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岡倉天心「茶の本」に見る思想 「第七章(最終章)」より

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第七章「茶の宗匠」より

最終章は茶の宗匠。宗匠ということでは各流派ありますけれど、詰まる所、天心が利休流の茶道を推戴し、それを本流であると認めている事は、本文を読むほどに明らかなもの。宗匠とは、即ち、利休。

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茶の宗匠の考えによれば芸術を真に鑑賞することは、ただ芸術から生きた力を生み出す人々にのみ可能である。ゆえに彼らは茶室において得た風流の高い規範によって日常生活を律しようと努めた。すべての場合に心の平静を保たなければならず、談話は周囲の調和を決して乱さない様に行わなければならぬ。着物の格好や色彩、姿勢や歩行の姿などすべてが芸術的人格の表現でなければならぬ。これらの事柄は軽視することができないものであった。
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茶室・道具、茶、炭火、様々な芸術を真に鑑賞し、また客に供するならば、亭主もまた芸術品で無ければ点睛を欠く事になる。故にこそ、亭主もまた芸術的人格を持ち合わせた立派な人物であることが必要であり、若輩者が文化財級の道具を用いたところで、基盤となる土台からして、不調和・不釣合ということになる。真塗板の上に信楽水指を載せる様なもので、誠に不調和ということになる。何も小難しいことが語られているのではなく、道具が良ければ、亭主も相応しい人物であれ、と、それを説いているだけのこと。

この当時。文明開化などと云いながら、従来の伝統文化が打ち捨てられ、貧しきに喘いで道具を手放した宗匠。財閥系数寄者がそれを引き取って、戦利品的な道具茶会が行われていた頃のもの。もちろん、茶の宗匠を庇護したような立派な方も居られる。一方で、正座さえしなかった亭主が居る。多く、現代の美術館に収蔵された品々。もはや扱える者の居ない道具という事になるのでしょうか。美術館が・・・果たして「茶道具の納まるべき処」なのかどうか。

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この人生という、愚かな苦労の波、騒がしい海の上の生活を適当に律してゆく道を知らない人々は、外観は幸福に、安んじている様にと努めながらも、その甲斐もなく、絶えず悲惨な状況にいる。われわれは心の安定を保とうとしてはよろめき、水平線上に浮かぶ雲に、ことごとく暴風雨の前兆を見る。しかしながら、永遠に向かって押し寄せる波濤の中に、喜びと美しさが存している。何ゆえにその心を汲まないのであるか、また列子のごとく風そのものに御しえないのであるか。
>※列子:風を意のままに操るという仙人。

少しく抽象的な文言が多い。過去に無い大きな国家間戦争を目前とした戦慄であろうか。遠くに堂々たる暗雲を見る日々。そういった荒波・暗雲。しかし、暴風と雷雨をもたらす巨大な入道雲にさえ、人は美を感じ、夏の喜びを感じる。入道雲に不安なるを知りながら、そこに喜びをも見いだして行く。不安に陥るか、それとも心を強く持って美を楽しむか。それは列子が自在に風を操るが如くに、己自身が、入道雲をどう見て行くかという事に拠るのである。悲観の上に何を載せるか。展望批判を並べ立てるのか、科学分析を並べ立てるのか、人の生きる術を説き立てるのか。そういった事を、改めて説いているのだと感じる文章かと思う。

>(利休切腹の日)
「不幸の人の唇によって不浄になった器は、決して再び人間には使用させない。」と言って、利休はこれを粉砕する。その式は終わった。客は涙を抑えかね、最後の訣別をして茶の室を出て行く。彼に最も親密な者がただ一人、あとに残って最期を見届けてくれるようにと頼まれる。そこで利休は茶会の服を脱いで、大事にたたんで畳の上に置く。それで、その時まで隠れていた清浄無垢な白い死に装束があらわれる。彼は短刀の輝く刀身を恍惚と眺めて、次の絶句を読む。

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺

笑みを顔に浮べながら、利休は冥土へ行ったのであった。
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最後の文章。「茶の宗匠」とは「利休」のこと。「不幸の人の~」という話は、1つ楽茶碗に通じる。カワラケとして低温で焼かれた楽茶碗は、何度も使用する事を想定してはいない。もちろん、当時の客も同じく、一期一会の戦国時代であり、大将・大名とは云え、その流転は先が見えないものであるし、合戦のみならず、失策による斬首なども多く行われていた時代である。それは利休とて蚊帳の外では無く、やがて切腹を申し渡されることになる。

書かれた英文にも、しかしこの絶句に関しての説明は無い。現在も色々と云われるものだが、色々云っているのは学者さんや小説家に多いのかと思う。説明は不要。不可能ではなく、不要というものだろう。蛇足は茶の心に在らず。天心もまた、説明を不要として、「茶の本」を締めくくったのである。


以上、第七章「茶の宗匠」(最終章)より、抜粋・雑感まで。

岡倉天心「茶の本」に見る思想 「第六章」より

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第六章「花」

茶碗や棗、陶芸・漆芸・木工など様々な工芸をさて置いて、第五章「茶室」の具体論の次に来る説明は「花」である。要諦を、紙面の範囲で説明する中で優先される順位。美としても、やはり「花」という自然の持つものは格別であろう。

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原始時代の人間は、その恋人に初めて花輪をささげると、それによって獣性を脱した。彼はこうして、粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。彼が不必要な物の微妙な用途を認めた時、彼は芸術の国に入ったのである。
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⇒古来、人は花を供えてきた。決して、茶碗でも無く、芸術品でもなく、花である。今も、花は多くに存在し、人々を飾り立てる。無意識の内、習慣の産物であるやもしれないが、其処には、人が人であるべく、不必要な物を必要だと認める心がある、という説明がなされている。世には理性的に装って「それが必要なのか?」と嘯く人々が跡を絶たない。茶室に花は必要だろうか。人生に花は必要だろうか。しかしその実、一見して不要なもの、見捨ててきたものが、どれほどに有難いものであったか、戦慄することがある。花の無い世界、また青空の無い世界。自然の美しき色彩を代表するものが「花」である。

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悲しいかな、われわれは花を不断の友としながらも、いまだ禽獣の域を脱することあまり遠くないという事実を覆うことは出来ぬ。羊の皮をむいて見れば、心の奥の狼はすぐにその牙を現わすであろう。世間では、人間は十で禽獣、二十で発狂、三十で失敗、四十で山師、五十で罪人といっている。たぶん人間はいつまでも禽獣を脱しないから罪人となるのであろう。(中略)
お前はよじ取られて手足を1つ1つ引き裂かれ、お前の静かな家から連れて行ってしまわれるだろう。その浅ましの者は素敵な美人であるかもしれぬ。そして、お前の血でその女の指がまだ湿っている間は、「まぁなんて美しい花だこと。」というかもしれぬ。だがね、これが親切なことだろうか。お前が、無情なやつだと承知している者の髪の中に閉じ込められたり、もしお前が人間であったらまともに見向いてくれそうにも無い人のボタン穴に挿されたりするのが、お前の宿命なのかもしれない。何か狭い器に監禁せられて、ただ僅かの溜まり水によって、命の衰え行くのを警告する狂わんばかりの渇を止めているのもお前の運命なのかもしれぬ。(中略)その人は自ら「生花の宗匠」と称している。
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⇒花は自然のままに在るを最高のものとする。それを最高の芸術とするならば、何故にそれを弄びて意のままにしようとするのか。貴方は芸術的な絵画を見た時、それを切り貼りしたりするだろうか。花は尊重せらるべく咲いているものであるからして、最高の礼儀を以て、相応しい花器を用意し、床中に鎮座すべき芸術品である。彼は更に、花の扱いについて言及を深めていく。

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彼はお前たちを切ってかがめ歪めて、彼の勝手な考えでお前たちの取るべき姿勢を決めて、途方も無い変な姿にするだろう。もみ治療をする者のようにお前たちの筋肉を曲げ、骨を違わせるだろう。出血を止めるめに灼熱した炭でお前たちを焦がしたり、循環を助けるためにからだの中へ針金を差し込むこともあろう。(中略)彼の治療を受けない場合に比べると、二週間以上も長くお前たちの体内に生命を保たせておくことができるのを彼は誇りとしているだろう。お前たちは初めて捕えられた時、その場で殺されたほうがよくはなかったか。
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⇒華道に対する批判、もとい、茶花と華道花との認識差異である。茶道では華道を習うべきではない、という言葉も聞く事が在るだろう。しかし同時に、茶道・華道を同時に稽古する教場も多いと聞き及ぶ。

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西洋の社会における花の浪費は東洋の宗匠の花の扱いよりもさらに驚き入ったものである。舞踏会や宴会の席を飾る為に日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数は、なかなか莫大なものに違いない。(中略)西洋においては、花を飾るのは富を表わす一時的美観の一部、すなわちその場の思いつきであるように思われる。これらの花は皆、その騒ぎの済んだあとはどこへ行くのであろう。しおれた花が無惨にも糞土の上に捨てられているのを見るほど、世にも哀れなものはない。
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日本が野蛮国家であるか、西洋が野蛮国家であるか。しかし結局、現代の草花に対する扱い・価値観は、およそ西洋に準じている。花屋に茶花が置かれることが少ないのも当然ということであろうか。多く作れば、多く浪費することが許される。それでは禽獣と同じであるという事だ。ここに於いてやはり、自らの茶室に供える花というのは、やはり茶人が自ら大切に育ててきたものであるべきなのであろうことが了解される。

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変化こそは唯一の永遠である。何ゆえに死を生の如く喜び迎えないのか。この二者はただ互いに相対しているものであって、バラモン教の説く昼と夜である。古き物の崩壊によって改造が可能となる。われわれは、無情な慈悲の神「死」をば種々の名前で崇めてきた。(中略)花を千切ることによって、新たな形を生み出して世人の考えを高尚にする事ができるならば、そうしてもよいではないか。われわれが花に求むるところは、ただ美に対する奉納を共にせん事にあるのみ。我々は「純潔」と「清楚」に身を捧げることによって罪滅ぼしをしよう。こういう風な論法で、茶人たちは生花の法を定めた。茶や花の宗匠のやり口を知っている人はだれでも、彼らが宗教的の尊敬をもって花を見る事に気が付いたに違いない。彼らは、一枝一条もみだりに切り取る事をしないで、おのが心に描く美的配合を目的に注意深く選択する。
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自らが育てた草花でありてこそ、思いも一層に深いのではないだろうか。または山野に行って摘み取るのである。花の生涯って長いものでは無いのだから、その無常を共に崇拝するのだろう。しかしその境地へ進むのは、なかなかに大変なことであろうかと想像するばかりである。花1つ、最高の美を演出することが出来るようにならなければ、茶としての資格がないということになる。”花の美を活かせてこそ、道具の美も活かせる”ということになろうか。

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太閤は庭中を歩いて御覧になったが、どこを見ても朝顔の跡形も見えなかった。地面は平らかにして美し小石や砂がまいてあった。その暴君はむっとした様子で茶室へ入った。しかしそこには、みごとなものが待っていて、機嫌が全く治ってきた。床の間には宋細工の美しい青銅の器に、全庭園の女王である一輪の朝顔が在った。
こういう例をみると、「花御供」の意味が充分にわかる。たぶん花も充分にその真の意味を知るであろう。花々は人間のような卑怯者ではない。花によっては死を誇りとするものもある。日本の桜花は風に身を任せて片々と落ちる時、これを誇るものであろう。吉野や嵐山で薫る雪崩の前に立ったことのある人は、だれでもきっと、そう感じたであろう。
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花は死を恐れない。如何にも仏教的な観点かもしれないが、「その生死を人が預かる」とはどういうことか。茶道を通じて、岡倉天心は仏教の理想を語り、日本的価値観を述べて行くのである。しかし実態としての日本はどうであったろうか。また、現在もどうであろうか。時代を経て、我々は文明を進歩させているのか、野蛮を進歩させているのか。嵐山の桜や紅葉も、ここ数年は随分と淋しいものになっているという話であるが、岡倉天心に云わせれば、

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諸君は、野生の花が年々少なくなっていくのに気はつきませんか。それは、彼らの中の賢人たちが「人がもっと人情のあるようになるまで、この世から去れ」と彼らに言って聞かせたのかもしれない。たぶん天へ移住してしまったのであろう。
>

かように、花というもの1つから訓えられるものである。


以上、第六章「花」より、抜粋・雑感まで。次回は最終章。

岡倉天心「茶の本」に見る思想 「第五章」より

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第五章「芸術鑑賞」

第四章「茶室」では、西洋から見た場合、価値観の根本的相違により日本文化を理解することが難しいのではないか、という提起が折々に為されており、その上で「芸術の観賞」ということについて言及していく。

>
諸君は「琴ならし」という道教徒の物語を聞いたことがありますか。
(以下適当に省略します)
大昔、竜門峡に真の王者たる桐の古木があった。ある偉大な妖術者がこれを切って不思議な琴を作り上げ、皇帝に献上された。しかしその弦は、名手が代わる代わる努力しても、ただ軽侮の音、歌と不調和な琴の音が鳴るばかりであった。
やがて伯牙という名手が現れた。御し難い馬を鎮めようとする人の如く、優しく琴を撫で、静かに弦を弾くと、四季・高山、流水など、古木の追憶が呼び起こされ、調べを変えれば琴中に雷光起り、轟々と鳴り渡った。
皇帝は演奏の秘訣を尋ねた。伯牙、答えて「陛下、他の人々は自己のために歌ったから失敗したのです。私はただ琴に任せただけ。琴が伯牙か、伯牙が琴か、本当に自分にもわかりませんでした。」(以上、物語の大筋。)
この物語は芸術鑑賞の極意をよく説明している。真の芸術は伯牙であり、我々は竜門の琴である。
>

人の情感を動かすもの。例えば禅語は伯牙である。その伯牙によって我々の心は様々に鳴り響くことになる。その音色は琴によって様々であろう。如何に伯牙といっても、凡庸な琴を相手には凡庸な音しか出ないものであるし、名琴と出会ってこそ、素晴らしい音色を奏でるのである。逆に云えば、名品の感動というものは、己自身の観賞能力に比例するのである。観賞能力の無いことを置き去りにしてしまった時には、名手の音色を「凡庸」と評してしまう結果となる。美しき音色が響いてこない時には、素直に自己を反省する事も大切であるが、琴が凡庸である時も同じ。まずは伯牙の音色を、自らの琴の中に奏でる体験を知ることであろう。奏者の妙手を知るにも、様々な知識や経験があると尚一層に味わいも深い。そうして、その相克を見極めていくことで芸術鑑賞力、「琴の音色」を磨いていくものであろうか。

>
宋の有名な批評家が非常におもしろい自白をしている。「若い頃には、己が好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、己の好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に嘆かわしいことである。われわれは、手のつけようのない無知のために、この造作の無い礼儀を尽くすことを厭う。こうして、眼前に広げられた饗応にもあずからないことがしばしばある。名人にはいつでも御馳走の用意があるが、われわれは只だ、自ら味わう力が無いために飢えている。
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少し判り難いので再訳すると「若い頃は自分の好きな絵をヨイモノだと公言していたものだが、鑑識力が熟達してくると、妙なことに、過去の名人が選びあげた名品が次第に素晴らしいものに見えて来て、”名人の目に近づいている自分の熟達”がとても嬉しかった。」という意味である。例えばロクロの名人になりたかったら、現在の名人の技を見に行くだろう。同じく、観賞の名人になりたければ、過去、例えば利休の目に学んでしかるべき基礎を積むべきであろう。それが好いと見えてこそ、観賞力の基礎が積まれて行く。よくよく、この世界には食わず嫌いも多いし、苦いものは食べない。ビール宜しく、最初こそ苦いというものもある。しかし少し我慢もしなければ、その良さも判らないというものがある。それは何事にもついて廻る。観賞力の鍛錬だけは例外だと考えるのは、まったく不可思議な思考である。「自ら味わう力が無いために飢えている。」という言葉は、心して聞かなければならない。ファーストフードを常食にしている様では、一生を費やしても懐石の味は分からない。

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慣例、因襲の力は美術観賞力の範囲を制限するものである。われらの個性さえも、ある意味において理解力に制限を設けるものである。そして、審美的個性は、過去の作品の中に自己の類縁を求める。もっとも、修養によって美術観賞力は増大するものであって、これまで認められなかった多くの美の表現を味わうことができるようになるものである。が、畢竟、われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。すなわち、自分特有の性質が理解方式を定めるのである。茶人たちは全く各人個々の観賞力の及ぶ範囲内の物のみを収集した。
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本棚を見れば、また友人を見れば、などなど、その人柄を反映するものは多い。文章1つでも同じこと。即ち、自らの収集品というものは、自己の価値観の反映物である。見栄高き者の収集品にはブランドのものが多く、内実高き者の収集品には本質が反映される。無教養な者の集めるものは嗜好的なものが多く、芸術に価値を認めない者の収集品には安価なものが多い。逆に教養の高い者は歴史由緒の深いものなどを集め、芸術に詳しい者は価額に関わらず求めている。それは万有の中から、その人物が「自己の類縁」として選び出したモノ。結局、人は、その器の持つ力量の範囲でしか収集を行う事が出来ないのであるからして、自己の観賞力や教養を深くしなければ、その収集品、また創作する品々は高まることが無いのである。

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「人は皆、嘆称せずには居られないもの。これによって、利休にもまさる趣味を御持ちになっていることが分かります。というのは、利休の集めた物は、ただ千人に一人しか真に判る者が居なかったのでありますから。」と、遠州は嘆じて「これはただ、如何にも自分が凡俗であることを証するのみである。偉い利休は自分だけにおもしろいと思われる物をのみ愛好する勇気があったのだ。しかるに私は、知らず知らず一般の人の趣味に媚びている。実際、利休は千人に一人の宗匠であった。」 
実に遺憾に堪えないことには、現今美術に対する表面的熱狂は、真の感じに根拠を置いていない。人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられているものを得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。一般民衆にとっては、彼ら自らの工業主義の尊い産物である絵入りの定期刊行物を眺める方が、彼らが感心した振りをしている初期のイタリア作品や、足利時代の傑作よりも、美術鑑賞の糧としてもっと消化しやすいであろう。
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いやまぁ、実際問題、美術館にしても作家にしても、儲けるがためにやるものだから、万人に受けるものを狙う。そうして「売れるものが良い物で、売れないものはゴミである」などと嘯いている。例えば「国宝」と銘打てば来館者が殺到し、「世界遺産」となれば観光客が押し寄せるのである。押し寄せておきながら、その内実となれば、法隆寺で仏像を見るよりも漫画雑誌を読んでいた方が面白かろう。もちろん、マクドナルドとロッテリアの差異を論じるのも観賞ではある。そういった、大衆の分かる範疇だけでの議論というのは、マスコミを始めとして欺瞞的に「数字」や「利益」を得るために行われる。
長次郎の黒楽茶碗1つに、10分も20分も滞在して見る人がどれくらい居るだろうか。飽きずして眺めるだけの価値があると感受している人間が、どれほどに居るだろうか。現代とて、やはり千人に一人であろう。有名であるから観るだけのことで、特段に特別なものを感じてなどいないのである。そしてやはり、遠州系のものは多く技巧的で、人々の支持を得易いものである。それは見え易いという事でしかない。陶器で云えば「薄く・軽く・手間の掛かりそうなもの」である。作者に馬鹿にされている事に、そろそろと気付いた方がいい。

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今日の美術は真にわれわれに属するものであり、自らの反映である。これを罵倒するのは、ただ自己を罵倒するのである。今の世に美術無し、というが、これが責めを負うべき者はたれぞ。古人に対しては熱狂的に嘆賞するにもかかわらず、自己の可能性にはほとんど注意しないことは恥ずべきことである。(中略)過去がわれらの文化の貧弱を哀れむのも道理である。未来はわが美術の貧弱を笑うであろう。われわれは人生の美しい物を破壊することによって美術を破壊している。
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流行品が強い世の中を創り出すのは、他ならぬ流行品を求める大衆である。マスコミに流行品を決めさせて自らが踊るのも、現今の大衆の持つ踊り易い性格を反映しているのである。大衆が安いモノでOK、真の美術など不要と思うからこそ、真の美術が抑えつけられ、機械量産が大手を振るのである。自らに媚びる芸術をヨシとするからこそ、媚びた芸術が台頭するのである。全ては自己の投影物。

我々は桃山美術を称賛し、江戸時代を侮蔑し、明治の技巧主義を罵倒した。では現代の美術はどうだろうか。真の観賞者無くして、真の美術が掬われ、崇拝されることは無い。古物は良い。しかし、それを理由に現代に絶望するとなれば、その絶望が、彼の視界を更に絶望的に飾り立て、全く盲目にしてしまうのである。目に暗い、メクラの時代に名品は台頭しない。ゴッホを評価出来なかった美術界とは、そういう者の時代だったという事である。彼等は「メクラ」と呼ばれたいのだ。そんな芸術鑑賞は、下の下であることは云うまでもない。 本当に熱狂するならば、一人や二人、育ててみせよ。利休は、織部は、徒手空拳で指をくわえて眺めていたか。古陶磁に憧れた末に、自らの私財を擲って名品を作り上げた。そうせざるを得ないほどに愛好していたのだ。昭和の巨匠による陶芸作品も同じく、私財を擲った愛好者が居てこその具現化であった。現代陶に盲目な愛好家というのは、それら先人に何をも学んでいないことになる。愛好の程度も希薄。これではやはり、現代もまた「貧弱」と評価されることだろう。


以上、第五章「芸術鑑賞」より抜粋・雑感。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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