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「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第十回(最終回)

第十回、最終回です。
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史論:「素朴主義と文明主義再論」より抜粋・雑感。
(※宮崎氏の東洋史・論文「中国文明論集」より。)

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およそ文明というものは、進歩するに伴って必ず一方では毒素が発生して堆積し、やがてはその社会をも腐敗させ、崩壊させてしまうのが、これまでの歴史が辿る運命であった。中国もその例に洩れないが、ただし中国ではそういう場合に、周囲の未開な異民族が中国文明の刺激を受けて成長し、やがて中国に侵入してこれを占領支配する。これは中国社会にとって災厄であるが、しかし新しい支配者の下で秩序が回復されると、中国社会は再び新しく生気を取り戻して復活し、従前にも増して積極的な活動を開始する。その最近の例は明に代って中国を支配した満州族の清朝の場合である。明政府の下では乱れに乱れて手のつけられなかった中国の社会が、清朝が統治すると空前の繁栄を誇るようになる。これは歴史上の事実であって、何人も疑うことができない。このような対立を私は素朴主義の民族と文明主義の社会と名づけて、過去の沿革を辿ってみたのである。

日本は明治維新直後の近代化に続いて、戦後二度目の産業復興という奇蹟に近い放れ業を演じたことになる。しかしこの成功が急激に齎されただけに、その間に各種の矛盾を内蔵していることは避けられない。素朴主義は決して民族に先天的に具わってるものではない。歴史によって培われて成長したものである以上、また環境によって衰退する。素朴主義の発するエネルギーが、どこまで続くかが今後の問題である。

職業の区分の上から言えば、美術、音楽、文芸、学術などの分野は、最も文明主義の弊害に侵されやすい性質を持つ。これらの職種は本質的に個性的であるが故に、同時に個人主義的であり、孤立的であり、しかも一方、名声や営利と離れ難い。だから文明主義の害毒はしばしば社会の最も綺麗であるべき分野の、しかもその頂上から始まることが多い。更にその病弊は潜伏して拡大する傾向があって、世人の目に触れにくい。一、二の発覚した事例は、その幾十層倍もの事実の存在を物語るものとして警戒するより外にないであろう。

(中略)日本人が私の本から、素朴主義とはいかにうつろいやすく、はかないものであるかを知って、自戒してもらうのでなければ、私の本は全く期待外れに終わったことになる。
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少し判りにくいかもしれないが、文明主義は進歩するほどに腐敗する状態のコト。つまり成熟して下り坂となる状態。対して素朴主義は刺激を受けて上昇気運に在り、活力に溢れた清心な状態のコトと理解すれば早い。東洋史では、文明は常に中華王朝に在り、素朴なるは常に東夷(日本)を含めた異民族に在った。文明が腐敗したら、それを素朴主義によって崩壊させ、新しく打ち立てることでこそ、歴史の繁栄が具現化してきたのである。

宮崎氏の歴史観からすれば、日本の戦後復興にしても、明治維新にしても、全ては廃墟から立ち上がるという素朴主義に溢れた時代であるからこその成果であり、維新や改革・復興を「日本人自体が持つ固有の能力」などと勘違いしてはならない、という警鐘を鳴らしているのである。文明主義に陥って慢心し、腐敗を腐敗と認めずに居れば、やがて自らの毒素で潰れていくと警告しているのである。歴史の流転からすれば、繁栄が永続するなどと考えることは夢想であり、その夢想こそが毒素の正体である。よく知られる言葉で「慢心したら終わり」と言うが、つまり「慢心という腐敗こそ、文明社会の宿命」ということである。この言葉はよく知られながらにして、日本は結局、意識としての選民思想というか、「慢心という腐敗臭の強い自己への誇り」を抱いている様に思う。最後は何とかなるだろう、という慢心。誰かが何とかするだろう、という油断。明治維新の頃も、戦後復興の頃も、人々の心は慢心ではなく、何とかせねばならないという向上心があり、自分こそが関わっていくのだという専心が在ったものだが、全く、これ1つの対比を取って見るだけで現在の「文明腐敗」が感じられる。

毒素を喝破するには、「文化芸術の頂点が判断基準となる」と語られている。言葉に従って工芸界を見てみようか。また芸術界を見てみようか。音楽界はどうだろうか、また文芸や学問はどうだろうか。権威ある団体が統率者としての意義を果たせず、「腐臭」を放っていないだろうか。その際には、「名声・権力に関わること、金銭・贅沢に関わる点での腐臭」をまず見るべきだと訓示している。実際これは、世人の目には触れにくい。しかし相撲界の例を挙げるまでも無い。工芸界だって、いわんやである。茶道界は、どうなのだろう。宗教界はどうなのだろう。しかしおよそ、良くも悪くも権力闘争が至る所に見られるのである。権料闘争は、それが良かろうが悪かろうが「腐臭そのもの」である。理由や正義や時代などは関係なく、古今東西、文化・芸術に於ける権力闘争は腐臭そのものだと判断した方がいい。

人を得て、明確な文明の腐敗を認識し、取り除く必要がある。それは、王安石の如く、付加されてきた権威を捨て去り、もう一度原点に戻るコトで達成される。原理主義。権威や金銭の一切を、一度洗い流し、再出発するのである。権威を増すごとに、人を得て洗い流す。常に腐敗していくことを警戒し、自浄させる。それを何度も繰り返して行く。文化芸術の、最も綺麗なる「伝統の所作」である。清新にして古色あり。歴史も、人も、芸術も、成長せんとすればその原理は同じというコトだろう。ダメな人間、権威主義的な人間が頂上に座し、権力の争奪戦や、権力の授受を行っている限り、腐敗は進んでいく。権力はその都度、地に叩きつける必要がある。川に流してしまう必要がある。炎で燃やしつくす必要があるということだ。腐敗の浄化・切り落としは、腐敗が進むほどに難しくなる。人の手に負えぬほどに肥大された腐敗物は、もはや潰れるしかないのである。それは唐代末期であり、明朝末期のことでもある。歴史の語った現実論であり、歴史家や陶芸家の私見では無いものだ。

バナナ一本を想えばいい。腐敗の始まる直前が最高の美味なのだ。文明の美味は熟成の証である。それは短命で、直後に腐敗が始まる。腐敗は、始まった瞬間に取り除かなければ、瞬く間に全身へ廻っていく。およそ外見から腐敗が見て取れる頃には、もう手遅れである。この段階に於いて、「壊す」という言葉は「革命の烽火」である。根まで腐敗する前に巨木を切り、新しい芽を育てる。自らを斬り落とす覚悟こそ、改革の作法ということになる。自らの延命のために、新芽を摘んで自らの栄養を増そうとするのは、腐敗の作法である。

権力を捨てて、名声を捨てて、営利を捨てるなど、まぁ、綺麗事に聞こえるかもしれない。しかし現実論を唱えながらに腐敗を進ませることこそ、本当の意味での綺麗事であり、上辺の繕いであろう。過去に囚われ、核心を見て見ぬ振りをして、正に腐臭の原因そのものである。腐敗を斬り落とす気概もなく、諦めて傍観したり、他人事としたり。それこそが綺麗事である。若手作家、いや同世代の若人にもこの部類の思考は多く蔓延していて、腐敗の進行は病的だと感じる。

不景気で最初に切り捨てられるのは文化・芸術・学問の分野。
それは実に、最初に腐り始める部分である。
清冽で在ることは、文化芸術の必須条件。
時間の経過だけでは、伝統は廻らない。

歴史はいつも、知恵の宝庫。
革命的な変革は、史上で僅かに数回達成されたのみ。
それほどに、自浄とは難しいものなのである。

「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第九回

第九回。
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史論:「玩物喪志」より抜粋・雑感。
(※宮崎氏の東洋史・論文「中国文明論集」より。)

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明代の芸術家の中で、その作品といい、その議論といい、また後世に対する影響の点からいって、その名を逸することの出来ぬ第一人者はおそらく董其昌(トウキショウ1555~1636)であろう。中国には昔から玩物喪志(ガンブツソウシ)、物を愛玩しすぎると人間の本領をなくしてしまうという譬えがある。特にそれは学者や芸術家が、書が骨董の蒐集僻に陥ると、善悪の見さかいさえなくなって不道徳な行為をも平然として行うようになるのを戒めた言葉である。ところで董其昌は芸術家の最も陥りやすい美術品蒐集マニアに憑りつかれたのである。(中略)彼の意見によれば、画は単に自然を師とするだけでは足りない。すべからく古人の筆意を会得した上で無ければならぬ。いいかえれば独創よりも研究が必要なのである。この董其昌の芸術態度はそのまま清初に引き継がれている。

(中略)今日、展覧会場など、雑踏の間で、ガラス越しに拝見するのは、実は窮余の一策にすぎない。展覧会でしか画を見ないと、展覧会用の画しか描けなくなる。(名品の)普及、大衆化は大切なことには違いないが、しかしそれで(名品の)本来の使命を無視していいことにはならない。近頃はどうも鑑賞の本筋が忘れられてきた。名画の複製なども一枚ずつ取り出して鑑賞さるべきで、厚い本に綴じつけられたのでは困る。1つ見てわからぬくらいなら、画など見るなと、誰が言い切れるものか。芸術とは本来が贅沢なものである。だから董其昌の芸術態度はその限りにおいては是認されなければならない。
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中国では多くの贋物が、古来作られてきた。それは、一重に権力者に所望されたら譲らねばならず、贋物を飾る事が往往にして行われたのである。歴史書に於いて、董其昌は贋物を扱ったと批判されるのだが、宮崎氏は芸術家に関する考察を深めることで、董其昌が贋物を扱った理由を挙げている。それがこの論文の本旨だ。

しかし骨董蒐集家など、特に悪評というものは絶えない。蔵を持つような田舎集落では、骨董屋による悪行というものは有名である。陶芸家にしても、陶片などに於いては善悪の区別を喪失する者が多い。茶道具に於いても同様のことであるが、しかし骨董屋にしても、それ以前に人間であることには疑いが無い。人間としての素地を失ってはならない。中国では「玩物喪志」という言葉で以てこれを戒めている。道具に囚われてはならないという意味で、やはり中国に源流を持つ茶道や禅道にも、この戒めは底通している様に思う。それは即ち、「如何なる時も善悪の見境を失ってはならない」という一点に在る。逆に云えば、「善悪の見境が盤石で在ってこそ、名品の扱いに習熟出来る」という話であり、「名物を扱うに人品を要求する」といった茶道の修行に通じている。若年者が名物を扱うべきでは無いという考え方は、単に「不釣り合い」というだけでなく、「人倫修行の観点」からも説かれていると見るのが自然であろう。いやしかし、中国では常識かもしれないが、現代の日本で、この考え方は通俗していない。

また、芸術態度としての”自然を師とするだけでは足りない。すべからく古人の筆意を会得した上で無ければならぬ。いいかえれば独創よりも研究が必要なのである。”という内容は、現代では正に魯山人が唱えた理論そのものである。書画に通じた魯氏が董其昌の文章を読んでいないと見る方が不自然であるから、魯氏もこの影響下と見る方が実際に近いだろう。しかしまぁ、表立って指摘するのは顰蹙か。魯氏に関わらず、陶器に関わらず、此の手の思想は古いものであり、董其昌は禅にも参じている。
自然と歴史的名品を鑑としての制作。其昌は明代の、日本で言えば正に戦国時代~桃山時代の人物であり、生年は蒲生氏郷などが近い。桃山の陶工が四苦八苦している一方、中国では滔々と芸術論が展開されていたわけである。日本で此の手の芸術論が為されたのは、まぁ20世紀に入ってからであろうか。それも輸入した思想が主体であろう。人類史上に渡り、中華王朝は文物も、思想も、常に圧倒的に優れている。唐物を崇拝した時代も当然のことであっただろう。

「中国文明論集」より、陶磁史の視点 第八回

第八回。
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東洋史論:「龍の爪は何本か」より抜粋・雑感。
(※宮崎氏の東洋史・論文「中国文明論集」より。)

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龍はそもそも想像上の動物だから、爪の数などは何本でもかまわない。そう言ってしまえば至極簡単で、それでも通るのである。実際に中国古代の壁画や器物などに現れる龍の爪は、三本だったり四本だったりして別に一定の規則はなかった。ところが中国では宋以後、近世的な天子独裁政治が始まると、だんだん龍の紋様は天子に独占されるようになり、それが龍の形状にも影響を及ぼす様になってきたので、そう簡単にはすまされない、話が大分ややこしくなるのである。

中国では昔から龍は人君の象徴とされた。天子の顔を龍顔といい、天子の車を龍駕といい、天子の着物を袞龍の衣という。(中略)清朝に至って、龍の解釈はいよいよ狭いものになった。龍とは五本爪の龍のことだけで、それ以外は龍の形をしていても龍ではない、それは蠎(ウワバミ)だ、というのである。この解釈に従うと、日本でお寺の天井や、掛物にかかれている龍は、ほとんどすべて四本爪以下のものばかりであるから、龍に似て実は龍ではなく、龍に似た蠎(ウワバミ)だということになる。

(中略)もちろん、爪の数は絵の出来不出来とは全く別物である。大将の肖像がいつも兵卒の肖像よりすぐれているとはいえぬと同様、五本爪にかいたからといって傑作になるとは限らない。(中略)中国の歴史を研究するには、あらゆる方面にこのような下らぬことにも気をくばらなければならない。自然科学の場合のように、単刀直入、まっしぐらに本質的な問題に向かって取り組むというわけにはいかない。いろいろな煩わしい二義的な問題を片付けた後、豊富な常識を身につけてから本当の問題に取りかからねばならない。この手続きを怠ると、つまらない所でボロを出すおそれがある。だから人間も四十歳くらいにならぬと一人前の研究者になれぬなどともいわれる。いやそれどころではない、還暦をすぎた我々でも、時々馬脚を現わして恥じ入る事がよくある。
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五爪龍の話は有名だから御存知の人も多いだろう。陶磁史も歴史家の領分であり、歴史学者の研究によって明らかとなる場合は多い。その研究が信頼されるのは、上記の様な繊細かつ謙虚な姿勢によって導かれているからに他ならない。世は無宗教の中で必然的に合理主義を選択する人が多いのであるが、「直截的な要・不要の判断」というものは、往々にして馬脚を現わすことになる。「茶が旨ければ茶碗なんてどうでもいい」などと言ってしまえば簡単であり、一般人の意見としては別にそれでいいのだが、専門家を自称するならば、これは「低俗なる馬脚」に他ならない。此の手の勘違いというのは専門家全般、例えば「政治家の庶民感覚披露」など、よく覚えがあるだろうか。根幹を説明しないでマスコミは批判するが、一般人の視点と、専門家の視点というものは違って当然なのである。

爪の数は、肩書の様なものであろうか。覚えたての知識として、よく龍の染付を見ると「真っ先に爪の本数を数える人」が居るものだ。しかし当然、五爪などというものは僅少であり、百年来の贋作史と近代転写技術を知っていれば、もう呉須の発色や釉調、形状の端正美などを考察しないことには真贋は当然に下せないもの。目が肥えていれば何でも判断出来る、などというものは直截的な素人観念で、骨董趣味ならよいものの、専門家となれば知識と経験を併せてこその専門家である。

何がプロで、何が素人か。これ1つでも、見分けの知識を勉強したかどうか、というのは大切である。素人的に、「売上の高いものがプロですよ」などというのは「素人判断」としては別に非難されないが、専門家らしき人が、テレビなどで高らかに歌い上げるものではないのである。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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