年の瀬

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年の瀬。明日は出掛けるので、今年はこれが最後の記事になりますか。一応、今年の目標として掲げた「初個展」というものは達成しつつ、ありがたい事でありました。

それにしても今年は激動?という感にて、何か作品として、去年の年初に作っていた頃とは隔世の感があります。本物による洗礼を受けて、モノに対する見識の角度など、感覚的なモノが激しく揺れた年でした。「君子は豹変す」、「士別れて相三日なれば」というモノだったのかもしれません。今年の初め、雪の中、埼玉へと販売仕事へ出掛けた事が変に懐かしいです。

今年の最後はガス窯を焚いて。柿の蔕の釉薬試験が主軸。


さてさて、何はともあれ新年へ。晦日の好日を経て、皆さまも好い年をお迎えくださりませ。


本年の御支援に感謝。来年も宜しくお願い申し上げます。 

2010.12.30  臥翠窯 吉村 祐

水野一門 猪鍋忘年会

しばらく振りに瀬戸へ。セトモノ祭りからであるので3ヶ月半ですか。

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水野一門忘年会という事で。といっても4名で鍋を囲んでというものですが、2日間に渡って、愉快に忘年会を過ごしてきました。鍋は猪鍋にてのもの。酒は甲賀の地酒にて、杯は井戸形盃という所。

忘年会と言っても・・・

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専ら議題は陶芸の事です。茶碗、茶碗、茶碗。水野先生も随分と朝鮮系をやり込んでおられるので、「柿の蔕」という様なマニアックなものでも、当然の如くに、「知っている」ではなく、「散々に取り組んだ事がある」という返事になるので、頼もしい限り。といっても実は、最初に訪問した時にも見せて貰った記憶があるのですが、当時は「柿の蔕ってこんなものなのか~。」という程度でしたが、イザ作る段の視点で見れば非常に難解なものであります。経験に基づく気付き。例えば「トユ口」という約束1つに関しても、さて現代作家の作るものには誤りもしばしば。

まぁ、詳細は置くとして、とかく議論を深めて、勉強して様々なものを吸収して。釉調合から焼成の方向から、大正名器鑑を始めとする豊富な朝鮮茶碗の図録を前に、

「この色彩って事は〇〇に見えるから、調合はこれくらい?」
「いや、この景色は〇〇という事をやるから生じるのであって云々~」
「って事は~~で、指の当て方はこうか?」

という様な感じで 延々と。全ての柿の蔕を図録から洗い出して、形の収束するあたりを探ってみたり、その方向性の検討を付けたり。ちなみに弐種類に大別される形がある様子。


などと日がな議論しての鍋。酒と食事の後は、天目茶碗で濃茶を呑み回して、井戸茶碗にて薄茶を点てて。簡略も好い所でありますが、あとになって気付いてみると茶事の流れと同じですね。

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さてこちら。本歌か、現代モノか、判りますか?

という技術論なども。偽備前の作り方まで話は及んで、その見分け方まで話は及んで。

もちろん、天目の事から伊賀の事から、三嶋手の事から茶道の事から。色々です。

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日を跨いで、翌日もカレーを食べつつ飽きずに議論。

夕刻までも話は混み合って、ようやくに帰ってきて。


2日間、ありがとうございました。また来年も是非に開催したいですね。

年末に 鷹の羽見て思う事

朝から地元の大掃除があり、綺麗になった所で忘年会。朝からお酒を飲んでしまうと家に籠るしかないのですけれど、明日・明後日も忘年会だったりするので、何かと酒の多い年末です。

昨日は忠臣蔵などを見ていましたが、殆ど初見というか。子供の頃は興味無く、学生の頃は江戸中期に興味無くという所で、以降はテレビをあまり見ず。何分と興味が無かったものでありましたか。

今年は何ぞ、着物を纏う様になってより背中に家紋が入っているわけですが、「浅野内匠頭の家紋だね~」と言われるものだから、何となく気になっていましたか。「え?殿中御乱心の殿だよね?」という程度の知識しか無かったもので、ようやくに少し意味が判りました。

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家紋。「丸に違い鷹の羽」というやつで、まぁ確かに、何故か忠臣蔵の着物は家紋がペタペタと貼り付けてあって不思議な演出でしょうか。江戸時代から忠臣蔵は流行って?いたそうで、江戸時代の武士が多く採り、現代では五大家紋の1つという事。やはり武士の家系に比較的多い家紋だそうです。

ちなみに甲賀は忍者の里ですが、忍者を束ねる服部半蔵とか、そういうのは武士階級です。ウチも甲賀某城の城守という話ですから、武士の家紋で不思議は無いという事になります。半蔵にしても、忍者頭領というのは、別に忍者装束は身につけていないと思います(伊賀・甲賀の忍者の装束は地の農民装束・キコリ装束に近いもの)。本当の忍者階級では家紋という様なものは無かったのかな。

「鷹の羽紋」で有名なトコでは阿蘇神社云々の紋として南九州に多く、西郷隆盛などの家紋であるとか。近江の国であると、大谷吉継の本家紋です。戦国当時は同じ一族で争ったり、一緒に出陣する事も多いわけで、例えば石田三成の家紋の様な不思議な家紋みたいに、元来の家紋とは別に家紋を決めて複数の家紋を使い分けたり、旗印を家紋と別にしたりという事も普通に行われていたそうです。

しかしなかなか、特に昨今では家紋というものは何か非常に縁の遠いものですが、着物では五つ紋の着物が「正式なもの」となっていますか。紋が減る程に略式となりますが、感覚としては、紋が増える程に、「〇〇家の名誉を背負った代表者として出席する」という意味合いが強調されると考えれば、なるほど判りやすいものです。そりゃまぁ、結婚式で「五つ紋」というのは、「各家の長老格が揃い踏みし、尚且つ紋を背負って出席している」という事が判りやすい程に伝わる「演出」にもなります。出席者が着る事の意味を端的に言えば「結婚される方に箔付けを呈する」という事でありましょうか。

茶道でも、正式な茶事などでは袴を穿いたり、十徳を着用しますが、要は「敬意を示す」と云う所が本義であって、別に家紋を見せつけたり、懐古主義的に着物を着ているわけではないのですね。それ故に、私の場合などは、まず自分の作品を使って頂いたりする様な席には袴を穿いて正装で行くのです。しかしまぁ、現代ではそういう方は稀です。茶会もまた、多くは洋服であり、普通のスーツ姿である方が多数です。もちろん、礼装であれば敬意を示しているわけではありますが、お金が無いならイザ知らず、心があれば形も整えようと思うものです。「溢れるほどの歓待の心を持って埃だらけの客室を用意する」という様な次第では、「お前の心は底が浅いどころか」と言われても仕方がありません。茶道では利休の「なには無くとも茶巾だに綺麗ならば」というものですが、逆説的に言えば、「心さえあれば、その表出として茶巾くらいは清潔に保って大切にしている筈だ」という話になりますね。

「心さえあれば何でもいい」という現代の感覚には、そういった甘えが随分とある様に感じます。「楽しければ何でもいい」という思想にも底通している甘えでしょうか。


現世的に「紋付とか高価で七面倒な事は・・・」というのは、まぁ先に立つのは「自分が着たりするのが面倒だし、そも知らない」という事であって、実際には「高価」と文句を言う割に価格を知らない場合がほとんど。着付は、男性など壱時間もあれば自分で着れる様になります。ともかく面倒なだけで「理由は後付け」の典型です。「お互いに面倒を軽減する時代」なのか、それとも「紋付に感謝する意味が判らない」という旨の「好意を踏みにじる様な無知を公言して憚らない時代」であるというか。精神的な部分を除いた瞬間から、淘汰が始まっていく事の証左であろうかと思います。しかし田舎でも、そういうものはもうすっかりと廃れていて、まず決まって洋装です。「皆が五つ紋など着て行くと、若い者に大きな金銭負担が掛かってしまう」という辺りもあり、つまりは着物が高価なものとなってしまい、習俗が廃れてしまったからでしょう。高すぎる敷居も迷惑な事ですが、そういった塩梅は時代の価値と共にあるのが自然ではあります。

習俗はともかく、中身の事。昔の方は、やはり五つ紋の黒無地の着物を作る際には最高級の素材を使ったという話。内外の価値統一。今時では高価な茶碗に安い桐箱を使ったり、紋入の漆器でも素地がプラスティックだったりして、「不要なものは削っていく」という思想でしょうか。「無駄の削減」と言いながら、その魂胆は「出費の削減」ですね。だから使い捨ても非常に隆盛しております。陶芸など工芸界もまた、大衆は潜在的に「不要なもの」と区分しており、実に削られつつあるものだと感じるのですが、さてさて、こういう「無駄の削減」という時代の流れが、そも「大衆の一般認識から生じている」という事を思わずにはいられません。

何が無駄で、何が必要なのか。その基準が「金銭」とか「便利」になってしまったのが原因でしょうね。昔は「敬意を呈する事」とか、「お互いに」という事、内外の価値統一などは「必要不可欠」とされていましたか。それが「無駄なもの」に分類される様になって数十年、かな。気付いてみると「携帯電話」などが僅か15年程で「必要不可欠」という地位を獲得していたりします。


価値観の移り変わりというのは恐ろしいものです。結局は陶芸にしても大衆にしても、伝統が理解出来なくなった理由は「自由の履き違え」という事に尽きるのだろうと思っていますが、さてさて、そんな事を言っている間にも時間は流れていきますね。「除夜の鐘」が「単なる音声合図」であるならば「MP3」で好いわけです。映像も欲しければ動画にすればいい。寺も数百万円する梵鐘を買ったりしなくなって鋳造などに必要なCO2も減りますし、修繕費も人件費も減ります。何より檀家の負担金が大幅に削減されて嬉しいばかり。誰もが喜ぶ梵鐘廃棄。今の伝統放棄はそういう時代。何くれと「無駄の節減」にはなりますが、そういう時代を招くほど、日本人は愚かでは無いと信じております。 (と言いつつ、試しに「除夜の鐘 MP3」で検索すると有名寺のものがワンサカ出てきます。考えてみればテレビを見ての「除夜のつもり・初詣のつもり」も「動画」と変わりませんから、「除夜の鐘の喪失」も現在進行形か?)


時代の変遷。価値観の変遷に応じる事とは。今の「偽物でもいいんじゃね?」という時代に合わせるって事は、我々が中国の陶器量産工場にお勤めして、真摯に安価量産工芸に取り組むという事。そういった「無言の金銭的圧力」が今の環境。若い世代の感覚。それは同時に、本物を失うと云う事である事。それを伝え「新しい価値観の変遷」を起こす事。それもまた、伝統を受け継いだ当代工芸家に課された勤め。何かホント、今の若い世代が、工芸と云わず、色んな重荷を背負わされている事を嘆かずにはいられません。陶芸でも、そこそこベテランの陶芸家って割と皆さんノホホンと仕事されてる様な気がするんですよ。


鷹の羽の如く。土に生まれし陶芸が、桃山の如く再び大空を飛翔せんことを願って。

キリキリ。

昨日は葬儀。初七日を兼ねているので忌明けの宴があり、随分と飲まされたのか、まだ胃の調子が微妙です。

昔ながらの在所という事もあり。御遺族の方数名が千鳥の盃で廻られるので、知らぬ間に酒量が貯まっていたようです。「千鳥の盃」は茶事の形式として教わる物ですが、特別というわけではなく、古来の飲み方として一般的なのかもしれませんね。盃を乾して返すわけですから、最近では「酒の一気強要」として敬遠されるのかも。昭和期はまずまず、普通だったのではないでしょうか。(千鳥の盃:1つの盃と徳利を持って、膳の内側を廻っていく。客⇒返杯⇒次客⇒返杯と、客は一杯だけであるが、亭主は客の数だけ盃を空ける事になる。そうして皆と順に会話をしていく形式のこと。)

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今日はガス窯を焚いてます。ガス窯も今年に入ってようやく始動という感じでしたが、焼成回数としては26回ほどの活躍。年末にもう一回くらいは焼く予定なので、その辺りになります。頻度としては月に2~3回という所ですね。最近ちょっと・・・在庫が貯まってきている様な・・・。

トルコ青に始まって、粉引を焼いて。あとは焼直しなどもやりつつ、柑子の土を焼いてみたり、灰釉を試したり、現在は柿の蔕をやってみたり。そういえば粉引が中途半端で終わってますか。途中から白化粧を抜いて灰釉の様な感じで使ったりしているのですが、その内に手をつける事にします。

っと、思ったらそういや某御方の誕生日ですか。最近は田舎生活かつ茶道の禅思想の影響か、なかなか縁遠く感じてしまったりします。とはいえ別に元々宗教には縁遠いので、キリシタンではありません。しかし「降誕祭」というよりは、何か「赤い服の人祭り」という感じが・・・。根本のキリストに感謝するより、現実に手渡ししてくれる人を有難がってしまう辺り、何とも現世的な皮肉ですか。だからといって、赤い人の代わりにキリストの格好をした人が歩いていると・・・色々と問題がありそうな・・・。(失礼しました)

しかし日本におけるクリスマス行事ってのは、「形骸化」というか、「本質を忘れた享楽の究極の姿」の典型だと思うのですが、サテどうでしょうか。「そも日本のクリスマスにはキリスト教の本質など輸入されていない」と云えばそれまででありますが、茶道などを外国へ輸出した際の事、伝統が受け継がれていく時の姿、などを思い浮かべてしまいます。


まぁ・・・、ヤボな事は言わぬ事と致しましょう。そうは言いつつ、無責任に祝宴したりするのでありますから。

柿の蔕始め。

 今ガス窯でやってる仕事。柿の蔕茶碗。それって何ぞな?という人が多いかと。

まぁ、普通にグーグルで検索して貰えばいいのですが、検索するとこの辺りが出てきます。

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左は無銘李朝期。右は柿の蔕で有名な畠山記念館 「毘沙門堂」。
(翌日追記。あ?よく見たら同じものじゃないですか。左はk陶苑の掲載写真。) 

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こちらも名高い「京極」という銘のもの。徳川美術館。
(上理由により検索して追記。)

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現代作家で観てみると・・・柿の蔕、左が東五氏、右が十雨氏。

どちらも売値は約20万ですから、一流のもの。しかしなかなか、本歌には色も形も、随分と遠い感じがしますね。明らかな程に形が示されているのに、作れないというのは不思議なものです。しかし、井戸の系譜に連なる茶碗群にしても桃山にしても、得てしてそういった難しさが付きまといます。

しかし見てみれば特徴は明らか。まず胴廻しに一段あって、柿の蔕を伏せた様な形。東五さんのはクロのページに載っているものですが、これは形が柿の蔕の範疇に入って無いかと感じてしまいます。そこはさておき、もう1つの特徴としては色。柿色という事。柿の「実」の色なのか、「蔕」の色なのかはっきりしないですが・・・ 

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「柿の蔕」で検索すると本物の写真が出てきますから、便利な時代です。庭の柿はもうすっかり落ちているので。実物を見れば、やはり文字通り柿の「蔕」の色である様ですから、「柿色」と思っている人は知識を上書きする必要がありそうです。許容範囲としては赤茶~黄赤という辺りですか。明白たる赤という感じのものとは異なる様な感じですが、ちょっと今の手持ちでは資料不足。今度水野先生のトコへ行って「大正名器鑑」で調べをつけてきます。 (以上ここまではWebで借りてきた画像です。)

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んでまぁ、練習一作目。蛍光灯で青みがあってしかも暗いのですが。本歌を見てからだと、明らかな不備が色々と見えますね。 形で云えば口辺のヘリ出しが甘いのが大きく目立ちます。腰一段も、今一つ強くして問題ない様子。少し触るだけですが、全体のバランスを一から組み立てる事になるので、なかなか苦労します。目跡やトユ口などの細かい特徴は「最後にちょこっと触る小手先の仕事」の話ですから、必要に応じて放りこむことが出来る。なので、そういうのは最初は置いときます。

あとは釉の調整ですな。今回は失敗。再調整してやりなおしです。薪で一度焼いた事もあって、降灰で灰量が増えてしまった側面もありますが、全体的に濃度も調整しないといけません。組成としても緋色釉っぽいものかと思っていましたが、少し違うようですね。どちらかと言えば井戸の釉に近い様な気がしましたから、要試験、要比較、要実物実見。

柿の蔕と呼べるか?と云えば、「呼べないことはない」ですが、「それだけのもの」です。「柿の蔕と呼べるものでさえあればいい」、という程度の需要、つまり稽古茶碗や数茶碗くらいにしか応える事は出来ないでしょうか。これくらいの形でも一万円程度で売られている様子ではありますが、しかし素人趣味では無いので、こういうものを「作品」と呼ぶことは出来ません。まぁ、一万円の値段茶碗ってのは、そういうトコです。「灰釉茶碗」などと箱書きしてお気軽に使って頂く辺りでしょう。箱付きで直売2~3千円という辺りが相場かな。


とまぁ、こんな感じで試験作品を作って微調整を繰り返しながら近づけて行く。最初は遠いトコから始まっているのですが、なかなか、柿の蔕の本歌を知らないと「どれくらい近づいているのか」が判り難いものです。自分流の柿の蔕をするとすれば、まずはせめて、「同形のもの」くらいには至らないといけませんが、その作業だけでも結構な月日が必要になります。

まぁ、伊賀が核なので、片手間でどこまで遊べるか?という辺りになります。 正月になったら再挑戦かな。


以上柿の蔕の話。


今日は葬式があるので、朝から窯出し・窯詰め。昼から参列。夕方から再度の参列があります。家長になってからは葬儀などへ出席する機会が頻繁にあるわけで、平和な中であるのに、こんなにも人は亡くなっていくものか、と、知らぬ事とはいえ戦慄を覚える様な感があります。

でわでわ。

色々なこと

少し寒さも和らいで。今日は嫁さんの誕生日だったりするので。昨日から色々料理をしたりして忙しく。ガス窯の結果もまだ中身を少し見ただけです。

昼から少しく2人で都会へ出て。小生のトコでは眼鏡を新調してきました。かれこれ10年も経つもので、ここ数年は窯焚きの仕事もあってボロボロに。さりとて凝り性なので、なかなか気に入るものもなく、ついつい月日が経ってしまいましたか。10年前に買った時もそうだったのですが、世の中デザイン系というか、何か「スタイリッシュ」なる思想が強いですね。「眼鏡が」格好いいだけというものが多いというか、モデルさんの写真でも、眼鏡に目が行ってしまう様なものばかり。特に安いモノ。最近はレンズ込みで数千円とか、そういうトコが流行っていますが、そういったトコほどに「見た目」ばかりという感じがします。

まぁ・・・、単に好みのものが無いだけの話を膨らませただけですけどね。ちょっとした曲線とか、僅かなトコで思っているものが無かったり。


まぁ、そこらはさておき。御近所のお婆さんが亡くなられて夕刻から通夜に参列したりと様々。出掛ける直前には輸送途上で破損した香炉を返送して頂いたら、今度はパッカリと二つに割れていたり。補償云々が面倒そうです。一体全体、なぜか色々とあるものです。

色々あると云えば、昨日はJRの駅に忘れ物をしたので取りに行ったのですが、最寄駅の寺庄駅で忘れたものを受け取るだけで24時間待たされた上に、「忘れた駅とは別の駅に輸送してからでないと受け取れない。そしてその移動には24時間が掛かり、その間は移動中で受け取ることが出来ない。」などと時空を超越するかの様なマニュアル対応を受けたり。ちなみに「忘れた駅」から「指定の駅」は歩いても1時間程度だろうか。電車で5分の距離。

まぁ金銭入ってるから厳重管理なんだろう、と思って、翌日の昼に指定の駅へ。すると受け取りだけで一時間の待機。次に行ってみると「あぁ、もう来てた」などと。しかも厳重管理ボックスの上に、シール1枚貼ってあっただけ。ボックスの外で、何やら白いペンキに擦れた跡やら、シールの剥がし跡。いい加減に怒ってみてようやくに「すいません」が初めて口にされる始末。

まぁ、単なる苦情ですけど、「そんなに色々あるというのは珍しい」と、よく言われます。

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とりあえずは今日のお祝い。備前焼にて。左は同期の備前焼。右は先輩のビアカップという所。


「人生は苦いから楽しい」とは誰の言葉でありましたか。お酒もまぁまぁ、そういうものですね。嫁さんとも11年の付き合いになりますか。長いもので色んな苦労に付き合わせております。

炉の炎がええです。

今日はガス窯を焚きつつ、部屋の掃除など。年末に向けて蜜柑を箱買いしたりしてました。

あと・・・

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置炉を安くに入手しました。土の炉壁が良い感じです。炭点前もロクに出来ないのにはてさて。甲賀は田舎であるせいか、時々に茶道具が安く出てます。多くは稽古道具ですけれど、稽古茶道の隆盛の頃に買ってお蔵入りしていたもの、というのが世の中には多くあるそうで、こういうものが受け継がれない辺り、如実に茶道の規模縮小を感じてしまいます。

少し土壁が減っているので、さて自前で修復すべきかどうか。牧場には壁土の出る場所もあるし、普段の粘土を使ってもいいでしょうか。少し白が過ぎるかな。特別なものを買ったりする必要は無いのですが、どれにしても土の色が少し変わりますから、ハテサテしかし、修復はするものでしょう。土の扱いが出来る事の長所を活かしたいものです。炉壁はポクポクの粘土を型に嵌めて突き固めれば出来るもの、と、耳学問ではあるのですが、とりあえずは上塗りをすれば好いでしょう。

いつぞや、10月頃に風炉を買ったのはいいけれど、稽古が炉ですから、そいつで湯を沸かしてもなんとなく淋しい。やっぱり寒い時期は炉が好いなぁ、と思ってしまうので、炉を切るまでは行かずとも、置炉を求めておりました。

置炉は風炉より運びやすいと思うのですが、さてさて。しかし土壁が重いのが想定外。土壁の手入れをしたら、年末はコイツで茶を点てると致しましょうか。

本式の茶事

今日は夜咄(ヨバナシ)の茶事へ御招きを頂いて。

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本物の茶道。その目指す所の世界を垣間見て。


以下、茶事の記録まで。

茶事。茶をするの事。茶道の稽古、修行、勉学。全ての事は茶事へと集約されるもの。亭主として客を招き、一服の茶を共に。客として席へと入り、心行くまで楽しむの事。

夜咄。冬の暮れの早い時期。日の落ちて暗い頃合いより始まる茶事。

亭主は北野宗道師。利休茶道を奉じる御方。その道場の茶事。

客組は正客の今井先生以下、永年に渡って北野一門に学び、近江各地で茶道を教授されている方々であり、稽古同門の皆様方5名。私は詰めの役を頂いて、四時半にての待ち合わせ。客組は気心の知れた方ばかり。本式の茶事。

裏千家茶道。つまり、利休流茶道の直系流儀。そこに在りて茶事の指導をされている方なれば、まず以て客として招いて頂く事さえありがたいもの。ただただ楽しみに待っていました。


夜咄。日の落ちる頃の刻限にて集い、蝋燭の炎を頼りとする茶事。幽玄と言われるその世界は、即ち利休時代のもの。電気の無い時代なれば、暖は火鉢の炭火にて。静日庵。いつもの稽古場へ着いてみればすっかりと清められた入り口にて、灯りは手燭の炎のみ。待合へと誘われます。

待合。床に掛かりしは元禄の頃にて茶道の衰退を嘆いた裏千家の文書。利休茶道の衰退。”心の花”無くして、何の茶道かという叱咤の言葉。趣向や道具の茶会が隆盛であった時代の文。暗がりの中、連客と挨拶を交わしての待機。

程なく連客揃いて、亭主より出されしは生姜湯。一心地。

柔らかい味の、程良く暖められた味を、連客にて火鉢を囲みながら頂いて。


やがて席の準備が整いたと知らせあり。外へ出て、腰かけ待合にて迎え付けを頂いて、席入り。まだ日の暮れが浅く、露地には手燭を用いない。「自然に従うことが本義」という流儀の根幹。紋切のマニュアルを追う事などしない。

そうして席入り。初座。躙口より入りて床を拝見。壁床にて円相の掛けモノ。手燭にて照らして見てみれば、「竹に上下の節あり、松に古今の色無し」と添えられている。三畳台目の小さな茶室。御亭主が入られて、挨拶。そして前茶。宗道先生自らの点前なれば、まず「点前」という瞠目の馳走。まずは一服の薄茶を頂いて、冷えた躰が暖まる。ここでは道具も特別なものは出てこない。体を温める事を第一としたものにて、寒き頃の心配り。大服の薄茶を連客で飲み回して、心も落ち着いて、暗き光も落ち着いて。

次いで初炭。炭を継いで、濃茶を点てるために釜の湯を滾らせるの次第。釜はアラレの大振りなもの。様々な事を聞きながら、亭主は話ながらにしっかりと点前が進んでいく。さながら名人のロクロの如く、流れる水は会話の際にも留まる事無く、流れる様でありながらの緩急は自然体のもの。どこにも格式張ってなどいない。「茶が日常と共にある」とは何か。歯を磨くがごとくに自然な動き。何の気なく継がれて熾る炭火。決まり切った紋切の会話など一切出てこない。

香は若松。香合は兜巾。12代又妙斎による宗旦手作り香合の写し。

床の事。筆は大徳寺・無学和尚(1721~1791)。廃れ切った利休茶道を取り戻すべく千家に喝を入れ、七事式を制定した方。待合床・元禄時代(1688~1703)の嘆き文の時代を経て、無学和尚の叱咤によって「利休へ帰れ!」という流れが巻き起こる。道具茶や趣向の茶。楽しみばかりが茶では無いとの叱咤激励。「しかと伝統を踏まえよ!」という言葉でしょうか。

炭が継がれて。釜より松風の音がするまでの間にて、懐石。蝋燭の炎に彩られた料理はどれも観賞の美味を増し、加えて温かいものばかり。一汁三菜に箸洗い、八寸を頂いて、湯漬けまで。頃合いに暖められた熱燗を、師匠自ら注いで頂いて、旨い料理に舌鼓。にわか魯山人という感じで、「旨い旨いと快哉を叫び」という所(別に叫ぶわけではない)。宗道先生ご自身も相当に料理をされるのですが、今日は京都より料理屋さんが入っておられ、まずその選択に誤りのあろうはずも無く。美味しく頂く手順なども教わったりしつつ、ニワカながらに酔いも少々。辰砂のグイノミが登場して千鳥の盃を頂いて。さながら忘年会という楽しい席に会話も弾んで。

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しかして釜の事こそあらば、松風が聞こえ始めて。床の名残を惜しみつつ、中立ち。客は席を一度出て外の待合へ。御亭主は直会席を改め、軸に換えて自然の花木にて連客を迎える。次の濃茶こそが茶の事。席の改めが終わりての鉦の音。聞き及びての席入り。暮れの十分では無かった初入り時に対し、懐石の間にすっかりと暮れた光。知らぬ間に、足元には行燈が配置され、空には煌々と光る満月。露地の風景に酒を引き締めての席入り。

席にて。花に換えての燭の炎。花は石菖という油煙を吸う草のものにて、花入は飴釉の角花入。拝見は、とかく光は手燭の炎ばかりなれば、どれもその美しさを増して見える。点前座の拝見に廻ってみれば、水指は南蛮。一周目だけ縄紋様が入れられて、柔らかく歪んだ楕円の水指。見事なものにて、焼締の雄。南蛮は、いわば「水指に於ける井戸」が如き王者の風格。

亭主が入られ、濃茶点前。茶碗は井戸一盌。銘は「柴の戸」。厚手の飲み口に高い高台廻し。そして柔らかいカイラギ。白味の強い色彩に縦横の金継跡。茶碗の王者にて、連客一同、宗道先生による渾身の濃茶を頂く。何か、通常他で頂くものとは別の味が如く。「湯の具合と練りを極めれば」、とは知っていても、その実践は遠いし、さてどの辺りの味が出せれば本物と言えるのかと云えば、まさに本物にてそれを頂戴。加えて茶碗は井戸。最高の濃茶。飲み口の厚みは小生好みの厚手にて、詰めという役得?では無いですが、連客にて一盌の茶を頂戴し、最後に腹一杯に頂戴致しました。(美味のもったいなさに上客にもお勧めしました)。

茶銘は有名な「喜松の昔」。茶の味を最大限に引き出す事こそが点前の本領。そんな事を感じる味でありましたか。魯氏宜しく、雰囲気や気分も又、味の内。素材を本当に活かす仕事を、余すところなく尽したものこそ本物の味であり、自然に対する感謝でしょうか。

大切な茶。茶を入れし茶入は黒棗。”千家茶道の本流道具組”の話。待合床から初座の床。そして道具組。本席では利休時代に還った心地にて、道具も光も、全てが自然のもの。その自然の光にての拝見。自然光こそが最良。当時の事。蝋燭の炎もまた、自然の光。別の美しさがある。利休もまた、暗き茶室での拝見こそ、景色も美しいと考えていたのでしょうか。十分に見切れない光であればこそ、今一度の拝見、名残の拝みが自然のものと感じられる。

茶の王者に共通する無為の作。その心とは何処に在るのか。そんな話を伺いながら、茶道の世界に酔いしれる。何と楽しいものである事か。

次いで、濃茶に続いての薄茶。茶器も茶碗も少し軽く。しかし軽くとは言っても薄器は大樋。茶碗は裏千家14代・淡々斎手作りの絵付け茶碗にて、正客・次客が頂戴。以下は貞光さんの光悦写し・丸碗の粉引。あと暦手の茶碗。それぞれに拝見させて頂いて、薄茶の頃合いなれば少し会話などもあり。

薄茶が終わってしまうと、何か少し寂しい感じ。最後に拝見が廻ります。今日の茶杓は?と拝見に出てみれば、暗がりにて判別がつかなかったものの、出て来てみれば覚えあり。利休忌の楽志庵茶会で拝見した杉木普斎の無銘の茶杓。扱いとしては宗旦四天王なれば、格別のもの。その時代はと云えば、利休茶道を奉じるべく道を歩んだ宗旦の時代。


待合にては元禄。利休死後、僅か百年。本流茶道の衰退を嘆く声あり。
初座にては衰退を受けて千家を叱咤せし無学和尚の声を聞く。
二つの声の元、酒の流れを頂いての直会懐石。
そして後座。利休の道具組。炎は蝋燭にての濃茶。茶の事とは。

時候は年の瀬。円相が如く、初めに戻りし正月の頃。
除夜の鐘にて身を清める頃の、夜の茶。
茶を掬いしは、宗旦の道。

名残の炭を継いで頂きつつ、今年の茶道納めと相成ります。

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電飾の光の元へ還り立って現代に立ち戻り、各々の帰路へ。
過去の時代を潜って見る電飾は、また1つ違う趣きあり。


私は「茶事をする者になれ」との言葉を頂いて。まずは今年の残りの日々を大切に。手燭の如く、今の足元を照らし、先へと光を当てて頂いた茶事。利休茶道。その侘びに供えるに足る茶陶を作り上げる仕事。少し先が見えたは良いとして、さてさて進むのはなかなか、大変な仕事である様子。

そして何よりは、亭主1人、自らが膳を運び、点前を行い、全てのもてなしを、という本式の茶事。それが今の時にもしっかりと在る事。在るべき所には在る、本物の茶事。


私も先ず一歩を踏み出したい。まずは頂戴した掛け軸を掛けられる所を目指しましょう。


以上、茶事の記録まで。

桐箱の箱書き位置について

問い合わせがあって気が付いたのですが、茶道具に関しては、最近は箱書きを底に行っております。茶陶では横も多いですが、若い内は底でいいと思っております。作り手の名前というのは、まぁ判ればよいと云うわけで、自分の銘を刻むのを控えめにしたり、時に入れなかったり、という様なものと同根同質のもの。ただ、酒器などは天に行っていたり、色々であります。

その理由というのは、本式に箱書をされる偉い方(家元・大徳寺クラス)に対して「控える」という意味が1つ。そういった場合、箱書は箱の蓋裏になる事が多いですね。表の掛け紙も、元々は箱書の保護が目的であると聞き及んでおります。つまり、酒器で底書きをしない、というのは「そも酒器や蓋置に銘を付けることは無い」という理由によって、「控える意味がない」という事になるか、もしくは「銘を頂く様な事になっては困る」という自己認定であります。

とはいっても、まぁ基本的に茶道具でなければ自由ですし、箱書についてよく御存知の方というのも少ないものです。御茶人の方々としても、家元に箱書を頼める様な方となれば、各県に数人以下でありましょうか。多くは書かれたものを道具屋から買ったり、もしくは頼んだり、という事になりますから、出来あがったものしか知らないという事。本式ならば御用紐から全て用意しないといけませんから、では御用紐を譲って頂ける人脈から必要になったりします。

あと・・・。時折、作者が自分で銘を付けたりしている場合もありますね。私も頼まれれば書きましょうけれど、茶道具では基本的に御法度と感じます。手元を離れたら作者の物というわけではありません。例えは悪いですが・・・

ペットショップへ行ったとしましょうか。
~~~~~~~~~
「この子猫を頂いてもよろしいですか?とても気に入って・・・。」

店員:「ありがとうございます。ちなみに、既に”曹操”という名前が付いていますので、可愛がってあげてください!」

「お?・・・え・・・・? ”孟徳”ですか? せめて張飛辺りなら・・・(以下略)。」
~~~~~~~~~

というわけで、よほど作り手が茶の湯巧者であれば別ですが、基本的に徒手空拳の者が銘を付けると云うのは、別に「道徳的に悪いこと」ではないのですが、そも茶で使うと決まっているのでありますから、妙な乖離は「微妙な空気」を呼び込んでしまうわけです。なので、よほど風流教養を認められた陶芸家で無い限り、そういった事を酔狂だと思うのは・・・少し「傍ら痛し」という事になってしまいます。


あ。本題は箱の底に書いてあるってトコです。最近は茶陶としてもかなり珍しいみたいですが、師匠の水野先生も箱底に書かれたりしています。底に書くことがあるという知識は、知っている人知っているもの。一般的な感覚とは少し外れているかもしれませんが、御託不要のこと。そういうものです。


時々、気付いて頂けない方も居られる様なので・・・。

おっと。

しまった。「今月中にWeb販売をやる」と書いてあるじゃないですか。今年の仕事が残ってた。さてさてしかし、先日も宅配業者が乱暴に扱ったせいで輸送途上で破損した作品が出ました。「V〇P便で」と言ったのに、受付が適当に流した感じだったので怪しいと思いつつ。年末とはいえ、宅配として最低の仕事ですな。補償の問題じゃないのですよ。よくよく、その手の業者に勤めているというか、バイトとして入っている方々は口を揃えて「それでも恐ろしくて使えない」と。「割れ物シール」が問答無用というか、次々箱を投げ入れて、「シールなんか見ている暇も無い」というのは、何か顧客を馬鹿にしていると思うのですが。

どこの業者も一緒ですから、段ボールにグルグル巻きで「割れ物」の赤シールを貼って「クリスマス張りに赤い箱」にして、「さてどうか?」という感じなのでしょう。そうやって送られてくるものが時々あります。百貨店販売や個展など、陶芸家が自車便で配送するのはそういった経験を踏んでいるからです。


まぁ、とは言ってもWebの販売は「代引き」でやろうと思っているので、選択肢は郵便局の一択になります。こういう理由があるので、小物に限定する必要があるというか。

が・・・。年内開始は厳しいかも・・・。まず桐箱の納期が今は付かないのですよ。


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そうそう。昨日、窯出しを行いました。短期焼成ですから、取り立ててというものは無いのですが、少し荷を少なくした事で色々と影響があった様子。最近は窯内の湿度が不足しているのか、緋色が乾いた感じになりがちなのが気になっています。

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釉薬モノは・・・トルコ青や鉄釉は後列でも溶けてくれるのですが、今回試したものは未溶。ゼーゲル計算はもちろんやっていないわけですが、火表が溶けるまで。背面とか見込みが微妙に溶けて無いのですよ。薪窯はガス窯と較べて圧倒的に溶解力が低いので、同じ温度に達していても薪では溶けない事も多々。理由は物理的に説明出来るものですが、冗長なので省きます。多分、一番圧倒的な速度で溶かし込む事が出来るのは・・・”マイクロウェーブ窯”でしょう。新時代の窯出来は、アッサリとしておりながら、奥まで焼きこまれた感じの釉調だったと記憶しています。

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今日は朝から京都へ茶会。北野宗香先生(宗道先生の奥様)に御案内頂いて、日曜稽古の社中さん御一行にて京都美術倶楽部の茶会へ行ってきました。それにしても茶会ってなかなか、宣伝したりしている事は少なくって、教わらない事には行われている事さえ判らなかったりしますから、不思議な世界です。場所は新門前ですから、京都の骨董街。

席は裏千家。主は京都の東支部幹事長さんという次第です。次客に入らせて頂いて勉強をさせて頂きました。薄茶一服の席ですけれど、道具はまぁ、噂に聞いていた通りに様々出てきます。そりゃまぁ、美術倶楽部ですからね。道具なんかも売ってたり?とか思いましたが、そういう事は無く。あ。小生は入札に参加したりした事はありませんよ。

茶会は「趣向」という感じの、20人くらいの大寄席。時期的に「クリスマス」であるか「年の瀬」でありますが、その両者。しかし道具の9割方が裏千家歴代家元の書付モノという所にて、現代作家のモノばかり。しかしそこまで揃ってしまうと、逆に何だか有難味が麻痺してしまいます。

道具は、主茶碗が楽先代の砂釉赤楽。砂を捲くという現代的作家が時折採用する手法を用いた楽茶碗。星空の趣向というものか、棗も同じく細かな梨地を敷きつめて、銀粒を載せた現代的な棗。こういう手のモノでも家元の箱書があったりします。更に小さい霰が全面に在りし釜が掛けられていますが、こちらは「古」はつかないまでも天明(天猫)の釜。

掛けモノは「庭寒月色深」にて、「庭寒くして月の色深し」ですか。冬の寒空は天高く、澄み渡る空は煌々と月の光を届けてくれますね。私も毎夜、月を見るのは1つの楽しみであります。原典は「夜靜溪聲近、庭寒月色深」と対句となっているもので、唐詩・厳維の詠んだもの。唐詩集である「三体詩」より。 とかく夜空という事になっております。流星群もありましたか。

水指は春慶塗?かなという感じの塗りモノにて裏千鳥の趣向。炉縁には鶴が飛んでいたりして、「空」を見上げる事。

まぁ・・・、会記は待合で観ているし、加えて何を云わずとも、席入りして出てきた菓子が特注品の「クリスマスツリー」の形をした和菓子でありましたから、何を聞くまでもなく趣向は明白であります。仕舞茶碗までガラス?の青いクリスマス柄の茶碗を用意頂いて。何かの雑誌で頒布会みたいなのを見た記憶のあるモノでしたか。

あ。ちなみに小生は次客を勤めさせていただいたのですが、イラボ茶碗にて。大事なのか、拝見する間も無く茶碗を引いて行ってしまったのでやるせない感じでありました。茶陶的なもの、としては他に利茶土氏の唐津釉俵形花入。利茶土氏は異国出身とはいえ、相当に巧い仕事を積み上げる方ですね。大宗匠(先代家元)の支援もあって、一流茶陶作家の1人でしょうか。機会があれば是非お会いしてみたい方の1人です。ちなみに三碗は織部と思いきや即全さんと書かれていたり。

そういえば、道具が豊富という所にて、20人の連客に茶碗が全て異なるもの。陶器から、はて漆の茶碗まで様々なものが各種。自分の感想としても、「カタログの奴だね」という数茶碗ほど味気ないものは無いですから、いつか茶会をやるなれば、全部が異なる茶碗を用意して、楽しんで頂きたいなぁ、と思う方です。しかしこれは必ず、アレヤコレヤと末座まで賑々しいものになってしまいまして、あれこれと仲間内で茶碗を交換して観賞するため、今日も「正客が横目に見つつ待機させられる事態」になりました。もちろん、賑やかにやってしまう客に問題があるわけですが、統一感を持たせて引き締める事も大事なのだなぁ、と。多くて8碗くらいに留めて、残りは質の良い数茶碗を自作すべき所か?などと思いましたが、なるほど、宗道先生の茶会ではそういった感じだったりします。御客さんによって臨機に、という所でしょうか。

あと、志野の火入。四方向付が多いですが、三方という変わったもの。加藤光右衛門氏。陶芸界で取り上げられる事は少ない様に思いますが、茶陶ではよく見掛ける作家さんです。緋色の出が好く、秀作の作品と拝見しました。

茶杓は「無事」にて大宗匠の作。とても基本的な銘であるとはいえ、では実際にそういった茶杓を手にされているというのはウラヤマ・・・ではなく、ありがたい事でありました。宗香先生に茶杓の特徴を教えて頂いたりして勉強も。ちなみに宗香先生も家元稽古をされていて、京都の由緒ある社寺で懸釜をされたりと多忙を極める師匠です。

茶会後はサッと帰宅にて宗香先生を送って帰宅。今日は夕刻から茶事の一日目。私は明日の二日目に寄せて頂くので、茶事の勉強をこれからに。骨董街で無駄遣いをせずに済みましたから好かったかな。真田紐と和紙が底を尽きそうなので、色々と物要りな年末となりそうです。

さてさて

今日はゆっくり。明後日に茶事があるので、少しそこらの勉強というか予習をしておきましょうか、という辺り。

とはいえ、滞りなく客の役目を終える事も大事ですが、楽しむ事が本義だわなぁ、と思いつつ。茶事ならず茶会でもそうですが、箸の上げ下げに気をつかっていて楽しく無い時間を過ごしてしまったら御互いが楽しく無いわけですから、所作を早々に習得してしまって、余裕を持って楽しめる領域に入りたいものです。そういう意味では、あまり予習が過ぎても楽しく無い様な気がしたりして、何とも悩む所であります。

茶道の修行も少し落ち着いて。何となく夢中で?とにかく点前の精度を高めようとして来ましたか。最近は茶を修行する理由みたいな事を考えたりしています。

例えばまぁ、今やっている四ヶ伝にしても、その先にある台子の点前にしても、拝見から何から様々に複雑なものがあるわけですが、世の一般的な茶をやる限り、本番として「実用の機会が無いもの」であると断言出来ます。夢中になって一番上級の点前まで進んだとしても、はてさて、では「大名物の茶入を和物・唐物取り揃え、銘茶を二つ揃えて、国宝天目茶碗を使って、皇室お御客様を迎えて」という機会があるというのは・・・、実際に在ったとしても、茶道家元のされる話でありましょう。近いものが献茶式くらいな所でしょうけれど、家元か、家元代理なのかな。在地の茶人が行っても好いのでは?と思うのですが、そも献茶の点前?を誤りなく習得されているのは各県に1人や2人という方であるせいか、そういった事にはなっていないようです。

というわけで、いわば「非実用品」。茶会では基本の点前。


まぁ何だ。「使えないもの」を「無駄なもの」とする最近の同世代に在る風潮にはウンザリするのですが、やはりそういう世界です。利休百首が手早くバッサリ解説してくれますが、「稽古とは 一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一」というわけで、全てのものを帰結させた末の「一」。陶器に関しても同じく、単に上っ面を真似ただけでは、「一」でしかなく、同じ黒でも、深い黒と、ツマラナイ薄っぺらな黒がある様に、「一」にしても違いがある。

「違いが判る」ってのはそういう事ですか。何だか子供の頃、CMで某書家が「一」を大書しているのを見て、筆云々よりも「何で一なの?」という素朴な疑問を抱いたものですが、僅かばかりの教養を得た今であれば、何故「一」なのか、その理由が判る。書もまた道であればこそ、「一」という字が出てくるのだと判るのが、教養というもの。「信楽に始まり信楽に終わる」など、どれにしても、「十」まで行って、帰ってくる。

「一」を極めるための「十」、という概念。何か「人生は死ぬことと見つけたり」という様な世界です。人生は「死」を極めるための「生」であり、「生」を極めるためには「死」こそが最高の善導者という考え方。昔堅気の仕事を行う者の名言は、多くこの武士道的観念を基礎としている様に思います。


と・・・、何だか随分と話がおかしくなってきました。


最終的にはやはり、茶人になってみたいなぁ、という思いもあり。しかし今でこそ、陶工を極めるに於いて両者は同体でありますが、やがてどちらかを選ばなければならない時期が来るような気がしています。当然、私は陶工が「一」であり、茶人が「十」であります。全てを帰結させた最高の器が目的である事が本義。

個人的に、「長次郎が茶道を極めていたら、さて更に凄まじいものが出来ていたであろう」という仮説を持っています。当代が茶道を極めても、それは長次郎とは違うわけですから、誤解は不要なのですが、ともあれ、「桃山に並ぶもの」が目標ならいざ知らず、いつか「桃山を越える」という事が目的でありますから、「更に一枚」を載せないといけません。それが、私の中での茶道です。「並ぶ事」を考えている限りは「漸近線」でしかありません。

あちこちで「昭和陶工も所詮、桃山には遠く及ばなかった」と、あちこちで断じているのは林屋氏。現代陶を推奨しているのもこの方である様な気がしていますが、さてさて、「現代陶工には不可能」とされた判断を、覆せるか。

そんな野望もあります。

以上、とりとめもない長文まで。

稽古納め。

納品・発送を終えて、今年の仕事も一段落です。

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窯焚き後も色々と忙しく。昨日は松丸太を運搬して頂いて。相当な量の地松です。間伐にしても何にしても、最近は基本的には”木材チップ屋”が持っていくそうで、こういうものは切り出してあっても陶芸家に廻らない事が多いのですよ。偶然、縁あって頂けた話でありました。チップは紙原料とかバイオマス燃料とか、堆肥とかに使われる様で、廃材利用など、とかく無料で集められる木材を企業力で集めています。個人がなかなか太刀打ちできないのは、4トン車を保有出来ていない事、また、持っていたとしても、ユンボなども搭載して手軽に木材を運搬出来ること。また、チェーンソーで切り出しなども行ったり。そういう機材がオイソレと動かせないのが苦しいわけで、「時間が掛かったり、お金も貰えないのであれば」と、チップ屋に廻るのですよ。立派な松であろうが何だろうが、結局は細かく裁断されてしまうのですから、可哀想なものです。薪窯であれば、最後は灰まで、右の様にアク抜きして釉薬材料にしたり、篩の残り灰も畑に播いたりして、完全有効利用が可能であるのですよ。薪ストーブなどとも比較にならない。

んで、昨日は箱の仕事で忙殺されて、夜中まで筆を執って、判を押して。桐箱の納品でも色々と、不足があったり、寸法が間違っていたりして大変でした。

今日に納品して、一斉に発送して。
お待ちいただいている方々には間もなくお届けになるかと存じます。

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そうそう。新しくした名刺に載せている花入も嫁入りしました。ともあれ今回の個展では日頃茶道をされていて、年に何度か茶会を主催される様な先生方ばかりでありましたから、何より好い行き先であります。逆に、ちょいと過去に取り置いて来た花入を、さてどうしようかと悩んでおります。


今日は稽古納め。今年最後の稽古でありましたか。といっても、明後日には先生・社中の方々と御一緒に茶会へ行ったり、その翌日には宗道先生の”夜咄の茶事”へ招いて頂いているので、いましばらく、楽しみが残っています。茶事は一年振り。本式のものであればこそ、数万円の出費を伴うものですが、といってお金を出せば御客になれるというものでもありませんから、ありがたい事なのですよ。

最後の稽古は、花月にて。年の終わりという事で、寅年に因んだ茶碗などが出ておりましたか。軸は「春風を以て人に接し 秋霜を以て自ら肅む」というものにて、幕末の佐藤一斎の言葉。岐阜県恵那に資料館などありますから、美濃の方にはよく知られているのでしょうか。とても好い名言だと思います。

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そういや、最近は刀剣が面白いなぁ、と。もちろん、何か見分けが出来るわけではないもので、ズラリと並んだ刀を見て、陶磁器宜しく、”違いがよく見える”というものではありませんから素人的に、というものです。パッと見が同じに見えてしまう内は素人ですね。で、帰って後は刀剣の書籍を買ったりして楽しんでいましたが、なかなか、他工芸の職人の世界も面白いですね。写真の小説は「いっしん虎鉄」。実在人物とはいえ小説ですから脚色などは当然ですが、金銭的なトコとか、名陶家の裏にスポンサーが居るトコとか、妙に現実的だったりしてオススメです。今の陶芸家などもこういうトコがありますよね。以前に「利休にたずねよ」という書籍も出されていましたが、そちらも面白かった。「火天の城」を書いた人、と云えば判るでしょうか。どれも良作ですね。職人世界を描く小説作家さんとして、ちょいと注目しております。「利休に」で出てきた長次郎の陶工描写は少しもの足りないトコがありましたが、そのうちに陶工も描かれるのでしょうか。著者の山本氏は、裏千家の月刊誌「淡交」に連載をされていたりして、茶道界でも知名度を高めておられます。

右写真。備前長船の刀剣資料館の土産モノで、刀匠による黒文字(クロモジ和菓子用の楊枝。茶人必携のモノ。)を買い求めて、気に入って使ってます。一本一本作られているので、1つ1つ、刃先の形や角度、刃厚などが違っていて、選ぶのも楽しかったのですよ。ちなみに備前長船じゃなくって丹波の刀匠さんですけどね。黒文字も、基本のステンレスでも形が色々あって、材質は象牙のモノとか、塗りのモノとか、色々あって楽しいものですが、これ以上のものはなかなか、無いんじゃないかと嬉しいのですが・・・。さすがに男性茶人しか使えないよね・・・。需要が低いのが勿体ないモノであります。近くに茶道をされている男性が居られたりする方など、贈り物としてオススメしたいトコであります。価格も黒文字としては最高級品ですけど、刀匠さんって陶芸家より苦しい生活と聞き及びますし、この値段でも儲からないと思います。是非、言い値でマトメ買いしてあげて下さりませ。茶室には刀を持ち込めない決まりですが・・・これならOK。戦国の当時であれば、さぞ武人茶人なぞは喜んだでしょうね。(ちょっと喜び方が子供っぽい・・・?)


と、こういう事を始めていると。最近は稽古を御一緒させて頂いている先生方に「御茶人らしくなってきた」と言われる事が多く。以前はどうだったのか知る由も無いですが、刀剣の黒文字を見て喜べる辺りが、まぁそうなんでしょうか。人生の楽しみというか、茶道をやっていると、観賞としての工芸の楽しみに、実用としての工芸の楽しみが加わって、数倍の楽しさが味わえたりします。作り手としても、使い手としても。色々と楽しみながら修練を積んでいきたいもので。

とりあえずは明日一日、一休みする事と致します。

第17回 短期焼成

さて、今年最後の薪窯です。これで納品の作品も全部仕上がって、年末を迎えられそうです。

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焙り。しかし慌ただしかったもので、前日は夜10時まで窯詰めしていました。

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晴天。気温は11℃ほど。割と過ごしやすいですが、少し風の向きが悪いくらい。

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二日仕事ですから、温度が上がったとこで終わりです。昇温の基礎訓練とも言えます。

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なので割と忙しいのですが、信楽焼成では酸化に傾いてもOKなので、相当に気楽。

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途中、赤松を持ってきてくれた方が居て。100年モノだそうですが、2トントラックで5杯分。

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ユンボも扱って仕事を挟むことになったり。嫁さんにしても、もう特に指示が要らないのですよ。

「ちょっと焚いといて」

でOKです。温度上げるのも割と巧くって、時々私より巧いです。

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という感じの短期焼成。まぁ、途中で大壺が割れたりして難儀をしたりもしましたが。

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無事に終了です。ありがとうございました!

第17回へ

窯が詰まったので・・・。

明日から短期二日焼成、焼いてきます・・・。


ちなみに今回は、9月にやった陶芸教室のものが入っているのですよ。年明けには、という事で話をしてあるのですが、年末・年初は実質行動出来ませんから、窯を焚けるのはこのタイミングしかなかったもので。

しかし一日で窯詰めを仕上げるのは辛かった・・・。今回は自分のものは蹲と鬼桶・酒盃以外は釉薬モノ。それも・・・今日に調合したり・・・。というわけで、忙しい日でありました。

釉薬は柿の蔕のもの、分類で云えば”イラボ釉”でありますが、市販のイラボ釉は名前だけですな。薪でやる前にガス窯で試験すべき所かもしれませんが、そもガスで駄目でも薪ではOKという事があるものですから(逆も当然ある)、ガスでOKだからどうこう、と云い切れるわけでもなく。

まぁ組成的には灰釉ですね。薪窯に灰釉を持ち込むのは敬遠していたのですが、そも理由が自然釉を疑われるから、という名目上の、体裁を気にしたもの。まぁ見る人が見れば”灰釉伊賀”か”自然釉伊賀”か、というのは如実に判るわけですし、体裁がどうこうという時期も過ぎたかな・・・と。言うまでも無く、伊賀はあくまで自然釉でしかやりません。それは”体裁の理由”によるのではなく、”作品の品位の問題”に拠ると確信しているから。

まぁ、長くなる前に。でわでわ。

信楽を焼くのだけれど

窯焚きを火・水に変更したのに、すっかり忘れて水・木だと思ってました。ん~、窯詰め、明日で全部終わるのかいな。

とりあえずようやくの昼飯を食べて。桐箱は今日やってしまう予定だったのですが、木曜に廻さざるを得ない所。桐箱も納期遅れが発生していて、まだ到着していない分があったり。個展分などなど、木曜か金曜日辺りの発送を予定です。年末に桐箱が込むのは、まぁ御節料理の関係ですね。桐箱屋といっても、こういう時は単なる「梱包資材納入会社」になってしまいますが、高級品市場の低迷を考えると、そういうものが無いと桐箱屋も潰れてしまうでしょうからね。陶産地の桐箱屋も多くは潰れましたか。

忙しい時間を縫って、直方・春斎さんの展覧会も行ってきました。今日が最終日。陶芸の森ですね。

信楽の名士2人。当代の上田直方さんは先代の”4代直方”が亡くなられると同時に、それまでの良質な焼と土を失って急落。以降それを取り戻す事なく現在。茶道は若くして裏千家で茶名、表千家に鞍替えという所。工芸展では作為的な景色の信楽茶入で指定席がある感じですか。それにしても先代直方氏の焼・土は好いですね。当世最高という評価を聞くのも肯定出来ます。その当時は登り窯は共同窯で、肩身の狭い思いをしながら、火床に作品を置かせて貰っていた時代という事。つまり、自分で自由に焼いた作品では無かったりする辺り、昔の職人の凄さというか。

春斎さんは、名手先代楽斎氏の二男として独立されて。なので、先代の焼とか土を使っている時代は無いのかと。県指定の無形文化財ですが、家も特段立派にすること無く、それこそ地元の名士的な、親切な職人さんという感じがあります。同じく工芸会の作家ですが、ここ10年くらいは本展に通らず。しかし何年の頃が好いとか、そういう山がなく、やはり常に良と否の交錯する感じの作品でありますか。窯焚きも土の配合も、よく触ったりされると聞きましたから、旺盛な意欲の結果なのかと。年に1~2回の窯焚きでも、一応の緋色に安定感がある辺りが力量でしょう。個人的には春斎さんの方が茶でも多く、茶陶としても優れているかと思っています。といっても、「凹まされた壺」(蹲)など、やはり無作為では居られないの様子。茶道具で無い食器は随分と安いですが、あれは本人が作っていないと思うのですが・・・・違うんでしょうか。 まぁ、品が好ければ関係無い話であります。

と、簡単に。ちなみにここでも景色の強い茶碗が、「どこから見ても見所の多い景色で」と書かれていましたが、信楽作家なら美しい緋色が出た茶碗こそ、と思うのですが。

ちなみに、陶磁資料館の時と違って、しっかりと実物の色が撮れている写真図録でした。


なかなか、どうしても焼締には色々否定的に書いてしまいます。それもこれも、3代楽斎・4代直方の時代の好さがあるからこそでしょうか。土が良質な黄瀬粘土が豊富であったから、と聞き及んではおりますが、それだけでは無さそうです。やはり土も大事ですが、焼もあるでしょうし。自然釉系の信楽では、当然ながら他に人が居るわけで。

そういった所を解消する、信楽の緋色を叩き出す薪作家が居れば嬉しい。しかし今は不在ですね。


ちなみに臥翠窯の信楽は別物。今の窯では”抜群の信楽”は焼けません。その確信があります。そいつをやる時は、窯を作って挑まないと駄目です。それはいつかの御話。今の窯は伊賀が好くなるように特化してあるので、その分信楽を焼くには不適な部分があります。4日間焼成で信楽狙いの焼成をやれば、少しは違うかな。今やっている事を下地に出来る日がくれば好いのですが、どちらにしても随分先かな?



・・・と。実は土の乾燥待ちなのですよ。釉薬掛けるトルコ青が乾かないので窯詰めの仕事が止まっているのです。

そろそろ仕事に掛かれるかしらん?。

年末稽古

「気が付くと・・・」 と言ってしまう辺り、もう若者では無くなってきたというトコでしょうか?。まだもう少し、秋の季節を楽しみ足りないなぁ、と思いつつ。今日は稽古の後に茶道の忘年会でありましたから、余計にそう思ってしまうのでしょう。

稽古は四ヶ伝にて、和巾という皇室関係の事から出来た特別の点前。モノを拝領した時、さてそれを披露する時にはやはり、特別の点前を行いたいと思うものでありますが、かつて裏千家の家元が皇室から点茶と共に下賜されたものを、さてどう扱ったか、という点前を学ぶもの。四ヶ伝というからには四つあり、唐物茶入を使う時の応用編。和巾は文字通り古帛紗を偉い方から頂いた時の応用編。伝来の天目茶碗を扱って茶を点じる時の応用編、中興名物など一際格の高い茶入を扱う時の応用点前というわけで、モノが変われば当然、扱いが変わるというものでしょうか。まぁそりゃぁ、普段片手で動かしているものを、急に、大事そうに両手で扱っていれば、誰しもが察しのつこうというもの。

とはいえ、全てはマニュアルを覚えるためではなく、茶人になるための稽古でありますから、どういった応用をするのか、という具体例を学ばせるのが本義でしょう。そも実際、大名物で茶を頂く事すら無いであろう所、それを扱う点前者を任せられるなどというのは、まず一生に一度でもあれば茶人として名の立つものでしょうか。


ちなみに今日は1つ、拝領モノを頂きました。茶掛。軸を1つ。初モノです。

ここ最近、色々とオークションサイトなどを見つつ、まぁ時々入札などもしましたが、やはり実物が無いわけですから怪しいもので、そこまで大枚は使えないのです。特に欲しいなぁ、と思っていた立花大亀和尚のものなどは、偽物が多い様で、まぁ素人目にも偽物と判る様なものが半数くらいでしょうか。といって、高値で落札されたりしているので何とも不思議なもの。

しかし世の中、詐欺をする側は巧妙でありますから、①本物、②本物っぽい偽物、③ちょっと判りにくい偽物、④判りやすい偽物 くらいの事はやるでしょう。②を作る事が出来る人物は、③と④はお手の物でありますから、三種の偽物も、その贋作者は一人だけです。そう思えば、全体の中から③と④を除外した所で、もう一段の罠がある。まぁ多分、画像ではそこまで見極められないのかなぁ、と勝手に思ってますから、それがどうしても足枷になります。

ならば道具屋で買えば好いのですが、一見の道具屋さんでは力量も判らないし、例えば陶芸に関して鑑別力がある人でも、書については騙されたりする事を思えば、なかなか探すのは大変ですね。人柄好く、誠実な商売をしていて、尚且つ力量がある人、というのは、なかなか儲からない道具屋稼業・騙し騙されの骨董稼業から探すのは難しい。すると結局、作者から直接、というのが好いわけですが、故人や古物ではそうも行かない。

イイモノってのは大変なもの。でも、折々に、1つ1つ増えて行って、やがて茶会を開くころには一揃い、というのが好い心得であると聞き及びます。

正に欲しいと思った時に拝領というわけですが、さてさてそうなると、軸の保存や扱いを勉強しないといけませんね。ウチは意外と湿気が多いので、蔵が好いのでしょうか。しかしネズ公が心配であります。保存用の容器などもあるとか。いつか茶会を開く時に、さぁて使えない?、という事では情けないので、一丁また、勉強をする仕事が増えてしまいましたが、点前をしたいだけならともかく、茶人修行としては初歩的な必須知識ですからね。


師からの拝領モノになりますから、もちろん写真は出さないのですけれど、立花大亀和尚所縁の方。

う~む。しかし喜んだはいいものの・・・。あと何年くらいすれば茶会を開けるのか。ちなみに宗道師は30の頃には複数の茶会を主催されていたそうで、まぁだまだ、修行は始まったばかりですが、追々に色んなものを手にしてみたいなぁ、と思っております。

あぁ・・・・。

なんかきつい・・・。茶道は明日にしました。先に仕事をしないといけません。

薪割りやって、桐箱やって。実は来週に短期焼成をやるんで、かなり時間が厳しいです。何だか疲れている感じもあるし、寒いしので乾燥が遅くて、高台削りのタイミングが噛み合わない。

桐箱も・・・何か納品分が1つ足りなかったりして困った話。先程は大壺の箱をやってたのですが、さすがに・・・真田紐無くなるってくらいな勢いで消費がスゴイですか。何度か書いてますが、ウチは桐箱の仕事が大変なので、思いのほかに時間を取られてしまっていて。さりとて丁寧な仕事が前提なので、心を落ち着けないと箱書も一発勝負です。

普通は・・・桐箱屋さんが全部仕立てて、あとは箱書をやるだけ。筆に自信が無いというか、勉強する気が無い人、あと窯元のモノとかは、場合によっては普通に近所のおばさんが書いていたりします。どれにしても本式のものを略式にしてあって、非常に手間が省かれている筈なのですが、それを割合と面倒だというブログ記事が多いですから、本式のものを知らないのでしょう。とはいえ、「気軽な陶芸」って感じの仕事が時々羨ましく無いか?と言われれば時々アレですが・・・。

しかしウチは茶道具なので、伝統に感謝を捧げての仕事。桐箱・紙・紐をちゃんと使ってお金を廻すのも伝統を守る仕事の内です。真田紐を掛けて、和紙を手切りして、箱書をして。真田紐は、これが結構に面倒ですが、業者に任せると酷いものが上がってくるので仕方がないし、特注の真田紐であります。和紙は近江雁皮紙。それぞれの箱の寸法に合わせて、丁度好い余白を考えて手切りします。んで、共布・陶歴の紙面の他、作品に関する説明文を1つ1つ手書きします。

それだけの仕事を、基本的に桐箱実費分だけ。桐箱が付くものですから価格も相応に頂いているわけで、真田紐などの価格は含まずにやる事も多いです。道具屋じゃないので、こういうトコで利益を得ようとは思ってません。



あ。桐箱の箱書ですが、これも阿呆なやり方が広まっていますね。「チョークの粉を振りかける」というヤツです。まぁ、桐箱の性質を何も知らんのでしょうな。墨の滲みを抑える為の手法ですが、桐の木に謝りましょうね。そもチョークなどというものが出来て市販されてるのはいつからか知らんですが、骨董品の桐箱って、墨が滲んでますかね?

まぁ、そういう事です。誰かが狙って流布させたとは思えないので、どっかの陶芸雑誌の辺りで、どっかの陶芸家が、得意気にそんな”裏技”を披露したのでしょうか。


「最近の陶芸家は何にも知らんやつばっかりで・・・」と、紐師さんや桐箱職人が言ってるんですよ?。といって私も他人の事は迂闊に言えないもの。


と・・・、そんな事書いている場合では無いので。

ではでは。

旅行記 余記

旅行記の3という所ですが。相当な長文です。 閑でない人は1~2をどうぞ。2も長いけど。

先行きの不安を駆り立てて御仕舞というだけなら、ただの与太話でありますか。

現代の陶工。その先行きを考えると、産地同士の連携は当然の是としても、他の工芸を鑑とする事は二の轍を踏まぬために大切な事であろうか。備前では刀剣について知ることが出来る。分類としては、金属工芸の至宝というべきものだ。

刀剣の基礎的な知識を受け売りで書くと、慶長以前、つまりこちらも桃山が境となっている。日本刀以前の直刀を「上古刀」、日本刀の形となって以後のものを「古刀」と呼び、慶長以後を「新刀」、江戸中期からを「新新刀」、明治以降を「現代刀」を呼ぶ。「刀」という字を「陶」にすれば、およそ共通する部分があるだろうか。云うまでもなく、武士の哲学云々というものが出来る以前から至宝として扱われ、歴史的に最も長期間、日本を代表する実用美の雄であったという事が出来るだろう。実用品としても、農耕民であろうが商人であろうが、自衛の為の脇差を所持している。よく知られる秀吉の「刀狩り令」というのも”脇差だけに留めよ”というものであり、廃刀令までは民衆に身近な実用品工芸であったという事が出来る。

今は、と云えば、備前長船は西の雄とされながら天正年間、つまり利休時代に洪水で壊滅的被害を受ける。以降の「新刀」は東の雄である美濃・関の刀工が担う事となる。しかし現代。潰れた「長船」は刀剣の産地として認識され、一方美濃・関と云えば何を思い浮かべるかと云えば、もはや「包丁」以外にはあり得ない。事実はともあれ、それが現代の大衆認識。

刀は、その大衆性を廃刀令で失ってしまうものの、世界大戦という未曾有の大市場を迎えて復権を遂げる。同時に、大量の需要に従って大量生産された「軍刀」が登場し、ステンレス鋼を使用するなどして実用面に於ける完成を見る一方、刀紋などに見る美術工芸としての側面が失われてしまう。合理性を追い求めた結果に生じたもの。しかし長らく使われる機会の少なかった刀が、実践の機会、何か物騒な感じはするかもしれないが、ともかくも使用の元で改良がおこなわれたという視点で、これを見る事が大事であろうか。軍刀は、簡単に云えば「使い捨てが出来る刀」である。

したらば、現代。まぁ特段深く考える事が無い人は、「包丁に姿を変えて、刀剣技術が生き残っている」という様に思っていたりする。「関の包丁」とは名の通っているが、当然ながら刀匠が鍛造したものでは無い。包丁も、量産化したとはいえ時間が掛かる。しかし、機械技術を導入して、一日に一万本近くの本数を生産する業界であり、刀紋なども放りこまれている。その価格が「通常の価格」となり、本式のものが「超高級品」という扱いとなってしまった。

刀は他人事、と云えばあれですが、客観的に見るには適当な例です。

・名刀とは何か。
実用性・強度・美麗な曲線・伝来・歴史・材質・製造手法。多岐に渡る複合的な評価で決まる。必ずしも美に拠るばかりでは無い。名陶も必ずしも焼成方法で決まるわけではなく、1つの要素で判断することなど到底不可能。

・実用性とは何か。
現代人はすぐに耐性や強度を云う。しかし現実には剣術の使い手が在り、その剣術の型もある。握りの強さ、長さ、相手の持つ武器、斬る対象・得手不得手、慣れ、状況などによって最適なものは違う。1つの要素だけでも非常に複雑なのである。これを陶器に嵌めれば、茶陶というものが見えてくる。いくら美が優れていても、実用には人が介在し、状況・環境がある。名人が使えばいかなるものも最大効力を発揮するが、凡人はこれを無為な石ころとしてしまう。



工芸ってのは、つくづく好く似ている道を通る。

西陣織は機械織。手織りの柔らかさは超高級品。麻布なども化学繊維の価格的安価が”通常価格”となってしまって、本式の物が高級品に。和紙工芸も同じ事。金属工芸も同じであるし、漆工芸も同じである。変わったトコでは象牙細工も同じ。また、新しい筈であるガラス工芸とか宝石工芸、木家具などの工芸なども似たようなトコがあるだろうか。右を見ても、左を見ても、工芸家は同じ事を思い、同じことに苦しみ、同じ課題を抱えている。

「機械の作る量産品は市場が成立しているが、作家や職人は食えない。」という現実。量産工場の従業員が安価とはいえ人並みの給料を手にする一方、作家や職人は片手間でアルバイトをして暮らす日々。それが「人間を磨く」とはいえ、その苦労の精華が世に理解されないとなれば、悲しい話である。

備前でも昔は、「窯元に嫁入りするくらいなら、同じ焼物であるレンガ工場の従業員に嫁入りした方がいい」という節の言葉があったそうである。その構図は、面白いほどに現在も通用する。


工芸の難しさ。本物であればあるほどに、実用や維持・管理などに於いて「使用者に課せられる要求が高い」という事。かくして、作り手の短絡思考にて「使用者に課せられる負担を軽くすれば売れる」という思考へと走ってしまい、本物の需要が著しく損なわれてしまう。本物を愛好していた人までも誘惑して、二級品があたかも「新時代の一級品が如く」にしてしまう。 高級寿司店が潰れる中、敷居を下げた回転寿司は絶好調。そんな対比。 売れない時代と言いながら、量産工場では機械がウナリを上げて、一日に数万個の陶器を吐き出している。「売れない」のレベルが、あまりに違いすぎる。


結局は、本物を失った上に、作家モノ市場も低迷。全体水準の低下は、起こるべくして起きたもの。


不景気。個人的に、景気低迷説には否定的です。1つ、まぁ私も若造なのですが、バブルの時代に対する認識。この知識は今後の事を考えるのに必須。当時の陶磁器流行の時代。あれの実態がどういったものであったのかという事。私はまぁ、1980年の生まれですから、知らないわけです。

崩壊後になって分析が行われて、当時の消費動向も色々と分析されましたが、結局、当時に陶磁器が一大美術品として脚光を浴びたとはいえ、やはり1つで300万、400万という価格。それを求めた顧客は資産運用のために熱狂したのが本当の所の様です。安くで買って、いずれ高くで売る。土地転がしと同じ。だから、「茶碗1つが、年間40万円も値上がりしていく」という馬鹿みたいな話を現実に行い、「人間国宝になれば、更に10倍」という、何か、ベンチャー企業の株式投資と同じ事が行われていたのですよ。「一部上場の動きがありますよ~」みたいな。

もちろん、表向きは「芸術家支援」であり、「新興企業への投資」であるわけで、美名の元、百貨店と陶芸作家が組んでやった仕事です。裏を見れば何の事はなく、需要に基づいて行われた価格設定ではない。「財テク」などという名を謳いあげて、安い内に陶磁器を買えば、税金も少なくなり、楽しめる上、資産運用として売却すれば儲かるという誘い話。

1.陶器の値段は今、一年で何十万円も値上がりするんですよ。(儲け話ですよ~。)
2.評価が高くなって、人間国宝になると10倍が相場なんです。(スゴイ儲け話ですよ~。)
3.この人は工芸会の理事ですから、数年で国宝ですよ。(わかんないけどね~。)
4.国宝の子息は、国宝になる例が多いんですよ?(次の餌ですよ~。)
5.やはり値段が上がってきましたよ。今が買いです。(値上げしたのは私ですけど~。)
6.ほら、値上がりしました。まだ上がりますからもう1つ。(茶道具って旨い~。)
7.国宝の御弟子さんが独立して個展です。分散投資は基本ですよ。(ほらほら~。)

自作自演なわけですよ。しかも陶磁器の美なぞオプションなんですよね。なるほど、日本工芸展が美術館ではなく、百貨店を廻るわけです。新会員などは好適の投機対象。だから門閥を入選させる。見抜く人には見抜かれていて、例えば立花大亀氏は杉本貞光氏に百貨店への出入りを許さなかったし、公募も厳禁としています。多くの心ある茶人は「冷ややかに」これを見ていたそうです。今で云えば、偽のインサイダー取引による詐欺行為であって、法律違反であるわけですが、「モノが陶磁器であるから規制が無かった」、と、そういう話と理解しています。国宝のウンタラ・一門が取り上げられるばかりの門閥時代という暗い側面です。

 今現在の百貨店は、美術関係の売り場を次々と閉鎖しています。かつての話。その悪魔の如き売上。個展一回で数千万円~数億の売上時代。これが、好い側面に出た所もあります。陶芸の地位向上。当初は好い陶工がちゃんと取り上げられていた時代が在る。そして、陶芸の森とか、美術館とかの建築ですね。大家がその財力を活かして後進を育成したり。しかし欠点も大きかった。時代が終わった時、詐欺がバレた。単純に正当な商売をやっていれば、これほどに美術陶器が冷ややかな視線を浴びる時代にはならなかったでしょう。私も仕事をしていて、「将来は10倍の値段になっていればいいね!」という事を、もちろんありがたい期待の心に拠る言葉を頂くわけですが、何か背筋に冷たいものを感じてしまいます。

もちろん、商売というものは難しい。雑誌と画廊が組んでやっているのは、上記の縮小版です。雑誌に載せる事で、期待されている陶芸家の名工という事にして売り捌く。「需要は探すものではなく、作りだすもの」とは、よく言ったものです。しかし逆に云えば、「そうまでしなければ売れないものになった」という事です。今、陶磁器は信用を失って、振り子はマイナスへと振れています。富裕層は「株式」という新しい玩具で遊ぶようになり、「信用を失った美術陶器」で遊ぶ人は居ません。ある意味、「本当の需要」だけが存在しているのが今の状態でしょう。本当に陶磁器の美を楽しむ人だけが、陶器を買っていく。


まぁつまり、「投機による特需に浮かれた時代」の裏で、足元で「機械化による大量生産時代」への幕開けが行われていたわけで、結果として、前段階として行われていた、柳氏や富本氏・魯氏などの「量産時代に対する警鐘」を放置した。彼らは駄目だ、駄目だと言う反面、「陶界が在るべき道を歩む事」を誰よりも期待していたのだろうと思います。 利休が「やがて茶道の本道が失われる」と説いたのは、予言ではなく危機勧告でしょう。それを、受け止める事が出来なかった。

それが昭和陶芸界の歴史ではないでしょうか。 ある意味、商売人に潰されたのです。


そして今。景気が良くなれば、また先の詐欺的手法を取りだすのでしょうか。それで陶芸界が「永続的発展」を得る事が出来るとは、到底思えません。「本当に陶磁器の美を知る人だけが、陶器を買っていく。」という、「本当の需要」が見えている時代。今の状態が、美術陶器に対する適正需要。もはや、大量生産の技術は確立し更に進歩を遂げつつある。年を経る毎に、大衆の価格認識が「皿一枚で100円」に慣れて行く。もう市場を奪われてしまっているわけで、戦の趨勢は陶芸家が壊滅状態へ追い込まれている局面です。

戦術でも勝てない。その上、戦略としても、量産機械製食器は次世代・恐るべきプラ食器の勢力拡大に対抗する必要があります。過去の共闘産物「住み分け」の時代も終わりです。我々を救う余裕などなく、もはや容赦の無い品質向上に取り組む事でしょう。在る意味ではそこから、新しい工芸が生まれる。新しい工芸は、「極限まで安く、そしてこれまでになく貧相な陶器」である事が特徴である可能性もあります。桃山⇒江戸期にも、「安かろう悪かろうでOK」の流れが普通にありましたからね。


で。あとは我々が取るべき道でしょうか。市場が無ければ食えない。寂びれ果てた他工芸の産地の如く衰退し、観光地の土産物屋の店先で技を披露して日銭を稼ぐのでしょうか。そんな事では本物を維持するだけの経費は出ませんし、継承者が激減して、人の質が低下すればモノの質も低下する。他人事の様でありますが、現実に「窯巡り」という名のもとで、名立たる陶産地が観光誘致業としての立て直しに本腰を入れていますね。一枚上の"窯元"は、もう観光業への進路を決めた様です。「外で売れる」ではなく、「買いに来てもらう」という方針です。その内に、あらゆる陶産地が右に倣うでしょう。

その上で、あとは作家がどうするか。作家の後進は、”観光地の店員兼職人”という環境から出てきて、職人的な魂を磨かれていませんから、人を失えば本物を失うという点。これも併せて考える。色んな仕事が放り出されているんですよ。

黙っていたら、誰もついてこない時代。

ちょっと振り返って、「オイ!」と言わねばなりません。


長文になりましたが、色々と考察を深めつつ。外へ出て得たモノを、少しでも多くの同業者に。それが、何をするにしても基礎になると思うのですよ。


あ・・・。さすがに三時間も書いてますな・・・。


桐箱が届いたのですが、先に薪割りをしないといけません。仕事が溜まってきましたので、これにて。

旅行記2 備前再訪

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翌日は。橋を渡ってウドンを食べるか、橋を渡らず備前へ行くか。迷ったけれど・・・

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備前。まずは先輩であるkazbizenさんのトコへ突撃取材。
http://kazbizen.exblog.jp/

備前六姓の木村家御当代に窯場から何から御案内頂いて、窯の中まで入らせて頂きました。店のちょっとした大壺などが、普通に桃山備前。何の気なしに桃山モノがあり、建屋の地面も陶片ザクザクであるとか。一際高い煙突にしても窯にしても、なかなか。「陶の名家」という歴史を御案内頂きまして深謝する次第。ちなみにkazbizenさんは休日でした。またの御機会を楽しみに。

あとは・・・

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御勉強です。

最近は書の面白さに目覚めつつあります。

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さて、順に金重陶陽氏、藤原啓・雄父子、山本陶秀氏、伊勢崎淳氏。
備前が誇る5人の国宝作家さんです。御存命は伊勢崎氏のみという時代。
 
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さて、茶的に味わいの深い書はどれでしょうか。 そして、それぞれ誰の書でありましょうか。 (ちなみに1人、書の無い方が居られます。)

「書は最も人を表わす」と言われますが、正解を聞くと何となく、「あぁ。」という感じがします。 ①題材の選択②余白の使い方③独自色の強さ・性質など、上記写真の風貌と合わせて考えてみて下さりませ。




答え。

左上の書:山本陶秀氏。茶陶に名を馳せた人間国宝さん。
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茶掛の如き風情を漂わせた書です。あまり陶工らしくない?

右上の書:藤原啓氏。我ここに在りという書。非常に楽しい。
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「独り飲む酒も、亦楽し」とは、”孤高なる陶芸家の境地”と解きました。

左下の書:伊勢崎淳氏。「土と炎の輝き」。
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そのまま・・・かな。別に深い意味は無さそう。

右下の書:藤原雄氏。茶碗が草に隠れた絵。
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見えぬ片目で見えるもの。でしょうか。



書いてないのは・・・
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現代備前の祖・金重陶陽氏。
(※図録にはちょっと書があります。画像はイメージです。)

貫録ですね。実力的にも御託無用の陶陽氏が圧倒的。備前の極みたる”自然なる作為”の体現者。作為的でありながら、全くそれを感じさせない所に陶陽氏の”華”を感じます。人間的にも非常に卓越した方であったという話。「あらゆるものに対して素直であること」、「金が無くても心の貧乏人になるな 心の分限者になれ」「ロクロより人間造りの勉強をしろ」など。言葉を聞くほどに禅的な思想を有している事も明白で、「陶工の鑑」と言うべき思想と実力を兼ね備えた人物像を思い浮かべてしまいます。 しばらく、私の個人的な流行作家さんになるでしょうか。まぁしかし、買えないけどね。

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あと、藤原啓美術館を再訪。東京での文士生活の挫折を経て40歳から陶芸に飛び込んだ方。しかし当時の一線級の桃山陶工は戦争などもあり、本格的な活動期は遅いものです。作風が「師の金重陶陽氏と対照的である」と書かれる事が多い様です。しかしさて、「素直な造形により人格を反映させた器」であり、「人間というものこそが器を決める」という様な、思想的な”心の継承”を感じるのですが、どうでしょうか。「心を大切にせよ」とした陶陽氏の教えを純朴に受け継いだ方。茶道でも、利休と織部の関係というのは、形式こそ対照的ですが、その方向性は同一。そういうものかと思いますが、さてどんなものでしょう。書の言葉「独り飲む酒も又楽し」でありますが、記念館では

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「黙ってついてくればいいんよ」とあります。「俺についてこい」と、「傲慢な事で、人間国宝はこれだから・・・」と受け取ってしまえば「御愁傷様」であります。普通に考えれば先に立つ翁は陶陽氏であったり、古備前でありましょう。後ろの老婆こそが啓氏本人。備前の陶工が茶会をするとなれば、最高の掛けモノでしょうな。羨ましい。時代がどうこう、流行がどうこう、ゴタクは要らんのです。「はちきれんばかりの田舎娘」という言葉。すっかり都会的嗜好が支配する様になった現代陶界。鎌倉・室町に在る「決して巧いとは言えぬ形」の持つ独特の造形を示した名言でしょうか。文士であったればこその掛けモノ制作かもしれませんね。「地元の支持も非常に手厚いもので、本当に多くの人が慕っていたんだよ」とは、地元骨董屋さんの言葉でありました。


以上備前。古備前も多く拝見出来、現代備前も多く。中興の祖と言われるべき実力者がまず2人。やはり政界云々という事とは別に、力量ある作家が立っていたればこそ。「作家の力量ってのは何か」って事を、よくよく踏まえてこその伝統ですね。



較べて今は・・・あらゆるものが薄っぺらいですね。

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左。昼飯に食べた備前駅最寄のウドン屋。全てプラスティック製の器。天目もどき、志野もどき、染付もどきに。もちろん盆は偽漆のプラ盆。テーブルもベニヤの張り合わせ。「酷い食器だなぁ」と思っていたら、晩飯(右)。そりゃね、磁器ですよ、一応。でも中国製の中でも最低ランクの磁器に顔料絵付。よほど、もうプラ食器の方が品がありますわな。

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画題は富士だそうです。「Everyday牛めし」だそうです。「自然味」だそうです。
何をか言わん。染付に対する冒涜もイイトコ。 しかし寂しい事に、怒る陶工も居ないのでしょう。 「身体が喜ぶ自然味」の下に、「史上最低の器で」と書いていれば判らんでも無いですが、何の笑い話か、これは。


まぁね・・・中身というか、料理は別にいいんだけど、少しは「器は料理の着物」という事を・・・?。まぁ、「勉強した」から・・・富士を書いたんだろうね。マニュアル馬鹿・浅学の典型ですよ。


しかし陶工は基本、こういう店でしか飯を食えないのは皮肉であります。信楽も備前も、瀬戸も丹波も、どこの陶産地に行っても基本、「安さ」を旨とした店しか無いのが現実です。うどん屋。これしか無いっていう程に。溢れるほどの高級食器を作っていたとしても、貧しいのですよ。大量生産の技術は進歩し、「電子レンジ窯」の実用化により焼成でさえ短時間化が進んでいます。「高級である」とは何か。そんな事を、作る側も随分と忘れてきているのかもしれません。


上から下まで、もうこれは「貧相な器」の時代としか言えないのでは。他にどう形容するのか。 「桃山時代では、木を刳り抜いただけの粗末な碗で食べていた」などと、一体全体、本当に現代人がそれを云うのか。”本当の木碗”で食べている人がどれくらい居るというのか。市販漆器の中身はプラスティックである。 粘土でも無い様な土をプレスで焼物に仕立て上げた磁器碗なのである。

過去との比較。桃山期、江戸期、明治大正、昭和。これほど低級な器が常用とされた時代が、どれほどにあったものか。焼物大国として世界に君臨した日本は、もはや虚像となるのか。

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刀剣・備前長船。もうホント、すぐ近く。歴史も鎌倉~桃山時代を経て実用と美を兼ね備えた工芸の華であり、歴史的に「至宝」の格に在ったもの。そうして現代、実用品から完全なる芸術品へ移行。

しかし実際はどうか。「実用品は包丁程度で量産品の独り勝ち」であり、「需要をコレクターのみが支える芸術品」である世界。その需要は如何ほどのものであるのか。砥ぎ師の実需は包丁しか無い。何の為の腕か。否応なしにそんな世界に押し込められた刀剣工芸の世界。陶芸を芸術品としてしまう事。「コレクターが居れば好い」と嘯く事。その果てにある世界は、さてどうでしょう。先駆・刀剣工芸。音に聞こえた西の雄・備前長船の刀剣本地。もはやこの美術館が閑散と立つのみ。公的支援無しには存続出来ぬ世界です。

火床。ホド(ホドコ)と読みしもの。刀剣もまた、炎の芸術。火を入れたが最後、留まる事は出来ない仕事。

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滅びた後で悔いても、死者は蘇らない。

その教訓は、日本には煩い程に溢れています。


備前陶工・金重陶陽。かの人が今に在りせしなれば、さてどうしたでしょうか。それが備前の宝。銅像を見るたびに、現代の陶工がそれを思えば、何か答えが出てきそうな気がします。「偉人の銅像の本義」とは、本来がそういうものかと思います。つまりは見る側の心次第。


さて、信楽・伊賀にも偉人が出ていれば、さて何かが変わっていたのかもしれません。


以上、備前再訪の記録まで。

旅行記 その壱。

ちょっと旅行へ行ってました。 個展を終えての祝い旅行ですか。

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街中に墓場から起きてきた方々が立っていて

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 様式美を兼ね備えた現代の病を表わした建築があり

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人間も展示物として通用するんじゃないか?と考えさせられ

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これとか

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これを作ってる街で

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優雅な船酔いのひと時を・・・?

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過ご・・・

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過ごして?

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きました。


大輪田泊ですな。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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