陶芸の思想 -穴窯・臥翠窯-

自然釉の名工を目指し、独自の道を模索する者あり。築窯・修行・伊賀花入。その足跡を記す。

修行録4/28 思索
来週あたりから工房の整備に取り掛かる。広さは十分。では、己は何から手を付けていくのが良いだろうか。ロクロ技術、土の選定、築窯、釉薬研究。溢れんばかりの課題。

目指す作品。特別な技巧や・目新しいデザインなどに拠る”オリジナリティ”と語られるような、知恵で勝負する焼き物は、可能・不可能に関わらず小生の目指すところでは無い。目指すは、作品そのものに力が備わった陶器。名品の多くを見たときに感じる”力強さ”や”繊細さ”、”儚さ”というものはどこから生じるのだろうか。特別な技巧や、目新しさとは別次元のところから生じるもの。多くの大家が云う様に、それが人格から生じるものとすれば、陶器を自分で作り、自分の手で焼いてこその作品。手を入れずに人格が乗り移るとは思えない。勿論、その前に人格も磨かなければならない。作品の持つ”力強さ”や”繊細さ”、”儚さ”、はたまた”侘び寂び”、”素朴さ”などが造形に拠ると云っても、ただ作っていても駄目だろう。その微妙な造形に、人格で影をつくり、陶工の声を響かせねばならない。そんな作り方をする事が前提。

その前提のためには、陶芸に入り込む事。ただそれだけの、単純で、しかし容易でない事だと考える。例えば楽器がそうであるが、手を離れた陶器作品に人柄が滲み出るにはより入り込む事だと勝手に考えている。そしてその先の陶器に備わるものが”力強さ”なのか”繊細さ”なのか、”儚さ”はたまた”侘び寂び”、”素朴さ”なのか、又は”凡庸さ”や”弱弱しさ”なのか。このあたりは自分の磨き方、磨かれ方次第となるのだろう。そしてそれこそ、”陶器の個性”であると思う。狙って付けた独自性では無く、自然発生的に付随する独自性。例えば桃山時代の朝鮮の茶碗が持つ”素朴さ”というものはそういったものだと思う。老いた陶工の作品に枯れた魅力が出る不思議も同様だと思う。小生の見る名陶工の作品も又、それに類する何かしらの力を備えているおり、故に素晴らしいと思う。そしてそれは、誰かから教わるものでも、貰えるものでもなく、自らの会得にしか依らぬものだと思索する。
小生の目指す、人格の影という”力”のある陶器。まず、その段階まで。遥かに遠い段階だが、着実に歩を進めていこうと思う。

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  1. 2007/04/29(日) 00:08:42|
  2. 修行録・思想(基本)
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修行録4/25 軽くて価値のあるもの
さてさて、暇にしていてもお金は出て行くばかり。収入の当ても考えなければならない。といっても、なかなか思い通りの副業アルバイトも見つかるわけでもない。まとまったお金が必要なら半年間の期間工といったところだろうか。この辺りは年齢が若い分だけ何とでもなるところ。

作ること。まず、これは修行あるのみ。といっても茶道具を作って、はいどうぞと売れる物でもない。何かブランドでもあれば、技術は別にしても簡単に売れたりするようだが左様なものに恵まれている訳ではない。目指す自然釉の茶陶。同じ要領で食器を作れば、ありえないコストで尚且つ使いにくい肌質。つまり、簡便に食器を焼ける訳でもなく、食器を作ろうと思えば自然、灯油及びガス窯となる。この辺りの兼ね合いは、売れるかどうかという事も関係するのでやってみない事にはわからない。

売る事。このところ滋賀県南部を色々と飛び歩いている。思わぬところでは、草津駅すぐの煉瓦屋に陶器のギャラリーが在ったり。こちら奥にあるレストランも手頃。石窯のパン、ランチ、喫茶などが非常に手頃な値段かつ美味しいもの。立地が奥まっているが是非推薦すべきところ。販売物から料理まで全て、”手を掛ける事”を大事にされている様に感じた。気になる方は草津&煉瓦屋で御検索を。以上、勝手に応援。
陶器。自分で売る事も必要。されど、売ってくれるところを探すのも1つの手。といって高価な陶器を買う人が足を運ぶ店など限られているし、どれだけ良い品を手頃な価格で販売しても、買い手にそれを理解する層が無ければ容易にに商売は成立しない。例えば小生の住む大津市は音楽に理解がある町。市民の音楽団体が多く、かつては小生もその1つに参加していたもの。市民には音楽に厳しい耳を持つ人口が少なからず居ると推定され、コンサートも頻繁にある。
陶器で云えば、瀬戸や多治見では見識を持った市民が比較的多く存在する。ギャラリーなどに訪れる人も多く。このあたりは信楽などと比べると決定的に長じている感じを受ける。工房の見学開放も非常に進んでいて、わざわざ祭りに合わせて焼成を当ててくる窯元も居るくらい開放に熱心である。去年は色んな窯業地を巡ったが、地元顧客の開拓・観光客の誘致に関しては瀬戸・多治見が最も進んでいるのではなかろうか。その成果はまだこれから。その意味で言えば滋賀は陶器に関して無関心。自己努力を一層考えねばなるまい。

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  1. 2007/04/25(水) 01:55:09|
  2. 修行録・思想(基本)
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修行録4/22 無為
さて、ここ数日は何かしている様で何もしていない。修行と云うものとは程遠い生活。日曜大工で椅子とか棚とかを作った程度。後は必要な市役所手続きや銀行口座凍結解除他、久しぶりにゲームなどをして過ごしたり、夜に散歩に出掛けたり。頭を使っていると考え事をしなくて良い。小生は小学生の頃からのコーエーの歴史シュミレーションゲームのファンで、よく熱中して徹夜したものだ。最近はゲームからも縁遠くなってきたが、それでも楽しいものだと思う。

何もしない生活。一ヶ月も意識して遊んでいると、何故か活力が戻ってくる自分。何かをするために無為でいる期間。一週間、ぬるい生活をして遊んでいたせいだろうか。早くも活力が戻りつつある感触が在る。

土地。場所は甲南町の親戚を頼る事となった。牧場の空き地を借りて始める。周囲に民家は殆ど無く、居るのは牛と、猫ばかり。建物はあるが、不足は多く、一つ一つ補い、加え、修理していく事となる。五月連休明けくらいからのスタートとなろう。今は無為。それで良いと思えるようになってきた。改めて良い土地が見つかるかもしれない。それでも、今はここを起点とする事とした。

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  1. 2007/04/22(日) 12:27:36|
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修行録4/19 新天地

さて、相変わらず土地探し。といっても、さほど精力的に探せている訳でもなく、信楽で懲りたように、一筋縄で出てくるようなものに飛びつくのもよろしく無い。のんびりという感じである。

現在の候補は甲賀市甲南町。場所は信楽・伊賀とを頂点にした時に三角形となる場所。基本は牧草地&農地。非常に人口は少ないが、信楽のような人口密集度が無く、遠望が開けて見える。又、小生の祖父、つまりは父の実家が在る場所でもあり、親戚なども多い。
色々と話を調査するに、実はこの甲南町にもひっそりと、しかし相当数の陶芸家が入り込んでいるらしい。基本はやはり穴窯の作家。なるほど、辿り付く所は自然と同じ場所となるのだろうか。その内の二人の陶芸家を訪問。一人はガス窯で食器を、もう一方はアメリカの方で自然釉花器を焼かれる作家。両人とも2〜30年も甲南で作陶されており、いろんな方がおられるという話を聞く。無名の作家が多いという話は良く聞くものの、実際にそういった方々が居られ、その話を聞くことが出来たのは非常に面白かったし、励みとなった。

本日。親戚の家の土でぐい飲みを作り、七輪で焼いてみる。結果は、耐火度不足。形を留めてはいなかった。粘りはあるが、一山越えるとかように違うものか。今しばらく、色々と考えようと思う。今は迷い多く、精神的に不安定であるがゆえに・・・。

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  1. 2007/04/19(木) 19:56:46|
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修行録4/16 現実との乖離
何とも無しに一人、歩いて琵琶湖へ向かう。瀬田の唐橋を遠望しながら一時間を無為に過ごす。瀬田に移ってから、初めて瀬田の風景を感じる。
湖岸には日曜日の休日を楽しみ、休養に充てる家族の姿が在る。ボートに乗り、花見をする大学生の姿が在る。何だか遠い風景である。

そのまま、橋を渡って対岸を北上。1〜2時間くらい歩いたのだろうか。彷徨った挙句、閉館間際の膳所美術館へ。呈茶ありて、久しぶりに茶道に触れる。再興膳所焼。口惜しきは住宅街という、場所柄に掣肘された焼成方法の制限。昔に使用していた登り窯が保存されている。鋭意頑張っておられる様子が作業場から見て取れる。膳所焼の茶入、これはまた格別のもの。

夕刻、用事ありて京都へ行く。久しぶりに新福菜館(京都で有名なラーメン屋)へ。。学生時代に良く来たものである。京都駅前もちょっと趣きを変えた様で、関西に戻ってきたという事を感じる。多くの人の存在に、次第に現実へと引き戻されてくる。

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  1. 2007/04/16(月) 08:38:11|
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修行録4/15 新たな土地を求めて

昨日は朝から一度決まった土地の話を断りに行く。80を越す高齢な夫婦の二人暮し。丁度小生の祖父母と同じ年代、近き土地の育ち。親戚の子の様だとまで云って頂いていながら、直前での破談。たった2回、話をしただけの出会いであったが、申し訳の無さには涙を抑える事が出来なかった。祖父母の家にいくと出てくる、古びたコタツと甘いインスタントコーヒーの味は全く同じものだった。新たに土地が決まれば、又挨拶に来いと云って頂いた。しかしそれも、迷惑となろう。

午後。感傷に浸る間もなく、土地を探す。信楽で穴窯の可能性を残す場所。信楽の東西の端。しかし、そのどちらも今回の件で難しくなった。狭い土地であるが故に、話の伝達は早いだろう。残るは北か、南。候補は無くは無い。2件ほど可能性を見出す。しかし、近くに民家が数件在ったり、色々と問題を抱える可能性を排除する事が至難である状況が見て取れた。

偶然というものは起きるもの。父母への報告へ行こうとした時、花見帰りの父母に出会う。30秒早ければ合わなかっただろう。窯焚きを頑張っているのだろうと、信楽まで花見に来ていた様だ。その後、一緒に甲賀の祖父母の家へ行き、山歩きをして蕨の収穫、筍探し・筍掘りに行く。子供の頃は父母と毎年筍を取りに来ていたものだ。人里離れた山の静けさ。信楽という地名に対する拘りが、ハラリと抜け落ちていく自分を感じた。

目指すは信楽焼。信楽で作ってこそ信楽焼。しかし、信楽という土地柄が新たな穴窯築窯に掣肘を加えるならば、それは唯の足枷。ならば、信楽以外の土地で、現随一の信楽焼を超えるものを作る。それも又、大いに面白ろかろう。粘土は地名に拠って出るのではなく、地層によって出るもの。滋賀南部には色々な可能性がある。今しばらく、土地探しを続けていこうと思う。

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  1. 2007/04/15(日) 09:21:28|
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修行録4/13

本来なら窯焚き手伝いである所だが、今現在、自宅に居る。色々な事があった。結果だけを云えば、師とした神崎紫峰氏に別れを告げたという事。非常に温情のある方。僅かな期間であったが、非常に目をかけていただいたとも思う。ただ、氏が与えようとしたものと、小生の求めるものには大きな隔たりがあった。最終的に、小生はそれを受け取る事を肯定出来なかった。

品物を作るには技術が必要となる。一般的に師弟間で技術の受け渡しが為される時、弟子は師と同じ技術を習得し、その影響は絶大。肩書きの意味でもそれに伴った評価を受ける事が多く、師と比較され、そして師の御陰というものから脱する事は容易ならないものだと聞く。逆に、それは雑用に追われる数年間を代償にした利益ともなる。
人の話というものは思った以上に真実である事も多い。せいぜい10日程度の期間であったが、その影響は甚大であると肌で感じるし、神崎氏も当然の事としてそれを施してくれた。しかし、申し訳ないことだが、小生は自分の信楽を作ることを目指すつもりであった。現在随一は紫峰伊賀、紫峰信楽。それを越えるつもりであると、正直に話し、そして不興を買った。弟子修行とは、絶対服従が前提。技術・名誉を得るがために自分を折り、卑下しつづける事は、純粋に生きて行きたい小生には苦しかったのかもしれない。

結果は、今現在家に居る事が示している。一年かけて通った結果だ。しかし、後悔は出来ない。一度も接する事無く離れているより、全く以って良かったと感じる。今日の早朝、窯焚き当番の時にトラブルを起こした。焚き口のレンガが窯の中に落ちた時、周囲は焚き手の小生のみ。口笛を吹きながら師は淡々と窯場に現れ、そして淡々と処理する姿は貫禄であった。初めて見た、陶工そのものという師の姿。あの姿を忘れる事はないだろう。越えねばならないし、越えるつもりであるからこそ別れを告げた。悲しくもある。いつの日か又、談笑する事のできる日が来るのだろうか。

師は覚えておられるだろう。「人から与えてもらおうという姿勢で居るから、今の作家とか称している人々は駄目なものしかつくれないのだ。弟子入りするという姿勢からして間違っている。」これは、弟子入りを切り出した時に帰ってきた返事。自分で体験してこその会得という事。結果だけを見れば愚行と一笑に附される弟子話となってしまったが、自分でとにかくやる事。それだけである。

そういえば、花見には行けなかった。桜も散り時だろうか。結婚記念日が近い。厭世的な小生を現世に繋ぎ止める存在。いつも感謝の念で一杯である。陶工に優先して守るべき幸せというもの。家族は幸せの前提であるという順序だけは、生きるためにも変える事は出来ない。

その他の話。
土地も、新たに探す事となった。紹介して頂いた所であるので、当然の筋である。又町を歩き回るしかないだろう。又、車上盗難に遭ったカバン、財布、携帯が拾得されて戻ってきた。現金や時計などは全て無しであったが、メモ類が戻った事は幸いである。

さて、久々にロクロを廻したい所。何だか二週間前まで瀬戸に居た自分が遠く、懐かしい今。

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  1. 2007/04/14(土) 00:15:56|
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修行録4/11
忙しい日々は続いており、借りる土地も進展できずにいる。窯焚きに関しては、4/8から窯詰め。大体3日かけて行われる窯詰めであるが、その配列が結果を決める。特に自然釉は灰の懸かり方が全てであり、窯詰めは謂わば釉掛けの工程にあたる大事なものである。伊賀・信楽の差、釉薬の厚み差などは窯焚きで行われるので、その結果を制御するには窯の構造=炎の流れ、灰の懸かる方向など色々なものを把握し、かつ制御する事が必要となる。穴窯を焚く作家が、何度も窯を築きなおすのは構造変化によって何かしらの制御変更を試みている事となる。昨日は夜九時まで窯詰めを行った。作業は予定以上に順調という事である。

別件ながら、4/8、車上荒らしに遭う。信楽は田舎(共同体意識が強い)の為、玄関の鍵などもよく開けっ放しである事が多い。そんな田舎での車上荒らし。財布及び携帯を始め、カバン一式を失い、車の窓ガラスも割れる。幸いにもカード類の現金引き出し被害は無かったが、陶芸関係の連絡先、ここ2・3ヶ月使用している陶芸メモ類なども全て失う事となった。誠に残念無念。されど、もはや戻ってくる事は無いだろう。とりあえずは携帯電話を回復。番号・アドレスなどはそのままですが、こちらからは連絡が取れない状況です。

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  1. 2007/04/11(水) 07:57:20|
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修行録4/7

三件目を更新。
今回の神埼紫峰窯焚きは4/10〜4/20。焚き手は小生を含めて3名。無論のことだが、既に作品は全て出来上がり、ツクなどの部品も一応の数は揃っている。明日の窯詰めを待つばかり。ちなみに小生の作品を一緒に入れて貰ったり、という事は一切無い。

昨日・今日の修行は掃除。師のロクロ場及び作品室を掃除。茶道で勝手に感じた事であるが、「掃除」とは塵を”掃いて除く”と書くが、同じ言葉で「清掃」が在り、こちらは”掃き清める”という事となる。清めていくという意識が大事であると思う次第。そして陶器・木材などは水拭きする事で一層輝きを増す。不思議な事であるが、漂白剤で輝きが増すのとは訳が違う。掃除は人格修行とも云うが、輝いて見えるもの=メッキを貼り付けるのと、玉の内なる輝きを磨きだすのとは全く別のものであるとつくづく思う。陶器においても、これは同じ事であると感じる。
ちなみに実利的な事を云えば、道具のどこが汚れ、磨り減っているかという事を見たり、掃除しながら多くの作品を手に廻してツクリを確認する事が出来る。これも掃除の効用であり、修行の一環であるわけだ。

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  1. 2007/04/07(土) 23:46:40|
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信楽の土地

さて、兼ねてより修行の為の土地を探していたのであるが、4月早々、縁ありて好き処を紹介して頂く事となった。場所や経緯の詳細などは又別途明らかにするところだが、紹介して頂いた方々には本当に感謝の一念である。

信楽における土地。穴窯を焚ける処となると、日本広く、陶芸に理解ある窯業地と雖も、土地を探し、入手するのは容易ではない。当然と云えば当然だが、人々の生活がある。狭い町での事なので山1つの土地を見ず知らずの人に貸したり、売ったりするような人はそうそう居るものではない。ガス窯などにまして黒煙をもうもうと上げる穴窯となると、その状況は尚一層難しい。おそらくは瀬戸市くらい人口のある場所では、もはや余所者による穴窯の新設は不可能に近いと推察される。山奥で土地を買えば良い、と簡単に云い、簡単に考える程、現実は甘くない。土地の所有権にしても山の一部分だけを切り売りするだろうか?山道を作らねばならないし、山火事の心配もある。電気も曳く必要があるし、水道も必要。それを勝手にやれと放っておくわけにもいかぬ。貸す側の人の事を考えると難しさというものがちょっと見えてくる。

実際、小生も信楽で土地を探し歩いた。信楽のような狭い土地では不動産屋は実質機能していない。つまり、自分の足で情報を集め、自分の足で土地を見て、調べ、交渉していく必要がある。すると、結局は自分の力ではそう巧く事が運ぶ事は期待できず、誰かの力に助けて貰うか、僥倖を期待する外無いというのが明らかになってくる。信楽という土地は、他府県からの若手作家の流入が多い土地柄と云われる。しかし、実際にはそういった人が多い分、土地探しは尚一層困難を極め、数年間かけて探し続けて見つからない人も多く居るとか。無論、そこには金銭的な問題もあろうけれど、技術・精神を身に付けたとしても、独立への壁は意外と色々と存在し、挫折を迫るものだ。

土地。欲を云えば、穴窯に適する斜面があり、良質な粘土が採れ、電気・水道などの設備も問題なく、薪を運び入れるにはトラックが通れる道が要る。いざと言うときのために水も豊富である事が望ましい。作業小屋も建てる事となるので十分に広い平地も必要だ。テスト用や収入確保の量産品用に灯油窯やガス窯が必要となるかもしれないし、土練り機も欲しい。小屋を建てても電気工事が必要だし、ガス管も通さねばならない。などなど、まぁ探す労力に加えて金銭も相当大変である。
そして、そこまで投資しても、一流の作家になれるかどうかというのは全く別の所に要因が来る。貧乏のせいで良い品が作れないとしても、金の力では作品を良くする事は出来ない。険しい道であるが故に、今回の僥倖にはちょっと戸惑いさえ感じているところである。

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  1. 2007/04/07(土) 23:33:40|
  2. 修行録・思想(基本)
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陶歴

簡単に筆者たる近江の苔の経歴を記載。本姓は吉村です。

1980:滋賀県に生まれる。家系は甲賀。
2006.04月:瀬戸・窯業訓練校に入校。神崎紫峰に出会う。
2006.09月〜:茶道・裏千家入門。
2006.12月〜:瀬戸・天目作家水野富弘氏のロクロ指導を受ける。
2007.03月:瀬戸窯業訓練校卒。滋賀県に転居。
2007.05月:甲賀市甲南町磯尾に土地を借り、工房を築く。
2007.07月:窯名を臥翠窯として、穴窯の築窯を開始する。
2007.09月:穴窯完成。牧場土を粘土として作陶開始。
2007.10月:初窯焼成を実施する。
2008.01月:二度目の焼成を実施する。

目指すものは自然釉作品の極み。信楽随一たる紫峰信楽・伊賀を越える事がを当面の目標に、独立して修行中。陶歴は”見るべきものが無い”という所が特徴です。桃山復興を目指した巨匠宜しく、独力での穴窯修行。力の程は、作品を見て判断して頂きますよう、宜しく御願い申し上げます。

特に影響・感銘を受けた陶工及び陶芸家
・神崎紫峰氏(伊賀・信楽)/最も影響を受けた自然釉の陶工。
・水野富弘氏(瀬戸・天目)/ロクロの師。今も様々な面で助言を頂く。
・熊野九郎右衛門氏(越前・志野)/2006.10月訪問。穴窯の世界の拡がり。
・坂田泥珠氏(萩)/老齢の為、本人には会えず。現代井戸の手本。
・田原陶兵衛氏(萩)/2006.8月訪問。茶陶の精神を示して頂く。
・鈴木五郎氏(瀬戸)/2007.3月訪問。作陶の修行について教示頂く。
・谷本光生氏(伊賀)/2006.7月訪問。先人の跡で無く、求むる所を求めよ。
・松山祐利氏(美濃)/2006.9月訪問。2007年他界。高潔な自然釉の世界。
・神山清子氏(信楽)/2007〜訪問。自然釉作家。焼成に関する助言を頂く。
・入野宗起先生(瀬戸裏千家)/2006.9月〜3月。茶道の世界へ導いて頂いた。

・窯業訓練校恩師諸兄/2006〜。感謝。

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  1. 2007/04/07(土) 23:04:22|
  2. 陶歴
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信楽土

昨日・今日。期間弟子の作業はロクロ。土は信楽のもので、もちろん市販品では無く先生が探し、精製したもの。大量に貯蔵されている事は又云うまでも無い。使う轆轤は動力付きの蹴ロクロ。ペダルアクセル式のものと云えば見た事のある人はピンと来るだろうか。
土は荒く、石が多く含まれている。その為、手の皮は見る間に磨り減っていく。初日は午後一杯の為、少し擦り剥いて血が出た程度。二日目ともなると、最初、ポリ手袋をして作業をするが、一時間もしないうちに破れてしまう。後、軍手に替えて作業をしてようやく痛み無く作業続行。しかして、それも一日を終えるころにはぼろぼろに穴が開いている。信楽の土とは、元々はかようにロクロに厳しいもの。古信楽の品々が紐作りであるのも又、必然であるわけだ。

(デザイン元に戻しました。)

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  1. 2007/04/04(水) 23:53:46|
  2. 修行録・思想(基本)
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修行初日

土練りに終日を費やす。基礎だが、最も重要で難しいもの。程よい硬さに調節する難しさ、大量の粘土を扱う事の労力。土に対する力の加減などなど、基礎修練が多く含まれている。改めて菊練りの難しさを感じた次第。体力もまだまだ。

(デザイン変更。本来なら自分で手を入れたいところですが、時間の都合にてテンプレートを使用。も少し落ち着いたデザインが良いのですが・・・。)

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  1. 2007/04/02(月) 19:22:31|
  2. 修行録・思想(基本)
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序/改め

「作品には、その作者自身があらわれてくる。」
又、「作品を見れば、その作者が想像出来る。」

まだ、陶芸の道に入って日も浅い小生であるが、陶芸作家を目指す者であれば、
必ず耳にする言葉だ。陶芸に限らず、多くの分野で同じような言葉があるだろう。

「良い作品を作るには何が必要なのか?」
この問いに対する答えは、無論、作家によって様々な答えがある。


私が師とし、敬愛する陶工の言葉を引用したい。


「まず必要なのは礼儀作法である。この礼儀は、即、土に対する礼儀に繋がる。
土に礼儀を尽くし、土を活かして作品を作っていれば、自然と良い作品が出来て
くる。極言すれば、土に触っている時間が無くともよいくらい、大切な事である。」


直接に、初めて話を伺った際に頂いた言葉であり、最も心に残った言葉であった。

この言葉は、まだまだ抽象的な範囲であることは、言うまでも無い。
では、土に対する礼儀とは何か?どう考えるべきであるのか?

窯業訓練校を卒業したものの、そこで学んだ技術も程度としては”プロとして最低限度の基本のみを習得したに過ぎない。そしてそれは技術。作家としての心構え・作家として独力勝負するための精神力に至っては、自分で得ていくものであって、与えられるものではないと確信するに至る。

技術と感覚、精神力。造形と雰囲気と作品の力。多くの先人は道を自らが切り開いたという過程によって、その作品を作っていたのであり、その技術だけを真似ても、所詮それは本物に及ばぬ贋物でしかない。

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  1. 2007/04/01(日) 20:27:39|
  2. 序文
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