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魯山人『料理王国』より抜粋・雑感

書くネタが無いので・・・・・・。眼の前の書架から、適当に拾い読みを致しましょうか。

魯山人『料理王国』より抜粋・雑感まで。

書籍は戦前~戦後に掛けて雑誌に投稿されたものを編集して出版したもの。有名な方ですから説明は蛇足でしょうか。明治生まれにして懐石料理を中心に、美食倶楽部・星岡茶寮を主催して高名となった方。書、陶芸、料理に絡んでの実績は、その性格なども相俟って非常に知られたものです。歯に衣着せぬどころか、「極めて切れ過ぎる刃物」と化した独特の文章は本質に迫る事多くして痛快性あり。

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簡単に言って、料理とは単に舌先だけで味わうものではなく、また弄ぶものでもない。耳から、目から、鼻からと、様々な感覚を動員して、「美」と「味」の調和を楽しむものだと思う。色どり、盛り方、取合せ、材料の良否と、みな「美」と深い関連性をもって考慮されています。栄養の効果という点からも「美」は見逃せない役割を担っています。「味」のことばかりを言って、その背後にある「美」の影響に無頓着なのが、言って悪いが当代の料理人、料理研究家あたりの大方ではないでしょうか。
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およそ、最後に余分な一言を載せるのが特徴で、これを除外すれば本質論になるのですが、これによって内容が痛烈に響いてくる側面があるのだと感じます。他人事だと思って読んでいると半可通的な優越感に浸ってしまうものですが、では日頃の料理で、こういった要素を、金銭無くとも考え得る限りで実践しているかと云えば、全く酷いものでしょうか。特に盛りつけなど、男料理はツイツイと・・・。

他分野の言葉は、己の分野に置き換えて読み換えてみれば発見が多くあります。

・器とは目先だけで味わうものはなく、また弄ぶものでもない。
・器の色どり、配置、取合せ、質の良否と、みな「美」と深い関連性を以て考慮すべき。
・実用の効果という点からも「美」は見逃せない役割を担っている。
・「実用」のことばかりを言って、その背後にある「美」の影響に無頓着なのが~
・「美」のことばかりを言って、その背後にある「実用」の影響に無頓着なのが~

料理で言えば、「味」はその中枢であって根本。料理するに、調理に加え五感を充足させるだけの演出に心を砕いているかどうか。食するに、五感を十全にして出された全てを味わう事が出来ているかどうか。相手を見切ったかの如く「化学調味料を利かせれば大方の大衆は満足して金銭を払う」という姿勢と、料理を見切ったが如くに「旨いと思うものなら何でもいい」という姿勢。この辺りが金銭で差配されると、現代式のチェーン店全盛期という事になるのでしょう。回転寿司なども典型ですね。

まぁ、そういう世界は無縁と云えば、私も高級料亭など行ける人じゃないです。しかし御存知の様に、高い割に旨くない食材もあるわけで、「高級食材を用いれば旨いというものでは無い」というもの。安いものでも、旨いモノは旨いです。畑で取り立ての生野菜などは美味しく、彩りも鮮やか。あくまで「五感」に左右されるべきであり、「金銭」に左右されてはいけません。しかし五感と云っても、磨かれた五感で無ければなりませんから、色々と奥が深いもの。美というものは、知るには労苦が必要であって、「金銭」や「講習」で見に付けるという様なものは一夜漬け。

他分野との共通項を読んでいくと、本質論と感じるものが多く出てきます。器も同じく、高級食器を用いれば料理が映えるわけではありません。色彩研究者的に「黒や白が万能」みたいな十把論がチェーン店的な「御手盛論」である事は判るでしょう。万能というのは、時に無能に等しい側面を持ちます。面倒ですが、取合せなどを意識して、質の高いものを用いると、随分と豊かな食卓になります。この世界では、形式ではなく、「感性の磨かれた人間」というものが不可欠です。

器を作るという事でも同じく、高級素材を用いれば好い器が出来るわけではありません。万能的に調整された市販土を用いても、およそ突出した作品は出来て来ない。面倒ながらに、粘土の性格を理解し、造形・焼成・釉薬・味わい・歴史性などの組み合わせを考慮して、ようやく佳品が出来てきます。これも、マニュアル的に機械製造する器では得られるものではありません。本来、「作家の作るもの」という意義はココにあると断じます。手で作ったからOKというものではありません。


と、魯氏の著作に載せて、少し個人的な器論を述べてみました。

料理も奥が深そうで、手を出すのは少し怖いです・・・。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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