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平成英雄論

たまには政治記事。また似つかわしくない事であるが、勝手な議論を開陳してみたい。常に英雄は待望されてはいるが、英雄と云う者はなかなか現れない。それは何故なのだろうか。(「ヒデオって誰?」という突っ込みは御遠慮下さい。)



地震災害以降、様々な報道などを見るにせよ、現代に於いても「英雄待望論」が再燃しているかに見受けられる。歴史を知る物は、丁度、百年前の日本に同じ現象が巻き起こっていた事を思うだろう。現代の論者は歴史を知らぬのであろうか、メディアにしても何にしても、そも英雄というものを考察するにしても勝手気儘な議論を並べている感がするものである。

百年前の英雄論。その論者として有名なのは徳富蘇峰。最近の話に引き寄せるとすれば、『蒼穹の昴』に於ける梁文秀のモデル、梁啓超その人。中国を追われて日本へ亡命して後、彼は日本における英雄論の白熱した議論に触発され、故国中国での革命を強く願うのである。時は大正時代。その白熱した議論は新聞紙上においても行われ、人々に、特に若き人々に「我こそ次代の英雄たらん」とする気概を与えたのである。二次大戦時の将兵の強靭さ、又、陶芸家で言えば魯山人を始めとした桃山再興の巨匠の若き青年時代。誰もが「心身の修養」を実践して「英雄たらん」とした時代。その思想に大なる影響を与えたであろう事は想像に難くないのである。

「英雄論」。これは「英雄待望論」と共に起ったもの。英雄とは何か。そして、如何なる時に英雄は現れるのか。大正時代、この議題に関して様々な推論が発表され、思考に思考が重ねられた。簡単に云えば、「研究」したのである。その研究の成果を教養として活かす事が、「歴史教養」というものである。

当時の英雄論。当時の学者・元武士というものは四書五経を諳んじて覚えており、朱子学について研鑽を深めている。古臭いというなかれ。これは別の言葉で言えば帝王学であって、現代の言葉で云えば「統治システム論」なのである。経営者として最も大切にされている学問である事は言うまでもない。また、日本の英雄として第一に挙げられるのは織田信長であるが、その文書にも明確に「儒学を以て国を治める」という事が書かれている。余談で云えば彼に儒学を与え、指導をしたのが禅僧・茶坊主である。戦国時代の英雄・織田信長は朱子学という英雄論に従って天下を治めんとし、英雄と呼ばれるに至ったのである。日本における数少ない英雄の例が「儒学と共に在った」という事こそ、本来ならば教科書に載せるべき事実であろう。他、近代史の英雄としては吉田松陰が取り上げられるが、彼の善導者は孟子であっただろうか。

大正期の英雄論では、釈迦や聖徳太子に始まり西郷隆盛まで採り上げ、西洋におけるナポレオンやビスマルク、李鴻章やレーニン、クロムウェルなど様々な事例も採り上げられ、「西欧における英雄論」についても、これを翻訳し、議論の対象としている。正に国を挙げての研究が行われたのである。明治の元勲死去が相次ぐ中で、政府を担った第二波の人物。人材の枯渇感が強い中に巻き起こった近代戦争時代。日清戦争、日露戦争こそ、彼等の活躍で切り抜けたが、彼等の亡き中で巻き起こる第一次世界大戦の号砲。大正時代の英雄論、いや「英雄待望論」はそういった濃厚なる不安の中で生まれたのである。過去・現代の英雄は如何にして生まれてきたのか。陶界の英雄もまた然り、日本の英雄もまた然り。その法則ありや、無しや。


長くなるので本題に進みたい。断っておくが、小生は近代史の専門家ではない。

~英雄論の第一歩:英雄に倣う事により、英雄は誕生する。~

英雄の事例に細かく学び、英雄の事例に倣う事である。過去の英雄の言説を学び、その理想を正確に掴み取る事で、現代にも姿を同じくした人物が出来あがってくるのではないか。まず第一段階としての浅い思想時代。前提知識の共有は議論の基礎。坂本竜馬的人物の待望論など、およそ過去の人物はどうだった、こうだった、などと引き合いに出して現代の人物を斬り倒すのである。痛快であるが故に、大衆も白熱してこの議論に参加する事になるが、やがて専門的な見解へと進む。以下はその成果。

~英雄論①:英雄は大衆が創り出す。~

見解の①。「大衆が英雄を産み出す」論。英雄の出現は、大衆の要求と共に在る。人々の支持と共に登場した英雄は、人々の支持を失うと同時に英雄の座を追われるのがその証拠である。即ち、英雄とは「傑出したる才能」で以て登場するものではないという議論である。信長、ナポレオンなどが容易に想像出来るだろう。大正時代の英雄像は、吉川英治など昭和期の歴史小説にも影響を与えている。英雄の末路が大衆に理解されず、孤独で悲惨であるのはなぜか。

およそ、孔子や老子などの思想界の英雄にしても、その晩年は孤独であり、大衆の支持は無いのである。孔子に云う。「水至って清ければ則ち魚無し。人至って察なれば則ち徒無し。」思想的英雄。別の言葉で言えば、正義というものは必ずしも大衆の支持を得るわけではない。「清き水を求める時代」で無ければ、およそ「住み難い場所」として敬遠されるのである。君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。大衆は正義を賛美するが、不必要と見れば行動を共にせず、これを黙殺するのである。孔子の説いた真理は現代にも通用する。孔子の前に孔子無きが故に、独立して思想を打ち立てた孔子は聖人と呼ばれるのである。「英雄は公衆の奴隷」という言葉で、この性質は指摘される。分かり易く云えば、「出る杭が打たれる時代には英雄は潰されるが、出る杭が求められる時代には英雄が浮上する」という事を真理としているのである。

逆に云えば、本当に英雄を待望する時代となった時、人々が英雄に道を与えるのである。逆説的に云えば、英雄が壇上に登れない環境を作っておいて「英雄待望」を述べるという矛盾を指摘・批難している。英雄待望論の中、いち早く決起した吉田松陰は、「時代の先頭に立ったが故に斬首された」という史観だ。人々が英雄に道を与えなければ、英雄は登場出来ないのであるという考察。徳富蘇峰は言う。「農夫、職工、労役者、商人、兵卒、小学教師、老翁、寡婦、孤児等、数限りなき無名英雄が、一個の偉大なる人物を運動せしめるのである。」、と。我々は実際的に行動すべきである。英雄を選び抜いて、そこに厳しい道徳を課して運動させるべきであって、批判の徒として無駄なる時間を過ごしていても、英雄は誕生しないのである。その前段階として、若き者に「次代の英雄」たるべくして教育する事が必要となるのである。天(世界)を回す(動かす)者。「回天」。中華王朝を打ち倒してきた新皇帝は「天命」を受ける。過去の「天命」を「革める」事を「革命」と云う。民主主義の根底思想とも云う事が出来る。


~英雄論②:英雄が大衆をも動かすのである。~

最も分かり易い理論だ。一個の英雄が周囲を動かし、国を動かし、世界を動かすのである。超絶なる力を持つ「救世主」たる人物が世に降誕して、その超人的な能力で以て世界を、大衆を導いて行くのである。英雄とは、特別な人物に他ならない。

これは同時に人間の区別でもある。大衆は英雄を求めるとしても、その求め方が分からない事を指摘する。国の代表者に相応しい者の資質が何か判るだろうか。軍学、政治、道徳に暗い素人が集まった所で、いかほどの事が出来ようか。烏合の衆に英雄を産み出す力は無い。孔子を見よ、キリストを見よ、吉田松陰を見よ、西郷隆盛を見よ。彼等は英雄の資質を備えたる偉大な人物でありながら、大衆はこれを黙殺し、無惨な死を与えたのである。正義の行われざるを見ても、見ぬ振りをする。ただ浮かれ、無闇な空論に踊るのみ。大衆は愚者である。「水至って清ければ則ち魚無し。人至って察なれば則ち徒無し。」清い水に住む事の出来る魚は少ない。人々は正義の視線に晒されるのを嫌う性質を持つのである。この当時。白人により「人間として劣っている」とされた「東洋人の意地」が、この思想の背景にある。我々にも英雄が居るのだ。

どちらも同じ事を別視点で述べているだけで、本質は近い。
まぁ・・・挙げるとキリが無いのである。最終的には着地点として

①英雄形の英雄:大衆の支持と共に現れる英雄。・・・民藝作家かな。
②聖人形の英雄:後世にまで影響を遺す事跡的英雄。・・・桃山陶工。
③天才形の英雄:自己の力量で全てを動かす英雄。・・・唐九郎ですな。
④機能形の英雄:政治システムにより選出される英雄。・・・学歴主義作家。

分類法。こんな議論に決着点は無い。考察を深める事に意義がある。ただ、最終的には国家の意志によって議論は収束されていった。普通選挙法という「システム」により機能形の英雄選出を「西洋的合理主義」として賛美・採択すると共に、「国民は選出した英雄に従って身を粉にして尽くしていく事」と教育される。その方向が戦争に向かった事は悲しむべき事であるが、これによって発揮された日本の力量が、西洋を震撼させたものであるのも事実である。現代の日本繁栄おける基礎とされているものだし、世界が依然として日本を特別視する事も、これに拠る所が大である。強大な力の使い方。恩恵と教訓は忘れるべからず。

教訓からしても、「英雄論」は政治とも結びつくことになる。①を採れば民主主義を背景とする事となり、②を採れば英雄による集権国家を背景とする事になる。「英雄待望論」は、「中央集権」とセットで無ければならない。こんな簡単な事さえ見落とされている様な気がしてならないのだが、さてどうであろうか。若者の特徴とされる「無意味な万能感」とは何か。百年前には、この様な議論が新聞紙上で行われ、市井で青年までもが議論したのである。対して、現代のマスコミ論壇の低さは何だろうか。「万能感」を感じて得々としている人々は若者なのか。

少し放言を。今の時代に現れる事が出来る英雄とは。最も優れた英雄である②、それに次ぐ③辺りは潰されそうです。①の可能性はありそうですね。ここ数十年の流行は④ですか。マニュアル式に外面(ソトヅラ)で英雄候補を選んでは斬り捨てる、英雄候補の使い捨て時代。いかにも現代らしく、育てる気なんか全く無し。短期視点の斬り捨て・使い捨ての時代。一過性の気まぐれ気質。

日本を変えたいなら、まず大衆が襟を正す。英雄は「大衆の中」から生まれてくる。①~④、どの英雄論も共通して持っている前提論です。青年が英雄たらんとして日本の事を真剣に考える様に教育する。日本に誇りを持つ。誇りのある日本を堅持する。そこから生まれる、日本の強靭な力。文化文物、科学も然り。

「英雄の土壌は大衆教育である」という、百年前の「常識的感覚」。これさえ持ち合わせない現代。本当に枯渇しているのは、経済なのか。よくある「西洋では云々」などの理論も、所詮は上塗りを綺麗にするだけの事。その「云々」を自己の中から叩き出せる国家体制が、国民環境が重要であろう。科学技術だって陶芸だって何でも、「自己の力量」こそが全ての本質ではありませんか。魚を貰ってくるよりは、魚を釣る方法を知らなければならない。スーパーに買い物へ行って済ませる根性で、最高の魚が手に入るわけがない。西洋的な合理主義の弊害。誰だって知ってる話が実行出来ない時代。

さて、以下私見。

テレビを見ていると枝葉の理論ばかりにて、こういった話が一切出て来ないってのは・・・何でかなぁ、と思います。まだまだ、英雄を本当には欲していないという事でしょう。首相の椅子をコロコロと転がして、「この急場を凌ぐ程度の人物くらい居るだろ?」くらいの、軽い指向、一過性の根性が、まだまだ日本には根強いんだなぁ、などと、一人で勝手気儘な事を感じてみたりしておりました。

そうは云いつつ。私も軽い危機感しか持ってないです。裏切られる事もありますが、それでも人を信頼してます。無知なる幸せを噛み締めているだけではないと、常々、そう思っています。そんな信頼・期待こそが、英雄を育てていくのでは無いでしょうか。先だっての原発の停止だって、あれは国民の期待が背中を押しました。続いての自然エネルギーへの転換も、全ては大衆が思うものの受信。善良なる受信装置。「英雄は大衆の奴隷である」という①英雄型の英雄発生と見ていました。

一方の・・・批判ばかりの使い捨て思想・自己万能感に溢れたマスコミに、どうにもウンザリする日々であります。この受信装置はポンコツで、悪い思想が選別出来ない。電波放送局とはよく言ったモノであります。英雄が自らを奴隷として大衆に仕えるならば、大衆はこれを英雄として遇する事が礼儀であり道です。自己万能感に酔った勘違い馬鹿が英雄を奴隷扱いし、使い捨てるなどという腐った根性。我先に奴隷を意のままに動かそうとする者。正に「衆愚が英雄を叩き潰すの図」ではないだろうか。

まずは人を信頼する所から。和の精神。正しき循環の流れ。向上の精神。英雄は我々の内から産まれ出るもの。日本の民主主義の創成期に唱えられた英雄論。「我々、一人一人が英雄となるべくして身を正し、日々向上する姿こそが無名の英雄であり、その姿の中から、「偉大なる英雄」が登場するのである。」という思想。

亡命した梁啓超を始めとする中国創成期の人物が共鳴した大正時代の英雄論。

私もこれに賛同するのである。


歴史を「鑑」とするという「歴史の教訓」とは何か。過去を踏まえてこその力。



以上、久しぶりの長文。歴史を借りての私見まで。
論者:近江の苔

吉村祐


〆真の茶陶を求め、忍びの里にて古伊賀を追う日々。1980年生。
陶工:吉村 祐 (ユウ)
窯場案内:伊賀丸柱から北へ10分、信楽から東へ20分程の山中。かつて古伊賀が焼成された集落に近在。詳細はWeb・交通案内記事など。

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