。正客としての勉強も、次第に指導水準を上げて頂いている事を感じます。しかしとにかく、まだまだ実践的な知識が足りないのですよ。

ちなみに。教本的な書籍だと普通に、①御菓子を客前に出して、”②「どうぞ御菓子をお召し上がり下さい」 と挨拶する”と、書いてあります。これも、「目の前にラーメン出しておいて、漬物をお召し上がりください」という事があるわけもないのですが、要は書籍は書籍。書籍で学べない事であるからこそ、実践の意義・稽古の意味があります。書籍は書籍として価値はあるのですけれど。


簡単に言えば、

正しいとか、正しくないとか、そういうものではなく。

単に「無駄のない美しい会話」の、”暗記”ではなく、”実践力”の道場です。

といって、無駄が無いだけじゃ駄目で、会話も楽しくないと本来じゃないですから・・・。


と考えて行くと、「ちゃんとした会話」とは。単純な話ほど難しいもの。と云って身構えていても、乗り越えないと茶人さんへの道は無いので。今のうちに恥を掻いて磨いておく事でしょうか。有難く指導を頂いております。



”正客の稽古”は、一種の人格練成ですね。他にも水屋の稽古など。点前の稽古だけではないのですよ。



と、今日は稽古の内容を書いてみました。

道のつくやつ

今日は少し暖かい日でありましたか。家裏の日陰に残っていた雪も融けてしまいました。

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今日は御客様が御見えであったので・・・

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釜を掛けて、茶を点てておもてなしをしたり。

遠路ありがとうございました!


んで。今日は茶道の勉強をしつつ。最近まとまった勉強というか、まぁ復習が出来ておらず。例えば唐物の点前にしても細かい点にしても、稽古としては口伝のものであるわけで、どこにも本には載っていないわけですが、メモばかりが貯まってしまって、前にメモした事を忘れてしまう事も折々に。最近少し混乱している所がある様な感じですので、そういったトコを正確にという様なトコです。細かいトコが沢山あるので、唐物1つの点前をしっかり書きあげるだけでWord(余白無し)にして10ページ近くになったり。手順を追って書きあげて行くのも案外と大変ですね・・・。

途中、柄杓云々を書いているときに、まぁフト、先日”姥が餅焼き”で出てきた六角家の弓術について思い出して。”柄杓の扱いというのは、当時(当然桃山時代)に弓術から採り入れた動作であると云う説が在る様ですが、その当時とすれば、歴史の古い小笠原流と考えるのが至当かに思いきや、この当時の小笠原家は衰退期。一方の近江は六角定頼。信長に先駆けて楽市楽座を敷いて善政を敷き、足利将軍家を推戴した名家。その家臣である吉田重賢は400年を経て典礼的となった小笠原流に対して、これを実戦的に改めた上で一派を打ち立てる。その勢は宮中の射礼を代わって行う程のものであったらしく、やがて日置流の創始とされる事に。

って事は、茶道点前が完成される室町~利休時代ってのは、ひょっとすると日置流かもしれませんね。京都とはいえ、阿弥衆は将軍家。室町末期は近江の国に将軍家が長期間頻繁に亡命して、六角家が保護しているわけです。

弓道の歴史としては、その後は2大流派として日置流と小笠原流となるわけです。武士の嗜みとしての弓馬の術。これが弓道になった時には、やはり禅の思想を採り入れたそうで、武術を武道にしたのは加納先生ですか。つまり明治の事だそうで、弓道も同じトコの様です。剣道も柔道も右に同じ。まぁ、薄っぺらく調べた感じの話なのであまり信用してはいけません。

ともかくも、日置流(ヒキ)の始祖がドコの人か?って言えば、甲賀の隣、蒲生の人です。有名な蒲生氏郷公も元々は六角家の家臣筋なのですが、その領内というわけです。

んでまぁ、「ひょっとしたら近くに弓道の一大拠点道場があるのかいな?」と思いきや・・・


なんと・・・! 1件さえ無かった!


明治時代に「道」やら何やらにしたのは、在る意味で「鉄砲の時代だ!弓なぞ捨てろ!そんな暇があったら射撃訓練だ!」という明治維新の思想に対する救済・生存方法だったのかもしれませんが、ともかく弓道もそこいらで、名目はともかく、現実としては廃絶的な一時代を経ていったという事で。刀が不要になって刀匠が居なくなるとか云うより、弓はもっと酷い状態ですか。

まぁそこから、武道はスポーツという娯楽に変わる事で大衆の支持を集める。精神性を教えて疎まれるよりも、金銭を貰ってサービス業としての教室経営という時代かな。射幸心や楽しさ、競争心の世界。茶道もまた同軸の歴史かもしれませんね。


まぁ、ともかく一件もありませんでした。

しかし何だか勿体ない話も多いもので。甲賀の北隣・栗東で利休釜師の辻一門が残っていれば、これは千家十職よりも格の高い釜師となっていたでしょうし、同じく北東に隣接する蒲生に弓道が残っていれば、これも本山的な地位を占めていても好いものでありましょうか。判り易く言えば新陰流創始者と同じで、時代も同時代。まぁ唯一、栗東では馬術が随分と盛んになっておりますが、これまた明治の際に伝統馬術を捨てて西洋馬術の導入が行われています。これわ、有名な坂の上の雲の御方でありますな。何か華のある感じで導入が描かれますが、伝統的な馬術が捨て去られた瞬間でもあるわけです。


やっぱりなぁ・・・明治維新ってのは相当な無理があったんですね。あらゆる伝統を犠牲にして、見事に捨て去ったわけで。なるほど、海外から脅威の眼差しを送られるわけであります。何か、伝統に執着した中国の方が正常だったのでは。有名な
>
西洋人は日本が平和な文芸に耽っていた間は、野蛮国と考えていたものである。ところが日本が満州の戦場に大虐殺を行いはじめてからは文明国と呼んでいる。
>
ってやつですね。「茶の本」です。


以下蛇足になります。

しかしホント・・・今でも、この流れは停まっていないかと。今の文脈で言えば、「大虐殺」が「経済大国」になっただかと。「先進国」ってのは「経済大国」の事。つまりは「お金持ち」。「お金持ち」こそが「先進」で「幸せ」であり、「成功者」です。名物道具を買い漁って、茶も点てられぬのに「数寄者したり顔」という時代があったそうですが・・・。「日本文化」とか「文明国家」の本質を忘れさせた原点は、意外と遠い、明治維新に在ったのかもしれません。今とて、経済という美名、国際化という美名による文明破壊ですか。


日本は・・・併合こそ免れたけれど。「文化をお金に換える行為」が、何か随分と公然に行われる風習が出来てしまいましたね。町興し、村興しにしても、工芸の衰退にしても、京都観光であっても、すべからく”豊かな文物の金銭転換”の流れ。まぁ、お金が必要ってのは判るんですけど、そういうものは二次的な目的である筈が、気が付くと儲け事に夢中になってしまう。そういうトコを自制させるのが茶道など「道を納めて尊崇される人の仕事」であったり、儒教的な教師であったり、指導的な仏教社寺の仕事であったかと思うのですが、つまりは「叱りつける御爺さん」の存在ですよ。 美しき呪文「嫌な事は人にしない」という甘やかしの短所というか・・・

こういうのは・・・言葉にすれば如実に感じますが、「格好悪い国」ですよね。

「美しい国」というスローガンが少し前にありましたが・・・。裏を返せば「醜い国である」という事です。




せっかくの文化遺産があるわけですから、もっと楽しく、深みのある世界にしたいものであります。



(あらら。また皮肉っぽい記事になってしまいました。私も人が悪いことで・・・。)

たまには映画

なかなか、冬の時期は陶芸の話題が少ないと思うのは勘違いでしょうか。今日はレンタルDVD(さすがにVHSではない)を観たりしていたので、その辺りの日記です。

借りてきたのは「禅 ZEN」という映画。2009年の正月の公開ですから、2年遅れというトコです。普段は街中へ行かないのですが、買い物へ行ったついでに、新しく店が出来ていたので。偶々に入ってみました。「それでその選択肢はどうかと思う」という突っ込みは置いといて。

禅宗が茶と深い繋がりがある、という事は好く知られているのですが、歴史の基礎知識を書いてしまうと、禅宗にも大別した2派がありますね。曹洞宗と臨済宗。妙心寺とか大徳寺という京都に本山が在るのは臨済宗の宗派。逆に道元で有名な永平寺は越前の曹洞宗になりますか。

内容について云々するってのは、まぁ何か「2年遅れでどうなのよ?」という感じがするので止めておいて。禅の言葉を題材とした感じの場面が多いので、普通の「道元歴史ドラマ」だと思うとサッパリかもしれませんが、冒頭からして解説無くも「金襴の袈裟=欲望の権化」として描かれていたりして皮肉的な面あり。なかなか面白く拝見させて頂きました。

金襴の袈裟の話は前にチョコっと書いたかと。現代も、禅宗系や叡山天台宗などは質素を旨としているので金襴の袈裟を着ない。一方、浄土宗などの坊さんは紫衣金襴で、いかにも金持ちであります。ちなみにウチは金襴袈裟の宗派ですが・・・。

とはいえ、現代では本来の袈裟の如くに”ツギハギ服”という事はありませんから、どちらも形だけの象徴です。どちらが好いかというのは置いておくとして。ウチの在所では近隣5人のお坊さんが一緒に御経を唱えるのですが、一人だけ天台宗で、帽も袈裟も質素です。4人は金襴で、一人が茶色の地味な僧服。そういうのを、さて人々が見た時に思う事は、やはり金襴の袈裟に有難味を覚えてしまったりする方が多いというのが実際だったりします。

好い悪いという事では、浄土宗などは現実に即して、「じゃぁ金襴を着た方がいいだろう」とするわけで、”衆生救済を旨とするが故”と見れば理解出来ないものではない。一方、後者は質素を貫き通している事からも判る様に、禅は悟りを得るための、”各自が質素であらんことの手本”としてやっているものであるからして、これも理に適っている。現代では質素な天台宗の坊さんも、当時は叡山の破戒僧として登場し、越前への追い立て役となっていたり。

ものの見方・手法は宗教・宗派によって違うとはいえ。

本質的には宗教は全て同じ事なのかなぁ、と感じたり。禅の故郷は中国ですが、その他仏教もまた中国でありますか。その説き方は違うとしても、本質的には人を救済するという目的にて同一。茶道の宗派などもまた然りで、茶の心の目的も同一。そういうのは、まぁ言えば政治にも然り、陶芸でも然りである筈ですが、なかなか、世の中はそう簡単には割り切れない様で、同根である筈のイスラームとキリスト・ユダヤ教の関係に於いては絶望的なまでの対立に発展していたりしますか。

何かそういう、割り切れないものを、割り切ろうとして、しかし割り切れないのが宗教なのかなぁ・・・と。

変な感想になってしまいましたが。「割り切れないモノは、鼻から割り切ろうとしない」という現代の合理主義に対し、宗教というのは何か大いに参考になるべきものが含まれている様な気がします。


と、何か小難しい事について、若造が思ったままに書いてみました。

Web販売計画

色々悩みながら。冬の間にWebでの販売を、と思いつつなかなか構築作業に入れずにおります。デザイン的なものはその場でチャチャっと決めてしまうので比較的楽なのですが、色々と考えるトコが。

ちょっと論点整理のつもりで書きあげてみます。


論点の1。ネットの不利な点、”仮想販売”ってトコの前提について。

昔は基本的に、工芸品なるものが適さない最大の理由でしたか。御存知の様、10年前ともなればISDN回線も多く、遅々とした画像表示機能やら回線速度というわけで、高解像度の写真画像などは実用的に論外でしたね。如何に表示速度を軽くするかという事で、音楽などもMIDIが主流でしたか。しかしデジカメ、パソコン、ネット回線の進化は著しく進みました。過去の議論と同列に語るにしては時代は隔世の感ありです。

視点としては当然ながら、最先端PC環境ではなく普及状態のPC環境ですが、今後の事を考えて行くに、Web販売の拡大は有っても、縮小という動きはありません。まぁ多分、どちらかと云えばPC本体などを作っている大企業が、その需要を伸ばすが為に、今後も頑張ってくれるでしょう。携帯電話の無駄な進化と同じ力場が働いているのではなかろうかと見ているのですが、まぁそんな分析はどうでもいいです。ともあれ、時々に検討してみる事も。

お金の事、であります。しかしまぁ、安くというのは時代の要求でもありますか。Webってのは、いわば中間業者を省く事によって安くする事が出来るのが大きな利点です。百貨店で40%近い販売手数料を取られるというのは、まぁ最近話題になったクーポンサイトの話ではありませんが、負担が大きい。しかしネット販売大手などでは手数料として売上の10~20%負担程度でしょうか。もちろん、百貨店は広告を出したりしてくれるし、世間的な信用も高い。そこらを含めても、どうでしょうか。時代的に、世の人々は信用というものに金銭を払わなくなっているのだと思います。

細かい点の良否はあるとして、大枠として時代の流れを得ている、というのは確かな所です。作品としての世間迎合というのは良し悪しですが、”商売方法としての世間迎合”というのは、趣味ならばいざ知らず、生業を打ち立てるとなれば絶対的に必要な事になります。

問題は・・・対面的な、相互対話が少ないというトコでしょうか。しかし対面販売の時もまた、割合とその会話は一方通行的である様な気がするのです。それこそ百貨店の店員などは何一つ説明出来なかったりする様なトコで、さて対話、対話唱えてみても違うのではないか、という気がしないでもありません。利点としては、多くを語る事が出来るのがWebのイイトコです。


論点の2。しかし簡単に売れるわけがない。

しかし当然ながら、多くのWeb販売サイトが壊滅的な状態で放置されている様なトコだったりします。そりゃまぁ、商材として普通に売れないものをネットにもってきたからといって売れたら苦労はありません。陶器の絶不況は、何というか、新しくネット起業された感じの通販サイト、また茶道具関係でも通販サイトを多く見ることが出来ますが、直感的に感じることは、「あまり、買おうという気が起らない」という言葉に尽きるでしょう。まだまだ敷居は高いし、同時に、商品の画像と値段をぶら下げる様な販売サイトは無意味という事でもあります。作品と同じく、どこにでもある様な薄っぺらいサイトには何の魅力もありません。

さりとて。批判は口先三寸の仕事でありますが、実行には更なる経験なども必要ですし、労力も勘案する必要があります。買い物カゴシステムが気に入らないとして、ではそれを改良したものを自前でプログラムするとなれば、それも面倒な仕事になります。加えて最近はセキュリティ云々もありますので、妥協もまた必要なトコ。カゴシステムを借りるかどうかというトコも、カゴだけ借りるのか、はたまた大手サイトに手数料を払って参加して、クレジットカードも使える様にするのか、などなど、大きな選択肢に関わってきます。とはいえ、R天などに関しては定額部分が大きいので商売的に合わないと考えています。


論点の3。現実との合わせ方

そも本式の茶道具をWebで、という様な事は王道ではありません。本物の茶道具というのは、やはり人と人の中で渡り歩くものだと思います。そういう意味では、さて商品を何にするか、という事も限られてきます。今のトコでは酒器など核心的な茶道具からは外れるもの。稽古用の茶碗や、大人数用の数茶碗などもそういった部類でしょうか。本式として挑んでいるものは写真画像のみ、という辺りで考えていますが、”Webは全てが邪道”とするのも奇妙な話でありますから、よく知った方がWebからという事もありましょう。

まぁあとは・・・自分のもの以外をどうするか、ってトコとか。

細かいトコはやってみてから、やる前からウダウダと考える必要の無いものが多いわけで、最初から巧くは行かんでしょうけれど、ともかくは手掛けてみる。そういうトコでしょうか。



とりあえず現今の考え方をまとめてみました。買い物カゴを借りる・借りないの選択肢。借りる場所も色々増えてますから、そういったトコでどこまであがあるのか。また、借りた先ではデザイン的な制約が付いて回るものでして、そこいらが決まれば動けそうではあるのですが、ともあれ思案中。”起業”をカモにしたビジネスも多いですから、要注意です。

家の中で

今日は休日にして籠っていようかと思ってみたら。床下の配管が凍って湯が出なかったり、普通に居間の温度が2~3℃だったりします。工房も、室内のバケツの水が凍っていて、まずまず作陶には安定しない気候。今年は何やら壱月寒く、弐月から少しく和らいで行くと聞きますか。個人的にはその方が仕事の調子が好さそうです。

ネタが無いので。冬は小難しい記事を書いている事が多いなぁ、と自覚があるので、今少し気楽な記事が書きたいもので。


暇なのでテレビを付けてみると・・・

「勉強なんかしても お腹は膨らまないや」

と、子供がのたもうております。


三国志の映画です。まぁ、その通りであります。腹が膨れたら・・・

「御腹が空いたよ~。」
⇒「じゃぁそろそろお昼の御勉強にしようか。」

という話になって、さぞ世の中は賢人ばかりになるのでしょうか。楽しそうです。
あ・・・。でも勉強熱心であるほどに太ってしまいますね。三時の勉強とか。
数学は腹が膨れて旨い!とかなりそうです。


三国志は幼少の頃からのファンでありますか。

「一本の藁も 合わせて編めば丈夫になります」

などと周都督が申しておりますが・・・。


素朴なトコに感じるものが変わってきたなぁ、と。三本の矢より真理を突いていると思うのですが、そういう方向にやると説教臭くなるので止めときましょう。三国志ってのは元々がそういう小説ですからね。

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そういえば、訓練校恩師である二十先生から贈り物も。ありがとうございました。内容は二十先生が岐阜新聞に寄稿されていた小論集。景徳鎮の最新事情などが書かれております。中国もまた、日本と同じく手工業から機械化の流れありて、しかしその流れ方は随分と早い様子。デザイン競争などでも国際間に増して国内間模倣も酷いとありまして、技術の面では既にしてファインセラミックスの方へと足掛かりを得るべくしているとか。工業用の電材部品の事です。簡単にザックリ云えば、高精製の磁器粉末を、高温プレスによって焼結するものです。技術的には金属部品技術と共通するものでしょうか。半導体を作っていると云えば判りやすいかもしれませんね。セラミック包丁なんぞは副産物でしかありません。

技術といえば窯業の新時代としては”電子レンジ窯”の実用が進んでますが・・・。果たしてこれからの時代に窯を進化させて何か意味があるのかなぁ、と思ってしまいます。つまりは”陶器を安く作る方法”の模索なので。トンネル窯で懲り無かったんでしょうかね、この業界は。

あ。いかんいかん。また話が暗い方向に・・・。

というわけで、とりあえず今日はこれくらいにて。

今日は新年懇親会

昨日に引き続いての稽古日にて。今日は初炭を繰り返し行って、手順にすっかりと馴れるまで。三か月振りというトコであった事もあり、思い出すだけで精いっぱいでしたか。朝から昼過ぎほどまで稽古の後、夕刻から大津のホテルにて淡交会の新年懇親会。県下の裏千家幹部の方々と、各青年部という事で、もちろん青年部の一員として参加。楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

ちなみに懇親会の前には滋賀県・裏千家茶道の指導者として、宗道先生の講演。何だか月を経るごとに宗道先生のスゴさを色んな方から聞いたり、気付いたり。最近は何か恐縮していればいいのやら、従来通りにしていればよいのやら、よく判らない自分が居ます。

講演の話では、まず第一に「好いものとは何か」という話でした。数十分の講演ですから、まぁなかなか、内容を簡潔にまとめる事は難しいのですが、陶芸であったり、茶道であったり、さてラーメン屋の話であったり、仏教の話であったり、利休の事、自然山野の事など、多岐に渡って具体例を引いての本質論。茶道人口の減少とは何か。趣向茶会に対する批判。迎合してしまう事による弊害など。

「今、目に見えているものが全てか?」という自問自答。「今、やっているものは好いものか?」という自問自答。「好いものとは何か」という自問自答。

茶会の目指すべきは何か。その方向性の在るべき姿とは。

色々と、陶芸にとっても非常に得る所の多い講演でした。伊賀ってのは自然物に譬えると何になるか。無駄を削ぎ落とした利休的な視点において、伊賀の装飾的な部分をどう捉えるか。どういった装飾が可であり、どういった装飾が不可であるのか。そういった作陶哲学における課題における答えなども見つかりまして、さてさて、好いものへと繋がる収穫大という所。桜とは何か。松とは何か。生茂る緑とは。身近な所に答えがあるもの。

個人的に、伊賀ってのは”松”のモノだと思っているのですが、そういったトコでの哲学です。


ともあれ。今日は大雪という予報でして、宴会後には雪が降り始めていたものの、大事を取って高速道路を使ってみたら、甲賀は見事に晴れておりました・・・。

稽古始め

さて、今年の稽古も始まりまして。新年明けてという事で、茶道の許状の申請なども。

今日は濃茶・唐物の辺りの稽古。ドイツから遠路・集中修練に来られている方が居られたり、皆さん少し華やかな着物を着て来られたり、新年という事で賑やかな稽古でありました。

ちなみにですが、今年は茶道に専心する部分を増やそうかと思いつつ。
と言いつつ、早速からの新年関連の出費に色々と頭が痛いのですが・・・。

やはり元々が茶陶をやりたいが為の陶芸であるという、まぁ云わば自分勝手なトコが主であります。加えて有難いことに、大いに期待をして下さる方々の応援もあります。そういった応援に導かれて、より深い所へと入っていく事を思っています。

「茶陶では食えない」とは長期間に渡って謂われてきた話。実際もう、茶陶作家というのは死滅状態に近いもの。多くは片手間の茶陶でありまして、茶道の側からは質の低下が随分と嘆かれてきました。デフレスパイラルという様なトコですね。悪循環が悪循環を呼ぶ悲しい状態です。

色々と、「やらねばならない事」、もとい「やりたい事」は多く。何となく感じる事ですが、今の茶道の中、若い方にしてもベテランの方にしても、今一つ、陶器の見方を十全に把握する事に苦しんでいる方が多い事を感じています。自分を振り返ってみてもさて、備前が少し判る様になったのは去年の事。志野の勉強もまぁ去年の事。柿の蔕についても判っている様で何も判っていなかったというか。見れるだけの眼が足りなかったと言わざるを得ない。陶芸という仕事、それも茶陶専従に近い形の仕事をしていても、この有様であります。茶道的な視点というものも十分な理解には不足が多くあり、まだまだ先がある。

個人的に思うのですが、やはり図録や写真を引っ張り出して、「イイモノでしょ?」という様な講義には限界がある。視界に入っているだけで実感が無い。博物館へ行って色々と手に取ったとしても、まだまだ実感は足りない。

器の好さというものを伝えるという事。判りやすいものは別に好いとして。侘びの器など、「一見して判り難い美に対する視点を、容易に得るための方法」というものを体系的に考えてみたいと思いつつ。幸いにして今年は青年部の陶芸体験がありますから、そういったトコで判り易く伝える方法を考えてます。

何というか、従来茶陶の「伝統という御託に拠って好さをゴリ押しする商売」と、「伝統と言う言葉に何となく安心して買ってしまう需要」という関係は、やっぱりなんか詐欺的な匂いがしてしまうんですよ。私などもそうですが、同世代友人と話をしていても、何か世の中に対する不信の心が強くあり、やはり詐欺的なものを敏感に感じ取って敬遠するトコがあります。現代的に言えばまぁ、「マスコミや雑誌の信頼性を利用して安心させる」などという手法に走るのが商売ですが、商売抜きにして、ちゃんと出来る範囲で正常化して、もっと本当の意味で陶器を楽しめる人を増やす。自発的に勉強に走る人をもっと。そういう仕事に取り組んでみたいと思いつつ。

そういう仕事ってのはやはり、陶芸に携わる人間がやる仕事かなぁ、と。”儲からない事”はやらない世の中ですが、古窯会ってのはそういうものにしたいと思ってます。茶陶に関わらず、陶芸の面白さとか幅の広さを楽しんでもらって、より深いトコへ誘っていけるもの。クラフトとか日展とか、それ系のモノがあって初めて茶陶の特徴が判る。逆もまた然りです。都会を熟知してこそ田舎の好さが十全に感じられるものでありますし、田舎を熟知してこそ都会の楽しさが倍増する。そういうトコから、両方に熟知して、田舎なり都会の生活を十全に楽しめる人が出来てくる。そういう単純なコトが深く知る為の端緒になるかと思ってます。

まぁもうちょっと、しっかりやらないといけないのですけれど、何せ皆が皆忙しい頃合いですか。なかなか現実には難しいのかな。


とまぁ、何か新年の抱負的な内容になってしまいましたが。

明日も茶道の稽古なのでこれくらいにて。

なかなかに

用意はあれど、なかなか取り組めなかったりするのですが。

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初稽古の前日くらいはやっておきたいものでありますか。
(釜が小さくて可哀想だ。与次郎を見ただけに一層感じる・・・)

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柿の蔕の初作と・・・ (色合いが一緒じゃないですか。)

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天目と・・・ (台天目の台が欲しいなぁ・・・)

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土耳古青と・・・ (夏だな、これわ。)


という感じで三度。エセ唐物とかも欲しいなぁ、などと思ったりしつつ。

復興膳所焼でもいいけんど、割合に高いのよ。

あ・・・。自分で作れって事ですかね・・・。問題は仕覆です。

茶と美 第十回

思い出したように第十回。柳宗悦氏の「茶と美」の読み解き。毎度ながら長いです。

>
この国(日本)においてほど美に楽しむ心の余裕を有った民族は無いであろう。それ故吾々の心の現れである器の美は、支那におけるような強さの美でもなく、また朝鮮に見られるような淋しさの美でもない。色は楽しく、形は優しく、模様は柔らかく、線は静かでありすべてが温和であった。固く在るべき磁器も日本においては優しさの衣を着ている。
>

読むほどに、この書、柳氏がなかなか本質を突いている事を否定出来なくなるのは楽しい。以前はツマラナイ書であると思っていたものであるだけに。文章はよくよく、語尾まで注意して読むものであると最近は思うのであるが、”速読的に読んでいたのでは何も得られない書物”の存在に反省を感じます。

例えば、茶道の点前教本などでも、「次に茶杓を拭き清めて」と書いてある。これを「拭けばいいんだな」と読んでしまうという愚かな速読的行為は、判っていても、ついついとやってしまうもの。上の文章なども、速読的に「あぁ、”和陶は中国とは違って柔らかい”っていう極めて当然に感じ取れる事を、事更に書いているのか~」くらいに流して理解する事が多いのですが、ちゃんと分解して読むと・・・


”日本陶磁器の特徴である柔らかさであり優しさというものは、日本の持つ「美に楽しむ余裕を持った心」が表出したものである。”という話が書いてある。「陶器の特徴は民族性に派生する」という論点において、日本の民族の特徴は”余裕”とか、”鷹揚”とか、寛容とか、そういうものである、というわけです。

最初の一文を流してしまうと取り損ねる論点ですが、ここで云う「美に楽しむ余裕」ってのが何かと云えば、この書のテーマは茶道です。「通常人々が打ち捨てる様なものに美を見出す」という茶道的な美意識を念頭としていると見て誤りは無いでしょう。他者に対する感謝というか祈りというものが、いわば伊賀の破れ袋、井戸のカイラギであり、金継ぎであるという所の美。いわゆる「完全なるもの」に対して「不完全なもの」に美を見出すのが日本人独特の美意識と言われるわけですが、その裏にあるのは「心の優しさ」であり、「余裕」であると云うわけです。

別の言葉で云えば「判官贔屓」でしょうか。弱者や薄幸である者に対する優しさ。それこそが和陶の柔らかさの本質である、というわけです。現代風に「美しいものは美しい。御託はいらない」と言ってしまえばそれまでですが、「美意識は畢竟主観的なものである」という事を認めた上で思えば、鑑賞者の心が変化すればこそ、「美しきもの」が変化するわけです。


利休時代とて、侘び寂びを理解した人々は、曜変天目よりも純粋な黒が美しい事に気付き、更には国産の未熟作である灰被天目が草庵に合う事を発見してこれを高く評価したわけです。その移行を決定的にしたのは、何も「利休がそう言ったから」ではなく、意識の変革でありましょうか。禅の心と云えば大仰ですが、仏の心と思えば、それは「弱者への配慮」でありましょう。そういった心を持つ者が、「日本の陶磁器」を作り出し、また同じく評価をしたわけです。これはまぁ、友人、家族、親族。あらゆる無情なる死と常に隣り合わせであった戦国時代の人々であればこそ、その思いは強かったのではないでしょうか。

桃山時代とて、「平和な時代」といっても、「壮絶な死の時代を乗り越えての平和」であります。それから次の20世紀になって再び日本に「壮絶な死の時代」、つまり戦争の時が来ます。二次大戦後の平和の中で偉人作家が登場したという事に、それを評価する人々がスポンサーとして支えた事。何か無関係ではない様な気がします。


しかしもう1つ。よく読んでみれば「温和であった」と過去系で書かれています。つまり、失われた過去のものであると説いているわけですが、その理由には「作為」が槍玉とされています。

まぁ云えば、人々の心が「本当に優しい心」から、「優しさを演出する心」に移っていったという事になります。「やらない善よりやる偽善」とはよく言ったものですが、当然ながら正真たる「善」の前には「偽善」など寒々しいものである事は真理でありましょうか。

去年に出版された裏千家大宗匠の著作にも、そういった旨の事が書いてあったと記憶しています。

なので、この論理が正しいとすれば・・・

「演出もまた是なり。」という現代的な感覚で陶磁器は作られ、評価する人々もまた、「演出こそ美なり。」という観点で物を見る様になっているわけです。「このCMは巧いなぁ・・・」と、「自画自賛など当然の事」として受け取れるほどに、演出に慣れてしまった時代です。「時代と共に美が変化する」というのは、まぁ云えば、「人が変わった」という事なのだろうと理解しています。

過去の美の原点を取り戻したければ、「不自然なる物は醜なり」という感覚の作品が、「優しさこそ美なり」という観点で受け止められる必要がある。飢餓と戦争に晒された人々が、物を分け合っていた時代こそ、その特質は強かったのではないでしょうか。

個人的に、陶芸を「芸術」などと高尚化する行為は容易いとはいえ、その本質として和陶が本来「優しいもの」である事は、意外と今の日本人とて直感的に感じているかと思います。伝統的な器と、現代的なキレのある器。「長く使いたい器、日本らしさのある器とは?」問えば、人々は直感的に民芸調のものや伝統的なものを選ぶでしょう。

ある意味では「迷いの時代」でしょうか。「好いとされてしまっている演出過剰な器」に対する人々の飛び付き方というのは、何か「次々に登場する家電新製品に夢中になる人々」に似ています。好奇心を刺激して購買させ、その勢いを金銭に換える。美味しいものを矢継ぎ早に出して、客は夢中で食べ続ける。新しさ、安さ、判りやすさ、人気、などなど。

お祭り商法ってのは、大企業・マスコミの「常套的な演出商法」でありますが、いい加減、御客は御馳走に飽いてしまって、「茶が飲みたいなぁ」と思っている様な。特に若い世代は従来の演出商法に冷淡です。


時代の潮流は、「演出の時代」を終わらせようとしていますか。ただまぁ、その次が何かっていうと、「本物の時代への回帰」というわけでは無い様な感じがしています。「何も信用出来ない」という閉塞感のある時代というか、何か虚無的な感じです。本物っぽく演出されたものが本物を駆逐してしまっている。「良貨の時代」から、「悪貨が良貨を駆逐する時代」を経て、「貨幣を信用しない時代」でしょうか。 本音を云えば本物を希求し、見抜く力を欲して頂きたい所でありますが、演出が巧妙である事により、それを面倒として放棄してしまう時代となる危惧が大いにあるのではないか、と思います。

人を信用しないというか、不信の時代に生まれた陶器は、さぞかし寂しい陶器でありましょうか。その時の需要はしかし、人々は本当に信用出来るものだけを、という需要になるでしょう。需給の喰い違う時代。陶芸家無用論。

「演出過剰な陶器を作り続けていても、不信に疲れた日本人の心に一服の茶を呈する事は出来ないのでは。」などと、そんな事を思っています。茶一服の余裕無き世界に、日本の美は戻ってこないのではないか。

「こんな時代だからこそ、茶を一服」。そんな茶の精神に共鳴するもの。


と・・・、随分と脱線しつつ、思うままに長文になってしまいました。

以上、第十回の読書感想文まで。

雪融けの姥が餅。

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ちょっと危険な山道も雪が融けてます。なにせ通行量が少ないですか。
ちなみに幹線道路は全く問題ないのですよ。

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んで・・・土を掘りに行って・・・

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土造り。とりあえずは”柿の蔕茶碗”の土として用意。150くらいは挽けるでしょう。もちろん、単に土練機を通しただけですので粘りも少ない。今しばらく土造りの工程があるわけですが、せっかくの季節なので凍て土にしてみようかと、外に放り出して来ました。明日も何か雪みたいで、方々で「いつから滋賀は雪国になったんだ!?」という声が聞こえてきます。


今日のネタは・・・姥が餅焼。

いやまぁ、たまたま伊勢の赤福が廻って来たもので、先日の初茶会でも「姥が餅焼」の茶碗が登場しておりましたか。それでフト思いついただけのネタです。姥が餅焼ってのは、江戸中期の焼物であるわけで、なかなか、そうは知っている人が居ないというマニアックな焼物でありますが、しかし、なかなか侮れない焼物であったりするものです。そも現物を見る機会なぞというものは滅多に無いかと思います。

確か去年にもチラっと書いたかな。近江の国には、天領として栄えた信楽焼以外に、遠州七窯である膳所焼、井伊家彦根藩御用の湖東焼、という格の高い焼物以外に、濱庄さんやら柳さんが指導に行った事で知られる八田焼・下田焼も江戸初期からの窯でありますが、それぞれに地の粘土を使って作陶をしていたとか。「水漏れの無い素焼き盃(カワラケ)」というものは独自技術だったそうですが、今は神社も、カワラケなんぞというものは陳列棚に入っているだけでしょうか。

ちなみに現況ですが・・・・。「民芸」の本にも載っている八田・下田は火が途絶えてしまったというか・・・。保守的に民芸を守ってしまったことで支え切れなかったと聞き及びます。御当代と何度かお会いした事が。一方で膳所・湖東は早期に火が停まっていたので現代は再興モノ。湖東焼は過去の品とは似ても似つかぬ作品を焼き直して土も適当。しっかりと頑張っているのは膳所焼で、頑固な親父さんが私財を使って再興し、膳所焼美術館と共に茶陶として一応の名を獲得している。敢えて言うなれば、一流の作家を雇って作らせる次第へと運んで行けば、更に今一歩出られるだろうかと思う。

民芸に関しては、県下各地にて〇〇焼なるものを新しく名乗っている例が散見されるので、ある意味では八田焼・下田焼が、”そういうものと一括り”にされてしまった恐れがあろうかと思います。私も以前、そう思っていた時期があるからです。新しく適当に、さも由緒ありそうに名乗っているもの。例えば、”青磁を使って琵琶湖焼!”という様なものは、すべからく低品質な土産物窯です。そういうものと一緒にされて、民芸が民芸として評価されなかったという事もあろうかと。(一応検索して無い事を確認。)

あぁ・・・脱線した。

代表的なトコであるわけですが、細かいトコに「姥が餅焼」が入ってきます。焼物自体は「姥が餅」という銘菓を載せる皿なわけで、時代的に焼物の器を使うってのは贅沢な事であります。場所は草津。まず江戸時代当時であれば、誰もが知らぬ有名な宿場町。「草津」と云えば「近江の草津」であり、「温泉の草津」(群馬)では無い時代の方が長かったのですよ。

で、その東海道と中山道の合流した草津宿。昔は徒歩ですから、宿場に着いたら「さて、団子でも食べるかいな」と、黄門様宜しく名産を食べるわけですが、草津と云えば「姥が餅」という事で、広重も北斎も「姥が餅屋」を書いているし、蕪村も芭蕉も詠んでいる。「赤福の小さいヤツじゃないか!」と言う勿れ。ともあれ、さぞ繁盛していた様であります。

で、本題の「姥が餅焼」というのは、そこの大旦那さんの道楽。江戸時代中期にて、本能寺の変100周年とか、小堀遠州が亡くなって30回忌という辺りの話。餅の皿を焼かせて興が載ったのか、また同時に茶道の心得があったのか、楽家6代左入を招いて楽焼を焼かせたり、唐津風の茶碗を焼かせたりしたわけです。ともあれ自分で作ったというわけではなさそうで、陶工の名人とて東海道を歩けば「姥が餅」は必ず食べているわけで、お伊勢参りをする際には、”赤福”より先に”姥が餅”を食っているわけです。あぁ、それはいいや。つまり、そういった名人を招いたり、依頼して作らせたわけです。

なので、変にツクリが好かったりするのですよ。 
(実物は美術館などではなく、草津の宿場町関係の施設で観る事が出来る様子。)

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ちなみに姥が餅はコレです。
画像の拝借元はhttp://www.nanyouken.co.jp/ubagamochiya/index.html

何ぞ?って、まぁ乳房の形をしているわけで、そういうトコで喜ぶ人は喜んで貰ってええわけですが、乳母であります。その由緒がいかにも江戸時代らしくて面白い。近江六角佐々木と云えば佐々木道誉という茶人大名の孫でありますが、信長以前の近江領主。信長に敗退した六角義賢は日置流弓術の名手でもありましたが、甲賀の里へと逃げ延びて忍者の力を借ります。何故って、甲賀忍者の庇護者であり最初にこれを戦力として使って大勝利したのが六角家なのです。しかし食えないです。由緒ある佐々木源氏の子孫を食べさせるため、草津で乳母がコイツを作って日銭を稼いでいたという話。ソイツを家康が食べて気に入った!と言うたそうで。つまり「由緒ある、近江の佐々木六角の末裔までが私を応援しているのだ!」という話に相成りまして、各大名がその話にアヤカって、「草津宿場の乳母が餅」、という事になります。

それから60年後の大旦那ですから、店も立派になって、資金も潤沢であったでしょうか。

リンク先にもありますが余談にて。「瀬田へ廻ろか 矢橋へ下ろか ここが思案の姥が餅」 という言葉があるそうで、その結論が 「急がば廻れ 瀬田の唐橋」という話になるわけですな。急がば廻れ。ちなみに矢橋は渡し船ですから、湖上の舟旅を楽しむ事が出来るわけで、到着先は草の”津”(港)から、大津や海津大崎、もしくは日本三大弁財天である竹生島へ行くわけです。昔の旅行も楽しそうですね。

あ・・・ちなみに現代の「姥が餅屋」でありますが、現代の東海道代替線である国道1号線沿いにあります。「宿場そば」って書いてあるトコ。姥が餅屋と蕎麦屋が一緒になってます。店の内装なども好いのですよ。
syukubasoba.jpg
http://www.nanyouken.co.jp/soba/index.html

蕎麦の味はまぁ普通です。しかし車が滅多に停まっていないという有様を見慣れてしまって、そも蕎麦で1,000円という値段に対して地元の人は行かないのですね。現経営は南洋軒という会社がやっているので買い上げたのかな。そこが、まあ色々と多角経営して赤字を補填してる感じ。何かしらの波が来れば容赦無く切られてしまってもオカシク無い世の中でありますから、こういう文化財的なものをどうするか、という事でしょうか。草津は現代でも滋賀県で最も乗降客も多い繁華街ではありますが、やはり田舎というか。官も民も、文化の保護という様なものにはサッパリと熱意が無かったりします。私もそうですが、ついつい、道向かいの「あたか飯店」に行ってしまう記憶があります。

まぁでもね・・・、そういう事が、民芸窯の停止などを招くわけですよ。味がちょっと変わってくれば、ここらは外食チェーン店ばかりの地区ですから変わってくると思うのですが。


お近くの方、もしくは遠方なりとも。折があれば是非。やはり何はともあれ、第一には食べに行くこと。1号線沿いの茅葺様式の建物でありまして、子供の頃は変に?憧れたものであります。最近は土産物にもタネヤさんのバームクーヘンでありますが、まぁあれも美味しいのではありますが、姥が餅は由緒ある長寿の餅でありますからして、まぁそれは・・・糸キリ餅という多賀の長寿餅もあるわけですが・・・。


ともあれ。久方ぶりの「勝手に応援記事」が書きたかっただけです。

今日も雪。

家に居ると・・・なんかイタチが台所に出没していて、「イタチごっこ」をやってます。侵入口を板で塞いだら、見事に板を剥がしてくれて。ならば!と、昨日に設置したネズミ獲りでは足跡のみで逃げられました。ゴソゴソと床下に居たり、天井をトコトコと歩いていたり。去年のアライグマ対策が巧く行ったと思えば、ハテサテ、なんかイイ方法は無いものか。そういやこの前、道端で野兎にも遭遇しました。今年は兎年ですな。

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今日も雪。朝から降り続けているのですが、大して積もっていないので、簡単に融けてしまうでしょう。何か世間は祝日らしいという風の便りを聞きつけて、少し罪悪感も和らいでます。 まぁ、1~2月は実質的にほとんど休業月と言っても好いくらいなのですが、ここまで行動を制限されるとちょっと悲しいか。

ちなみに何故に陶芸休業月かと言えば、土仕事。水仕事ですから、触れるもの全てが氷の様に冷たいから?かな。暖房がしっかり完備されたエエトコは別ですが、ウチの工房では、まず水が出ない。「チョロチョロと出していればいい」とか、そういう段階じゃないくらい冷えます。そして粘土が氷の如くに冷たい。ロクロを挽いても手が凍えてしまって駄目なんですよ。しかも石を噛んでいるのが尚更に痛い・・・。風が強い台地なので体感温度も相当に寒いです。暖房も・・・隙間が多いので効率が悪いです。水野先生のトコみたいに薪ストーブでも好いのですが、何だか薪が勿体なくって・・・。

建前としては「これではエエモノは挽けんなぁ」というトコなのですが、要は自営業なので、”やる気が削がれるとサボリ勝ちになる”ってトコが真相かもしれませんね。

う~ん。しかし昔の陶工さんなども、これではやってられんかったでしょう。ここらでは土壌が重粘土質といって、冬は田圃がヒビワレを起こします。なので、二期作という事が昔から出来ず、陶工さんの仕事、もしくは山仕事に入るという話でありましたが、要は森林伐採で森を育てながらに材を得る仕事。ウチも薪を切ったりしないといけないのですよ。土を掘りに行きたいので、まずは雪がしっかり融けてくれないと仕事にならないのですね。

とりあえず。工房へ行っても仕事としては灰のアク取りとかですか。

あと・・・今日は水野先生のトコのWebサイトで天目に関する文面を更新してました。2~3年前に書いた文章でありましたから、色々と不備を思っていたり、また新しく知り得た情報なども様々あり、気になっていたのですよ。なるべく正しい情報を、と思いつつ、新しい事を知る度に、我が身の至らぬ事を嘆くばかりであります。

2011年 一門初釜会

今日は「北野一門初釜会」という事で。陶芸の”初窯”はそうあるものでは無いのですが、茶道の”初釜”は毎年やって参ります。一応突っ込んでおくと、去年もこのネタを書いた記憶があります・・・。

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現地到着は夜明け前。いつもながらに、裏方仕事というのは大変なものですね。六時半頃に夜明けです。会場は琵琶湖湖畔の雄琴、琵琶湖グランドホテル。私は四時起床ですが、幹部の方々は前日準備にてほとんど万端の用意をされているので、有難いことです。

お席の方は・・・濃茶席・薄茶席と二席が設けられておりまして。

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正月から有難い御席でした。御正月、というと何か格の高い青磁でありますとかが多いのかと思いますが、こちらは非常に楽しい。柳を用いるのは恒例の通りとして(細く長くの縁起)、軸は「神光」。添えて椿一輪に、水の器であるペルシア系の色彩を帯びた染付花入。

おぉっ。なんと! 琵琶湖湖畔の初日の出では無いですか。

いや、それにしてもこの組み合せを使いこなすというのはスゴイです。青の色彩という難しさから、青にしても無難に青磁を選んでカチカチに決まりがちであろう所ですから、扱いの難しい花入を、存分に活かしきった感じですね。

御軸はエエモノですので写真から敬遠させて頂いて、会記的な所を簡単に・・・

・釜:大振りの”阿弥陀堂”。与次郎作。利休の釜師。近江の人にて釜師の”長次郎”
・主茶碗:御本三島の本歌。爆ぜ石の嬉しいものにて高麗独特の青濁釉が素晴らしい。
・茶入:堂々とした古瀬戸にて銘は老松。唐花の緞子仕覆が添いております。
・茶杓:宗旦。利休に次ぐ茶杓となれば宗旦。まずお目に掛かる事さえ難しい。
・替茶碗:姥ヶ餅焼。銘「長生」。東海道・中山道の合する近江の宿場による名古窯。

何とも、何が凄いと説明する必要は無いくらいのものばかり。そこに底通するのはやはり利休の茶道であります。利休もまた、同じく品物に囚われず、南蛮の産であろうが竹であろうが、あらゆるものから自由に選びとったもの。特に椅子席でありますから、尚の事の難しさがあります。

もちろん、それだけではなく・・・

simadaityawan.jpg
 

御正月ならではの定番である「島台茶碗」も取り交ぜて。金箔・銀箔を張った楽茶碗です。茶道に無関係な作家さんなどはまずまず、見たら驚いてしまうかもしれませんね。茶筅で少しづつ箔が剥がれていくので、「箔入りの抹茶」という事にもなります。祝い事らしい独特の茶碗ですね。

新年早々から宗道先生の点前による濃茶を頂戴して。
(ちなみに一度四客で入らせて頂いて主茶碗で頂きました。)

ちなみに、ですが。世の中の茶道では多く、「先生が生徒の前で点前を披露する」という事は殆ど無く、「一度も見た事が無い」という場合が普通だったりします。妙な話でありますが、それこそ「濃茶を点てて頂く」という事など無く、まず殆どが”弟子の代理点前”による呈茶です。しかし利休本来の茶道としては亭主が自ら点てるものでありました。「常識」として知られたる事でありながら、なかなか「実行する方は稀」であるという今の茶道ですか。

matiai_20110109211007.jpg待合の景色

色々と、例えば亭主が御高齢であったり、話の多い”大寄席茶会”であったり、何かしらの理由がある場合にこそ代理点前であったりするのでしょうか。代理を立てない、といえば御家元。特に正月初釜では一週間の長期間に渡って、家元が数千人の来客を迎えて自らが茶筅を振り続ける姿が在り、腱鞘炎もなんのその、という話を聞き及びます。毎年のニュース映像をどう見るか、という事でしょうか。茶人であればこそ、「茶筅を振ってこその茶人」でありたいと感じました。


ともあれ水屋手伝いにて実践勉強。正午の頃まで、およそ200人を超えての来客にて。

後・・・

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一門祝賀会。今年で73になられる中、その指導を担うという重責は大変なものだろうと思います。そこへ北から南から全国に一門が居られ、「賀正」に参ずるために遥々と来駕される姿があります。毎週の稽古とて、関東や四国など新幹線を使って通う方が珍しくないという一門ですから、何せ大したものとしか言いようがありません。参加された方だけでおよそ200人の茶人の方々。

otukare.jpg 

ともあれ、お疲れ様でした。一日中、慣れぬ草履を穿いて歩き続けた事もあり、足も攣りそうな感じです。

ありがとうございました。今年も好い茶道に触れられますように・・・

凍ってしまうと

随分と気を揉んでおりましたが、今日は雪明けにて。

外へ出てみると・・・ 

koottesimauto.jpg kounarimasuturk.jpg

あぁ、鉢が割れとるなぁ・・・。

井戸水の水受けにしていた尺程度のものでした。まぁ、少し前にも水を張ったまま夜を越した事があって、凍って亀裂が入っていたもの。特段に惜しい代物では無いのですが。

しかし妙な割れ方でありますか。少し検分の価値あり。釉薬が剥離して表面部分が剥離という感じですから、水分が浸透していた部分で割れていると考えるべきでしょうか。元々、薪で焼くと若干に釉が浮き気味であるのです。ガスで焼いたものはそういう傾向は無く、やはり全く剥離しているものが無かった。

とりあえずは忙しいので?これくらい。

明日は早朝五時半には出立にて初釜。北野一門の新年会です。

いやいや、雪が溶けてくれて良かった。

枝垂れる竹

samuisamui.jpg 

元旦の雪がこんな感じだったのですが・・・

takesidare.jpg

今日は・・・こんな感じです。枝垂れ竹。

yukidesu.jpg settyuunoume.jpg

よ~降ります。

sakuhintana.jpg 

なので作品の棚を拵えて。ベニヤ板の張り合わせ。



今日もノンビリです。仕事する予定だったのになぁ・・・。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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