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表題変更。

「日々是好日」と「無常なる風」。表裏一体の言葉。

gyokuseki.jpg  

さておき。

ブログの表題を変更しました。「陶芸の思想」は・・・前々から思っては居たのですが、少し抽象的で判り難いというか。内容とも少し乖離がありましたから、この際と思って変更。

「破袋」を考えていたので、そこから表題を取って見ました。「破袋」は・・・元々は良く知られた重文水指の名前ではなかったもの。矢部氏による所の「伊賀水指三絶」など、ルイザの水指でした。造形としてはルイザのものはかなり品格を出すのが難しいという様に感じています。

元々は・・・単純に「破れているからだろ?」などと思っておりましたが、「破水指」ではなく「破袋」という辺りが妙です。禅語?的に解釈をしてみると、「破袋」という言葉には奥深さを感じます。

守破離という言葉があります。およそ、若輩が語れる性質のものではありません。しかし、若輩なるを以て強引に行うとすれば・・・、

守・・・器に水を満たす
破・・・器が破れて水が漏れ
離・・・器が空になる

かなぁ、などと思ってみたりしています。「離」の段階は、欠けた茶碗。一見すれば、水が入る前の、最初の茶碗の状態に似たり。最初の状態よりも悪く見えるくらいなものだが、内には水が浸みこんでいる。「一」へと戻る修行の心。

「空」とは「無」と聞き及び。「破袋」も、これを暗示する言葉かと愚考。破れたる袋は「離」へと繋がる心。ここ数日で思っていたことですが。フェイスブックの方で書いた話、「枯山水に水は無い。しかし自分が思えば、そこには水が見える。時に雲が見える。宇宙が見える。現実に水は一切無いが、心の水は満々として在る。」という様な事を、枯山水の説明として英訳したりしてみましたが。

seiryuuji.jpg 

空(カラ)になった器の世界。禅寺に石庭が在る意味。

「麻三巾」の話。万物に禅の心を見るという事、でしょうか。八百万の神。「破れた袋」に見る心。Twitterでは「全てを呑みこむ大器の意」と書きましたが、無尽蔵に全てを素直に受け入れるという意味にもなるかと思います。満たされた器(慢心した心)では水を受け入れる事が出来ないというもの。常に心を空(カラ)にする事。「初心」そのもの。


そういった辺りを考えつつ。「破袋の心意気」という表題に改めてみました。

今後とも宜しゅうにお願い申し上げます。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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